mikagami3
2018-12-26 00:02:07
11991文字
Public エスコン6 イリタリ
 

花数えの色を読む~逢瀬~

クリスマスにデートをするイリヤとタリズマン。個人的なイリヤ・パステルナーク像がふんだんに盛り込まれてます。モブとかちょいちょい出てくる。

花数えの色を読む~逢瀬~

「返事を貰えるとは、思ってなかったな」

男の独り言に、運転席の老執事は微笑んだ。

「今からお迎えにあがる方のことでございますか?坊ちゃま」
「彼の前でも”坊ちゃま”などと言ったら怒るからな?」

ミラーを睨みつけて凄んでみるが、幼少期から彼の世話をしている老執事はにこにこと笑みを深めるばかり。
男のほうでも大した効果がないことは分かっている。早々に諦めてシートに体を預けた。
もう一度、手の中の便箋に目を落とす。淡い水色を白い華と銀箔で彩った美しい紙。
送り主は快活な性格であることを知っているからか、その清楚な美しさは意外に映った。
白い華、雪割草の便箋には丁寧な言葉で──他人行儀で寂しさすら覚えるほどの言葉で──今回の招待を嬉しく思うことと、有難く受けることが書かれていた。
最後に『気の利いた文章でなくて申し訳ないが、貴官と一年ぶりに会えることを楽しみしています。』とあった。
それだけで、彼は──イリヤ・パステルナークは十分だった。
イリヤが今回手紙を出した相手は、かつての宿敵でありながら、どうしようもなく恋焦がれている男。
《タリズマン》……エドワード・キングス。
国のため、大切な誰かの為にと飛び続けて、ついには自分自身を地へと墜とした、銀色の天使。
その天使に恋に落ち、撃墜されても尚その美しさに心奪われた。
だが、如何に絆を深めようとしても、滅多に会うこともできない。
たまに会うことができても、お互いの立場から、政治的な思惑を絡ませながら会うことが殆どであった。
想いを告げにわざわざ基地へ乗り込んだ時ですら、政府からの要請を利用してのものだった。
ようやく、国も政治も関係のない逢瀬を楽しむことができる。
イリヤは微笑みながら、丁寧に手紙を懐へしまうと窓の外へ目をやった。
目的の空港に、旅客機が着陸しようと体勢を整えている。
その機体に、銀色の天使は乗っているはず。
逸る気持ちを抑えながら、どんな顔をするだろうかと想像しながら瞑目した。



……えぇ~」

空港ロビーに着いたとたん、エドワードは思わず物陰に隠れた。
小柄な体とスーツケースを柱の後ろへ滑り込ませながら、そっと中央を窺う。
そこには煌びやかなクリスマスツリーが飾られており、行き交う人も足を止めて眺めるほど見事だった。
だが、エドワードはツリーを楽しむ気持ちになれなかった。
ツリーが視界に入らぬように柱を背にして、大きく深呼吸した。
げんなりと眉を下げて、頭を掻き毟る。

「俺、あんな男前と一緒に街中歩かなきゃならねえのかよ

周囲にもクリスマスにちなんだ飾りがあちこちに飾られている。
ツリーの足元もオーナメントやオブジェが置かれており、一層クリスマスという季節を強調している。
そのすぐ傍に、悠然と佇む伊達男がいる。
ぱっと見てハイブランドと分かる黒いコートを腕にかけ、寸分の隙もないダークグレーのスーツを着ている。
エドワードの待ち合わせ相手の、イリヤ・パステルナークである。
整えられた黒髪に、凛々しい眉と涼しげな目元。遠目にも分かる長身。均整の取れた筋肉はスーツの上からでも分かる。
最後に会った時から変わらない男前だ。女性ファンが多いというのも頷ける。
ますますげんなりとして、エドワードは溜息を吐いた。
彼のことが嫌いなわけではない。戸惑いはすれど、好意を持たれているのも嫌ではなかった。
だが、自分の隣に彼が立つ姿を想像すると、あまり心が浮き立たないのも事実だ。
あまりにも、目立つ。
現に今も目立っている。あんなにもキラキラと飾られたツリーの足元にいるというのに、それでも目立っている。
女性は思わず立ち止まって頬を赤らめながら見つめ、男性ですらつい目をやってしまうほどに。
いい意味で目立っていると思うが、そこに自分が加わっては悪目立ちに早変わりだ、とエドワードは肩を落とした。
イリヤは腕時計を確認しながら、携帯電話を手に取って、また仕舞った。
もう少し待つつもりらしい。
それをちらり見て、エドワードはスーツケースに腰かけて項垂れる。
クリスマス休暇で賑わう空港の人々はみな浮足立っている。それぞれ楽しい休暇を夢見ているのだろう。
そんな中でスーツケースに腰かけて項垂れるエドワードは、ぽつんと孤独に見えた。
すると、肩を叩かれた。
力なく頭を上げると、見知らぬ青年が心配そうに顔を覗き込んできていた。

