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きなこ湯
2024-06-09 19:54:32
2865文字
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便利屋の苦悩
八九の部屋にある機材を使い、電子メールを送ろうとする候補生の話。
銃マスワンライのお題「メール」より。特に致命的なネタバレはないはずですが、(存在しない)ロードストーリーイタリア編後を想定しています。
主人公の一人称は「私」で書いています。
画面上に現れた文字列を見て、候補生は思わず間抜けな声を上げた。
「おわあ。本当に届いた」
その存在は以前から知っていた。だが、実際に触ったのは士官学校に入学してからだと言う。
電子メールの話である。
WWⅢから革命戦争を経て、世界人口は大きく減少している。武力衝突によって失われたのは人命のみに留まらず、土地の豊かさ、歴史文化、あらゆるものが衰退へと傾いた。大きな戦争は時に技術革新を加速させるという説もあり、実際世界帝軍の遺産にはすぐれた物が少なくないが、発達した技術が民間に浸透したかといえばそれは難しい。民間からあらゆる武器が取り上げられたと同じように、特にヨーロッパ圏では、民間と組織の間にあるギャップが大きかった。
候補生に馴染みのある通信手段と言えばまず手紙、次いで電報、作戦行動中なら無線機を持つこともある。しかし、電子メールを使った経験はなかった。単純に個人で使用できるコンピューターを所持していなかった。それは今もそうなのだが、私的にコンピューターを所持しており、なおかつ使い慣れた知り合いができた。
日本自衛軍所属の貴銃士、八九である。
八九は切れ長の目をますます細め、嘆息混じりにつぶやいた。
「いやこれ何の罰ゲームだよ
……
」
「ごめん、何か言った?」
「い
……
いや別になんも」そう早口で言い切ってから、歯切れ悪く付け加える。「頼むから、俺がいいって言ったとこ以外絶対触るなよ?」
「それはもちろん。壊したら弁償できない」
「ハ、ハハ
……
」
そういう問題じゃねぇんだけど、と苦い顔で文句を噛み殺す。
士官学校にある八九の私室にはすぐれた機材が詰め込まれている。ほぼすべて八九の趣味によるものだったが、物珍しい家庭用ゲーム機などを求め、たびたびの来客がすっかり定番となっていた。つまり、〝コンピューターやらインターネットやらで困ったら八九のところに行け〟。
八九はモニターをじっくり眺める後頭部を見下ろして、それから部屋の中をちらりと横目に見回した。貴銃士のマスターである彼女が八九の部屋を尋ねることは、べつにおかしな話ではない。授業や任務の話なんかでアポイントなしに来ることだって、べつに無いわけではなかった。直近の特別クラスをサボタージュしていたので、きっとそのお小言だろうと思い、八九は几帳面なノックの音を無視しなかった。扉の前で軽い世間話をして、それで終わりだと油断していたから、こんな変なTシャツなんか着ているわけで。
何やら遠征任務に士官学校を離れた貴銃士の誰かが、滞在先の連合軍支部から電子メールを送ってみるという発想に至ったらしい。手紙より早く、下手すれば確実に届くため、到着時間にあわせてこちらからメールを送ってみるという約束をしたらしい。
いやなんで俺のパソコンから?
任務に行った貴銃士の名前、任務先、日程なんかも候補生はきっちり説明してくれたが、そんな話は右から左へと抜けてしまった。待って俺ちゃんと部屋片付けたのいつが最後だっけ、ベッドの下のやつちゃんと隠してあるか? ていうかなんで俺変なTシャツ着てるんだ。アホか。この状況を引き起こした貴銃士の名前を思い出そうとするも、繰り返されるのは自分の間抜けな返答ばかりである。
「
――
そういうわけで八九を頼りたいんだけど、ダメかな?」
「え、あっ、あー
……
」
「絶対余計なことはしないって約束する。こんなこと頼めるの、八九しかいなくて」
「
……
い、いま俺の部屋けっこう汚ぇんだけど
……
」
「大丈夫。邪魔しないようにするね、ありがとう」
「あっ、ああ
……
」
彼女の穏当で礼儀正しい部分に八九はひそかな親しみを抱いていたが、この押しの強さばっかりには勝てる気がしなかった。
閑話休題。現実逃避から戻ってきた八九は、脱ぎっぱなしの靴下をこっそりベッドの下へと押しやりながら、改めてモニターを確認した。
――
大丈夫、変なところは見られていない。変なタブも開いていない。それでも、自分の弱みを彼女の前に晒しているも同然で、気持ちは落ち着かなかった。
電子メールの文章を読んでいた彼女が小さく笑う。部屋の電気を落としているせいで、彼女の白い肌に青白いモニターの光が反射して眩しそうだった。メールが日本語で書かれていないのはわかる。英語でもない。
……
イタリア語か? あのやたらキザで物騒な二人組のどちらかが、彼女に妙なことを吹き込んだのだろうか。さりとて直接文句を言う度胸も持ち合わせていないのだが。
しかし。
「
……
返事、書くか?」
存外温度の低い声になり、八九はしまったと思った。が、顔を上げた候補生は特に気分を害した様子を見せず、首を横に振る。
「ううん。試しに使ってみたかっただけだから、返事には及ばないって」
「そ、そうかよ」
「ありがとう。お邪魔しちゃってごめんね」
「おう
……
、や、べつに、邪魔って意味じゃねぇけど」
邪魔ではないが、できれば一報入れてから訪問してほしい。
歯切れの悪い態度を前に、候補生は申し訳なさそうに眉尻を下げて笑った。
「じゃあ。また明日」
「おう
……
え、明日?」
思わず鸚鵡返しにつぶやくと、候補生は首をかしげた。
「うん。明日、八九に来てほしい任務があって
……
あれ、話さなかったっけ」
「あ、ああいや、悪ぃ、たぶん聞き逃してただけだ。明日な、りょーかい」
「よろしく。午後一番の特急列車だって。校門前に集合で」
「おう」
彼女の背中を見送り、静かな足音が遠ざかってゆくのを聞き届け、八九はその場にゆるゆるとしゃがみ込んだ。
「
……
はー、あっぶね
……
」
首筋に浮かんだ冷や汗を拭いながら、キーボートの下に隠した一枚の写真を引っ張り出す。モニターの光に照らされ、写真の表面がツヤツヤと光っている。若干ピントのずれた、二人の人間が写った写真だった。満開の桜を見上げる人の好さそうな横顔と、その人の片手が迷彩柄の軍服を掴んでいる。数ヵ月前、士官学校の面々で花見をした時、ジョージが撮って現像した写真だった。
部屋に招き入れるつもりはなかった。だから、モニター近くに立てかけてあったものを咄嗟に隠したのだった。
隠し撮りではない。被写体だったから分けてもらった、それだけの話だ。もしかすると彼女だって同じものを持っているかもしれない。けれど、二人しか映っていない一枚だけを勝手に飾っているというのは、なんだか、こう。
「八九」
「うおわ
――
ッ⁉」
ガチャ、ノックもなしに開いた扉にびくりと飛び上がって声をあげる。
バクバクと暴れる心臓を押さえながら振り返ると、写真の中のようにボケていない彼女が驚いたように両眼を見開いていた。
「おまっ
……
お前なあ! ノックしろよ!」
「ご、ごめん。言い忘れていたこと思い出して、つい」
申し訳なさそうにしゅんと肩を落とす彼女に乾いた笑いを返しながら、八九は後ろ手に写真を裏返して、アルバムか何かを用意しようと心に決めた。
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