mikagami3
2021-08-31 19:52:47
13628文字
Public エスコンZERO 男女主人公
 

《君にどうか幸いあれ、と鬼は祈った》

とりさん(@Hebomoia)のサイファーの一人であるシルファくんをお借りしてSSを書かせていただきました。
パラレルワールドになぜか転移してしまい、拙宅のサイファー二人と邂逅するお話です。
前半がマーセナリーのサイファー(ピクシーがまだいる時期)で後半がナイトのサイファー(ピクシーがいない時期)で

《君にどうか幸いあれ、と鬼は祈った》

 その日は、静かな夜だった。
 特に何事もなく、空気も澄んでいて、夜間の見回りに当てられた傭兵が二人、連れ立って歩く足音だけが廊下に響いていた。
 片方は長い金髪を揺らし、女性にしては長身の体で大きく歩きながら、軽く懐中電灯を持って少しだけ動かしながら歩いている。
 片方は、短い金茶の髪を整えもせずそのままに、女性に合わせて歩きながら時折手に持った懐中電灯を左右に動かして廊下の隅を照らした。
 ガルム隊一番機・サイファーと二番機・ピクシーが、その日の見回り当番だった。
「この基地、皆お行儀がいいのねぇ。夜だってのに静かで」
「最前線だからな。どんちゃん騒ぎなんてしてられないだろう」
「そうね。抜け出す新人がいるわけでもなし、大人しいもんだわ」
「傭兵が主力の基地を大人しいって言うのはお前ぐらいだよ」
「そう?」
「そう」
「でもねぇ。女の子を呼びつけるわけでもないし、流血沙汰があるわけでもないし……見回りいらないんじゃないかと思うわ」
「真面目に頼むぞ、サイファー」
「分かってるわよピクシー」
 そう軽口を叩き合って、少しのあいだ口を閉ざして歩く。そのうちにふと、何かに気づいたようにサイファーが立ち止まった。
「ん」
「サイファー?」
 後ろを少し振り返ったところでピクシーが声をかけるが、それには反応を返さなかった。
 その場でくるりと回ると、来た道を引き返して、何歩か歩いたところでしゃがみ込んだ。
 薄暗い曲がり角。照明が切れかけているのか、チカ、チカ、とゆっくり点滅していた。
(あとで報告だな)
 ピクシーが点滅する照明を見上げてそう考えていると、サイファーが声を上げた。
「どうしたの?坊や」
「え?」
 素っ頓狂な声を上げたのはピクシーのほうだった。
 ここは基地の、テュラン山脈の奥地、険しい山に囲まれた天然の要塞に作られたヴァレー基地のど真ん中。
 滅多なことでは面会者も訪れない場所だ。
 そして、この基地に子供はいない。
 だが、サイファーは”坊や”と言った。普段より幾分と優しい声音で。
「そこは暗いし、寒いでしょ?ちょうど暖房の風が入らないところなのよ」
 そう言って笑う。声を上げるのではなく、ついぞ見ることのない優しい微笑みだ。
 紅い唇が、そうやって弧を描くのをピクシーは初めて見た。
 サイファーの言う通り、倉庫へと続くその廊下はひんやりとしていた。冷え込むヴァレー基地の中を歩いてきた彼らがそう思うほど、その廊下は気温が低い。
 そんな場所で、ロビーでも談話室でも面会室でもないところに、確かに子供がいた。
……こども?」
「今なら何とか誤魔化してあげられるわ。さ。こっち来なさい」
(ちょっと苛立ち始めたな)
 サイファーの微かな声色の変化を、ピクシーはそう判断した。
 子供と言っても、15歳はとっくに超えているように見えた。
 紫がかった淡い灰色の髪は短く切られているが、ぴょんぴょんとあちこちに跳ねてあどけない雰囲気があった。
 顔立ちも幼く、性別の区別がつきにくい。整ってはいるが表情が希薄だとピクシーは思った。座り込んでいて分らないが、体つきも痩せていて、そんなに大柄でもなさそうだ。
 感情の見えない紅い目が、じっとサイファーを見つめる。
 彼女にしては長い間、その視線を受け止めていた。怯えさせることのないように笑みを作ったまま、何かを検分するような眼を見つめ返す。
 ふと、彼女の後ろに立っているピクシーに視線を移したその子供は――その視線はほんの一瞬だったけれど――ゆっくりとサイファーに近づいていった。
 四つん這いのままゆっくり、少し視線を落として。
 その姿は迷子の子犬のようで、ピクシーは少し胸が痛んだ。
 サイファーは待っている。
 子供は恐る恐ると言った様子でサイファーの目の前までくると、ぺたんと座った。
「いい子ね」
 サイファーは子供の髪を撫でた。ピクシーの頭を悪ふざけで撫でまわす時とは違い、優しく丁寧に髪を梳くように、ゆっくりと撫でていた。
 撫でられている子供は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まっていた。
 感情の見えなかった目が、戸惑いに揺れている。
 それはピクシーも同じだった。何の冗談だと思った。
(こいつの、フライトジャケット……こいつ!?)