「大丈夫?どこか具合でも?」
「あ、いえ。大丈夫です。ありがとうございます」
「そう?もし腹痛とかあれば薬も持ってるけど……
「全くありません。重ねてありがとうございます。ただ……その、緊張してきまして」
「緊張?」

親切な青年に嘘を言うのは良心が痛んだが、当たり障りなく現状の一端を伝えるならコレが正解だと思った。
スーツケースに腰かけたまま、上体を起こして青年を見上げた。
穏やかな顔をした、優し気な青年だ。

「久しぶりに会う知人と待ち合わせをしましてね、どんな顔をすればいいかと……
「なんだ。それなら、笑顔で挨拶をすればいいんじゃない?」
……あそこにいる男なんですよ」

すっ、と指を差す。青年は素直に示された方向へ顔を向け、ああ、と呟いた。

「少し、気持ちが分かったかも」
「でしょう?それで少し憂鬱な気分になって……でも、君に声をかけてもらって少し落ち着いたようです。
 これ以上待たせるわけにもいきませんし、会いに行きます」
「それがいいよ。きっと相手も喜ぶよ」
「見ず知らずの私に親切にしてくれてありがとう。良いクリスマスを」
「君もね」

スーツケースから降りて、軽く伸びをしてから取っ手を掴む。
青年へと笑顔で軽く手を振ってから、エドワードは意を決して歩いて行った。
その背中を見送って、ふと青年は思った。

(綺麗な男の子だったなー。あんな子でもかっこいい親戚のおじさんに会うのは緊張するんだ?)

大きな誤解を抱いたまま、青年もまたクリスマスを過ごすべく彼らに背を向けたのだった。
そしてエドワードは歩く間に大きく深呼吸をして、笑顔を浮かべた。作り笑いにならぬよう懸命に。
イリヤがエドワードに気づく。
途端、顔が綻んだ。大抵の女性は落ちるであろう甘い笑みだ。
心から溢れた感情がそのまま表情に浮かんでいる。

(うっわ……眩しい……

思わず、目を細めたエドワードであった。
イリヤはそれを、笑みを深めたと解釈したらしい。
嬉しさを隠せずに足早にエドワードへと歩み寄ると、大きく腕を広げた。

「エドワード!会えて嬉しいよ」
「お招きいただきありがとうございます。少佐」

声が弾むイリヤとは対照的に、エドワードは落ち着いた口調で静かに敬礼をした。
すぐさま答礼で応えた。お互い手を降ろすとイリヤが先に口を開く。

「そんな堅苦しい挨拶は無用だ。エドワード、今回は本当の意味でのプライベートなのだから。
 まして、招待したのは俺のほうだ。楽にしてくれ」
「確かにそうですが……何処で誰が見ていないとも限りませんし」
「一理ある。先ほどから俺も視線を感じていてな……
「それは、たぶん……違う意味だと思いますが」

本気で言っているのか冗談なのか分からず、エドワードは曖昧な笑みで言葉を濁した。
その隙に、イリヤはエドワードの手を取って、甲にキスをした。
一瞬のことで反応が出来ず、茫然と見つめていると、イリヤは揶揄う様にウィンクをして見せた。

「な、何してんですかあんた!」
「ははは!驚いた顔も愛らしいねエドワード」
「そういうことでなく!」

ざわ……ざわざわ……

クリスマスの賑わいとは別のざわつきが広がっていく。
曰く、長身の伊達男と美少女のロマンスと。

「何て愛らしいカップルかしら……
「女の子のほうも背伸びしてスーツ着てるのが尊い……
「!???」

エドワードは自分が女顔であることは重々承知していたが、それでも性別を間違われることはさほど無い。
喋れば低い声が出るし、性格も体つきも男性としておかしくないものだ。
だが、一言二言では地声もさほど効果がないようだ。

