mikagami3
2024-06-09 01:14:17
17797文字
Public エスコン7 ミハトリ
 

初夏の庭でお茶会を

トリガー♂とお付き合いしているミハイ(ミハトリ)が、彼の母親と、祖母と、お茶会をする話。
独自の家族設定が出ているので、お気を付けください。
トリガー=7の主人公、男性。今回は登場せず。
スカーフェイス=2の主人公(3Dではない)トリガーの祖父。金髪隻眼ムキムキじいちゃん
メビウス1=04主人公、トリガーの叔父。今回登場せず。
他に創作キャラとして、トリガーの両親と、スカーフェイスの妻(トリガーの祖母)トリガーの妹達が出てきます。
スカーフェイスだけは本名設定がまだないため、TACネームのまま話が進んでいきます。

「おばあちゃま」
「おばーちゃまぁ」
 ほんの少し甘えたような、明るい声が老婆に呼びかけた。
 太陽のように輝く金の髪を揺らしながら、美しい双子の少女が、春の庭を駆けてくる。
「どうしたの?レティ。マギー」
「あのね、あのね、今からお出かけしてくるね」
「おばあちゃま、何かお使いある?おじいちゃんと一緒だから、重いものも平気よ」
「あらあら。そうねえ」
 言われて、少し手入れの手を止めて考える。そろそろバターとグラニュー糖が欲しいところだった。余裕を見て、小麦粉も補充すべきだろう。
「バターと、グラニュー糖。それから、小麦粉も欲しいわ。強力粉と薄力粉両方ね。メーカーは分かるかしら?」
「大丈夫!」
「どのくらい買う?10キロくらい?」
「あらあら。どれだけ食べるの?」
 フフッと笑うと、少女たちもフフフッと明るく笑った。
「おばあちゃまのお菓子、とてもおいしいもの」
「いくらでも食べたいよ!」
 ねー!と互いに笑いながら顔を見合わせ、きゃっきゃと楽し気に声を上げる。
 微笑ましい二人の様子を見て、祖母である老婆もにっこりと笑った。
 自分の手で作ったお菓子を、家族に振る舞うのは彼女の幼い頃からの憧れだった。
 この手で作ったものを、美味しいと笑って食べてくれる幸福は、恐らく夫と出会わなければ得られなかった。
 じんわりと暖かくなった胸に手を置き、そっと息を吐いて溢れそうな涙をごまかした。
 優しい孫娘達に見られてしまっては、余計な心配をかけてしまう。
 笑みを浮かべて、そしてちょっと怒ったような声で二人に言葉をかけた。
「嬉しいわね。でも、食べ過ぎはいけないわ。ほどほどにね。だから、いつもと同じでいいわ。おじいちゃんにもそう言っておいてね」
「はーい!行こう、レティ」
「うん。マギー。いってきます、おばあちゃま」
「いってきます!」
「ええ、いってらっしゃい」
 先に駆け出していたマーガレットが、祖母へと挨拶をするヴァイオレットの声を聴いて慌てて振り返り、大きく手を振り挨拶する。
 それをクスクスを笑いながら見ていると、ヴァイオレットが差し出した手を繋いで、双子の少女は改めて駆け出し、薔薇のアーチをくぐっていった。
 小さく手を振って少女達を見送っていると、ガレージのほうからのっそりと大柄な男がやってくるのが見えた。
 見るからに屈強な男は、その体格に見合う怪力の持ち主で、片手に園芸用の土を、もう片方に堆肥を担ぎながら、花壇の前に佇む老婆へと声を張り上げた。
「奥様ー!土と堆肥が届きやした!すぐに使いますか?」
「今日はしまっておきましょう。いつもの場所に置いてくださいな」
「へい」
 軽い調子で頷くと、男は一度立ち止まり、軽く身体を揺すって担ぎ直す。
 ふ、と思い出したように上へと視線を動かした後、老婆の目を真っ直ぐに見た。
「奥様、ボスから伝言です。夕食後に話がしたい、と」
「あら、改まって何かしら?」
「大事な要件のようでした。アイクぼっちゃんにも関係があるとのことで」
「あら、あの子も帰ってくるの?」
 明るく弾んだ声を上げる。いつだって孫に会えるのは嬉しいものだ。今は就職して遠くに離れた初孫は、職業柄どうしても命の危険が伴う。会える機会は逃したくはない。
 男は困ったように眉を下げて、さっと軽く首を横に振った。
「いえ。流石に。また、ぼっちゃんに聞かせたくない話とも言っていました。お嬢夫妻と、奥様、ボスの四人で話がしたいと」
 彼が言う『お嬢』とは、老婆の娘であり、先ほどの少女達の母親だ。
 娘と、その夫、そして自分、愛する夫。この家を支える大人だけで話がしたいということらしい。
「分かりました。サンドラ達には私からも伝えておきます」
「頼みます。俺ぁ、この荷物を運びこみますんで」
「ええ。お願いね」
 庭にある作業小屋へ荷物を置きに行く男を見送り、老婆は頬に手を当てて、ゆっくりと溜息をついた。
 ここ最近不在にしていた夫が、どうやら何かを抱えて帰ってくるらしい。
……何かしら。あまり、大ごとにならなければ良いのだけど
 うららかな日差しの春の庭に、彼女のか細い呟きを聞くものは誰もいなかった。

 
 夕食後、お茶とお茶請けを並べたダイニングテーブルに四人が揃った。
 この家の実質的な家長である傭兵・スカーフェイス。
 その妻・マリアンヌ。
 二人の娘・アレクサンドラ。
 アレクサンドラの夫・テオドロ。
 今話題のエースパイロット、トリガーことアイザック・M・ガルシアの祖父母と両親が、揃って席につき、カップに口をつける。
 最初にカップを置いたのは、マリアンヌだった。
「で、あなた。お話って、なにかしら?」
 老婦人はおっとりと笑って、かるく首を傾げた。
 両隣に娘夫婦、向かいに夫スカーフェイスが座っている。
