mikagami3
2017-10-21 23:23:30
12738文字
Public エスコンZERO マーセナリー(♀)
 

仄暗い夢の底から

ACECOMBAT ZERO二次創作SS
マーセナリーサイファーのダイアナ(女性)が、同じ基地で働いてる女性二人(創作)と街をぶらつく話。
百合っぽい話を書いてみたくて……百合って難しいな。
特にカップリングとかはないですが、何となく片思いしてるような描写はあります。
オチはない。

『仄暗い夢の底から』


 雨の匂いがする。
 雨に濡れたアスファルトの匂い。
 立ち上る煙の臭い。
 苦い匂い。

 血の匂いがする。
 雨の苦い匂いと混ざって、さらに苦味が増した血の匂い。

 体が痛い。
 この血の匂いは、自分の血であるらしい。
 どこが痛いのだろう……ああ、全身が痛い。一番痛いのは腹部だ。とても、痛い。
 じゃあ、この足元の血の海は……今なお広がり続けるこの海は……


「夢、か」

 ぼんやりとした目を薄く開けて、彼女が呼吸する。
 その頃には、すでに夢は遠くへ去っていった。その軽やかさは「また会おう」とでもいうような風情で、何とも言えない怠さが頭に残っていた。
 あまり好きではない夢だった。匂いも鮮明に思い出せるほどの夢。

 すっかり体が慣れたベッドに、いつもの天井。
 目覚めの為に深呼吸すれば、先ほどの夢に似た匂いが肺に満ちる。

「雨……さっきの夢、これのせい?」

 さらさらと雨の音がする。窓を見やれば、真っ直ぐに落ちる雨粒が見えた。風は無いようだ。
 雨の匂い。水の匂い。しかし、それらはどちらかといえば甘く感じられた。

「匂いも、気の持ちようなのかしらね」

 くあ。と欠伸をして上体を起こす。
 しかしベッドから抜け出す気は起きず、体にかけていた毛布を巻き込みながら蹲る。
 小さく小さく。ダンゴムシのように丸まって、毛布でテントを作りながら雨の音を聞く。
 ふと、下腹部に手を当てる。
 覗き込むように更に体を曲げて、小さく小さく囁いた。

「あなたは、確かに此処にいた。覚えているわ。大丈夫」

 あの夢は、彼女にとって忘れることができない記憶を、殊更掘り返した。
 夢の全てが、あの日の光景ではない。
 あの日は雨が降っていたわけではないし、血の海ではなく瓦礫の山の上に、あの時の彼女は立っていた。
 腹部の傷も、本当はあった。致命傷とも言われた大きな傷が。夢の中では何もなかった。
 しかし、あの場所は。あの場所だけは間違えようがない。強烈に覚えている場所だった。
 忘れてはいけない。殺したことも。殺した相手も。絶対に忘れないようにと努めて、務めてきた。
 自分が傭兵として生きるのなら、忘れたくない。と彼女が自分で決めたのだ。
 全ての過去があって、現在の彼女が在る。

 雨の音は、途切れることなく続いている。
 
 今日は一日中雨だっただろうか?などと考えるが、前日に天気予報を見た覚えがないので答えは出なかった。
 どちらにしろ、今日の彼女は仕事も無く、予定も無い。連戦続きだからと基地司令が急に休暇を言い渡したのだった。
 断る理由も無いので、有難く体を休めることにしたのだった。

(面倒だし、このまま寝ようかな……

 緩やかに瞼が降りていき、もう一度暗い闇の中に入った瞬間、無作法な異音が鳴った。


──ドンドンドンドンッ

「ダイアナ! 朝よー!! 起きてーーー!!!」
………うるさっ……

 甲高い声が真っ直ぐに耳を走り抜けていった。
 彼女の機嫌が徐々に下り坂になっていく。そのままでいれば、丸かった機嫌は転がり落ちて、たちまち棘を作るだろう。
 まだ平静を保てるという確信の段階で、彼女は毛布から顔を出した。普段の機敏な動きからかけ離れた、のそりと緩慢な動きだ。
 ベッドの足元に置いたブーツに無造作に足を突っ込み、足音に気を遣うでもなくゴトゴトと鳴らしながらドアへと向かう。
 大きな欠伸をしながら鍵を外し、ドアノブに手をかけた。

