mikagami3
2017-04-16 21:07:37
6348文字
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569542

触れていいですか

お便り箱に頂いたリクエストのアイナナ・つなし夢
主人公の性別が明記されていなかったので、こちらは女性主人公で書きました。
つなし×主人公(女・年上)(デフォルト名設定あり)
曖昧な関係から一歩踏み出そうとする二人

勇子勇子勇子勇子勇子勇子勇子勇子勇子勇子勇子勇子『会いたい』

その一言がどれだけ心に重く圧し掛かるか、彼は知っているのだろうか。
知らない。と思う。
同時に、知られてはいけない、と思う。
彼女は感情を押し込めるように微笑んで、スマートフォンの画面を指で突いた。
演技が下手な彼女は、そうでもしないと言葉に本音がにじんでしまう。

『私も』

まず一言だけ返信して、相手の返事を待つ。
向こうのほうが多忙で、予定も組み立てにくい職業だ。対して彼女は基本は安定した休日を設けられている。
相手の都合に合わせるべきだろうと思ったのだった。
それは相手も承知している。
さほど待たずに、相手から詳細な提案が返ってくる。他愛のない内容だが、ゆえに拒否も容易なもの。
彼の長所だが、場面によっては短所だ。
了承の旨を伝えると、すぐに嬉しそうな絵文字が返ってきた。
絵文字を使えるようになったのかと感心すると同時に、素直な彼の気持ちについ頬が緩む。
心からの笑みが零れてしまう。

「駄目ね、私。すぐ調子に乗っちゃう」

自嘲の笑みを浮かべ、気を取り直して掃除にとりかかる。
苦手ではあるものの、せめて洗濯物をすべて仕舞わないとならない。
男性を家に上げるというのに、掃除もせず下着も干しっぱなしというのは些か失礼である。
幸い、時間はいくらか余裕がある。あとは天気が良ければ・・・

「予報ではしばらく晴れの予定だけど・・・土曜日も晴れればいいな」

空を見上げて、ひとり呟く。
その表情が今一つ晴れないのは、洗濯の心配だけではないようだった。



「あ。勇子さん」
「あれ?」

いつものスーパーで食材の買い溜めをして、商店街を歩いていた彼女は、本日会う予定だった彼に図らずも出会ってしまった。
まだ約束の時間には余裕があるはずなのに、と慌てて腕時計を見ようとした。
その手を柔らかく握りこんで、彼が微笑んだ。

勇子さんは間違ってないよ。俺が、ちょっと早く来すぎたんだ。だから訪ねる前に何か買っていこうかと思って」
「ああ、良かった。大事な約束の時間、勘違いしたのかと思ったわ」
「・・・えへへ」
「?」

少し薄い色のサングラスの奥で、彼の目が細められた。
照れ笑いを浮かべた彼が、その長身を屈めて、耳元で囁いた。

「大事な約束、って言って貰えて嬉しい」
「・・・もう」

今度は彼女が頬を赤く染める番だった。
そうしてついっと視線を逸らした瞬間、手に持っていたエコバッグが宙に浮いた。
食材でパンパンに膨らんだそれを、いとも簡単に奪われてしまった。

「片方持つよ。一緒に帰ろう?」
「え。待って。重いよ?」
「大丈夫。力仕事なら任せてよ。こう見えて鍛えてるよ?」
「それは知ってるけど・・・」
「遠慮しないで。こうして会えたんだから。勇子さんの悪い癖だよ」
「お姉さんを揶揄わないで」
勇子さんは、もう少しお兄さんを頼ってよ」

彼女は兄弟構成としては長女だ。下に妹と弟が一人ずついる。対する彼も弟たちに囲まれて育った長男だ。
環境は違えど、兄弟の一番上として育った二人は共感することも多かった。
実年齢は彼女のほうが年上だけれど。

「年齢で言えば、貴方は弟みたいなものだけれどね?」
「ひどいなぁ。俺は、勇子さんを姉みたいだと思ったことないのに」
「あら、どうして?」
……ここじゃ、言えないかな」

少し拗ねたような顔で隣を歩く彼を、愛おしいと思っている自分に気づく。
少しだけ、委ねてもいいのかもしれない。彼女の心が揺れる。
今だけは甘えようと、彼女はほんの少し勇気を出した。