 娘・アレクサンドラは父を胡乱げな目で見ている。
 娘婿・テオドロは食後のお茶をのんびりと飲んでいる。お茶請けに、と出されたクッキーにも手を伸ばし、向かい側に座る義理の父へと疑問を投げる。
「お義父さんから話があるって、珍しいですね。どうしました?」
「あー。ちょっとな。直接関わってくるわけじゃないが、家の問題だ。お前たちにも聞かせておくべきだと思って、声をかけた」
 そこまで言うと、スカーフェイスは青い隻眼を妻へと向けた。
「アンヌ。お前の昔馴染みの男が、お前と話をしたいそうだ」
「あら。わたくしの昔を知っている殿方が、今も生きていらっしゃるなんて。どなたですの?わたくしから招待状をお出ししたほうが宜しいでしょう?」
「生きてるのが奇跡だ、ってとこだな。俺が相手取ったなら殺していた。アイザックに感謝しろ、と言っておいた」
 吐き捨てるように言った夫の言葉に、マリアンヌはやや目を伏せた。
 あの日、孫に寄り添って見せた男を、彼女はずっと昔から知っている。
 緊張した面持ちで外交へと臨む、若き次期大公だった男。
……ミハイ殿下、ですのね?」
 ぽつりと零れた妻の言葉に、ゆっくりと頷く。
「ああ。何が目的かは知らんが。まあ、あのクソジジイもやっと歩けるようになった程度らしいから、手荒な真似できんだろう。日取りは任せるが、決めたら知らせてくれ。こちらからコンタクトを取る」
 夫は、殿下に何か思うところがあるらしい。それは、マリアンヌのあずかり知らぬ所で起きた、過去の出来事だ。彼女が口を出すことではない。
 今は、話をしたいと言う先方の要望をきちんと吟味すべきだ。
 笑顔を作って、夫を宥めようと声をかける。
「あら、そんなことをしなくても、わたくしが
「駄目だ。アンヌ、マリアンヌ。お前にとってはもう過去の事だろうが、この国での立場は”娘家族と同居する穏やかな母親”だ。その立場が違和感なく溶け込むような経歴に書き換えたことを、忘れるな」
 スカーフェイスの真剣な眼差しに、受けた妻も気圧される。
 マリアンヌの愛情に応えるように、スカーフェイスもまたずっと妻を愛してきた。溺愛といってもいい。
 穏やかに生きたいという願いも、戦乱の渦中に飛び込む仕事をしているスカーフェイスと添い遂げたいという願いも、同時に叶え続けてきた。
 娘の結婚を機に、移住と同居をしたいという願いも叶えた。その際に、一般市民が閲覧可能な部分の個人情報を全て書き換えた。
 公的な身分としても平民だが、妻の体に流れる血も、育った土壌も消せない。すでに国は地図にはないが、当時を知る民も、領地も、籍や名前や世代は変わったが、存在する。
 新たな戦乱の種に発展させないためにも、完全には書き換えなかった。必要な人間にはきちんと知らしめるだけの根拠を残しておかなければと思ったからだ。閲覧権限を持つものは極少数に限られるが。
 ゆえに、元侯爵令嬢のマリアンヌが、他国の要人とやり取りを交わすのは推奨できなかった。
 夫の気遣いを察したマリアンヌは、悲し気に微笑む。
……ええ。本当に、すっかり、穏やかな日常に包まれていましたから。遠くに置いてきたあの子も、見守ってきた孫も、随分と立派になってしまいましたね」
「アイザックのことはもう隠しようもないが、ノリスに関しては国を隔ててる分、まだ誤魔化せる。そうじゃなくてだ。お前自身のことだ」
「わたくしの?」
「そもそも箱入り娘だったお前は、あまり自覚はないだろうが、亡国の貴族の姫君が、こんなところで庭いじりしてるなんて誰も思わんよ」
「現実にしてますのに
「そうだが。それでも、直接のやり取りは許可できない。お前からでは、隠し切れない」
「はい。あなた」
「貴族?お義母さん??何の話ですか?お義父さん?」
 話を見守っていたテオドロが、耐えかねて声を上げた。
 2mを超える巨体を小さくしながら、それでも、ただならぬ気配を感じておろおろと二人を交互に見る。
 義母を挟んで反対側のアレクサンドラは、そんな夫の様子を微笑ましく見ている。
 その様に苦笑しながら、スカーフェイスはきわめて簡潔に説明した。
「婿殿、テオドロ。マリアンヌは、今はもう地図から消えた国の、とある領地を治める領主の娘……貴族だったんだよ」
「お義母さん、本当に?」
「ええ。でも、もうずいぶん昔の話ですよ。今は、愛する夫と、可愛い娘と、娘を愛してくれるお婿さんと、元気な孫たちに囲まれて暮らす、悠々自適の老婆ですよ」
 にっこりと笑うマリアンヌの言葉に、テオドロはぽかんと口を開ける。すっかり気が抜けたスカーフェイスも続けた。
「消えたっつったって、物理的に消えたわけじゃない。……土地はある。境界線が書き変わって、違う国になり、国際的な立場や名前も変わっただけだ。
 だが……生き残った昔からの人間は、まだ当時の名前で土地のことや集落のことを呼び合う。何処の田舎にもあるだろ?昔から伝わってる呼び方ってのがさ」
「はい……そう、だったんですね。お義母さん」
「ええ。でも、今はとても幸せです。わたくし、夫と出会えて、子供たちを産めて、孫まで得られました。幸せですよ」
 テオドロは、義母の言葉を信じた。
 何故なら、自分も幸せだからだ。
 一人ぼっちになってしまった自分に、また賑やかな家族の暖かさをくれた人達を、信じることにした。
「僕も幸せです。この家が、家族が、大好きですから」
「で、だ。面会の日取りや場所はこちらに一任されてる。アンヌの好きにしていい。だが、サンドラと話し合ってくれ」