「おはよう・・・うるさいわよ、ステラ」
「おはよー!!ダイアナ、早く早く!支度して!」
「何生き急いでるのよ・・・」
「もー!またそんなゆるゆるのTシャツ着て!もっと素材を生かしていこう!?」

 耳に刺さる声に、眉が思わず吊り上がる。
 まして、寝心地の良さで選んだ服をけなされると、多少苛立ちもする。

「・・・人の寝間着に文句を言うだけなら、寝ていい?」
「だめ!起きて!お願い!」
「雨だし、することないし・・・ふぁ」
「やぁー!! お願い!起きてぇ!」

 欠伸をする彼女──ダイアナに縋りついて泣き真似をして見せる女性は、このヴァレー基地の職員の一人だ。
 普段は事務方を担当する彼女は、何故かダイアナに大変懐いており、事あるごとに部屋に訪問したり食事に誘ったりしていた。
 ダイアナにしてみれば、ステラという女性は若さゆえか「元気が良すぎる」ので、時折疲れることもある。
 全く悪意のない言動なので、そういう点では好ましいと言える。ほどほどであれば。
 この若さで、こんな戦争に巻き込まれて、不運な子だとダイアナは思う。

「それで、何か用? こんな朝早くから」
「もう7時だけど」
「世間的には早朝でしょ。さっさと要件を言わないとアンタを締め落としてから二度寝するわ」
「待って! 言う! あの・・・買い物に付き合って欲しいの」
「おやすみ」
「待って!!」
「アンタの買い物長いから嫌。付き合いきれない。面倒。以上」

 冷たく言い放ってドアを閉めようとするが、ステラはドアノブとドアそのものを掴んでそれを阻む。
 あまりにも必死な形相でいるため、ダイアナは目だけ覗かせてステラを睨んだ。
だが、それ以上開かせぬよう力を込めた。完全に閉め出すこともできたが、また無粋なノックを聞かされる羽目になる。

「ステラ。アタシを2時間も待たせたこと、もう忘れたの?」
「忘れてない・・・けど・・・」
「アンタを待ってる間に、ワッフル10個食べたわ」
「食べ過ぎ!結構満喫してるし!」

 叫ぶステラを尻目に、指折り数えて不満を言い募る。

「服で2時間。靴で1時間。最後に化粧品で1時間待たせたわよね。しかも化粧品は買わなかったじゃないの」
「いまいち肌に合わなかったんだもん!」
「それはアンタが前日に深酒したせいでしょうが。BAの人苦笑いしてたわよ」
「きょ、今日は!ちゃんと寝たし!お酒も飲んでないし!パックもした!」
「なーにー? うるさいよーステラー」

 ダイアナの隣の部屋から、栗色の髪をした女性が顔を覗かせた。
 こちらも非番なのか、ラフな部屋着である。

「ロレーヌ。聞いてちょうだい。ステラがうるさいのよ」
「聞こえてた。内容までは分からないけど、ステラがうるさいのは分かった」
「ひどい!」
「ひどいのはステラでしょ? 近所迷惑よ」

 ロレーヌと呼ばれた女性は、わざわざ部屋から出てきてダイアナに加勢した。
 ステラのほうもロレーヌのほうへ向き直り、ばさりと髪を振り乱した。

「だって、ダイアナが!」
「急に誘われたって、気乗りしなければ誰だって断るわよ。私もそうするだろうし」
「大体、どうしてアタシなの? 他にも非番の人いるでしょう? ねえ、ロレーヌ?」
「ええ。今日は何人かいたと思う」

 ロレーヌに尋ねれば、肩を竦めてステラに呆れた視線を送りながらも、肯定する。
 ダイアナはほら、と続けた。

「ロレーヌだっていいじゃない。服のセンスはこっちの方が上だもの。私より適任でしょう?」
「やだ。ダイアナがいい」
「何でよ」
「私はダイアナと買い物に行きたいの」
「?」

