倉木
2024-06-08 13:40:04
11537文字
Public 新亀
 

シンクロニシティ

新亀LD
一日だけ記憶喪失になったLの話。
イベントにて頒布したもののWeb版です。
Web掲載にあたりレイアウトは変更されていますが、本文の内容は同一です。


深層から浮上した意識は指先の感覚が戻るまで幾分かかかる。
時計を見ると刻んでいる時刻は予定していたよりもずっと早かった。
どうやら今日はあまり集中できていないらしい。
立ちあがり軽く身体を動かして見るがこれといって不調なところはない。
それゆえに不可解ではあったが、あまり煮詰め過ぎるとそれこそ何の為の修行かわからなくなる。
無意識な意識の乱れが起こっているのだろう、まだまだ未熟だ。
一度気分転換をしようと修練場を出ると、少し曲がったカレンダーが目に留まる。
傾いていることに加え乱雑に破かれたせいか前月分の名残が歪な形として残っていた。
白い切れ端が今月の数値にまで侵食している。
こんな雑な破き方をする犯人が誰なのか、候補は限りなく絞られる。
レオナルドはしょうがないと溜息をつき、その名残を丁寧に破いていった。
右手がくしゃくしゃの紙でいっぱいになった頃、ようやく綺麗な切り口で整った。
しっかりと角度を直し二歩後ろに下がり眺める。
左右均等なカレンダーに思わず鼻を鳴らした。
無意識に目を向けていた今日の日付。
問題なのは、その隣。
今日の前日は昨日、そんな当たり前のことだがレオナルドはしばし考え込んだ。
昨日は、一体何をしていたのか?
賑やかな家族に囲まれていると退屈を感じることなんてなく、毎日が思い出深いことばかりだ。
それなのに昨日はどんな日だったのか思い出せなかった。
まるでその日の記憶が全て取り除かれたように、断片すら何も。
レオナルドはそのまま思考を巡らせるが、自分ひとりではどうにもならないと思い直した。
たかが一日くらい、と言われそうだが些細な違和感は何か重大な事象を起こしかねない。
それをわかってくれそうで、なおかつ解を見つけてくれそうな相手のいるであろう場所へ足を向けた。


********


断続的に聞こえるモーター音は、声をかけても本人の耳には届かないであろうことが予想ついた。
後ろから覗き込むと鋭利な器具を持っていて背中を叩こうものなら怪我をしかねない。
さて、どう声をかけようかと思っていたところで、丸まっていた背中がついと伸びる。

「どうしたの、そんなところに突っ立って」

目元のゴーグルを取り外しながらドナテロは笑った。
長く取り付けていたせいかマスクとの境目部分が少し赤く擦れている。

「よく気付いたな」

「ふふ、僕だって皆と一緒に修行してるわけじゃないんだよ?」

気配も消さずにいたから、背後にいても気付いたのだろう。
頭脳派のイメージが強いが、こういったところでドナテロも同じ闘う種族であるのだと感じせずにはいられない。
レオナルドは一言作業の邪魔をしてしまったことを謝罪し、早速本題にはいることにした。

「記憶が飛んでる?」

頷くレオナルドにドナテロは口元に指先を乗せた。
考えている時の彼の癖だ。

「うーん、具体的にどれくらい?直近のことだからって全部覚えてることなんてないし、ラファエロだって昨日の朝ごはんとか覚えてないと思うよ」

「それはそうなんだが、何一つ思い出せないのは流石にちょっと不自然だと思うんだ」

記憶が薄れる時は朧気ながらそんなことがあったかもしれないと思うもの。
試しにと問われた一昨日の食事内容を伝えれば(ドナテロがきっちり覚えていることは、もういちいち問い質すこともないだろう。彼なら会話の内容すら覚えていそうだ)双方で合致している。
しかし昨日のことになるとよほどのことがない限り朝昼晩と食事をしているはずだったが、そもそも食事をしたことすら覚えていない。
問答の末ドナテロは信じてくれたらしく眉を潜めた。
指先で促されるまま近づくと、立ち上がったドナテロの顔がずっと近くなる。
額に手を乗せると、心配の中に興味を隠しきれない顔が間近に映った。

