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mikagami3
2019-05-01 23:21:13
6516文字
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エスコン7 空引
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ウィークエンド・ラブ・ソング
空引。捏造本名が出てきます。週末にお泊りする二人。まだ清らかな関係です。この時空の空守はピュアな空守。
春の風の匂いに、青年は浮足立つ。
ふんふんと鼻歌を歌いそうになった、そのことに気づいてはっと我に返る。
顔を引き締めて、努めて平然と泰然と、帰路を急ぐ。
走ることはしない。夕暮れの往来には同じように帰路へ着く人を始め、多くの市民が行き交っている。
焦らず走らず、しかし歩幅は大きく矢継ぎ早に舗装路を踏みしめて、歩を進めた。
彼が急ぐ理由は、明日からの連休に浮かれてのことだけではない。
連休を共に過ごす相手が、焦がれてやまない恋人だからだ。
恋人。そう言う度に、はにかんで笑う彼の顔を思い浮かべて胸がときめく。
彼は、ようやく笑顔を見せるようになってくれた。その事実も重く青年の心に圧し掛かる。
ふと空を見上げる。
まだ日が落ちるまで時間がある。
薄く雲を刷いた青空が、薄橙のベールで徐々に隠されていくような、不思議なグラデーションだ。
昔読んだ小説に、黄昏時のオレンジと濃紺のグラデーションをした空を《黄昏の虹》と表現したものがあったのを、青年は思い出していた。
この街では陽が落ちていく様が見られる場所は限られているので《黄昏の虹》は見られないが、頭上の空は虹の裾を映すような色をしていた。
淡く柔らかい色味は、春ゆえの色だろうか。
そんなことを考えながら、部屋の鍵を開けた。
「ただいま」
やや高揚した調子で、屋内へ声をかける。
だが、いつもなら聞こえるはずの声が聞こえない。
(まだ帰っていないのだろうか
…
?)
首を傾げながら上着をコート掛けに引っ掛けて、リビングへ進む。
廊下とリビングを隔てる扉は閉められているが、明かりが漏れているし音がする。テレビの電源が入っているらしい。
ならば彼は、青年の恋人は
……
「なるほど
……
」
リビングに入ってソファの背から覗き込むと、ブランケットを腹にかけたまま寝息を立ててる青年がいた。
少し灰色がかった金髪と、褐色の肌と引き締まった体躯の彼は、起きる様子がない。
勘の鋭い彼が寝入ったままなのは珍しいことだった。
よほど疲れているらしい、と青年は微笑みながら恋人の寝顔を見つめる。
ふと、思いついて静かにソファを回り込み、テーブルとソファの間に体を割り込ませてぺたりと座り込む。
クッションを腹に抱き込んで、やや体を丸めて、すぅすぅと寝息を立てる彼を、ソファに凭れながら見つめる。
恋人の名前はアイザック・マリア・ガルシア。
TACネームをトリガーと名乗る彼は、戦闘機を操って大空を駆る、英雄と謳われるエースパイロットだ。
TACネームの由来は確か、訓練時に躊躇なく引金を引き絞るから、という話を聞いたことがある。
一瞬の判断が生死を分けることもある戦場の空を飛ぶのだから、それは良い傾向だろう。
彼の精神がそれについていけていればの話だが。
機械的に引金を引く速度が上がっているだけならば、おそらく彼は訓練生の時からずっと苦しみ続けているのではないだろうか。
その考えに至った時、何と呼べばいいか分からない感情が、苦い味となって舌に滲む。
青年──ハロルド・ブルーウォーターは、ほんの少しだけ眉を歪めた。
ブルーウォーターと言う名前だが、彼もまた空を仕事場にしている男だった。
ただアイザックと違い、彼はパイロットではない。
空中管制機に乗り込み、戦闘機パイロットたちをレーダー上で見つめ、必要とあらば指揮を執り導く管制官だ。
空での彼の名前を、スカイキーパーと言う。
空の守り手、という意味の名前を彼は気に入っていた。
