声に出して言うと「ざとーいち」と、この音で覚えてしまっているのでこれまであんまり深く考えたことがありませんでしたが、そもそも「ざとーいち」のどれが名前? 全部名前? それとも「ざ・とういち」さん? もしくは「ざとう・いち」さん? おそらく「座頭の市」さんのような気がするけれども、そうすると「座頭」って何?
というわけでグーグルで検索してみたところ、Wikipediaに「座頭」の項目を発見。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%A7%E9%A0%AD
>座頭(ざとう)は、江戸期における盲人の階級の一つ。またこれより転じて按摩、鍼灸、琵琶法師などへの呼びかけとしても用いられた。今日のような社会保障制度が整備されていなかった江戸時代、幕府は障害者保護政策として職能組合「座」(一種のギルド)を基に身体障害者に対し排他的かつ独占的職種を容認することで、障害者の経済的自立を図ろうとした。
というわけで、意味合いとしては「盲目の市さん」という感じのニュアンスなんですね。一つ勉強になりました。
さらに、「座頭市」の物語に関しましても、Wikipediaの記事を発見。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%A7%E9%A0%AD%E5%B8%82
もともとは1948年に発表された子母沢寛という作家の『座頭市物語』が原作であり、
その作品を基に勝新太郎主演で映画化された同名の映画がかなり人気だったそうです。
初めて知りましたので、へえ、そうなんだ! と、これまた勉強になりました。
そして北野武監督の「座頭市」についてもちゃんと記事がありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%A7%E9%A0%AD%E5%B8%82_(2003%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
※ウィキのURLを貼ったところうまくリンクが繋がらないので、読みたい方は各々「座頭市 北野武」で検索してください。すみません。
>北野武初の時代劇であり、盲目というハンデキャップを背負った謎の侠客「市(いち)」の活躍を描いた作品。勝新太郎の代表作である時代劇『座頭市シリーズ』を題材にしたが、「盲目でありながら居合抜きの達人」という座頭を主役にしている設定以外、子母澤寛が執筆した原作や前述のシリーズとは全く趣きが異なる[2]。いわゆるリブート(再始動)作品である。
ということだそうです。
この映画の立ち位置を知るだけでも結構いろいろな情報があって面白いですね。
☆ ☆ ☆
というわけで、そんな北野武版の『座頭市』はどんなお話だったかと言うと
…
物語冒頭、身元不明の盲人を襲おうとした浪人らは、逆に彼に斬り伏せられてしまう。
彼は金髪で、杖を持ち歩いており、そしてその杖は仕込み杖である。
とある宿場町を訪れ、その宿場町で野菜を売っている、おうめの家に世話になる。
宿場町ではやくざの銀蔵一家が取り仕切って、人々を苦しめていた。
銀蔵一家の賭場で、その勘の鋭さから大勝ちをした盲人は、
賭場で知り合ったおうめの甥の新吉と連れ立って女遊びに繰り出す。
そこで出会った芸者の姉妹が盲人と新吉の金銭を目当てに二人を殺そうとするものの、
盲人はその気配を鋭く読み取って姉妹らは手出しができず、
姉妹は自分たちがどうしてそのように強盗を働いて暮らしているかを語りだす。
姉妹はかつて裕福な商家の子供だった。
そして姉妹の妹は実は男で、女装をしている。
家を盗賊が襲い、一家は皆殺しにされ、かろうじて二人が生き残った。
しかし頼る当てはなく、子供二人で生きていくためには様々な手を使う必要があった。
姉妹(姉弟)は自分たちを襲った盗賊に復讐することを誓っていた。
銀蔵一家は浪人の源之助を雇い、ますます力をつけていた。
やがて盲人や姉妹らは、銀蔵一家がかつて姉妹の家を襲った盗賊ではないかということに気が付く。
姉妹は銀蔵一家に乗り込み、しかし返り討ちにされそうになったところを市に助けられる。
市は大立ち回りの末、銀蔵一家を壊滅させ、源之助を斬る。
宿場町を苦しめていた銀蔵一家はいなくなり、
町は平和になり、
盲人は何も言わずに立ち去った。
☆ ☆ ☆
という、盲目でありながら剣の達人である「按摩さん」(と作中ではそのように呼ばれる)が、
ふらふらと掴みどころがない様子で町を徘徊し、
何かしらを尋ねられても照れ笑いのような笑いで有耶無耶にし、
しかし時折その強さを垣間見せ、
やがて悪の親玉をその圧倒的な剣術で斬り伏せ町に平和を取り戻し、