「熱はなさそうだね」

下から覗き込んだ目線、そのすぐ下に無防備な丸まった口元が目に入る。
色素の薄いそこが意外と柔らかいことを知っていて、その感触を思い出してしまい思わず首を振った。
心配してもらっているのに、不埒なことに思考を回すわけにはいかない。

「脳波とか計ってみる?」

思わずドナテロの手を振り払うようになってしまったがドナテロは気にしていないようで宙に浮いた手で指さす。
何かよくわからない機器が積み上がっていたそこは、若干埃が被っているのが見て取れる。

……いや、それより昨日の俺が何をしていたのか知りたい」

何かが要因で思い出せないとしても、ひとつでも何かわかれば五月雨に思い出すこともあるだろう。

「えぇー?別にいつも通りだったよ。特に変わった様子もなかったし」

しかしドナテロは困ったように眉を下げてそう言った。
何もない日常ほど形容することは難しいと言う。
確かにそれは一理あった。
何せいつも何かが起こる非日常がレオナルド達にとって当たり前の光景だったからだ。

「僕の視界に入っていた範囲でのレオナルドの行動を全て教えてあげることはできるけど、一挙一動解説したら夜が明けるかもしれないけどそれでもいい?」

「い、いやそれはちょっと」

「残念。それはいいとして、ちょっと散歩でもしてきたら?追体験したら案外思い出すかもよ」

そして追加で言われたアドバイスに少し考え。

……それもそうだな」

 わざわざ聞かなくても自分で行動したほうが把握も早そうだ。
考えてもできることがないなら足を使った方がいいし、その方が自分に合ってる気がした。

「結果は教えてね。面白いデータになりそうだから」

どこかわくわくした様子のドナテロはそう一言だけ残し、レオナルドは笑顔で送り出された。


********


とは言ったものの、案外手がかり探しというのは迷うものだ。
全く思い出せない以上考えられる場所を片っ端から向かうしかないだろう。
もしくはレオナルドを良く知る人に話を聞くのも良い。
ドナテロはいつものこと、と言っていたが他の人によっては違うこともあるかもしれない。
やはり一番最初に行くべき場所はひとつだろうと思い向かう途中、欠伸交じりのラファエロと鉢合わせをした。

「よう寝ぼすけ、先生はいないぜ」

気だるげに肩を回しながらも、ラファエロは会う予定だった相手の不在を教えてくれた。
何故レオナルドの予定がわかったのだろうとは思うが、向かう先である程度予想がついたのかもしれない。
昨日の記憶だけでなく、この不可解な違和感も最適解がもらえる妥当思っていたが一番答えを教えてくれる人に真っ先に行くのも確かに短絡的だったかもしれないと思い直した。

「ラファエロ、ちょっと聞きたいことがある」

そして今近くにいるのもまたレオナルドとは近しい関係性だ。

「あ?なんだよ突然かしこまって」

向き直ったレオナルドにたじろいだ様子のラファエロだったが、気にせずあらましを説明した。

「ハァ?記憶喪失?」

「だから、何か手がかりになることがないか探しているんだ」

眉を吊り上げたラファエロの声は不可解極まりないという顔をしていた。
そのままレオナルドをじろじろと見てきて、不躾な態度に微かに感じる苛立ち。
レオナルドに何かと突っかかってくるとは言え案外聡いラファエロだから何か知っているのかも、と思ったが。
彼は散々見回した後に馬鹿にしたように鼻を鳴らしただけだった。

「俺の分野じゃねェだろ。もっと適任がいるじゃあねえか」

「ドニーにはもう言ったんだ。でも原因はわからないって」

「へぇ、じゃあ俺だってわかんねぇよ」

そう言い捨ててラファエロは大仰に肩を竦めた。
話しは終わりとばかりに背を向けたから慌てて呼び止める。

「ほんとに些細なことでもいいから教えてくれないか。昨日の鍛錬内容でも食事の献立でもいい」

そう言うと顔だけこちらを向けたラファエロは息を吐く。
面倒そうな様子に今度こそ苛立ちを自覚する。
心配しろとは言わないが不安な気持ちだって少なからずあるのだ。
ちょっと意地の悪いことがあることは知っていたが、今見下されるような態度を取られる覚えはない。

