mikagami3
2020-01-26 18:25:21
13812文字
Public エスコン7 トリガー♀
 

ジゼルは青い空に舞う

バンドッグとトリガー♀が一日一緒に遊ぶ話。トリガーちゃんの家族や、知り合いのオネエさんとか出てきます。

ジゼル。
初めて、そう思える踊り手に出会った。
踊りを愛し、恋人を愛し、死してなお愛し続ける可憐な乙女であるジゼル。
その踊り手が、舞台の上でくるくると舞うたびに、金の髪が照明を反射して煌めく。
何よりも、物語のジゼル同様に踊りを愛している。
そう感じられるほど、印象的な明るい笑みを浮かべていた。
母の付き添いで観客席に座っていただけの青年は、他愛のない子供の発表会だと侮っていた。そんな彼が心を奪われてしまった。
その少女は、彼の人生の中で最高の《ジゼル》になった。

「むーりー!決まんない!」
 散らかし放題の部屋の真ん中で、若い女性が金の髪を振り乱して叫んだ。
 衣替えと共に、余所行き用の服を考えていたアシュリーは、両手を振り上げた後、頭を抱えて唸った。
 コーディネートがまとまらないのだ。
 休日に家族への顔見せを兼ねて実家を訪ね、自室をひっくり返したものの、納得のいくコーディネートにならない。
「このスカートも、デニムも、コートも、あ~!このチュニック肩が落ちる!みんなオーバーサイズになっちゃった
 正確には、彼女が痩せてしまったせいで、サイズが変わってしまったのだ。
 手持ちの服のサイズ感が変わってしまったせいで、組み合わせがうまくいかなくなってしまった。
「太るのは簡単だけど、筋肉付けてってなると時間かかるのよね。どうしよう」
 色とりどりの服の山の真ん中で、唇を尖らせながら体を左右に揺らす。
 今の彼女は淡いブルーのニットワンピースとタイツという服装だ。
 寮の自室の服も多くがオーバーサイズになってしまい、ずいぶん前に買ったまま仕舞い込んでいた服を引っ張り出して、ようやく実家に来れたのである。
 そこに、二人の少女が声をかける。
「お姉ちゃん」
「おねーちゃーん」
「マギー。レティ」
 名前を呼ばれた少女たちは、顔だけを部屋の中に入れてきょろきょろと見まわす。
 よく似た愛らしい顔と金茶色の長い髪が特徴的な、一卵性双生児の少女たち。
アシュリーにとっては目に入れても痛くない、可愛い可愛い妹たちだ。
「どうしたの?」
「あー。散らかしてる。怒られるよ?」
 声すら愛らしい妹たちににっこりと笑いかけながら、アシュリーは二人に向き直った。
 今年で15になる彼女たちは、同年代の少女たちに比べて大人びた性質ではあったが、家族の前では年相応の朗らかな少女たちだ。
 きょとんとしているマーガレット(愛称:マギー)と揶揄う様に笑うヴァイオレット(愛称:レティ)に目線を合わせるため、少し腰をかがめた。
「いいのよ。あとで片付けるから。二人のほうこそ、どうしたの?」
「お姉ちゃんが帰ってきてるって聞いたから」
「急いで帰ってきたの」
「そうだったの。ありがとう。ごらんのとおり、衣替え」
「変わってないけど」
「まーね。冬服だけ取り出そうとして、サイズ確認しながら選別してたんだけどねー。サイズ変わっちゃって」
「ふーん」
「お姉ちゃん、ちょっと痩せたもんね」
 くるりと姉の周囲を回って、双子はうんうんと頷いた。
 戦争が始まる少し前に、遠くへ行かなくてはいけないからと一度実家に帰ってきた姉。
 その時より、やつれているように思えた。
 しかし当の姉は至って普通に過ごしているし、元気は有り余っているように見えた。
 姉が笑顔でいるならそれでいいと、妹たちは胸の内でそう決めたのだった。
「どうしようかと思って」
「新しいの買えば?」
「古いのを捨ててさ」
「簡単に言うわね」
 服の山を見やる。
 この大量の服を処分するのは気が引けた。実際、体型を前に戻してもう一度着ようと思っている。
 お気に入りの服も、買って数回しか袖を通してない服もある。
「だって流行も変わるし」
「最近出かけてないんでしょ?」
「流行り廃りは織り込み済みで、あたしは好きな服着てるの。出かけてないのは、まぁその通りだけど」