「私だってね、貴方を弟みたいだと思ってるわけじゃないのよ。ただの年齢の話」
「本当に?」
「ええ。だから、色々考えたりするわ」
「色々?」
「そう。色々。例えば……人目のあるうちは、貴方の名前を呼ばないようにしよう、とかね」
「あっ」

彼の名前は少々珍しく、人の記憶に残りやすい。
まして、彼の職業が職業だ。あまり大声で話すわけにもいかないし、呼びかけるわけにもいかなかった。
アイドルなどという華やかな職業の彼と、こうして歩くなど夢にも思わなかった彼女だが、舞い上がることは許されない。

「だから、もう少し我慢してね?」
「敵わないなぁ……
「貴方の大切な仲間達にも注意されてるしね」
「えっ。二人が何か言った?」
「そんな大したことじゃないわ。ただ、あいつはぼんやりしてるから気を付けてやってくれって」
「ひどい!」
「気遣いのできる、素敵な人たちじゃない?」
「そうだけど・・・でもぼんやりってひどいと思うよ!?」
「ぼんやりしてるじゃない。ときどき鴨居に頭ぶつけてるでしょ?」
「うっ」

背の高い人間にはありがちなことだ。彼女の友人にもそういう人が何人かいる。
彼女本人は平均的な身長なので、その苦労は実感できない。
痛そう、と思いながら彼の頭を撫でてやることぐらいしかできない。

「私と会う時はオフの日ばかりだから、リラックスしてるんだとは思うけど」
「気を付けようとは思ってるんだけど・・・」
「私の足元ばかり見てるからよ」
「き、気づいてたの!?」
「段差、いつも教えてくれてるから・・・嬉しいけど、自分のことも気を付けてね」
……お見通しかあ」

恥ずかしそうに頬をかきながら、眉を下げて呟く。
それを見上げながら、彼女は楽しそうに笑う。

「お姉さんを甘く見ないことね?」
はい。本当に、勇子さんには敵わないや」

商店街を抜けて、ほんの少し歩くと彼女が借りているマンションがある。
オートロック式で少々割高とは思うが、昨今は物騒だ。用心するに越したことはない。
女性専用マンションではないが、防犯意識の高い住人が多いために互助意識も高い。
ドライ過ぎず過干渉でもない住人達を彼女は信頼していた。
エントランスに二人とも入ると、ついっ、と袖を引っ張られた。

「どうしたの?」
……名前、呼んで?」
「えっ」
「ほら、もう、周りに人いないし」
「そう……ね。そうよね。貴方は呼んでるのに、不公平よね」

実のところ、彼の名を呼ぶことに未だ慣れずにいた。
彼は遠くにいたはずなのに、こんなにも近くに居る。
親しげに、期待を込めて見つめる瞳を見つめ返して、息を吸い込んだ。

「十くん」
……そろそろ、龍之介って呼んで欲しいなー?」
「それは勘弁してほしいかな……
「どうして?」
「無理。ダメ。そこまではだめ」

頑なに「それは駄目」と首を振る彼女に、彼もそれ以上言うことは難しかった。
部屋へと急ぐ彼女の背中を追う間、何故だろうかと考えても相応しい答えは思いつかなかった。
ドアを潜っていく彼女の後に続いこうとして、額を強かに打ち付けた。

「痛っ!」
「十くん!?」

後ろ手にドアを閉めながら蹲る、痛みに呻く彼に駆け寄る。
 
「大丈夫?」
「だ、大丈夫……だと思う」
「血は出てない?」
「う、うん・・・」
「見せて?……あー、少し赤くなってる。ちょっと冷やしたほうがいいかな」

前髪をかき上げると、打ち付けたと思しき箇所が赤くなっている。腫れる前に冷やしたほうが良さそうだった。
そっと立たせて、ソファーに座らせる。

「氷持ってくるね」
「待って」

離れようとした彼女の腕を掴む。
驚いて動きを止めた彼女を、座ったまま背中から抱き締めた。

「えっ。ちょっと、十くん」
「待って……このままでいて」
「でも……
「お願いだから・・・」

ぎゅうぎゅうと締め付ける腕からは逃げられそうにもない。
仕方なく、少しだけ動く両手で彼の腕に触れた。
鍛えてもいない女の自分の腕とは、桁違いの逞しさだ。本気を出されたら何処かの骨が折れてしまいそう。

