mikagami3
2019-02-15 10:16:55
10270文字
Public エスコン7 ミハトリ
 

さあ、お茶会をいたしましょう

ローザとイオネラとアルマが、トリガーを呼んでお菓子作りをしてソル隊をお茶会をする話。やりたかったことはミハイ×トリガーのいちゃいちゃ。いちゃいちゃしてる。ややトリガーが乙女リアクション。

「今日は一緒にケーキを作ってもらいます」
……なぜ??」

 目の前で微笑む美少女たちに、青年はそれしか言えなかった。
 少女たちの一人が一歩前に出て、スマートフォンのカレンダーを目の前に差し出した。

「今日はヴァレンタインなので、おじいさまとソル隊の皆様に感謝のお茶会を開こうと思いました」
……なるほど」

 納得する。少女──イオネラにとって、祖父とその部下達は大事な人間であろうことは明白だった。
 青年は異論を抱くことなく、納得して頷いた。

「そのためのお茶菓子を、一緒に作ってほしいのです」
そこが、分かりません。イオネラ嬢」
「そうですね。私も強引だとは思いました」

 少女は目を閉じて頷きながら、あっさりと認めた。
 しかし、すぐに真っ直ぐな眼差しを向けて、褐色の青年の蒼い冬空の目を見つめる。

「ですが、どうしても来ていただきたかったのです」
「それなら、普通に呼んでくれれば……
「来ていただけるのですか? この場所に、今は英雄となった貴方が」
……

 青年は押し黙る。
 真っ直ぐな瞳に、嘘がつけなかったからだ。
 戦争は終わったとして、オーシアとエルジアの間の自由に行き来できるほど、彼の翼は軽くない。
 彼は、三本線の英雄。トリガーだからだ。
 何処にでも行けるはずだと求めた翼は、あっさりと鎖に囚われてしまった。

「ですので、私が職権を乱用いたしました。トリガーさん」
「王女殿下
「はい。王女です。エルジア王国王女の、友人と過ごす貴重な休日を邪魔する人間はいません。
 イオネラとアルマ、そして、貴方も友人ですよ」
……自分も?」
「ええ。これから、良き関係を築くべき国の人間の中で、最も信頼できる友人です」

 何の澱みもなく、小川の流れのように澄み切った言葉を贈られて、トリガーはまたも黙るしかなかった。
 どう答えるべきか。この純粋な少女たちの想いに、どうやって。
 視線を彷徨わせて悩んでいると、ふと、右手に柔らかい感触が触れた。
 いつの間にか、イオネラの妹であるアルマが、隣に立ってトリガーの手を握り、見上げていた。

「お願いします」
「アルマ嬢」
「わたしは、あなたとお話がしてみたい」
「自分と?」
「おじいさまは、あなたとお話しする時がいちばん、笑顔でいらっしゃるから」
「そんな、ことは」
「お願いします」

 幼い少女に乞われる。懇願と言ってもいい。
 未経験の出来事に、トリガーはさらに当惑してしまう。
 アルマが触れている手とは反対の手を、イオネラが握る。

「おじいさまも願っていることです」
「シラージ公、が?」
「貴方を会うのをとても楽しみにしていらっしゃるの。私達と、お菓子と一緒に、おじいさまに会いに行きましょう?」
「しかし……
「困りますね。貴方にも王女として命令を下さねばなりませんか?」

 ローザ・コゼット・ド・エルーゼは、いささか冷ややかな微笑を浮かべた。
 父王も王妃も既に亡く、王国の未来を背負う少女は厳然とした迫力を得ていた。
 とはいえ、本当にそんなことをするわけではない。
 すぐにお茶目なウインクを投げて、一歩進んで背の高い、目の前の青年をぐっと見上げる。

「なんてね。貴方はエルジア国民ではないし、臣下でもありません」
……はい」
「ですから、友人としてお呼びしました。一緒に、お菓子を作りましょ?」
「お喋りしましょう?」
「あとで、あそんでくれるとうれしい、です」

 三者三様の、美しい少女たちに取り囲まれ、いよいよ困り果てた。
 助けを求めようと、遠くで見守っている王女達のSPへと視線を送るが、さっと目を逸らされてしまった。
 これはいよいよ覚悟を決めなくては、と思い、トリガーは大きく息を吐いた。
 そしてまた大きく息を吸い、少し溜息として漏らしてから、言葉にした。

