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mikagami3
2021-09-18 17:48:14
10340文字
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エスコンZERO 男女主人公
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月光遊歩道
Miereさんのナイトサイファーさんをお借りして、SSを書かせていただきました。
人ならざる者という特性を活かして自由自在に振舞って頂きました。前半が拙宅ナイトサイファーとの場面、後半が拙宅傭兵サイファーとの場面です。傭兵サイファーとは少し緊迫した場面があります。
「良い月だ。おまえの髪と同じ色の、穏やかな月だ」
穏やかな風が吹いていた。
さらさらと髪が撫でられていくのを感じながら、サイファーは座っていた。
足元は頼りなく宙に放り出され、コンクリートが断ち切られたような滑走路の先端に座っている。
《あの日》から、彼は時折ここで夜を過ごすことがあった。
遠く、近く
……
基地の中は人の気配が多すぎる、と、彼は遠ざかる様にその場所を選んだ。
一人、たった一人で座って月を見上げていたはずだったのだ。
だが今、隣には、揶揄う様に笑ってもう一人座っている。
この辺鄙な場所で、この断崖絶壁の上で、陸の孤島とまで呼ばれるからこそ生き残っているこの基地の外れで。
自分と同じ、このウスティオのフライトジャケットを羽織って。
自分以外の《ヒト》が隣に座っていた。
「
……
っ」
突然の事態に、サイファーは誰何の声すら挙げられなかった。
何者かを尋ねるまでもなく、この基地の人間ではないことは、この数か月寝起きした彼が知っている。
そして、平時ですら見学者も滅多にいない(らしい)この基地に、見知らぬ他人がいるということは、はっきりと異常事態であることを示していた。
とっさに腰の銃を感覚だけで確認する。
慣れ親しんだ重みは其処に健在である。そろりと死角にある腕を動かして撃鉄に触れた。
撃てる。
確認したときに、無意識に視線が逸れていたらしい。突然現れた隣人はくいっと顎を掴んで、視線を合わせてきた。
「こら。話し相手の目は見るものだ」
「はっ
……
不審者が何を」
「失敬な。確かに招かれざる客ではあるが、殊、お前にとっては他人と言うわけでもあるまいよ」
その容貌は真雪のように無垢で白く、美しいがどこか”ズレ”ているように見えた。
サイファーは背筋に冷たいものを感じながら、何とか言葉を返していった。
「何を言って」
「ワタシはお前だ。あ、いや語弊があるか。だが
……
うん。端的に言えばお前だ。お前と同じ名を背負う者だ。運命の一端を共有する者よ。しばし戯れようではないか」
にこりと笑う。
心底楽しそうだ、とサイファーは思った。
細められた目は鮮やかな紫で、アルビノに稀に見られる特徴だ。色素が薄いせいで青の内側から血の赤が見えているのだろう。
(何故だ
……
おかしい)
違和感が拭えない。ずっと、内蔵を撫でられているような気持ち悪さをサイファーは感じていた。
サイファーと同じように滑走路に腰かけて、今はサイファーの顎からは手を放して、コンクリートの縁を掴むようにしてこちらを覗き込んでいる。
風が金の髪を揺らす。強風に嬲られているかのようにふわふわと大きく宙を舞う。
いつの間にか、体を覆うほどの長さに伸びた、金の髪が。
「
…
!」
「おや。しまった。抑えるつもりだったのだが。まぁ、良い」
隣人は両手で自らの体を押し出し、一瞬で虚空へと躍り出た。
「何をしてる!」
思わず罵りながら手を伸ばす。その手は虚空を切った瞬間に握り返された。
金の髪を波のように揺らし、隣人は宙に浮いていた。
「は?」
「善人なのだな。不審者の自死など見捨てればいいのに」
「
……
寝覚めが悪いだろう」
「ははっ!良い。許す。その愛らしい魂に免じて、ワタシを疑ったことを許そう」
「なんだと?」
「他でもない自分に疑われるのは、やはり少し悲しいじゃないか」
「俺はお前ではないし、お前だって俺なんかと一緒にされるのは嫌じゃないのか」
「それは本心か?」
紫水晶の目が覗き込んでくる。
先ほどよりもずっと濃い色の、星屑を散りばめたように煌めく、怖いほどに美しい目が。
「気づいているのだろう?」
知らない。
「目を背けて何になる」
入り込まれる。
紫の目が、金の髪が、白い肌が、するりと”中”に入ってくる。
本能的に抵抗しようと体に力を入れるが、四肢は主の言うことを聞かない。
まるで、主従が交代したかのように。
脳を、記憶を、弄られる、抗えない、と諦めたその時。
――
何を呆けている
忘れかけていた声が、体の奥から響いた。
サイファーは必死に声を辿る。
(父さん?)