「じゃあ、買いに行ったらいいんじゃない?」
「気分転換だよ」
「そーねぇ
「それなら俺が車を出そう」
 ひょこり。
がっしりとした体格の、眼帯を付けた老人が顔を出した。
 アシュリーの祖父である。
「おじいちゃん」
「車ならそのまま寮まで送ってやれるし、俺も街に用があるからな」
「いいの?」
「もちろん。可愛い孫のためだからな」
「おじーちゃん。マギーは?」
「レティは?」
「もちろん二人だって、可愛い可愛い孫娘だとも!!」
「きゃぁ!」
「きゃー!」
 老人が双子を抱きしめ、そのまま左右の腕それぞれに一人ずつ乗せて抱え上げた。
 15歳の少女を二人も抱え上げながら、顔色一つ変えない祖父を、アシュリーは見上げた。
「じゃあおじいちゃん。明日午前からお願いできる?」
「ああ。付いていってやることはできないが」
「平気。下着も買い換えたいから、逆に一緒にいるときまずいし」
「そうか。分かった」
「じゃあお姉ちゃん今から暇?」
「暇だよね」
「忙しいよ!この山片付けなきゃ」
 両手を広げて、部屋の惨状を改めて示す。
 ここから、着れる服、着れない服を分けなくてはならない。
「そっか」
「あ。じゃあ要らない服ちょうだい!着れるかも!」
「私も!」
「いいわよ。じゃあ袋持ってきて。二人も着れなかったら古着屋に持ってくから」
「はーい」
「じゃあおじいちゃん!」
「おっしゃ!いくぞー!」
「おー!」
 屈強な祖父は、はしゃぐ妹たちを肩に乗せたまま部屋を出ていった。
「さて。やりますか」
 妹たちが戻ってくる前に、少しでも仕分けをしなければ。
 柔らかなニットの袖をまくり上げて、あの二人にはどれが似合うかと考えながら、手近な一着目から手に取り始めた

「いい天気ね、おじいちゃん」
「そうだな。晴れてよかった。いい空だ」
「私、今日みたいな空が一番好きよ。飛びやすいし」
「今日は風もないからな。どう飛ぶにしたってやりやすいな」
「ね。それにしても……目立つんだけど、このオープンカー」
「かっこいいっしょ!?」
 穏やかに空を見上げながら話していた祖父と孫は、運転をしている髭面の男に視線を刺した。
 鮮やかすぎる赤色と、エッジの効きすぎたフォルムのオープンカーは先ほどから衆目を集めていて居心地が悪い。
 祖父の部下であるその男は、強面ながらも愛嬌のある表情と性格で、人に好かれる人物であったが、車道楽な部分が玉に瑕だった。
「お前はすぐ車を変える」
「変えてねぇですー。増えてるだけでーす」
「余計タチが悪いじゃねえか」
「運転だって荒くないでしょーよ!」
「ったりめぇだ。うちで一番運転が上手いからお前を連れてきたんだ。これで下手こいてみろ。車にふん縛って海に沈めるからな」
「またおじいちゃんはそういうこと言う。大丈夫だよオルマ。乗り心地は快適だから」
「そうでしょう、お嬢!お嬢を乗せるってんで、シートもしっかり掃除しておきましたから」
「ありがとう」
 そういって微笑んで、また空を見上げる。
 アシュリーの目は、その虹彩と同じ色が広がる空を、飽きることなく見つめていた。
「隊長。ここらでいいですかね」
「おう。止めてくれ」
 すぅっと滑らかに、路肩に停車する。
 しっかりと止まったことを確認して、祖父はアシュリーに向き直った。
「シェリー。ここからは企業秘密だ」
「分かった。気を付けてね、おじいちゃん」
「4時頃には中央公園にいなさい。迎えに行くから」
「うん。遅れないようにする」
 素直に頷いたアシュリーの頬にキスをして、アシュリーもまた祖父の頬にキスをした。
 お気に入りのバッグを肩にかけて、快適な後部座席から舗装路へ降りる。
「じゃあまたあとでね。おじいちゃん。オルマ」
「気をつけろよ」
「いってらっしゃい、お嬢」
 二人に手を振ると、車にいる二人もまた手を振り返して、オルマは再びエンジンに火を入れ、目的地へと走り去っていった。
 けたたましい音を立てながら走り去るオープンカーを見送りながら、アシュリーはぐ~っと伸びをした。
「さて。あたしも行こう」
 カツン、とヒールを鳴らして、最初の店へと向かう。
