ところ変わり、帥父邸宅。下層バラックの中心である教会は孤児院と併設されている。簡素な鉄骨造、華美な装飾もなく、構造物内に吹く風によって聖母旗がゆったりとなびいていた。ルビコニアンを導く乙女の象徴は、かつてのドルマヤンの伴侶がモデルとも言われている。
エアの採用面接がすむ頃、リング・フレディより伝達があった。帥父ドルマヤンが話をしたい、と。
「お待ちしておりました、帥叔、ドクター。……同志、ラスティ」
日の落ちかけた教会には工業用電灯のほか、いくつかの蝋燭が灯っている。あたたかなオレンジに無機の鉄が染め上げられ、中層街区のランタンとはまた異なる温もりがあった。
出迎えたリング・フレディは、数人の子どもたちにじゃれつかれており。「シスターのところへ行きなさい」と掛ける声は柔く、物憂げでたおやかな好青年、といった様だ。
「同志リング。帥父は──」
「あちらで、お待ちになっておられます」
恭しく頭を下げるリングは同志ラスティの言葉を半ば遮る。ふふ、と肩をすくめ、ラスティは指し示された教会の祭壇へ目を遣る。──ステンドグラスを模した鉄骨の飾り窓──夕暮れの日を浴びながら、車椅子に腰掛けた老人が、教壇手前の花壇の手入れをしていた。青い造花が並ぶ様は水平線のようで、その中央に佇む様は、大河を眺める賢人の逸話を思わせた。
「──同志ラスティ」
「なんだ?」
「……見ておりますから、下手な真似はせぬよう」
「ああ……。流石に老人を虐待する趣味は持ち合わせていない」
先程の子どもたちが聞けば裸足で逃げ出すだろう、リングの冷ややかな舌打ちが教会のエントランスホールにこだました。
ドクは日課の往診で、代理による妨害中にも唯一面会できた人物だ。次席である帥叔は、巷で噂されるような剣呑さは無く。良き上司、部下というような振る舞いだった。
凡そ、朝方に気が狂ったように戦友を撃墜した老爺とは思えない穏やかさが、教会のあらたかな気配を纏ってそこに座っている。
「こんばんは帥父。お加減はどうです」
「うむ、フレディとお主の薬のおかげだ。それより、帰りに子どもたちを診てやってはくれないか。ここの所のさわぎで不安がっている」
「ええ、もちろんです。」
見舞いは順調だった。しかし。
「……なんということだ……」
「ど、どうされました帥父」
帥父は手を震わせて枝鋏を取り落とした。ラスティが気の利いた挨拶口上を発する前に、帥父は血相を変えて車椅子から立ち上がった。
「声が、何故レイヴン以外に……?!」
色のうすくなった瞳孔を見開き、老爺はラスティの傍を食い入るように見詰める。ドクが宥めるのも聞かず、ラスティの両腕を掴んで離さない。なにかを確かめるように……ひたひたと彼の肩や頬を触れては未知で不可思議なものを調べるように、見えぬものをあらためていた。
「なぜ、何が起こっている……?」
「帥父ドルマヤン、どうされました」
「……なぜ其方の傍に、コーラルが居る」
「コーラル?」
いつもの耄碌か、と内心ラスティは呆れていた。だが帥父が泣き出しそうな表情をしてラスティの傍らを見つめるものだから薄気味悪い。あるいは偽薬コーラルにでも酔ったのだろうか?