 眉根を寄せて首を傾げる。
 ステラの言う買い物が、ファッションやコスメなどを指すのは予想できた。
 ダイアナはそれらのことには興味が湧かず、無縁なまま生きてきた。
 唯一持っている化粧品らしいものと言えば、赤い口紅が一本。あとは日焼け止め程度である。
 彼女の中では日焼け止めは生活必需品に分類される。肌が白いためか、肌が酷く焼けて痛むことがあった。
 あと何かしら拘りがあるといえば、シャンプーくらいのものか。
 彼女はその金髪の価値を保つために、ことさら念入りに手入れをし、欠かさない。
 しかし、今の場面で求められているのは、そういうことではないようだ。

「ステラ?」
「だって、ダイアナは仕事がなければ部屋から出ることも少ないし、放っておいたら他の子が誘ってしまうじゃない?
 ダイアナは人気者だし、もしかしたらそのまま出かけてしまうかもしれないでしょう?
 だから・・・だから・・・」
「分かった」
「え?」

 一言。
 それだけを放り投げて、部屋の中に戻っていった。
 不安そうにドアを見つめるステラと、成り行きを見守るロレーヌが待っていると、髪をまとめたダイアナが出てきた。
 首にタオルをかけて、肩を竦めて、そして優しくいたずらっぽく微笑んだ。

「今から顔を洗って、支度をするから。代わりに外出許可を貰ってきてくれる?あと、車も。徒歩で街に降りるのはごめんよ」
「う、うん!」
「いいの?ダイアナ」
「ええ。やることないのは本当だし、面倒なのも本当だけど・・・」

 そう言って目線を上げて、廊下の上方にある窓を見やる。
 空は、彼女の目と同じ色になっていた。

「雨が上がったのよ。なら、まあ、いいかなって」
「ダイアナがいいなら、いいけど」

 気づかわし気に見つめるロレーヌに不敵に笑い返して、そのまま共同の洗面所に向かった。
 ゴトゴトと足音を鳴らして歩く背中を見送ってロレーヌはステラに向き直った。

「いい? ステラ。ダイアナにムチャなお願いするんじゃないわよ?」
「しないわよ! そんなの」
「どうだか? ほら、早く外出許可取りに行きなさいよ。ダイアナ、身支度早いわよ?」
「ひっ! い、行ってくる!」

 ロレーヌは慌てふためくステラを見送って、入れ違いに戻ってきたダイアナを出迎えた。

「あら、やっぱり早かったわね、ダイアナ」
「ん? そりゃそうでしょ? 顔洗うだけだし」
「・・・洗うだけ?他には?」
「んー?」
「んーってなによ。んーって」

 きょとん、と何を言っているんだという顔でロレーヌを見つめ返した。
 はぁー、とため息をついて、こめかみに指を押し付けた。
 ロレーヌは常々、この強烈な美女に言いたいことがあった。

「ダイアナ。貴方ねぇ……スキンケアを疎かにしすぎ!」
「えぇ~?」
「今もあんた、ただの水洗いでしょ! そのあとせめて保湿しなさいよ!」
「そんなこと言われても。めんどくさいし」
「私だってめんどくさいわよ!」
「んじゃあ、やめれば?」
「やめたらお肌カッサカサになるでしょうが」
「そんなことないわよ」
「あ!る!の!」

 ぎゃんぎゃんと詰め寄っても、どこ吹く風という顔で肩を竦める。
 徒労を覚え、ひとまずは自分の中で区切りをつけて、肩を落として息を吐いた。
 それはため息というよりは、切り替えるためのスイッチだ。

「本当に、貴方の放置っぷりでその美貌ったら、羨ましい限りだわ」
「別に、顔で仕事してるわけじゃないわ。無用なトラブルを運んで来ることのほうが多いから、自然と力がついちゃったわ。
 ああ、そういう意味ではこの顔も有益ね」
「自分が美人だっていう自覚はあるの?」
「一応はね。私は父のことを男前だと思っていたし、父の部下たちは私を「親父さんそっくりの美人だ」ってよく言ってたから。
 私としては・・・まぁ、嫌いではないわ」

