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真那
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カルジナ
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てのひらに太陽を
2021年11月に発行した短編再録集に収録していた書き下ろし分です。
~一時間経たないと出られない部屋~
いや、何なのだろう、このあからさまな手抜き具合の部屋は。
看板にでかでかと印字された文章を静かに読み上げたジナコは、心の底からそう思った。
どうしてこんなことになってしまっているのかは、ジナコにもさっぱりだった。ただ気が付いたら、締切直前の刑部姫が見たら「うわぁなんて作画が楽!」と泣いて喜んでいたであろう、床も壁も天井も真っ白な部屋で寝転がっていたのである。そんな部屋の中で唯一、白以外の色を宿して設置されていたのが、もはやネタが尽きたのかと読者に心配されそうな内容が印字された看板だったのだ。
そしてこの部屋にはもう二つ、白以外の色を持ったものが存在している。一つはジナコ当人。もう一つは、ジナコと同じように気が付いたらこの部屋の床に転がっていたという彼──カルナであった。
カルナはつい先ほどまで、部屋の天井や床を細かく調べていたが、危険性はないと判断したのか、今はジナコのすぐ隣で様子をうかがっていた。
ちなみにこの部屋が実力行使で破壊できないことは、既に散々検証済みである。カルナが槍を顕現させて幾度か攻撃を放ったのだが、カルデアでも相当上位にランクインするであろう彼の超火力をもってしても、部屋の壁を真っ黒に焦げさせるのが精々だったのだ。見るも無惨に焼け焦げたはずの壁には何故かひびの一つすら入っておらず、しかも数十分と経たないうちに、元の真っ白なキャンバスのような状態に戻っていたのだから驚きである。
(カルナさんに、疑われていないといいんだけど
……
)
あくまで淡々とした様子でこちらを見下ろしてくる空の色を宿した瞳に対して、ジナコはふとそんなことを思った。
何せジナコには、かつてインド異聞帯で『絶対不可侵の引き籠もり空間』を造って神に対抗したという実績がある。故に今回のこの不可思議な現象も、ジナコ(というよりガネーシャ神)の力によって引き起こされたものだと疑われていても不思議ではない。神すら殺し得る火力をもって放たれた攻撃を、まるでそっくりそのままなかったことにできるほどの絶対的な防御の権能を発揮できる者など、きっとそうは多くはないからだ。寧ろごろごろいたら困ると思う。環境インフレ待ったなしである。修正はよ詫び石はよ、とどこぞの誰かが怒りの声を上げるであろう。
だが今回のことに関して、当然だがジナコは全く関与していない。自分だって気が付いたらここにいただけで、何が起こっているのか全くわからないのである。自分の中にいるガネーシャ神にお伺いを立ててみたが、残念ながらこの状況において有益となるような返事は一つもかえってこなかった。
「えーと。とりあえず危ないものもないみたいだし、大人しく一時間待ってみるッスか? ただそうしてるだけでここから出られるっていうなら、別にあれこれ頑張る必要もないでしょ。それで駄目だったら何か考えれば良いし」
「む、何もせずにただ座して待つというのか。実にお前らしい考えだ」
「言い方ァ!」
おそらくただ純粋に思ったままの感想を口にしたに過ぎないのだろうが、もう少し言い方を考えないとただの皮肉にしか聞こえない。
げんなりした顔で抗議の声を上げると、カルナは困ったように僅かに眉尻を下げていた。彼に悪気がないのはもちろん理解してはいるけれど、全てを微笑みながら優しく受け入れられるほど、ジナコの心も大人になれてはいないもので。
「さ、さーてと! じゃああと一時間、何して過ごすッスかね!」
とはいえこんな、あからさまにしょんぼりした顔をしている姿を見ていると、どうしようもない罪悪感が湧いてくるのもまた事実であり。ジナコは過剰なくらい明るい声を出しながら、改めて色彩がごっそりと欠けている部屋の中の様子を見回してみた。