 部隊章が同じ。
 サイファーと、ピクシーと、目の前の子供が着ているフライトジャケットの左二の腕の部分には同じマークが貼られていた。
 有り得ない。
 ガルム隊はサイファーとピクシーの二人だけ。二機編成の部隊。
 自分たち以外の人間がこれをつけることは、まずないはずだった。
 ピクシーはサイファーの肩に手を伸ばす。
「サイファー、その子供――
「さ。立って。まずは暖かい所に行きましょう?」
 言うが早いか、ピクシーの手は無視して立ち上がった。
 切り替えの早さに、ピクシーも、目の前の子供もついて行けてない。
 サイファーは不思議そうに首を傾げた後に、子供の脇に手を差し入れた。
「ほーら。ぼーっとしない。風邪ひくでしょ」
「はわ……
「お、おいサイファー!」
 ぐっと持ち上げられてしまった子供は、ピクシーが想像してたより大きな子供だった。
 身長は170センチほどか。顔立ちが幼いだけで、16,7くらいではないだろうか。
 痩せてはいるが怪我や障害がありそうにも見えない。顔を見ただけでは分からなかったが、体つきを見る限り、少年だろうとピクシーは見当づけた。
 そんな子供を軽々と持ち上げて、高い高いと言いだしそうな軽さで笑うのがサイファーだった。
「かっるい!軽いわね坊や。ちゃんと食べてるの?」
「たべてます
「ほんとにー?食べてるけどパン一枚とか言わない?」
「言わないですっ!」
 じたばたと暴れ始めた子供の姿はどう見ても年相応かそれ以下で、ピクシーは急に馬鹿らしくなってしまった。
 ひとまず相棒を止めようと、軽く肩を叩く。
「サイファー。そこまでだ。思春期の子供をいじめるんじゃない」
「いじめっ子のピクシーに言われたくないわね」
「誰がいじめっ子だ」
「よくPJいじめてるじゃない」
……いじめてない」
「ふ~~ん?まぁ、そういうことにしといてあげる」
「サイファー!」
「静かに」
 ふいに真面目な顔になったかと思えば、そっと子供を降ろした。
「こんな深夜にうるさいでしょ」
「そういうことじゃ」
「坊や。歩きながら話しましょうか」
……はい」
(無視された!)
 そっと子供の肩を押して、歩みを促す。少年の右隣に寄り添うように歩きながら、自分より幾分背の低い少年に話しかける。
「アタシはダイアナ。ダイアナ・マクベスって名前よ。貴方は?」
……
 少年は答えない。黙秘の雰囲気ではない。
 サイファーの右側に立つピクシーは、少し俯いて歩く少年を観察していた。
 紅い目は先ほどとは違って如実に感情を映している。
 戸惑い。
 それが何に起因するのかは分らないが、少年の中で言うべき言葉がなかなか見つからないようだった。
……シルファ」
 それだけ言って、シルファと名乗った少年はサイファーを見上げた。
 薄い唇を引き結び、揺れる紅い目はサイファーとピクシーを交互に見ている。
 居場所を探すように、ゆらゆらと揺れている。
 それに気づいているのか、あえて無視しているのか、ピクシーには判断できなかったが、サイファーはにっこりと笑って頭を撫でてやっている。
「ありがとう。シルファ。貴方はどうしてあんなところにいたの?迷子?」
……分らない」
……そう。よく泣かなかったわね。偉い偉い」
「そ、そんなに子供じゃないですけどっ!」
 頬を赤らめてサイファーの手を止めようとするが、捕まる前にサイファーはさっと手を退けた。引き際を常に弁えている。
 振り上げた手が空を切ったことに一瞬目を丸くした少年は、少し肩を落としたように見えた。しかしすぐに姿勢を正し、サイファーが示すほうへと素直に歩いていく。
 子供。子供にしか見えない、子供。
 ピクシーは自分が下すべき判断をまだ迷っていた。
 このまま相棒を止めずにいればいいのか、すぐさま取って返して報告すべきか。
 こんな子供が”ガルム隊”であるわけはないし、ジャケットに予備があるわけでもない。
 二人が着ている一着ずつだけが、この世界にあるガルムのジャケットのはずである。