「じゃあひとつだけヒントをやるよオニイちゃん。昨日お前は、俺達と一緒に飯は食ってねえ」

………え?」

「それ以上は自分で探しな」

そう言い捨て背を向けたラファエロに手を伸ばす。
最初に触れた赤い鉢巻を力任せに引くと、野太い呻き声を上げて身体が傾いた。

「どういうことだ?何か知ってるならもったいぶらずにちゃんと説明しろ」

「だーかーら自分で探せって言ってんだろ!ほんと空気読めねぇなテメェはよ!」

レオナルドの腕を振り払い、すり抜けた布の代わり逃げようとするラファエロに両腕で組みついた。
腕力では多少負けているとは言え、全身で捕らえればそう簡単に逃れることはできず、腕の下で大きく舌を打つ音が聞こえる。
怒りに燃えた瞳がレオナルドを捉え、力任せに振り上げられた腕を抑え込むとしたその時、ラファエロの力に自らの足がもつれるのがわかった。
何でと感じる余裕もなく引力で弾かれた身体は壁に激突。
ガンとくる衝撃は一瞬脳を揺らしたけれど、それ以上に踏みしめている足の力無さに驚愕する。
座りこむほどではないが、踏みしめるには心許ない軟弱さは到底自分のものとは思えない。
そんな状況に驚いたのは喰らわせたラファエロも同じだったようで、レオナルド以上に驚きに目を見開いていた。
落ちた沈黙は重たく。
ラファエロの深い溜息でその静寂は破られる。

「記憶飛ばすくらい弱ってんなら大人しく寝てろ。抱いて運んでやろうか?」

………いや、これくらい平気だ」

「あーそうかよ……まっせいぜい頑張って思い出すんだな」

応えられなかった右手を引っ込めたラファエロは呆れたような口調でそう言い捨て、その場を後にした。
ひとりになってもう一度掌を何度か握り返してみる。
特段変わった感覚はない、先ほどまで限界のようだった足もしっかりと地面を踏みしめている。
矢張り記憶だけじゃなく、何か異変が起きていることで間違いないだろう。
ラファエロは何か知っている様子だったが、先ほどの醜態を見せてしまった今もう一度問い詰められる度量は流石になかった。
一瞬だけ見せた同情の目線はレオナルドに突き刺さっている。
しかし頼みの人もおらず、兄弟からは明確な回答をもらえずで今の状況は八方塞がり。
ラファエロの言葉に従うわけではないが、やはり一度休んだ方がいいのかもしれない。
ひとまず自室へ一度戻ろう。
そう思い足早に部屋に向かう。
一応戻ってすぐに中を見回したものの特段変わったことはない。
整頓された一部でも崩れていたらまだわかるのに。
ふと思いついて、机に向かう。
重なった本の一番下から一冊の書籍を取り出した。
背表紙には何も書かれていない。
習慣としている手書きの日記帳、ページを捲り案の定昨日の日付は空欄だった。
何かが書かれていた形跡もない。
単純に記憶が抜けているというだけではないのだろうか。
こんな違和感を感じているのが自分だけなら、何か影響がある前に対処した方がいいだろう。
そう思いつつなんとはなしに一枚ページを捲った。

……ん?」

毎日欠かさず書いている筈の、その上で昨日の分がないのはある程度予測できる。
しかしその前日、一昨日の分もまっさらなまま何も書かれていなかった。
日記を急いで所定位置に戻し、レオナルドは再び自室を飛び出した。
完成間近なのに、ピースをそのものが消失してしまい完成ができない、そんな感覚。
状況が変わった今、ドナテロならもう少しアドバイスをもらえるかもしれない。