 一つにくくっていた髪をほどいて、軽く頭を振った。
 そしてにっこり笑うと、金色の花が咲いたように美しかった。

「さて。そろそろ着替えないと。ステラがうるさいからね」
「ああ、そうね。ごめんねダイアナ」
「いいのよ。あ、ロレーヌも行く?」
「え」
「アタシ一人じゃ、ステラのお守りは荷が重いわ。来てくれると楽だなぁって思って」
「ひどい言い草ねダイアナ」

 悪びれもせずに、笑みすら浮かべながら軽く首を傾けているダイアナに、つられてロレーヌも笑みがこぼれた。
 さてどんな服で行こうかと、返事をする前から考えていた。
 
「ええ。もちろんよダイアナ。貴方の誘いに、乗らないわけにはいかないわ」
「ありがとうロレーヌ。ステラはたぶん守衛に足止めくらってるだろうから、支度できたらそこで合流しようか」
「分かったわ」
「じゃ、あとでね」

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

「・・・むぅ」
「何むくれてるのよ、ロレーヌを誘ったのが嫌だっていうのはもう聞いたし、これ以上聞く耳持たないわよ」
「持ってよ! それに、私が不機嫌なのはそういうことじゃないの!」
「じゃあ何よ」
……ダイアナは、ずるい」
「は?」
「私はいつも必死にコーディネイト考えてるのに、ダイアナはそこら辺の服を掴んで考えずに着てもフォトジェニックでずるい」
「・・・そう?」
「うん」

 喚くステラの言葉にピンと来ず、ロレーヌに尋ねてみるとあっさり肯定されてしまった。
 言われた方は、本当に全く、そういったことは認識していない。ただ、見苦しくない程度に繕っただけだ。
 髪は、いつも通りの豪奢な金髪を無造作に背中に流し、化粧と言えば口紅程度。
 父親譲りの長身が纏うのは、Vネックのニットに細身のネイビーブルーのデニム。
 上着は彼女の職業を端的に表現するフライトジャケット。足元は無骨なワークブーツだ。
 彼女は、街をぶらつくような用事の際ステラやロレーヌのようには、ハンドバッグやショルダーバッグのような手荷物は持たない。
 代わりに、太ももと腰のベルトで固定したレッグポーチで財布やたばこ・ライターを携行している。

「なんで、そんなモデルみたいになれるのよ!」
「素材がいいんでしょうねぇ」
「ロレーヌ!」
「残酷だけど、真実なのよ。ステラ、そもそもの素材が違うのよ」
「羨ましい!!」

 と、やいのやいのと騒ぐ二人をよそに、ダイアナはすでに歩き始めていた。
 迷いもなく、かといって当てもなく、唯ようやく活気を取り戻し始めている街を肌で感じていた。

「ほら、二人とも。行きたいところがあるならさっさと言いなさい。アタシは立ち止まる気もないし、何も言わないなら自由にするわ」
「待って! もう、そういうところよダイアナ!」
「諦めなさいよ、ステラ」

 ふくれっ面だったステラも、ダイアナが素直に自分の後をついてきてくれるのを見ると、たちまち笑顔になった。
 目的があり、それが適宜、きちんと示されるのであればダイアナも文句は言わないつもりだった。

「じゃあ、アタシはここで待ってるから」

 常に行動を共にするわけではないが。

「えっ」
「ステラとロレーヌなら体型も似てるし、ロレーヌはセンスあるし、大丈夫。ね?」
「まぁ、うん。なんだか、貴方に褒められると悪い気はしないわね」
「えっ、えっ?」

 はにかむロレーヌの愛らしい照れ顔と、悠然と笑うダイアナを交互に見るステラは、困惑して二の句が継げない。
 彼女の目的は自分自身の買い物と、ダイアナそのものにあったのだから。
 そうとは知らぬ・・・いや、知らぬふりをしているダイアナは近くに店を構えていたパン屋の屋台に近づいていた。
 焼き立てのパンの匂いと、火でじっくり炙られた腸詰の香ばしい匂いがしてくる。

