ガイベル
2024-06-06 23:45:13
9612文字
Public お話
 

愛猫の棲む

1年程前の壁打ちメモを大幅に焼き直したもの。
サニーの焼き餅を見たい時に。。


引越しをしてから数年経ち、都心に近い大学に通うようになって、僕は一人暮らしになった。
特にこちらに移ってきてからは、周りに知り合いという知り合いは殆どいなくなるはず……だったけど。
進学のためにあの町から出てきたバジルが、何の縁か同じ所に通うことになって。それは僕にとって、思いもよらないことではあったけど、同時に幸いな事でもあった。知らない人間だらけの慣れない環境に、お互いのことを知っている存在が一人でもいてくれるのはとても心強い。もし、僕もヒロくらいに人間ができていれば。周りにすぐに頼れる人がいない環境すら、いくらでも糧にできたのかもしれないけど。大体の人間は、そうではないと思う。
……いずれにせよそういった形で、現時点でのバジルと僕の家はそう遠くもない場所にあり、ときに助け合いつつ平和な日々を過ごしている。


大学生ともなると昔みたいにバジルとくっついたり、手を繋ぐ事をしなくなった。いつからか繋ぎ続けるためには何かしらの理由を見つけなくてはいけなくなって。たとえば考えられる....
"周りも納得するような、もっともらしい理由”が必要になった気がする。だいたい、背格好だけ見ればほぼ大人に見えるような年にもなって、そんなにベタベタする理由なんかないから、自然と手を繋ぐこと自体が減っていった。これも成長というものか。面倒な世界のしがらみをひとつ覚えるたびに、ヘッドスペースが恋しくなる気がした。
それでも現実に、周りと比べても少し近すぎるような距離感の僕とバジルを面白がってからかったり、わざわざ冷やかしたりしてくるような人間があまりいなかったのは幸いなことだと思う。
だんだん無邪気な接触は減ってしまったけど、僕もそれが……前より背が高く、声も低くなった今の自分たちには、自然な事だと思っている。


外はまだ少し肌寒い日もある気候で、大学近くの道路を見渡せば、街路樹として植えられているナナカマドの花盛りだ。車やバスが通るこの道は、秋には綺麗な赤色に染まる。平日で特に変わり映えのない……単位のための出席を終えた今日は、もう僕自身の用事は無くなってしまって、あとはバジルの受けている講義が終わるまでの暇を潰すのみだ。前に一度だけ、彼に連れられてこの時間の講義に潜り込んだ事もあるけど、結局内容に興味が湧かなかったから次から潜り込むのはやめた。バジルが真剣に授業を受けている横で、ちょっかいをかけるわけにもいかないし。
そうやって各々が好きなコマをとっていて時間が被らないことも多いから、こうして待つ時間ができる。日によっては逆に、バジルが僕を待ってくれていることもある。毎日一緒に帰る約束をしているわけではないけど、今ではお互いの家までの帰り道が彼との貴重な時間にもなっている。もうこれが日常だ。……僕はできる限り、バジルと一緒にいたいと思っているから。
そうしてぼんやり歩いていると突然、足元に何かがぶつかるような衝撃を感じた。そちらに目を落とすと、僕と同じように暇を持て余した様子の野良猫がこちらを見て「にゃーん」と大きく鳴く。……変なものを蹴ったわけじゃなく、かわいい当たり屋でよかったと思うべきか。僕がその子の高さに合わせるようにしゃがみ込むと、少し痩せた体のその猫は、甘えるように膝や手に頭を擦り付けてきた。お腹が空いているらしい。……時間もあるし、魚でも買ってくるか。
……
…………
それで、そう。バジルと一緒にいる時間も減っているっていう話。だからもう僕はいっそ、彼と借りる部屋を隣同士にしてしまうとか、ルームシェアをする方がお互いにとって良いんじゃないかとも思っているけど、それはまだなんとなく提案できていない。
そもそも大学に通い始める時や、部屋を借りる前にそういう話ができていればよかったのかもしれないけれど、どうにもタイミングを逃してしまった感じがある。
……今の、誰に遠慮することもない一人暮らしはいい意味で自由だし、特に不自由だってしていない。だけどやっぱり、帰って一人になる時には、どこかしらの寂しさもある。……バジルは、どう思っているのかな。
最近はそうやって、ひとりで考えていても詮無い事をそれでも思案せずにはいられなくなっている。
僕のそのごちゃごちゃとした思考の外で、先ほど猫に買い与えた魚がゴミのプレゼントになって戻ってきた。骨以外を綺麗に食べ尽くした猫は満足したのか、目の前でのびのびと日向ぼっこをし始める。なんの憂いもなさそうに見えるその猫を、今は少し羨ましく思う。
……もうそろそろ講義も終わる時間だろうか。
しばしの時間を共有してくれたその猫を少し撫でてからその場を後にする。ありがたい魚の骨のプレゼントは、手近な所にあるゴミ箱に放り込んだ。あの町と違い、こっちの地域にはゴミとお金を引き換えてくれるような親切な人も場所もない。とりあえず手についた魚の匂いにハエがたかってきてもウザいから、戻る前に手は洗う事にした。


