あさかわ
2024-05-30 11:48:43
5012文字
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きぬぎぬの後にきぬさく悲鳴

災難に遭うねずみ男と成立している鬼水

 玄関から出て来る人に覚えがあった。空振りに終わらず運が良いと、ねずみ男は風呂敷を背負いなおす。
「ヨォ! 兄さん」
 ねずみ男がひょいと手を上げれば、水木の軽く手を振ってこたえた。
「センセイか。先に言っておくが家の中に食い物は少ないぞ。これから買いに行くところだ」
 買い物メモを持った水木の前で両手を合わせてにっこり笑う。買い物に行くということは財布を持っている。ならば、現金もある。
「お買い物とは丁度いい時に会えた。いやね、兄さんに耳よりな情報がありましてね。実は新しいビジネスを始めて、兄さんにぴったりの品物があるんですよ」
 ねずみ男がくるりと背を向ける。背負った風呂敷を見せてから、そっと囁いた。
「この前見ちまったんですよぉ。兄さん、鬼太郎とただならぬ仲になったんでしょ」
 水木がおや、と薄く唇を開いた。カマかけが当たったねずみ男は浮足立つ心を押えて、くるりと回った。
「鬼太郎に何か聞いたのか?」
「まさか! んなこと聞いたら、毛針で木に磔にされちまうよ。この前、兄さんの家から布多天神社に向かう鬼太郎を見かけてさあ。すまし顔のあいつが背中にポケポケ花を飛ばしながら歩いているじゃないの! 森に戻る前に両手で頬を揉んで、口元を何とか戻そうとしているとこなんて、可愛げがあるってもんだ。鬼太郎の恋のお相手が誰かなんて分かりきってら。こりゃ、ついに兄さんとうまいこといったと語らずとも察しが付くもんさ」
「なるほどなあ。いや、センセイの観察眼には恐れ入るね」
 水木の感心した声にねずみ男は踊り出しそうになる。つま先立ちで下手くそなバレエダンサーのように近づくと小声で問いかけた。
「ほら、背丈が違ったり体格に差があると、お困りごとの一つや二つあるでショ? 懐のふかぁい兄さんのことだ、不満なんてお首にも出さず、あいつを猫かわいがりしてるんだろうけど……そういった人の為に、お悩みを解消する商品をご用意したんですよ! 玄関先で話すのも憚られる。ちっと家に上げておくんな」
 水木は買い物メモをポケットに突っ込むとねずみ男を手招きする。
……なるほどねえ。マア、お上がんなさい」
「へへへっ、それではお邪魔いたしますぅ!」
 両手を揉みながら家に上がり込む。風呂敷の中にはアレやコレやをたっぷり詰めてきた。すべてお買い上げとは行かなくても、水木なら義理で一つくらい買ってくれるだろう。
「じゃ、早速。品物の方を失礼して」
 上がり込んだ居間で風呂敷を解こうとすると、水木が片手で制した。
「ああ、商品を見るつもりはないんだ。センセイを家に上げたのは他の用事だよ」
「へっ?」
 小首を傾げるねずみ男に水木がにっこりと笑いかける。眦の角度も唇の上がり具合も完璧で全てが整っていて作り物めいていて……ねずみ男は自分が派手にやらかしたのだと気が付いた。
「センセイに勘付かれたのは鬼太郎の落ち度だ。しかし、ちっとばっかし下世話が過ぎる」
 小首を傾げる水木の恐ろしいこと。ねずみ男は風呂敷を背負いなおし、四つん這いで後ろに下がった。
「こここ、これはとんだご無礼をしました。ワタクシ失礼させていただきます」
「まあ、待ってくれ。一度家に上げたのにタダで帰すなんて不義理はできん」
「いやだぁ! タダって無料の意味じゃないでしょ。本当にごめんなさい! 許してください、二度としません!」
「許すも何も、俺とセンセイの仲じゃないか……なァ?」
 ひっと息を詰めるねずみ男。水木はちゃぶ台を指でトントンと叩いている。にっと笑った口元から洩れた言葉が耳に入ると、ねずみ男がぶるぶる震えだす。
「お、お助けぇぇ!」
 ねずみ男の悲鳴に驚いたカラスが電線から飛び立った。