 月に一度は通っていたセレクトショップなのだが、IUN-PKFに転属になってからはすっかり足が遠のいてしまっていた。
 久しぶりに歩く通りの風景に心が浮き立つ。歩くだけで楽しいのは久しぶりだった。
 目的の店にはすぐに到着した。優しいブルーで染められた外観は、店主の思いが感じられた。
 ドアの取っ手を握って押し開ける。ドアベルがカランコロンと可愛い音を鳴らした。
……ア、アシュリー!!!」
 レジの奥で作業をしていた大柄な男性が、彼女の名前を叫んだ。
 ひどく驚いた顔で、アシュリーのほうへと駆け寄ってくる。
「アンジー!元気だった?」
 駆け寄ってくるその人を抱きしめようと腕を広げると、がしっと逆に抱きしめられてしまった。
 淡く、透き通るような爽やかな香水の香りがする。安心する香りだった。
「それはこっちのセリフよ!なにあんた!なんなのよ!こんなに痩せて!連絡もしないで!水臭いんだから!!」
服装は品の良い婦人然とした髪型も上品なアップスタイルでまとめられた、低い声と逞しい体の低い声の偉丈夫が、半泣きで、アシュリーを抱きしめる腕の力を強くした。
アシュリーの、大切な友人の一人である。
 郊外にある実家から、比較的近いこの街で初めて服を買ったのが、この店であった。それ以来、ファッションの相談もちょっとした私生活の悩みもよく話した、親しい間柄である。
 アンジーは愛称で、彼女の名前はアンジェラ・エインズという。
 アンジェラは自分が選んだ服を華麗に着こなすセンスと、屈託のない笑顔を持つアシュリーが好きだった。大切な友人だと思っている。
 それなのにある日突然、手紙すら届かなくなった。
 空軍の人間だということは知っていたから、戦争のせいで忙しいのだと思っていた。徐々に激化する戦況をニュースで知るたびに、心配になった。
 風の噂すら届かない日々を送っているうちに、終結へと向かっていった戦争。
 それでも何の音沙汰もない彼女のことは、死んだと思っていた。
 だが、目の前に、あの笑顔が戻ってきた。
「ごめんね、アンジー。ごたごたしてたら連絡できなかったの」
「嘘おっしゃい。忘れてたんでしょう。アンタ筆まめじゃないものね」
「ごめんってば!ふふ、アンジー」
「何よ」
 小さく笑うアシュリーに、アンジーは拗ねたような声で聞いた。
 アシュリーは小さく頭を振って、何でもないと答える。
「ううん。アンジー、元気でよかった。仕事した甲斐があったわ」
「そうよ。無事よ。アンタが必死になって仕事して、此処まで敵を寄せ付けなかったから、アタシはのうのうと生きてたわ」
「ありがとうアンジー」
「何よ。お礼なんて、いらないわよ。ばかね。頑張ったのはアンタじゃないの」
「うん。そうなんだけど……やっぱり、ありがとう。アンジー」
 大切な友人の一人を失ったアシュリー。
 だが、ここには、大切な友人の一人が元気にしていた。
 空を必死に飛び回った日々が、無駄ではないのだと、嬉しくなった。
 ひとしきり抱きしめたアンジェラがアシュリーを解放し、ハンカチで涙を拭う。
「決めた。アンタ、今日は好きな服持っていきなさい」
「え!?何で、ちゃんとお金払うよ!」
「だめ!本当はこんなんじゃ恩返ししきれないんだから!でも、アタシができるのはこれくらい。だから、好きなのを好きなだけ持っていきなさい!」
……うん。ありがとう。アンジー」
「いいのよ。ところで」
「ん?」
 少しだけ膝をかがめて、こそこそとアンジェラが耳打ちする。いぶかしむような顔と声で。
「さっきから外にいるあの男、アンタ知ってる?」
「男?」
「さっきまでこっちを覗き込んでたわ。アンタのほうを見てたわよ」
「そうなの?誰だろ?オルマかな」
 そう言いながら振り返り、大きなショーウィンドウ越しに男の姿を視認する。
 その瞬間、青い目が零れんばかりに見開かれた。
「ねぇ、アシュリー……アシュリー!?」
 気づけばアシュリーは全速力で外へ飛び出していた。
 男はゆっくりと、戸口前で怒りの表情を浮かべるアシュリーに向き直って、低い声で呼びかけた。
「トリガー」
……なんで此処にいるのよ、バンドッグ」