部屋の面積はさほど広くはない。カルデアで各自にあてがわれているマイルームの半分か、或いはそれよりも小さいのではないかというくらいである。けれど家具も何も置かれておらずひたすらがらんしているためか、実際の面積よりも広々としているように感じてしまうのだ。一面染み一つ無い白という異常な空間が、そういった空間把握能力を余計にバグらせているのかもしれない。
そういえば、人間は真っ白な部屋の中に数日間居ると精神状態がおかしくなるらしい。そんな話を何かで読んだことをふと思い出したジナコは、ぞわっと背筋を駆け上がった悪寒に小さく身を震わせた。勘弁してくれ、極限の精神状態なんてもう二度と味わいたくはない。
ジナコはひとまず、そんな部屋の真ん中あたりの床にぺたんと腰を下ろしてみた。少なくともこうして触れていれば、この空間の果てを無理矢理自分の体に自覚させることができれば、何となくではあるが安堵感を得られるような気がしたからである。
床についた手からは、ひやりとした無機質な感触が伝わってくる。何度か手のひらを往復させて感触の詳細を確かめてはみたものの、残念ながら材質などの情報は全くわからなかった。少なくとも、ジナコが今までの人生の中で一度も触れたことのないような材質で造られている、ということだけは何となく把握できる。そんなことが把握できたところで、特に何も進展はしないのだけれど。
カルナはそんなジナコの様子をしばらく黙ったまま静かに見下ろしていたが、やがて倣うようにその場へ静かに腰を下ろした。しゃら、と彼が身に纏っている黄金が揺れる音が、不思議と心地よく耳をくすぐっていく。
「う~ん、とりあえず二人でしりとりでもするッスか?」
「その行為に何の意味がある」
「だって一時間もぼーっとしてるのは暇じゃないッスか。ボクが今おっきーに借りてる漫画の中に出てくる一推しのショタの話とかしてもいいし、それなら一時間と言わず三時間くらい語れるけど、カルナさんがつまんないでしょ?」
「その行為によってお前が本当にこの時間を楽しめるというのならば、オレは一向に構わんが」
「
……………………
ホント、カルナさんってば、そういうとこッスからね」
カルナが淡々と返してくる言葉を聞いて、数秒かけて己の頭の中で咀嚼し直して。そうしてため息交じりにそう答えた。膝を抱えてそこに顔を伏せる。何だか顔が熱い気がするのは気のせいだと思いたい。
カルナから投げかけられた発言はジナコへ対する皮肉にも聞こえるものだったが、おそらく彼自身にそういった意図はない。この場でジナコを貶める必要はないし、そもそもそんなことのために言葉を弄する人ではないことは、ジナコもよく知っている。だから今の彼の発言については、本当にただそのままの意味に違いないのだ。
ジナコが楽しそうに話をしてくれるのならばきっと自分も楽しいだろうから、好きなことを好きなように聞かせてほしい、と。つまるところ、カルナが伝えたかった真意としては、おおよそこんなところなのだろう。
なんだそれは、と思う。自他共にトレードマークとして認識しつつある像のかぶり物ごと頭を抱えながら、ジナコは小さく呻いていた。顔に熱が集まっているのが、そろそろ気のせいで済ませなくなってきている。
「ガネーシャ神?」
「あーもう、わかりました! じゃあホントに、一時間全開でオタトークするッスからね!」
何だか自分ばかりこうやって翻弄されているのが悔しくて、近付いて顔を覗き込もうとしてきた彼の顔を吹き飛ばすがごとく、半ばキレぎみに大きめの声を放った。逆ギレであることは重々承知している。
一方、ジナコへ近付こうとしていたものの、強い剣幕で言外にそれを制止されたカルナは、その場で不格好に静止したまま、また少し困ったような顔で「そうか」とだけ口にした。
いや、そんなあからさまにしょんぼりした顔をしないでほしい。別にカルナに近付かれるのがイヤだったわけではなく、いや今近付かれるのがまずかったのは本当なのだけれど、でもそうではなくて。というか、近付くなと拒否されてしょぼくれるって、それじゃあカルナがジナコのそばにいたいと思っているみたいじゃないか。そんなことってあり得るのだろうか。普段から、ちょっと距離感がバグってるんじゃないかというくらいくっついて来られてはいるけれども。
「だあああああ! もう、ボクはそんなの知らないッスから!」
