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千代里
2024-06-04 08:03:09
13178文字
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リーブラ13話
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リーブラの針は問う・13話・その14
「
……
というわけで、この街で武具を仕入れるのなら、西の通りがおすすめと聞いておりますわ。冒険者だけでなく、騎士にも人気の品のようで、当家の騎士も愛用しておりますわ」
「それなら、街を出る前に一度寄ってみようかな。イシュガルドの武具にも興味があるよ。弓もあるのかい?」
「もちろん、ございますわ。ドラゴンすら落とす武具が取り揃えられているという話ですもの。価格も、平民が頑張れば買える程度の、手頃な値段であると伺ってますわ」
ヤルマルに質問されるままに、鼻高々に街の様子について語るエヴァリンヌ。隣ではイヴリーがこくこくと頷いている。
先だって、ヤルマルが頼んだように、エヴァリンヌは屋敷に招待された客人ーーヤルマルたちの接待を不承不承であるが引き受けてくれた。
最初こそ不満を隠そうともしなかったエヴァリンヌたちだったが、やがて聞き上手のヤルマルのおかげもあって、自ら率先して街の名所について語ってくれるようになった。
寒冷化する前は道の端々を飾っていた花々の美しさ。教会を飾るステンドグラスに日が差し込んだときの、言葉にし難い荘厳な空気。教会近くにある墓場には、かつて動く死体の怪談が生まれて、幼子たちを震え上がらせたという。だが、度胸試しに行く若者が続出したことで、教会から苦情が出てしまい、あわや皇都の聖職者からお叱りを受けるところだったとか。
広場の隣にある喫茶店のエッグベネディクトは絶品で、この街に来たならぜひ食べるといい。もっとも、近頃卵を産んでる鶏の具合が悪く、二代目の鶏たちの卵で作られているので、味の質は少し変わったかもしれない。
騎士たちが詰めている詰め所は、いつも騎士たちの騒然とした空気で包まれている。姉妹が顔を出しても相手をしてもらえない時もあるくらいだ。それでも酒場では、非番の騎士たちがたびたび短い余暇を楽しみ、彼らは彼らなりに充実した生活を過ごしている。
エヴァリンヌらが語った街の人々の生活は、ヤルマルたちがぐるりと見て回っているだけでは得られなかった姿だ。
長くこの街にーーこの土地に住んでいる姉妹たちだからこそ、彼女らは誇りを持って自分たちが護るべき人々の営みについて語れる。それは、旅人であり冒険者でもあるヤルマルたちでは得られない知見だ。
「あとは
……
そうですわね。宿が必要でしたら、北の大通りにある宿がおすすめですわ。食堂のワインが美味だと、お父様も昔はお忍びでよく遊びに行っていたそうです。ヤルマルさんも、この後に行ってみてはいかが?」
「そうだね。お酒はボクも嫌いじゃない。君がそこまで言うのなら、名物に舌鼓を打つのも良さそうだ」
話をしつつも、ヤルマルはエヴァリンヌの視線が自分にだけ向けられていることに気がついていた。それは、イヴリーも同じだ。どうやら、姉妹は先ほど自分たちに攻撃的な態度を見せていた面々とは視線を合わすまいと決めたらしい。あるいは、誰かに攻撃的な言葉を向けられるのに慣れていないのかもしれない。
逆に、それらの面々を諌めたヤルマルには気を許してくれたようで、ある程度は客人としてもてなしてもよいと決めたようだ。
(こういう針の筵みたいな状況、本当は苦手なんだけどねえ)
ヤルマルとて、ノエに対して散々な言いようをしてみせた姉妹に対して、良い感情は持っていない。ただ、だからと言って、オデットたちのように己の感情を剥き出しにするような青さも持ち合わせていなかった。
かといって、ルーシャンのように皮肉で姉妹を煽ろうとも思えない。ヤルマルが中立のような姿勢になってしまったのは、本人がそう望んだからではなく、あくまで結果的にそうなったというだけだ。
