あさかわ
2024-06-08 23:45:33
13012文字
Public 粉砕鬼水シリーズ
 

鬼札はいずこなりや(粉砕鬼水4)

連れ合い鬼水の悪魔のカジノ粉砕

 右目だけぎょろりと覗かせた子供の姿。それは見た目の話で中身は別だ。男は店内でコーヒーを挟んで向かい合いながら、鬼太郎となるべく視線を合わせないようにした。藁にも縋る思いで妖怪ポストに手紙を入れたのだ。気味が悪いと思いながらも他に頼る当てもない。
「娘さんの魂を悪魔のゲームに賭けた、とのことですが……詳しい話を聞かせて貰えますか」
「その……学生時代からちょっとした賭けはしていたんです。先輩と麻雀とかパチンコとか」
「話が見えませんね。簡潔にお願いします」
 ざっくり遮られ、男はコーヒーを啜って言い訳を呑み下した。
「僕はギャンブル依存症なんです。結婚してからパチンコも麻雀もやめたが、どうしても賭け事がやめられない。皮膚を焼く高揚が忘れられないんだ。リスクが高ければ高いほど興奮する。しかし、オンラインカジノもマンションの違法スロットも足が付くのが怖い。そんなとき違法ではない店があると教えて貰った」
「それが悪魔のカジノですか」
「そうだ。あの店では金銭を賭けることは出来ない。代わりに自分の身体の一部をチップにして遊ぶんです。勝ってチップが溜まれば、お金の代わりに相応の願いを叶えてくれる。僕はのめり込んでいった」
 妻には残業だと偽った。休日も仕事だと言うと娘は寂しそうに見送ってくれた。鬼太郎がじっとこちらを見つめている。罪悪感から男は子供の目を極端に恐れるようになった。娘が入院している小児科病棟に行くことも、なるべく避けている。
「ある日、どんな願いでも叶えてくれる高レートの卓に誘われた。刺激に飢えていた僕は飛びついたんです。その時賭けたのが娘の魂だ……その卓は自分を賭けることはできない。自分に近しい失いたくないものを賭けるんだ」
 その価値が高ければ高いほど、叶えられる願いの数が増える。誘蛾灯のような卓に男はふらふらと引き寄せられた。
「あなたは娘さんを失いたくないと思いながらも、賭けに使ったんですね」
……そ、それは。妻と娘には迷惑ばかりかけているから、お金に困らない生活ができればと」
 男は必死に言いつくろった。二人を幸せにするために仕方なく。口に出せば、それが真になる気がする。
「くだらない嘘を付くんじゃねえよ」
 男の横から声が降って来た。唸るような声と共に胸倉を捕まれる。
「賭けが出来れば対価に何を支払うかなんて、どうでも良かったんだろ。命を預かる立場の人間が欲に負けてこの有様か」
 左目に傷のある男がこちらを睨みつけ、殴りかからんばかりの勢いだ。確かコーヒーを持ってきた店員のはず。剃刀のように鋭利な視線に射抜かれて喉が引きつる。
「っひ、やめてくれ。違う、違うんだ! 本当に悪魔がいるなんて知らなくて」
「まだ言うか!」
「水木さん、そこまでにしてやってくれませんか」
 鬼太郎が店員に声を掛ける。水木と呼ばれた男は舌打ちをして席を離れた。
「あなたは娘さんの魂を賭けて負けた。その時、悪魔とどんな話をしたんです」
「む、娘の魂を取り返したければ、また賭けに来ればいいと。今度は妻の魂を賭けるのなら勝負してやると言われました。娘はずっと昏睡したまま目を覚ましません。本当に悪魔に魂を取られてしまったんですか」
「ええ……あなたは悪魔と契約を交わした。彼らの契約は絶対です」
「そんな……どうにかして取り返せないんですか!」
 娘は入院して以降一度も目を覚まさない。妻はすっかり憔悴して、男は本当のことを言えずに妖怪ポストに縋った。
「悪魔の契約は絶対だと言ったはずです。取り返すには悪魔と賭けをして勝つ他ありません。あなたはその店に行かないでください。次は奥さんの魂を賭けて負けるだけですから」
「でも、このままでは」
