千代里
2024-06-07 14:04:07
11304文字
Public リーブラ13話
 

リーブラの針は問う・13話・その15


がつん、と靴が木の板に引っかかった音が響く。
部屋に入った瞬間、ノエはその場に崩れ落ちそうになった。それでも、辛うじて残ったなけなしの気力を振り絞り、防寒具を脱ぐ。一つ、二つともどかしい思いでボタンを外し、コート掛けに放り投げるようにして掛けてから、ようやく用意された寝台に不時着した。だらしないと思いつつも、疲労感が指先一つ動かすことすら拒んでいた。
……疲れた」
ノエの口から、嘆息まじりにそのような言葉が漏れる。
何に疲れているのかと問うことすら、もはや面倒だ。そんな形で投げやりになる程、彼の全身には錘のような疲労がのしかかっていた。
自分の父との面会を終え、思いがけなく腹違いの妹との面会も終えたノエは、仲間たちを連れて屋敷を後にした。ほんの一時間と少し前のことだ。
父との対談はどうだったかと、誰も問わないでいてくれたのが、ノエにはありがたかった。もし問われたとしても、その時のノエには何も答えられなかっただろう。
すでに太陽は沈みかけていたが、今はまず積もる話よりも宿を確保する方が先決だ。ノエは、さっそく父から教えてもらった教会の宿泊施設についての情報を皆に共有した。
宿の床で眠るよりも、狭くとも一室を貸してもらえる方が断然いい。そう判断した六人は、街の教会へと進路を切り替えた。
ノエとオデットにとっては二度目の訪問となる教会では、アランが一行を出迎えた。
戻ってきたノエたちに最初こそアランは驚いていたが、宿を必要としていると伝えたところ、快く宿泊用の部屋を二つ確保してくれた。
「最近、この辺りで、ドラゴン族の出現情報が増えていますからね。そのせいか、先ほど、慌てて出て行った商人の団体がいたんですよ」
そのドラゴン族が、ノエの父が語っていた『ランドン』であることは間違いないだろう。おとぎ話では討伐されたことになっている竜は、今もなお、人々の安寧を脅かし続けている。
もっとも、どこに行ったところでイシュガルドの国内にいる以上はドラゴン族からは逃れられない。逃げ出したという商人は、その点を理解していなかったのかもしれない。
ともあれ、宿泊用の部屋も確保できたのだから、次は夕飯だ。だが、ノエは正直全くといっていいほど食欲がなかった。
食堂に行って、賑やかな空気に包まれながら食事をする。それだけのことが、今のノエにとっては竜と一騎打ちしろと言われるぐらいの難事に思えた。
そんなノエの気分を察したのか、今夜の食事処を探しに行っていたはずのルーシャンが、
「若人も疲れてるだろうし、今日は持ち帰りができる飯で夕飯とするか。ついでに、朝飯も用意してくる。それなら、二度手間にならずに済むだろ?」
そう言って、オランローを連れて二人で買い出しに行ってくれた。
女性陣は別の部屋に宿泊しているので、必然的にノエは部屋に一人となる。ルーシャンがノエが一人で過ごせる時間を作るために、オランローを連れて出て行ってくれたことは明白だ。彼の気遣いを、ノエはありがたく頂戴することにして、こうして一人部屋に足を踏み入れたのだった。
薄暗がりに沈む部屋の中、ノエは寝台に寝そべった状態から動けなくなっていた。
(色々ありすぎて、疲れた……
父親や妹の前では、弱みを見せまいと知らず知らずのうちに精一杯虚勢を張っていたのだろう。だが、それが抜けた今、まるで空気が抜けたボールのようにノエは指一本動かすことすら拒んでいた。
頭の中は、父が語った話が幾重にもぐるぐると渦巻いている。おかげで、目を瞑り、眠って記憶を整理しようとしても、ちっとも眠くならない。
(父さんが、あんなに師匠のことで悩んでいたなんて知らなかった。若い父さんにとって、家の後継になることが重荷だっただろうってことも)