 だが、目の前の子供は、同じジャケットを着ている。
 サイファーも気づいてるはずだ。そもそも異様に勘の鋭い人間であるはずの彼女は、ピクシーが疑問に思っている部分をことごとく無視しているようであった。
「はい。ここが食堂。ちょっとここ座ってて」
「え、あの」
「ピクシー。ちょっと見てて」
「ああ、分かった」
 無理やり手近な椅子に少年を座らせたサイファーは、厨房に入っていった。
 少年の前の席に座り、ピクシーは正面から少年を見据えた。
 サイファーが何を考えているのかは分らないが、ピクシーはもう少し情報を得たいと思っていた。
 なるべく固い声にならないように、静かに口を開く。
……歳はいくつだ?坊主。見たところ、10代後半だろう?」
17。そのくらいのはず。ごめんなさい、詳しくは
「気にするな。俺だって、自分の歳が曖昧になるときがある。予想が外れてなかっただけで十分だ」
 そう言って見せると、シルファはあからさまに安心した。ほっと息をついて肩の力を抜く。その顔を見るとどうしても詰問する気になれなかった。
 どうしたものか、と考えているころにサイファーが戻ってきた。
「お待たせ。はい。ココア。ピクシーにはコーヒーね」
「あ、りがとう
「悪いな」
 サイファー自身もコーヒーの入ったマグを持ちながら、ピクシーの右隣、扉の近くの椅子に座った。微笑みながら一口、コーヒーを飲む。
 伏せた目を持ち上げた時には、冬空の青が鋭く光っていた。
っ」
「坊や。シルファ。単刀直入に聞くわね。貴方は、何?」
「それは……
 息を飲むピクシーの向かいで、シルファは視線を彷徨わせる。
 サイファーの、本来の目が戻ったことにピクシーは安堵しつつ、いざとなれば止められるように密かに身構えた。
 サイファーは剣呑な目のまま、シルファをじっと見つめていた。
「隠し事はなしよ。分かるわね?」
「はい」
「そのエンブレムは伊達じゃないの。酔狂でもない。ウスティオが私たちに与えた身分よ。この国で、この戦争に従事する者としてのマーク。金で雇われたとしても、契約を破棄したとき、満了したとき以外にこれを捨てることはないわ。少なくとも、私は」
 マグを置いて、真っ直ぐに紅い目を見つめる。
 それは氷の矢の如く、冷たくシルファの心に刺さった。
 しかしシルファは口を開かない。開けないと言うべきか、どうすれば正しく伝えられるのかが分らずに、途方に暮れている。
「この基地に混乱を招くつもりもない。貴方が黙っているのなら……
 そこで、一度言葉を切り、目を伏せた。軽く呼吸を整え、顔を上げる。
 青い目が、真っ直ぐに射貫いた。
「殺す」
 全身を槍衾が貫いた。
 ――ようにピクシーは感じた。刹那の間に無数の槍が体を貫き、殺されたと思った。
 目の前にいたはずのシルファはいなかった。
「甘いわね。でも悪くない」
……くっ……
 腕を捻り上げられ、床に全身を押し付けられた状態のシルファと余裕の笑みでシルファを組み敷くサイファーが、足元にいた。
「サイファー!」
「黙って。ピクシー」
……っ」
 ぎろりと睨み上げられたピクシーは素直に従った。サイファーの考えがまだ分からないためだ。下手に手を出せば収拾がつかなくなる。
 死んだ、とピクシーが勘違いするほどの殺気を放ったのだ。最悪、本当に殺すのだろう。そうならないようにピクシーはただただ注視するしかなかった。
「そこそこ、腕に覚えはあるんでしょう?でもね、ぽっと出のひよっ子に主導権渡すほどアタシも優しくないのよ。それでも、子供に乱暴するのは胸が痛むわ」
「どこが」
「黙ってろって言ったでしょうが。先に殺されたいの?」
 先ほどより強めにピクシーを睨んでから、シルファに目線を落とす。
……貴方よりずっと小さな、五歳くらいの男の子が、にこにこと笑って爆弾を兵士へ投げつける。そんな戦場を、貴方は知らないでしょう?」
 悲し気に、ぼそりと落とされた言葉は、シルファの知らない世界だった。
 その声音に自分を慮る感情を聞き取って、体の力を抜いた。