 そこにいたのは、ベージュのトレンチコートを着た、背の高い黒髪の男。
 彼女が囚人として飛んでいた懲罰部隊の管制官であり看守でもある、バンドッグだった。
 唸るようなアシュリーの声に、淡々と答える。
「仕事だが」
「人を尾行するのが?」
「護衛もつけずにふらふらと歩きまわる貴様が悪いんだろうが。そうでなければ、近くにいるという理由だけで俺が駆り出されるものか」
 不機嫌さを隠すことなく、ふんと鼻を鳴らして眉間の皺を深くした。
 アシュリーにとっては、その不機嫌な顔を見せられる謂われはない。負けじと少し上にある彼の暗褐色の目を睨みつける。
「何よ。あたしのせいだっていうの?」
「それ以外に何がある。自分の立場を考えろ、大馬鹿野郎」
「買い物するだけじゃない」
「それでもだ。大人しく護衛をつけておけばいいものを、道中で撒いただろう。そのせいで俺が休日出勤だ」
「あれはあたしのせいじゃないもん。おじいちゃんとオルマのせいだもん」
 あらぬ方向を見上げてごまかそうとする。確かに妙に後ろをついてくる車がいたし、それを撒こうとした祖父とオルマを止めなかったのは彼女だ。
「連帯責任だ」
 こう言われてしまえば、ぐうの音も出ない。
「それはそうかもしれないけど!普段見下してる傭兵如きに簡単に撒かれるのも悪いんじゃないの!?」
……教育が足りていないのは事実だな。上に報告しよう」
「まあ。なんていうの?このあたしの祖父とその部下を、そんじょそこらの十把一絡げにされるような傭兵と同じように考えてほしくはないわね?」
「ほう?」
「あたしを見ればわかるじゃない。あたしは《三本線》よ?」
 青い目は暗褐色の目を真っ直ぐに射抜いた。
 それは、きらりと自信が光る、心身ともにトップエースの目だった。
 バンドッグは小さく嘆息して、無言で見つめ返した。
 その目の色を、好ましいと思った自分に、胸中で舌打ちする。
「何よ。何か文句あるの?」
「随分と言うようになったと思ってな」
「仕方ないじゃない。皆が求めるのは灯台のような、一本、筋の通った英雄だもの。あたしだって、そうありたいと思ってる。それなら、胸を張って堂々と歩いて見せるわ」
「アシュリー
 おそるおそる、といった風にアンジェラが店から出てきた。
 アシュリーはにっこりと笑って、アンジェラを安心させようと明るい声で言った。
「アンジー。大丈夫。この人、知り合いよ。仲が良いわけじゃないけどね。職場の人」
「あら、そう?良かった~~警察呼ぶところだったわよ」
「この人じゃ、公安部だって追い返しそうだけどね」
……
 一般人の前では余計なことを言うまい、とバンドッグは固く口を閉ざした。
 意図を察したアシュリーだったが、そのまま彼の忍耐力を試すようなことはしなかった。
 時間は有限である。
「アンジー。早速服選んでいい?」
「何を遠慮することがあんのよ。どんどん選んでちょうだい!」
「やった!ほら、バンドッグ。行こう」
 すっと手を引く。
 皮手袋に包まれた手は大きく、管制官にしては武骨だなと感じた。
何?」
 バンドッグは面食らって反応が一瞬遅れたが、渋面はそのままだ。
 子供が見れば泣き出すような渋面を、アシュリーは笑顔で見上げた。
「護衛なんでしょ?なら傍にいるべきじゃない?」
「俺は外でいい」
「最近インフルエンザも流行ってるし、何より寒いじゃない」
「そうですよ。お茶もお出しできますから。中へどうぞ」
……店主に言われては仕方ありません」
 2対1、ましてや一人は何も知らない民間人では色々不都合だと思ったのだろう。
 扉を開けるアンジェラ、手を引くアシュリーに大人しく従った。
 扉をくぐれば店内は暖房が効いて暖かく、しっとりとしたジャズがBGMとして流れていた。趣味は悪くないな、とバンドッグはコートを脱ぎながら眉根を緩めた。
「ちょっとお茶淹れてくるから、服選んでてアシュリー」
「うん」
「お客様はこちらのお席にどうぞ。すぐにお持ちします」
「ありがとうございます」
 アンジェラが奥へ入っていくのを見送って、アシュリーは再びバンドッグに視線を移した。
「ふーん」
「何だ」