父親は二人の女性の心を弄んだ上に、妾となった女と子供を切り捨てた。それこそが真実だと思い、ノエは今まで何度も父親を心の中で非難し続けていた。
しかし、実際の事情はそんなに単純なものではなかった。
ノエの父ーーベルナールが抱いた、自身の兄への嫉妬と羨望。一方で兄を完全に憎悪することもできず、時を経るにつれて自身の醜さを捉え直したが故の慟哭。
その全てが、今のノエには理解できるものとして押し寄せてくる。
ノエがもっと子供だったなら、せめて会うのがもう十年早かったなら。おそらく、ノエは「そんな言い訳など知ったことか」と父親に背を向けていただろう。
今だって、父の所業の全てを受け入れたわけではない。だが、ノエの心の端で、父親の弱さを受け止めている自分もいる。
許せないと言いつつも、父親の発言を全て言い訳だと切り捨てられず、一つ一つ吟味して飲み込んでいく。それもまた、ノエをノエたらしめる一面であった。
(いっそ、全部割り切って捨てられればよかったのに)
父親を悪人に仕立て上げてて、彼の発言の全てを無視して糾弾を続けられればどんなに楽か。けれども、それはノエが守りろうとしている自分の誇りすらかなぐり捨てる行為だ。
それはできない。してはならない。
だからこそ、苦しい。
お前が全ての元凶だと言い放てないからこそ、喉の奥に形にならない玉が埋め込まれたように苦しくて、苦しくて仕方がない。
簡素な寝台の、これまた簡素な枕に顔を埋める。
いっそ、世界の何もかもから存在を消して、ノエという人物が辿ってきた足取りが全て消えてしまえばいいと願う。自分が父と母の子でなければよかったのに。誰にも拘らずに生じた存在であればよかったのに。それなら、自分は過去や血筋に縛られずに生きられただろうから。
そんなあり得ない仮定にすら縋りかけたときだった。こんこん、とノックの音が響いたのは。
……二人が帰ってきたのかな)
それにしては随分と早い帰還だ。だったら、忘れ物でもあったのだろうかと、ノエが身を起こしかける。しかし、彼が返事をする前に、鍵をかけていなかった入口の扉が開く音が響いた。
……オデット。返事を待たずに入るのは、流石に失礼じゃないか」
「だって、兄さんはわたしが来たと知ったら、わたしが扉を開く前に色々と取り繕ってしまいそうですから」
「そんなことは……
否定をしたかったが、きっとオデットの言う通り、自分は平気な顔を作ってしまうのだろう。少なくとも、枕に突っ伏した直後のような、みっともない姿は見せていなかったはずだ。
元々癖が強い髪の毛は、枕に顔を突っ込んでいたせいで、いつも以上に好き勝手に跳ね回っている。泣き濡れていたわけではないが、顔だっていつも通りの自分でないことは明白だ。
「大丈夫……って聞くべきではないのでしょうけれど。でも、聞かせてください。兄さんは、今、大丈夫ですか」
オデットは、心底から自分を案じてくれている。ならば適当に誤魔化すべきではないと、ノエは自分の気持ちを曝け出した顔のまま答える。
……僕が恐れていたような、酷いことはなかったよ。父さんは、僕にちゃんと謝ろうとしてくれた。僕が許さないと言っても、静かに受け入れてくれた」
オデットを立たせたままにはしておけないと、ノエは立ち上がり、部屋に備え付けの椅子を引く。オデットは部屋に踏み入り、ノエに勧められるままに、ちょこんと椅子に腰を下ろした。
「それに、父さんがどういう経緯を経て大人になって、僕の父親になったのかも教えてもらった。これは、父さんに会わなければ、ずっと知らないままになっていたことだ。だから、僕は父さんのことをちゃんと知ることができて良かったと思っている」
「でも、兄さんはすごく辛そうな顔をしています」
向かい合わせになるように座ったノエへ、オデットの手が伸びる。彼の青ざめた頬に、少女の柔らかな肌が触れた。
……そんなに、ひどい顔をしているかな」