「くそっ……コートを着てたのが仇になったか
「似合ってるよ、そのダッフルコート」
「うるさいですよ!」

必死になって怒ってみるものの、全く動じていない。
エドワードよりずっと背の高いイリヤから見ると、上目遣いにこちらを見上げているようにしか見えないのだ。
急いで口元を手で隠した。にやけてしまうのを止められなかったからだ。

(俺の天使が今日も天使)
「少佐?」

エドワードが声をかけると、緩んでいた頬をきりっと引き締めて向き直る。
胸に手を当てて、腰をやや屈める。それは実に紳士的な仕草だった。
微笑みながら甘い声で言葉を紡いだ。

「できればイリヤ、と。こんな場所で階級で呼び合うのは、余計に悪目立ちすると思うけどね?」
「し、しかし……!」
「エドワード」

じっ、と彼は美しいサファイアの瞳を見つめた。
二人の会話をハラハラと見つめている聴衆は意に介さず、真摯な表情で彼の手を取った。
囁き声が届くほどに顔を近づけて、イリヤは懇願するように両手を包み込み、言葉を続けた。

「俺は、エストバキア軍人としてではなく、個人として関係を作りたい」
「少佐
「イリヤ・パステルナーク個人として、エドワード・キングスと親しくなりたい」
……
「そう願うのは、罪だろうか?」

覗き込んでくる灰色の目は、嘘をついているようには見えなかった。
タリズマンは無意識に唾液を飲み込み、強い感情に圧倒されていくのを自覚した。
だが、彼は鍛えられた自制力でもって踏み止まった。
エメリアのエースとして、ここで負けてはいけないのだと、彼は口を開いた。

願いは、願うことは罪じゃない。それだけは」
「では」
「イリヤ・パステルナーク」
「っ!」
「今日は、よろしく頼む」

にんまりと不敵に笑うエドワードに対して、表情を明るくしたイリヤは勢いをつけて抱きしめた。
あまりにも強く抱きしめられてしまったので、エドワードは息が詰まる。

「グッ!? おっ、まえ!調子に乗んな!」
「ああ、そのちょっと乱暴な言葉遣いが新鮮だ」
「おおう」

予想外の反応に、腰が引け気味になったエドワードだが、イリヤのおかげで切り替えることができた。
年齢はほとんど一緒で、今となっては階級も同じ二人である。
イリヤが国の垣根を超えようとするのなら、エドワードだけ拘るのも滑稽というものだ。
戦争は、終わったのだから。
軍人が祖国に拘って戦う段階はとっくに過ぎた。
そんな今なら、多少は赦されるだろう。
自分などよりずっとずっと逞しい腕に抱きしめられながら、そんなことを思う。
どれだけ抱きしめられていただろうか。エドワードはイリヤの腕から解放された。
同時に息苦しさからも解放されて、エドワードは深呼吸をした。
その間にイリヤはエドワードのスーツケースを自分の足元に寄せていた。
息が整ったエドワードに手を差し出す。

「さあ、行こうか。車を待たせているんだ」
「あ、ああ。分かった」

自然に手を引かれて、気づけば連れ立って歩いていた。
駐車場に近い出口へと向かう二人の背中を、見守っていた聴衆が見送った。
どうやら円満に事は済んだらしいと、胸を撫で下ろしながら。
そうして、イリヤが「待たせている」と言った車はエドワードの予想の斜め上だった。

「リムジン???」
「ああ。家の車だ。爺。荷物を頼む」
「はい。坊ちゃま」
「爺!??坊ちゃま!!!!???」

ごくごく一般的な中流家庭で育ったエドワードは、自然に漂う高級な空気にショックを隠し切れなかった。
乗り込むイリヤを見ながらぼんやりと立ち尽くしていると、爺と呼ばれた老執事が声をかけた。

「キングス様。如何なさいましたか?」
「ふぁ!?あ、いえ、その、驚いてしまって」
「左様でございますか。お荷物はトランクへと仕舞いました。よろしければコートもお預かりしますが?」
「いえ、お気遣いなく……
「気遣いなどとんでもございません。わたくしの職務でございます」
「エドワード。早くおいで」
「あ、ああ、うん」