無駄に空回って、絡まり合って、もう手に負えないほどめちゃくちゃになりつつある思考を、怒鳴り声とともに強引に根こそぎごっそり余所へと追いやった。目を丸くしているカルナを横目に、ジナコはげふんと大仰に咳払いをする。
「えーと、じゃあ、そもそもボクが今読んでる漫画のあらすじなんスけど
……
」
そうして頭の中を、今刑部姫と共にどハマリしている漫画へ切り替えようとした、ちょどそのときだった。
「ッ!」
まるでタイミングを狙ったかのように、ぱっ、と目の前の色が一瞬にして全て塗り替えられたのである。具体的に言うと、目が痛くなるほどの純白から、息が詰まるような漆黒へ。
「いぎゃあああああ!? な、何!? 何事ッスか!?」
ジナコの甲高い絶叫が、瞬きの間に色の反転した空間で響き渡った。口から放たれたのはおおよそ年頃の女性が上げる悲鳴ではないと突っ込まれそうな声だったが、ジナコはもはやそういう分類を超越した時空で生きているので放っておいていただきたい。
唐突に部屋の電気が落とされたのかと思ったが、もはやそういうレベルの暗さではない。視界に入ってくる情報が全て黒に変換されているのではないかと思ってしまうくらいだった。
そもそもこの部屋には、照明らしい照明など一つも設置されていなかったはずだ。では何故、先ほどはきちんとカルナや部屋の様子が視認できていて、そして今急にこんな真っ暗になってしまったのだろうか。
「
……
あ、あれ? カルナさん?」
動転していたせいで一瞬頭の中から抜け落ちてしまっていたが、カルナは今どうしているのだろう。いきなりこんなおかしなことが起こったというのに、彼からは何の反応もないのは不思議だった。不審に感じたといってもいい。
沸き上がった違和感に突き動かされるように、恐る恐る小声で呼びかける。しかししんとした静寂がただ重たく返ってくるのみで、どこからも返事がくることはなかった。
「か、カルナさん? ねえ、カルナさんってば、どこ行っちゃったの? そ、そこにいるんでしょ? ねえ、ねえってば! カルナ!」
ひく、と喉の奥がいやな感じに痙攣する。手足が先から冷えていく。
──もしかして自分は、今まで立っていたはずの世界から完全に切り離された、別の場所へ一人ぼっちで飛ばされてしまったではないか?
不意に頭をよぎっていったのは、そんな荒唐無稽な考え。しかしその可能性がほんの少しジナコの思考をかすめていっただけで、突然心臓を鷲掴みにされ、潰れそうなほどの力で握り締められたような気分になってしまった。
「ッ
……
」
息が苦しい。氷のように冷たい何かが、痛みを伴ってジナコの体の深い部分を貫いていく。
それと同時に、普段は堅く蓋をしているはずの記憶が吹きだしてきた。がたがたと、バカみたいに手足が震え始めたのがわかった。
「ぁ
……
っ」
思わず意味もなくばたばたと上下させた己の手足すら、今は全く視認できなかった。そのせいが、自分がどこにいるのかすらまるきりわからない。すっかり、わからなくなってしまった。自分の輪郭が、己を包む暗闇に溶けていくような、ぞっとする感覚のみがジナコの全身を支配していく。
いやだ、と思った。こんなところにはいたくない。こんなところで、ひとりはいやだ。怖い。いやだ。
他の音は何も聞こえないのに、己の心臓がばくばくと跳ねる音だけがひどくうるさい。そのせいで余計に「ここにいるのは自分一人だ」と自覚させられてしまうのだ。
ああ、そうだ。こんなにも鮮明に覚えている。耳を塞いでも容赦なくその事実を叩き付けてくる忌まわしいこの鼓動の音を、いっそ永遠に止めてしまえたらいいのにと、そんなことを果たして何度願ったことか──。
「──ジナコ」
不意に響いた凜とした声に、力強く現実へと引き戻されたジナコは、ようやく自分が意識を手放しかけていたことを知った。
固く閉ざしていた瞼をはっと見開くが、眼前に横たわっているのは相変わらず漆黒の闇。しかしここには、先ほどまではなかったものが確かに存在していた。どこかおっかなびっくりというか、そんな様子で何かがジナコの肩に触れてきているのである。ソレはジナコの形を確かめるように、或いは崩れ落ちて壊れていきそうなものを支えるように、ぺたぺたとジナコの体の輪郭をなぞっていく。