「はい。こんなに悲しそうなのは、兄さんがわたしのエッグロワイヤルを初めて食べた後、自分の気持ちを打ち明けてくれたとき以来です」
当時のことは、ノエもよく覚えている。自分が生きる指針として掲げてきた考えが、根底から覆されて、どうすればいいか分からなくなっていた頃の話だ。
ノエは、自分がそこまで正しさに固執する理由をオデットへと吐露した。あの瞬間の感情は、時が過ぎた今でも思い出したくない。自らが積み上げてきたものの浅ましさが悔しくて、それでも全てを否定できるほどに開き直ることもできなくて、心が裂けそうだった。
……今も、結局は同じなのかもしれない」
言葉と共に、ノエはオデットの手をとり、机の上に戻す。
「僕は、一方的に父さんを否定してきた今までの自分が、ひどく幼稚でみっともなく見えているんだ」
「でも、兄さんの悲しみは本物だとわたしは思います」
「分かっている。だから、僕は父さんを否定する自分を完全に否定したくない。だからといって、やっぱり父さんが全部悪かったと開き直ることもしたくない。あの人は、あの人なりに沢山悩んだ末に、今を生きている。確かに、褒められたことではない部分も沢山あった。彼の犯した過ちの一つが、どうしようもなく僕を傷つけたのは事実だ」
だけど、とノエは首を横に振る。
「それでも、ベルナールという男はこの街や領地を守るために、何百年も積み上げてきた家の歴史を守るために、今も精一杯戦い続けている。全てを投げ出して逃げたくなったこともあるはずなのに、それでもドラゴン族から人々を守るための戦いを続けている」
剣をとって立ち向かうことだけが戦いではない。
責任ある者として、私心を殺し、自らかくあるべしと立ち続けることもまた、一つの戦いだ。それを、あの男は体現し続けている。たとえ、息子に恨まれ続けることになろうとも。
それは、ノエにはできない戦いのやり方だ。
……あいつのことを、僕は認めたくない。でも、僕はどこかであいつを認めたいとも思っている。そんな気持ちがいっぱい僕の中に生まれて、喧嘩を始めている。だから、間に挟まれた僕は苦しくて仕方ない。……今は、そんな感じかな」
言葉にすると、少しずつノエの中にあった迷いも形を伴い始めた。少なくとも、先ほど一人で不貞寝をしていたときに比べれば、自分の中に何が渦巻いているかは形にできたと感じられた。
……わたしは、兄さん自身にになることはできないから、兄さんの気持ちが全部わかるとは言えません。でも、兄さんが抱えているいろんな悩みは、今すぐ答えを出さなくてもいいものではないかと思います」
オデットは、机上に戻された手を伸ばし、ノエの手に触れる。包み込むように、そっと、優しく。
「わたしも、自分の記憶にどう向き合うか、すぐに答えは出せませんでした。兄さんと喧嘩してしまうほど、今までの自分に拘り続けようとしました」
記憶を取り戻して、本来の家族のもとに戻るべきだと考えていたノエとの衝突は、オデットにとって忘れられない思い出の一つだ。
「今だって、不安に思う気持ちはあります。でも、最初の頃に比べると、その不安はずっと小さくなっています」
時間の経過というものは、感情に突き立った棘を少しずつ丸くしてくれる。オデットの不安もそうだったように、いつかノエの中に生まれた苦々しい気持ちも、触れてもノエを傷つけない形になってほしいと彼女は願う。
……そうだといいな。一度に色んなことを知って、僕もきっと混乱しているんだろう」
「そうですよ。今日はゆっくり休んで、それからまた考えましょう」
「うん。……ありがとう、オデット。少し、元気が出たかもしれない」
自分でも空元気だとは分かっている。だが、空元気とて無いよりはある方がずっといい。それが、いつか本当の活力につながるのだろうから。
「父さんのことで色々あったのは確かだけど、ともあれイシュガルド国内を巡る時の後ろ盾は得られたんだ。これで、オデットの記憶を探すための旅も現実味を帯びてきたと思う」