先に乗り込んでいたイリヤに促されて、躓きながらエドワードは車内に乗り込む。
そこで待っていたのも、あまりにもハイレベルな内装だった。

「うわ、ふっかふかぁ……
「ネコ●スに乗った時みたいな感想だね」
「いや、だって、ふっかふかだから……
「リムジンに乗るのが初めてでもないだろうに
「初めてじゃなくても機会はめっちゃ少ないからな!?自家用車で持ってる人と同じに考えるな!」
「うん?君の家だって血筋は古いだろう?」
「え?それどこ情報?」
「おかしいなー?」

身に覚えのないことを聞かれながら、ふらふらとコートを脱ぐ。
暖房が程よく効いていて、コートを着ていると逆に暑い。
しかし体から離すのは心もとなく、脱いだコートを丸めて胸に抱きしめた。
ぬいぐるみのようにコートを抱きしめる様は、イリヤの庇護欲を掻き立てた。
胸中は全く穏やかではないが、表情は努めてにこやかを保った。
カルチャーショックに頭を殴られながら聞かれたことを反芻していると、ふと思いついた。
すでに亡くなっている祖母のことだ。

「もしかして、ばあちゃんかな?」
「ばあちゃん?君の?」
「むかーし昔聞いたことがあるんだけど、祖母はいい所のお嬢様だったらしい。詳しいことは分かんないけど。
 祖父とは駆け落ちしたとかなんとか」
「へえ!行動的な祖母君だね」

前のめりになってイリヤが興味深げに相槌を打つが、エドワードはそれ以上のことは語れなかった。
祖母は、実家の話をする時は決まって古びたブローチを撫でながら、悲し気な笑みを浮かべていた。
祖母を悲しませるのは忍びなく、幼心に詳しい話を聞くのは躊躇ったのだ。

「そのせいで、祖母は実家から絶縁されたとか言ってたっけな。だからあんまり関係ない。
 うちはごくごく普通の、ふつーーーーーの家庭だから。兄はサラリーマンだし」
「ふぅん?」
「ですが、キングス様の母方の御親戚には、凄腕のパイロットが多いと聞いておりますが」
「ええ?!だ、誰からですか!?初耳ですけど!」

運転席の老執事が、ふっと会話に加わった。
エドワードにとっては寝耳に水の話であったが。
怯えたように聞き返すエドワードに、事も無げに老執事は答えた。

「当家の手の者が」
「なにそれエージェントですか??」
「確かな筋の情報でございますから、ご帰宅なされたらお尋ねになるとよろしいかと」
「は、はい

老執事からもたらされた、己の親類の意外な情報にまたしても強くコートを抱きしめたエドワードだった。
確かに、エドワードの母親は、自分の親兄弟について何も語らない人だった。
思い返せばエドワードが戦闘機パイロットになると言ったとき、彼の母親は一瞬唇を噛んだ気がしたのだ。
母親は、あまり実家が好きではないのかもしれない、とエドワードは当時の母親の顔を思い出しながら思った。

(俺の親戚、もしかしてヤバイ人達なのでは……

怯えるエドワードを、イリヤは小動物を愛でるかのようにニコニコと眺めていた。
そのまま車は街中へ進んでいく。
運転は安全運転だが滑らかで、道路の波を塞ぐこともなくスムーズだ。

「ところでどこに向かってるんだ?」
「テーラーだよ」
テーラー?」

自分に縁遠い言葉だったために、思わず聞き返してしまった。
意味を理解するのにも数秒時間がかかる。

「服?ってこと?」
「ああ。懇意にしている店が良い生地が手に入ったと連絡をくれてね。一着仕立ててもらおうかと」
「へぇ」
「君の分も作るんだよ?」
「意味が分かんない」
「いや、君に着て貰うためのスーツを仕立てようって」
「何で?」
「な、何で??」

イリヤとエドワード、同時に首を傾げる。
お互いに【言葉は分かるが意味が分からない】状態になってしまった。
先に、もう一度疑問を口にしたのはエドワードだった。

「何で俺の分も作るの?」
「俺がそうしたいからだよ?」
「何で?」
「君が好きだから」
「はぁ??」

そこで思わず、と嘴を挟んだのは先ほどからハラハラと見守っていた老執事だった。
僭越ながら、と前置きしてイリヤへと鋭い視線を送る。

「坊ちゃま。まさかとは思いますがキングス様の御心を無視しての此度の所業でございますか?」
「あ!いやいやいや!違うんですよ執事さん!告白はされてます!一応!ただ返事を保留してて!ええ!
 彼は悪くないんですよ俺が!俺が悪いんです!」