ぐっすり眠るアイザックの顔に意識を移す。
穏やかな寝顔だ。
薄く隈を作っている目元を見ていると、起こすのは忍びなく思えた。
起こす代わりに、額に一つ口付けを落とす。
「
…
またあとで」
そっと呟いてから、ゆっくりと立ち上がる。
食の細い恋人の為に、消化に良いスープや煮込み料理を中心にするか、とエプロンをつけながら考える。
出会った頃はそうでもなかったのに、と思い出してしまったハロルドは心臓の上に手を置き、ぎりりとシャツを握りしめた。
アイザックは、どちらかといえばよく食べる男だった。
甘党で、メインディッシュを平らげてなおデザートを頼むほどの彼だった。
兄弟がいるとたくさん食べるようになるのだと、微笑んで話していたのを覚えている。
表情も動かなくなった。以前から寡黙で、激怒することも大笑いすることもなかったが、それにも増して静かだ。
灯台戦争での彼を殆どを知らないハロルドは、踏み入ることはできないまま、そっと傍に寄り添う許しを乞うことしかできなかった。
鍋に水を張り、火をかけてから、さてどうしようかと考える。
(
……
昨日聞いておいたリクエストはロールキャベツ
…
手元にはトマト缶
……
ふむ)
方針は決まった。
ロールキャベツは昨日鶏むね肉のミンチで作って冷凍庫にある。あとはスープの味だった。
トマト缶を手に取り、一つ、二つと鍋に開けていく。
コンソメを一つ。さらにさっと黒コショウを振り、少々に立たせる。
その間に冷凍庫から作っておいたロールキャベツを取り出す。
もう一つ、タッパーを取り出す。
とうもろこしのクリームだ。これでコーンクリームスープを作る。
スープ用の鍋を取り出して牛乳を注ぐ。
さらに生クリーム、コンソメキューブを一つ、そこにペーストを入れて解し、塩を少々。
スプーンですくって味見をする。
少し薄いか、とも思ったがロールキャベツが少々濃いめの味付けにしたので丁度よいだろうと判断した。
もう少し煮込んでおき、次はロールキャベツの続きに移る。
スープはよく煮立っている。火傷に気を付けて、そっとロールキャベツを並べていく。
ロールキャベツ全体にこまめにスープをかけて絡ませながら、じっくりと煮込む。
お玉に絡むスープにややとろみが出て、キャベツの色がスープと馴染んできたところで、さらに弱火にして煮込む。
「ん
……
」
バゲットの用意をしようとしたところで、彼の声が聞こえた。
「すかい、きーぱー?」
「トリガー」
バゲットとナイフはひとまずカッティングボードに置いて、冷蔵庫からミネラルウォーターを取る。
寝ぼけ眼を擦りながら体を起こす彼に、そっと寄り添う。
「おはよう。トリガー」
「ん
……
すまない。寝ていた」
「気にしないで。飲むかい?」
「ああ
……
」
起き抜けは喉が渇くかと思い差し出したボトルを素直に受け取り、アイザックは喉を潤した。
ふぅ、と一息ついてから、じっと見つめてくるハロルドを見つめ返した。
アイザックを見つめるハロルドは、にこにこと笑っている。
「スカイキーパー?」
「ああ、いや。すまない。君が私の部屋にいる、というのが
……
とても嬉しくて」
「
……
貴方が呼んだのだろう?」
「応じてくれたのは君だ」
「
……
ん
…
」
控えめな肯定をして、眉根を寄せて俯く。その目元はほんのりと朱色が滲んでいる。
ミルクチョコレートにフワンボワーズリキュールが混ざったような色。
甘く、蠱惑的だ。
「さて、食事まではもう少し時間をもらえるかな?」
「手伝うこと、あるか?」
「気にしなくていい。君は、此処にいてくれるだけでいい」
「しかし
……
」
「
……
ふふっ」
ちゅぅ。
わざと大きくリップ音をさせて、額に口付けた。
ぽかん、と目を見開いた後、数秒してようやく何をされたか理解したらしい。
すぐ傍にあったクッションを抱きしめて、隠すように顔を押し付けた。
「
………
」
「愛しい君を持て成すのだから、これも楽しいんだ。とはいえ、私もあまり手の込んだ物は作れないけれど」
「そうなのか?いつも作ってる
…
よな?」
