オルカはひどく落ち込んでいた。オユンが掛けてくれたふかふかの毛布の中で、体を小さくしてしょげかえっていた。しかも体の調子もよくない。頭はあついし喉はじくじくして、たくさん着ているのに体はさむい。けれどそれは自分のせいだ。
「ウウ…………」
オユンは怒ってしまっただろうか。それとも、呆れて一緒にいるのが嫌になってしまっただろうか。だから出て行ってしまったのだろうか。
カタカタと体を震わせながら、ぐすりと鼻をすする。考えれば考えるほど、しっぽの先まで冷たくなって、やってしまったことの後悔で、じわじわと泣けてくる。
「ゴメン、おゆちゃん……」
おれ、うそ、ついちゃった。うそは、わるいことなのに。ぜったい、しちゃいけないことなのに。でも、でも、じゃあどうすればよかったの?
故郷では「言葉はうその源」だという。言葉が話せるようになって、本当にそうだと思う。オルカの気持ちとは別に、言葉は口から出て行って、それが勝手にうそになってしまった。
ぽたぽた涙が枕に落ちる。けれど体を動かすのも怠くて、水は枕にじわじわしみ込んだ。泣いていると頭がぼうっとして、昨日のことを勝手に思い出してしまう。思い出したくもないのに。
昨日はひどい雨だった。氷混じりの冷たい雨の中、傘もささずにオルカとオユンは走っていた。ここ数日追いかけていた食い逃げ犯をようやく見つけたのだ。
依頼人は行きつけの定食屋のおばちゃんだ。ミコッテ族の食い逃げ犯は身軽で素早く、おばちゃんをはじめ、食べ物屋の人が追いかけても捕まらない。このままではやっていられない、どうにかしてくれないか…とのことだった。
もちろん、二人は頷いた。いつもおいしいご飯を出してくれるおばちゃんが困っている。それだけで引き受けるには十分すぎた。
だが、相手はいくつもの店で食い逃げし、今まで捕まっていないような犯人だ。聞き込みをしても店に張り込んでも、空振りする日が続いた。
季節は冬。毎日長い時間じっとしているせいか、張り込み中のオルカはふいに背中を撫でた寒気にぶるりと身を震わせた。寒いけれどがまんがまん。
それを見て、隣でオユンが首を傾げる。
「寒いか? 今日は雪になるかもって話だし、無理するなよ」
確かに寒かったが、オルカはとっさに首を振っていた。毎日、どこかの店で食い逃げされたという話を聞く。今日こそ食い逃げ犯をつかまえたい。
「ウウン、だいじょうぶ! 今日こそハンニンつかまえようね、おゆちゃん」
「おゆちゃんはやめろ」
ぺち、とはたかれてえへへと笑う。ぶっきらぼうだけれど、ちゃんと相手のことを見ている。オユンのこういうところが好きだなあと思う。
「あ」
見張っていた店から、人相書きによく似たミコッテが出てくる。同時に、店の中から叫び声。
「食い逃げだ!誰かつかまえてくれ!!!」
オルカとオユンは頷きあい、建物の陰から飛び出して走り出す。その背中を、冷たい雨がゆっくりと叩きだした。
結局、街中走り回った食い逃げ犯は、二人が追い詰めた先で関係のない冒険者が捕まえた。オユンは悔しがったが、オルカはそれで別に良かった。これで定食屋のおばちゃんも安心して店を開ける。それより、冷たい雨でずぶぬれになったせいか、なんだか寒気がひどくなってきている方が気になった。
おばちゃんに報告をしていたオユンが戻ってくる。店の前でカタカタ震えるオルカに気付いたのか、慌てたように顔を覗き込まれた。
「おい、大丈夫か?」
なんだか頭がぼうっとしてきていたが、オルカはオユンに心配をかけたくなかった。だってひどく濡れているのはオユンも一緒だ。だから、無理に笑ってみせる。
「ン…だいじょぶ……!」
だが、オユンは怒って、オルカの手を取ってぐいぐいと歩き出した。
「嘘つくな馬鹿、大丈夫って顔してねえよ!」
早く帰って着替えんぞ!
だが、オルカは続く言葉を聞いていなかった。「嘘つくな」という言葉がわんわんと響いて、目をまん丸にした。しかもなんだか頭が痛くて、同じことばかり頭の中でぐるぐる回る。
うそ。
うそ?