あいかわらず何も見えていないのに、今触れてきているものに対しては、不思議と恐怖は沸いてこなかった。この手がジナコを害することなどありはしないと、他でもないジナコ自身が一番よく知っているからだ。
触れてくるものがジナコの輪郭をあらかたなぞり終えた瞬間、ジナコはぐいと強く腕を引かれ、堅い腕に拘束され、ぎゅうと体を締め付けられていた。顔に当たるのは堅く、けれど床などの無機物よりはずっとあたたかいもの。
「
――
大丈夫だ、ジナコ。オレはここにいる」
耳元へ呼気と共に吹き込まれたのは、静かな、しかしそれでいて不思議とよく透る大好きな声だった。スッと体の芯に染み入ってくる、まるで透明な水が静かに揺れるときみたいな、澄んだ不思議な声。
顔にぴったりと押しつけられているのはおそらく、カルナの胸板に違いなかった。彼の腕の中に閉じ込められ、抱きしめられている。普段だったら悲鳴を上げながら飛び退きそうな状況を、しかし今のジナコはうっかりそのまま受け入れてしまっていた。
だってこの場所が、あんまりにもあたたかかったから。とくとく、と聞こえてくる音が、自分のものではない生き物の音が、ひどく心地よかったものだから。触れ合った場所からあたたかい温度に、情けなくもじわりと涙と涙が滲んだ。
カルナは幼い子供をあやすように、何度もジナコの背中を撫でさすっている。同時にその手つきは、相変わらずジナコの形を確かめているかのようでもあって。
ずびっと音を立てて鼻をすすって、ジナコはぼそぼそと口を開く。
「カルナさん、なんでさっき、返事、してくれなかったんスかぁ
……
」
「すまない、お前の声が聞こえなかった」
「へ?」
「どうやら魔術か何かで、オレたちの持つ感覚の一部が閉ざされているようだな」
「感覚
……
?」
果たしてこれがこの部屋の力なのかどうかは定かではないが、それぞれが持つ五感の一部に干渉され、知覚できないようにされているらしい。だから『視覚』を閉ざされたジナコは自分が突然暗闇の中に放り込まれたと感じたし、『聴覚』を閉じられたカルナはジナコの呼びかけを聞き取ることができなかった、と。
そういえばカルナに指摘されてようやく気がついたのだが、いつもカルナのそばにいると感じる、あたたかいおひさまの香りが全くしない。つまりジナコは今、視覚と嗅覚を閉ざされている状態ということになるのだろう。そして聞くところによると、カルナは聴覚と視覚がジナコと同じように機能しない状態になっているようだ。先ほどジナコの輪郭をなぞるようにあちこち触っていたのは、今自分が触れているのがジナコの体であることを、見えないながらなんとか確かめようとしていたのかもしれない。
「え、待って、ちょっと待って。じゃあなんでカルナさんは、今はボクの声がちゃんと聞こえてるの? 聞こえなかったんじゃないの?」
「ああ、それは」
「あ、待って。やっぱりなんも言わなくていいッス、うん
……
」
「?」
相変わらず彼の顔は見えないものの、どうやらきょとんとしながら首を傾げているらしい気配がなんとなく伝わってくる。
詳しく聞いたところで、どうせまたジナコにはとうてい理解できない根性論でなんとかしたとか言うに決まっている。だからもう、あえて何も聞かないでおくことにした。詳しいことは理解できないが、つまるところ、ジナコのためにカルナが無理をしたということには違いないのだろうから。ぐう、と唸り声を上げたい気分になるが、実際そのおかげで助かったので文句は言うまい。言うまいというか、言えないというか。
偉そうなことを言っておいて、結局ジナコはこうなのだ。情けなくて涙が出そうになる。今だってまだ、こうやって抱きしめて支えてくれているカルナに手が離れていってしまったら、そのまま形を崩れ落ちてしまいそうな状態なのだ。どうしたって、ジナコという生き物は一人で立てないようにできているのかもしれない。
おそらくひどく情けない顔をしているのだろうなと思いながら、ジナコは深く俯いた。たとえ今の彼の目には映らないのだとしても、こんな顔を無防備に晒しておくことはどうしても憚られたもので。
いたたまれなさを覚えつつ、それでもそのまま動けないでいるジナコの旋毛に、相変わらず澄んだカルナの声が降ってくる。
「
……
お前がいて良かった、と思った」
「え?」