謎の迫力を増した老執事に必死に弁解する。両手も首も振り回して訴えれば、老執事は何とか信じたようだ。
冷や汗を拭いつつ、エドワードは息を吐いた。
これ以上誤解が広がるのも悪いので、エドワードは自分が此処まで戸惑う理由を話し出した。

「恥ずかしながら、学生時代を最後に恋人はいないので服を贈られるというのに面食らってしまって。
 しかも生地から仕立てるというのはもう、想像の範囲外というか……
「そうでしたか。ご安心ください。費用は全て坊ちゃまのポケットマネーでございますので」
「はぁ……イリヤ、アンタはそれでいいのか?」
「俺がしたくてしてることだ。今日は君に、考え付く限りの贈り物をさせてもらうよ」
「ええ……
「先は長うございますね。坊ちゃま」
「黙っていろ」

思わずシートの上で後ずさると、老執事がクックッと笑いだす。
それを聞いてイリヤは一瞬不機嫌になるが、すぐに笑顔をエドワードへ向けた。

「仕立てると言ってもね、すぐにはできないさ。今日は採寸をさせてもらえればそれでいい」
「ああ、そっか……。既製品と違うもんな」
「そう。丁寧な仕事をする職人ばかりだから、安心していい」
(そういうことじゃねえんだけどな……

現代社会の一般庶民であるエドワードは、制服以外はほぼファストファッションだ。
安くて丈夫で楽であれば何でもいいのである。
生地の良し悪しなどさっぱり分からないが、目の前の男のセンスが良いのは流石に分かる。
なるようになるか、と車窓の外を流れる景色を見ながら半分諦めたのだった。






「どうだった?エドワード」
………恥ずかしかった」

初めてのオーダーメイドを仕立てるための採寸に、エドワードは困惑しきりだった。
まさかあんなにも無防備な姿を晒す羽目になるとは思っていなかったのだ。
その感想が、消え入りそうな「恥ずかしい」だった。
目の前で項垂れる小柄な天使に笑みを零しながら、ワイングラスを傾ける。

「初めてだったし緊張もしただろう?さ、遠慮しないで食べてくれ」
……いや、あの」

目の前で焼かれる塊肉に、流石の食いしん坊も尻込みした。
明らかに普段食べている肉の10倍の値段はしそうな肉である。
それが目の前で香ばしい匂いをさせている。
豪奢な装飾がされている足つき金属プレートの下では赤い炎が揺らめいている。鉄板に見えないが用途から考えると鉄板以外にあり得ない。
シェフが先ほどから付きっ切りで焼き加減を見ているし、ついには赤ワインが投入されてフランベのパフォーマンスまでやってくれた。
食欲はあるが食べたくないといった心地だ。
一人で5人前は食べるエドワードが、カトラリーに手を付けられずにいた。

「無理」
「大丈夫だから。美味しいよ?」
「味の心配は全くしてない。信頼してる。香りの段階でとても美味しそう」
「恐れ入ります」
「こちらこそ」

頭を下げたシェフに対して反射的にエドワードも頭を下げ、ついでにと周囲を見回す。
広く豪奢な内装のレストランには、彼らしかいない。

「貸し切りはやりすぎじゃない?」
「人目を気にするかと思って」
「あ、うん。その通りだけど……こんなかきいれ時にお店に無理を言うのは気が引けるというか」

まだキョロキョロとあたりを見回すエドワードに、ステーキを切り分けたシェフがそっと耳打ちした。

「キングス様。恐れながら申し上げますが」
「はい。なんですか?」
「当店はパステルナーク様の持ち物でして」
「え」
「オーナーの意向に添うのは当然でございます」
「え。オーナーとはいえそんな我儘
「おかげさまで、日頃から懇意にしてくださるお客様も多いものですから、多少の無理は利きます」
「オーゥ……

言葉を失ったエドワードに追い打ちをかけるように、シェフは神妙な面持ちで続けた。

「ちなみに、ですが。パステルナーク様がハイスクールの頃に当店は営業を始めまして」
「ふぁ!?あ、すみません!」
「いえ、驚くのも無理はございません。私も支配人から聞かされた時は言葉を失ったものです」
「その時から、その、彼の……?」
「ああ。俺の店だよ」
……脳みそぐらぐらする」