(どう思われても……素直に言うしかない)
 彼女の心に報いるにはそれしかないと、シルファは決めた。
「お話、してくれるわね?」
「はい」
「いい子ね」
 ことさら優しく声をかけて、サイファーは立ち上がった。
 組み敷いていたシルファも助け起こし、軽く体を叩いて埃を落とす。
 椅子を引いて座らせて、自分も改めて座り直した。
 どうやら穏便に済むらしいと、ピクシーもまた安堵して座り直した。
「反応は良かったわ。防衛本能かしらね。私じゃなかったら喉笛を噛み千切られてたわ」
「大袈裟な」
「そんなことないわよ。シルファの犬歯はもはや牙だもの。爪も……恐らくはね」
すぐに見抜かれたのは、初めてだ」
「場数は踏んでるのよ。獣と遭遇するのも一度や二度じゃない」
「俺みたいな?」
「それは流石に少ないわ。普通の野生の獣よ。武装した人間に襲い掛かるのは、それこそ気の立った手負いの獣とか、子連れの母親とかが多いけど」
 冬眠しそこなった熊に出会ったときは流石に肝が冷えたと、けらけらと笑う。
 幸いにもそういった場面に遭遇したことの二人は、その恐ろしさも、その場面から生還したサイファーの実力も想像するしかないが、相当な事態だと思った。
……割と、色んなことを経験してるつもり。だから、何を言っても聞いてあげる。その上で判断する。いいわね?」
「はい」
 しっかりと頷いた後、一瞬躊躇う素振りを見せたが、決意を固めた顔で懐に手を入れた。
 少し探ったあとに差し出されたのは、見覚えのある身分証明書だった。
これが、一番早いと思う」
「確認するわね」
「うん」
 受け取ったサイファーはまずざっと項目を見て、一瞬だけ眉根を寄せた後、じっくりと確認していった。ひとつひとつ。指を差して確認していく。
 そうして全部確認した後、溜息を一つ吐き出して、そっとシルファに差し返した。
……貴方の決意を尊重するわ。見せてくれてありがとう」
「サイファー?」
「ピクシー。この子もサイファーよ。生まれも育ちも姿かたちも違うけれど、サイファーよ」
「馬鹿なそんなはずはない!サイファーはお前だけだ!」
「書式はもちろん、IDNoにコールサイン、TACネーム、所属、それらが一致する。不自然なところが全くない。これがもし偽物だとしたら、この子に渡した人間はよっぽど性格が悪いわね。たった2人しかいない部隊の、よりによってアタシのIDを複製したところですぐばれるじゃない。戦時下における軍事基地にスパイを送り込んでどうなるか、少し想像力があれば分かりそうなものなのに」
「それは……
「原理も仕組みも何もかも分からないけれど、何より、アタシの勘が叫ぶのよ。ここに《円卓の鬼神》が二人いる、と。それは間違いない。そういうものだと、思うしかないわね」
 大して気にも留めていない様子で、サイファーはコーヒーを飲みながら言った。
 混乱するピクシーをよそに、シルファもくぴりとココアを飲んだ。甘いものは苦手なのか一瞬顔をしかめた。
「さて。どうごまかそうか。頭でっかちばっかりだからねぇ」
「本当に信じるのか?」
 信じられないと言う顔でピクシーはサイファーを覗き込む。
 その淡い緑色の目をじっと見返して、軽く肩を竦めた。
「そうしなきゃ話が進まないでしょ。この子は証拠を提示した。私はそれに基づいて判断するだけ」
 居心地悪そうに、ココアのマグカップで手を温めているシルファに声をかける。
 さっきと同じ、優しい笑顔だ。
「少し外に出る?こっちの相棒もちょっと混乱してるみたいでね、頭冷やしたくて」
「うん。少し、歩きたい」
「ありがとう。さ、いきましょ」
 言うが早いかサイファーはすぐさま立ち上がり、食堂から外へ続く横開きのドアに手をかけた。あとの二人も慌てて後に続く。
 二人が来たのを見計らってドアを開ける。とっくに春を過ぎているが、雪が残る山奥の空気はひんやりと冷たく、澄んでいた。
 すたすたと滑走路へ歩いていくサイファーを追いかける二人は、その間もぐるぐると考えていた。