あまりにも予想外すぎるセリフが降ってきて、一瞬、脳の理解が追いつかなかった。俯かせていた顔をはっと上げるが、当然カルナの顔を視認することはできない。カルナもまたジナコの顔は見えないのだろう。胴体に回っていた腕の一つが解かれ、柔らかいとは言いがたい指がそっと頬の上を滑っていった。まるで壊れやすい硝子細工でも触っているのかと言いたくなるような手つきだ。そこまで優しくしなくても、ジナコは壊れたりしないのに。
「オレも、こういった場所は、あまり得意ではないようだから」
「あ
……
」
カルナが控えめな声でそう言うのに、ジナコはようやくはっとした。
彼の幼少期の出来事などを鑑みると、真っ暗に閉ざされた狭い空間が得意でなくなるのも無理はない。けれどカルナが何かを恐れてびくびくしている姿なんて想像もつかなくて、今度はジナコがきょとんとする番だった。
「先ほどお前に触れたとき、確かにオレは安堵していた、のだと思う。今もこうしてお前の形を執拗に確かめることで、お前がここにいることを自覚することで、オレがここに存在していることを確認しているのかもしれん」
そう言いながら、カルナの手のひらがゆっくりとした動きでジナコの背をなぞっていく。その様子は至っていつもどおりに思えるけれど、もしかしたらさきほどジナコも飲み込まれそうになった恐怖のかけらが、彼の中のどこかにはまだ残っているのかもしれない。だからジナコがうっかり壊れたりしてしまわないようにと、そんな過剰なくらいの優しさで触れているのだ。ここでジナコが消えてしまうのは、たぶん命綱が切れてしまうようなものだから。
命綱なんかなくたって、カルナは自分の力でいくらでも這い上がってこられるのだろう。きっとそれが十分できる力を持っている人だし、ジナコもそうだと知っている。けれどそこに対して何の感情も伴わないというわけでは決してないのだ。ジナコと同じように、彼だって何かを感じる心を持った一人の人間なのだから。
何だか急にたまらない気持ちになってしまって、ジナコは思わずカルナの胴に腕を回してぎゅうと抱きしめていた。ジナコがカルナに包まれたときに感じた安堵を、ほんの少しでも彼に返したかったのだ。
「ガネーシャ神?」
「うん。ボクは今ちゃんとここにいるよね。だからカルナさんも、ここにいるよね」
「
……
ああ、そうだな」
人間というのは結局、他者を通してようやく自分の存在を定めることができるものなのかもしれない。自分の目で自分の姿を見ることは、決してできないのだから。
「ボクはいなくなっちゃ、駄目ッスよね」
「ああ」
何を当然のことを、とでも言いたげな声音に、思わず小さく笑いが零れていた。自分のような人間でも誰かのよすがとなれるなら、こんなに嬉しいことはない。しかも己を守ってくれた英雄がジナコのことをそう思って頼ってくれているというならなおさらだ。
ジナコは何となく誇らしい気持ちになりながら、カルナの腕の温もりにゆったりと身を委ねるのだった。
◇◇◇◇◇
「
――
神、ガネーシャ神」
「ほ、え
……
?」
ゆらゆらと揺さぶられる世界に、ジナコは暗闇の中から意識を引きずり出された、ぱちぱちと瞬きを繰り返すと、ぼやけた視界に飛び込んでくるのは見慣れた色彩。
「め、めがね
……
めがねはいずこやぁ
……
」
「ここだ」
「ううん、サンキューッス
……
」
予め用意されていたかのように、すっと目の前に出された相棒を受け取ってかけると、ようやく視界がクリアになった。ふたたび幾度か瞬きをしているうちに、相変わらずぼやけていた意識のほうもだんだんと明瞭になっていく。
「
……
って、何でボクたち、今ここにいるの!?」
そうして直前までの記憶を掘り起こすことに成功したジナコは、勢いよく顔を上げ、ジナコのそばにいた見慣れた色
――
カルナに向かって叫んでいた。
辺りを見回せば、どうやら二人がいるのはジナコのマイルームのようだった。ジナコは見慣れたベッドの上に寝そべっていたようで、カルナもそのすぐ隣に座っている。
「え、何、夢オチってこと?」
「いや、夢ではなかろう。オレはあの部屋へ行く前に、ここにはいなかったからな」
「あ、そっか、そうッスよね」
カルナも気が付いたらあの部屋にいたと言っていたが、そ霊前の二人は一緒にいなかったはずだ。となると、あの部屋から無事脱出できた結果、二人揃ってジナコのマイルームへ転送されたと考えるのが妥当であろう。