――
俺はお前をそんな腑抜けに育てた覚えはないぞ
(それは、そう、だけど!)
――
いい加減目を、覚まさんか!!!!
父の大喝は、暴かれようとした精神に盾を構えさせた。
サイファーは我を取り戻し、その冬空の如き青い目を見開く。
すると、目の前に漂う隣人は大きく目を見開いていた。
「ふ、ふふっ、ははは!なんということだ!これだから人間は面白い!」
特に気分を害した風でもなく、大きく声を上げて空に踊り始める。
くるくると、楽しそうにひとしきり笑ったあと、ふわりとサイファーの目の前に戻ってきた。
「ああ、すまん。まさか、形だけでも抵抗されるとは思わなかったから、つい手を引いてしまった」
「嘘をつけ。手加減をしたんだろう」
「嘘ではない。だが、そうだな。手心を加えたかもしれない」
くすくすとまた笑う。何が楽しいのかと言いたくなるが、余計な口は挟まないほうがいいと判断したサイファーは、黙ってソレを見ていた。
もはや疑いようもなく《人ならざる者》である、目の前のソレを。
脳裏に、色々な情報が錯綜する。幼いころから聞いてきた、寝物語。
母の子守歌。父の土産話。祖父の武勇伝に祖母の知恵。
娯楽として聞いていたそれらを、まさか知識として活用しようとする時が来るとは。
(さて、鬼となるか蛇となるか。俺と同じと言うなら、鬼なのだろうが)
「満月の夜は、少し抑えが効かない。本当なら少しだけお喋りをして帰るはずだった」
「本当に?」
「本当だとも」
少しばかり意趣返しをしてみるが、目の前のそれは真面目な顔で頷いた。
人の倫理から外れている生き物の話をどこまで信じていいかは判断しかねたが、ひとまずはこちらに害する気はもうないらしい。
「お前が優しいので、少しばかり覗きたくなった。冷徹と言われ、甘いと言われ、未熟と言われ、それでも人ならざる何かのようだとも言われる《鬼神》の中身を」
「
……
プライバシーの侵害だ」
「安心しろ、何も見えなかったよ。お前の父親以外は」
「やはり
……
あの声は」
「そうだ。余り似てないな。本当に親子か?」
「よく言われたが、その度に俺は喧嘩を買ってきた」
「まあ待て。これでも褒めている」
「どこがだ」
ニコニコと笑うその顔の真意は全く掴めない。
それでも、茶化しはしても嘘はついてないだろう、ということは察することができた。
空中を蹴るような動作をして、ソレは眼前に迫る。思わず仰け反るものの、意に介さずにサイファーの頬に手を当てて微笑む。
「お前からはワタシに近い匂いがする」
「
…
は?」
「ほんの僅か、何世代も前の話だろうが
……
お前、妖精と契った祖先はいるか?」
目の端を、淡い燐光が漂う。
思わず振り返ると、辺りには蛍が飛び交っていた。
時季外れにもほどがあると訝しく思っていると、蛍の一匹が目の前に飛んでくる。
それは小さな、しかし人の形によく似た、魚類の特徴を有した小人だった。
他の小さな光も、それぞれ形は違っても、決して蛍の類ではなかった。
近づいては離れ、そっと触れて、笑いながら飛んでいく。
それは遠い昔に聞いたお伽噺の一ページに似ていた。母が語った寝物語の。
「
……
妖精
…
?」
「ほら、好かれている。彼らは悪戯好きだが、同胞には優しいものだ」
まるで玉座に座る様に、金の髪を靡かせたソレは空中で足を組む。
「お前も
…
?」
「そういうことだ」
「俺も、そうだと?」
「いや、お前はニンゲンだよ。間違いなく。ただ、ほんの微かに、近い匂いがする」
ふと、妖精は目線を上げて、肩を竦めた。
「もう揶揄ったりなどしない。だから、そう怒らないでくれ」
「え?」
「お前の父親がとても怒っている。ちょっと揶揄っただけなのに
……
」
「人間にとっては『ちょっと』じゃなかったってことだよ」
胸の真ん中、心臓の上に手を当てて、サイファーは微笑んだ。
自分はまだ、生きている。
父が、この中に生きている。
それは、とても心強く思えた。
「さっきの話だけど
……
妖精と結婚したとか、そういう話は聞いたことが無い。
ただ、父は母を貴族のお姫様だと言っていた。母も、実家はそこそこ偉い家だと言っていた。それが王族にも連なるのなら、可能性はあるんじゃないか?