「あなたが欲に負けて招いた事態だ。これ以上何もしないでくれ。……娘さんには何の罪もない。彼女を助け出す方法を考えます」
「っ……よろしくお願いします」
 娘を助けてください、と言うと鬼太郎はすっと目を細める。己の醜い本性や愚かな思考をすべて見透かされるような、咎めるような視線に耐え切れず、男は転げるように店を飛び出した。


 依頼人が帰ると水木は鬼太郎の側に寄った。
「すまない、騒がせてしまった」
 伏し目がちに謝る鬼太郎に、水木は気にするなと肩を叩く。
「騒いだのは俺の方だ。どうにも腹の虫が収まらなくて手が出ちまった」
 どんな愚かな人間でも鬼太郎は手を出したりしない。それが、鬼太郎の線引きならば水木が手を出すまでだ。店を出て雑踏に紛れる男はちらりとこちらを振り返った。心を入れ替えて真人間になるとは思えないが、咎めが多少効くと祈るしかない。
「あの人の他にも、数件同じような依頼が届いているんだ。親や、妻、子供の魂が奪われている」
「賭け狂いってのは手に負えないな」
「まったくだ。勝手に賭けられてしまった魂を取り戻さないと」
 鬼太郎は少し冷めてしまったコーヒーに口を付ける。悪魔は西洋妖怪だ。バックベアードを退けた鬼太郎相手でも、説得に応じない可能性が高い。
「なあ……悪魔ってのは妖怪とも契約するのか」
 水木の問いに目玉がひょっこりと姿を現した。鬼太郎の頭の上から滑り降り、テーブルで腕を組む。
「悪魔は人間の魂を求めるものじゃ。妖怪でも取引は可能じゃろうが、うまみがなければ乗ってこんじゃろう。悪魔の契約は強力じゃぞ。反故にすれば相応の対価を払わねばならん。奴らの性質を考えると、カジノは妖怪の出入り禁止かもしれんのう」
 悪魔のカジノの所在は明らかになった。港近くのコンテナの一つが週替わりで店になっており、入口には用心棒がいるという。
「ふうん……となると、俺の出番じゃないか?」
 妖怪が近づけない場所ならば水木が行くより他にないだろう。鬼太郎は眉をひそめ、目玉があきれ顔をする。
「あまり危険なことはして欲しくない。僕でも店に入れる方法を探してみる」
「どうせ入口で人間じゃないって弾かれるぜ」
 鬼太郎がむっと唇を引き結ぶ。水木は目玉のためにミルクピッチャーにコーヒーを注いで渡してやった。
「敵の本拠地だぞ。むやみやたらに突っ込むことはしないさ。賭け事なんて昔付き合いでやった花札か将棋かそんなもんだ。カジノとなるとトランプだろうが……ババ抜きくらいしかしたことがない」
「水木よ、悪魔を見くびってはいかんぞ。あやつらは人間の魂を集める為にどんな手でも使ってくる。契約さえしてしまえば、イカサマをして真っ当な賭けにはならん」
 どうするつもりだ、と見上げる目玉に水木は口角を引き上げる。
「トランプはさっぱりだが、契約については詳しい方だ。そこを突けば勝機はあるさ」
 悪魔は契約を用いて人間を縛る。契約というものは双方を縛るものだ。会社員時代、契約に関する駆け引きは嫌と言うほどしてきた。
……何か考えがあるのか」
 鬼太郎が水木をじっと見つめる。目玉は二人の顔を見比べてから、ミルクピッチャーを傾けてコーヒーを啜った。
「上手くいくか要検証だが、考えていることがある。まずは、ポーカーとブラックジャックくらいはできるようにならないと。賭け事を練習する店なら丁度教えて貰ったばかりだ」
 この前会ったねずみ男が新規事業だと名刺を握らせてきたのだ。
……まさかと思うけれど、ねずみ男が言っていた店に?」
「他にどこがあるんだよ。チンチロリンからポーカー、バックギャモンまで一通り揃っているって宣伝していただろう。おおよそ悪魔のカジノに感化されたんだろが、渡りに船だ」
 鬼太郎はふっと息を吐いてから、水木の右手を取った。両手で水木の手を大切な宝物のように包み込む。
「あそこは妖怪の店だ。僕もいきます。いいですね」
 どうか断ってくれるな、と祈るような声を無下に出来ようか。