建物の前に戻ってくると、ようやく講義が終わったのか扉が開いてパラパラと人が出てくる。
少し間を置いてもバジルが出てくる気配がなかったから、室内に歩みを進めて中の様子を見た。バジルはまだ、同じ授業を受けていたらしき生徒と談笑しているようだった。少し珍しいかもしれない。
ふいにその話し相手である見知らぬ人が、バジルからノートを受け取ると喜ぶように何度か小さく跳ねて、それからバジルの頭をぐしゃぐしゃっと雑に撫でた。ついでにおおげさに、ハグまでしている。
……なに、あれ。
馴れ馴れしくもそうされたバジルの雰囲気を見る限り、別段嫌がってはいない、と思う。
というよりは、むしろ少し、嬉しそうにも見えた。
……なに?それ。……
……いやべつに、彼が他の誰かと仲良くなるのもいい事だと思う。自分だって、ここにきて、新しい友人が全くできていない、というわけでもない。
それは昔からの他の友達だって、同じことだ。
自分、たち……が。数年閉じこもっていた間に、ケルに新しい部活仲間ができていたように。オーブリーを気にかけて支えてくれるキムたちがいたように。時間の流れとともにゆるやかに生まれるだろうそれは、そういう事は、きっと自然で当たり前の事で。
……ただ、自分とはまた少し違う大人しさのあるバジルは、昔から僕たち以外に積極的に関わっていく様子もなかったし。自分以上にそういうノリが得意だとも思えなかったから、物珍しかっただけ。それだけだ。あんな風に軽薄な感じの、乱暴に髪を掻き回すようなじゃれ合いだって、好きじゃないんだろうと勝手に思っていた。……なにより僕は全然似合わないな、と思う。それより彼は、マリやオーブリーたちと花冠を編んだり、穏やかに話をしている時の方が、よっぽどそれらしくあったと思う。成長した今だって、どちらかと言えばそっちの方が。……
まあ、いくら新しい友達が増えても、ここでのバジルにとっての一番古い友人は自分だ。彼が今だって、何より、誰より自分を優先してくれるはずという、変な確信だけはある。だから……本当に、なんて事はない。
あの見慣れない光景に、自分が変に張り合う必要なんか、全くないのだ。