「イシュガルド皇国と聞くと、どうしても閉鎖的でお堅いイメージがあったけれどね。この街を見てると、ボクも偏見を持ってしまっていたらしいと思い知らされたよ」
「旅人にそう思ってもらえたのなら、私も嬉しいです。でも、それもこれも全てお父様の政治的手腕が優れているからこそ」
「そうだろうね。君たちの父親は随分と立派な人のようだ」
こればかりは素直な感想としてそう称賛すると、ここぞとばかりに姉妹は得意げな笑みを口角に忍ばせた。
さすがに「そうでしょう」と前のめりになるような真似こそしなかったものの、自分が尊敬する相手を褒められて大変嬉しいと感じているのが、ありありと伝わってくる。
(その辺りの行動はオデットに似ている
……
って言ったら、今度は三人からまとめて怒られそうだなあ)
血が繋がっているわけではないのだが、姉妹の顔はオデットがノエを誉めてもらったときのそれとよく似ていた。ラペイレットの血を継ぐ男子は果報者ばかりだ。
「じゃあ、せっかくだから、そのお父様のことも聞いてみようかな」
「あら、あなたはお父様にも興味がありますの?」
ぐいぐいと話題に食いついてくるエヴァリンヌ。出会った頃とは異なり、ヤルマルに対してはすっかり警戒をといたようで、彼女本来の快活で積極的な姿勢が全面的に押し出されている。
「そりゃあ、仲間の父親だからね。彼に世話になっている身としては知りたいよ」
だが、ヤルマルがノエのことを話題にした瞬間、エヴァリンヌの顔に不満が混ざる。
もっとも、それは先ほどの噛みつくような姿勢と比べれば、かなり控えめではあった。
「お父様は、いつもお仕事で忙しくされておられる方ですわ。大体年の半分は、各地の視察に行っていますの。ラペイレットが統べているのは、この街だけではありませんもの」
「残りの半分は、親戚の家や知人の家に挨拶に行ったり、皇都の別邸に滞在しているときもあります」
二人は澱みなく、自身の父親の仕事について説明してみせる。込み入った内容を聞かずとも、彼女らの父親が相当忙しく過ごしているらしいことは、今聞いた内容だけでも十分に伝わった。イシュガルドは決して狭い国ではない。領地内を行き来するだけでも、相応の時間が必要のはずだ。
「最近は、寒冷化の問題もあるし、ドラゴン族の活動も見逃せないからね。休む暇もないってところかな」
「あら、お父様はいつだってそうですわよ。五年前に起きた寒冷化よりも前から、お父様の辞書に怠惰の二文字はありませんわ」
「へえ。それは立派なことだけど、休む暇ぐらいはあるだろう? ほら、可愛い娘が二人もいるんだ。君たちの話じゃ、領地内には湖水が美しい村落があるそうじゃないか。別荘の一つぐらい、いくら禁欲な貴族様だって持っているだろう?」
ヤルマルとしては、父親との楽しい思い出を聞き出して、二人の機嫌を取ろうと思っての問いだった。
ノエの父親はノエを見捨てるような選択をした。だからといって、彼が自分の血を引く子の全てを嫌うとも思えない。
ましてや、エヴァリンヌたちは正妻の子供である。ノエのように庶子ではないのだから、表立って可愛がっても何の問題もないはずだ。
だというのに、二人は揃って僅かに顔を曇らせた。
「
……
お父様は忙しい方ですわ。そのような雑事のために時間を取らせるわけにはまいりません」
「使用人を連れて、二人で遊びに行ったことはあります。湖の美しい村では、舟遊びに興じたこともあります」
「ええ。それに、お友達の家に呼ばれて、ダンスパーティに混ぜてもらったこともありましたわ。友達は父親と踊っておられましたから、わたくし達はお互いをパートナーにしましたのよ。皆、男性のパートも女性のパートも踊れるわたくし達をほめておりましたわ」
エヴァリンヌたちが語ったのは、いかにも貴族らしい優雅な休暇の使い方だった。
だが、彼女たちの声音には、明らかに虚勢が混じっている。口には出さないものの、僅かに混ざった寂寥を見逃さないほど、ヤルマルの目は曇っていない。