「私?どうして?」
 急に名指しされたアレクサンドラは、首を傾げながらお茶を飲む。話がひと段落したとみて、完全におやつを楽しむ気持ちになっていたから、指名理由が全く予想できずに首を傾げるばかりだった。
「相手は元々、大公になるはずだった男だ。本人はそんな肩書は捨てた気でいるだろうが、周囲はそうはいかねえはずだ。少人数、だが、精鋭を連れてくるはずだ。お前には、アンヌの護衛をしてほしい。親族として同席してる顔で、守れ」
 真剣な顔でこちらを見る父親に、アレクサンドラは少し呆れ気味だった。
 相手は大層な御仁で、今や一人前の戦闘機パイロットである息子アイザックとも同等以上に渡り合えるらしいが、自分の父親と同世代の男性はたいてい体力も衰えるものだ。
 元戦闘機乗り、現戦車乗りで現役の傭兵であるスカーフェイスが異常なのだ。
「大袈裟じゃない?ミハイって名前で次期大公殿下だったってことは、シラージの次期大公だった人でしょ?昔はともかく、今は平民として生きてるって聞いたわよ?」
 スカーフェイスの部下とも仲が良いアレクサンドラは、彼らや情報収集担当の人工知能が集めてきた世界情勢にも詳しい。本人は看護師だが、家族に軍や戦争の関係者が多い以上、情勢にアンテナを張っておくに越したことはない。
 渋るアレクサンドラに、スカーフェイスは肩を竦める。
「だから、本人はそう思ってるだろうって言っただろ。本人の考えと周囲の捉え方が一致するほうが珍しいだろうが」
「そりゃ、そうだけど」
「それなら僕が行きますよ」
 親切心から笑顔で手を挙げたテオドロを、スカーフェイスは一睨みした。
「テオドロはダメだ。お前自身は温厚な人間だが、見た目が厳つい。並んで歩くと、サンドラじゃなくてお前が俺の実子だと思われるようなガタイじゃねえか。相手に威圧感を与えないのも大事なんだ、今回は」
「はい……
「私、どっちかというと父さんに似てるんだけど」
「上手く女顔に育って良かったと思ってるぜ、俺は」
 美人になったな、と暴れん坊だった幼少期の娘を思い出して笑う。
 この場に、スカーフェイスに昔からついている部下がいたならば「若い頃の隊長はサンドラによく似た美青年だったのだ」と笑ったところだろう。筋骨隆々で、顔に大きな傷が走る今からは想像もできない。
 昔を知るマリアンヌは、何も言わない。彼女にとって、夫は今も昔も美しい人だ。
「向こうだって、一対一で対面できるとは思ってないだろうし、かといって家族全員同伴とも思ってない。向こうの面会人数は分らんが、今、あのジジイの身内は未成年の孫娘が二人だ。下の娘はかなり幼い。やっと10歳くらいじゃねえか?留守番も心配だが、同行もさせられないだろう。せいぜい、SPが二人と、心配性な部下が一人くらいだろうよ。
そんな中で、俺やテオドロみたいな筋骨隆々の大男が待ち構えてたら一触即発だ。そりゃそうだろう、俺の悪名は世界に轟き、そうでなくても見た目から警戒対象に入る。そんな少人数じゃ、俺一人でも秒で制圧できちまうしな」
「私もできるけど」
「できそうだと思わせないことが大事だ。お前は見た目は細身だし、荒事に慣れてなさそうな表情も取り繕えるし、そういう表情が似合う程度には容姿も整ってる。よく言われるだろ?美女と野獣って」
「サンドラは外見も性格も、適性もあなたによく似てますからね。強く賢く、そしてとても美しく育ってくれました。わたくしの自慢の娘ですよ、アレクサンドラ」
 真っ直ぐに見つめて、にっこりと笑いながら褒めるマリアンヌの言葉を嬉しく思う。
 心身ともに美しく、気品に溢れ、とても優しい母を自慢に思っているのはアレクサンドラも同じだ。
 そして、母親は自分とは違い、見た目通りにたおやかで、心は強いが身体は強くないことも知っている。
 アレクサンドラは幼少期、いつ荒事に巻き込まれるか分からないからと、護身術代わりに戦闘訓練を受けていた。遊びの延長線上や、旅行に行くついでに、格闘技やサバイバルや武器の扱いを教わって、習得してきた。身体が育ってからは本格的に訓練も受けた。
 今も体力だけは衰えぬようにと続けているものがある。体力は今の仕事でも重要だから、今後も続けていくつもりだ。必要とあらば、父の隣で鉄火場に立つ事もできる。
 だが母は、紛れもなく貴族の娘なのだ。
 乗馬はできるものの、体力は一般人程度だし、腕力や脚力などに至っては一般人以下だろう。ちょっと世間知らずだけど可愛らしくて、箱入り娘と言った父の言葉は嘘ではない。
 そんな深窓のご令嬢が、何を間違って当時も現役の傭兵で、今より荒くれ者だった父を好きになったのかは全く分からない。
 けれど、マリアンヌが夫を、自分や夫や弟を、そして子供たちを愛してくれているのは分かる。その愛情を確かに感じている。
 だから、守ること自体はやぶさかではない。
「母さん。安心して。同席すること自体は構わないわ。知っての通り、私は強いから。護衛だってきちんとできるからね。でも……本当に少人数なら、私じゃなくても」
「他人を同席させられない。あくまで秘密裏の面会依頼だ。お前達に取っちゃ、普段から顔を合わせてる俺の部下達は家族も同然だろうが、相手に取っちゃ歴戦の傭兵部隊だぞ」
「それもそうね」
 何となく違和感は残ったが、父の言い分も理解できた。アレクサンドラはそれ以上は反論せず、頷いた。
「テオドロ。面会の時に同席はさせられないが、それがあることは把握してくれ。何処に影響が出るか分からないからな。だから、他言無用だ。知ってるだけでいいからな」