建国物語には、人ならざる者から力を借りるものもあったはずだ。
血筋を辿ると、そういう話に行き当たるかもしれない。確信はないけれど」
「ふむ。無い話ではない。ワタシなら辿れるが
……
」
「そういうのはもうしないって言ったんじゃないのか、さっき」
「冗談だ」
ふわふわと漂いながら微笑むその表情は、確かに人とは違う場所で生きる者なのだと感じた。どこか浮世離れしていて、掴みどころがない。
仕方がないと諦めて、サイファーは肩を竦めた。
代わりに、少しだけ気になったことを尋ねてみる。
「運命の一端を共有する
……
ってどういうことだ?」
「ああ。その話か。お前にはどう聞こえるか分からないが、ワタシは別の世界の《円卓の鬼神》だ。サイファーというTACネーム、ガルム1というコールサインで呼ばれるパイロットなのだよ。案外、己の翼ではないもので飛ぶのも、悪くない」
「妖精がパイロットなんてできるもんなのか?」
「できるとも。無粋な弾丸よりは、ワタシ自身が干渉したほうが簡単に決着がつくが
……
それは、つまらないだろう?」
にんまりと目を細めて笑う。
嘘でも何でもなく、この妖精はできるのだろう。
(あっちの妖精とは大違いだな)
ちくりを胸に痛みを感じながら、サイファーもまた笑った。
あまり、上手くない笑みだ。
「寂しいか」
「ああ」
「悲しいか」
「少し」
雨粒のようにぽつりと落とされる問いに、するりと答えていく。
自分でも驚くほど端的で、偽りのない本心だった。
妖精はそっとサイファーの手を取った。
「ワタシも、少し寂しい」
「そうか」
「もう疑わないのだな」
「うん。無意味だろう?だって、お前は俺なんだから」
今度はサイファーからにっこりと笑って見せると、妖精は少しだけ驚いた顔をして、すぐに微笑みを返した。
「そうだとも。完全に同一の存在ではないが、ほんの少し、重なるものがある。それは確かだ」
「ほんの少しだけ、その少しだけ同じっていうだけの、そんな俺の前にどうして現れた?」
「戯れだ。私以外の《鬼神》が、どう生きているのか知りたかった」
「それだけ?その割には随分と大袈裟なことをしていないか?」
「どうということもない。我が領地は無限ゆえに」
「
……
そうか。妖精王。俺の知っている妖精王はもっと賑やかだけれど」
「彼もまた妖精王である。だが、人の与えた形だけが王ではない」
「シェイクスピアが聞いたら大喜びでお前を戯曲にしそうだ」
「どうだろうか。彼は己の中身から生まれ出る物語に忙しくて、ワタシには気づかないのではないかな?」
「締め切りに追われっぱなしだったって話だしね」
声をあげて笑いあう。片方は白い息を吐きながら、片方は光を煌めかせながら。
ひとしきり笑って息を収めながら、サイファーは妖精王を見上げた。
「それで、目的は果たせたか?」
「ああ。良い夜だった。次の鬼も楽しいと良いが
…
」
「次?」
「ああ。もう少し巡るつもりだ。そうだな
……
次は、お前の片割れ、あったかもしれない未来、そちらへ行くとしよう」
「え?それはどういう」
「ではまた、どこかで」
「おい!」
金の髪を靡かせた妖精は、月光に溶けるように消えていった。
妖精の言葉を信じるのなら、別の《鬼神》の所へ。
「行ってしまったか
…
」
「サイファー」
苦々し気な声が頭上から降る。
つぅっと冷や汗が伝う。見つかりたくない相手に見つかってしまった。
「何をしている」
「
……
つ、月見?」
「ほう?」
いつになく怒りを湛えたイーグルアイは、問答無用でサイファーの首根っこを掴んだ。
「とっとと部屋に帰れ。さっきからPJがうるさいんだ」
「了解」
宿舎へ向かって歩きながら、月を見上げる。
まるで鏡のような、満月だった。
――
カサッ
……
白い指が、何枚かの紙を摘まみ、捲っていく。
ついでにと顔の横に掛かる髪を払って、文字列に目を落とす。
卓上ライト一つだけの照明を頼りにした薄暗い部屋で、サイファーは寝る前の最後の仕事として、書類・郵便物の確認をしていた。