(
……
やれやれ。ノエもたまにそういうところはあるけれど、この家の男たちは自分たちのことばかり考えて、周りにいる人の気持ちを考えないという性質でもあるのかな)
ちらりと仲間たちの方を見やると、我関せずを貫いている男衆に混ざって、オデットの瞳に僅かに同情が混じっているのが見てとれた。ヤルマルとて、その理由はすぐにわかった。
もし、ノエがオデットのためにと言いながら、依頼のために時間を費やし続け、オデットに見向きもしなくなったら。オデットは、姉妹の強がりを己の立場に置き換えて、捉え直したのだ。
「こんな可愛い娘たちを放り出して仕事に行くなんて、随分と忍耐強いお父様だね」
「し、仕方ありませんわ! お父様にとってお仕事はとても大事なものですもの。それに
……
お父様は、あの男の方が気になって仕方ないのでしょう」
最後に付け足された言葉には、この部屋にやってきたときと同じ苦味が混ざっている。
けれども、今のエヴァリンヌの発言には、先ほどのような嵐のような勇ましさはない。
強いていうなら、ルーシャンに指摘されたようなノエへの嫉妬。それが前面に押し出されていた。
それも、どろどろとした重く冷たい嫉妬ではない。小さな子供が、自分の親が別のことに夢中になっているのが嫌でたまらず、癇癪を爆発させているような。
稚さはあるものの、見ていて切実な思いが伝わってくる妬みは、先ほどの刺々しい態度だけを見ていれば気づけなかったものだ。
「
……
お父様のお心に居座り続けるあの男が、一体どのような者かは知りませんが」
「おっと。じゃあ、ボクもノエについて語って聞かせようか」
「必要ありません。私にとって、彼がどのような人物なのかなどというのは、どうでもいいことです」
ばっさりと切り捨てるイヴリーにもめげずに、ヤルマルは「まあまあ」と話題を進めていく。
「ノエも、君たちのことはあまり詳しく教えてくれなくてね。無理もない。君たちに出会ったのは、たったの一回。しかも、まだ七つか八つの頃だったって話だ」
ノエの語ったところによると、姉妹はまるでお人形のように小さく愛らしかったとのことだった。もっとも、その後の事件の影響もあって、それ以上の印象は残らなかったとも話していた。
しかし、今のエヴァリンヌたちはお世辞にも小さいとは言い難い。エレゼン族の女性の中では小柄な方かもしれないが、それでもオデットよりは大きい。人形のように愛らしいという評価も、どちらかといえば今は愛らしさよりも美しさを褒める方が相応しい容貌をしている。
「ってことは、裏を返せば君たちもノエをよく知らないってことだろう。形はどうあれ、せっかく血のつながった兄妹が出会ったんだ。互いの近況ぐらいは、把握していても損じゃないと思うよ。敵を知り己を知れば、百戦危うからず
……
っていうのは、東方の格言だったかな」
エヴァリンヌもイヴリーも、その顔を見れば「別に話さなくてもいい」と言いたいのがはっきりと伝わってくる。だが、客人が話したいと言っているのに止めるべきではないと思ったのだろう。黙って、ヤルマルの話の続きを促した。
「ここにいる面々を見ればわかるだろうが、今のノエは冒険者としてグリダニアの冒険者ギルドに登録されている。剣と盾を使った堅実な戦い方を得意としていてね。ノエが前線で魔物を惹きつけてくれるおかげで、ボクは安心して弓を放てるし、そこでだんまりしているおじさんは魔法を放てるってわけさ」
「
……
魔物を、惹きつける? それは、魔物に近づくということですの。あのような恐ろしいものに、自ら?」
「ああ。どうしたって、剣を魔物に当てるには魔物に接近しなくてはいけないからね」
「でも、そんなことをしたら、魔物の牙や爪が届いてしまいますわ」
彼女の質問を聞いて、ヤルマルは娘たちが戦いの場面に遭遇する機会が殆どなかったのだと察した。
何も不思議なことではない。領主令嬢が戦闘を間近で見るような状態になっていないのは、それだけ彼女らの安全が強固に守られていることの証拠だ。