ややあって僕に気づいたバジルがそいつと別れて、一目散にぴょこぴょここちらに走り寄ってくる。それに何故か少しだけほっとして、肩の力が抜ける。大丈夫、いつも通り。
「サニーくんおまたせ!帰ろっか」
柔らかい響きのその声にうん、と頷いて歩き出す。なんとなくさっきまでの位置に目を移すと、先ほどまでバジルと話していた生徒は、また別の生徒と顔を突き合わせる勢いで陽気にお喋りを始めている。変な勘繰りをしていたわけでもないけど、どうやら単に誰にでも距離の近いタイプの人間らしい。
「友達?」
「ああ、うん。同じ講義受けてる子だよ。時々ノートとか貸し借りしたり……ぼくの知らないこと教えてくれたりもして、親切だよ」
……そう」
バジルがそう言うなら、そうなんだと思う。
でも僕の問いに答える彼は、いつもよりなんだか嬉しそうに見える気がして。それがなんとなく……あまり、面白くなかった。
……それに。
こんなに人を疑うことなく単純に……、じゃない。……"純粋に"。そう、それ。純粋に人を褒めるバジルを見ていると、別の不安も出てくる。
昔からそういうきらいはあったが、自分が目を離した隙に、よそで変な人にたぶらかされたりなどしていないか……とか。そういう。都会は特に若者を食い物にする、魔物のような人間も潜んでいるんだ。頭の中でつい、よくわからない怪物に小脇に抱えられ、泣いているバジルを想像してしまった。……やっぱり、彼には僕がずっと付いていないとダメかも……
「バジル、……親切そうな人でもホイホイついて行ったりしたらダメだよ」
「は、はあ……どういうこと?流石に大丈夫だよ」
思ったままに注意をすると、僕の思考の流れを読めるはずもないバジルには困惑気味な返事をされた。
大丈夫そうではないから、心配なのだ。


帰りのバスに乗り込み、横並びの席に並んで座る。
バジルがいつものように隣で楽しげに、なにがしかを話している最中も、僕の頭には何故だかさっきの光景がずっとチラついていた。そのせいもあって、彼の声は耳に入っているのに、ぼんやりとした生返事になる。
……やっぱり、よくよく考えてしまうと。先程のあのやりとりを見てしまったのは結構、嫌だったかもしれない。こんな時ばかり、記憶力のいい自分が恨めしくなる。あの場面がどうにも目の奥に焼きついてしまっている。
僕はバスが発車してから、静かにバジルの手を握った。安心毛布……というわけでもないけれど、少しでも彼と触れ合っていれば、この言いようのない、ざわざわとした気持ちも落ち着くかと思ったから。
そうして手を繋ぐと、それまでご機嫌で饒舌に話をしていたバジルは、たちまちスン……と静かになる。でも、そうなりつつも、何も言わずに優しく手を握り返してくれたから。今はそれで、よかった。
僕はただ黙って、誰にも見えない位置で繋いだ手に意識を集中させる。順調に道路を走るバスが、自分たちが降りる目的地までの停留所を素通りする度に、一回でも多く止まってくれれば良いのにとさえ思った。

降りる場所の手前までくると、バジルは繋いだ手を緩めて反対の手で僕の腕をポンポン優しく叩く。
「もうすぐ降りるところだよ」
……うん」
そんな事、言われなくたってわかっている。
結局あれからお互い黙ったままで、僕はずっと窓から外を眺めていたから。もうすぐ着いてしまうなんてこと、誰よりわかっていた。
バスが停留所に到着し、連れ立って降車する。名残惜しいけど、席を立った時にはもうその手は完全に離れていた。
歩きながら、お互いの家までの別れ道が来る前に声を出す。
「今日は、バジルの家に行っても良い?」
「えっ……いいけど、何にもないよ」
……別に、彼の家に何かあるから行きたいわけではない。
ただ、今日はもうちょっと一緒にいたいだけだ。そういう気分だった。
だんだんと夕日に染まる街の中で、"なんにもないよ"とは言いつつも、彼の頬が空と同じくらい赤く染まったように見えたから。それでまた少し、自分の胸がすくのを感じた。