「承知しました。王女殿下。小官のような、武骨者でも宜しければ、お手伝いしましょう」

 わっ、と華やかな笑みが少女たちにあふれた。
 彼女たちはきっと、彼が自分たちの輪に加わってくれると信じてはいたけれど、少し後ろめたかったのだ。
 だから、とても嬉しいのだ。

「さあさあ。それではさっそく作りましょう!材料は揃っていますから」
「基地の厨房をお借りする話は付けてますから」
「おいしいおかし、作りましょう!」

 手を引かれ、SPが背後から付いてくるのを見ながら、トリガーは基地の厨房へと歩いていく。
 そこで、疑問を口にした。

「何故、王宮でもシラージ公の邸宅でもなく、ここに?」
「ここが一番、私たちが自由にできますから。護衛さえ少しばかり増やせば、問題はありません」
「ここにあったものは、全て押収されてしまいましたし。ソル隊は優秀な方たちばかりですから、防衛は心配ないですから」
……自分をここに招いても?」
「ええ。私の護衛は自信家ばかりですから。というのは冗談です」
「信頼の証と、思っていただけませんか?」
……

 内心、どうしたものかと考え続けている。
 高貴な少女たちに囲まれ、一介の兵士でしかない自分一人がぽつんといる。
 ここで《何か》あれば、おそらく弁解の余地もなく処分されるだろう。
 今度こそ。

「お兄さん」
……はい」
「お名前は?」
「アルマ!」

 ぬいぐるみを抱きながら、無垢な笑みを浮かべる少女に、姉は窘めるような声で遮った。
 少女はぬいぐるみを抱きしめ、怯えた顔を見せる。
 トリガーは出遅れて、はっと気づいた後に首を振った。

「イオネラ嬢。怒らないでください」
「でも……不躾よ、アルマ」
……
「お気遣い、感謝します」

 謝意を述べ頭を下げると、トリガーはしゃがみ込んで、アルマと目線を合わせた。

「アルマ嬢。自分は、トリガーです」
「それは、お空でのお名前、でしょう?おじいさまがおっしゃっていたわ」
「はい。今はそれだけを、名乗らせてください」
「聞いちゃいけないの?」
「いいえ。教えてはいけないのです。今は。きっといつか、名乗れる時が来ます。そのときは
「教えてくださる?」
「はい。必ず」
「お約束してくださる?」
「はい」

 すると少女は、ほっと安心したように頬を緩ませる。
 そしてにっこりと笑って、握った手の小指だけをトリガーへ伸ばした。

「指切。してください」
……はい」

 小さく細い指にそっと添えるように絡ませて、小さく上下へ動かした。
 微笑みあう青年と少女に、SPすら感涙を滲ませた。
 しっかりを約束をしたトリガーは立ち上がり、微笑ましそうな顔をしている少女二人に先導されながら、厨房を目指したのだった。

「まずは、作るお菓子に合わせてチョコレートを分けていきますね」
「刻まなくても大丈夫なものを用意しておきました。ここから先は複数の工程を並行しますので」
「了解」
「トリガーさんはアルマの補助をお願いします。アルマ、きちんとお伝えしてね」
「はい!」
「あ、何か作りたいものがあれば、余ったチョコを使っていいですからね」
「余るですか?」
「いつも成功するとは限りませんので、材料は余裕をもって用意しました」

 真剣な表情で言われて、トリガーもつられて真面目な顔になった。
 このお菓子作りが真剣なものであることが、しっかり伝わったからである。
 失敗してもいいが、失敗したものは絶対に出せない。良い物ができるまで作り直す。
 美味しいものを食べてほしいという、彼女たちの真心であった。

「トリガーさん。ここ、おさえてください」
「はい」

 アルマの言葉に従って、トリガーはボウルをしっかり押さえた。
 アルマのほうはゴムベラを両手でしっかりと握って、チョコレートを混ぜている。
 イオネラとローザは、二人の作業を見守りながらも、自分の作業を進めていった。

「アルマ嬢は、何を作るのですか?」
「ガトーショコラです!」
「なるほど。この卵も材料?」
「はい!あとでメレンゲにします」
「ウィルコ」

 こくり、と頷いて、アルマが幼い手を一生懸命に動かすのを、遮らぬように手伝っていく。
 イオネラとローザは経験もあるのか手際が良く、会話を楽しむ余裕もあった。
 真剣な顔でアルマの助手に徹しているトリガーに、ローザが朗らかに声をかけた。