「そうだね。君の言う通り、ノエの戦場は魔物の牙や爪が届く範囲でもある。だから、怪我をすることも勿論ある。一つ手を間違えれば、死ぬかもしれない場所だ。もっとも、そうならないように、オデットが支援をしてくれてはいるけどね」
ヤルマルは、目顔でオデットを示す。姉妹は思わずといった様子でオデットを見やったが、その顔には「こんな小さな子が」という感情が如実に現れていた。
「戦闘以外の面だと、ノエは正直者としてギルドに顔が知られていてね。おかげで、安心して依頼を任せられるって顔役の人にも頼りにされている」
「あいつの場合は、正直者の前に馬鹿をつけるべきだ。頼りにされているんじゃなくて、嘘がつけない性格だから、扱いやすいというだけだろう」
「そう意地悪を言うものじゃないよ、オランロー。正直は間違いなくノエの美徳の一つさ。
……
まあ、ちょっと頭が硬いとは思うけれど」
ようやく口を開いたオランローは、言葉の割にはどこか柔らかさを帯びた語調でノエの評価を修正する。彼の発言に便乗して、ヤルマルはちょいと肩をすくめてみせた。
「ノエは、一度こうと決めたら意見を変えない。自分が正しいって思ったことに、いつも真っ直ぐな人」
オランローの後を追い、サルヒも自分なりの評価を付け足す。
「おまけに、周りを顧みずに突っ込むからな。いやはや、この前の妖異騒ぎのときは本当に死ぬんじゃないかと思ったぜ。ボムの大爆発で、体の半分は黒焦げになってたものな」
「ルーシャン。お嬢様がたの前だよ。あまりグロテスクな話題は避けてくれないか」
「でも、嬢ちゃんらにとってノエは『死んで欲しかった』相手なんだろ?」
それなら、ノエが傷ついた情報に手を叩いて喜ぶべきだ。そう言わんばかりの皮肉な物言いに、ヤルマルはルーシャンを目線で嗜める。
エヴァリンヌたちは、ただ唇をぎゅっと引き結んでいた。彼女らにとって、ノエは確かに父親の心に居座り続ける、忌まわしい相手だ。できれば、父親の心から永久に立ち去ってもらいたいだろうし、そのためには彼の訃報が届いてほしいと思ったこともあるのだろう。
だが、だからといって、自分たちが呪い続けた相手の具体的な『死』の形を突きつけられて平然としていられるほど、肝が太いわけではなかったようだ。
「ルーシャンの言い方は良くないけども、ノエが危ない橋を渡りながらも今こうして生きているってことは伝わったかな。ボクらも、彼にはあまり危ないことはしてほしくないんだけどね。どうにも、困っている人がいたら手を貸したいと思うようだ。たとえ、それが危険なことであったとしても」
「それが、兄さんの兄さんらしさですから。そんな兄さんに助けられて、わたしはこうしてここにいられるんです」
今まで黙りこくっていたオデットが、ようやく口を開く。
「
……
それは、どういうことですの。そもそも、最初から気になっておりましたけれど、なぜあなたはあの男を兄と呼んでますの」
「それは、わたしにとって兄さんが最初に出会った家族のような人だから
……
です」
オデットは、静々と自分がノエと出会った経緯について語る。それらは、姉妹にとっては無関係の話だ。
だが、ヤルマルには彼女らの変化がわかった。
今まで、彼女らにとって『ノエ』という存在は非常に抽象的なものだった。
父親の心に居座り続ける、今はもう死んだはずの腹違いの兄。幼い頃に一度会ったきりならば、彼女らにとって、ノエは目に見えない影のような存在だった。だからこそ、いくらでも呪いの言葉をぶつけられた。
けれども、今こうして自分たちが父親について語り、ヤルマルたちが逆にノエの話をしたことで、姉妹の中にノエの存在が『生きた人物』として焼き付けられた。ノエは曖昧な空気のような存在から、たしかに今ここで地に足をつけて生きる、血の通った存在になってしまった。
そして、そんな人物に無遠慮に一方的に『死んでしまえ』と言えるほど、二人は考えなしではなかったらしい。