 これからどうすべきか。どうしていくべきか。どうしたいか。
「ダイアナ」
「ん?なに?」
「ダイアナは、背が高いね?俺も低いわけじゃないけど……
「そうね。いつの間にかこんなになったわね。街中にいると目立ってしょうがないわ」
「背だけじゃないだろ。お前は何もかもが派手だからな」
「誉め言葉として受け取っておくわ」
 月光にも煌めく金髪を翻して、サイファーは谷間へ向かって走る滑走路のど真ん中まで歩くと、ぐーっと伸びをした。
 そのまま深呼吸を二度。白い息を吐きながら空を見上げる。細い細い三日月がのぼっていた。
「さて、どうしようか……シルファ?」
 駆けだす。作りかけの滑走路の先にシルファが走り出していった。
 ピクシーは慌てて追いかけようとするが、サイファーがそれを制した。
「見えるところで止まりなさいよ!」
「はい!」
 元気よく返事をしてすぐに、シルファは立ち止った。あと数歩で崖下に落ちる位置だ。
 ピクシーは冷や汗をかきながらサイファーを振り返るが、彼女はただ首を振るだけだった。
――ウォォオオオオオオオオオオオオオン……
 細く、高く、遠くへ届けと願いを込めて吐き出された咆哮。
 あどけない顔の少年が、物悲しい声を上げている。
 それはヒトではなく、仲間を呼ぶ狼の遠吠えに近い声だった。
「サイファー、どうして……
「止める理由があるの?赤ん坊の夜泣きみたいなもんでしょ。それに、綺麗な声じゃない」
 悲しくて、寂しくて、泣きたくなるほど。
「あと五分。それ以上待って停まらないなら、アタシが止めるわ」
……分かった」
 何を言っても聞かないのは、最初に組んだ時から知っている。
 ピクシーは諦めたように笑った。
(ああでも、こいつのこういうところは嫌いじゃない)
 三度目の遠吠えが余韻を残して夜気に溶けていく。
 そうして、シルファは消えた。
 ふわりと風に溶けるように、彼が見ていたその場所で消えた。
「な!?坊主!?シルファ!!??」
「帰れたかしらね?」
 静かに呟くと、サイファーはシルファがいた場所まで歩いて行った。
 彼が立っていた場所にしゃがんで、コンクリートに触れた。
「迷子の狼ちゃん。今度は迷子になっちゃだめよ」
 優しく優しく呟いて、サイファーは立ち上がった。
「さ。見回りの続き行きましょ」
「あ、ああ……
 戸惑うピクシーを引き連れて、彼女は戻っていった。
 ここではないどこかの、自分ではない鬼神のこれからを祈りながら。



 ふと、廊下を歩いていた男は窓へと振り返った。
「サイファー?」
 隣を歩いていた短い金髪の青年は、不思議そうに男の顔を覗き込んだ。
 青年より少し背の高い男は、遠く空を見ている。
 星空の瞬く、丑三つ時の空を。
「ごめんPJ、ちょっと外に出てくる」
「えっ、ちょ、サイファー!?」
 言うが早いか、男は走り出していた。
 あっという間にPJと呼ばれた青年を引き離して、屋外へ出る最短距離をひた走る。
 不思議と足音がしない。
 彼がパイロットだけではなく、歩兵としても経験を積んでいる証だった。
 秋の初めのヴァレー基地は冷える。
 夏の盛りは流石に夜であろうと、ほのかに熱気の残滓があったものだが、それも過ぎて秋が巡ってきたこの頃は薄着では寒さを感じるほどだった。
 少しだけ白い息を吐いて、彼は滑走路の真ん中に躍り出た。
 その視線の先、切りっぱなしの布のようなおざなりな滑走路の端に、子供が座っていた。
 悲しく、寂しく、美しい声を響かせて。
 尾を引いていくその声が消える頃に、少し離れた位置から男は声をかけた。
「坊や。こんなところで何をしている?」
 シルファはハッと我に返ったように眼を見開き、男のほうへと振り返った。
 胸が張り裂けそうで、体がどうにかなりそうで、言葉にできない気持ちを吐き出そうと吠えたシルファ。
 シルファにとってはまた見知らぬ顔の、自分より背の高い男が、怪訝な顔で立っている。
 月のような髪の色。雪のように白い肌。穏やかで柔らかいテノール。そして、晴れた冬の空のような眼。
