みがきにしん
2024-06-08 23:27:16
4083文字
Public アラン君のお話
 

探検手帳と旅する理由

黄金に向けてのアラン君の心持ちの話。

 崩れかけた遺跡の門の上に立ち、キャンプ・オーバールックを眺める。遠くには高地ラノシアのワンダラーパレスが見え隠れし、かつてここにあった古代都市、ニームの威容が感じられた。
 天気は曇天。早朝らしい薄明るい空は雲に遮られ、いつもよりはやや暗い。この地に駐屯する紅燕陸戦隊はちょうど夜間の番と昼間の番が交代する時間なのか、キャンプの方からざわめきが風に乗ってやってくる。
 アランはぼんやりとそれらを眺めながら、そういえばこの場所をじっくりと眺めたことはなかったな、と思った。外地ラノシア自体は何度も来たことがあるが、目的地に向かって一直線に向かうばかりで、こんな風に天候も気にしつつエオルゼアの景色を味わったことはない。
 機会がなかった、急いていた、と言えばそうだ。この地域に用がある時はすなわち、コボルト族が蛮神を召喚する時で、事態は一刻を争うような場面だった。だから景色を眺めるなどという悠長なことをしている暇もなく、一直線にチョコボを走らせた。そうでない場合も人を訪ねるなどせねばならず、数時間にわたってぼんやりとするなどということはなかった。
 もちろん、僅かばかりもゆっくりする時間がなかった、というわけではない。これまでの旅で待ち時間はいくつもあった。外洋航路の船を何日も待つこともあったし、遠方に旅するための準備をするのに一週間かかったこともあった。暁の活動報告まで街をぶらつく、なんてことは何度もした。ただ、こうしてひと時の景色だけを目的にして、その景色を眺めながら物思いに耽るなどということがなかっただけで。
 ミリス・アイアンハート嬢のくれた探検手帳をなぞりながら、自分はまったくエオルゼアのことを知らないのかもしれないな、とアランは思った。少なくとも、こんな景色は知らなかった。何年も旅をして、何度も訪れた土地なのに。なんだかそれがおかしいやら悔しいやらで、青年は口角を上げた。
 ここ数か月の間、アランはエオルゼアのあちこちを放浪していた。ウクラマト嬢への返答を保留にして、だ。彼女は今も辛抱強く、オールド・シャーレアンで待っている。まあ、新大陸への旅は生半可ではなく、行くと即答したところで少なくとも数か月待たされるとのことだったから、そんな不義理も許されている。
 新大陸――トラル大陸へ向かい、王権レースに参加してくれないか――。そう尋ねられた時、青年は行くと反射的に言いかけ、ややして口を閉じて返答を保留した。新しい土地に興味がないわけではない。どんな理由で訪ねるにしても、知らない土地は心躍るものだ。だが、なんとなく心の置き場が見つからなかったのだ。
 オールド・シャーレアンへは、テロフォロイへ対抗するため。第一世界へは、魂を喪失した暁の皆を追いかけて。アラミゴへは、イルベルドによって開かれた戦端を平定し、帝国支配下から解放するため。ドマへは、アラミゴを解放する同士を求めて。イシュガルドへは、謀略によって壊滅した暁の炎を消さないため。
 長い旅の中、ほとんどの時間で、アランの背中には多くの命と託された希望があった。歩みは重く、胸中は苦く、ともすれば立ち竦んでしまいそうになりながらも走り続けてきた。 「光の戦士」「神殺し」「解放者」「闇の戦士」「英雄」。どれも書いてしまえばたった数文字の言葉だ。だがそれらは確かに己を指していて、そしてそれに命を掛け希望を託した人が大勢いた。まるで薄っぺらい言葉、けれどただそれだけのために、彼らは時に命を差し出してまでアランを生かした。だからそれに応えようと思ったのだ。彼らの夢見たその「英雄」を、決して嘘にさせたくなかった。だから率先して背負った。手を差し伸べ続けた。血が流れようと膝が折れようと立ち続けた。
 冒険者として登録するため改めてリムサ・ロミンサに帰った日のことを、アランはもはや覚えていないし、何物でもなかった日々を懐かしむことはあっても、その日に戻ることはもうできないと思っている。英雄であることも、その振る舞いも、そうあり続けるための努力も、引き剝がせない程度にはもう自分の一部になっているからだ。
 だから今更、何にも背負わず力を貸すだけでいいと言われて、うっかり困ってしまった。そんな都合のいいことあるのか。陰謀は? 政治は? 誰かの祈りや切なる希望は? ない? そんなことあるのか? 本当に?
 だが、冷静になって世界を振り返ってみると、少なくとも旅を始めたころよりは随分色々なものが変わってマシになっていることに気付くのだ。 蛮神問題は蛮族のテンパード化解消により劇的な進展を見せ、ガレマール帝国は崩壊して侵略行為が止まった。帝国占領下にあったいくつかの国が解放されたことで難民問題にも歯止めが掛かり、霊災を引き起こしていたアシエンをはじめ、この世をこの時代に至るまで人知れず動かしていた古代人たちは皆、星海に去った。青い鳥はようやく優しい歌を歌えるようになり、終末はもう訪れない。もちろん、問題は日々大量に発生しているが、それらはきっと各国で対応できる。