「トリガーさんのご家族は? ご健在ですか?」
「はい。破天荒な祖父母と、母と……熊のような父です」
 何かを含むような言い方であったが、特に気にせずイオネラは最後の言葉に反応した。
「熊?」
「2メートルの身長と100キロの体重では、熊だと思いますね」
「熊さんですね」
「大きな熊さんです」

 ローザとイオネラが二人とも納得したように頷く。
 トリガーは目元を緩ませ、父親のことは穏やかに話した。

「ですが、温和で優しい父です。反対に母と、その両親である祖父母は……

 何を思い出したのか、トリガーは呆れた表情で溜息を吐く。
 アルマは不思議そうな顔で見上げたが、すぐにチョコレートの湯煎を再開した。

「一言でいうと、嵐。です。特に祖父は傭兵をしていたので、今回の戦争に参加すると息巻いていたようで」
「しかし……トリガーさんの祖父となると、かなりのご高齢では」
「戦闘機には乗れなくても、戦車には乗れると言い張っています」
「まあ……
「無茶なことには変わらないので、さすがに祖母と父が止めたようです」
「お母様は?実の娘に当たる方なのでしょう?」
「実の娘なので、祖父に一定の理解を示し、自分が代わりに戦闘機に乗ると言ったそうです」
「代わりに?」
「祖父は元々戦闘機乗りでした。今も体を鍛えています。母は軍人でもなく傭兵でもないのですが技術は、あります」

 イオネラとローザ、アルマも茫然としている。
 信じられない事を聞かされているのだが、この青年がこんなにも流暢に嘘を吐けるとは思えない。
 そして、納得もしたのだ。
 彼の才能は、血筋によっても裏付けられていると。

「アルマ嬢。次は?」
「あ。メレンゲを、お願いします」
「了解」

 十分に溶けたチョコレートを脇に寄せて、トリガーは卵白を泡立て始める。
 鍛えた腕力で、黙々と卵白を泡立てる。
 アルマは目を輝かせてそれを眺め、感嘆の声を上げた。

「すごい!もうメレンゲになってる!」
「力だけは自信があります」

 きゃっきゃと笑うアルマに、かすかに笑みを浮かべる。
 イオネラもアルマも、もちろんローザも、彼の笑った顔を見たのは初めてだったので、少し嬉しくなった。
 その後も他愛のない話と、作業の分担などで、和やかに穏やかに時間は過ぎていった。




 ミハイ・ア・シラージは談話室にいた。
 高齢ながらがっしりとした体格は威厳に満ちて、かつての王としての説得力を持っている。
 彼は孫娘と王女に呼ばれ、部下と共にこの基地へと飛来していた。
 王女はソル隊を解散させはしなかった。
 王女は戦争に纏わるあらゆることも学ぶために、敢えて軍縮は最低限に留めた。
 戦争をしないために、戦争を学ぶのだと、真っ直ぐな目でミハイに言い切った。
 小娘と侮るは容易い。だが、空の王は王女の中に、確かな王の風格を見た。
 大地を守るのは、彼女が相応しい。
 髪もすっかり白くなった彼は、移り変わりゆく時代を見守るのを余儀なくされた。
 次世代のパイロットによって地に落とされた彼は、そのパイロットを憎まなかった。
 ただ、惜しんだ。
 彼が飛ぶ空を、もう飛べないことに。
 孫娘のイオネラは本日、どうやらそのパイロットも招待しているらしい。
 ミハイは、心が浮き立つのを感じていた。踊ると言ってもいい。
 この感情をどのように表現するのが適当か、理解はしている。
 だが、認めるのは難しかった。
 認めるには少し、年を重ねすぎた。