「バンドッグが、何の嫌味も皮肉も含めずに礼を言うの、初めて聞いた」
……相手は何も知らない、ただの服屋の店員だ。何の皮肉を言う必要がある」
「店員じゃなくて、店長よ。何よ、あたしたちにはしょっちゅう言ってたのに」
「貴様らに皮肉が通じていたとは意外だな」
「かわいくなーい」
 言葉とは裏腹に、くすくすと微笑んでいる。
(こういう笑い方をする女だったのか)
 店内の服を、一着ずつ手にとっては鏡の前で胸に当てる彼女を見て、違和感といえばいいのか、見慣れないことに居心地の悪さを覚えていた。
 彼の知るアシュリーは《トリガー》という名の、エースパイロットだ。少なくとも、444基地で出会ってからはそうだった。
 乾ききった砂漠のど真ん中にあって、澱みきった空気が満ちたあの場所ですら、彼女の瞳は空と同じ色をしていた。
 バンドッグが知っている彼女の目は、空に生きる獣の目だった。
 だが今、楽し気に鏡に向かって次々と服を見ている彼女は、お洒落を楽しむただの若い女性だった。
 繊細なレースが縫い付けられたワンピースを揺らすその手が、戦闘機の操縦桿を握るなど到底想像もつかないだろう。
「これにしようかな」
 と、胸に当てていたダークブルーのワンピースを掲げて、しげしげと眺めている。
 普段の彼女のイメージに比べると、ぐっと大人しいシックなワンピースだった。
「意外だな」
「なにそれ」
「お前はもう少し、やかましい服を好むと思った」
「言い方~!た・し・か・に!明るい色とか、カジュアルな服とか好きだけど!可愛いとかかっこいいとか、言い方あるでしょうが!」
「そうか」
チッ」
 無味乾燥な返事が返ってきたので、アシュリーは諦めて試着室に入った。
 ちょうど、店主であるアンジェラが茶器を持って戻ってきた。
「どうぞ」
「どうも」
 目の前に置かれたティーカップを素直に持ち上げ、一口飲む。
 きちんと丁寧に淹れられた紅茶は、甘い香りがした。
(妙なものは入っていないようだ)
 全くの一般人に疑いの目を向けなければならない職業である己に自嘲しながら、ふぅと息を吐いたのだった。
 それを見て、不思議そうな顔をしているアンジェラではあったが、アシュリーの声にすぐさま試着室のほうへ振り向いた。
「アンジー!いる?」
「いるわよぉ。どうしたの?」
 返事が返ってくると同時に、カーテンが開く。
 靴を履きなおして、一歩進み出たアシュリーはその場で一回転して裾を翻して見せた。
 ウエスト部分は絞られてシルエットが美しく、デコルテ部分はレースで仕立てられ、優雅さを引き立てている。
「どうかな?変じゃない?」
「ヤダーー!可愛いじゃないの!どうしたの?珍しいのを選んだわね」
「似合わない?」
「いいえ。そうじゃないのよ。とっても綺麗よ。ただ、普段なら……そうね、今の時期なら、明るい色のロングスカートを選ぶと思ってたのよ。ほら、こういうの」
 そういって手に取ったのは、淡いパープルのプリーツスカートだった。アシュリーの身長でも踝のあたりに来る長さで、軽やかに裾が揺れた。
「重めのニットとブーツで合わせるとしたらこれかしらね。少し春っぽい色だけど、あんた季節感そこまでこだわらないしね」
「それも可愛い!んー。そうね、ちょっと出かける予定があって、それに合わせたから先にこれが目に付いたの」
「あら。いいじゃない。クラシック?」
「近いかな。オペラに誘われたの。ああいうのってドレスコードあるんでしょう?」
「ガッチガチのドレスコードがあったら、そういうワンピースじゃ場違いよ」
「えっ。だ、大丈夫かな!?いや、でもまさか……
 妙にうろたえるアシュリーの表情が面白くて、アンジェラは口元を隠して忍び笑いをした。少しの間その様を楽しんだ後、にっこり笑ってストールを手に取った。
「誰に誘われたか知らないけど、オペラって言ったってそこまで厳密なドレスコードがあるところは多くないし、そのワンピースで十分でしょ。それに、とっても似合ってるわ」
「ありがとう!」
「今は寒いから、このストールも持っていきなさい」
「え、悪いよ」
「いいのよ。他は?」
「え?」
「え?」