「レオーーー‼」

そんな思考に沈んでいたせいで完全に対処が遅れてしまった。
飛び掛かってきた大きな塊を避ける余裕もなく、レオナルドの身体ごと巻き込み地面に転がる。
痛みに呻くと、上から覗き込んでくる快活な顔。
もっともこんなことをしてくる相手なんてミケランジェロ以外いないのだから顔を見ずともわかるのだが。
先程のラファエロの力はまだ控え目だった、否、身体ひとつ飛び込んでくるんだから比べようもないのかもしれない。

「レオちゃん記憶そーしつなんだって?変なもの食べた?」

レオナルドの上に乗り上げたまま覗き込んでくるミケランジェロにため息。

「まさか、マイキーじゃあるまいし」

「いつから記憶がないの?ボクのこと覚えてる?」

そう言う彼の眼は心配という顔をしてはいるが好奇心の光が隠せていない。
そんな態度にどこか気張っていた力が抜けいくのがわかる。
いいようのない焦燥感を抱え気が落ちがちだった時に、ミケランジェロの明るさは温かくも感じた。

「ちゃんと覚えてるよマイキー、記憶がないのは昨日の分だけなんだ」

そう言うとミケランジェロは驚いたように目を見開きぱっと立ちあがった。
そのお陰でできた空間にようやく身を起こす。
レオナルドの前にしゃがみこんだミケランジェロはまじまじとレオナルドを見る。

「真面目なレオちゃんには珍しい冗談だけど、あまり笑えなかったかな」

「冗談で言ったつもりなかったんだが」

ミケランジェロはそんなレオナルドを見、困ったように首を傾げた。

「どゆこと?だってレオって昨日」


********


足音というのは案外個性が出るものだ。
一足が大きく踏みしめて必要以上にうるさいのがラファエロ、軽快なステップ音を鳴らすのがミケランジェロ。
レオナルドの音は静かで均等、だが力強い音をしている。
しかし今聞こえてくるのはそのどれにも当てはまらない。
強く踏み鳴らして駆けてくる音に、ドナテロはコーヒーカップを作業机の少し奥に置いた。
と同時扉がばんと開く、振動で机の物も軽く跳ねた。
カップは避難させておいて正解だった。

「おかえり、思ったより時間かかったね」

時計を見ると経過時間は予想より少し長いくらい。
たまたま遊びに来たミケランジェロを送り出してから間もなくだったから、きっかけがなければもっと時間がかかっていたかもしれない。
息を切らせたレオナルドは膝に手をつき、そして恨めしげな目線を向けてきた。

……ドニー、騙したな」

「なんのこと?」

首を傾げると苛ただしげに舌を打つ。
優等生のようなレオナルドとて、案外こういう乱暴な諸作が出るのはどこぞの兄弟の影響だろうか。
無意識下のそんな粗暴さが見えるところはドナテロはひっそりと好きだった。

「はっきり言ってくれないとわからないよ。正解を見つけたんだろう?」

掌を差し出し答えの催促。
レオナルドはそれを見、苛立ちを逃すように息を吐いた。

……記憶がないわけじゃない。丸一日寝てたから、そもそも記憶も何もなかった」

「よくできました。正確には二日前に戦闘中頭を強打して昏睡してました。今朝になって何事もなく起きてきたからびっくりしたよ」

ぱちぱちと拍手をするとレオナルドは憮然とした顔をしている。
何故早く教えてくれなかったと顔が如実に語っていた。

「それで、反省した?」

目を見開いたレオナルドに笑顔をひとつ。

「レオはいっぱい寝てすっきりだと思うけど、その傍で一晩中見守ってた側の気持ちわかる?」

つらつらと言葉が流れるのは多少怒りの気持ちがあったから。一日寝てないくらいなんていつものことだけど、いつ目を覚ますかわからない、もしかしたら覚まさないかもしれない。
そんな緊迫した状況の中一晩明かすのとはまた違う。
機械を直すのとは訳が違う、傷ついた誰かを見るのは正直とても苦手だ
傍にはいなくても、同じように心配し起きていたであろうラファエロも、今頃眠気に襲われているに違いない。
寝不足で気が立っているだろうから今のレオナルドと相対することが懸念事項だったが、どうやら無事会わずに済んだのだろう。
そんな様子を見たスプリンターがわざわざ代わりに追撃がないかと見に行ってくれている。
想像以上に参っているのを察してくれ休息を促してくれた。
きっと受け取ってくれないだろうけど帰ってきたらしっかりとお礼はしなければ。
そんなドナテロの感情はいくら鈍感なところがあるとは言え正しく伝わったのだろう。
先程の不穏な態度はなりを潜め、肩を落として俯いた。