「兄さんはとても優しい人なんです。それは、少しは無鉄砲なところもありますし、向こう見ずなところもちょっと直してほしいと思いますが。賢明な方と思いきや、自分のことになるとうっかり者になりますし」
「
……
それ、褒め言葉になってますの?」
「ほ、褒めてるつもりです! ただ、ちょっぴり兄さんは考えなしだなあ、と思うだけです。この前だって、わたしを庇って大怪我していました。それに、自分の悩みはいつも内緒にして一人で解決しようとします。もっと頼ってほしいって、何度も言っているんです」
姉妹は、自分たちより年下の少女が必死に紡ぐ言葉に耳を傾けている。自分たちが何も知らずに糾弾していた男の姿を知ろうとしている。
そのことを指摘したら、姉妹はきっと揃って「どんな間抜けなやつか知りたかっただけ」などと言うのだろうけれど。
「あなた方の話を聞いていますと、ノエという男は随分と間抜けな人物みたいですわね。お父様とは似ても似つかぬ凡庸さですわ。それでよく冒険者という稼業が務まりますわね」
「それは、ボクも本当にそう思う」
思わず、ヤルマルはうんうんと頷く。味方と思っていたところからの一撃に、オデットは「で、でも!」と声を張り上げる。
「兄さんは、すごく優しいんですよ。わたしが熱を出した時は自分も病み上がりで辛いはずなのに看病してくれました。それに、努力家なんです。重たい武器を扱うために、鍛錬も欠かさずに毎日していること、わたし知ってます」
「おや、その努力に関してはオデットには隠したかったんじゃないかな」
ヤルマルがにやりと笑ってみせると、釣られるようにしてエヴァリンヌの頬がわずかに緩む。もっとも、それはすぐに思い出したように引っ込んでしまったが。
「あと、兄さんはエッグロワイヤルが大好きで、食べてる時すごく幸せそうな顔になるんです。グリダニアの材料で作るのは大変でしたけど、頑張って作った甲斐がありました」
「あら、それならこの街の東の通りを行った先にある店がおすすめですわ。本場の味は、きっと格別ですわよ。サーモンの風味が実に良くて
……
」
何気なく話題に乗りかけたエヴァリンヌの言葉が、中途で切れる。
この一瞬、彼女はノエのことを、憎むべき疎ましい腹違いの兄ではなく、客人の少女にとっての大事な人として捉えていた。そのことに自らで気がつき、言葉に詰まってしまったのだ。
二人の間に不自然な沈黙が落ちる。それぞれが何を言うべきか悩み、口を開きかけ、そしてーー。
コンコンコン、とノックの音がした。
「どうぞ。鍵は空いているよ」
いつぞやと同じ返事をヤルマルがすると、程なくして扉が開く。その先にいたのは、今まさに話題の渦中にいる人物ーーノエだった。
瞬間、少女三人分の視線がノエへと突き刺さる。哀れなのは、何も知らずにやってきた『凡庸』な青年の方だった。
「兄さん、おかえりなさい。お話は終わったんですか」
「あ、ああ。話の方は
……
うん、終わったよ。それで、その」
ノエの視線が、同席していた女性二名へと移る。彼にとっては、成長してからは一度も会っていない見知らぬ『妹』へと。
「お初にお目にかかりますわ。わたくし、エヴァリンヌ・ド・ラペイレットと申します。こちらは、妹のイヴリーですわ」
彼女の名乗りを聞いて、ノエも二人が何者かを理解したのだろう。一瞬見開かれた瞳が、彼の動揺を物語っていた。
しかし、ノエは己の気持ちの揺れを言葉にはしなかった。顔に出すこともなかった。
ただ、自身の中に湧き立つ感情の全てに一度蓋をして、平静を取り戻した顔で二人を見つめていた。
「君が戻ってくるまで、随分と時間がかかっていたからね。ボクらの暇つぶしに付き合ってもらっていたのさ」
兄妹の間に生まれた緊張をほぐすように、ヤルマルが声をあげる。
「そうだったんですね。お二人とも、丁寧なご挨拶ありがとうございます。僕はノエ。ノエ・ウヴィルシンと名乗っています」
「
……
ええ、よく知っていますわ。わたくしたち、あなたに会ったら言ってやろうと思っていたことが山ほどありますのよ」