バス停から少し先にある、彼の借りている家に着く。バジルは鍵を開けるとドアを引いて、どうぞ入って、というように僕を促した。
「お邪魔します」
「あはは、ゆっくりしていってね」
バジルにそう声をかけられるまでもなく、僕は自分の家のように勝手知ったる動きで、いつものように床に置いてあるクッションの上に落ち着いた。
一番初めにここに来た時に、一人暮らしでそこまで広くもない彼の部屋の中をついチェックするように見回っていたら、バジルに『サニーくんて、なんだか猫みたいだね』と言われた。だいたい人の家に我が物顔で入り込んで、無遠慮に部屋の中から、引き出し、タンスの中のヘソクリに至るまでの……全てを物色して許されるのは、RPGの勇者や猫ぐらいだからだろう。たぶん。
名誉のために言っておくけど、友達の一人暮らしの部屋へのちょっとした好奇心でウロウロしていたくらいで、流石にもう、勝手に家具を開けたり見たりまではしていない。ただしベッドの採点だけは別問題だ。相変わらず、寝心地が良さそう。
……まあ、何を見たとしても、怒られなかったとは思うけど。

バジルは既に我が家のようにくつろぎ始めている僕を意に介さず、適当にお菓子の入ったカゴを目の前のテーブルに出すと、僕の隣に腰を下ろした。そうして、外よりはずっと自然な動作でそっとくっついてくる。……僕が言えることでもないけど、彼も結構スキンシップが好きだと思う。特に僕と二人きりになると、途端にその境界やガードが緩くなる。
……あのね、今日は元々サニーくんに、ちょっとしか会えない日のはずだったから……その。まだ、もう少し一緒に居られるの、うれしい」
……うん」
それは、僕もそう思っていたから。
僕の返事に、バジルはまた嬉しそうな笑顔になる。
「もうちょっとだけ、くっついてもいい?」
「うん」
「ありがとう。えへへ……サニーくん、だいすき」
そう言いながらぎゅっと抱きしめられる。僕も彼の背に腕を回し、目を閉じてそれに応えた。

今の僕たちのこの関係って、なんなんだろう。
──大事な友達。それもあるけど。
もう、流石にそれだけではないような気もしていて。
……でも、幼い頃のじゃれ合いの延長のようなこれに、まだ名前をつけずにこのまま甘えて、明確なものにもせずに……このぬるま湯のような状況に、ずっと浸っていたかった。
今までは、ずっと、そうだった。

それが揺らぐのは、やっぱり静かな水面に波が立つような何かが起こるからで。
ゆるやかな静寂と停滞への投石のようなそれは、自分にとっての今日見たあの二人の光景だったり、
──あるいは。

……あのさ。」

己自身の言葉だったり、するんだろう。

「僕もバジルと……学校でも、ハグとかしていい?」
そうやって思わず口をついて出た己の声が、いつもよりずっと低く、かたくなっていた自覚がある。緊張なのか、なんなのか。それは自分にも計りかねた。
わざとにしろ、わざとでないにしろ、投げ込まれてすべり落ちていったものは。落としてしまったものは、取り戻せない。それが言葉でも。
「え……?」
バジルはくっつけていた身体を少し離して、いきなりどうしたの?と言わんばかりに僕の顔を覗き込んでくる。
……こういう……挨拶のハグとか……、スキンシップ……外で……僕ともできるよね。今みたいに」
そう、そもそも悪い事をしているわけじゃ、ないんだし。ましてや、バジルだって。今日あの人とは、あんなに気軽に、気さくにできていたのだ。それを見てしまったから。何より、それを受け入れていた彼自身も、嬉しそうだったから。