 その青い眼は、先ほどまでシルファに心を砕いてくれた女傭兵によく似ていた。
「あ、の……
「夜はとても冷えるよ。さ、おいで」
 自然と差し出された手は白く、古い傷跡が目立つ大きな手だ。
 状況を考えれば捕縛される可能性が高いが、何故かシルファはそう思わなかった。
 とても優しい目と、とても優しい声で、どちらかといえば心配そうにこちらを窺っている男性は、あの女傭兵と同じ匂いがしたからだ。
 それもそのはず。
 彼もまた《円卓の鬼神》なのだから。
 シルファは素直に駆けだして、男のすぐ側で立ち止まると、その青い目を見上げた。
(似てる
 そう思っていると、彼の肩にフライトジャケットが羽織られた。
 男性の体温が移って、暖かい。
 そのまま首元で襟を合わせると、男性はそっとシルファの背中を押した。
「話が聞きたいんだ。一緒に中へ入ってくれるかい?」
「待って」
 シルファは慌てて懐に手を突っ込んだ。さっきも見せたIDがある。
 彼もまた彼女と《同じ》なら、きっと信じてくれると、信じて。
これを、見てください」
「これは……これは、まさか、そんな……
 上から下まで何度も視線が往復し、そしてシルファ自身を見る。
 どくんどくんと鼓動が強くなる。信じてほしい。そんな願いを強く念じた。
 やがて、嘘偽りのない正真正銘の本物だと理解できた男性は、長い溜息を吐いた。
………にわかには信じられない。が、俺はこれと同じものを持っている。2番機ならともかく、隊長のIDの複製をするなんて馬鹿の仕事だ。なら……これは本物なのだろう」
「信じて、くれるの?」
 自分でも驚くくらいすんなり信じてくれたことがやはり信じられなくて、シルファは首を傾げて不思議そうに言った。
 それを見たもう一人のサイファーは、とても穏やかな笑みを浮かべて、シルファの淡い藤灰色の髪を撫でた。
「これでも、君より年上だからね。経験はずっと豊富だよ」
「それにしたって
「俺は自分の目を一番信用してるのさ。それに、世の中には不思議なことがあるものさ。君が今体験しているようにね」
 揶揄う様に笑うサイファーは、どこか寂しげだった。
 寂しい、という気持ちを最近ようやく知ったシルファは、彼の寂しさを何とかしてやりたくなったが、初対面の自分に何ができるのかは思いつかなかった。
「君はシルファ、というんだね。見せてくれてありがとう。俺は………
 IDをシルファに返しながら、自分も名乗ろうとした男性は、言葉の続きを口にしてくれなかった。
 ひどく葛藤しているようだった。眉間に皺を寄せて、ぐぐっと親指で押している。
 そうしてしばらく逡巡した後、ようやく名前を教えることができた。
「ランスロット。ランスロット・シュミット。今の名前はそれだ」
「今?」
「たまに変える。シュミットは母の姓だが、シュミット姓は人口が多くてね、まぎれるのに都合がいい。どうも、俺は目立つらしいから」
 そんなつもりはないんだが、とぶつぶつ呟きながら不服そうな顔をする。
 はっと我に返ると、もう一人のサイファーはシルファに寄り添って滑走路を基地のほうへと歩いて行った。
「あまり好きな名前じゃないから、普段はサイファーとしか名乗ってない。けれど、君はIDを提示してくれたし、同じサイファーじゃ不便だから本名を伝えるべきだと思ったんだ。だから、好きに呼んでくれていい」
「無理しなくても……
「いいんだ。君にとっても《サイファー》は意味のある名前だろう?」
 俺もそうだから、と月光のように優しく笑って呟いた。
 何故だか胸が苦しくなって、シルファは肩に掛けられたジャケットの裾をぎゅっと握りしめた。
「サイファー!」
 屋内に入ると、金髪の青年が息を切らせてランスロットに駆け寄ってきた。
 ランスロットは一瞬だけ眉を寄せたが、すぐに微笑みを作って迎えた。
「PJ」
「もう!どこ行ってたんすか!!探したんですけど!?」
「ごめんごめん。もう用は済んだから」