「ここで食べ損ねた朝食を食べるわ」
「おぉ、姐さん。久しぶりじゃあねえかい」
「おはよう。とりあえずいつものを2つ」
「あいよ」

 顔見知りの店主は、彼の最大限の良い仕事を為そうと取り掛かった。
 ちょうど焼き立てだったライ麦パンを半分に切り、大きく切れ目を入れて、千切りのキャベツを自家製のハニーマスタードソースで均すように敷き詰める。
 その上に大きな腸詰をぎゅうぎゅうに押し込んで、上からトマトソースをかけ、最後にスパイスをサッと散らす。
 シンプルだが、パンも腸詰も、質、量ともに彼女好み。街に降りれば必ず食べる一品である。
 成人男性でもこれを一つ食べれば腹八分目。それを細い体の中に2つ入れてしまうのだ。
 出来上がりを待つ間に隣のカフェで買ったコーヒーと一緒に、彼女は遅めの朝食を摂り始めた。
 一口かじれば、さわやかなライ麦の香りと、腸詰のハーブと肉汁、そしてピリっとしたスパイスが口いっぱいに広がる。
 いつも通り、彼女が好きな味だった。

「本当に食べ始めた・・・」
「嬢ちゃん方もどうだい? サンドイッチも用意できるが?」
「いいえ、私たちは大丈夫」
「ダイアナ、本当にそれ全部食べるの?」
「もちろん」

 すでに一つ目のほとんどを胃袋に収めた彼女に、ロレーヌもステラも驚きを隠せない。
 コーヒーもパンも味わいつつ、するすると胃袋に収めていったのに、二つ目にかぶりつくときもペースが落ちない。
 2人がぼうっと見ている間に、あっという間に完食してしまった。

「ご馳走様。今日も美味しかったわ」
「こっちこそ、毎度どうも。姐さんの食いっぷりは見てて気持ちがいいやね」
「あら、そう?」

 口元を紙ナプキンで拭って、小さく折りたたむとポケットにねじ込んだ。周囲にゴミ箱が見当たらなかったからだ。
 パチッ、と太もものポーチのボタンを開けて、筒状の何かを取り出した。
 彼女が愛用している、彼女を最も彩る、鮮やかな赤いルージュ。
 くるりと捻って、少し赤い色を出し、そっと唇に押し当てる。ただでさえ赤い唇が、より鮮烈に彩られる。
 食事で落ちてしまった口紅をさっと塗り直して、いまだ立ち尽くしている二人に向き直った。

「何してるのよ?」
「私、やっぱりダイアナって美人だと思うわ」
「はぁ?」

 呆然と、美術館で絵画を見たような顔でステラが呟いた。
 それに対するダイアナの反応は、少々冷淡であった。不可解だという感情を隠しもしないのだ。

「ねえ、ダイアナ。次のショップは一緒に来てよ。服、一着買ってあげる」
「要らないわよ。引き上げる時の荷物がかさばるでしょう?」
「引き上げる・・・?」
「忘れたの?」

 カップを傾けて、コーヒーで喉を潤した。少しだけ、彼女にとっても言いづらいことだった。
 彼女も、少しだけ、愛着が湧いていたのだ。
 この国に。

「アタシは傭兵。戦争が完全に終われば、私の仕事も終わり。フリーランスは終わった後が重要なのよ。次を探さなくちゃ。
 いつまでも、この国にいるわけにはいかないのよ」
「そう
「そう。だから、貴方の為だけに、貴方の好きな服を買いなさい。ステラ。それは貴方が労働の対価に得た金なんだから」
……

 ぽん、と肩を叩くダイアナの表情は穏やかで、微笑みすら浮かべて語りかけた。
 彼女は身一つで、己の食い扶持を稼いできた。労働と報酬には人一倍敏感だ。
 晴れた冬空の瞳に見つめられて、ステラはじっくり考えて、そして決意した。
 真っ直ぐに見つめ返して、凛と声を上げる。

「ダイアナ、私の為に、私が選んだ服を着てほしい」
「ステラ」
「私は、綺麗なものが好き。煤にまみれても、機械油で汚れてても貴方は綺麗よ、ダイアナ。でも、だからこそなの。
 綺麗な、貴方をもっと華やかにする服を着てほしいの。今日だけでいいから。お願い」

