【ミスルチ】夏の氷

『ミスルチwebオンリー(仮) 』さまの展示です。開催おめでとうございます!
暑い夏の夜に、チレッタが愛した北の国の湖に行く二人のお話。

 深夜、「暑いですねぇ」と、ベッドに寝転がったままミスラさんが言った。私は月明かりが差し込む窓を眺めつつ、「そうですねぇ」と返した。同じベッドに寝転んで、彼にくっついたまま。
 もしかしたら、それは暑いから離れてくれって意味だったのかもしれないとも思ったのだけれど、私はどんなに暑くたって、ミスラさんから離れたくなかった。それにミスラさんは遠慮しない性格だから、自分に気に入らないことがあればすぐに離れてしまうだろう。でも暑いですねぇ、ってぼんやり言うだけってことは、そんなには私が触れた肩が不快でもないってことなんじゃないかな。
「魔法舎は暑いのが玉に瑕です。賢者様にお願いされたから残ってますけど、こういう季節は北の国が一番過ごしやすいです」
 ミスラさんがまたどうしようもない文句を言った。
 そうは言ったって、気候となれば一魔法使い程度にはどうこうできないものだ。いや、オズ様だったら、機嫌が悪くなれば眉根を寄せてこの夏を冬に変えてしまうのだろうけれど。それを口にしなかったのは、ミスラさんがオズ様を敵視しているからで、余計な火種をベッドに持ち込みたくなかったからで……
「み、南の国はもっと暑くて、夜は外に藁のベッドを作って寝たこともありましたよ」
 私は話題を変えるべく、ちょっとした昔話を披露した。
 暑い暑いとぐずる私とミチルは、思い立ってある日外で寝たんです。最初のうちは涼しかったけれど、なぜか朝が近づくとレノックスさんがお世話をしている大勢の羊がやってきて、シーツの下の藁を食べ始めて、ベッドが崩れて転げ落ちたミチルが泣いちゃったんです。そう言うと、ミスラさんはちょっとだけ笑ってくれた。でも次の瞬間には、「暑いですねぇ」と、やっぱりどうにもならないことを言った。
「ルチル、北の国に行きませんか。そしたら、長いことこうしていられますよ」
「え?」
 私は突然の申し出に驚いた。とはいえ空間転移の魔法に長けたミスラさんなら、一瞬で北の国に行くことも可能だ。朝になればここに戻ってくることだって、全然難しいことじゃない。いや、中央の国の夜はこんなに暑いんだから、昼間はもっと暑いんだけれども。お昼寝もできない始末なんだけれども。
……暑くても俺から離れたくないんでしょう。こんなに額に汗をにじませてるのに、暑くないふりをしてますね」
 ミスラさんの手がすっとこちらに伸びる。骨ばった手の甲が私のこめかみや額をなぞって、黒いマニキュアが塗られた爪が汗をすくった。
 ミスラさんは暑い暑いと言っていたけれど、火照った肌のわりに汗を全然かいていなくって、変温動物みたいだなって私は思った。汗をかくのは恒温動物だけ。だからミスラさんは熱がこもって苦しいのかもしれない。
「ルチル? 暑さにやられましたか?」
「あ、いえ、その、大丈夫です。南の国はもっと暑かったですからね」
 そういえば、なんだかとっても恥ずかしいことを言われた気がする。俺から離れたくないんでしょうって、それは私の図星で、ミスラさんには見通されてしまっていて、北の国に行ったら、もっとくっついていられるんだろうかって思った。
「じゃ、じゃあ一晩だけ、北の国に行きます。朝になったら戻ってきましょう」
「分かりました。それじゃあ呪文を唱えますよ」
 ミスラさんが身体を起こし、ベッドから素足で床に降り立つ。私も慌ててベッドから降りて、ミスラさんの手のひらをぎゅっと掴む。ミスラさんが呪文を唱える。すると夏だというのにひんやりとした空気が部屋に流れ込んできて、私は肌寒さを感じた。握ったミスラさんの肌も、さっきより冷たくなっている。私よりもずっとずっと冷たくなっている。
「ミスラさん」
「なんです?」
 優しい声で尋ねられて、私は言葉をなくしてしまう。この人は私が引き止めても、自分の思う時にどこにだって行ける人だった。呪文ひとつで私を置いて遠い国に行ってしまえる人だった。
 私はそれを思い出させられた気になって、ちょっとだけセンチメンタルになる。自分だって箒で思った場所に飛んでいくくせに、ミスラさんがいなくなることに怯えてしまって。
「北の国の、どこに行くんですか?」
「ティコ湖にはかないませんが。結構綺麗な湖ですよ。それに夏でも氷が張っていて、チレッタは気に入ってました」
 ティコ湖、母様が愛した南の国の美しい湖。でも、母様は北の国も南の国のそれと同じように愛していたのだろう。私はそれがちょっとさびしくて、でも、私が知らない母様を知りたくて、ミスラさんの手を強く握った。
 私たちは足を踏み出す。湖へと、涼しい北の国へと、母様が生きた国へと。きっとミスラさんと一緒じゃなきゃ、絶対に訪れなかった場所へと。
 