「分かったよ。お前を置いていくもんか」
 息をするように惚気出した連れ合い二人を眺め、目玉はコーヒーを飲み切った。砂糖もミルクもなしだが、視界に飛び込む景色が大層甘い。
「儂は森に戻って、図書館で悪魔について調べておこう。夜に集まって作戦会議じゃ」
 コーヒーを飲み干した目玉が立ち上がった。


 ねずみ男がビクビクしながら山札に手を付ける。ぺろりと捲れば桐のカスが一枚。場札とも合わず手札に加えた。
 ポーカー、ブラックジャックと遊んでいた水木に、締めのこいこいに誘われた。ねずみ男の視界の先には機嫌よく遊ぶ水木と、一ミリだって離れないとばかりにくっ付いている鬼太郎の姿がある。鬼太郎が店に来た時は咎められるかと思ったが、説教のひとつもぶってこなかった。代わりに水木の隣に幽霊よろしく張り付いて、余計なことをするなと圧を放っている。
「なあ、兄さん。お隣にいるこわぁい幽霊族さんを外に置いてきてくれないかね」
「置いて行かないと約束したもんでな。置物か何かと思ってくれればいい」
「そうだ、ねずみ男。僕のことは気にするなと何度も言っただろう」
 鬼太郎が水木の手元に顔を寄せて札を覗き込む。眉一つ動かさず感情を顔に表さないでいるため、勝負の助けにならなそうだ。
「置物ってのは、こっちを睨んだりしねえんだよ。狸の化けた達磨の方がまだ愛嬌があらぁ。鬼太郎、お前もなんか遊んで来たらどうだ」
 たしか将棋は打つだろうと説得してみたが、鬼太郎は首を振って興味を示さない。
「僕は水木の側にいる」
「番犬だってもう少し愛想を知っているぜ。しかし、悪魔と賭け事なんて兄さんも酔狂だな。案外、鉄火場に馴染みがあるみたいだけど」
 水木が山札から一枚取る。調子よく藤と柳の赤短を場札から取られ、ねずみ男の眉が無意識に寄ってしまう。
「コンプライアンスも何もなかった時代の会社なんて、出し抜いてなんぼのもんだったからな。営業活動はある意味鉄火場みたいなもんだ……ほい、赤タンであがり」
 揃った赤の短冊にねずみ男の隣で勝負を見守っていた気配が揺らぐ。
「こいこいは?」
「しない」
「連れねえなぁ! 五点ぽっきりでいいのかよ。タンならもう少し揃うだろう」
「月見花見はなし、鬼札もなしだろう? 望み薄ならカスだろうが上がっちまった方がいい」
「嫌だね。堅実に賭け事やる奴は」
 ねずみ男の文句を聞き流して、水木が手札を一枚テーブルに放った。
「一か八かの勝負じゃ困るんだ。で、どうする。乗ってくれるなら礼は用意する」
 水木が手札から取り出したのは柳に雨のカス札だ。激しい雨に一筋の雷光。赤と緑の異質な札は鬼札とも呼ばれる。地方のルールによってはどんな札の代わりとしても使える。四光に加えれば五光に。猪鹿蝶のどの動物にだって成り代わる。水木はねずみ男の隣にいる相手に煙草を差し出した。
「トランプ相手に花札勝負。異種格闘の殴り込み。どうだ、一口乗らねえか」
 水木の誘いに応じたのだろう。煙草の先に灯が付いて、煙がふわりと立ち昇る。
……面白そうだ」
 了承を伝え、それは煙草を受け取ると水面代わりに天井の上を泳いでいく。
「俺は兄さんと本気の賭けだけはしねえって決めたよ。で、あいつを紹介した手数料だけど」
「こいこいで負けた分と相殺して、チャーシュー麺おごりってところだろう」
……
 水木に取られたチップがすべて返ってくる。ねずみ男が無言でそれを受け取ると鬼太郎が硬い声で言った。
「ねずみ男、水木にちゃんとお礼を言わないと駄目だろう」
「俺が! 兄さんに! 目当ての妖怪を紹介してやったの! 大体お前だって妖怪ポストの依頼に兄さんを巻き込んでいるじゃねえか」
「勿論いつも感謝している。本音を言えば巻き込みたくないんだ」
 鬼太郎は連れ合いが絡むと価値観が馬鹿になるのだ。暖簾に腕押し。糠に釘。ねずみ男が入れ込み過ぎだと忠告しても、これ以上の人はいないと価値を吊り上げるばかり。