 覚悟に満ちた目だった。
 同時に、自覚した目だ。エゴを。我欲を。そうと知りながら諦めずにいる。
 何を言われても引き下がるつもりはない。そういう目だ。
 なぜそれを願うのか。戦いと共に生きたダイアナ・マクベスには分からなかった。
 戦い・戦争・殺戮・奇襲も暗殺も、オーダーであれば引き受けた。
 ならばこれは……

「良いわよ」
「え?」
「さて、私をどう飾るのか、楽しみね。そうでしょう? ステラ、ロレーヌ」

 にっこり。
 いつも浮かべる鮮烈で不敵な笑みとは違い、穏やかで優しい笑顔だった。
 あの片羽ですら見ることは稀である。
 そんな美しい笑顔に、思わず見惚れる二人だった。特にステラなどは頬が赤く染まっている。
 それでも、先に正気に戻ったのはステラだった。この機を逃すまいと、ダイアナの手を引いて歩きだす。

「じゃあ、善は急げ! 1ブロック先に、素敵なショップがあったの。いこ!」
「はいはい」
「ま、待って!」

 やや遅れたロレーヌも連れて向かうのは、彼女一人で見つけて、一人では気後れして入れなかったブティックだ。
 フォーマルドレスも扱う、彼女の年齢で入るには少々高級な店である。
 だがその店の店主自体は陽気で気さくな老婦人で、若いステラとロレーヌには目を細めて微笑ましいと笑った。

「騒がしくしてごめんなさい。オーナー」
「いいえ。いいのですよ。大切なお客様ですからね」
「ダイアナ!これ!これ試着してみて!」
「・・・フィッティングルームは空いてるかしら?」
「ええ。あなたは・・・1番をどうぞ」
「ありがとう」

 興奮するステラを軽くいなし、そのステラをロレーヌがぴしゃりと抑えるのを後ろに見ながら試着室に入った。
 

……

 受け取った服を広げて、一秒。理解するのに時間がかかった。
 出かかった溜息を飲み込んで、手早く着替えてカーテンを開ける。
 そして一言。

「ヒョウ柄ってどうかと思う」
「似合う!」
「ヒョウ柄ってアンタ・・・」
「ゴージャスだと思うけど」
「はぁ・・・」

 思わず頭を抱える。
 彼女が渡されたのは、フェイクではあれど、どこからどう見ても間違いなく強烈なヒョウ柄。そのロングドレスである。
 明らかにジョークグッズの類だ。これを着こなせるなら裸に毛皮でもランウェイを歩けるだろう。とダイアナは思う。

「ステラの色彩感覚、ときどき爆発するのよね
「何よロレーヌ!」
「でも、似合ってるわよ? ダイアナ」
「ロレーヌまでそんなこと言うわけ?」
「本当だって。顔が派手だから、服が派手でも違和感ないのよね」

 2人そろって、似合うなどというがダイアナは聞く耳持たなかった。
 彼女の感覚では”不出来な冗談”の類にしか見えない代物だ。鏡で見ても大道芸人に見えるくらいには。

「ステラ、アタシの言いたいこと、分かるわね?」
「うっ・・・はい・・・じゃ、じゃあ次!これ!ヒョウ柄じゃないから!」
「ロレーヌ?」
……大丈夫。私から見てもシックなイブニングドレスよ。もしどこかの夜会に呼ばれる機会があるなら、着てもいいと思うわ」
……わかったわ」

 受け取ってカーテンの奥に消えていくダイアナを見届けて、ステラは次を物色しはじめた。
 どうしてもドレスを着せたいらしい。
 選ぶものが大体華やかで個性的で、似合うだろうが街中では目立つものばかりだ。

「ステラ、あんたそんなの着せてこの街を歩かせる気?もう少し普段着っぽいのにしないと」
「えー?」
「気持ちは分かるけど、今は我慢しなさいよ」
……だって、似合うと思うし……
「本気で怒られる前に、ドレスだけは諦めなさい」
「うう……じゃあ、これ!このワンピース」
「いいじゃない。シンプルで。あんたにしては上出来よ」