実際、そのような許しが得られるかは五分五分だった。
父が領主としてより厳格な人柄だったなら、彼は決してノエの身分を己が保証するなどとは言わなかっただろう。もし、ノエが父の権力を傘に好き放題に悪事をするようなことがあれば、と思うとおいそれと出せる許可では無い。
(父さんは、それだけ僕を信じてくれたってことなんだろうか……
自分の呼び出しへの返事や、従者への応対、そして父自身への発言や振る舞い。それら全てを踏まえた上で、十五年もの隔たりを度外視し、父はノエの身分を保証すると請け負ってくれたのだ。その信頼を裏切るような真似はできない。
たとえ、そうすれば父の名誉が傷つくと分かっていても、もう闇雲に彼を貶めたいとノエは思っていなかった。
「街の出入りや、村での聞き込みとかはしやすくなったと思う。あとは、オデットがどのあたりに暮らしていたかが分かれば、より調査をする範囲を絞れるんだが、どうだろうか」
「お母さんと一緒にいた時のことは、曖昧ではあるのですけれど、なんとなく思い出せたんです。多分、小さい頃のことなので、これ以上細かく思い出すのは難しいと思うんです……
申し訳なさそうに言うオデットに、ノエは「それなら仕方ないよ」と言葉を挟む。
ノエ自身、自分が幼い頃に住んでいた屋敷が領地のどこにあるかなどと、今となっては覚えていないのだから。
「その後のことは……実はまだはっきり思い出せていないんです。多分、わたしが司祭様を怖く思う理由もその先にあると思うのですが」
オデットは焦ったそうに言うものの、言葉とは裏腹に顔色は悪い。故に、ノエはゆっくりと首を横に振った。
「オデットが気を失うほど怖がることなら、無理に思い出そうとしなくていい。全く思い出さないままの方がいい、とまでは言いたくないけれど、でも……無理はする必要はない」
……はい。あ、その後のことなら少しだけ思い出せたように思うんです」
ノエの心にこれ以上負担をかけるまいと思ったのか、オデットは明るい声を上げる。
「前にも話した、星を見る夢……きっと、わたしは最近までそこにいたんだと思います。わたしが暮らしていた所は、星を見る場所だったって、そんな記憶が薄ら残っているんです」
「じゃあ天文台かな。ドラゴン族の動向を探るための天文台は、イシュガルドの各地にあるって皇都でも聞いたからね」
ノエたちが皇都に到着するまでに通ったクルザス高地の中央部にも、アドネール占星台という天文台がある。
天文台は星を見る場所ではあるが、その目的はドラゴン族の出没情報を探るためにあるそうだ。星の並びと竜の出現にどんな因果があるかはノエには分からないが、少なくとも何らかの成果があるのだろう。その証拠に、皇都にも星見の専門機関が存在するほどである。
「オデットの魔法ーー占星魔法を教えられるような人がいた天文台か。だったら、明日からはこの街で天文台について聞き込みをしていくとしよう」
当面の目標ができたからか、ノエの顔には先刻まで残っていた憂いが払拭されている。
完全に拭い去られたわけではない。けれども、足を止めたまま延々と悩み続けるよりは何倍もいい。今のノエにとって必要なのは、父のことを思い悩む時間よりも、前を向くためのきっかけだ。
「ルーシャンさんたちがご飯を買ってきてくれたら、夕飯にしよう。オデットは部屋に戻っておくといいよ」
「えっ、お二人が戻ってくるまで、この部屋にいてはダメなのですか」
「ここがグリダニアの宿なら、まあ、別に僕も気にしなかったんだけど」
ノエは少し照れくさそうに部屋を見渡してから、
……一応、ここは男部屋だから。僕とオデットが二人きりってのは、流石に外聞が悪いかと思って」
