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torino_y
2020-10-19 23:34:17
3446文字
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『九宝のせかい』小編3
クライドの工房にやってきたエドワードによる語り。気を遣いあう兄弟。二人の生き方の違いについて。
目的の工房の扉は、開けるとギイギイと大きな音が鳴った。
ところどころ錆びついたりへこんだりしている、古い扉だ。それでも中と外を隔てる役割を忠実に全うしているようで、扉の内側から外の喧噪を聞くことはできなかった。
オレの兄の一人であるクライドは、歯車の国に住んでいる。
今は歯車の国のビレットギアという町に工房を構え、機械技師や、調剤師や、情報屋として生計を立てているらしい。オレには三つともあまり馴染みのない職業だから、詳しいことはよく分からない。
オレには馴染みがないが、ウィル
――
本名はウィリアムだが、オレはウィルと呼んでいる
――
にとって調剤師は重要な職業だ。ウィルは回復魔法が使えないから、魔法の代わりに調剤師が作った傷薬を使って怪我を治している。
今日オレがクライドの工房に来た目的は、ウィルのおつかいだ。別の用事で来られないウィルに代わって、クライドに頼んでいた薬を一人で受け取りに来た。
だが、クライドの工房には先客がいた。この近くに住んでいる人間だろう。
先客の男とクライドは親しげに会話をしていた。オレはその様子を、少し離れたところから眺めた。二人の邪魔をしないように。
クライドはオレと同じだ。人じゃない。生き物ですらない。
そんな兄が自分の正体を隠し、人のフリをして人間とやりとりしている瞬間を目の当たりにするのは、なんだか奇妙な感じがした。
真っ黒なカラスの群れの中に一羽だけ真っ白な鳥が紛れていて、みんなと仲良くするために全身を黒い絵の具で染めている。クライドがやっているのはそういうことだ。雨が降れば黒い絵の具は簡単に流れてしまう。そうでなくても、真っ白な鳥は本当はカラスですらないのだ。一羽でも生きていけるのに、ほとんど無駄とも思える努力を続けることに、一体どれほどの意味があるのだろう。
それでも、オレはその努力を否定するつもりはない。だって、黒い絵の具を被って人のフリをするクライドは、とても楽しそうに笑っていたから。
*
「エド、悪い。待たせちまったな」
「いいぞ、気にしてない」
男が去ったことで、工房にはオレとクライドの二人だけになった。
クライドは後ろの戸棚から瓶を何本か取り出し、台の上に並べた。
「いいか。こっちの口が広い瓶に入ってるのが塗り薬だ。で、こっちの細長い瓶が飲むタイプのやつ。傷口が大きい場合は飲み薬を使うんだ。味は最悪だが、痛み止めの効果もあるからな」
「うん」
「ちゃんとウィルに伝えろよ」
「わかってるぞ」
「瓶、割るなよ。お前は力加減が下手くそだからな」
「割らないよ。平気」
「どうだか。前にも固い瓶の蓋開けようとして粉々にしただろ」
オレって、なんて信用がないんだろう。でも仕方がない。実際、オレはそうしていくつもの瓶を犠牲にしてきた。力加減はオレの苦手分野だ。
反論できずにむくれるオレを見て、クライドは息をつくようにそっと笑った。クライドはいつも余裕そうだ。
これが真白だったら、オレは笑われた瞬間に殴り飛ばしていただろう。人と話すときに余裕そうな態度でいるのはクライドも真白も同じだが、真白の笑いには他者への嘲りが混じっている。
だが、クライドの持つ余裕は、相手より優位にいることで生まれているものじゃない。だからオレも苛立たず、落ち着いた気分で話しができる。
「オレだって最近は物を壊さないように、ウィルと一緒に練習してるんだぞ」
「そうなのか。ウィルとはうまいことやれてるのか」
そう聞くクライドの口調は穏やかだ。オレが人間と一緒に過ごしていることに対する心配や揶揄いの意図は、クライドの声音からは感じられない。ただ純粋に、オレがウィルと素敵な日々を送っていることを確認したがってる。
オレは最近あった楽しいエピソードを話すことにした。
「この前、ウィルの食事の用意を手伝おうと思って野菜を切ってたら、間違ってオレの指も切り落としそうになった」