 言い合ってるうちに、ダイアナが二着目を着終わってカーテンを開けた。
 その音に気づいて振り返った二人は、思わず息を呑んだ。

「? どうしたのよ」
「どうしたって・・・」
「ダイアナ、なんなの・・・ドレスすごく似合うすごい」
「語彙が死んでるわよ」

 佇む彼女が身に纏うのは、ダークネイビーブルーのロングドレスだった。
 シルクで作られたホルターネックのドレスは、胸元が大きく開き、背中も広く開いて脇腹すら肌が見えるが、デザインの妙か下品に見えない。
 むしろ彼女の肌の白さを際立たせて、その凛とした立ち姿も相まって高貴さすら漂う。
 マーメイドラインを作るシルエットはダイアナの肢体の美しさを知らしめ、女神の彫像めいてすらいる。
 間違いなく、夜会に出れば人々の目を奪う豪奢な華になるだろう。
 2人はしばし、ほうっと溜息をつきながら見惚れるほかなかった。

「みんなに見せびらかしたい・・・」
「殺すわよ?」
「だってなんか、立ってるだけで綺麗・・・」
「姿勢綺麗よね。ダイアナは」
「こういう服はね、立ち姿が崩れると台無しなのよ」
「詳しいですね」
「母が、まあ、いいとこのお嬢様だったものですから。幼いころに少々躾けられました」

 店主にそう語るダイアナの目は、少し遠い目をしていた。懐かしい思い出の、一欠片。
 ステラとロレーヌは話そっちのけでダイアナのドレス姿をあちこちから眺めていた。
 どの角度から見ても、女王然とした優雅さと強さに満ちて、実に美しい。

「このままどこかのパーティーでお披露目したい・・・」
「アタシは動物園の客寄せパンダじゃないわよ」
「ちーがーうーの! 社交界デビュー! 鮮烈なデビューを飾って、一気にプリンセスになるのよ!」
「馬鹿言わないで。社交界なんて面倒なだけよ」

 どこか実感がこもっている言い方だった。
 ただ単に、夢物語が好ましくないだけかもしれないが。
 彼女は物語を読むのは好きだが、物語を押し付けられるのは嫌いだった。

「さすがにこれを着て歩くのは無理よ?」
「ロレーヌにも言われたわ……似合うのに……
「ス・テ・ラ?」
「ごめんなさい! じゃあ、こっち。これは普段着っぽい服だし・・・」

 差し出された黒い服を受け取り、ちらりとロレーヌを見た。
 ロレーヌは黙って頷き、大丈夫だという意思を伝えた。
 それならば、と再びカーテンの奥に消えたダイアナだった。




+++++++++++++++++++++++++++++++++++++


……ドレス、似合ってたのになー」
「未練がましいわよステラ。着てあげただけ感謝しなさい」
「はーい」

 結局、最後に試着した黒いニットワンピースを着て歩くことにした。
 特に奇をてらったデザインでもなく、シンプルなワンピースだ。ブーツやジャケットとも違和感なく合わせられた。
 その後、今度こそロレーヌとステラの買い物に付き合ってやり、自分は日用品の買い出しのみに留めた。
 特に欲しいものもなかったのが実際のところである。
 ロレーヌは2人の2,3歩後ろを歩き、ダイアナの後ろ姿を見ていた。
 豪奢な金髪を揺らしながら、古い街並みを颯爽を歩く彼女は、どの瞬間も凛々しく勇ましく、美しい。
 この背中に、自分たちは守られているのだ。

「小腹空いたから、どこかで軽食を摂ってもいい?」
「私、ワッフル食べたい」
「じゃあ、あそこにカフェがあるから寄りましょ」

 ロレーヌが急いで並び歩き、一軒のカフェを指さした。
 古い佇まいだが、そこそこ客が入っている。地元の常連客だと思われた。
 今のご時世でも地元の人間が通い詰めるなら、良い店だろう。
 2人はロレーヌの提案に乗り、その店で休憩をとることにした。
 笑顔が優しいウェイターに案内されたのは、やや奥まったテーブル席だった。それでも十分にゆとりがある。
 ステラは壁を背にして座り、あとの二人は各々残った席に座った。
 歩き回って体が熱いらしく、ダイアナはアイスコーヒーとチョコレートパフェを頼んだ。