「はいはい、分かったよ。せめてラーメン大盛りは許してくれよ」
「いいぞ。出血大サービスで味玉も付けよう。それとこいつはお守り代わりに貰ってもいいか」
 水木が柳に雨の札を手に取る。ただのカス札だが、絵柄は異質。場合によって化けるとあっては、どこぞの誰かに良く似合う。
「好きにしてくれ」
 睨みつける鬼太郎の視線を躱して、ねずみ男が両手を上げた。


 スーツにサングラスで屈強な男が水木と鬼太郎を見下ろす。水木は妖怪がらみの時に着ると決めた和装姿。鬼太郎はいつものちゃんちゃんこに青い洋装。用心棒が鬼太郎に硬い声で言った。
「この店に入店できるのは人間のお客様のみとなります。あなたは、お引き取りを」
「予想通りだな。鬼太郎、店の前で待っていてくれるか」
「分かりました……水木、屈んで」
 水木が身を屈ませると鬼太郎に羽織の襟を掴んで顔を近づける。意図を察した水木はもう少しだけ膝を折って顔を傾けた。軽く唇を触れ合わせ、鬼太郎が少しだけ得意げに目を細める。
「西洋ではこうやって、賭け事をする人に幸運が訪れるようおまじないをするそうだ」
「あのな、それはカードを扱う手先にするもんだぞ」
 面映ゆさを堪えて、たしなめるような声を出す。鬼太郎はささやかに口角を上げ、乱してしまった襟元を整えている。
「じゃあ、間違いじゃない」
 水木の一番の武器は口だ。口八丁手八丁で相手を困惑させ、騙くらかし、丸め込む。確かに祝福するなら唇が最も相応しいのだろう。
「悪いが外で待っていてくれ。海風が冷えるだろ。ちゃんと寒くないところにいろよ」
 水木はいつものように鬼太郎の頭を撫でた。コンテナが置かれた真夜中の港は人気がなく波音ばかりが聞こえてくる。
「気を付けて」
 鬼太郎と別れて水木が店内に入る。入口がコンテナの扉なので中は狭そうに見えるが、一歩足を踏み入れれば豪奢な空間が広がっていた。毛の長い赤い絨毯に豪華なシャンデリア。それぞれの卓には見目麗しいディーラーたちが付いて仕事をしている。
「いらっしゃいませ。初めてのお客様ですね。この店のルールについてはご存じですか」
 水木が店内を見回していると従業員から声を掛けられた。緑と青の色違いの瞳の男は悪魔の眷属だろう。
「現金はご法度。チップに替えられるのは自分の身体のみ、と聞いた」
「ええ。初めてのお客様でしたら髪の毛や爪の一部。一滴の血液などがおススメですよ。交換所はこちらです」
 悪趣味な店だ、と口の中で文句を転がす。人の身体の一部を奪えば悪魔も大層仕事がしやすいのだろう。水木は交換所で髪を一房切ってチップと交換した。後から来た客は血走った目で、ためらいなく手首にナイフを当て銀の皿に血を注いでいる。水木も昔は血を売り買いする仕事をしたものだが、賭け狂いの凶行には顔をしかめてしまう。

「カジノは初めてなんだ。あまりルールが複雑じゃない、初心者でも遊べる卓はどこかな」
「でしたら、ハイアンドローはいかがでしょう。低レートで長く楽しめるかと。ご案内します」
 従業員に案内された卓には水木の他に客はいなかった。少し離れたテキサスポーカーなどは人が集まって白熱しているようだ。
「いらっしゃいませ」
 ディーラーがにこりと笑う。水木はチップを置いて、袖から煙草の箱を取り出した。
「ゲームをしながら、煙草を吸っても構わないか」
 禁煙席も少なくなり、喫煙所か飲み屋くらいしか吸える場所がなくなった。ディーラーは片手を胸に当ててにっこりと微笑む。
「ご随意に。灰皿をどうぞ」
 最近すっかり見なくなったガラス製の灰皿が置かれる。水木が煙草をくわえると、ディーラーがライターを取り出し、火を差し出してくる。
「どうも」
 煙草は吸い放題で、火もつけてくれる。カジノというものは飲み屋とよりクラブやラウンジに近い性質なのだろう。接客も大切な商品の一部だ。
「始めてもよろしいですか」