「キング。如何しましたか?」
「何も。穏やかな気分だよ」

 ほっとした顔の部下に安堵する。
 嘘は吐いていない。
 全てを明かしていないだけだ。
 言えるはずもない。
 戦闘機乗りとしてではなく、男として、人間として、一人の青年に執着しているなどと。
 ミハイの部下達は薄々感じてはいる。彼に、トリガーに、並々ならぬ想いを抱いていることに。
 だが王は黙して語らず、トリガーも敬意を払う以上の態度は見せないがゆえ、敢えて探りはしない。
 複雑な心中である。彼らが最も敬愛する王であるミハイを落としたパイロットはトリガーである。
 そのトリガーに対して憎悪がないはずもなく、しかしミハイはそんな感情は欠片も持ち合わせていない。
 ミハイがそうであるのに、部下である自分たちが怒りに我を忘れることができるはずもない。
 まして、トリガーは敵であること以外は、何も悪くないのだ。
 どこか浮世離れした雰囲気はあるものの、根は善良な、ただの青年。
 話せば自分たちと変わらない、一人の人間だ。
 敬愛する王と、王を落とした青年の交流を見守るしかできなかった。
 無言の時間がしばし流れた後、ドアをノックする音が聞こえた。
 その直後に、愛らしい少女の声。

「おじいさま?今よろしいですか?」
「イオネラか。入りなさい」
「はい」

 ほどなくして、ドアの向こうから美しい少女が三人、顔を出す。
 その後ろに、褐色の肌にくすんだ金髪の、背の高い青年も。
 4人は、大きなワゴンを2台押して入室してきた。

「本日はお呼び立てして申し訳ありません。日頃の感謝を込めて、皆さんにお茶とお菓子をご用意しました」
「味は保証します。この日の為に王室の料理番と特訓を重ねましたので」
「おちゃかいを、いたしましょう!」

 三人の少女の後ろで、トリガーは静かに佇んでいる。
 所在なさげにしているというよりは、少女たちを見守っているような風情だ。
 相変わらず影を帯びた表情だが、晴れた冬空のような目だけはしっかりを前を見ている。
 ミハイは、久しぶりに会えた彼の元気そうな姿に、安堵した。

「王女、君も作ったのかね?」
「ええ。もちろん。四人で作ったのですよ?」
……彼も?」
「ええ」
「それは楽しみだ」

 ミハイは心からの笑みを浮かべ、その言葉を聞いたトリガーは照れ臭そうに俯いた。
 お茶を入れていたイオネラが声を張る。

「さあ皆さんどうぞ。召し上がれ!」

 まずはミハイが手を伸ばす。
 小さく切り分けられたガトーショコラを、口に運ぶ。

「ふむ。美味い」
「ほんとう?おじいさま」
「嘘は吐かんよ。アルマ」

 微笑みながらアルマの頭を撫でるミハイに、部下たちも茶会に参加を始めた。
 それぞれが好きな菓子に手を伸ばし、お茶でのどを潤す。
 アルマは嬉しくなり、ミハイの膝に手を置いて勢い込んで話し始めた。

「よかった!わたしがつくったの!」
「そうか。上手だ」
「あらアルマ。お手伝いしていただいたの、忘れたの?」

 姉の悪戯っぽい笑顔に、アルマはバツが悪そうにトリガーを見た。
 トリガーは特に意に介さず、お茶を飲んで座っている。
 ほっとしたが、確かに彼の手伝いは大きかったので、ミハイに話し始める。

「わすれてないもん。あのね、トリガーさん、手伝ってくれたの」
「そうか。良かったな」
「あのね!とてもやさしい人なの!」
「ああ。そうだな」

 ミハイは、彼が善良で純朴な青年であることを知っている。
 普通の家庭とは言い難いが、愛されて育ったことは分かる。
 だからこそ、孫娘たちも彼を厭うことなく接しているのだろうと、ミハイは考えている。

「おじいさま」
「イオネラ」
「こちら、味を見ていただける?」
「これは?」
「生チョコです。どうぞ」

 料理上手なイオネラにしては、ずいぶんとシンプルな菓子だ、とミハイは不思議に思った。
 ワゴンからテーブルに移された菓子はケーキやマフィンやタルトなど、焼き菓子が多い。
 だが、これだけはシンプルに混ぜて冷やし固めるものだ。
 首を傾げつつも、差し出されたブロック状の生チョコを一つ、口に入れた。
 すぐにとろりと解けて、まろやかな舌触りと甘みが広がっていく。
 シンプルだが、味わい深いものだった。

「いかがですか?」
「ああ。美味しいよイオネラ」
「まあ!」

 ぱっと顔を輝かせたかと思えば、ミハイの横にそっと移動して耳打ちをした。
 悪戯っぽい、可愛らしい笑顔だ。

「そのチョコレート、トリガーさんが作ったのよ」
「ほう?」
「最初から最後まで、ご自分の手で作ってらしたわ」
「そうか」

 頷き、ミハイは皿の中のチョコレートを眺める。
 小さく、食べやすいように切り分けられ、可愛らしいフォークも添えられている。
 彼の、チョコレート色の手で作られたチョコレート。