大きいわね、それ」
「思ってたより大きいわね」
「平気なの?」
「大丈夫よ」

 2人がそれぞれ、愛らしいデコレーションが施されたワッフルやパンケーキを紅茶と楽しむ中、ダイアナは50センチはあるパフェに挑んだ。
 特に苦しそうな顔をすることもなく、実においしそうに食べていくので、二人もそれぞれ舌鼓を打つ。
 その合間に、ステラが好奇心からこんなことを言い出した。

「ねえ、ダイアナの恋話聞きたい」
「ないわよ」
「即答された!? いやあるでしょ? ダイアナなら大恋愛トークが一つや二つ」
「ないわよ。そんな疲れることするわけないでしょうが」
「ええ~?」
「恋なんて、一度で十分よ」

 静かに言われたその言葉に、ステラも、黙って見守っていたロレーヌも手を止めた。
 ダイアナはトッピングのウエハースを食べ進めている。
 気づけば、パフェはほとんど無くなっている。見た目によらず、甘味に対しても実に健啖家だ。

「一度だけ、確かに私も恋をしたわ」

 すっかり食べ終えて、アイスコーヒーをゆっくりと飲み始める。チョコの甘みが残る口内に、深いコクと豊かな香りと爽やかな苦みが広がる。
 彼女の口から恋という言葉が本当に出るとは思わなかったロレーヌと、隠しきれない好奇心のステラが見つめる。

「あまりいい話じゃないのよ。本当に、私らしいというか。碌な終わり方じゃなかったわ」

 言葉を選んで、彼女は続けた。年若い二人にも、なるべく聞かせてやれるような話にしようと心掛けている。
 それでも、事実は変わらないが。

「私はそれでも、愛していたのよ」

 グラスの中の氷をストローでつつき、青い目は此処ではないどこかを映した。

「若い頃の話だから幼い恋だったかもしれないし拙い愛だったかもしれない。でも本当に心から、命を預けてもいいとさえ思っていたの。
 背中を預けてもいいと。二人で生きていける。そう思っていたわ。だけど……いいえ、だからこそ、だったわ」

 その目に映るのは、甘い記憶か。苦い最期か。
 目を閉じる。言うべきか迷ったのだ。詳しく話すつもりなどなくとも、ここまで言ったからには結末だけは言わねばと思った。
 彼女が彼女の手で終わりを告げた、たった一つの恋の物語。
 目の前の二人が思い描いているような恋ではなかった。それでもあれは確かに恋だった。
 身を焦がすような熱い恋だった。
 あっけなく、唐突に、壮絶な終わり方をした恋だった。
 その全てを語るべきではないと判断して、ただ一言簡潔に、事実だけを言うことにした。

「だから殺したの」

 顔色一つ変えずに放り投げられた言葉は、テーブルの中央に転がったように見えた。誰も受け止めきれなかったのだ。
 唐突で、衝撃的だった。

「え、なに、何の話???」
「御所望のコイバナよ?」
「わ、私は、そんな……
「私がした恋は、そういうものだったの。気にしないで。別にもうどうとも思ってないわよ。ただ、刺激的だったから詳しく言えないだけ」
「ダイアナ……
「ロレーヌも、そんな顔しないの。私は恋も含めた人生の全てを、戦場で経験してるだけなのよ」
……
「ダイアナ、ごめんなさい……私、私……

 今にも泣きだしそうなステラを見て、ダイアナは笑い飛ばした。
 あれはもう、思い出なのだと。笑った。

「やーねぇ。もう昔の話なのよ? アンタ達が気にすることじゃないの! ほら、さっさと食べなさい。そろそろ帰らないと」
「う、うん」
「アタシがこういう生き方してるのも、アタシが選んだからこそなのよ。だから気にしないで。この人生、気に入ってるんだから」

 不敵な笑み。
 それは彼女がいつも浮かべる笑みだった。
 大胆不敵に、苛烈に鮮烈に、優雅に、時には獰猛に。
 傭兵として生きる彼女に最も相応しい笑みだ。
 それには、見えない傷も痛みもあるけれど、それすら喰らってきた若き歴戦の傭兵。

 ──円卓の鬼神は、空の騎士達を笑いながら喰らい尽くすのだ──