…………すまなかった」

そう絞り出す声にドナテロは立ち上がる。
想定以上に落ち込んでしまったレオナルドを抱きしめると、急いできたせいか汗の匂いが濃い。
嫌味も何もかも素直に受け取りすぎるのも困りもの。

「自覚できたならもう少し安静にしててね、まだ病み上がりなんだし。あと帰ってきたら先生にもちゃんと報告しないと」

元より目立った傷はなく、目を覚まさなかったのが不思議なくらい。
頭を強く打ったようで後遺症など残っていないか様子を見ていたが、レオナルドは実にいつも通りだった。
何事もなく起きてきて食卓に座るレオナルドにラファエロの方が目を白黒させて、いつもは出てくるであろう皮肉が完全に消失してしまったくらいだ。
ミケランジェロがいつも以上に構い倒していたのもの、スプリンターが労うのも、うっかり自分が寝坊してしまっていたせいと思い込んでいたようで、違う方面に反省するレオナルドを観察することに徹してしまい指摘は出来ず。
ドナテロの悪い癖。
今も見たところその事実に変化はない、何より感情の起伏が激しいくらいには元気なようで本当によかった。
彼が目を覚まさない間、作業も何もかも手がつかないくらい不安だったことを知られないようにしているのはもはや意地に近い。
あの時ドナテロが一歩及ばず膝をついていなかったら、それに気付きラファエロが庇うように前に立たなければ。集中砲火を喰らったミケランジェロをひとりで庇うこともなかったのだ。
落ち度はみんなある、なのでレオナルドひとりで背負う必要もないし、皆が皆乗り越えればいいだけのこと。
同じことを繰り返して欲しくないから言うべきことは言うけど、だからって別に傷つけたいわけじゃなかった。

「確かに落ち度は大いにあった……だが」

首の後ろを撫ぜた手にぞわりとして身を引くと、それが狙いだったらしい。
間近なレオナルドの目線が真っすぐ見下ろしてきた。

「無理しない、という点についてはお前だけには言われたくないな」

どうやら騙されたことに関して、思ったよりご立腹なようだ。
一歩下がると思ったよりも素直に身体は離れていった。

「僕はちゃんと自分の限界を把握してるからね。ほら、一応検査するよ」

机に置きっぱなしになっていた作業途中の部品をひとまずまとめて立ち上がる。
彼の手を引いて外に促すと、未だ肩が落ちたままのレオナルドは大人しく着いて来た。

「先生もいないし、日記見てすぐ気付くと思ったんだけどね」

……一昨日も白紙だったことには気づいたが、昨日のことしか考えられなくてそこまで頭が回らなかったんだ」

「視野は広く持てってことだよ」

バツが悪そうなレオナルドを見るに、思うところはあるらしい。
しかしそんな表情が突然凍り付き、そしてそのままドナテロを見た。

………ちょっと待て、なんで、日記つけてるの知ってるんだ」

「あは、レオのことならなんでも知ってるよ」

そう笑顔で言えば引き攣った顔をしていた。
今日の夕飯はわざわざ記憶するまでもない。
レオナルドの快気祝いだってミケランジェロが騒いでいたから何が準備されるのか容易に想像できてしまうのだから。


********


いい加減に寝るべきだとたしなめるまでテレビにかじりついている末っ子がいるのが大抵のこと。
いつもは何かしらうるさいリビングだが、今日は珍しく静かだった。
なんだか悪いことをしている気がしてちょっとした夜更しは楽しい。
そう言うとラファエロからは鼻で笑われたものだけれど。
外ではまだ太陽が高い位置にあるであろう昼下がり、珍しく皆出払っているようだ。
しかし静まり返った部屋にもどことなく気配が消えない。
レオナルドはリビングへと歩を進め、ソファの背もたれに手を伸ばす。