「ごめんですんだら警察いらないんですよ!……その子は?どうしたんすか?」
 隣に立つシルファを覗き込むように首を傾げる。その真っ直ぐで鮮やかな緑の目は、疑惑や警戒といった感情は一切なかった。純粋に不思議がっている。
……迷子。らしい。見つけたばかりで名前くらいしか聞いていないんだ。けれど、もう夜も遅いし、今夜は休ませて明日くわしく話を聞こうと思ってね」
「そっすか。優しいっすねサイファーは。イーグルアイだったら問答無用っすよ」
「やっと終戦を迎えた基地に、余計な緊張を持ち込むわけにはいかないよ。とりあえず俺の部屋で寝てもらうことにするから、PJも部屋に戻っていいよ」
「はい!分りました!おやすみなさい、二人とも」
「おやすみ、PJ」
……おやすみなさい」
 にこにこと手を振られて、シルファもつられるようにして挨拶をすると、PJは足取りも軽く寮へと戻っていった。
 何となく顔を見合わせて、くすりと笑いあう。
「君のところのPJも、あんな感じ?」
「見た目は違うけど、だいたい似てる」
「そう。良かった」
「?」
 何が良かったのかシルファは分からなかったが、微笑んだ顔を見ていると踏み込めなくて、結局押し黙る。
「部屋へ案内するよ。ついてきて」
「はい」
 手招きされて、静かに廊下を歩く。こちらのサイファーの部屋は玄関から少し遠い、三階の一番奥だった。騒がしいのを嫌った《片羽の妖精》が選んだのが此処で、同じ部隊だからと同じ部屋に入れられたのだ、と、少し笑いながら語った。
「角部屋だし、唯一の隣室も空いてるからね。静かだよ」
「結構広いね」
「最近、ベッドをひとつ片付けたんだ」
 微笑みながらソファを勧めてくれたランスロットに軽く頷くと、ちょこんと座った。
 暖房のスイッチを入れてから向かいに座るランスロットを見ながら、やはりどこか《あっちのサイファー》に似てるとシルファは思った。
 立ち居振る舞いや、何より眼が、似ていると思った。
「何か飲む?といっても、ペットボトルの水やお茶くらいしかないけど」
「ううん」
 ふるふる、と首を横に振る。そしてぐるりを周囲を見回すと、シルファはおずおずと口を開いた。
「あの……今って、何月?」
「9月の半ばかな。あ、もしかして、タイムスリップもしてる?」
……そうみたい。俺の記憶では、5月だもの」
「そう、か。じゃあ……まだ、俺にもあいつがいた頃だね」
……いないの?」
「俺が不甲斐なかったんだ。繋ぎとめるには、俺は弱かったんだよ」
 明確で決定的な名前を呼ぶことは避けて、二人はぽつりぽつりと言葉を交わす。
 寂しさを感じていた理由を察したシルファは、やはりランスロットにどう言葉をかけていいか分からなくて、時々頷いたり相槌を打ったりする程度だった。
「君は、そうか。こういう事態は初めてなんだね」
「うん」
「それじゃあ驚いただろう。知ってるはずの場所に知らない人間が、自分と同じ身分で居座ってるのは」
「驚いた……けど、ランスロットも、ダイアナも、優しくしてくれたから」
「ダイアナ?」
「ここに来る前に、別のヴァレーにいた。そこは、女のサイファーだった」
「なるほど、SFじみてきたね」
「ランスロットとは全然雰囲気が違う、けど、仕草とか……眼の色が、とても似てる」
「眼?」
「うん。少し冷たくて、広くて、とても綺麗な青」
「そうか……そうか」
 何かを思い出すように、ランスロットは遠い目をして窓を見た。
 目元に触れながら、微笑む。
「この目は、父親譲りなんだ。もしかしたら、その女性はもう一人の俺なのかもしれない。父の子供が、息子ではなく、娘だったら。きっとその女性になるのかもしれない」
「そんなこと、あるかな?」
「有り得ない事、と思い込むよりは、楽しいと思う。世の中には、思いもよらない話がたくさんあるからね」
 自分とそんなに変わらなかそうな年齢に見えるランスロットが、随分と年長者に見えた。
「いくつなの?」
「俺は28歳だよ。シルファは?」
……17……24くらいかと思ってた」