仲間が不在の時に男女が二人きり。仲間同士では、ノエとオデットの関係を知っているが故に気にするものはいない。グリダニアの冒険者ギルドに併設している宿でも、兄妹のような二人のことはギルドの面々によく知れ渡っている。
しかし、ノエとオデットの関係を知らないイシュガルドでは、そのような振る舞いはありもしない噂の発生源になりかねない。周りが知らない相手だけなら、さして気にせずに済んだことではあるが、見知らぬ土地でいらぬ噂が流布されるのは避けたい。
……え、ええ、と。流石に兄さんのお父さんにそういう話が伝わるのは、良くないですよね」
オデットはボッと顔を真っ赤にして、ノエが思った以上に慌て始めた。
ノエとしてはオデットに対して良からぬ噂が付きまとうのを避けたかったから、という理由からだったのだが、オデットは違う形に解釈したらしい。もっとも、どちらにしても当たらずも遠からずである。
「では、今はこの辺りで失礼しますっ。ご飯の時は、食堂で会いましょうね」
「うん。また後で」
ひらひらと手を振って、オデットを見送るノエ。時間にしてほんの数十分のやり取りだが、ノエの心は部屋に入った時とは比べ物にならない暖かさが宿っていた。

***

ルーシャンたちが買ってきてくれたのは、見た目だけならサンドイッチを思わせる軽食類だった。だが、中に詰まっている具材はこの街の名産品の数々のため、グリダニアのものとは味が大きく異なる。
少し苦味が際立つ葉物野菜は、この教会で振る舞ってもらったサンドイッチと同じものだ。魚や肉も、グリダニアの薄味とは異なり、チーズなどを絡めたこってりとしたものが多かった。
ぴりっと舌に刺激を与える調味料も、グリダニアでは馴染みがない。食欲を程よく刺激される辛味に促されたおかげもあって、ノエも少しずつだが夕食を喉に流し込むことができた。
「そういえば、一つ確認しておきたいことがあったんです」
食事がひと段落した頃、ノエは用意してもらったお茶を一口含んでから口火を切った。
宿泊施設内にある食堂の端、机をいくつか寄せたその場所なら、他の人が聞き耳を立てても聞こえづらいだろう。そう思い、ノエは声量を落としながらもいつもの調子で言う。
「今日、僕が父さんと再会したことで、この旅の最初の目的は完遂できました。皆には、ただついてきてもらっただけになってしまいましたが……共についてきてもらっただけでも僕の気持ちはずいぶん楽になっていました。皆、本当にありがとうございました」
もし、一人で父親の元に向かうようなことがあったら。一体、自分はどれほど不安定な心のまま彼と向き合うことになっただろうか。それを思えば、息抜きに手伝ってくれた友人たちの存在は、決して軽視できるものではなかった。
彼らへの感謝を改めて口にしてから、ノエは一同を見渡し、
「戻ってきたときに伝えたように、僕はこれからオデットの記憶の手がかりを探そうと思っています。イシュガルドは広いので、彼女にゆかりのある人物がどこにいるのか、彼女の記憶に関係あるものがどこにあるのかは、現時点でははっきりしていません」
そこで、一度間を置き、ノエは言う。
……それでも、引き続き、僕とオデットの旅路に付き合ってもらえますか」
ノエが父と面会するにあたって、ついて行こうと言ってもらっただけでも十分にありがたかった。普通の冒険者としてだけの付き合いなら、そこまで肩入れすることなどまずないだろう。
実際、ノエはヤルマルたち以外の冒険者とも付き合いはあるが、イシュガルド行きの話を聞いても、見送りの言葉をもらうだけだった。
そのうえ、この先に続くのは明確な目的地すらない旅だ。そんな旅路に付き合わせていいかと、ノエは改めて確認のために問いかける。
「今更、ここで踵を返すような人だと思われていたなら心外だね」
まず、ヤルマルが、サンドイッチを留めていた短い木の串を軽く振り、ノエへと片目を瞑ってみせる。
「ですが、僕はヤルマルさんたちの旅費を工面することも、ましてや依頼人としての謝礼を渡すこともできません」