帥父は帥叔に促されて、ようやく車椅子に座り直した。
「其方らを呼んだのは他でも無い……レイヴンのことだ」
嗄れ声は震えて弱々しい。今朝方や今しがたの剣幕は果たしてどこに隠し持っているのやら。ラスティはロッキングチェアのように車椅子へ凭れる帥父を見下ろす。
「……あの者は、まだ生きているのか」
「生きていれば、その足で引導を渡しに行くのか、帥父ドルマヤン」
「おいラスティ」
「よい、フラットウェル。……灰狼よ、其方から見てあの烏をどう思う。ルビコンに仇なす害獣か、我々が飼い慣らすべき駄獣か」
「そのどちらでもない」
「ラスティ!!」
帥叔が襟首を掴んで迫る。視界の端では巻き込まれのドクが頭を抱えて信者席の長椅子に座り込んでいるし、向こうからはリングの甲高い足音まで聞こえてくる。
「……今のところは、と前置こうか。独立傭兵レイヴンはその性質上、クライアントが居なければその力を行使しない。当然例外はあるようだが……。それを差し引いても、三度に渡る依頼達成、上空での協働を経ての裏切りは不義も良い所だ。レイヴンの真の目的さえ聞き出さぬまま撃墜、重体としたのは解放戦線側の過失だろう。」
襟首の黒手袋に食い込むほど、ラスティの左手が掴み返す。
「害獣か、恐らくレイヴンは主人を失い、その目的さえ消失している。今すぐに何か事を起こす余力は無いだろう。駄獣か、ハンドラー・ウォルターに躾られた猟犬を懐柔できるなら願ってもない事だ。だが既にアーキバスはこれに失敗している、我々にできると思うか?」
帥叔は唸りその手を緩める。一瞥と共にひとつ息をふき。地に足ついたラスティは毅然と帥父を見下ろす。
「私たちは認めるべきだ。レイヴンは我々が手にする力では無い。まして排除して良い存在でも無い。どう転んでもルビコンのパワーバランスは崩れ、ルビコニアンは共存どころでは無くなる。……また始めからだ、それはここにいる誰もが願う事では無い。」
「だが……レイヴンの身柄はこちらにある」
「残念だが先刻、身元引受人から連絡があった。丁重に保護をもとめられたが……これに反故した場合どうなるかわかるだろう?」
「……」
「相手は解放戦線との協力を求めている。コーラル調査については特に、だ。彼らの話も聞くべきだとは思わないか、帥父」
「身元引受人というのは、こちらへ呼べるのか」
いいや、とラスティは首を振る。「貴方の脚と変わらない様だ。だが通信ならできるし、今も回線は開いている」帥叔が掛けていたインカムを帥父に手渡した。
「……こんにちは。其方は、名はなんという?」
《──はい。サム・ドルマヤン。……私はエアと言います。お話は聞かせていただきました。》
不安と緊張が入り交じる声色で、彼女は応じる。
《今朝の出来事は残念ではありますが……。幸いにも、解放戦線の皆様の尽力により、レイヴンは一命を取り留めました、感謝いたします。……帥父ドルマヤン、改めて申し上げますか、現在の我々に解放戦線を害する意思はありません。》
「それで……レディ・エアは儂に何を望むかね?」
《……解放戦線軍部へ、私たちが行うコーラル調査について、協力を求めます。貴方がたがレイヴンの処遇について言い争うのは構いませんが、事は一刻を争うのです》
「協力して、どうするのだ。その特質を皆に勧告し、コーラルを封じ。我々を飢えさせるつもりか?」
《その様にはなりません。コーラルは尽きることの無い恩恵を貴方がたにもたらします》
「……彼女と同じ事を言うのだな、レディ・エア。だが異なる意志を持つ。」
帥父はおもむろにインカムを外すと、再びラスティの傍──三角巾吊りの右腕のすぐ傍を見詰めた。
「あらためて問うぞ、コーラルの女王よ。……其方らは引鉄を引く先に何を求める」
「帥父、何を言って……?」
帥叔がたじろぐ。異変を察知して駆け寄ったリングも、一言も発せず後ろの方で立ち尽くすだけのようだった。
「そのように変異をしてまで、我々に何をもたらそうと云うのだ」
《!!》
「灰被りて、我らあり。コーラルよ、ルビコンと共にあれ。……コーラルよ、ルビコンの内にあれ。……その賽は、投げるべからず。腐れた警句だと云うならば結構だ。だが、これがルビコンの真実だ」
《……私は……人と、コーラルの可能性を……》
「ああ……其方は彼女とよく似ている。だが、その可能性……共生など、叶わぬのだ。人は其方らから奪うことしかせず、其方らは人を向こう側へ渡らせる事が本質である筈。……最早、叶わぬゆめなのだ」
《そんな事はありません、そんな事を望みにきたんじゃありません!》
通信回線越しとは思えない、生々しく近い声が礼拝堂に響いた。
《諦めないでください、コーラルの変異は私に、レイヴン以外との対話手段を授けました。彼女は……セリアは貴方に選択を迫りましたが、私は違います》
「違うのかね。其方には見えぬ筈がない、コーラルたちの声が。」
《それは……!》
(なあラスティ、帥父は何の話をしているんだ?というか……なんでインカム無しではなしてるんだ?)