 しばし見つめ合う。特にアンジェラは信じられない物を見るような顔だ。
「これだけでいいよ?」
「あんた!変な時に遠慮すんじゃないの!!」
「いつもは図々しい癖にな」
「聞こえてるわよバンドッグ!!」
 ぼそりと呟かれたバンドッグの言葉にアシュリーはすぐさま言い返したが、アンジェラはそこの言い合いは無視した。
「いいから!試着室に戻んなさい。アンタに合う服、片っ端から持ってくるから!」
「アンジー!」
「アタシはここの店主!ここではアタシが偉いの!言うこと聞きなさい!」
「アンジー!!」
 今度は押し込まれる形で試着室に戻され、アシュリーは次から次へと渡される服に袖を通すことになった。


「いただきます!」
………
「辛気臭い顔しないでよバンドッグ。ご飯がまずくなるでしょ」
「何故お前と飯を食わねばならん」
「ご飯はきちんと三食摂るべきだし、護衛なら離れるのは合理的じゃないでしょ?」
………
 賑わっているカフェに入った二人は、向かい合って食事をしようとしていた。
 ちょうど二人席が空いていたからと素直にアシュリーはそこに座ったのだが、バンドッグは不本意であるようだった。
 バンドッグの気持ちは理解できないものではない。が、この場でそんなことを言っても仕方がないとアシュリーはカトラリーを動かす手を止めなかった。
 濃厚なチーズと卵のソースが口の中で蕩けていく。人によって味付けが濃すぎるかもしれないが、今の彼女にとっては最高の美味だ。
「ロングキャスターの舌は確かね。美味しい」
「何?」
「ここ、ロングキャスターに教えてもらったの。あ、ロングキャスターって言っても分からないか。えーっと名前何だっけ」
「問題ない」
 ようやく、バンドッグがカトラリーを手に取った。こんがりと香ばしく焼けているチキンを切り分け、口に入れる。
 どんな顔するかとアシュリーは観察していたが、渋面はそのままだった。
「俺も彼のことは知っている」
「そうなの?」
「ああ。どうやら食い意地が張ってるのは変わっていないようだな」
「食べるのが好きなのは、確かね。たまにお店を教えてもらうの」
「そうか」
「そうそう。それである時パパラッチにつけられてて、熱愛発覚!とか週刊誌に載ったのよ?可笑しいったら!」
……笑うような話か?」
「広報課のほうで否定してもらったもの。私自身も公式声明?っていうの?したし、何より写真に説得力がなかったのよね」
「説得力?」
「うん。ちょっと待ってね」
 そう言うとアシュリーはカバンからスマートフォンを取り出し、何やら操作した。
 しばらく何かを探していたが、ようやく見つけたようで、くすくすと笑いだした。
「あったあった。これよ」
……なるほど」
 見せられた画面には、底抜けに明るい笑顔をしてサムズアップをする私服姿の恰幅のいい男性と、同じく底抜けに明るい笑顔を見せながら、ふざけた様子でしなをつくるアシュリーが映っていた。男性のほうが、現在の彼女の管制を担当しているロングキャスターである。
「これではどちらが真実かは明白だな」
「ロングキャスターがあまりにもいい笑顔をするもんだから、シャッター切られた後に大笑いしちゃったのよ。この写真は、そのパパラッチからもらったの」
「は?」
「だって、いい写真でしょ?楽しそうで」
「あほみたいにな」
「他に言い方無いの?」
 大きく口を開けて、目いっぱいカルボナーラを頬張る。見ていて気持ちがいい食べっぷりだ。
しばらくもぐもぐと咀嚼して、満足げに溜息を吐いた。
「胸を張って、前を向いて、上を目指す。私がなすべきことは、それだけよ」
「トリガー」
「最近は全然空を飛べなくて退屈だけどね。隊長なんて断ればよかった。書類ばっかり」
「人の上に立つのは面倒なものだ」
「貴方も?」
「そうだな。下にいる人間次第、と言うところか」
「そう」
 ストローを咥え、アイスカフェラテを吸い上げる。さきほどシロップをたっぷり入れたのを見ていたバンドッグは、味を想像したのか眉間に皺を寄せた。彼は甘いものは苦手であるらしい。
 自他ともに認める甘党の彼女は、甘い甘いカフェラテを味わった後、追加のデザートを頼むべくメニューを開いたのだった。