「一つだけでも、おじいさまが召し上がってくれたら嬉しいと、おっしゃっていたわ」
……イオネラ」
「はい。おじいさま」
「これは全部食べていいのかね?」
はい!もちろん!」
 
 祖父の言葉に、イオネラは嬉しく思ってミハイの手に皿を渡した。
 ミハイとトリガーの交流は、きっと良いことだと、そう信じている。
 ミハイがトリガーのことを語るとき、とても穏やかな笑顔を浮かべるからだ。
 どんな飛び方をするのか、どんな戦い方をするのか、ミハイの言葉で語る。
 イオネラは全てを理解できなくとも、ミハイの想いは少し分かる気がした。
 ミハイは、トリガーのことがとても好きなのだと。イオネラは思っている。
 イオネラがトリガーを呼んだのも、簡単にはいかず、ローザの助けを借りたのも、ミハイの為だった。
 独り善がりの、余計なお世話だとしても、イオネラは祖父のために何かをしたいと強く強く思っている。
 トリガーのほうも、ミハイに対して悪い感情を持っていないことは分かる。
 仲良くなってくれたらいいと、純粋にそう思っているのだ。
 部下たちの談笑の輪の中に入っているイオネラの背中を見送って、ミハイは一つ、また一つとチョコレートを口に入れた。
 とろり、とろりと甘く蕩けるチョコレートに、ふと笑みが零れる。
 何とも甘美だと、愉悦を覚えた。
 気づくと皿の中のチョコレートは全て、ミハイの胃の中に納まってしまった。
 いつもなら既に満足するほどの量だったが、どうも物足りなさを感じていた。
 トリガーへ視線を向ける。
 彼は、控えめながら、部下たちとの対話を試みていた。
 口下手と自称する彼にとっては、勇気を振り絞ったことだろう。
 命の取り合いをした人間に取り囲まれながら、凛と背筋を伸ばして立っている。
 とても、美しい。
 ミハイは、無意識に口を開いていた。

「トリガー」
はい」

 低く、落ち着きのある声が返ってくる。
 呼ばれた彼は静かにミハイへと近づき、座っている彼へ目線を合わせるように跪いた。

「シラージ公」
「君のその言葉遣いは変わらないな」
……ご迷惑、でしょうか」
「少し、寂しいな」
……え?」

 ぼそりと呟かれた言葉は、トリガーの耳には届かなかったらしい。
 首を傾げ、耳をミハイのほうへと近づける仕草をした。
 ミハイは言い直すことはせず、別の話題に変えた。

「君も、茶菓子の用意に付き合ってくれたようだな。孫たちが、すまないな」
「いいえ。確かに驚きはしました。ですが……楽しかったです。とても」
「そうか」

 ミハイは視線を隣のテーブルに送る。空の皿が、そこにある。
 トリガーはそれが何の皿か気づいたらしい。軽く、目を見開いた。

「君が作ったそうだな。イオネラが教えてくれたよ」
「は、はい……その
「美味だった。物足りないと思うほどに」
「そ、れは……光栄、です」
「もう少しああ、ここに、まだあったな」
「え?」

 言葉の意図を探ろうとするトリガーを余所に、ミハイは無防備なトリガーの右手を取った。
 武骨な、少し傷跡が目立つ、褐色の肌。
 ミハイの目が細く眇められて、唇が鋭い弧を描く。
 ぞくり、とトリガーの背筋が震えた。
 ミハイはそのまま手を持ち上げ、唇を近づけた。
 トリガーの右手の薬指に一つ、口づけを落としたのだった。

「!!??」
「ふむ。これで、よいかな」
「な、なに、を」

 混乱するトリガーだが、ミハイは満足げに頷くばかりだ。
 声にならぬ悲鳴を上げ、説明を求めるように目で訴えても、ミハイは何も言わない。
 そのうち、くっくっと喉の奥で笑い出した。

「シラージ公?」
「いや、ふふっ、面白い。実に面白い顔をするものだ。いやはや、地上の君は実に素直だ」
「公、悪ふざけするなら、自分は怒りを表明します」
「違う。悪ふざけではないとも。トリガー」