「うわ
……
ウィル、引いてただろ」
「血がすごい出たから慌ててたぞ。それで、オレの指に包帯を巻いてくれた。そんなことしなくてもすぐに治るって知ってるはずなのにね」
「嬉しそうだな」
「うん、嬉しかった。手当してくれたこともそうだけど、野菜を血浸しにしちゃったあとに、まだやるかって聞いてくれたんだ」
「やめさせられなかったのか」
「まあ、さすがに辞退したけど」
薬を袋に詰めながら、クライドはオレの話を楽しそうに聞いてくれた。オレが笑うと、クライドも笑いながら相槌を打った。
オレがウィルと
――
人間と
――
仲良くしていることが、クライドを喜ばせているんだ。
それが分かったから、オレも遠慮せずクライドに質問する決心がついた。
「君は? 人のフリをしてここで暮らすのは楽しい?」
声に出してみて、オレは自分が目の前の兄を心配しているのだと気付いた。自分で思っていた以上に、オレの声には心配の色が濃く滲んでいた。
袋詰めの作業を続けていたクライドの手元が一瞬止まる。
しかしすぐに、クライドは何事もなかったかのように作業を再開した。彼の表情も、声音も、変わることはない。
「ああ、俺もちゃんと楽しいよ」
そんなので納得できるわけがない。
「嘘でしょう」
「嘘じゃない。楽しくなきゃ、わざわざ人のフリなんてしないさ」
「それは、そうだけど
……
」
クライドとオレは同じだ。人じゃない。だから、人のフリをして生きていくことがただ楽しいだけじゃないことくらい、オレにだって分かる。
オレたちは、自分が本当は真っ白な鳥であることを知っている。それなのに、カラスの群れの中で生きていくために、クライドは黒い絵の具を被っている。
オレの心配に気付いていながら、クライドは余裕そうな笑みを浮かべ、落ち着いた態度を崩すことなく話を続けた。
「エド。お前だってさっき、ウィルとの日常を楽しそうに話してた。それと同じだよ」
クライドの言うことは間違っていない。オレはウィルと一緒に過ごす日々を楽しんでいるし、旅先でたくさんの人と交流する時間が好きだ。
でも、オレとクライドでは、人との関わり方が違っている。
オレが同じ時を過ごすのはウィルだけだ。オレが関係を築いている相手はウィル一人だけだし、そのウィルにはオレの正体を明かしている。
クライドの生き方はそうじゃない。
「
……
オレと君じゃ全然違うよ。君は町に住んで、誰とでも広く交流をするけど、自分のことを誰にも明かさないじゃないか」
クライドは黙ったまま、オレの言葉の続きを待っていた。
ふと、この工房の照明が暗いことに気付いた。少し俯き気味になったクライドの顔が影になってよく見えない。
「
……
オレたちは、人とは流れる時間の速さが全然違うし、価値観だってまるで分かり合えない。それに、人が扱うには大きすぎる力も持ってる。人と一緒に生きていくために本当の自分を隠しておきたいと思う理由は、オレにだって分かるぞ。分かるからこそ、オレやローランドは、人と決して交わらない場所で孤独に生きる方を選んだんだ」
「何が言いたい」
鋭い声に驚いて見ると、クライドはオレに対して警戒の眼差しを向けていた。
クライドから余裕が失われたことで、オレは狼狽えた。これ以上話を続けたら、クライドを怒らせてしまうかもしれない。オレは彼を怒らせたいわけでも、まして傷つけたいわけでもない。
この先は恐らく、クライドにとっては不用意に触れられたくない話題なのだ。だったら、この話はここでやめてしまうべきだ。
「いや、何でもない。オレには選べなかった生き方をしてる君が、心配になっただけだぞ」
オレがそう言うと、クライドは僅かに眉を下げた。すでに警戒の色はなく、いつも通りのクライドがそこにいる。
「そうか。気を遣わせて悪いな」
話しが終わったタイミングで、背後にある工房の扉が大きな音を立てた。
オレは薬を詰めてもらった袋を受け取って、クライドの元を離れた。
去り際にすれ違った人間の客も、最初の先客と同様、ここの常連なのだろう。クライドに親しげに声をかけているのが聞こえてくる。
あれは、オレが選べなかった生き方だ。その生き方を否定するつもりはない。
それでも、クライドのように生きたいとは、やっぱり思えない。
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