望月 鏡翠
2024-06-05 22:22:57
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19、雨の匂いが残っている

ブツメツフツマ/平均

 ヒーローになることができる人間と、できない人間の違いはなんだろう。
 命を賭した戦いなんて、凡人には荷が勝ちすぎている。最初からわかっていたことだ。危険だし、半端な気持ちでやることではないということは、相罠関係を結ぶときに聞かされていた。そのはずなのにどういうことなのか、本当の意味ではわかっていなくて、実際に怪我をしたら怖くなった。
 覚悟ができていなかったことを思い知った。
 戦うのが怖くなって土壇場になって逃げ出すのは、少なくともヒーローから最も遠い振る舞いだ。
 そんな弱さと卑怯さを棚に上げて、日月にあんなことを言うべきでもなかった。
 昨日、結論を出さずに済んだことに、平は心底ホッとしていた。先生に怒られて会話が中断していなければ、感情に任せてもっと取り返しがつかないことを言っていたかもしれない。
 日月が保健室を出て行ったあと、胸に押し寄せるのは後悔の苦さだった。
 何一つ、嘘ではない。あのとき口走ったことは、本心だった。もうきっと怖くて、戦う理由も見出せないまま再び戦場に立つような勇気はでない。
 だけど、あんなことが言いたいわけではなかった。
 そして、嫌になったからと言って逃げ込む場所なんてないことも、わかっている。
 怖くて戦えない。だから戦える人に任せて安全な場所にいる。危ないことは覚悟がある人だけでやってください。
 そんな理屈が通るわけがない。
 本当は力のあるなしに関わらず、みんな同じ場所に立っている。学園の外には逃げられないし、安全な場所は作り出す努力をしなければ、生まれない。
 敵が強くなっていくからこそ、できることをそれぞれが精一杯やらないと追い詰められていく一方だ。
 頭ではわかっている。
 相罠を解消したとして、自分が知らないところで日月が怪我をしたり、死んだりしたらきっと後悔する。そんなのは絶対に嫌だ。
 理性でしか納得できていないことを、感情に言い聞かせて心を動かすためには、時間が必要だった。怪我が治るまでに、考えておかないといけない。
 一人になると頭の中を言った言葉と言われた言葉が、ぐるぐると回る。そうして自分の嫌なところばかりが見えてくる。
 日月は、正しい。
 前向きで自分の実力をわかっているし、諦めてもいない。
 自分にできないことを正面から受け止めた上で、できることを探ろうとしている。
 祓うことはできないまでも、平がもっと動くことができたり、戦略を立てるだけの知力があったりすれば、日月は最前線ではないまでも、もっと活躍できていた。足を引っ張っているんじゃないかと思ってしまった。平の実力はこの程度だと、思い知らされてしまった。
 平には、もう一度立ち上がるための理由が欠けている。
 できうる限りの努力をした。それでも駄目だった。実力で届くことができる場所はこの程度だ。
 きっと、あのとき胸の中に差し込んできた虚無を、そんなことはないと否定して欲しかったのだ。やらなくてはいけないことはわかっているのに、まだ戦うといえなかったのは、自分の弱さを棚に上げてまだやれると言って欲しかったのだ。
 心の弱さに湧いてきた嫌な自意識を、日月にぶつけてしまった。
 謝らないといけない。そして自分の嫌なところを認める覚悟も決めないといけない。
 その瞬間はもっと先にくるはずだったのに、扉は次の日の朝、突然開いた。
 日月の顔が見えるその瞬間まで、まさか本人ではないだろうと思っていた。
 昨日の今日だ。
 気まずいし、話すことも全く決まっていない。
 だが、そこにいたのは日月だった。
 おはようという単純な挨拶を口にすることすら、咄嗟にはできず平は口を閉ざしたまま相手の顔を見つめ返してしまった。
 汗をかき、息を切らして駆け込んできた日月の様子に、気圧される。
 気まずさを無視しなければいけないくらい、致命的なことが起こってしまったのかもしれないと悪い想像をした。
 だが投げかけられたのは、思ってもいない言葉だった。
「俺、ヘーキンと一緒に戦いたい」
 それは、望んでいた言葉だ。望んでいたからこそ、すぐに飲み込めなかった。
 ベッドに視線を落とすと、動く方の手の拳を握りしめている拳が目に入る。
 嬉しい。嬉しいから、駄目なのだ、それに甘えてはいけない。
 もう少しゆっくりと乗り越えていくはずだったのに、核心に一番近い場所に急に引き上げられてしまった。
(どうして、欲しい言葉をくれちゃうんだよ)
 まだ謝っていない。
 その言葉を受け取るのに、相応しい人間になれていないのだ。再び軽々しい気持ちで頷いたら、伝えに走ってきてくれた日月に対してあまりにも不誠実だ。
 ごめんとこのタイミングで言ったら、断っているみたいだ。どう伝えたら、いいのだろう。
 口を噤んだ平を見て、日月が言葉を続けた。
「すぐに返事が欲しいわけじゃない。ただ、俺も伝えとかなくちゃって思ったんだ。だから……
「うん、わかってる」
 顔をあげ、日月を見る。一言伝えるためだけに、走ってきてくれた友人の姿を。寝不足の顔。怪我のあと、目を覚ましたとき血で汚れた服を着たままでいたことを覚えている。気を失ったあと学校まで連れて帰ってくるのが、簡単ではなかったことくらい、想像できる。
「ありがとう」
 改めてお礼をいうと、照れ臭くなったのか顔を背けた。
「ん、そういうことだから。あ、着替えとか足りてるか。欲しいものあったら取ってくるし、洗濯物あったら一緒に洗っとくよ」
 話を逸らすように、あれこれ身の回りを気にしだしたので平もその流れに甘えることにした。
「あとでラインするよ。日月は、改まった話するから、わざわざシャツで来てくれたの」
 まだお互いそこまでの元気はないことがわかっているのに、あえて声の調子を明るくする。
「いや、洗濯サボってたら着るものなくなった」
「なんだそれ。全然駄目じゃん! 部屋やばいことになってそう」
「ヘーキンが帰ってくるまでに、なんとかしとく」
「そのときに、ちゃんと返事するよ」
 そうやって宣言しないと、優しさに甘えたまま決断をずるずると先延ばしてしまいそうだったのだ。
「急がなくていいって。そんだけだから、じゃ」
 日月は手を振って保健室を出て行く。
 平はその背中に質問を投げかけようとして、飲み込んだ。
 もし戦わないとしても、友達でいてくれる?
 聞くまでもないことだ。日月はそんなことで、友達を辞めたりする人間じゃない。切っ掛けは相罠だったけれど、そのあとは相棒関係だから、一緒にいたわけじゃない。だから伝えに来てくれたんだ。
 次は平が伝えに行く。