ソファからすっくと立ち上がり、エヴァリンヌは部屋に入ってきたノエを正中に見据える。思わず、オデットも姉妹を止めるかのように後を追って席を立つ。もし、彼女たちが先だってのような棘が混じった言葉をぶつけたなら、オデットとしては黙って見過ごすわけにはいかない。
だが、エヴァリンヌたちには、部屋にきたときの威勢の良さはもうない。代わりに、彼女らの挙措には躊躇が混ざっていた。
「あなたのこと、そちらのお仲間という人から沢山聞かせてもらいましたわ。凡庸で、馬鹿正直で、腹芸もできない朴念仁だとか」
(朴念仁とまでは言っていないけれどなあ。まあ当たらずも遠からずか)
オデットははらはらしているようだったが、ヤルマルは姉妹を止めずに様子を見守っていた。
エヴァリンヌは、ずかずかとノエへと迫る。目の前にいる、父と大して似た顔をしたわけでもないのに、父と同じ色を髪と目にもつ男を睨みつける。
「あなたは、どうして」
ーー本当は、言ってやろうと思っていた。
この人殺しめと。よくも、ぬけぬけとこの屋敷にやって来たな、と。さっさと父と私たちの前から消えてしまえと。
しかし、言えなかった。
「どうして、今更」
目の前にいるのは、本当に凡庸な青年だった。
街で見かける騎士や、使用人として働いている小間使いとさして変わらない。純朴そうで悪事など考えたこともなさそうな男だった。
「
……
今更、ここに来ましたの」
だから、最初に燃え上がっていた言葉はいつのまにか、とても小さな疑問の言葉に変わってしまっていた。
「あなたのことを、ずっとお父様は気にかけていましたのに」
それは、静かな怒りを宿していたイヴリーも同じだった。
彼女もまた、ノエが望んで父親の心に居座り続けているわけでもなければ、父親を苦しめるために顔を出したのでもないと分かってしまった。
分かりたくなかったけれども、分からないふりを続けられるほどに姉妹は愚かではなかった。
ノエは、この屋敷に来たばかりだ。自分の妹にあたる人物がどのような経緯でここにいて、どんな会話をしていたかは知らない。
それでも、彼もまた姉妹の複雑な感情の機微を察したようだ。
「
……
僕も、あの人が僕のことをあんなに気にかけているなんて、思っていなかったんです」
「お父様は、わたくしたちと話しているときですら、ずっとどこかであなたのことを考えていましたのよ」
「僕はあの人のことを詳しく知りません。だから、きっとあなたのおっしゃるとおりなのでしょう」
ノエは明確な否定も肯定もしなかった。ただ、姉妹の中に凝っている感情に寄り添っていた。
「あの人は僕のことをどうでもいいと思っているものだと、僕はそう信じ込んでいました。今日、あの人に会うまで、僕はあの人のことを知っているようで何も知らなかったのだと思い知らされました」
エヴァリンヌの瞳に、強い意志を秘めた光が宿る。お前は一体父の何を知ったのかと言わんばかりに。
しかし、ノエはそれ以上、父親については言及しなかった。
「静かに暮らしていた二人の心を乱してしまって、すみません。ですが、僕はもうあの人の息子でいるつもりはありません。あの人自身、僕にとって自分がどのように思われているか、理解してくださったのだと思います」
エヴァリンヌはすでに気がついていた。父と縁を断つと宣言するノエの言葉に混じる、微かなためらい。どんな形であれ、自分を家族と切り離すということにノエは全く感情を揺らしていないわけではないと、その姿を見ているだけでわかる。
それに、自身の父親であるはずの男を、ノエは二人の前では一度も『父』と呼んでいない。それは、本当の娘の前では、自分は同列に扱われる存在でないと自ら定義しているからだ。本来ならば、彼も『父さん』と呼べる立場ではあるはずなのに。
「今日は、遅くまでお付き合いいただきありがとうございました。
……
それと」
結びの挨拶の後に添えて、彼は深々と頭を下げる。
「力及ばず、あなた方の心を傷つけるような結果となってしまったこと、十五年前の僕に代わって深くお詫び申し上げます」
「ーーーー!」