「ここで待ち合わせなの」
「そうか」
「あと一時間もすれば来ると思うから、バンドッグの仕事も終わりね」
「無駄な時間だった……
「あたしに文句言われても困るわよ」
 バンドッグは疲労のために溜息を吐き、それを見たアシュリーは呆れて溜息を吐く。
 けれど同時に、中間管理職も大変なのだなぁとしみじみ思っていた。
 ベンチに座り、その隣をぽんぽんと叩いたアシュリーに何も言うことなく、どかっと座ったことからも、疲れていることは分かった。
 近くの屋台で買ったジェラートを舐めながら、アシュリーは空を見上げる。
 朝、家から出るときに見た時と同じように、抜けるような青空だった。
 自然と顔が綻ぶ。ともすれば気の強さばかりが際立つ顔立ちが、穏やかになる。
 そのまま何もなく時は過ぎ、アシュリーが味を分かってやれないジェラートを食べ終えたころ、バンドッグが口を開いた。
「何故パイロットになった」
……え?」
 振り返る。
 至極真面目な顔をして――それは普段の渋面とはかけ離れた真摯な顔だ――バンドッグがアシュリーを見ていた。
 問われた言葉の趣旨が理解できずに、彼女は大きく首を傾げた。
「何故?って?」
「空軍に入らずとも、お前は他の道でも地位を築けただろう」
「何を言ってるの?あたしは――
「お前のジゼルは、それだけの価値があった」
「!」
 思わず立ち上がる。足元の紙袋が、がさりと倒れた。
 大きな驚愕と、僅かな嫌悪で持って見開かれた冬の青空は、ぐっと引き結ばれた唇より、ずっと雄弁だった。
 鼓動が暴れ、呼吸が乱れるのを自覚したアシュリーは、押さえるように胸に手を押し付けた。そのまま服の襟を握りしめて、ようやく声を絞り出した。
「なんの、こと?」
「俺の母は、若い頃バレエダンサーだった。引退してからは後進の育成に精を出していた。平たく言えばバレエ学校を開いていたんだ。俺は、体のいい労働力としてしばしば駆り出されることがあった。今のようにな。
 母の生徒たちの発表会やコンテスト、オーディションも見たことがある」
「そう……
「そうした中で、必然と母の教え子以外の踊りも見る機会があった。オーディションも大抵は合同だからな。そのうちの一人が、お前だ」
……あたしがバレエをやってたなんて、軍の中じゃ誰も知らないと思ってたわ」
 思わず顔を逸らす。取り乱したことを恥じて、顔を隠すように俯いた。
 バンドッグは淡々と話す。
「運が悪かったな」
「全くよ。あんな、子供のころの習い事、恥ずかしくてたまらないわ」
「誰よりもジゼルだったというのに?」
 再びバンドッグに顔を向けた。信じられない言葉だったが、彼はふざけているようには見えず、皮肉でもない様だった。
 ジゼル。踊りと恋に生きた乙女。
 バレエの代表的な演目の一つだ。
「あたしのジゼルを……知ってるって言うの?」
「そうだ」
「一度しか踊ってないのに」
「そうだったのか」
「あたしは……見ての通り肌が黒いから、あまり評価されなかったのよ」
「それで諦めたのか?」
「いいえ。誰よりも努力したわ。誰よりも、プリマであろうとしたわ。踊りは好きだから」
 アシュリーは、今度は真っ直ぐに見返した。青い瞳に焔がちらついた。
「だけど、嫌になったのよ。誰も私の踊りなんて見てなかったから」
「馬鹿な連中だ。お前が踊らなければ、誰がジゼルが踊れるというんだ」
「随分とおだてるじゃない?そんなに上手だった?」
「上手……少し、違う」
「なぁに?」
……お前が言ったように、踊るのが好きなんだと感じた。お前は、物語のジゼルのように、踊りを愛しているように見えた」
……そう」
「正直、お前以外のガキどものことは覚えていない。取るに足らない技量だったのかどうかすら覚えていない。あの舞台の中で、お前だけが《ジゼル》だった」
……10年以上も前のことよ。よく、私を覚えてたわね。それで、十分よ」
 そう言うと、羽織っていたコートを脱ぎ、ばさりとベンチに投げた。
 白のニットとネイビーのスキニーデニム姿になったアシュリーは、お気に入りの赤いヒールも脱ぎ捨て、裸足になった。