「ああ、頼むよ」
 ディーラーがトランプを慣れた手つきで捌く。紙の擦れる小気味の良い音と、熱狂のあまり声が聞こえるポーカーの卓。水木はちらりと他の客の顔を伺ったが、何かに取り付かれたように卓に齧りつくものばかりだ。ギャンブル特有のひりつく高揚感に囚われた果てに、人の魂を売り渡す。なるほど上手く出来ている、と煙草の煙を吐き出した。

 ハイアンドローは前に出たカードより次のカードが大きいか小さいかを当てるゲームである。ディーラーが慣れた手つきでカードを捌き、山札から一枚を表に返す。トランプを揃えて役を作る必要はない。高いか低いか答えるだけなので、初心者でもとっつきやすい。
 水木が二、三ゲームこなす内に少しずつチップが増えていく。最初は五枚だけだった一ドルチップが三倍ほどに増えた。
「お客様は幸運に恵まれていらっしゃる」
「ビギナーズラックだろう。大賭は苦手な性質でね」
 短くなった煙草を指に挟んで増えたチップを受け取る。水木は座ったまま、チップの縁を指でなぞる。おそらく、もうすぐ。シャンデリアで幾重にも別れた影が横から伸びて来た。
「水木様、よろしいでしょうか」
 水木が振り返ると入口で案内した従業員が立っていた。
「オーナーがぜひ水木様とゲームをしたい、と……如何なさいますか」
「願ったり叶ったりだ。お伺いするよ」
 水木は煙草を灰皿で押し消して席を立った。


 周りの卓より一段高い所で悪魔は待っていた。やって来た人間は今時珍しい和装姿だ。うねる金髪をゆるく束ね、一礼するこちらをじっと見ている。
「わたくしはオーナーのシトリィと申します。水木様のご用件を推察しお呼び致しました」
 鬼太郎がこちらを探っているという情報は二日ほど前にもたらされた。魂を奪われた人間たちが鬼太郎に泣きついたのだ。シトリィは西洋で長いこと人間から魂を奪ってきた。新天地の日本でも存分に魂を狩るつもりだが、鬼太郎の存在は煩わしい。
「こちらが探っていると知っているのなら話は早い。あんたが奪った人たちの魂を返して欲しい」
 シトリィは表情筋を笑みに見えるよう調整した。奪った魂を喰わずにとっておいたのはこの日のためだ。
 悪魔の契約は強い強制力を持つ。鬼太郎を誘い出し、契約で縛ってしまえばこちらの思うままに魂を狩ることが出来る。名代としてやってきた水木という人間は、鬼太郎の連れ合いらしい。悪魔にとって恋愛だの親愛だのは魂を狩るためにフックにすぎない。人間はシトリィの笑みを冷めた目で見ていた。
「勿論、お返ししますよ。わたくしとのゲームに勝てばどんな願いも思いのまま。こちらの卓で賭けられるのは人間の魂だけなんです。しかし今回は特別に別なものを賭けて頂いても構いません。グィエン、彼をこちらに案内してくれ」
 絨毯を歩いてくる人影に人間が小さく口を開ける。
「鬼太郎? 待ってくれ。人間以外は入店禁止のはずだろう」
「鬼太郎さんにはお客ではなく、景品としてお入り頂いたのです」
 シトリィの言葉に人間が眉を寄せる。鬼太郎は人間の横に立って店内を見回した。
「水木様。もしも、あなたの伴侶である幽霊族の血を一滴残らずすべて賭けて下さるのならゲームに応じましょう」
「それは……
「構わない。やってくれ」
 躊躇する人間の袖を鬼太郎が引いた。
「しかし、」
「いいんだ。奪われた魂を取り戻さないといけないし、水木なら勝てると信じているから」
 鬼太郎が言い淀む人間を見上げて、安心させるように目元を緩めている。麗しい愛情なんぞ悪魔の取引の前に意味をなさない。シトリィは愛想の良い笑みを整えたまま人間と幽霊族を観察する。
「ゲームの準備をしても構いませんか」
 シトリィがトランプを持って振ると、鬼太郎がこちらの手元をじっと見つめる。
「待て。そのカードから妖力を感じる。イカサマをするつもりじゃないだろうな」