……十くん?」
……
「つーなーしーくーん」
……
「ちょっと痛いなーって」
………
……聞こえてる?」
………
「んー……困ったな」

腕をぽんぽんと叩きながら声をかけてみるが、反応が返ってこない。
どうしたものか、と悩んでいるとようやく返事がきた。

「・・・名前」
「え?」
「名前、呼んで」
「さっきから呼んでるじゃない」
「違う」
「だって、貴方は十くんでしょう?」
「違うよ。俺は、十龍之介だよ。龍之介って、呼んでよ」

強い意志の籠った声に、彼女も手が止まる。
それだけは避けたいと思っていた。
名前を呼ぶ、ということは彼を受け入れることだ。
彼女の本心だとしても、彼女は彼を思うゆえに避けてきた。
なるべく付かず離れずを保って、誤魔化して、いずれ来る別れを待とうとした。
彼女から別れを切り出せなかったのは、本当は全て受け入れて、全て受け止めたかったからだ。

「俺は、貴方のことを何も分かっていないかもしれない。どうしてだろうって考えることばかりだ。
 でも、貴方のことだから俺のことを考えているんだろうって思った。
 だから、ここではっきり言うね」
……

背中に――心臓の裏側に彼の額が押し付けられる。
彼の声が耳と背中に伝わる。響いてくる。

「俺は、貴方が好きだ。貴方も分かっているはずだ。それなのに、どうして俺を庇おうとするの?俺には、貴方を守らせてくれないの?」
「わ、私と貴方じゃ……背負うモノが、違うから
「違うよ。確かに違う。でも、だからこそ教えてほしい。貴方と一緒に歩くにはどうしたらいい? 心から笑ってもらうにはどうしたらいい?」
「私は貴方の邪魔をしたくない。それだけ、なの」
「邪魔だなんて思ったことない!」
……っ」

彼女は分かっていた。
曖昧な関係のままで苦しんでいたのは自分だけではないと。
しかし、彼のこれからを考えるとどうしても一歩踏み出せなかった。
同時に、彼には、自分よりも彼に相応しい人が現れるだろうと思っていた。
自分では、釣り合わないと。

「ちゃんと、言わなかった俺も悪いと思う。恥ずかしいとか照れくさいとか、思ってしまっていた。でも、聞いてほしい。信じてほしい。
 俺は貴方が好きなんだ。好き。俺は、恋をしている。貴方に」
……
「だから、隣にいてほしい。俺に、貴方の隣に居させてほしい。愛したいし、愛されたい」
「わ、私……きっと、きっと重荷になるって、枷になってしまうって、思って……それは、嫌だから……それで……

彼女は芸能界のことは殆ど分からない。彼と知り合ったのも本当に偶然だ。知り合ってからアイドルだと知ったくらいである。
だからこそ、彼女は怖かった。別離が。出会いと同時に別れを覚悟しておかなくてはならなかった。
それでも心はどんどん惹きつけられていった。
素朴な人柄にも、優しさにも、男性としての美しさにも、魅せられていった。
しかし同時に、自分を振り返って見つめることも多くなっていた。とてもとても素敵な彼に、相応しいだろうかと。

「言ったでしょ? 俺は力持ちなんだ」
「そういう事じゃないでしょ……
「俺って、素の自分と全然違う顔で仕事してるよ。楽や天と一緒にいていいのかなって思う。でも、二人は俺と一緒がいいって言ってくれる。俺も言うよ。あの二人と一緒がいい。
 そして・・・貴方の、隣がいい。その為なら何だってする。秘密を抱えるくらいなんでもない。安心して。
 それにね、俺のファンは良い子たちだからバレたってきっと大丈夫だよ。だから……