「はい、お義父さん。お義母さん、何か手伝えることがあったら言ってくださいね?」
「ええ、何かあればお願いするわ」
「母さん。今日はもう遅いから、日取りや場所の話し合いは明日にしましょ?明日丁度休みだから」
「ええ、お願いねサンドラ」
「よし、じゃあ今日は解散だ。遅くまで付き合わせて悪かった。おやすみ、みんな」
「おやすみなさい」
「母さん、私が片付けておくから、母さんは先に休んで」
「お願いね。では、あなた。少し考えることもあるので、先に失礼しますね」
「ああ、おやすみ。俺は少しやることがあるから、もう少し起きている」
「わかりました。おやすみなさい」
 テオドロ、マリアンヌの二人を見送り、座ったままの二人は顔を見合わせた。
「父さん。まだ言ってないことあるでしょ?」
「勘が良いな。流石俺の娘だ」
「父さん」
 軽く睨むと、わはは、と笑った後に目を伏せた。
 頭を抱えて、数秒唸ったかと思えば、急に顔を上げた。
「サンドラ、あのジジイについてどこまで知ってる?」
「あのジジイ?ミハイって人の事?そりゃ、そんなに詳しくはないけどシラージっていう国の、王様になるはずだった人。シラージはエルジアに吞まれたこと。母さんの表情を見る限り、そこそこ交流があって、庶民からしたら友達って言っていいかもしれない間柄だったこと。そして、私の息子と命のやり取りをしたこと。これくらいかな?後は顔くらい?でも、若い頃の肖像画しか見たことないかも。今の顔は知らないかな」
 首を傾げながら指折り数える。他国の要人ではあるが、あまり表に出る立場ではないミハイ・ア・シラージを知る者はそう多くはない。妥当なところだとスカーフェイスは頷いた。
「そうだな。情報に齟齬はない」
「父さんと何があったかは、今は聞かないでおくね」
「おう、そうしてくれ。まあまあ因縁があるんだ。……ノリスも無関係とは言えない」
「ノリス?どうして?」
「覚えてるか?黄色の13を」
……覚えてるわ。ノリスにとって、彼が敵だったのは最大の不幸で、幸福だったと思う。あの時の落ち込みようは酷かったわ。きちんと飲み込んで、立ち直ってくれて本当に良かった」
 遠くの弟のことを思い、そっと息を吐く。自分の魂と空で共鳴する相手を失うのは、とても苦痛だ。アレクサンドラは空を選ばなかったが、その辛さは共感できるつもりだ。
 あの時見せてくれた、空の軌跡を語る弟を思い出して、父親の目を見つめる。
 父親は真っ直ぐに見返した。
「サンドラ。その黄色の13の師匠が、ミハイだ」
「なんですって?」
 黄色の13は、記録を見る限り類い稀なエースパイロットだった。あの男と戦ったから、その軌跡と出会えたから、弟は生き延びる力を得たのだと思っている。
 彼の軌跡を糧に、弟は英雄とまで呼ばれるようになったのだ。
 そんな男の師匠だと言う老人に、俄然興味がわいた。
「まさか、間接的にノリスとも縁があるなんてね。それにしても、そんな人と戦ってよくウチの子は生き延びたわね
「お前が思っているより、アイザックは強いからな。まあまだ甘いところがあるのは否定できんが、伸びしろってことだな。それに、年齢的なものもあるだろう。かなり無理をして飛んでいたようだからな。詳細は軍事機密に当たるが」
「そう……。父さん、他にもあるでしょ?言わなきゃいけないこと」
「バレたか」
「父さんが褒めてくれたように、私、勘が良いから」
 チッと舌打ちをした父に、にんまりと笑って見せる。とうとう苦虫を噛み潰したような顔をしたスカーフェイスが、それでも意を決して口を開く。
「ミハイは、アイザックの恋人だ」
………なんて?」
 思わず、すっとんきょうな声をあげた。
 ミハイはスカーフェイスと近い世代だ。ということは、アイザックにとっては祖父に近い世代の男性と言うことになる。
 アイザックはスカーフェイスの孫で、アレクサンドラの息子だ。
 アレクサンドラにとっては、ミハイは父親と近い世代の男性と言うことになる。
 そして、父の話では彼には孫娘がいると言う。つまり既婚者だ。身内はその孫娘だけということなので、もう配偶者も亡くなってはいるのだろう。
 それにしても、それにしてもである。
「父さん。本当に?」
「こんなこと冗談で言えるか。同性同士の恋愛や結婚は、甥っ子や息子で慣れたと思ったところに、孫が俺と同世代の男と恋仲だぞ?素面で言うのもしんどいんだこっちは」
「今、私も、とんでもない情報を一生懸命咀嚼してるところよ……
 そう言って、残っていたお茶請けのクッキーを口に運ぶ。お菓子を咀嚼するのに合わせて、頭の中で情報を噛み砕いていく。
 アイザックは恐らく、先の戦争の空で彼と出会っている。戦時中のどのタイミングかは情報を集めなければならないが、本人に聞く暇はないだろう。あの子は忙しい。
 戦闘機乗りを選んだ息子の眼前に、エースパイロットの鑑のような男が飛んできたのだ。
 若い頃から頭角を現し、仲間に慕われ、敵から恐れられ、空に生きる者としての誇りを持っていた。そんな男を育てたパイロットだ。その軌跡の鮮烈さ、鋭さは想像を超えるだろう。空に魅せられた者ならば釘付けになるかもしれない。それだけは、アレクサンドラにも分かる。自分が飛んでいたなら目を奪われたはずだ。
 クッキーを飲み込む。ひとまず、理解はした。戦闘機に乗る以上、戦ってる間は顔も年齢も、下手をしたら性別も分からないし、強さに惹かれるのも分かる。現に、父に惚れこんでいる若い部下は何人もいるのだ。
 ただ、それが自分の息子となると、事実を受け止めるのに少々時間を要する。