「こんなところで寝てると風邪引くぞ」

ソファをいっぱいに使って寝そべっているラファエロにそう声をかけた。
覗き込むとうっすらと開いた瞳と目が合う。

「どう見ても起きてんだろうが」

寝起き、というよりはただ睨みつけているだけのよう。
寝転がってはいるがきちんと起きていたらしい、寝てると決めつけられて不機嫌そうにラファエロは眉を吊り上げた。
その体勢でいるのなら寝ているのとそう遜色もないだろうに。
いちいち言い返すのも無駄だと思いそれ以上は追及はせず、背もたれを飛び越えてソファに座る。
踏まれる前にギリギリ足を引っ込めたラファエロに睨まれた、ちょっとした意趣返しくらいしたっていいだろう。

……なんであの時早く言ってくれなかったんだ」

怪我なんてほとんどなかったから元の生活に戻るのは早かった。
それなりに日にちを経過しているし今更と言えなくもないが、レオナルドは納得できないことをそのままにしておくことが嫌いだ。
あの日以来『記憶当てごっこ』にはまってしまったミケランジェロから何かと構われ、ふたりきりになる機会がなかった。
あの日のラファエロの余裕な態度は間違いなく知っていたのだろう。
最初は渋い顔をしていたラファエロはやがてニヤリと笑う。

「ドナテロがなんか面白そうなこと仕掛けてたからな、乗っかるしかねぇだろ」

ドナテロとラファエロは性格も性質も正反対なくせして、案外仲が良い。
兄弟なんだから当たり前とは言えばそうなのだけれどこういった悪知恵が働くところは妙に通じ合うのが早い。
正直、レオナルドとしては自分の知らないところでドナテロと通じ合ってるところが正直面白くないという気持ちがあることに嘘はつけない。

「ま、あいつもそこそこ心配してたんだから、これくらいで済んで良かったんじゃねーの」

ラファエロはそんなレオナルドを伸ばした足で軽く小突いた。
今回のことに関してはレオナルドにとって苦い失態の思い出でしかない。
何事もなかったかのように過ごしていたあの数時間は黒歴史の一頁になった。

「ラファエロ」

「今度はなんだよ」

「すまなかった、心配かけて」

……判断誤ったのは俺だって同じだ、謝んな」

踵で蹴ってきて、ラファエロはそのままふいと目を背けた。
勢いの割には痛くない。
そんな中、遠くからゴリゴリと音がしていることに気付く。
次第に大きくなるその音は、何かを削る音のよう。
ラファエロにも聞こえたらしい、ソファの背もたれに手を乗せ起き上がる。

「ねーねー誰かいない?」

次に聞こえたのはミケランジェロの声。
リビングの入口から顔だけ飛び出し、レオナルド達に気付くとぱっと顔を輝かせる。
一歩ずつ彼の姿が見えてくる度、先程聞こえた異音がする。
また何か拾ってきたのか。
そう思ったのはラファエロも同じだったようで嫌そうな顔を浮かべていた。
ミケランジェロは最終的に両手だけを差し出した体勢で笑う。

「ドナちゃんが落ちてた」

彼の手にしっかりと握られているのは少し色素の薄い掌。
この世界に自分達しかいない特徴的な形状の手。

………んな面倒なもん拾ってきてんじゃねぇよ」

唸るように聞こえた声と被さるように一際大きな音。
どうやら先ほどまで聞こえていた音はドナテロの甲羅が削れる音だったようでミケランジェロが手を離したと途端恐らく若干浮いていた身体も地面に落下したのだろう。
レオナルドは深い溜息を吐きその荷物を受け取るべく立ち上がった。


********


額に乗せたタオルは絞り過ぎたようで水分をほとんど残さず固くなってしまった。
半ば乾いた状態でも、ほのかに熱を持った額に乗せれば気持ちよさそうにドナテロの顔が蕩ける。

「それで、誰が自分の限界を把握してるって?」

頬に触れると先ほどまで氷水に触れていたせいもあり酷く熱く感じる。
先程の絞り切ったタオルよりもレオナルドの手の方がずっと冷たい。
ドナテロはこちらの方が気に入ったようで目を閉じて喉を鳴らした。