 鬼太郎は妖力の気配に聡い性質らしい。しかし、シトリィとてカジノのオーナーとして場数を踏んできたのだ。その程度の指摘を躱すことなど造作もない。
「悪魔のわたくしが取り扱う以上、どうしてもこびり付いてしまうものです。鬼太郎さん、わたくしはあなたの伴侶に残っている妖力について咎めはしませんよ。仲がよろしくて羨ましい」
 シトリィは口角を上げ、自身の唇に指を当てた。人間の口元辺りに妖力が残っている。連れ合いという噂に嘘はないのだろう。シトリィにとって人間とは食料であり契約の媒体である。それに愛情を注ぐとは幽霊族は特異な存在だ。
「わたくしがカードを使って何かする、というのなら証拠を見せていただかないと。しかし、大一番で不安な気持ちも分かります。どうでしょう、新品のカードをお持ちして仕切り直しというのは」
「いや、それには及ばない」
「水木」
 人間の袖を鬼太郎が引く。切実な様子に人間が眉を下げて困った顔をする。
……じゃあ、新品に変えて貰えるか」
「勿論、お客様のご要望通りに」
 新品だろうが人間にはシトリィの腕前を見抜くことはできないのだ。眷属に持ってこさせたトランプのパッケージを破く。わざとらしく包装を床に捨ててカードを取り出した。
「勝負は一回きり。ブラックジャックのルールはご存じですね」
「カードを捲って手札が二十一に近い方が勝ち、だろ」
 人間の声が先ほどより掠れている。喉が狭まるのは緊張の証だ。ゲームの前から獲物は追い込むに限る。
「その通り。カードを捲って合計が二十一近い方が勝ち。バーストだけはくれぐれもご注意を。明快なルールでしょう。必要なのは覚悟と運だけ。それでは最後の確認です」
 眷属がヴェネツィアングラスの瓶を持ってくる。シトリィが一目ぼれして買い求めたそれは、緑と青の縞模様がシャンデリアの光で良く映える。これに鮮血を注ぐと、えも言われぬ美しさをみせるのだ。
「あなたが勝てば捕らえた人間の魂をすべて解放しましょう。負ければあなたの伴侶の血を一滴残らず貰う」
 幽霊族の血には使い道が山ほどある。呪具にしても武器にしても、飲んでもいい。人間のこめかみに汗が伝うのをシトリィはじっくりと眺めていた。
……っ、煙草を吸ってもいいか?」
「構いません。勝負の前の一服は格別の美味さですから。グィエン、水木様に火を」
「必要ない。僕が付ける」
 鬼太郎が水木の持つ煙草に指を近づける。彼の指先から電気が弾け、水木が目を細めて息を吸い煙草の先端に火が付いた。勝負が終われば人間は一人きり、幽霊族は抜け殻になって残りは瓶の中だ。
「賭けの内容は了承して頂けますか」
 誠実に見える仕草、声の抑揚、手先の動かし方。悪魔は獲物が掛かるのをじっくりと待つ。
 人間は深々と煙草を吸って煙を吐き出した。
「ああ……分かった」
 ざらついた声に緊張が見て取れる。シトリィは両手を合わせ、朗らかに目元を緩めた。
「では、契約成立だ。さっそくゲームと参りましょう」
 カードを手に取り、上下に分けてかみ合わせ右手から左手へ落とす様に切っていく。獲物は罠にかかった。後は掴んで括って捌くだけ。
 卓の上に山札を置いて、シトリィは調理を開始した。


 ブラックジャックは山札から互いに二枚のトランプを取ることで始まる。片方は裏に伏せ、もう一方は表にして置く。伏せたカードの数字は自身で確認し、相手には見せない。枚数が足りなければ山札から追加でカードを引くことができ、合計が二十一に近い方の勝ちとなる。
「どうぞ、ご確認ください」
 人間の表のカードはダイヤの六。対してシトリィのカードはスペードの十。卓に載せられたカードは全てシトリィの支配下になる。シトリィには伏せられたカードの数字は見えていた。人間の手札の合計は十四。対してシトリィは十九。
「わたくしはステイで。もう一枚引くならどうぞ」
 人間は煙草を呑むと山札に手を伸ばした。
「さあ……そのカードがあなたの運命だ」