「こう言っちゃなんだけど、よくもまあ、父さんもそれを今日まで私に黙ってたわね」
……お前は母親だ。俺よりも、なんだ、ショックがでかいかと思ってな。言う決断ができなかった」
「そりゃ……何も思わないわけじゃないわ。ただ、あの子は他人への関心が強くないし、親切にはできるけど、こう、恋とかには無縁だと思ってたから、そういう衝撃もあるわね。
 あ、この子恋愛とか出来たんだ……みたいな」
「お前な」
「その点に関して、安心できる要素ができたっていうのはあるわ。それ以外の事に関しては……もう少し考えたい。そうね、そうだわ!」
 思いついたように、明るい声を上げて、アレクサンドラは青い目を煌めかせた。
 父親と、子供たちと同じ、晴れた冬の青空の目を。
「会ってから決めるわ。そうでしょう?会ってもいないのに、良いも悪いもないわ。だから、一旦保留。あの子の人生の、長くはないけど短くもない時間をくれてやるんだもの。
会ってから応援するとかしないとか、決めるわ」
「賛成とか反対は?」
「父さんは忘れがちだけど、あの子も立派な大人よ。賛成も反対もないでしょ。結婚なんて当人の覚悟次第なんだし」
……そうだな」
「駆け落ち同然で結婚した父さんが、心配することじゃないでしょ」
「あれは、あれは恩人の娘を亡命させるだけのつもりだったんだ!」
「その時からもう、母さんに負けてるのね」
「うるせっ!ハニーの頑固さをお前だって知ってるだろうが!!!」
 仲良し父娘はその後、軽く酒盛りをしてから眠りについたのだった。
 

「キング、こちらのようです」
 ヴィトが指し示す先に、広い庭が見える。
 歩道のすぐ脇から一般的な邸宅へと向かう飛び石とは別に、レンガ敷きの小道がある。
 その先に、今日の目的地がある。
「ヴィト、緊張しているのかね?」
……失礼しました、ミハイ。以後気を付けます」
「ここは住宅街だ。あまり耳慣れぬ言葉を発すると、住民を不安にさせてしまう。注意しなさい」
「はい」
 神妙に頷くヴィトへと頷きを返し、ミハイは一歩、レンガ道へと足を踏み出した。
 青々とした芝生を抜け、赤い薔薇のアーチを潜る。その先に、初夏の花々が咲き誇る庭が現れる。瑞々しく明るい色彩の庭は、持ち主の心を表すように穏やかで、自然体に近い。
 一度立ち止まり、ゆっくりと庭を見回す。どこか懐かしさを覚える色彩に、ぽつり、ぽつりと空いた花壇が混じる。休ませているか、新しく植えたばかりなのだろう。プレートが刺さっている場所がいくつか見える。
 ふと、足元に温かさを感じて、視線を下げる。
 さほど動かさぬうちに、大きな黒い犬と目が合った。
 行儀良く座り、大人しく、ともすれば笑っているように見える顔で、ミハイとヴィトを見上げている。
「ミハイっ」
「静かに」
 突然現れた大型犬に警戒を示したヴィトへ腕を伸ばして制する。
 こういった大型犬は、主人に忠誠心が高い場合が多い。騒げば敵対するだろう。
 ふ、と足元に影が増えたような気がして、周囲をへと視線を伸ばす。
 似たような大きさの、しかし様々な毛並みの犬たちが、じっとこちらを見ている。
 離れてはいるが、犬の脚力では一瞬で飛び掛かれる距離だ。
 ミハイに一番近い黒い犬は、好奇心が強いからなのか、それとも実質的な犬たちのリーダーなのかは分からないが、じっと見ている。
 見つめ合っていると、黒い犬はミハイの杖が気になったようだ。鼻を近づけ、ふんふんと匂いを嗅いでいる。
 ヴィトへ落ち着いて下がるように合図を出し、静かに犬へと話しかける。
「足を悪くしていてね。この杖は歩行の補助だ。どうか、持つことを許してほしい」
 武器ではないのだ、とゆっくとした口調で話しかけると、ふんす。と鼻息を吹いて、黒い犬は立ち上がった。
 ゆっくりと背を向けて、庭の奥へと歩き出す。他の犬たちも同様にゆっくりと歩いていく。少し離れてからミハイ達に振りむき、立ち止まる。
 先導するようだ、とミハイも、遅れてヴィトも続く。
 そう歩いたわけでもないが、ひどく長い時間歩いたような気がする。そんなときに、淡い水色の東屋が現れた。
 手製に見える簡単な構造の小屋に、女性が二人佇んでいた。
 背の高い金髪の女性と、小柄な白髪の老婦人だ。
 大きな黒い犬を先頭に、犬たちが一斉に走り出し、彼女たちの足元に集まっていく。
 思い思いにじゃれついては、彼女たちに沢山撫でられている。
 ミハイたちは邪魔せぬよう、静かにゆっくりと近づいていた。
 やがて満足した犬たちは、黒い犬を残してそれぞれ庭のあちこちに散っていった。
 小柄な女性が進み出て、にこりと微笑みかける。
「ようこそおいでくださいました。殿下」
 柔和な老婦人はそういうと、優雅に礼をした。
 簡素なワンピースではあるが、かつて頻繁に交流をしていたあの頃と同じカーテシーを見た彼は、あの頃と同じように敬意を表して頭を下げた。後ろでヴィトも同じように礼をした気配がする。
 そうして互いが顔を上げて、青と緑が交差した時にようやく声を発した。
「お招きいただき、ありがとうございます。マリアンヌ様」
「いやですわ、殿下。わたくしはもう、ただの老婆ですのよ」
 そうやって微笑む目じりには、確かに無数の皺が刻まれ、唇もかつてと比べれば色あせている。
 だが、彼女は幸福に満ちていた。そう思わせる、穏やかな美しい目をしていた。
「ならば私も、殿下ではありませんよ」
「あら。わたくしとしたことが。失礼いたしました。・・・・・・では、何とお呼びしましょう?