その謝罪が何を示しているのか、分からないふりをして跳ね除けては本当の愚者となってしまう。故に、エヴァリンヌたちは、ただ歯を食いしばり、兄であったはずの男を睨みつけることしかできなかった。
彼女たちはもう知っている。いや、最初から知っていたのだ。気づかないふりをしていただけで。
目の前の男を責めても、母は戻ってこない。幼子であった彼がとどめを刺さずとも、母は騎士によって討ち取られていただろうことも、最初からわかっていた。
そして、ノエを糾弾したところで、父が娘のために時間を割いてくれるようになるわけでもない。父の心を占める兄の存在を、抹消できるわけではない。
ノエをどれだけ傷つけても、薄っぺらな自尊心が満たされるだけだ。そのことを、彼女たちはもう知っていた。
「
……
あなたを許すつもりはございません」
それでも、姉妹は精一杯の虚勢を張る。腹違いの兄を認めない妹であり続ける。それ以外の生き方をすぐに受け入れられるほど、二人の間に横たわる溝は浅くない。ノエも、「はい」と短く返しただけだった。
兄妹の対談が終われば、ヤルマルたちが長居する理由もない。空気を読んだ召使いは、一行の中で一番年配に見えるルーシャンに声をかけて、退出の支度をするように促す。
「兄さん、ちゃんと預かってましたよ」
「ありがとう、オデット」
兄妹ではないのに、まるで本物の兄妹のように、ノエはオデットから渡された剣を、腰の剣帯に吊るす。他の面々も、ノエに倣って片隅に寄せていたり床に置いていた武具を装着し直していく。
そうすると、あっという間にそこにいた面々は冒険者然とした装いとなった。
「では、入り口まで案内いたします」
賢明な召使いは、静々と一礼すると扉を開き、一行を外へと導いていく。まずはノエが、続けてオデットやオランローたちが続き、しんがりとなったヤルマルは、扉の前で一度足を止めた。
さよならも言わずに、ただ立ち尽くしていた姉妹に向けて、彼女はついと顔を向ける。
「これは、君たちにとってはただのお節介かもしれないけれど」
前置きを挟み、彼女は言う。
「言えていないことがあるなら、ちゃんと口にした方がいいよ。たとえ、家族であってもね。一度ボタンを掛け違えたままになっている状態を望む形に整えるのは、勇気のいることだし、楽なことでもないと分かってはいるだろうけれど」
ふ、と目を細め、ヤルマルはただ怒りを抱えて己の寂寥を押し殺していた二人に笑いかける。
「でも、君たちの気持ちを知ったなら、君のお父さんはちゃんと考えてくれると思うよ」
「
……
どうして、そう言い切れますの」
「おや、だって君たちが言っていたんじゃないか。自分の父親は、とても素晴らしい人なんだって」
街のことを考え、領民のことを考えられる人だと彼女らは誇っていた。ならば、娘のこととて同じではないか。
言外にヤルマルはそのように告げ、二人を励ますように、ひらりと手を振ってから外へと出ていく。
残された二人の娘の続く未来に、幸あれと祈りつつ。
*
「
……
嵐みたいな人たちでしたわ」
「ええ、まったく」
「それに、あのノエとかいう男も。ようやく、憎たらしいその顔を拝んでやりましたわ」
「お父様には似ても似つかない、普通の人だったわ」
イヴリーの言葉を最後に、ふつりと姉妹の会話が途切れる。
女中を呼びつけて部屋の片づけをさせるべきとか、腹違いの兄への不満をぶちまけてしまえばいいとか、思うことは沢山あるのに、どれ一つとて行動に移す気になれなかった。
「
……
普通の人でしたわね」
間を置いて、エヴァリンヌがぽそりと漏らす。イヴリーも、無言で肯定を示していた。
冒険者たちが語っていたように、ノエは凡庸な青年に過ぎなかった。
物語の中に登場する悪役のような、如何にもな悪人ヅラをしていたわけでもない。むしろ、ささやかな意地悪すら思いつかなさそうな、お人よしにすら見えた。
貴族社会では真っ先に食い物にされそうな、善良すぎる人。それが、姉妹が真っ先に受けた印象だった。そして、その印象を彼女らの中に燻っていた憎悪であっさり塗り替えることはできなかった。なぜなら。