 当然、それはこの星がいつまでも続くということを意味しない。たった数年後には今の平穏なんて嘘のように、この星が滅ぶような戦争をするといった事態もありうるかもしれない。だがそれはその時にならなければどうしようもないし、今のところ今日起こる気配はない。少なくとも知る限りは。
 改めてそう考えた時、アランは少しだけ思ってしまったのだ。あれ、じゃあ俺が向いてもいない「英雄」なんてしなくてもいいじゃないか? もう旅をやめて、どこか落ち着ける場所に行ってもいいんじゃないか? そうでなくとも、顔なりを薬で変えて名前も伏せて、ただの冒険者になったっていいんじゃないか? ウクラマトの誘いは確かに魅力的だが、わざわざ王権レースになんて参加しなくても、新大陸に向かう船に適当に紛れ込んで行けばいいんじゃないか?
 そう思って思ってしまったら――返事ができなくなった。ウクラマトやエレンヴィルはどちらなのかと話を振ってきたが、グ・ラハだけはアランの気持ちが分かったのか「すぐに返事をしなくてもいいんじゃないか?」と周りをなだめてくれて、今に至る。
 そんなわけでアランは、今日ものんびりとエオルゼアを放浪している。随分長くしまい込んでいた探検手帳を取り出したのは、目的なくぶらぶらしていると、どうしても医師の真似事をして僻地で癒し手の修行をしたり、木人相手によりよい戦闘法がないか試そうとしてしまうからだった。これから自分がどうやって生きていくのかを考えたいのに、いつものように技術を磨くことに必死になっては元の木阿弥だ。
 外地ラノシアのはずれには、いつの間にか遠くから争う音と、岩がこすれあう音が聞こえてきていた。遠くを眺めていた目を下ろせば、街道沿いになぜかゴーレムが大量発生してしまい、紅燕陸戦隊たちが対処を試みているようだ。
 アランは腰から下げていたチャクラムを手に持ち、門の上から飛び降りる。若干逃避めいているが、数か月間景色を眺めることだけを目的にして、時に雨の中を、時に晴天を、時に暴風の中でエオルゼアを歩くことは、考えるのに十分な時間を与えてくれた。
「手伝います」
 そう告げれば、おう! 助かる! 斧を振るいながらも答えてくれる隊員たちに目礼を返し、チャクラムを投げる。回旋する鋭い刃がゴーレムを形作る岩を削り落とし、コアを露出させた。そこに隊員の一人が飛び込み、思い切り武器を叩きつける。高い音がしてゴーレムがただの土くれに還っていく。
 ここ数か月考えた末分かったことがある。
 アランはこうして困っている人がいれば結局手を貸してしまうし、知っている土地でも知らない顔があることを悔しく思ってしまう。
 もう一人の隊員に拳を振りかぶった敵には、エーテルを編みこんだ舞踏が物理的な破壊力を持って襲いかかった。魔法の如きその奔流に飲み込まれ、コアは露出する間もなく真っ二つに割れる。
 美しい景色を見れば勝手に心が震え、知っている土地に知らない暮らしがあれば知りたいと思ってしまう。
 比喩でなく踊るように青年のチャクラムが空を切り、味方を傷つけることなく敵だけを破壊する。その様に勇気づけられたのか、隊員が気勢を上げてまたゴーレムに挑みかかっていく。
 そういえばエメトセルクはそんな性質をを知ってか知らずか、色々と面白そうな景色をつらつらと述べていた。『私は見たぞ』とまで付け加えて。
 アランはチャクラムを投げつけながら高らかに笑った。ああ、くそ。その中のいくつかは確かに見ていない。それが悔しい。同時にこの世界にまだ知らない場所が、知らない土地が、知らない暮らしがあることが嬉しい。ゴーレムがまた一体崩れ落ちた。
 旅を辞める? そんなことできるわけがない。ただの冒険者になる? それはそれで面白そうだ。けれど王権レースを放り出して、いち早く新大陸に行く機会を逃すなんて――とてつもなくもったいない! そうしてその船に乗る権利のために、英雄として積み上げた力が必要ならば、そうあり続けるために研いできた刃が必要ならば、どうしてそれを捨てなければならないだろう!
 青年は踊った。浮きたつ心のままに足を跳ね上げ、くるりと回り、チャクラムを投げ上げた。思うままに武器は飛び、ゴーレムの体を切り裂いて手元に戻ってくる。ステップのたびに舞踏が形になり、波濤のように周囲の敵に襲い掛かり破壊する。
 そうして気が付けば、街道に群がっていたゴーレムは一つ残らず土くれとなっていた。『ありがとな』『いい旅を! 冒険者!』口々にお礼を述べる隊員たちがコインを渡してくる。アランは笑い、こちらこそありがとう、と返してその場を辞した。
 答えは決まったのだから、もう放浪の日々は終わりだ。ちょうどすべてにチェックマークの付いた探検手帳をバッグにしまい込みながら、青年はテレポの魔法を唱えだした。