 今まで、殿下としかお呼びしたことがありませんもの。ミハイ殿下」
「・・・・・・ミハイ、で結構です。マリアンヌ様」
「ではわたくしは、アンヌで結構ですわ。本名では長いですし、もう、生家はありませんから」
「失礼いたしました。アンヌ。失言をしました」
「いいんですのよ。家はなくなりましたが、家族を失ったわけでも、名を捨てたわけでもありません」
「では……フェルトの名を?」
「ええ。娘は結婚をしましたから、お婿さんの姓になりましたけど、息子はわたくしと、夫の姓を名乗っています。シュミットと、フェルトを。少しもじって、フェルドにしました」
 ふふふっ、と柔らかに笑う仕草は、確かにあの頃の彼女を思い出させた。
 目の前の老婦人は、あの頃の令嬢なのだと、ミハイは改めて確信した。
「どうぞ、こちらにお掛けになって」
「失礼いたします」
「失礼します」
 彼女の招きに従い、示された席へと座る。ヴィトも落ち着きを取り戻したようだ、と見届けてから、ミハイは改めて二人を観察する。
 ワゴンからテーブルへとお茶請けを並べる老婦人は、かつて親交のあった侯爵令嬢だ。
 今はその身分はなく、あの傭兵スカーフェイスと結婚し、孫もいるという。
 彼女の隣でお茶を入れる長身の女性は、初対面だ。しかし、見覚えがある。
 老婦人・マリアンヌの夫であるスカーフェイスの若い頃に、よく似ている。
 彼が女性であったならこういう顔だろう、と素直に思わせる。
 金の髪も、晴れた冬空のようなひやりとした青い目も、寸分の隙もない身のこなしも、全てに彼の面影がある。
 そしてそれは、ミハイに別種の緊張感をもたらした。
 お茶の支度を終えた彼女たちが、椅子に座る。
 二人そろってお茶を飲み、お菓子をつまんで見せる。金髪の女性のほうは、味に満足したのか殊更にっこりと笑った。
「どうぞ、ミハイ。召し上がってくださいな」
……そこまでしなくても、今の貴女は、毒を気にする立場ではないでしょう?」
「わたくしは、確かにそうです。ですが、今の貴方のことは詳しくは分かりませんでした。
 お連れの方も緊張しているようですし、安心していただくためにも、毒見をして見せるのは必要かと思いました」
 見抜かれていたヴィトが、ぎくりと肩を揺らす。少し視線を漂わせた後に、恥ずかしそうに眉を下げた。取り繕うより、素直に表情に出すほうを選んだようだ。
「申し訳ありません、夫人。まさか、ご自宅にお招きいただくとは思っていませんでしたので
「娘とも相談した結果なのです。何処が一番安全で、わたくしが落ち着けるか、それを重視した結果、我が家の庭にご招待させていただきました。ですが少し、軽率だったようですね。申し訳ありません」
「い、いいえ!こちらこそ、無理を言って申し訳ありませんでした。ただ……とても大きな犬に歓迎されたので、驚いてしまって」
「ああ、フィニアですね?」
 そう言って、金髪の女性は足元で寝そべる黒い犬へと手を伸ばす。
「我が家の愛犬の内の一頭です。この子が一番、人間が好きで、大人しくて、他の子も一目置いているので、お客様の出迎えをするんです。優しい子ですから大丈夫だと思ったんですが……ごめんなさい。うちの子たちは皆大きいから、大型犬に慣れてない人のことに思い至らなくて」
 口では謝っているが、青い目は揶揄うような光が宿る。どうやら悪戯好きのようだ。
「こうしてここで寝ているのも、人間が好きだからですよ。初めて見た人間に興味があるだけですから、隙を見て襲うということもしませんよ」
 安心して、という言葉を受けて、ヴィトはカップへと手を伸ばす。恥ずかしさを紛らわせているような気がするが、ミハイは言及せずに自分は茶菓子へ手を伸ばした。
「美味しい。良い香りですね、夫人」
「ありがとうございます。お気に入りの茶葉ですの」
「こちらも優しい味ですね。落ち着きます」
「良かった、結婚してから作るようになったのですけど、そう言っていただけると自信が持てますわ」
「アンヌがこれを?」
「ええ。自分の手で何かを作るのが、とても楽しいのです」
 かつての彼女では、料理などは許されないことだった。それよりも必要なことがあると、そういう立場の人間だった。
 マリアンヌは楽しげに笑い、お茶を一口飲むと、隣の女性の肩にそっと手を置いた。
「改めて紹介いたしますね。わたくしの娘の、アレクサンドラです」
「初めまして。アレクサンドラ・ルシール・ガルシアです。サンドラ、で結構です」
 にっこり、と殊更愛想よく笑って見せているが、どうやら警戒しているようだとミハイは感じ取った。恐らくは護衛を兼ねているのだろう。ヴィトへも笑顔を向けるが、牽制のように思える。
 父親譲りの青い目は、彼そっくりの鋭さで獲物を捉えている。
「初めまして。ミハイと申します」
「ヴィトです。初めまして」
「私も彼も、詳しいことが話せません。ですが、恐らくは母君から聞いていらっしゃるでしょう?」
「はい、多少は。ですから、無理にお尋ねはしません。難しい立場でしょうから」
 笑みを崩さずに、堂々と対応する彼女に、確かに彼らの娘だと感心する。
 どこまで聞いているかは分からないが、王侯貴族を前にして、並の胆力ではない。