 そして終わらせてくれ。人間は山札から取ったトランプを表に返す。煌々と光るシャンデリアの下で結果が露わになる。
 ひっくり返した手札はハートの八。ダイヤの六とクラブの八と合わせて水木の手札の合計は二十二となっている。ブラックジャックは手札の合計は二十一を超えると負けとなる。
「では伏せたカードを見せてください。おや、残念でしたね」
 シトリィは何も知らない顔で伏せていたカードに指をかけひっくり返した。表になったスペードの九を人間が凝視する。シトリィの手札の合計は十九。人間は勝負に負けた。
「っ……
 人間の事実から目を背け震える指で目元を覆う仕草は、シトリィの加虐欲を存分に満たしてくれた。獲物を仕留めれば後は捌くだけだ。
「実に惜しい! あと一つ数字が若ければ水木様の勝ちでしたのに……残念です。幸運の女神はわたくしを祝福してくださったようだ。では契約通り幽霊族の血を頂きましょう」
 人間の横に立つ鬼太郎は眉一つ動かさない。動揺の一つでも顔に乗せてくれた方がシトリィの好みだが、文句をこぼす気はなかった。全身の血を抜かれれば、幽霊族とてただでは済まない。この先の自由な狩りを想像して口内に唾液が溜まる。
「鬼太郎さん、楽にしていてください。すぐに済みますからね」
 獲物に微笑みかけ、悪魔が指を鳴らした。瞬間、ゴポリと血が零れる音がした。

「あ……あえ?」
 鬼太郎は傷一つなく平然と立っている。かわりにシトリィの口から血が滴り落ちていく。言葉を発しようにも血がのどに詰まって上手く喋れない。足の力は抜けて膝を付くと、口から溢れた鮮血が絨毯に血だまりを作った。
 人間が、水木と言う男が指の間から目を覗かせている。動揺の欠片もない冷めた目がこちらを見下ろしていた。
「残念だったな。女神さまは悪魔が嫌いだってよ」
 シトリィの言葉を人間があげつらって笑う。妖力を巡らせて止血しようにも頭が締め付けられるように痛み、血と声が零れる。なぜ、という問いだけが痛みの中から這い出そうとしていた。
「イカサマは悪魔の専売特許じゃない。こちとら元よりゲームに勝つ気はなかったんだ」
 人間が煙草を押し消してテーブルに置かれた瓶を掴み、血だまりの悪魔に近づく。絨毯の上で控えめな下駄の音と、すり寄る雪駄の音。
 コロコロ、ペタペタ。シトリィに死の音が近寄る。
 シトリィを見下ろす水木の横で、鬼太郎が伴侶の横顔に強い眼差しを向けていた。シトリィのことなど眼中にない。勝負はとっくについていて、獲物になったのは自分の方だ。
「お前のイカサマを見抜くことは出来ない。熟練のディーラーを打ち負かそうなんて狂気の沙汰だ。仕掛けたのは契約の方さ。悪魔の契約方法は色々あるんだろ。書類にサインするもの、血を使うもの……声を交わすもの。お前の契約は声を媒介にする。そして、お前は俺じゃなくて、『こいつ』と言葉を交わした」
 人間がふっと息を吐き出す。煙草と異なる煙が口元からするすると出てきて、人のような形をとった。
「ゲホッ! よ、ようかい……!?」
「そうだ。煙々羅という煙の妖怪だ。煙草と一緒にこいつを喉に留めていたんだが、ついぞ気が付かなかったな」
 煙が揺らいで人の顔が現れた。悪魔を見下ろし、目を細めて口元を歪める。
「こいつに幽霊族の伴侶なんてもんはいない。契約の前提が間違っているんだ。だからゲームの勝ち負けに関係なく契約は不成立となり、全てお前に返ってくる」
 悪魔の契約は絶対だ。結べば双方が縛られるもの。果たせなければ我が身に返ってくる。それゆえに悪魔たちは自分が不利になるような契約を避けなければならない。契約事項に間違いがあるなど許されない。シトリィの狩りの経験が、千を超える命を奪ってきた実績が緩みとなり人間に隙を突かれた。
「俺に残っている妖力を誰のものか決めつけるとは不注意だったな。カモにされると知っていて獲物が飛び込んでくるのなら」