「新人の頃に良くしてくれた先輩の言葉でね、”食事は自分で作れる数少ない幸福の一つだ。美味い食事が作れたほうがより幸福になれる”と。
真面目に受け取った私は、一人暮らしだったのも相まって少しずつ自炊を始めたのさ」
「その先輩は
……
ロングキャスター?」
「今の名前はそうらしい」
「なるほど
……
彼らしい言葉だ」
クッションから顔を上げた彼の表情が、僅かに微笑んでいるのを見て、ハロルドも微笑んだ。
再会した直後よりずっと表情が和らいでいるのが、とても嬉しく思った。
するりと頬を撫でて、ハロルドはキッチンに戻る。
アイザックはやや所在なくしていたが、やがてソファに体を深く沈めた。
彼は沈黙を苦としない。喋らないでいるときは虚空を見つめるか瞑目して、思考を巡らせる。
取り留めなく浮かんでは消える様々な事柄について、考えては打ち消し、打ち消しては掬い上げる。
没頭しすぎて時間も忘れるほど、深く深く海の底へ潜るように、思考が沈んでいく。
そのせいで、よくカウントに叩き起こされ──眠ってないがこの表現が一番近い──ブリーフィングや訓練に引きずられていく。
時間が許す限り、際限なくうたた寝のような心地で考えている。
「トリガー」
「
…
!」
はっ、と意識が戻る。その拍子にびくっと体が揺れる。
ばらけていた焦点が収束すると、心配そうな顔でハロルドが覗き込んでいた。
膝をついて、アイザックの手を握る。
「大丈夫かい?」
「
……
ん。問題ない」
意識を飛ばしていたことに対する照れ臭さを隠すように、やや硬質な響きの声で応答する。
ハロルドもそれは承知で、問題ないと答えたその言葉を、素直に信じた。
「お待たせ。食事にしよう。ああ、でも、無理しないで。食べられるだけでいいから」
「ありがとう。大丈夫だ。最近、食べられる量も増えてきたから」
「本当かい?それは良かった。君は
…
もう少し太っても問題は無いんだよ?」
「そうは言うが
……
あまり重いと動きが鈍くなる
……
」
「健康第一だ。何よりも君の心身の健康を最優先してくれ」
「俺の母親より健康に気遣ってくれるんだな」
「君の母親、強すぎるんだよ
…
」
軽くかぶりを振って呆れを表現したあと、ポットからお茶を注ぐ。
必要ない飲酒は控えている。それはいつ呼び出しがあるか分からない軍人と言う職業と、アイザックの健康のためだ。
その代わり茶葉は良い物を、惜しげもなく使う。
今日はアイザックの仲間のフーシェンから貰った薬膳茶だった。消化の助けをしてくれるらしい。
入れたてのお茶を、二人が同じタイミングで一口含み、こくりと飲み込んだ。味も香りも香ばしく爽やかだ。
これは何かお返しをしなくては、と無言で考え込んだアイザックに、また始まったと苦笑する。
思考の切り替えが早いが、それを誰にも伝えないために突拍子もなく映るのがアイザックの困ったところだった。
少し好きに考えさせておこうと、先にハロルドが食事に手を付ける。
まずはロールキャベツを一口。切り分けて口に運ぶ。トマトの酸味が肉だねにも染み込んで、我ながらよくできたと頷きながら咀嚼する。
コーンスープも及第点。行きつけのパン屋で買ったバゲットも軽く温めておいたからより一層小麦の香りが口に広がる。
サラダをつつき始めた頃には、ようやくアイザックも意識を現実に戻したらしい。
食器を手に取り、リクエストしたロールキャベツを丁寧に切り分けて、口へ運ぶ。
無表情に見えるが、ハロルドにはちゃんと、目元が緩んだのが見えている。
成功だ。
「口に合ったみたいで、何よりだ」
「ありがとう。スカイキーパー。無理を言ったのに」
「いいや。言っただろう?君の為なら何でも楽しい。そう、君の為に何かができるのが、楽しいんだ」
「
………
もう、あの時の、ことは
……
」
「気にするな、と言うんだろう?君はいつもそう言う。だが、そうだな。贖罪だと考えるならやめてほしい。もっと単純な話だ。
愛する人への愛の表現の一つ、なんだよ」
「
………
」
「ちょっと、気障だったかな
……
」
「大分な」
「うう、そうか
……
」
「でも」
「?」
「ありがとう」
そう言って、またロールキャベツを口に運ぶ。