(さあ……)
ひそひそと耳打つドクの言葉に、ラスティは肩を竦める。
(と言うかよ、声、俺にも聞こえるぞ。)
(奇遇だな、私もだ)
サム・ドルマヤンの神秘性、思想的指導者となる所以は、ドーザーたちが彼の周囲に眩い閃光の舞を見たからだとも、その閃光と共に、さざめく声を聞いたからともある。それらは神慮めでたきこととして祀られ、彼のコーラル神秘主義がルビコニアンの礎となった。
「コーラルを救うならば、人類は滅ぶ。人類を生かすならば、コーラルは滅する。……儂はどちらも選べぬ」
《……第三の選択はないのですか》
「無い。故に、コーラルを調べたところで、何も変わらない、無駄だ。」
《……では貴方は再び、このルビコンを火の海にしようと言うのですね》
「……何が言いたい」
ひと息ついて、エアは言葉を続ける。最早この場にいる面々に聞かれようが構わない様子だった。
《協力を仰げれば良いと思っていましたが、どうやら甘く見積もり過ぎたようです。──帥父ドルマヤン、ルビコンの滅亡は今なお差し迫っているのです。》
「…………」
《そして、その鍵を握るのは、貴方が危惧するとおりレイヴンその人のみ。……元より、貴方が選択する余地はありません。ですが、多くのルビコニアンを救えるのもまた、貴方だけなのです。……決断してください》
エアはひと呼吸置き、帥父へ語り掛ける。
《私も、賽を投げるべきではないと、今なら思います。……それでは共生とは呼べないのです……。人は人としてあってはじめて……隣人と生きるのですから》
帥父が何かを目で追う。それは彼の手の上で留まった。
《……帥父ドルマヤン、私は思うのです。同胞たちは何かを害するままではいけない。ただ増える事は繁栄ではない、と》
「それは其方らの本質を違えるだろう」
《きっと私は、そのために変異したのかもしれません……。同胞たちを裏切る形になっても》
帥父は何かをすくい上げる。その手のひらに、微かに赤い光を見た気がした。
《もう……私たちを、争いの火種にはしたくないのです》
「……結論は出たかな、帥父」
咳払いをして、ラスティは居住まいを正した。
「エアの言葉を補足するならば、事実バスキュラープラントのコーラル貯蔵量は限界間近だ。どのみち氾濫する未来は見えているし、そうなれば大火とはいかずとも大規模な環境汚染となる。彼女らは、それらの問題から我々を救いたいと願っている」
帥父は目を伏せたまま、手のひらを椀のように合わせて掲げ持つ。そこに、エアが居るとでも言うのだろうか。
「……分かった」
「帥父……!」
「だが、忘れるな。少しでもルビコニアンに害なす行為をすれば、儂は其方らを倒す」
《そのような事が無いように努めます。》
帥父の手が再びひざ掛けの上に戻った。彼は何か思案げに俯いたまま、深い溜息をついた。
「帥父、一度部屋に戻られては……」
「……いいや、この者たちに、まだ伝えたい事がある」
「承知致しました」
リングは帥父の傍から一歩退くと、取り落とした鋏を拾い上げる。ややあって老爺は何かを決意したように、礼拝堂の面々を見回し再びラスティを見上げた。
「レディ・エアはおそらく、相変異の際に発生したCパルス変異波形だ。儂にもアイビスの火以前、セリアという変異波形が傍にいた事がある。……レイヴンもまた、声を見る『素質』があったのだろう」
「その『素質』とは、どんな結果をもたらすんだ?」
「……先程も言ったように、人間世界の崩壊を招く……引鉄だ。素質ある者と変異波形、このふたつの要素が、災禍の引鉄であるという」
引鉄。即ちルビコン、ひいては周辺星系の命運を握るのは、レイヴンだと言うことか。
「これらは技研都市よりセリアが持ち帰った論文資料だ。風化しかけてはいるが……。これを其方に託そう、レディ・エア」
《あ、ありがとうございます。ドルマヤン……》
『そしてこれは忠告だ。この戦の裏で異なる動きを見せる者がいた。……儂はそれらに今後も注視するが、コーラルを調べる以上、気を引き締めて掛かるのだ』
《分かりました》
「……儂から言える事はもう無い」
帥父は鋏をシースに戻すと、リングに車椅子を押されて退室した。
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