……だからもう。
僕の気持ちを正直に言ってしまえば。
どうしようもなく、羨ましかったのだ。
人目を憚らない、あのやりとりが。
あれを見た時、僕がごちゃごちゃ別の思考を巡らせながら気にしないように、見ないふりをしたものの中に、"バジルは僕のものなのに"と考えてしまった自分がいた。
だから僕の言葉に、バジルがいつもみたいに、困ったようにでも笑って──あるいは、照れて。
『そんなこと、気にしてたの?もちろんできるよ。』とでも言ってもらえない限り、納得できない気がした。……バジルなら、そう、言ってくれるよね?
僕の言葉をよくよく噛み砕きながら考えている様子のバジルがモゴモゴと呟く。
「そ、外で……サニーくんと……?」
それ以外ないだろう。そう思いながらじっと彼を見る。たっぷりとした沈黙の後、バジルは再び口を開いた。
「その、それは.....ちょっと、恥ずかしい......と、いうか」
もじもじと言い淀んでいるけど、それはつまり、ダメだっていうことだろう。
……それじゃあ何が、どこが、誰が。
バジルにとっての一番の親友なんだろう。
そもそも今、誰よりも、何よりも彼に近いのは、自分のはずなのに。どうして新しい友達には挨拶のようなスキンシップが許されて。……僕は、幼いころみたいに。今、この時みたいに。ただ同じ事がしたいだけなのに。
こんなに、……こんなに。周りのこととか、バジルの気持ちとか、そういう色々を尊重したつもりで、ずっと我慢、して。なのに。
そういう考えにまで至ってしまうと、今はどうしたって、先ほどのあの光景が何度も脳裏を過ぎる。バジルにとっては、僕が同じ場所で、同じようにするのは恥ずかしい事なんだって言われると。かなしい。どうして?
……今までずっと、バジルの唯一の特別は。それは、きっと自分だけなんだって、烏滸がましくも、そう思って……思えて、いたのに。
喉がカラカラに乾いて、掠れた声がこぼれる。
……なん、で」
揺らいでいる。
自信が?息が?声が?……視界が。
考えれば考えるほど、どうしたって許せないような気持ちになって。どうしても扱いを比べてしまって。悔しい思いまで頭にきて。目の前が熱くなるのと同時に、どこか胸の辺りはスーッと冷えていくような感覚になった。
もう何か、色々と馬鹿馬鹿しくもなってきた。痛い。自分は自分なりに考えて頑張っていたのに、バジルは何にもわかってくれていない気がする。苦しい。
……だから、自分が今傷ついた分と同じか、それ以上に。バジルも傷ついてしまえ、と思った。わからないならいっそ、ぐちゃぐちゃになってしまえばいい、とも。
わなわなと震える手で彼の肩を掴む。
悲しさが、怒りに変わってきている。
よくない。よくないことだ。こんなの自暴自棄にも程がある。でも。
「ん……っ!?」
……
勢いのまま、バジルの唇に自分の唇を重ねた。歯がガツっと当たって、突然の痛みと衝撃に、びっくりしたバジルの全身が硬直するのがわかった。
自分の口もかなり痛かったし、血の滲んだ味もしたけど、胸を刺されるような痛みとモヤモヤに比べたら、大したことないものだった。
それより今はもう、無意識にも押さえつけていた全てが爆発したみたいにめちゃくちゃだった。振り払われたくなくて、逃げられないように抱きしめた腕の力を強める。抵抗を受けないように。自分が意思を持って、彼に口付けているとわからせるために、何度も角度を変えて、音を立てながら唇を奪う。
ちゅ、ちゅというリップ音が部屋に響く。
時が経つにつれ、突然のことに強張っていたバジルの身体に、少しずつ意識が戻ってきたみたいに力が抜けてゆく。彼がふいに呼吸をするために口を開いて息を吐いたのを、すぐに塞いで舌を絡めた。
ここまできて今更もう後戻りなんか、できないと思った。
「ふ、……ん!んぅ……
「ん、ん……
こんな暴挙絶対に嫌がられるし、嫌われるだろう。
だからもうきっと、何もかもこれで終わりになってしまう。でも、そんな僕のヤケになっている考えとは裏腹に、力を抜いたバジルは目を閉じてこちらに身体を預け、ゆっくりと受け入れるような姿勢になった。僕のシャツの端を握っていたバジルの手が、再び僕の背に回されて。無理矢理絡めた筈の舌もおずおずと、でも確実にこちらに合わせるような動きで応えてくれる。
いつの間にか自分に都合のいい夢に切り替わっているのかもしれないと思いつつ、夢中で彼の小さな舌を吸った。その度にビクリと反応を返してくる身体が、これが現実だということを知らせているようだった。
彼の吐息は甘くて、ずっとこのままでいられたらいいのにと思った。
互いの唇がどちらのせいかもわからないくらいに濡れている。それをようやく離して、僕はずっとぐちゃぐちゃに揺れていた視界を閉じた。そこから大きな粒になった涙がボタボタと溢れる。そうするとバジルが黙って僕の背を撫でて、その優しい感触にさらに涙が出てきた。
結局バジルは僕が泣き止むまで、ずっと寄り添ってくれていた。