 そのまま一歩踏み出してバンドッグの目の前に立つと、優雅に膝を折って見せた。
 その様は、かつての舞姫を彷彿とさせた。
 再び顔を上げた彼女は、パイロットの顔とも、普段の女性としての彼女でもない、どこか不安になるような微笑を浮かべていた。
「今日一日、遊んでくれたお礼に、10年以上私のファンでいてくれたお礼に、呪いを解いてあげる。今の私のジゼルで」
 そう言うと、一歩、それはそれは大きな一歩で後ろへと跳んだ。
 しなやかなバネは軍人としての訓練の中でより磨き上げられたようで、危なげなく石畳の地面に着地した。
 ゆっくりと両腕を上げ、羽のように広げた。さらに一歩を重ねて、ステップを踏み出す。最初はおずおずと、引きつった笑みを浮かべて周囲を見た後は、緊張の面持ちで小さく跳ねていたが、徐々に笑顔を見せ、大きく跳ねては飛び、くるりと廻って見せる。
 村娘ジゼルが、領主の娘バティルドに踊りを披露するシーンだ。
 最初に見せた張り詰めた顔は、自分が住む村を含む一帯の領地を治める貴族へ踊りを見せることへの興奮と緊張の表情だったのだ。
……ジゼル)
 アシュリーはジゼルとして、笑顔で踊る。
 跪いて祈る仕草を見せたかと思えば、その場に縫い留められたかのように片足でステップをしてみせて、腕を掲げて大きく回る。
 そして最大の見せ場である連続回転を――することができなかった。
 アシュリーは軸足のバランスを崩し、その場に倒れてしまった。
「トリガー!」
「いってて……
 思わず駆け寄り膝をついたバンドッグに、その場で膝を立てて座りながらアシュリーは笑ってみせた。
「ジゼルは死んだわ。物語のように、貴方のジゼルは死んだの。思い出の中の枯れた花のように美しいまま」
……怪我は、ないか」
「ええ。ちょっとお尻打って痛いけど、それ以外は別に」
「そうか」
 バンドッグは、彼には珍しくどうすればいいか分からなかった。
 わざわざ死を演じたアシュリーを見ながら、あの日の光景は到底忘れることができないことに、酷く狼狽した。
 アシュリーは立ち上がって砂を払いながら、ベンチに戻っていく。
 お気に入りの赤いヒールに足を入れ、コートを羽織ってしっかりと前を留めた。
「アシュリー・マリア・ガルシアは戦闘機パイロット。もうジゼルでもオディールでも椿姫でもない。ただの、腕利きパイロットよ」
……自分で腕利きというのか?大馬鹿野郎が」
「いいじゃない。滅多に褒めてくれないもの。人殺しなんて」
「人殺し、大いに結構」
 背後から、凄みのある低音が聞こえてきた。
 眼帯をした隻眼の偉丈夫がアシュリーの肩に触れた。
「おじいちゃん!」
「シェリー。可愛い可愛い孫よ。待ったかい?」
「ううん。平気よ。退屈しなかったもの」
「そうか」
 にっこりと笑うと、孫娘の膝裏に腕を差し入れ、軽々と持ち上げて自身の肩に乗せた。
 アシュリーは多少の気恥ずかしさは感じたものの、抗議したところで聞き入れる祖父ではないことは重々分かっているので、バランスをとることに集中した。
「では基地まで送っていこう。オルマ、荷物持て」
「へい隊長」
「ごめんねオルマ」
「いいえ、お嬢。軽いもんです」
「で、そこの若いの」
 背の高いバンドッグよりさらに長身の、今なお《スカーフェイス》と呼ばれている傭兵は剣呑な光を宿した目で見降ろした。
「この子が、バレエを楽しんでたのは本当だ」
……
「この子は、俺の才能を受け継いでしまっただけだ。さらに言えば、俺のように空に魅入られちまった。それだけだ。少なくとも、俺のような生き方はさせたくねえと思ってるがな」
「やだおじいちゃん。あたし、軍を辞めたらおじいちゃんのところに行くんだから」
「こう言ってるもんでな。お前さんがその気があるなら、もう少し踏ん張ってくれや。
 この子はまだ、この国に必要だろう?」
……努力しよう」
 空を捨てた戦闘機乗りは片眉を器用に持ち上げた後、カッカッカと笑って孫娘と共に去っていった。
 残されたバンドッグは、再びベンチに座り込んで、先ほどのアシュリーと同じように空を見上げた。
 願わくば、敵として会わずに済むようにと、祈る様に手を組んだ。