 ゲゲゲの森の家の中で鬼太郎と目玉の親父が寛いている。妖怪ポストに依頼もなく穏やかな日だ。しかし、鬼太郎は一つだけ気がかりな話を聞いた。
「父さん、ねずみ男が一か月もゲゲゲの森にいます」
 鬼太郎の言葉に目玉がほうと息をはく。欠けた茶碗でほうじ茶風呂を楽しみながら、ずり落ちた手拭いを目玉のてっぺんに戻す。
「ふうむ……人間の世界で悪だくみがバレて、ほとぼりが冷めるのを待っておるのか。あるいは森の妖怪たちに声を掛けてなんぞ始める気かもしれんのう」
「それが悪事を働かず大人しく暮らしているらしいんです。ねこ娘が品行方正で気味が悪いと相談に」
……確かにそれは妙じゃな」
 ねずみ男は毎回懲りもせず悪事に手を染めては酷い目にあっている。毎回挑戦する精神は素晴らしいのだが、方向性がよろしくない。
「ついに会心したのかと信じたいのですが……ねずみ男ですから」
 妙なことをせずに生きていけるのならそれが一番なのだが、あの男が懲りるのは想像もつかない。
「一度、ねずみ男を訪ねてみた方が良いかもしれんのう」
 目玉が茶碗から立ち上がった。


 池に釣り糸を垂らしたねずみ男がぼんやりとしている。鬼太郎が近くの魚籠を覗き込むと中身は空っぽだ。
「ねずみ男」
 声を掛けると、ねずみ男が鬼太郎を振り返る。普段なら嫌そうな顔をするのだが、今日は軋んだブリキ人形のように手を上げた。
「鬼太郎サン、コンニチハ! 良イ天気デスネ」
「ねずみ男? 一体どうしたんだ」
 困惑する鬼太郎に向かってねずみ男が微笑む。
「僕ハ毎日清ク正シク暮ラシマス」
「本当にどうしたんだ。何か悪いものでも食べたのか」
「そうじゃ、しっかりせい」
 心配した目玉も鬼太郎の頭から姿を覗かせた。
「どうじゃぁ。釣れておるか……なんじゃ、まだボウズか」
 千鳥足の子泣きじじいが草むらから出てきた。赤ら顔で魚籠をみるとねずみ男の横であぐらをかく。
「子泣きじじい。ねずみ男の様子が変なんだ」
「うぃー、そうなんじゃぁ。ねずみ男は、まだこの調子なんじゃ。そろそろいつもの小狡い男に戻って貰わんと困るというのに」
「こいつが変になった理由を知っているのか」
 鬼太郎の問いに子泣きじじいがあくびしながら頷いた。
「知っとるも何も。ねずみ男は、水木の家に商品を売りにいったんじゃよ。何を売りつけようとしたかは知らないが、度が過ぎるときつい灸を据えられて……ほらこの通り」
「水木サンノ、ゴ指導ノオ蔭デス! 僕ハ真っ当二生キマス!」
「水木ぃ……
 目玉が鬼太郎の頭上で情けない声を上げた。目玉と水木は大喧嘩をしたことがあるらしい。鬼太郎は詳細を知らないが、縁側で実父が干からびていて、水木は吸殻が積もった灰皿の前で険しい顔のまま新聞を読んでいた。
「いずれ元には戻るだろうが、まだまだ掛かりそうじゃな。ワシは水木と何か月で戻るか酒を賭けておる。一か月半に掛けておるんだから、さっさと戻れ!」
「清ク正シク美シク! 真っ当ナ人生最高デス!」
「ねずみ男は放っておいても問題なさそうですね」
「うむ……この男の生き意地の汚さは一級品じゃ。水木に滅多打ちにされただろうが、遠くはない内にまた悪事を働くじゃろう」
 ねずみ男の横に座った子泣きじじいは一人で酒盛りを始めた。ねずみ男の釣りの腕前では酒のアテが手に入ることはなさそうだ。
「父さん、僕は少し出かけてきます」
「水木のところか」
「はい、ねずみ男がどんな悪事をしたのか確認に」
 鬼太郎の言葉に目玉がにこりと笑う。父は鬼太郎と水木の関係が変わったと知る数少ない人だ。仲間たちにもゆくゆくは知らせるつもりだが、もう少しだけ独占したいとお願いして黙って貰っている。
「儂はすこし調べものがある。都合が付けばいつもの店で羊羹を買ってきてくれんか。急ぎではないから、ゆっくりしてきなさい」
「ありがとうございます」
 目玉を妖怪図書館に送って、鬼太郎は森を出る。何も持たずに自宅を訪ねるのは気が引けて、和菓子屋で羊羹と最中を買った。