「そうだろうね。たしかに、お金は大事さ。ボクだって何十年も放浪できるほどの蓄えがあるわけじゃない」
「だったらーー」
「でも、現地でお金を稼ぐ方法なら知っている。イシュガルドには冒険者ギルドはない。けれども、魔物が出没し、人々が行き来するのはグリダニアと変わらない。日銭が足りなくなったら、ボクは自分の腕で稼ぐよ」
「そうだ。あんたはどうだったかは知らないが、オレもヤルマルも行き当たりばったりの旅には慣れている」
力こぶを作って見せるヤルマルに追随し、オランローも二人の会話に自分の意見を挟む。
「オレもこいつも、ひと所に留まって稼いでいたこともあれば、あちこち歩き回って稼ぎを得ていた経験もある。むしろ、オレとしてはあんたの旅費の方が心配だ」
オランローから逆に心配されて、ノエは言葉に詰まる。
実際、ノエはウヴィルトータの後をついて傭兵の手伝いこそしていたものの、自分の力だけで稼ぎを得たのは冒険者ギルドに登録してからだ。つまり、自ら率先して依頼を探しに行くという経験がノエにはなかった。
「そういう意味なら、おじさんとしても若人の未来が心配だな。若人一人ならともかく、お嬢ちゃんを路頭に迷わせるわけにはいかないだろ?」
いつもと変わらないニヤリとした笑みを引き、今度はルーシャンがノエを見やる。
「ですが、たしかルーシャンさんは、イシュガルドでやることがあると言っていませんでしたか」
「ああ、あるさ。だが、それは今すぐにどうこうって話じゃない。まだ、若人の手伝いをしてやる余裕ぐらいは残っている。だから、ひとまずは今まで通りってことでよろしく頼むさ」
ルーシャンはひらりと手を振り、ノエに笑顔を送ってみせる。彼の傍らで、サルヒがいつものように小さく首肯していた。
しかし、彼女の黄金色の瞳は「イシュガルドでやることがある」という発言を聞いた瞬間、物言いたげにルーシャンを見ていた。
「皆さん、ありがとうございます。ヤルマルさんの言う通り、稼ぎを得る方法については、僕も真剣に検討しないといけませんね」
「ノエの剣の腕なら、商隊の護衛で十分に稼げると思うよ。あとは、交渉の仕方だね。君は正直者だけど、せっかくだからここはちゃんと稼げる方法を教えてあげよう」
ヤルマルが身を乗り出し、ノエとオデットに依頼についてのレクチャーを始める。彼女が何を言っているのか気になったのか、サルヒも身を乗り出してヤルマルの話に角を傾けていた。
四人がそちらに集中しているのを確かめると、オランローは席を立った。次いで、のんびりと果実酒をの入った盃を傾けているルーシャンの隣に、腰を下ろす。
「どうしたんだよ、オランロー。お前が俺の隣に来るなんて。酌ならサルヒで間に合ってるぞ」
「誰が酌なんざするか」
「はっはっは、わかってるって。おおかた、若人のことだろ」
冗談を交えつつも、ルーシャンもしっかりとオランローの意図は汲み取ってくれていたようだ。
彼らの視線の先では、ヤルマルの熱弁に耳を傾けているノエがいる。屋敷から出てきた直後の彼は、どうにか平静を取り繕っていたものの、その心までが穏やかであるとは到底思えない状態だった。彼の心は、今にも頽れてしまうのではないかと心配になるほどに、不安定に揺れ続けていたはずだ。
薄皮一枚の向こうに、今にも泣き叫びたい衝動を抱えている。ルーシャンたちがそう思ってしまうのも、無理もないほどに、ノエの笑顔はヒビだらけに見えたのだ。
だが、今のノエは違う。心はまだ揺れているだろうが、屋敷をでた直後に抱えていた混乱はどうにか心の底に押し込み直したようだ。ルーシャンたちが出かけている間に立ち直ったのだとしたら、そこにオデットの助力があったのは想像に難くない。
「ひとまず、酒を無理やり飲ませる必要はなさそうだな」
「みたいだな。酔っ払ったノエもまた見てみたかったんだが」
