アヤ
2023-10-22 11:32:15
1159文字
Public **レン
 

『マグカップ』

トキレン|20231022

第1回トキレンワンドロワンライ『マグカップ』




 あ、と思った瞬間には手遅れだった。ガチャンと派手な音を立てて、フローリングに吸い込まれた陶器製のマグカップは粉々に砕け散る。……あーあ、やっちゃった。自嘲とともにレンはちいさなため息を吐いた。
 すくないオフをかき集め、様々な調整を施して(トップアイドルふたりの予定を合わせることは容易ではない)、ようやくの思いで手に入れた二泊三日の旅行――その際、たまたま通りがかったアンティークショップで一目惚れののち購入したものだった。
「せっかくだし、お揃いにしようよ」
 トキヤの顔を覗き込み、甘えた声で言う。レンの提案に対して喉の奥でくつりと笑う彼は、一考する間もなく「良いですね、そうしましょう」と首肯した。そうして互いの生活に加えられた揃いのマグカップを――以来、大切に使い続けてきたのに。
 ふたたび重たい嘆息を零したレンは、その場にしゃがみ込んだ。大きな破片から順に拾い上げ、一箇所に集めていく。
「レン?」
 不意に頭上から声が落とされ、素直な心持ちでレンは顔を上げた。
「ごめん。うるさかった?」
 自室で作業をしていたはずの彼の耳にも、どうやらマグカップの割れる音が届いてしまったらしい。けれど、気にするなというように首を左右に振ったトキヤは、そうしてレンにならい腰を落とした。
「怪我は?」
「してないよ、大丈夫」
 そうですか、なら良かった。淡く微笑むトキヤの顔を眺めるレンは、ますます『恋人とお揃いのマグカップを割ってしまった』事実を目の当たりにする。同じものを買えば良い、とかつての自分は安易な解決策を提示しそうなものだが、彼との旅行の中で購入したあのマグカップが唯一無二の存在であることを、今のレンは知っている。
……
 レンのそういう胸中とは裏腹に、トキヤの方はむしろニコニコと楽しげなさまでレンを見つめているのだった。「……なあに」と、思わず視線の意味を訊ねてしまう。
 自身の両膝を抱えるように腕をまわすトキヤは「不謹慎かもしれませんが、」と丁寧な前置きをしてから、
「『神宮寺レン』が、落ち込みながらマグカップの破片を集める姿を目にできるのは、恋人の特権だなあと思いまして」
 と、嬉しそうに言った。
 ……なにそれ。こっちはちゃんと凹んでいるのに。
 むむ、とくちびるを尖らせる仕草をすると、トキヤはくすくすと笑い声を零し「怒らないで」と形の良い眉を下げた。――おそらく、これもすべて計算尽くなのだろう。敵わないなと改めて思う。
……うん」
 また、近いうちにふたりで旅行へ赴けたら良い。機嫌の良い恋人を見ていたら簡単に叶う願いのように思えてくるから不思議だ。揃いのマグカップだって、きっと気に入るものがすぐに見つかる。