「手土産とは気が利くじゃないか」
 鬼太郎が持ってきた紙袋に水木が嬉し気な声で答える。
「恋人の家に手ぶらと言うのは気が引けますよ」
「義理堅いなあ。そういう所は目玉に似てる」
 玄関で下駄を脱いできっちり揃える。丁度日が傾いてきて、洗濯物を取り込んでいたようだ。鬼太郎は和菓子をちゃぶ台に置くと、縁側に出来た洗濯物の山の前に座った。
「ねずみ男が押し売りに来たと聞きました。あいつ、何を売りにきたんですか」
 鬼太郎がタオルを引っ張り出して畳み始める。森に越してから、家事の手伝いをする機会もずいぶん減った。
「中身は見てない。お前が家から神社に帰る時に後ろを付けていたんだってよ。ほら、この前の」
 水木が自分のうなじをトントンと叩いた。仕草が意味するところに気が付いて、ぼっと顔が熱くなる。そうだ、あの日思いが通じ合って嬉しくて、自分は随分浮かれていて。ふわりふわり夢見心地でこの家を出た。ぞわりと髪の毛が膨らむ様子を水木が楽しそうに眺めている。
「っ……! あいつ!」
 タオルをぎゅっと握り締めると、水木が鬼太郎の手から洗濯物を取り上げる。
「センセイの言う通り色ボケで、気配に気が付かなかった訳だ。帰るまでが逢瀬なんだからもう少し気合入れて帰れ」
「水木だって随分ぼんやりしていたのに」
 玄関先で鬼太郎を見送った朝は壁に凭れてだるそうに手を振っていた。
「俺はちゃんと一日家に籠っていたからな。カレー作り置きしていたの、見ただろ」
 いつもより大きめの鍋で作っていたのはそういうことだったのか。手間いらずでおいしく作れる夕食の定番だったが、見る目が変わりそうだ。鬼太郎は奥歯を噛みしめて言葉を絞り出す。
「すまなかった」
 恋人にみっともない姿を見せてしまった。初めてで浮かれた我が身が恥ずかしく、それを知り合いに見られたいたたまれなさと混ざって身の置き場がない。鬼太郎はせめて家事くらい手伝おうと、深呼吸をして残りの山に手を付ける。
「センセイは色恋沙汰の品物を売りつけようと家に来たもんだから、『調教』をして森に返してやった。早寝早起き悪さ知らずで暮らしているだろう?」
「ええ」
「あと一か月ってところかな。もうすぐ、うまい酒が手に入るアテがあるんだ。飲みに来ないか」
 子泣きじじいはとっておきの酒を差し出す運命にあるようだ。鬼太郎はタオルをすべて畳んできっちり重ねる。ぽんと手でたたくと陽光を吸い込んだ柔らかい匂いがした。
「ご相伴に預かります。何か摘まめるものを持ってきますから、泊まっていっても?」
 鬼太郎の問いに水木が頷く。
「そういや、センセイは俺がお前を可愛がってると思ってたぜ」
 水木が目を細めて鬼太郎を見ている。胸ポケットから煙草を取り出して、くつくつ喉を鳴らす姿が憎らしくて好きでたまらなくなる。
……今度ネズミ捕りを買って来ます」
「駆除はやめておけよ。もう余計なことはしないんだから。生かさず殺さずが一番だ」
「飼い殺しじゃないか」
「共存共栄と看板を付け替えておけ。見目が良くなる」
 鬼太郎は尖りそうになった唇を右手で抑えた。年下扱いは構わないが、対等な相手として扱って貰いたい。煙草の先に指を伸ばし、パチリと電気を通す。水木は慣れた様子で息を吸い込むと、先端が赤く灯った。
「僕にも一本」
 水木が胸ポケットを手で押える。鬼太郎の見た目では外で煙草を買わせて貰えない。切れたら嫌でも自分で出かけなければならないのが面倒なのだ。
「嫌だ、買い置きがない」
「口寂しいならいい物がありますよ」
 鬼太郎はにっと笑って口元を指で叩く。
「嫌いじゃないはずだ。あなたが一番詳しいと思っていたけれど」
 違うのか、と見上げると水木が無言で視線を逸らした。
「今日泊まりますね」
「おう……
 水木の手が鬼太郎の額に伸びる。小憎らしいとこちらの額を弾こうとする手首を捕まえて指先に口付けると、水木がむっと眉を寄せた。
「夕飯はカレーにしましょうか」
 日が傾いて空は橙を転がしたように一色に染まる。今から買い出しに行けば丁度間に合うだろう。カレーは手間いらずでおいしく作れる定番なのだ。鬼太郎の言葉に水木が煙草を取り落としそうになる。夕日に照らされた水木の耳先がそれ以上に色付く。悪態が飛んでくる前にタオルをしまって来ようと、鬼太郎は立ち上がった。