「グリダニアの冒険者、だそうですね」
「馬鹿正直な方と言われてましたもの。きっと貧困に喘いでいる愚か者ですわ」
「冒険者だって、善良なだけではやっていけない仕事でしょうから」
「おまけに、身寄りのない子供まで拾ってるなんて。本当に面倒を見れているのかしら。世話をされているのは、あの男の方ではなくって?」
先ほどまでいた冒険者に教えてもらった『ノエ』という男の情報が、彼女らの中に焼き付いている。もう、何も考えずに兄を全ての悪事の元凶に仕立て上げることはできない。
「
……
あとで、お父様の様子を見てきましょうか」
「うん。それがいいと思う。
……
私たちのことを気にかけてくれるか、分からないけれど」
イヴリーの不安げな声に、エヴァリンヌも俯きかける。
今までもそうだった。父親の心にはノエや異端者の烙印を押された妾への罪悪感が根のように張り続け、姉妹や姉妹の母への感情は見えないままだった。
好いているのか、そうでないのか。それすらも分からないままに宙ぶらりんでいられたのは、知ることが恐怖でしかなかったからだ。
もし、娘のことなどノエに比べたらどうでもいいと言われたら。そんなことあり得ないと言いたくても、仕事を忙しい父の背中を見るたびに、そう思ってしまう気持ちが拭えなくて、いつも言葉は喉の奥に消えていた。
「
……
でも、言えてないことがあるなら、言ったほうがいいとあの冒険者の方も言っていましたもの」
「エヴァリンヌ、彼の発言に従うつもり?」
「駄目で元々ですわ。それにわたくし、お父様を信じていますもの」
微かに震えている姉の手に気がつき、イヴリーは姉の細い指に自分の指を絡める。
父と娘でありながら、微妙なぎこちなさを残していた関係を一歩進める。それはやはり怖いけれど、きっとその先に今までのような兄を呪うだけの日々と違うものがあると願って。
「それにしても。冒険者というものは、あそこまで聞き上手な方もおられるのですね。わたくしたちの話を聞いている時、使用人や平民の方以外で無理に自分の会話を挟んでこなかった人に久々に会いましたわ」
「確かにそうだった。話題に詰まったらすぐに次の話題を提供してくれた。私も、話しやすいと思っていたぐらい」
彼女らより身分が低いものは、当然ながら貴族の娘である二人の会話に口を挟もうとはしない。だが、それは二人の発言を尊重しているからではなく、単に身分の格差から口を挟んではいけないと弁えているからだ。
一方、同じ身分である貴族が相手になると、彼らは自分の主張を遠慮なく挟んでくる。それが彼らなりの処世術なのは分かるが、まるでまだ年若い自分たちの発言を低く見られているようで内心面白くない場面もしばしばだった。
貴族同士の習いとして、丁寧な言葉を使っているものの、やはりどこか見下されてる感じは拭えない。特におしゃべり好きのエヴァリンヌとしてはそれが我慢ならなかったのだが。
「あのヤルマルという冒険者、わたくしの話の時はずっと相槌を打って、興味が持てる方向に話題を振ってくれて
……
素敵な方でしたわね」
「
……
他の人たちのことも、それとなく諫めてくれていたわ」
「たしか、あの長い耳はヴィエラ族の耳だったはず。ヴィエラ族は私たちより長生きだというから、ずっと年上の人だったのかもしれませんわね」
そこまで口にして、ふとエヴァリンヌは思い返す。
自分たちとは似ても似つかぬ褐色の肌。イシュガルドの山嶺に広がる木々を思わせる濃い緑のような髪。そして、ころころと表情を変えながらも、時に真剣にこちらを見据えてきた瞳。
「
……
あ、あの方なら、また招いてもいいかもしれませんわね」
「エヴァリンヌ?」
「何でもありませんわ。彼のことは気になりますけれども
……
今は、お父様ですわ」
少し赤くなった頬を両手の頬で隠し、エヴァリンヌは表情を引き締め直す。
兄妹揃って同じ勘違いをしているとも知らず、二人もまた部屋を後にした。
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