「しかし何だったんスかねえ、アレ。特に害はなかったからいいものを、もしマスターがああいうことに巻き込まれたら大事じゃないッスか? 報告しといたほうがいいのかも?」
「そうだな。マスターが何らかの夢の中に引きずり込まれたまま帰ってこないというのはよく聞く話だが、だからといって無条件に許容するのは話が違うだろう」
「前から思ってたけど、マスターの生活ってちょっとハードモード過ぎないッスか?」
異聞帯や特異点の攻略へと駆り出され、カルデアに帰ってくれば多種多様なサーヴァントたちが引き起こす騒動に引っ張りだこ、あげく眠った後もどこそこへと無理矢理引きずり出されてしばらく戻ってこられない。これではろくに休む暇もありゃしないだろうにと、ジナコなりにあの若者へは同情の気持ちが湧き上がってきた。次に会ったときは、何か甘い物でもおごってやろうと心に決める。
「でもボクめんどくさいから、報告はカルナさんが行ってきてほしいッス~。何か寝た気がしないから、寝直したいっていうか」
「構わんが。
……
その、お前が言っていた、おたとーく、とやらはしなくてもいいのか」
「へ?」
「お前の話は結局聞けなかったからな。ここで存分に話すと良い。オレはもう少し、お前と話していたいと思っている。報告に行くのはそのあとでも構うまい」
「え、何ソレ」
唐突に何を言い出すのかと、目を丸くしながら彼の顔を見上げる。困っているような、照れているような、何ともいえない表情がそこにはあった。視線を彷徨わせているカルナの姿があまりにも珍しくて、何だか見てはいけないものを目にしている気がして、ジナコのほうまでそわそわしてきてしまう。
「あ、あはは~。カルナさんってば、もしかしてこのまま一人で行くのが寂しいとか、そんな感じなんスか? いやあ、そんなまさかね~」
「そうだと言ったら、どうする」
「え」
「オレがお前と離れるのが、寂しいのだと言ったなら。お前はどうする、■■■」
完全に冗談のつもりで言ったのに、彼から返ってきた声は真剣そのものだった。じっと見つめてくるアイスブルーの瞳が胸に深く刺さって痛いのに、どうしてか強く縫い止められてしまったかのように目を離せない。
違う、こんなつもりではなかった。そんなわけがないだろうと、適当に茶化して、笑い飛ばして欲しかったのに。でもカルナは、果たしてそんなことを口にしてジナコを嘲笑ったりなどする人だろうか。じゃあ自分は、元からこう言われるのを心のどこかで期待していたとでも? 否、そんな馬鹿なことは。
「ええと
……
そ、ッスね。何か美味しいお茶でも用意してくれるなら、いいッスけど!」
「そうか。あまり得意ではないが、善処するとしよう」
苦労しいしい、努めていつもどおりの何でもない調子で声を絞り出すと、カルナはすっと立ち上がってジナコ愛用のマグカップなどを棚から取り出す作業を始めてしまった。当然のようにジナコの私物の場所を知っている彼の姿を、一体どういう感情で眺めていればいいのかわからなくなってしまう。いつもとそう変わらない光景のはずなのだけれど。
しかしジナコが受け入れる言葉を発した瞬間、ほっと安堵したような緩んだ顔で吐息を漏らすのはできればやめていただきたかった。だってあんなにも嬉しそうな顔を晒されると、うっかりジナコの方まで心が弾んでしまうではないか。彼の笑顔でどきどき胸が高鳴って仕方ないなんて、そんな乙女ゲームか、少女漫画の主人公くらいしか吐かない台詞を実体験するなんて、少し前までの自分だったら考えもしなかっただろう。
ジナコが予想もしなかったこと。つまりこれはすべて事故なのだ。あんなわけのわからない部屋に放り込まれたことも、暗闇の中でカルナの温もりに包まれることに心地よさを覚えたことも、もっと一緒に居たいと言われて心臓が跳ね回ってうるさいのも。まとめて全部、事故に違いないのだ。そういうことにしておこう。
ジナコは妙に上機嫌な様子で茶の支度をする黒い背中を眺めながら、大切そうにジナコを筒も混んでいた手の温度をしきりに思い出そうとしている自分を、そんなむちゃくちゃな理論で必死にねじ伏せるのだった。
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