今度は誰の目にも分かるほど──しかしぎりぎり分かる程度の──笑顔だった。
「美味しい」
「
……
ありがとう」
そして、主にアイザックのペースに合わせての会話をしながら食事を楽しんだ。
食後、先に体を清めていたハロルドはベッドに入り込んで本を読んでいた。
が、それは格好だけで、実際は浴室の水音が気になって一行も進んでいない。
真面目を絵に描いたようだと評されるハロルドだが、恋人が今まさに一糸纏わぬ姿でシャワーを浴びていると思うと気が気じゃない。
無理強いはしない。そう固く誓ってはいても気になるものは気になる。
同じベッドで寝ることまでは許してもらえても、肌を合わせることはまだしていないのだった。
戦争の後遺症が色濃く残る身体を、見られたくないと言ったのはアイザックだ。
触れられるのが怖い、とも。
少なくとも、自分が管制をしていた頃のアイザックは、あんなに怯えた目をしてはいなかった。
だから、激しく後悔した。
同時に、深く愛そうと決めた。
今度こそ守ろう。今度こそ、惜しむことなく、愛し慈しんで傍にいよう。
そのためならば、多少の葛藤は耐えようと決めて、ハロルドはこうして読書で思考を逃がして耐えている。
何もせずぼんやりとベッドに横になっているよりはずっといい。
ザーザーと水の流れる音がする。
脳裏に、上気したアイザックの顔が浮かぶ。雫が流れ落ちて、瑞々しさが増している。
普段目にする顔や手の甲、首筋などといった部位はもちろん、見たことのない背中や太腿の肌を滑る湯すら、ありありと目に浮かぶようだ。
耐えきれず、とうとう本をサイドテーブルに置いて枕に顔を埋めた。
「
……
むり」
褐色の肌は、どんな触り心地だろう。
きっと滑らかで、瑞々しく、張りがあって、甘美な味がするに違いない。
そんな妄想ばかり掻き立てられて、ハロルドは毛布にくるまって悶絶するしかなかった。
「スカイキーパー?」
「う」
呻きながら、毛布から頭を出して目線を上げた。
ほんのり湯気を纏って、アイザックが覗き込んでいた。
妄想よりも艶やかに赤く染まる頬に、引き締まった首筋。
半袖Tシャツとハーフパンツから覗く手足はしなやかで、しっとりと湿っている。
普段彼が見ているのは、フライトスーツかツナギか制服くらいのもので。
何の変哲もないTシャツとハーフパンツでも、ぐっと露出の多い恋人は目の毒だった。
「
……
」
「うん?」
「
……
綺麗だ、トリガー」
「
…
何を言うかと思えば」
目を伏せて、見つめてくる視線に耐える。頬はさらに紅潮して、褐色肌のとはいえ傍目にも赤いと分かる。
恥ずかしさを紛らわす言葉を何も思いつかずに、アイザックはそのままベッドに潜り込む。
ハロルドの横に、ほんの少しだけ隙間を開けて横になる。
その隙間を、埋めたいと思うのは人情というものだろう。
そっと、声をかけた。
「
……
トリガー」
「何だ?」
「
…
その、君を、抱きしめながら眠りたい」
「
……
」
「いい、だろうか」
「
……
うん」
言うが早いか、動き出したのはアイザックのほうだ。
スルリ、とシーツが擦れる音がしたかと思うと、ぴたりとハロルドの胸に頬を寄せた。
密着とまではいかないが、足を絡めて、胸に手を置いた。
「これでいいか?」
「
……
想像以上だ、トリガー。いや、アイザック」
アイザックの背中に両腕を回す。
少しゆとりを保ちながら、そのしなやかな体を優しく抱きしめた。
湯上りの肌はまだ熱を持っていて、甘い匂いがした。
自分と同じボディーソープの香りと、アイザック自身の肌の匂い。
それを深く吸い込んで、少しずつ吐く。
とても、幸せだった。
「ハロルド」
「うん」
「無理を聞いてくれて、ありがとう」
「
……
君の為なら、今度こそ世界を敵に回そう」
「
…
おやすみ」
「おやすみ」
答えは言わなかった。
ハロルドも答えを聞いていない。
ただ、ベッドの中で、名前を呼んでくれたことが何よりも大事なことだった。
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