 厳しい表情で立ち上がって見下ろすトリガーに、ミハイはやはり微笑んで見せた。
 握られたままだったトリガーの右手が、急に引き寄せられる。
 突然、予想外に強い力で引き寄せられたトリガーは、バランスを崩してミハイの膝に倒れこんだ。
 何を、と抗議する間もなく、頬に乾いた何かの感触がした。
 優しいそれは、ミハイの二度目の口づけだった。
 今度こそ、それを口づけだと認知したトリガーは、全身の熱が顔に集まるような心地がした。
 顔が燃えるように熱い。
 まさか、と思った。まさかミハイが、と。
 こんなこと、都合がよすぎるとも。

「おや。ビターチョコかと思ったら、ストロベリーだったかな」
「えっ、あのっ」
「顔が赤いぞ」
「こ、公のせいです!」
「おや、何故かな」
「何故って、な、な、うぅ……
「ふむ」

 ミハイは、トリガーが混乱してる隙に、逃げられぬよう腕に捕らえた。
 気づいた時にはもう遅い。
 トリガーは羞恥に染まる顔を隠すこともできず、空色の目を揺らすことしかできない。

 ──ちゅっ

 ミハイはわざとらしい音を立てながら、今度は額に口づけた。
 トリガーは混乱の極みだった。

「も、もう許してください……
「嫌かな?」
「ちが、います……
「怖いかね?」
……いいえ」
「驚かせ、混乱を招いてすまない。トリガー。だが私は、君を好ましく思うよ」
「公?」
「素直で真っ直ぐな君の目を、空ではなく私へと導きたいと思うほどには」
「そん、な」
……今日は、ここまでにしようか」

 とうとう目を潤ませてしまったトリガーに一抹の罪悪感を抱きながら、ミハイは宥めるようにトリガーの背中を撫でた。
 大きな手は温かく、トリガーは徐々に落ち着きを取り戻していった。
 そして、ミハイに問う。

「なぜ、こんなことを?」
「聞いていなかったのかね?」
「いえ……でも、自分は、貴方を」
「私は負けた。君は勝った。それだけだ」
……
「君を好ましく思う。トリガー。君の名を、呼びたいと思うほどに」

 トリガーは黙っている。
 自分とて、TACネームではない、自分の名を呼んで欲しいと思う。呼ばれたら、きっと嬉しいと。
 しかし彼は自ら名乗ったことはない。そこに、線を引いた。
 彼と自分の境界線を、そこに引いた。
 
「私は嘘は吐いていない」
「分かって、います」
「老いさらばえた老人が、と。可笑しいことだと、自分でも思うがね」
「いえ!公はそんな……魅力的な方です!」
「ほう?」
「あ、その」
「なるほど、独り相撲ではなかったか」
「揶揄わないでください……

 顔を覆って俯いてしまった彼の、くすんだ金髪を撫でる。
 さらりさらりと、髪を梳いては撫でるを繰り返していると、落ち着いたようで、指の隙間からちらりと青色がのぞいた。

「機嫌を直してくれたかな?」
……
「ミハイと、そう呼んでくれればもう意地の悪いことは言わん」
……本当、ですか?」
「嘘は吐かない」

 トリガーはそうっと顔から手を離して、それでも膝の上から退くことは許されていないことに羞恥は隠せなかった。
 心臓の上でぎゅっと両手を握り、何度も何度も息を吸って、吐いて、ようやく、声に出した。

……ミハイ」
「上出来だ。トリガー」

 ちゅっ。とまた頬に口付けをすると、今度はトリガーもはっきりと抵抗した。

「で、ですから!揶揄わないで下さいと!」
「本気なのだが」
「ミハイ!」
「おお。心地よいものだ」
うぅ~」
「はっはっは。さて、さて。私は気の長さだけは君には負けないぞ」

 笑うミハイに、今度こそ言い返す言葉が見つからずに、トリガーは俯いてしまう。
 ミハイはそれはそれは上機嫌に、膝の上の雛鳥を愛でていた。

 周囲にいたはずの王女や孫娘、部下たちが部屋を辞したことにも気づかないほどに。










「イオネラ。貴方のおじい様、情熱的ね」
「私もそう思ってたところよ、ローザ」

 少女たちとこれからどうしようかと相談しながら、ミハイの部下たちも複雑な胸中を隠し切れないのだった。