「ご息女は、御夫君によく似ていらっしゃいますね、アンヌ」
「そうでしょう?綺麗で賢くて強くて、自慢の娘ですの」
「母さん」
「言わせてちょうだいな。あなたもこんなに大きくなると、もう娘自慢が中々できないのよ」
「中年になった娘を自慢する母親ってそうそう多くはないのよ、母さん」
「いくつになっても自慢の娘よ」
「まったく……
 説得するのは諦めたのか、こちらへと向き直る。
 じっと、何かを探るように見つめた後、ぎゅっと目をつぶって息を吐いた。
 次に目を開いた時には、すっかり落ち着いた眼をしていた。
「単刀直入に言うわ。ミハイ、あなた、時間がないわね?」
……!」
 顔色を変えたのはヴィトのほうだった。
 立ち上がることこそ耐えたものの、動揺は隠せなかった。気遣う様にミハイへと視線を動かすが、ミハイはヴィトを見なかった。
 冬空の目を焼き付けるように、サンドラへと顔を向けたままだった。
「分かるかね?」
「分かるわ。最初は、母への面会の打診の目的を考えた時に、違和感があった。過去に交流があったとはいえ、数十年音信不通だったと聞いたわ。そんな人が、こんな時に何故?戦後そんなに経ってない、互いにごたごたしているときに、どうして?考えるうちに、父に聞いたことを思い出したの。私の息子のことを」
「ああ」
 彼女の息子は、トリガーというTACネームで飛ぶ戦闘機パイロット。
 ミハイが、今一番、傍にいたいと願う相手だ。
 若く、猛々しく、そしてしなやかで、臆病な、愛しい翼。
「面会の理由は、母でもなく父でもなく、私の息子だと分かった時に、なんとなく、こういう風に思ったの。私の息子との時間を、もっと長く取りたいんじゃないかって。そうなると、あの子自身の努力じゃ足りない。貴方も同じようなもの。孫を溺愛している私の父の協力を取り付けるにも一筋縄じゃないかない。そして……これは私の願望でもあるけど、実の親への挨拶もしておきたかったんじゃないかな?って考えが浮かんだ。そして、それを急ぐ理由は……貴方自身の、命の時間が少ないから。そうでしょう?」
……ご明察だ。正直、脱帽だ。ほぼ正解だよ、サンドラ」
 楽しそうに笑うミハイは、余所行きの仮面を外して、本心からの言葉を発した。
 伊達に、あのスカーフェイスの薫陶を受けてはいないと感心した。
「手間が省けた。さすが、あのスカーフェイスの娘、トリガーの母だ。勘も良く、胆力もある。そして眼もいい」
「あの、よく、分かりましたね?」
 恐る恐るヴィトが尋ねると、アレクサンドラは肩を竦めた。少し遠い目をして、微笑んだ。
「私、看護師してるの。わりと末期の患者さんも担当したことあるわ。それに……分かるでしょう?パイロットの知り合いが、とても多いのよ。身内も含めてね」
「わたくしの息子もパイロットなんですよ。なにやら優秀だそうで、滅多に会えないのですけれど。こう言うと分かるかしら?メビウス1,と呼ばれていますのよ」
!メビウス……!」
 その名前は、ミハイも知っている。教え子を失ったあの戦争で、瞬く間に英雄へと押し上げられたパイロット。
「まさか、このような形で縁が繋がるとは、思ってもみませんでしたな」
「それは同意見よ。まさか私の弟が、英雄と呼ばれるようになるなんて思ってもみなかったし、殺し合いをしたパイロットの師匠と対面するとも思ってなかった」
 感情を消し去った冬空の目が、ミハイを見据える。
「貴方の弟子を殺したのは、私の弟。黄色の13を殺したのは、メビウス1よ。事実として、それがある。謝らないわ。私は当事者でもないし、殺さなければ死んでいたのは弟だった。でも、あの子はそれを飲み込むまで時間がかかった。失ったものは、互いに大きいものだと思ってるわ」
 ミハイもまた、彼女を見据えた。僅かに笑みすら浮かべた。
「構わない。空の上で、戦いの渦中で死ねたなら、彼も本望だったろう。私もまた多くを語る言葉を持たないが、彼が恨むことはないと、恨むとすればそれは貴女の弟ではないと、言い切れる。そういう男だった、彼は」
……そう。やっぱり、トップエースって言うのは死生観が似てくるのかしら?伯父さんや父さん、従兄弟たちもそんなことばかり言うわ」
「おや、随分と戦力過多な身内だな」
「私もそう思う。そして、空はやめたけど陸で大暴れしている父親とその部下たちを見れば、あとは海戦能力さえ保持できれば世界征服できると思うのよね」
「はっはっは。違いない」
 拗ねたような顔で頬杖を突くアレクサンドラに対して、ミハイは愉快そうに笑う。
 全く気兼ねなく言い合えると言うのは、心地よい。
「ヴィトさん、貴方もそう思いますの?」
「えっ……自分は……
「アンヌ。彼は、背負うものが違うのです。あまりいじめないでやってください」
「あらあら。ごめんなさいね」
「いえ。すみません、上手く言えなくて」
「まぁ、空を飛べればそれでいいなんて人間、少数派でしょうしね。気にしなくていいわ。拾った命、大事にしなさい」
……はい」
 空恐ろしい、と思った。どこまで知っているのか、まったく判断がつかない。
 ヴィトは居住まいを正して、出来る限り礼を尽くそうと決意した。