円卓の鬼神と呼ばれて数か月、書類仕事までが回されるようになって辟易していた。それでも自分の預かり知らぬところで自分に関することが決定されるよりはましだと思って苦手な書類仕事にも精を出していた。
どうせ契約期間が終わればおさらばなのだと言い聞かせながら、署名をしていく。あるときは赤文字で訂正をし、翌朝担当官に渡せば終了だ。
時折手紙にも目を通す。すでに両親が故人である彼女には、基地の新兵たちの様な、手紙をくれるような家族はいない。
それでも、かつての仕事仲間の中でも筆まめな者や、古くから付き合いのある武器商人、同じように傭兵だった父の部下、親族の中でも近しい従兄弟などからごくたまに手紙が届いた。
今日届いたのは武器商人のほうだった。広く集めて狭く売る商売で、品質の良い物も多く扱っているが、傭兵にばかり売りつけてくる変わった人だった、と彼女は記憶している。
「噛ませてやってもいいけどねぇ?軍縮の方向に持ってくって話聞いたばっかりなんだけど」
ベルカ公国の敗北に終わったこの戦争は、誰も彼もが多くの犠牲を出した。そのことを鑑みて、世界各国が軍縮の道を歩むことになる。
「まぁ、どこまで守られるかなんて知らないけど。結局人間がやることだし」
などと独り言を呟いて、丁寧に封をしなおす。これは自分だけで決めていいことではない。
提出用書類と一緒にファイルに入れて、ひとまずは机の隅に置いておく。
慣れない書類仕事に数時間かかりっきりで、すっかり体が強張ってしまった。
肩を解そうと腕を大きく上へ伸ばして、
「ああ、待て。まだ編み終わっていない」
見知らぬ声に飛び退いた。
一瞬だった。
《自分ではない誰かの声》という異常事態に、とっさに椅子を蹴倒して窓際まで一足飛びで着地する。
追随する髪は、いつものように柔らかく流れるようについてくるはずだった。
だが、まるで編んだ髪を解くようにもつれ、ほつれ、ばらりと背中に落ちた。
壁を背にして部屋を睨むと、其処には彼女の金髪にも負けない、長い金髪の男がいた。
男、と断言してもいいものか彼女は一瞬躊躇した。一見しただけでは断言できない程度に曖昧で、しかし美しい容貌だ。どこか座標自体がズレている気もする。見れば見るほど不可解さが増していくのが、どうにも気持ち悪かった。
だが、彼女はすぐに目の前の人物をこのように断じた。
敵、と。
「せっかくお揃いにしたのに。逃げるなんてひどいぞ」
「
……
」
敵、と断じた人物は嘆いてみせるものの、アメジストの瞳を煌めかせ、とても楽しそうに笑っていた。
彼女は警戒態勢を解かぬまま、体を低く沈める。
まるで、巣穴を守る獣のように。
「何を怯えている?迷子の子猫のようではないか」
「
……
」
彼女は応えない。
晴れた冬空の目を刃の様に細めて眇めて、敵の動きを注視している。
長い長い金の髪を一本の三つ編みにしているソレは、笑みを湛えたまま一歩、近づく。
「ワタシは話をしに来ただけなのだ」
「嘘」
「嘘ではない。証拠に、ほら、手ぶらだろう?」
大きく両手を広げて見せるものの、彼女は信じ切れなかった。
本能が警鐘を鳴らしている。
背中を見せるな、隙を見せるな、己の何もかもを隠せ。
脳内で、父の、かつての言葉が木魂する。
不可解さに反して敵意は感じなかったが、彼女は睨みつけるのをやめなかった。
「む。仕方ない」
ずるん、と何かに入りこまれたのが分かった。
彼女の目
――
視線を辿って、あの紫の目が中を覗き込む。
肌が粟立つ。産毛が総毛立つ。髪の毛すら逆立つような気さえした。
必死の抵抗をしようと大きく口を開けて、彼女は絶叫した。
『ふざけるな!!!!』
喉からは、彼女の他に、野太い声が発せられた。
驚いている自分自身はひとまず脇に置いて、彼女は彼女の言葉で怒鳴りつける。
「アンタが何なのか知らないけど、断りもなく入ってくるな!!!バカ!!!」
「しかし」
「しかしも案山子もあるか!!ヒトを何だと思ってる!軽く見るのもいい加減にしろ!」
勢いに任せて一気に捲し立てると、その良く分からないモノはしゅん、とうなだれた。
