溶けかけ。
2024-06-07 23:10:09
2237文字
Public ほぼ日刊
 

願いの行き着く先

幸せそうなヌフ夫婦をながめるモブのお話。ヌフはこんな夫婦だといいね、という感じです。

「子供ができますように」

 歌劇場、ルキナの泉の前で夫と二人、手を合わせて祈る。たとえ、このおまじないに効果がないとしても信じる者は救われるという言葉もあるもの。

「お祈り終わり!今日の晩御飯は何がいいかしら?」

 夫と共にルキナの泉の縁に腰掛ける。ここ数ヶ月、お互いに忙しくて、碌に話す時間すらなかったからなんだか少し特別な気分になる。

「うーん、そうだなぁ……魚、いや、肉も捨てがたい……どっちもじゃだめ?」

「ふふふ……もう、食いしん坊ね。いいわ、どっちも作りましょう?勿論、手伝ってくれるのよね?」

 笑い合い、語り合う。気がつけば、人の気配はすっかり疎らになってしまっていた。

「そろそろ帰りましょうか」

 私の言葉に夫も頷く。腰を上げかけたその時、夫が、あっ、と短く声を上げた。

「どうしたの?」

「ほら、あれ。フリーナ様とヌヴィレット様だ」

 夫の視線を追えば、私たちのいる場所から泉を挟んで反対側にフリーナ様とヌヴィレットがいた。――――生まれて間もない小さな命を抱えて。

「ホントだわ……今日は公演もなかったわよね?」

「メリュジーヌたちに会いに来たんじゃないかな?」

 夫の言葉には説得力があった。その証拠にトロウさんとアイフェさんがお二人に手を振っている。

「なあ、あれ。注意しに言ったほうがいいかな?」

 可愛らしいメリュジーヌと最高審判官夫婦を微笑ましい気持ちで眺めていた私の肩を夫が叩く。

「もう!良いところなんだから後にして頂戴!」

 私が怒ると夫は、おー、怖い怖いと言いながら肩を竦めた。

「まあ、そんな怒らないで聞いてくれ。じゃなきゃ、君の言う『良いところ』を邪魔されるぞ」

……どういうこと?」

 夫が顎をしゃくった先には写真機を構える記者が1人。こちらから見える社章はゴシップばかりの記事を書く会社のもので。

「ちょっと止めてくるわ」

「推しを困らせる相手に対しての強気な態度は相変わらずだね」

「当然よ。私の推しに迷惑をかけるなんて言語道断。今すぐ行くわよ」

「我が奥様の仰せのままに」

 急ぎ足で記者に近づき、声をかける。

「ねえ、そこの記者さん」

「私ですか?」

 彼は面倒くさそうに振り返る。如何にも、邪魔をするなと言わんばかりの表情だ。

「私と夫の写真を撮って欲しいの。夫婦になって初めてのデートだから記念にしたくって」

「そうは言ってもですね……

 渋る記者越しにフリーナ様たちを見れば、何事かと目を丸くしている。ごめんなさい、この迷惑な男を追い払ったら私は退散しますので。

「いいじゃない?ね、あなた?」

 私が夫の腕を抱き込めば夫も、そうだな、と返す。

「わかりましたよ、はい、笑ってー」

 パシャッと写真機の音がする。記者の男が写真を1枚渡してきた。

「うーん……私の顔、ちょっとブサイクじゃない?」

「確かに。普段はもっと可愛い。もう一回撮ってもらってもいいですか?」

「もう!こんな人前で!恥ずかしいじゃない!」

 その後、何度も撮り直しをするうちに音を上げたのは記者の方だった。

「ああもう!やってらんねーよ!撤退だ、撤退」

 記者は写真機を乱暴にカバンに入れると、地団駄を踏みながら去っていく。

「これで安心して推しを拝めるわ」

「君の熱意に呆れを通りこして感心すら覚えるよ」

 夫の言葉はまるっと無視をして、お二人の様子をこっそりと窺う。赤ちゃんの抱き方に慣れていないらしくおたおたするヌヴィレット様とそんな彼に笑みを浮かべながら抱き方を教え始めるフリーナ様。
 ああ、良かった。あなたはそんなふうに笑えるようになったのですね。


 突如、ヌヴィレット様に抱かれた赤ちゃんはふぇえんと泣き出した。

「フリーナ……どうしたら……

「ヌヴィレットの腕の抱かれ心地が悪いんじゃないか?」

「そんなことはない……はずだ……

 ショックを受けるヌヴィレット様に代わりフリーナ様が抱けば、赤ちゃんはすぐに泣き止み、ふにゃりと笑った。

「ふふん、やっぱり僕がいいんだね」

 誇らしげにするフリーナ様と肩を落としてしょんぼりとするヌヴィレット様の対比が失礼ながら、少し面白かった。

「もう。そんなに落ち込まないでくれ。ほら、もう一回抱いてごらん?キミと僕の子だ。キミのことを嫌うはずがないだろう?」

 フリーナ様が乳母車に寝かされたもう一人も抱き上げるとヌヴィレット様に手渡す。その手つきはすっかりベテランのお母さんだった。

「ほら、泣いてない。さっきは虫の居所が悪かっただけさ」

 ヌヴィレット様の顔が嬉しそうに緩む。それを見つめるフリーナ様の目つきは泣きたくなるほど優しかった。

「さ、帰ろうか」

「ああ……待て、フリーナ殿」

「? どうかしたかい――――

 ヌヴィレット様の顔がフリーナ様に近付いたかと思うとすぐに離れていく。わ、ヌヴィレット様って意外と大胆なのね。
 
「なっ……ななななな……!」

「帰ろう、フリーナ」

 何事もなかったようにヌヴィレット様は赤ちゃんを乳母車に乗せるとフリーナ様に手を差し出す。フリーナ様も黙って頷くとその手を取った。去りゆくお二人を眺めながら、私は泉に願いを込める。

 ――――お二人の幸せが末永く続きますように、と。