「うちの家系は、どうも空が故郷みたいな人間が多いみたいでね。空を飛ぶのが一番安心するとか、楽しいとか、そういうパイロットが多いの。もちろん、そういうことは言わない身内もいるけれど、まあ空戦バカのほうが、身内じゃ多数派なのよね
……やはり、背負うものがないほうが、速く、飛べるのでしょうか?」
「違うわ」
 嫌にはっきりと耳を打った声に、ヴィトは目を開いた。
 彼と同じ色の目が、自分を見ている。
「優劣なんてないわ。速さも、そんなの訓練次第でしょ。強さに思想は関係ない。あるのは、勝負の結末。それだけ。勝敗は強さだけで決まるものでもないのだから」
 思いつめない事ね、と言葉を締めて、アレクサンドラはお茶を飲み干した。
 自らお代わりを淹れて、またヴィトへ視線を投げる。
「悔いのないように。闇雲に飛んでいたら、後悔するわ」
……肝に銘じます」
 頷いたヴィトへ頷きを返して、アレクサンドラはミハイへ向き直る。
「話が逸れたわね。改めて、貴方の話を聞かせてください。ミハイ」
 静かに凪いだ青い目が、悲しみを帯びる。多くの死を見送った彼女が、何も思わないわけがない。
 死が間近に迫る老人の言葉を正面から受け止めようとしている。
「サンドラ。貴女にとっては、あまり聞きたくない話だと思うが、聞いてくれるかね?」
「もちろん」
 微笑み、頷く。気負っている様子もなく、ミハイは安心して言葉を続けた。
「貴女の息子アイザックと、私は、思い合う仲だ。私の家族は、私に付き添って戦場の傍にいたために、すでに彼とは知り合いではあるのだが……私からこちらへの挨拶が遅れてしまった」
「それは気にしないでください。私も気にしません。こう……互いに、決心がつかないことではありますから。こうして、直接会う機会を得て嬉しく思います」
「そう言ってもらえると助かる。貴女は彼にとって大切な家族の一人だ、嫌われるのは避けたかった。同時に、嫌悪される覚悟もしていた、と言ったら怒るかね」
「まあ、覚悟して然るべきでしょう。わざわざこんなところまで出向いて、母親と対面すると言うことは、ね。父は、私が同席すると伝えていたはずだもの。それで面会を辞めたって良かったんですよ」
「それは不誠実だ。いずれ、貴女の夫にも挨拶をと思っている」
「え……ちょっと辞めたほうがいいかも。あの人繊細だから、気を失うかもしれない」
「そんなに?」
「ゴリラは心が優しいのよ」
「ちょっとサンドラ、自分の夫をゴリラって」
「ゴリラじゃなかったらグリズリーよあの人。見た目だけはね。優しい人だけど、気弱なの」
 そう言って肩を竦めて笑うけれど、真剣さは失っていない。
「ミハイ。貴方が覚悟を決めて、ここに来てくれたことは分かっています。私はその覚悟を背負い、そのうえで話を聞くと決めて、ここに座っています。父は私を気遣って、貴方に会う前に教えてくれたけれど、そのおかげで、ここに座っています。大人の恋愛に口を挟むのは信条に反するけど、お互いに、影響がどこまで出るか分からない立場ですから
「分かっているつもりだ。ゆえに、悩んだ」
「悩んだ末に会っていただけたことに、感謝します。私も考えました。まあ、私は長く悩むのは得意ではないので、結論は出ませんでした。会って決めよう。そう思っていました」
 大きく息を吸い込んで、ゆっくりを吐く。そうしてアレクサンドラは心の揺らぎを収めた。
「私は空を選びませんでした。だから、本当の意味では理解できていないでしょう。けれど、空を選んだ人達を間近に見てきました。彼らは、空の上で出会った相手を、魂が惹かれ合った相手を、心から愛しています。私は、彼らの身内として、その愛を信じたいと思っています。ミハイ、貴方を信じるにはまだ時間が足りないけれど、私の息子が貴方を愛していることを信じるには、今日のこの時間は充分でした」
 そこで言葉を切ると、アレクサンドラは微笑んだ。
 今日見た中でいちばん優しく、美しい微笑みを。
 彼に似た、穏やかな表情だ。
「どうか息子を、よろしくお願いします」
 アレクサンドラは椅子に座ったまま、深々と頭を下げる。長い金髪が優雅に揺れ、流れる。そして、ミハイが何かを言う前に体を起こした。微笑んだまま、少し口調を崩して話し始める。
「悲観はしないけれど、楽観視もしないと決めてるの。恐らく短い間でしょうけれど、仲良くしましょうね。ミハイ。お義母さんと呼んでもよろしくてよ?」
「それはやめておこう、君の父君に殺されかねない。だが……もしよければ、孫娘にも良くしてやってほしい。私が死んだあと、頼れる者が多くない」
「構いません。次はこちらから会いに行きますね」
「しかし……
「私だけなら身軽ですから。こうなった以上は父の協力も取り付けて、沢山のお土産も持っていきますね」
「その時は、出迎えに行こう。孫娘たちと一緒に私達、家族で」
「ええ」
 アレクサンドラは微笑んで、手を差し出した。ミハイもまたゆっくりと手を差し出し、握った。
 満足げに頷いたアレクサンドラが力を込めて握り返したために、ミハイは顔をしかめる羽目になった。
 こうして、秘密裏に行われた会談は、ひとまずの成功を収めたのだった。