年甲斐もなくひとしきり泣いた後。頭が冷えてくると、子供じみた嫉妬からバジルにひどい八つ当たりをしてしまったと思う。勢いで、とんでもない線も踏み越えた気がする。膝を抱えてうずくまる事しかできず、目を合わせられる気がしない。
バジルはまだ、ただ黙って隣にいて、何も言わない。僕はこれから何をどうしたらいいだろうか。

…………猫になりたい……
うっかり僕の口からついて出る、思いつきの現実逃避。
だけど今日出会ったあの子のように。
いっそ気ままで愛らしく、自由な猫であれば。
そうやってこの期に及んで、ただ許される存在でありたいと思うなんて、傲慢だろうか。でもその小さな言葉はバジルの耳にも届いたようで。少し考えるような沈黙の後に、同じくらい小さな声が返ってくる。
……じゃあ、ぼくがサニーくんの誕生日の時みたいに、君がすっぽり入れるような、大きな箱を用意したら……、ここで一緒に住んでくれる?」
一瞬、バジルの言いたいことが一体何なのか、よくわからなかった。……けど、きっと彼の言う大きな箱とは、誕生日プレゼントの大きい積み木の入っていた、あの箱のことなんだろう。
幼い僕とニャーゴが余裕で入れるほどに大きかったあれは。ほんの少しの僅かな間だけ、僕とニャーゴの暮らすお気に入りの部屋になっていて。……そして、何だか落ち着いて、安心する世界だった。
バジルがわざわざその箱を用意するよ、と言ったのは。
──僕が、猫になりたいと言ったから。
「なーんて……!へへ。そもそもこの部屋じゃ、狭すぎるよね」
わざとトーンを明るくしたようなバジルの声は、特にぼくの返事を待たずにその話を片付けてしまった。
声を出すきっかけが生まれたからか、バジルが続けて話をする。今度はまた、静かで優しい口調で。
「さっきは……、さっきのことはね。恥ずかしいって言っちゃったけど……。嫌だからじゃない、というか。むしろその……サニーくんも同じように思ってくれてるんだってわかって、うれしかった。……ぼくもね、いつでも、もっと……。ずっと君のそばにいたいって、思ってるから」
それで、その言葉の後で、僕はようやく彼の顔を見る。目が合うと、少し困ったように笑ったバジルの目の端も少し赤くなっていて。それで、彼もさっきまで泣いていたのかもしれなかったことに気がついた。
僕もちゃんと、バジルに伝えなきゃいけない事がある。……まずは、精一杯のごめんなさいと、ありがとうを。
それから、────。




何かのきっかけで訪れる転機も、現実はすぐに行動できない事も多いけど。二人で少しずつでも良くしていけたら、と思う。
……これからもやっぱりずっと、誰より傍にいたいから。
バジルの手を取り、お互いの額をコツンとつける。透明で見えるはずのない、瞳の奥の水晶体までもが見えそうな距離。
……今日、泊まっていってもいい?」
……うん、もちろん」
「あと……
「?」

……もう一回、してもいい?」
何を、なんて言うまでもなく。
バジルにも僕の意図はしっかり伝わったようで。
恥ずかしそうに少しだけ目を泳がせたあと、こくりという唾を飲み込む小さな音が聞こえた。
「ち、ちょっとだけ……、なら」

その言葉が消える前に、僕は今度こそ優しく彼にキスをした。


End.