「言い過ぎたって、反省してるよ」

そうやってへらりと笑う姿はいつもよりは少し元気がないように思えた。
本人曰く病気とかではなく無理が祟っただけと言っていたが、床でぶっ倒れるくらいの不調であればどちらでもそう変わりはない。
限界を超えて倒れることは悲しいかな珍しくはないし、その度に多方面から説教されている。
であろうにこの様だ。
レオナルドよりもずっと頭が回るくせ、繰り返すこの出来事に呆れつつもやはり心配はしてしまうわけで。
比べるものでもないかもしれないが、以前のドナテロの台詞をそのまま返してやりたい。

「どっちもどっちだな、俺たちは。お互い無理をしないように見張ることにしようか」

声を出して笑ったドナテロの顔が僅かに傾く。
レオナルドの顔を見やすいようにと整えられた角度は頬に乗せていた手がずれて、唇に触れた。

「それはちょっと僕の方が不利じゃない?」

存外柔らかく、言葉を発する為に開いた時に触れたふにっとした感覚が気持ちが良い。

「そんなことはないぞ。悪いことをしてる自覚でもなければ、な」

さっさと手を引けばいいだろうに、湿った感触に時節擽る吐息がどうしても離れ難い。
そうしてちらりと覗かせた舌が濡れた感触で相成って、誘われるがままその口内に指を忍ばせる。
神経の全てがそこに集まっているかのように嬲られる指の感触に、きっと今のドナテロ以上に自分の頬は赤く染まっているのだろう。

「病人に鞭打つのは感心しないなぁ」

責めるような言葉に反して弾んだ声と、愉し気な口元に悪いのはどちらなのか疑わしかった。
ドナテロの中途半端に開いた唇から零れた唾液で唇を艶めいている。
しかし瞳は未だ燻っているが、目元を染めた紅は涙の膜で揺れている。
病人相手にレオナルドが手を出す筈がないとわかっていてこの挑戦的な態度。
目を閉じ、奥底を燻っている熱を自覚して大きく息を吐いた。
一度その余裕さをひっくり返したくなる衝動に駆られるが、ドナテロの体調を考えるとそれ以上を踏み込むことはレオナルドにはできない。

………水替えてくる」

レオナルドが意外と執念深いこと、そう気付かせてくれたのは他でもないドナテロだ。
代わりに元気になったら散々相手をしてもらおう。
これ以上ずっとここにいると熱に焼かれそうだったから、一度クールダウンも兼ねて席を立つ。
直後聞こえた制止の言葉、その発した本人が驚きに目を見開いている。
口元を手で覆い、無意識だったようだ。

「あー……えっと、気にしないでいってらっしゃい」

そう目を泳がせるから、レオナルドは再び椅子へ腰かけた。
案外抱え込みやすいドナテロのこういう漏れ出た本音は逃さない方がいい。
ドナテロはそんなレオナルドを見なにやら呻いていたが、やがて観念したように溜息を吐いた。

……熱が出ると人恋しくなるって言うじゃない」

そうして返ってきたのは大層可愛らしい言い訳だった。
沸き上がった衝動は兄としてのものなのか、恋人としてのものなのかは判別が難しい。
そもそも分ける必要もない、どちらもレオナルドとドナテロであることに変わりはないのだから。
氷が解けきった水溜まりはわざわざすぐに代えにいくほどのものでもない。
すっかり温くなったタオルを放り、代わりに乗せた手にドナテロの顔が微かに綻ぶのが見える。
こちらが正解で間違いないようだ。

「眠るまでいれば淋しくないだろう?」

……何にもしないで?」

「一緒にいるだけじゃ不満か?」

……なまごろし」

「それはこっちの台詞だよ」

唇を尖らせる姿は愛らしく、その唇に噛みつきたい衝動はある。
しかしあのドナテロのいつになく甘えたような仕草をその衝動で塗りつぶすには些かもったいない。
未熟者にはこうして身を寄せ合わないと分かり合えないことが多いのだ。