しかしその名誉も感謝も受け取ることがなく、また流れていくという。
そんなヒーローを、ビートたけしが演じているわけですが、
これがまた格好いいんです。
あまり多くを語らないながらも、その佇まいや背中から、只者ではない雰囲気を如実に醸し出している。
たけし演じる市は、時代劇には珍しい金髪。
物語の半ばには、村人が畑を耕したりする音や雨の中で遊ぶ姿とBGMを上手にかけ合わせ、
そして大団円のエンディングでは演者のタップダンスで派手に締めるという。
時代劇でありながら、新鮮な見た目であったり演出であったりが組み込まれていて、
それがとてもおしゃれでした。
それと私がとてもいいなと思ったのが、人物たちが着ている着物の質感ですね。
テレビで見るような時代劇の衣装って、町の人でも村の人でもぱりっとした新しい着物を着ているような印象があるのですが、この北野武の『座頭市』での衣装の着物は、みんな着古したようなクタッとした質感の着物を着ている。それでいながら、キャラクターごとに、小汚かったり、裾がぼろぼろだったり、お金を持っているキャラクターはちょっと派手な柄のものを着ていたりというような差異が描かれるのですが、クタクタの布地でありながらも小綺麗であるような人物がいたりするとオッと思う。
特に、新吉と源之助の着物のニュアンスはとても良かったなと印象に残っています。新吉はかなりチャランポランな人物でありながら、身なりが小綺麗であるのがなかなかいい塩梅で面白かった。そういう視覚的な部分でキャラクターの多面性を表現しているのは本当に巧いなあと。
映画は総合芸術だなと。ストーリーの面白さはもちろんですが、
例えば衣装や舞台の描写、俳優のキャスティングとその演技、殺陣などは視覚的な面白さだし、
BGMや効果音は聴覚の面白さですし、
画面の構成やカットをどう編集するかなどは、その意図を探るという面白さもありますし、
様々な楽しみ方が一本に詰め込まれているという、そういう、喜びが映画にはありますよね。
そして北野映画はそういった喜びをふんだんに楽しむことができるように作られていますし、
『座頭市』も例に漏れず、そういう多様な面白みが濃縮されている、とても素晴らしい映画なのでした。
☆ ☆ ☆
追記
全体的に斬新な時代劇ですが、中でも特に異彩を放っている登場人物が、芸者姉妹のお清ちゃんこと、弟の清太郎。
男性の女装って女より女らしく艶やかであったりしますが、清太郎の女装もまさにそうで、美しく魅力的。
この清太郎はこの物語においてどういう意味合いの存在なんだろうと考えたのですが、もしかすると彼の在り方は男らしさというものを表しているのではないか?と思ったんですね。
商家を営んでいた裕福な実家に盗賊が押し入り、姉と二人孤児になる。浮浪していた二人を拾ってくれた裕福な家の旦那さんは幼い清太郎を性的にかわいがろうとし、姉をそのためのだしに使おうとする。清太郎は姉とともにこの家を飛び出し、また二人で浮浪する。生きていくために清太郎は男に体を売る。
この流れの中で清太郎は、孤児になったあと一度拾われた家で、自分には男を惹きつける性的な魅力があると知ったのではないかと思います。そしてその家を出たのは、自分がそういう目に遭いたくないからではなくて、姉が自分のためにいびられていたからと、
弟を差し出して衣食を得る形になる姉の気持ちを慮ったからではないかなと思いました。
結局、子供二人では生きていくすべが見つからず、清太郎は自分の身を男に売って、そのお金を姉に差し出すということをしていたのですが、
これは彼が姉を守り二人で生きていくためにはそうするべきだと考えた末の行動なのではないかなということを思いました。
姉のおきぬは長子らしい責任感があり、姉である自分が弟を守らなければならないと思っているだろうということが彼女の言動から分かります。弟に身売りさせてしまったことも
きっと後悔しているだろうと思います。
もし清太郎が身売りをしなければ、長子として弟を守らなければならないという責任感のあるおきぬのほうが身売りをしていたのではないか?と思うのです。
ということが、きっと清太郎には分かっていたんじゃないかなと。
姉が身売りするくらいなら自分が身売りするというような覚悟を私は清太郎のキャラクターから感じます。そうしてまで彼は姉を守りたい。そして彼は自分が持つ色気を武器にして世を渡っていこうとしている。この覚悟、あまりに男らしい。
艶やかな色香で男を惹きつける清太郎は、そのよく似合う女性としての格好とは裏腹に、内面はかなり男らしい覚悟と実力を持つ、したたかで腹の据わった男なのではないかと思うのです。
清太郎の腹の据わり方、あまりにも私好みです。おわり。