 狙われているのはお前だよ、と人間の声音が降ってくる。人間が鬼太郎に瓶を渡す。鬼太郎がシトリィの前に瓶を置いた。ヴェネツィアから取り寄せた美しいガラスに自分の顔が写っている。
「血を一滴残らず全て、だったか。とっとと払って貰おうか」
 人間の言葉と共にシトリィの指から足から胸から血が零れだす。身体に力を入れることができなくなり血だまりに崩れ落ちる。シトリィの視界は、自分を騙し切った人間と幽霊族を最後に捉えて喪失した。


 絨毯に染みた血がするすると瓶に飲み込まれていく。丁度八割ほど注がれたところで悪魔の身体が灰に代わった。青白い魂が揺らぎ部屋から外へと漂っていく。
 鬼太郎が固唾をのんで見つめていたものたちを振り返った。
「お前たちの主人は肉体を失った。このまま日本を出て行くなら見逃してやる。もしも、まだ居座ると言うのなら」
 覚悟しておけ、と鬼太郎が宣言する。ディーラーをしていた悪魔の眷属たちは青ざめた顔で我先に店を飛び出していく。用心棒も憎々し気に鬼太郎を睨んでから踵を返した。数羽のコウモリが逃れるように飛んでいく。
 店が砂のようにサラサラと崩れて始めた。シャンデリアの光が失われると、コンテナが積み上げられた港の一角に戻った。賭け事に熱中していた人々は座り込んで呆然としている。
「こいつらは放置でいいだろう。その内正気に返って、自分で帰れるさ」
 水木は熱狂が消え失せた人間を眺め、新しい煙草を取り出した。
「お疲れ様でした。僕にも一本くれませんか……人目もありませんし」
 水木は煙草の箱を鬼太郎に向けてやる。水木と鬼太郎以外は茫然自失で歩き煙草を咎めるものもいない。鬼太郎が電気で二人分の煙草を付ける。その煙に乗って煙々羅が姿を現した。
「世話になったな、煙々羅。おかげで悪魔を退けることが出来た」
「なあに、西洋妖怪を打ち負かすのは愉快だった。水木さん、アンタもなかなかの役者だね」
 楽しかったよ、と言って煙々羅が煙で出来た顔にウインクを浮かべる。
「報酬は浅草の店の線香で頼むよ」
「勿論、最高級品を買ってくるさ」
 水木の言葉に煙々羅はぶわりと体を広げ、白み始めた朝日に向かって飛び去った。

 コンテナに寄りかかり煙草を吸っているとカラスが一羽飛んでくる。鬼太郎が腕に乗せるのを水木はぼんやり眺めていた。
「眠っていた人たちが目を覚ましたと父さんから連絡です」
 依頼人の娘が目を覚ましたのだろう。依頼人の男はどうしているだろうか。
「カジノも壊滅したし、眷属たちも国を出るだろう。めでたし、めでたしだな」
 この一件は解決してもギャンブル依存症が治る訳ではない。懲りて治療外来に行くように願うばかりだ。鬼太郎はカラスの首元を撫でてから離してやった。東の空はすっかり明るくなり、太陽が姿を見せるまであと少し。
「毎回のことだけれど、水木の交渉は肝が冷える」
「俺は勝ち筋が見えている案件にしか手を出さないぞ。いくら口八丁手八丁で何とかすると言っても限度がある。そこだけは間違えないつもりだ」
 水木はかつて取り返しのつかない失態をした。なんとなると高を括って鬼太郎と目玉をひどく傷つけた。それ以来手に負えない案件に首を突っ込まないと決めている。鬼太郎を悲しませるようなことだけはしない。
「分かっているさ。……ああ、でも」
 鬼太郎が水木の手を握った。海風に揺れる髪の向こうにこちらを見上げる視線が見え隠れする。
……鉄火場で仕掛ける水木の面差しは、火花みたいできれいだった」
 飾り気のない鬼太郎の言葉がすとんと胸に落ちてくる。水木は自然と煙草を挟んだ手で口元を覆った。手のひらの下の口元は喜怒哀楽どれにも当てはまらず、何とも言えない有様になっている。
……時々こっぱずかしいこと言うよな、お前って」
「そうだろうか。自分だとよくわからなくて」
 無自覚だからこそ響くのだろう。水木は気を紛らわそうと煙草に口を付ける。熱心にこちらを伺う視線を吐き出した煙の向こうに隠し、気が付かない振りをした。