ふいに体が自由になる。
一瞬気が緩んで、その隙にくるりと反転させられた。
ぴた。と彼の目と合わさる。いつもは柔らかく優しい光を称える目が、強い決意に満ちている。

「俺と恋をしてください」

嘘偽りのない言葉。とても、強い言葉。
心臓が早鐘を打つ。彼女には、もはや選択肢は残されていない。
無理やり作っていた選択肢を、彼が全て取り払ってしまった。
じわっ・・・と涙が滲む。
それに気づいた彼が焦りの表情を浮かべると同時に、彼女は胸に倒れ込んだ。

「えっ、あっ、勇子さん!?」
……はい」
「え?」
「私も、貴方と、恋がしたい。貴方じゃなきゃ嫌。貴方が……好き、です」
勇子さんっ・・・!」 

ぎゅうっと抱き締められる。苦しさはもちろんあったが、何よりも温かさに心が満たされていく。
やっと言えた。やっと言葉にできた想い。
先ほどまで、時々会えればそれでいいと思っていたのに、それだけじゃ物足りなくなっていく。
欲深い自分に笑みがこみ上げる。ああ、なんてバカなのかと。
もっと会いたい。話したい。触れたい。たくさんの時間を過ごしたい。
一緒にいたい。

「ふふっ」
「何笑ってるの?」
「だって、私、現金だなぁって」
「?」

きょとん、とこちらを見返す彼の顔は愛らしいと思う。
野獣だのエロエロビーストだの言われている彼が、こういうときは子犬にすら見えてくる。

「さっきまで私、貴方の為にも、貴方と決別しなきゃって思ってたくらいなのに」
「ええ!?そ、そんなのやだ!」
「待って。聞いて。違うから。あいたたた」

ぶわっと涙が溢れてきた彼が、力の限り彼女を抱きしめた。加減を忘れているのか骨が軋みそうになる。
早とちりするほど想われているのが少し嬉しい。
なるべく優しい声で、彼女は最後まで続けた。

「今の私、貴方と離れたくないの。貴方と一緒に、色んな風景が見たい。そう思うの」
「えっ……それ、って」
「浮気なんてしたら、怒るからね?」
「しない!そんなの、できるわけない!ひどいよ!」
「あら。私の何倍も綺麗な人たちに囲まれて仕事してるじゃない」
「俺は勇子さんが一番きれいだと思う」
……そんなわけないじゃない」
「すぐそういうこと言う。好きな人が一番きれいだよ。勇子さん、きれいだよ」
「やっ、やめなさいってば!」
「ねえ」
「え?」

ふと、真面目な顔をして彼が愛しい彼女の目を覗き込んだ。
その優しい澄んだ目を独り占めしたいと、もっと近づきたいと、恋の渦中にいる者に相応しい欲求が生まれていく。
耳元に唇を寄せて、仕事で培った艶っぽい声音で囁いた。

「貴方の唇に触れたい」
……!」
「だめ?」
……ずるい、そんなの……
「だって、やっと両想いになれたのに……貴方に、触れて、いいですか?」
「・・・好きな人にそう言われて、嫌だなんて言えないわよ。本当に、ずるい人」

彼女は恋をするのに慣れていない。あまり他人と触れ合うことも無かったから、不安や緊張が大きい。
しかしそれ以上に、彼に触れたいという思いが大きくなっていく。心身ともに近づきたいと。
少女のように戸惑う彼女に、彼が微笑んだ。

勇子さん、可愛い」
「っ・・・やめてよ・・・」
「顔真っ赤だよ。緊張してる?」
……うん」
「俺も。でも、それ以上にね、貴方に触れたいんだ」

そう言うと、彼が顔を近づけた。目を見つめたまま、彼女が反射的に逃げようとする。
腕の中でもがこうとする彼女を抑えて、ゆっくりと唇に触れた。
柔らかくて、温かくて、少し震えている。
見開かれた彼女の目には、彼しか映っていない。それがこの上なく幸福だった。

……勇子さん」
「うん」
「名前、呼んでくれる?」
……龍之介、くん」
「・・・どうしよう。想像してたより、嬉しい」

くしゃりと笑っている間も、抱き締める腕は緩めない。一瞬であっても離れるのは嫌だと今は思っている。
彼も彼女も、ようやく歩き出すことができる。
恋という道を。