先ほどから随分と常識外れの事ばかりしてくる相手が急にしおらしくなったので、彼女は次いで罵ろうとした言葉を飲みこんだ。
「うむ
……
。こんな短時間に二度も怒られるとは」
「二度?」
「お前の父親も頑固だ。ちょっと覗こうとしただけなのに」
「ちょっとで済むか馬鹿。一歩間違えれば自我崩壊するようなことしたんでしょうが」
「む
……
うむ」
肩を落として小さくなるソレを見て、ひとまず威嚇は出来たようだとサイファーは安堵した。
絶対に許さないと言いきれば、少しの間だけでも手を出すのは躊躇うだろう。希望的観測だったがそう思うしかない。彼女は腰に手を当てて仁王立ちした。
「で、アンタ何?本当に話をしに来たわけじゃないでしょう?」
「本当に話をしに来ただけだ」
「はぁ?話をするだけで人を精神崩壊に追い込むの?」
「そうなっても戻せる」
「戻せるとか戻せないとかじゃなくて、やらないの。何考えてるの」
「ん
…
。何故?」
「何故って何よ。壊れたら終わりでしょうが。戻したってそれは”壊れなかったアタシ”はもういない。時間は巻き戻らない。零れる砂は止められない。零れた水はコップに戻らない。そういうものでしょうが。無かったことにはならないのよ」
「そういうもの、なのか」
「そうよ」
「お前の腹に、お前の愛した子を戻せるとしても?」
紫の眼球にナイフが突き立った。
それは一瞬よりもさらに短い刹那。瞬きよりも速い速度で、彼女はナイフを美しい闖入者の右眼球に突き立てた。
相手が何かを起こす前に次は顎の関節に突き刺す。そのまま捻り、上顎と下顎を分割する。
ついで心臓に突き立てようとしたが、何かに気づいたように跳び退った。
再び窓の下の壁まで戻ると、ナイフの切っ先を向けたまま胸に構える。
「まさか、届くとは思わなかった」
何も変わらない姿で佇むソレは、紫水晶の目を驚愕に見開いていた。
サイファーも、冬空の青を見開く。確実に仕留めた手応えがあったにも関わらず、ソレは血の一滴も流すことなく立っている。
「そんな
……
外したっ!?」
「いや、届いたよ」
悲鳴じみた落胆をあげる彼女に、微笑んで見せる。
確かに突き刺したはずの場所に傷はなく、美しい紫水晶がはめ込まれている。
右目を軽く閉じて手で触れて、ソレは話し始める。
「鉄のナイフ
……
普通の妖精ならただでは済まない。妖精は鉄が嫌いだからね」
「
……
アンタは何ともないじゃない」
「見た目は。そもそも、今の私に触れられるはずもない。それなのにお前は《刺した》のだ、ワタシを。眼窩の奥に、顎の隙間に。確かに痛みを感じた。物質ではなくお前の
衝動
殺意
がワタシを刺し貫いたのだ」
ソレは少し視線を落とす。三つ編みにされた金の髪が解け、広がっていく。
背には薄く透けるような美しい翅が現れて、フライトスーツだったはずの服は薄衣を重ねたようなドレスになった。ますます持って性別の概念を無視していく。
輝きを増したアメジストは、不思議そうに覗き込んだ。
「生まれを同じくするというのに、こうも差異があろうとは」
「?」
「違う世界のお前は男だったが、そんなに激しい衝動を持つ者ではなかった。親も環境も同じだったろうに、どうして」
「何の話をしてるのか分からないけど、男と女じゃ教育方針が変わっても不思議じゃないでしょう?親が同じでも、同じ個性が育つとは限らない。兄弟間でもそんなもんじゃない」
はっ、と呆れたように息を吐いて睨みつける。人外に人のことを説明するなど無駄に思えたが、両親の話をされては黙っていることはできなかった。
「アタシは女であることを弱みにしない様に育てられた。それは、男だっていう《違う世界のアタシ》には無意味よ。きっとその彼はこう育てられたはずよ。男だってことに胡坐をかくなってね」
首を傾げる相手に彼女は苛立たし気に眉を上げた。人に紛れるならもう少し勉強してほしいものだと思いながら、彼女は自分の腕を叩いた。
「どうしたってね、男と女は体が違う。どれだけ鍛えても、同じように鍛えたなら男のほうが筋肉は増えやすい。それだけで、鍛え方は変わってくる。アタシは力と勘働きを、アンタが言う《アタシ》は、技術と知識を叩きこまれたのよ。力でごり押しするんじゃなくて、力を利用して勝つようにって。戦術志向も違うかもね。衝動ではなく理性を磨いたんだわ」