おれが、うそつき?
すんすんと鼻をすする音が布団の中から聞こえてきて、オユンは目を瞬いた。風邪をひいたらしい相棒をベッドに押し込んだのが昨夜。そのままおとなしく寝ているかと思ったら、どうやら違うらしい。
湯気を立てる卵がゆをテーブルに置き、こんもりと丸くなった布団を軽く叩く。
「起きてるか? なんか食えそうか?」
ウウ、と「はい」とも「いいえ」とも言えそうな唸り声が返ってくる。はいと受け取ることにして、べりべりと厚い布団を引きはがした。さっき出かけた時に薬をもらってきた。食べ物を食べてから飲んでくださいとのことなので遠慮はしない。
「おゆちゃん」
「ウワ、ひでえ声」
布団の繭から出てきたオルカはひどい有様だった。顔は真っ赤で、声はガサガサ。頬には涙の跡が筋になって、泣きすぎたせいなのか目は腫れている。
「ゴメン…ごめんなさい…」
しかも、まだ泣いている。身を起こしてもほとほとと涙をこぼす理由が分からなくて、オユンは戸惑った。
「いや、なんで泣いてんだよ。風邪はしょうがねえだろ」
それくらい昨日は寒かったしひどく濡れた。元気印のオルカだってたまには風邪を引くだろう。今回、オユンが元気なのはたまたまだ。
けれど風邪っぴきのオルカはぐすぐす鼻をすすって首を振る。
「おれ、ウソ…ついちゃった…」
「……は?」
理解ができず、オユンは顔をしかめる。ウソ、嘘?
「元気じゃないのに…ダイジョウブって……」
「あ、ああ~……」
ようやく合点がいって、オユンは唸った。つまりあれだ、心配のあまり思わず言った『嘘つくな』を真に受けてしまったらしい。ケスティル族にとって嘘はひどく重たいタブーだ。反射的に言ったとはいえ、失敗したと考えても後の祭りだ。
そもそも、まあ嘘といえば嘘だが、少なくともオルカが騙そうとして言ったわけではないことは分かる。きっとその時は大丈夫だと思ったのだろう。オユンだって、そういう時はある。
「…………とりあえず食べろ」
顔にしわを寄せたまま、ひとまず卵がゆをよそってオルカに突きつける。何にせよ食べて薬を飲んで寝るのが回復への早道だ。
おそるおそるというように粥にさじを入れる相棒を見つめながら、オユンはどう伝えるべきか頭を悩ませ始めた。
「あのな」
卵がゆを食べ、薬も飲んだあと、オユンがゆっくりと口を開いた。オルカの肩はびくりと震える。実は優しいオユンだから、風邪を引いたオルカを見捨てないでいてくれているけれど、心の中では自分をケイベツしてるのかもしれないと思うと怖い。
「あ~……なんてったらいいかな。あるんだよ、言ったことが嘘、になること」
がりがりとオユンは頭を掻く。オルカの言葉の先生であるオユンは、困ったように言葉を続ける。
「その時はそういうつもりじゃなくても、あとからそうなっちまう、みたいなことはよくあるんだ。気持ちとは別にさ」
言葉って難しいよな、と相棒は困ったように笑う。
「例えば、明日市に羊を10頭連れてくる、って約束したとするだろ。でも、事故で一匹減って、連れてこれる羊が9頭になっちまった。これって約束を破ってるし、嘘とも言えるよな。でも、約束したときは10頭連れてくるつもりだったんだ。なんか、そういうことだろ、今回のは」
だからさ、とオユンはいう。気にしなくていいと。気持ちと状況と言葉は別物で、だから気持ちのままに話しても、状況のままに話しても、間違いになってしまうことはあると。
言葉ってむずかしい。オルカは思った。たとえ話は分かるような気がするし、全然分からない気もする。
だが何より、思わす出てしまった言葉がウソではあったが、ウソではなかったことに安心した。オユンがそれを気にしていないことも、オルカにがっかりしていないことも。
安心したらまたぽろりと涙が落ちて、オユンが慌てたように「おい!」と声を上げる。オユンはえへへと笑った。なんだか頭の熱も少し引いてきた気もする。
今からならよく眠れそうだ、とオユンは思った。
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