 
 私たちはミスラさんの魔法で魔法舎を抜け、ふっと湖のきわに降り立った。
 まず目に入ってきたのは、空を埋め尽くすような星々だった。そしてそれを映す湖の氷だった。
 私はあたりをきょろきょろと見回す。しんとした空間に響く虫の鳴き声、時折聞こえる獣の遠吠え、そして星が落ちる時の音。私たちは自然の音楽の中にいた。夏の夜の音楽だ。
「わぁ、すごい……。すごいです、ミスラさん」
 私は思わず感嘆の声を漏らす。ティコ湖も美しいところだけれど、北の厳しさをたたえる湖もまた美しかった。母様が気に入っていたというのも分かる気がした。母様は、研ぎ澄まされたものを愛していたから。さっきミスラさんはティコ湖にはかなわないと言ったけれど、私の目には新鮮に映って、素足のまま駆け出してしまった。
「駄目ですよ、夏は氷が薄いんですから、不用意に湖に入ったら溺れてしまいます」
 ミスラさんが笑って言う。私はふちに行くだけですからと断り、冷たい氷につま先を乗せた。体重をかけないよう気をつけて、星の光を映す氷に触れる。もう汗は出ていない。またたく星の光が、少しずつ体温を奪ってゆく気がする。
「ミスラさん、北の国の夏はこんなに過ごしやすいんですね」
「人間は忙しいみたいですけどね。短い夏に作物を作って、冬に備えなきゃいけないから」
 ミスラさんが何かを懐かしむように言う。そして湖のきわに座り込み、さっき私のこめかみや額を撫でた指先で、湖の氷に触れた。その姿はとても美しく、絵になっていて、思わずスケッチがしたいと思ってしまうくらいだった。いや、頭の中ではもうスケッチをしていた気がする。
「そうだ、いいものを見せてあげますよ。よくチレッタがしていた遊びです」
 ミスラさんが座ったまま呪文をとなえ、空に手を伸ばす。すると小さくまたたいていた薄暗い星が一つ消え、それがミスラさんの手のひらに落ちた。
「え? 星をひとつ消しちゃったんですか?」
 そんなことができちゃうんですか? オズ様だってできないことなのに?
 私が驚いていると、ミスラさんは笑って、「これは、夏の氷ですよ」と言った。でも、仕組みが分からない。氷が空に? どうやって?
「昔チレッタと遊んでいた時、たわむれに氷を空に浮かべたんです。まだ残っているとは思ってましたが、まさか今も溶けていなかったとはな」
 ひとつあげますよ、とミスラさんが私に氷を差し出す。私は腰をかがめ、それを受け取る。
 よく見ればその氷はマナ石に似ていて、だから空で輝けたのだろうと私は思った。もしかしたら、誰かの魂がそこには宿っているのかもしれない。
 角ばった小さな氷の玉は、私の手のひらの上で少しずつ溶けてゆく。空にいれば輝けたのに、私の手に落ちると溶けてしまう。それは厳しさを消したミスラさんみたいで、私はちょっとだけ悲しくなった。私がミスラさんを自分の愛し方で愛するということは、彼の特性を消してゆくことなのかもしれない。私も、彼とともに南の魔法使いとしては変わっていってしまっているけれど。
 私は目を閉じて、溶けていく氷をしずくごと口に含む。それはどこか甘い味がして、シュガーみたいだなって私は思った。
 ミスラさんはじっと私を見ている。私はしずくをすすって、視線を合わせる。するとミスラさんは私の腕を引っ張り、隣に座るように視線をやった。私はミスラさんと、さっきベッドでしていたみたいに肩を触れ合わせる。今度は何も言わずに、何も言えずに。
 ミスラさんはただ星で埋め尽くされた空や、湖を見つめている。こんなに美しいものを見せられたのなら、確かに言葉はいらないなと私は思った。スケッチをすることですら、ここでは無粋なのだろう。
 私はミスラさんと指を絡めさせ、時折キスをして、ミスラさんがたわむれに湖の氷を空に投げるのを見つめた。それは星座のように輝いて、私がもしマナ石になったのなら、土に埋めるよりも空で輝きたいと思った。そんなこと、ミスラさんには頼めないけれど。
 私たちは静かに身体をくっつけて、朝までの短い間を二人きりで過ごす。魔法舎でも二人きりだったというのに、北の国にいると本当に二人きりになった気分になった。
 空には星が、夏の氷が輝いている。
 私はそれを眺め、またたくそれを眺め、ただミスラさんと最後まで一緒にいたいと、そんなどうしようもないことを考えていた。