そこまで言って、はぁっと溜息をつく。そう育てられてしまった見知らぬ片割れを思うと胸が痛んだ。自分が父親に似て、なおかつ衝動的ならば、対となる彼は正反対なのだろう。
母親に似ていて、繊細なのだとしたら、この世界は生きづらすぎる。
「違いが生まれるのは当たり前。そこに疑問の余地なんてないわ」
「そういうものか」
納得したのかどうなのか良く分からない顔で、それは頷いた。
そうしてまた小首を傾げて、すっと彼女を指差した。
「まだ分からないことがある。何故お前はあんなにも怒ったのだ?」
全く邪気のない、無垢で純粋な質問だった。
一度怒りを爆発させた彼女は、一瞬燃え盛った炎をどうにか鎮火して、口を開いた。
「アタシが一番触れてほしくないから。あの子の代わりなんていない。あの人の代わりなんていない。戻されてもそれはあの子じゃない」
「分らぬ。同じものを作れるのに」
「それはあの人の子じゃないわ」
「いいや。同じだ」
「違う。あの子は死んだの。生まれる前に死んだ。生きていることすら気づかぬうちに死んだ。それでもここにいた。アタシは絶対に忘れない。無かったことになんてしない。
全て、抱えて生きていくの。そう決めたの。誰にも邪魔はさせない」
静かに、ただただ静かに彼女は言った。
ソレはじっと彼女の目を見つめて、ゆっくりと頷いた。
「
……
まだ分からないが、お前が決めたのなら、もう言わない」
「物分かりが良くなって助かるわ」
「子を孕むというのは、そんなにも大ごとなのか?」
「大ごとには違いないけど
……
アタシにとっては少し意味が違ってくるわ」
「?」
「アタシは、あの人だから家族になってもいいと思った。背中を預けられると思ったから、子供を育ててもいいと思った。あの人だから。そうじゃなければ子宮なんていらない。どんなものか分からない子供を腹に抱えるなんてまっぴらよ」
背中の髪を払って、何か良くない物を吹き飛ばすような仕草をして、彼女は腕を組んだ。
これ以上は踏み込むなと、目が訴えている。
「よろしくて?妖精さん。アタシはアタシの意思で生きている。誰の為でもなく、アタシの為に。お分かり?」
「よく、分かった」
「全く無駄な時間だった、なんて言わないわ。アタシにも得るものはあったもの。少しだけね」
「そうか」
「ええ。さっきの低い声。あれは父さんだった。父さんが、アタシの傍にいることが分かったからには、これから一層精進していかないとね」
ぐっと拳を握って、妖精の眼前に突き出す。
だが、殴るための拳ではない。
「彼に会うなら伝えて頂戴。自分のために生きなさいって」
「
……
縁があれば」
「十分よ」
察したのか、妖精が同じように拳を持ち上げて、こつん、と合わせる。目の前の美しい妖精には不可解な仕草だろうが、彼女なりに祈ったのだ。
人など取るに足らない物であろう存在に、その旅路に、幾許かの祈りを贈ったのだ。
「さて。アタシはそろそろ寝るけど。アンタはどうする?寝る?」
「帰ることにする。思わぬ刺激だった。楽しかった」
「ナイフぶち込まれて楽しいって言うの、アンタくらいでしょうね
……
」
肩を竦めて溜息をつく。すぐに大欠伸をして彼女は目を擦った。
「じゃあね。おやすみ」
「ああ。お休み。良い夢を」
ふっ、と金の残滓を残して妖精は消え去り、あとには疲れた彼女と、錆一つないナイフが残された。
「あら。綺麗にしていったのね。明日研ごうと思ってたのに」
拾い上げて、ライトに翳す。錆も、気になっていた小さな刃こぼれもない。
「コレの分くらいは、楽しんでったって事かしらね?」
ナイフを鞘に納めて、枕の下に置いた。
軽く枕の形を整えて、頭を乗せればすぐに睡魔がやってきた。
抗わず、すっと眠りに落ちる。
灯っていた机の上のライトは、白い指先がそっと消していった。
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