「やめておけ。オデットに叱られるのは、オレはごめんだぞ」
「そいつは同感だ。ともかく、酒に逃げる必要もないぐらいには立ち直れたみたいで、俺もホッとしてる」
……だが、もし、あの娘たちに追い討ちをかけられていたら、どうだっただろうな」
不意に、オランローが話題を切り替えてきたので、ルーシャンは片眉をあげてオランローへ視線を送る。
「最初にオレたちに会ったときのような言葉を、妹たちがノエにぶつけていたら、あいつはあんなにも早く立ち直れただろうか」
……どうだろうな。存外何とかなっていたかもしれないし、どうしようもないほどに落ち込んでいたかもしれない」
可能性としては、どちらもあり得る。
ノエが妹たちの発言を意に介さなければ、ノエは今のように立ち直っていただろう。しかし、ノエが妹が自分に向けた発言を無視できるほど豪胆でいられるとは、二人とも到底思えなかった。ノエは正面から妹の発言を受け止めて、より深く傷ついたはずだ。
「それを思えば、ヤルマルはいい仕事をしてくれた。本人としては、そんなつもりはなかっただろうがな」
「その話だが……オレは、あんたの方が話術を使って籠絡するのは向いていると思ったんだがな。あのとき、あんたはどうしてあんなにも、あの娘たちに喧嘩腰に接していたんだ」
どうやら、話題の論点はそこにあったらしいとルーシャンは察する。
オランローの言う通り、本来のルーシャンならあそこまで正面切って喧嘩腰にはならない。厄介な相手に絡まれたときであっても、彼はまるで捉えどころのない風のように、適当に言葉を弄して難を逃れていた。
しかし、エヴァリンヌらに対して、ルーシャンは真っ向から喧嘩を売っていた。しかも、相手が抵抗できない理屈まで携えて、相手の言い分をへし折ろうとした。その態度はルーシャンにしては珍しいものだ。
……まあ、単純に腹が立ったからってのもあるな。俺は若人の事情を、結構前から知っていたからよ」
「何だ、そうだったのか?」
「依頼のとき、二人きりになったときにな。偶然、話の流れで知ってしまったんだよ。だから、あいつが悩んできた過程も見えていたし、それを足蹴にするような発言をする嬢ちゃんらの言い分は、正直頭にきたってのは大きい」
ノエが自身の正しさを見失い、壊れかけた自身の誇りをどうにか積み上げて守ろうとしていたことをルーシャンは知っている。その末に、自分の中に譲れない一線を見つけ出し、足を止めずに歩こうとしていることも。
そんなノエの決断を、一方的かつ自分勝手な糾弾で打ち据えるような真似は、ルーシャンには見過ごせなかった。
「あと、あのお嬢さんたちは、自分が抱いていた父親と兄の関係に対する嫉妬を、もっともらしい理由をこしらえて怒りに転嫁していただろ。それがーー」
そこまで言って、ああ、とルーシャンは何かに気がついたような音を漏らす。彼は、自分の顔を手で覆うと、小さく何事か呟いてから、
「まあ、そういうみっともない真似はガキのうちに卒業した方がいいって思っただけさ」
「指導の割には、随分と厳しい発言だったな」
「耳が痛い言葉っていうのは、大体そういうものさ。もっとも、俺も俺の言い分が正しいとは思わないけどな」
ルーシャンはそこまで言うと、酒盃を置いて立ち上がる。
サルヒに一言残してから部屋へと向かう彼の背を見送るオランロー。彼は、自分の角に触れて、先ほど拾い上げてしまった話し相手の言葉の響きを探る。
……『ただの同族嫌悪じゃないか』? 一体、ルーシャンのどこが、あの女たちと一緒だというんだ)
どれだけ考えても、オランローにはルーシャンと彼女らが繋がる道筋が見えない。聞き間違えだったのだろうか。
そう思い直し、オランローはいつしかノエたち以外のギャラリーを集めて演説をしているヤルマルの元に向かう。
オランローの接近にも気がつかないほどに熱を込めて語る彼女を、果たしてどうやって止めようかと考えながら。