むろん比喩表現だが、頭痛を誘発する出来事が多いのも確かだ。
スケールが大きすぎる。
エドワードの苦悩を無視して、ステーキは芳しい香りで鼻を擽った。
ワイングラスには赤ワインが並々と注がれていく。

「飲みやすい赤だよ。今年の出来はいい」
「あ、そう……

ひとまずワインは置いておいて、一口含んだ。
じゅわっと溢れる肉汁とソースの香ばしい香りと塩気が口の中で見事なハーモニーを奏でていく。

「うっわぁ……美味しい!」
「ああ、よかった。やっと笑ってくれた」
「いやほんと、これ美味しい!飲める!飲みもの!」
「よく噛んでくれよ?」

持ち前の食欲をすっかり取り戻したエドワードは、切り分けられた傍から胃袋に収めていく。
見事な食べっぷりを見せるエドワードに、シェフはにこにこと料理を進めていく。
もぐもぐもぐもぐ……
夢中で食べるエドワード見ていると、イリヤは心が満たされていく心地だった。
少年のように無邪気に頬張る姿がとても愛らしい。
メインディッシュもすっかり平らげて、サラダもデザートもあっという間に消えていった。

「健啖家だな、エドワード」
「ああ。良く言われる。空の上でも揶揄われる始末だ」
「へえ?」
「空中給油が得意なほうなんだけど、それを食いしん坊だって言われたよ」

笑いながらコーヒーを飲む。
料理もさることながら、コーヒーも実に美味だった。
普段インスタントばかりのエドワードですら、その違いが分かるほどだ。

「だが、食べることが好きなようだね」
「分かるか?」
「ああ。君の表情がずっと笑顔だ。ニコニコとして、とても愛らしい」
「ぐっ……愛らしいとか、そういうの言うか?」
「言うとも。心からの気持ちだからね」
「うー……

ぐっと飲み干して、カップを置く。
奇しくも二人同時だった。

「さて、次の場所へ行こうか」
「次?」
「ああ。とっておきだ」





「はぇー……
「気に入ってくれたかな?」

広い窓。
一面の夜景。
一対のグラス。
キンキンに冷えたシャンパン。
キングサイズのベッド。
マンションかと思うほどの広さの部屋。

「これが噂に聞くスイートルーム!!!」
「エメリア軍はそんなに渋いのかい?」
「いや、用事ないし……
「休暇のときとか」
「ビジネスホテルで十分だよ

あーだこーだと言い合いながら、夜景を見ようと窓辺へ近寄る。
暗い夜闇の中の光は、澄んだ冬の空気のおかげで冷たくも美しく煌めいた。
夜景を眺められるように革張りのソファが置かれ、中央のテーブルにはつい今しがた準備されたであろうシャンパンが置いてある。
グラスは一対。

「すげえ!カップルみたい!」
……エドワード、一応、俺はカップルのつもりだったんだけど……
「えっ、あっ、ちがっ、ごめん!」
「いや、いいんだ。俺の力不足だ……まだ君を振り向かせられないのだから」
「ごめんて!」

首を振って嘆いているイリヤに、大慌てで弁解するエドワードだった。
何とか気を紛らわせようと、シャンパンのボトルを掴んで目の前に置いた。

「ほ、ほら!せっかくあるんだし乾杯しようぜ!」
……エドワード、誤魔化しきれないからね?」
「ぐっ」
「でもまぁ乗ってあげるよ。飲みたいしね」
「男前だなぁお前」
「惚れてくれた?」
「まだかな」
「正直だね」

言いながら、慣れた手つきで栓に指をかけた。
ぽんっ。
小気味よい音を立てながら、シャンパンの栓は危なげなく開いた。
黄金色の美酒をグラスに注ぎ、イリヤは目の高さまで掲げてエドワードを見つめる。

「君の瞳に、乾杯」
「わ。本物だ」

思わず口に出るほど、その仕草は堂に入っていてかつ自然だ。
これまで何度こんなことをしてきたのだろうかと考えながら口をつける。
とりあえず、美味い。

「これで何人の女を落としてきたんだ?」
「それを聞くのは野暮というものだよ」
「ええ~?」
「何だい?焼きもちかい?」
「いや、純然たる興味」
「そこは嘘でも嫉妬だと言ってほしかった……
「同じ男として気になるじゃんか」

