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yossy
2024-06-04 01:09:50
1509文字
Public
自創作
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菜の花の花言葉
野佐和大樹の過去の話、家族について
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「快活」「明るさ」「小さな幸せ」「快活な愛」「競争」「活発」「元気いっぱい」「豊かさ」「財産」
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小さな頃、父が事故で死んだ。
物心つく手前の年齢で、よく覚えていない。
写真に映る父は笑顔が良く似合う人だった。
母は偉大な人だ。
女手一つで俺を育ててくれた。
とても賢い人で、経済界で有名な人だった。
父と結婚する前から優秀だったようで、
大学で授業を受け持っているし、セミナーを開いたり、アドバイザーとして大手の会社に出向いたり。
時々母は旧姓でテレビに専門家の人として映っている。
感謝はしているが、母との思い出は少ない。
母方の祖父母に可愛がってもらっていたのは覚えている。
そこでキャッチボールをしてくれて、楽しかったのを覚えている。
そして、母に野球を否定された事も、覚えている。
母は、少し過保護な人だ。
だが放任主義的で、家に殆どいない。
忙しい日は数ヶ月帰ってこないのがザラで、帰ってきたかと思えば直ぐ次の仕事の支度をして出ていった。
過保護なのは、きっと俺のことが心配だったから、怪我をしないように運動をして欲しくなかったのだと思う。
そこは迷惑かけないよう、高校卒業まで皆勤賞(インフルには罹ったけど)。
大きな怪我もせずここまで生きている。
だから、一人でいるのは当たり前の事だった。
インフルになった時も、
タクシーを拾って病院に行き、またタクシーで家に帰って寝る。それだけ。
でも、すこしだけ、
同級生の話が羨ましかった。
彼らは彼らで羨ましいと言っていたけど。
俺にとっては、家族と過ごす時間を普通と思える生活ではなかったから。
本を読んで、家事をして、ご飯を作って、勉強して眠る。
本と、周りの人間から感情を学んだ。
母が自由に使ってと渡したクレジットカードで大半の生活を過ごした。
多少やりくりするも、遠慮していると気づかれればその分多く振り込まれていた。
友人と遊びに行く事を伝えれば、増額していたし、誕生月は決まって10万近く上乗せされていた。
母は、頭がいい。
お金の不自由さを感じたことはない。
だから、進路を頭ごなしに決められるのは正直キツかった。
三者面談も一方的で、何度も親御さんと話し合ってねと言われてはいたが、話し合いの場すら無かった。
何度も時間をかけて、条件付きで受験や進路を許してもらえたが、
どうにか認められたいと、立派な息子であると、誇らしく思ってもらえるように。
必死に、頑張ったが。
野球を捨てる以外道は無かった。
「それで食べていけるの?」
「いつまで子供気分でいるの?」
「きちんと現実を見なさい」
誰のおかげで生きてきたと思っているの。
ある種の反抗期だったと思う。
一人暮らしをして、全部自由に生きる。
だが母は偉大な人だ。
母の影があちこちに見えた。
でも自分には母のような才能はなかった。
自由を得たところで何一つ変わらない。
何もかも取り上げられて、どう生きればいいかわからなくて。
結局自分には野球しかないのに、壁が隔てられて、息苦しかった。
「だいき、大樹は、将来何になりたい?」
「ぼく、おとなになったらね、」
一流の野球選手になりたいな。
何故、
「ママにね、ぼくのすきなことで、みとめてほしいから」
「だって、こーーーーーんなに!
すきなんだもん」
「ママもやきゅうも」
一人暮らしに伴い、持っていくか悩んだ野球ノートの束を引っ張り出す。
嗚呼、自分の好きな気持ちは、まだこんなに残っていたのに。
どうして忘れていたのか。
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