「ずいぶん若く見られたもんだ」
 ははは、と声をあげて笑う。言われてみれば笑い方も落ち着いていて、大人なのだなぁと素直に思えた。
 笑いを収めて微笑みに戻すと、ランスロットは慈しむような眼で見つめた。
「未成年者にあまり夜更かしはさせられないな。さ。もう寝なさい。ジャケットは片付けておくから」
「まだ眠くない」
「体が資本の傭兵が、そんな我儘を言うんじゃありません。寝れる時に寝る。ほらほら」
 いつの間にかシルファはランスロットのジャケットと共に自分のジャケットが剥ぎとられ、ハンガーに掛けられていた。
 さっと脇に手を入れられたかと思うと、ぐいっと抱き上げられてしまった。シルファが目を白黒させている間にランスロットは彼をベッドに横たえ、掛布団もしっかり掛けた。
「はわ……
「はい。いい子だから大人しく寝なさい」
「む……二人とも、俺を子ども扱いする」
「おや。向こうのサイファーも?」
「そう。どうして?」
「そうだな……子供とみると甘やかしたくなるような、何かがあったんだろうね」
 とん、とん、とん、とゆっくりと布団の上からシルファの体を叩く。
 甘やかすように、あやすように。
「ランスロットは?」
「内緒」
「教えて」
……明日ね」
「じゃあ、他の話して?」
「そうだな何がいい?話せることなら何でも話すよ」
「ピクシーは、いい相棒だった?」
 どうしても聞きたかった一言を投げた。
 一瞬、ランスロットの顔が強張る。ただ、それは本当に一瞬で、瞬きの間にまた微笑になる。
……とても。俺には勿体ない人だったよ」
 優しくて悲しい声色で囁く彼の、目の青が濃くなったような気がした。
 こんな顔になってしまうほど、大切だったのだとシルファは思った。
「君は?」
「きっと、同じ」
「そうか。……どうか君は、俺のようにならないで」
 さらりと髪を撫でられる。とても優しくて、うっかり眠気を誘われてしまう。
 瞼が重くなっていくのを何とか踏ん張って、シルファはもう少し話を聞こうと思った。
「どうして、空を飛んでいるの?」
「好きだからさ」
「怖く、ない?」
「そうだな……たぶん、恐怖は感じているんだと思う。生存本能に近いものじゃないかな。でも……飛んでいるときは気づいていない。ただただ、飛んでいたくて仕方がない。
 速く、鋭く、敵の裏をかいて、翻って……とても、幸せな時間だ」
 そう語る表情は、先ほどまでの微笑とは違って、無邪気な少年のようだ。
 本心なのだと、そう信じられる顔だ。
 ずっと一歩引かれてるような心地だったシルファは、今度こそ彼の心に触れられた気がした。
 一人の人間として、彼に近づけた気がしたのだった。
……眠ったかな?」
 気づけば、穏やかな寝息をたてていたシルファだった。
 起こさぬようそっと頭をひと撫でしてから、ランスロットはベッドのそばから離れた。
 ソファに深く腰掛け、眼を閉じる。
(あんな、稚い子まで戦争をするのか)
 自分が今日まで飛んできた、この戦争の空を思い返して、世界の残酷さを少しだけ嘆いた。
 同時に、祈る。
「ピクシー。どうか。どうかあの子から離れないで。ピクシー。俺は耐えられるから」
 無駄に終わろうが、祈らずにはいられなかった。
 自分にはまだ、支えてくれる止まり木がある。
 だが、シルファにそれがあるかどうかは、分らなかった。
 似て非なる《円卓の鬼神》に、どうか同じ轍を踏ませないでくれと。


 ランスロットが目を覚ましたころには、すでに日が昇っていた。
 非番でよかったなどと思いながら、壁掛け時計を見る。
 その近くに掛けてあったはずのジャケットが、一着消えている。
「あれ?」
 すぐにベッドを振り返る。
 確かに其処に眠っていたはずのシルファが、いない。
 ランスロットは安堵の息を吐いた。
「帰れたか。良かった」
 さてPJをどう誤魔化すかと考えながら、ベッドの傍に座り込んで枕を撫でた。
 そこで眠っていたはずの少年を思い浮かべながら、また祈る。
「君の未来にどうか、幸いを」