困ったように笑いながら、イリヤが一杯目を飲み干した。
エドワードは少しずつ唇を湿らせながら、なるべく【どうでもいいこと】を話そうとした。
彼なりに、距離を縮めようとしている。
想いを受け取るのも、捨てるのも、簡単ではない。彼は自由の身ではないからだ。
だからせめて、知りたかった。
どんな些細なことでも。
イリヤは再びグラスに注ぎ、傾けながら微笑んだ。

「心配しなくても、今は君一筋だよ」
「トーシャが、お前は女性ファンが多いって言ってたぞ。一人くらい食ったんじゃないのか?」
トーシャめ、あとで覚えていろ……
「忠告してくれたんだよ。お前は本気を出すと怖いからって。良い部下じゃないか」
「ずいぶんとトーシャと仲が良いんだな?」
「彼は、お前が託した未来を真っ直ぐに受け取った、唯一の人だからな」

はっとして、イリヤはタリズマンを見た。
サファイアのように青い瞳が、遠くを見るように深い色をして、グラスに揺らぐ酒を見つめている。
何か神聖なものを見るようで、イリヤは言葉を発せなくなる。

「戦争だから仕方ないけれど……人が、死に過ぎた。そんな中で生きる道を選んでくれた彼を、大切にしたいと思ったんだ。
 内緒で結婚祝いを贈らせてもらった時から、付き合いがあるよ」
「君が、そんなことを……
「トーシャは強い子だ。その伴侶であるルドミラもとても強い女性だ。きっと、この先も歩んでいける」
……俺も、そう思うよ」
「彼らがその道を選び取ったのは、お前がいたからだ。イリヤ」
……エドワード」
「お前が俺の前に立ち塞がったから、トーシャは今も生きている。未来は、繋がっている」
「ああ」
「お前のことを知ったのも、トーシャがいたからだ。だから感謝こそすれ恨むのはお門違いだぞ?」
「何だって?」

きょとん、と目を丸くするイリヤに、エドワードは悪戯っぽく笑った。
冗談めかして、彼の胸に指を突き付ける。

「最後にガルーダに立ち塞がったエースパイロットを知ってほしいと、わざわざ話をしに来てくれたんだ。
 良い部下じゃないか。なあ?」
……そう、だな。それで君は、俺と面会を?」
「取り次いでもらえるとは思わなかったけどな。不思議な縁だな」
……その縁、もっと深めたいと思うのだが?」

そっと、エドワードがテーブルに置いた右手に触れる。
そのまま両手で握り締めて、軽く唇で触れた。
ああ、格好いいな、とぼんやりと思った。
右手だけはされるままにしてやり、左手はひらひらと空を払った。

「その期待に応えるには、もう少し対話が必要だと俺は思うね」
「その対話はベッドの上で、というのはどうだろうか?」
「性急に過ぎる。却下」
「身持ちが固いね」
「ぶっちゃけ、セックスの仕方忘れたわ」
「そうか、ならば……

エドワードの右手をぱっと離して、その両手はそのまま頬へと触れた。
滑らかな白い頬をひと撫でして、添える。

「俺に任せてくれ」
「いや、だから」
「優しくする」
「そりゃ有難いけど、そういう問題じゃなくてな」
「君は横になってくれていれば、それでいい」
「いやいやいや」

ぐいぐいと詰め寄ってくるイリヤに、エドワードは気圧され始めていた。
熱っぽい瞳に見つめられ、背筋がゾクゾクする。
甘い囁きが鼓膜を犯していく。

「エドワード」
「な、なに?」
「君が、好きだ」
「それは……
「愛しい。すべてが。心も体も」
「でも、俺は……
「心が手に入らないなら、せめて体は繋がりたい。君を傷つけはしない。約束する」
「いや、それは……んぅっ」

熱いキスが唇を溶かす。
何度も、何度も、深くて甘いキスが唇も舌も蕩かせる。
その間にイリヤの両腕は強くエドワードを抱きしめて、体を密着させていた。
大きな手が、背中を撫でる。その度にエドワードはゾクゾクと震えた。
キスだけで、感じさせられていた。

「ふ、ぁ……
「エドワード。愛しい人。どうか、このまま……

熱い口付けに浮かされて、蕩かされて、エドワードはベッドに沈んだ。