溶けかけ。
2024-05-29 22:24:06
2206文字
Public ほぼ日刊
 

取られるのが嫌なら名前でも書いておけ

フリーナに(権能を使って)自身の名前を書くヌのヌフです。
ヌ(→)←フ前提です。

「な、な、なんだこれ!」

 朝。いつも通り顔を洗ったフリーナは鏡に映る自身を見て悲鳴を上げた。
 彼女の額は淡く輝き、薄っすらと文字が浮かんでいたのだ――『ヌヴィレット』と。


「ヌヴィレット!これは一体どういうつもりだい!?」

 職員すら出勤していないパレ・メルモニアは静まり返っている――はずであった。
 フリーナは静けさをぶち破るほどの勢いでヌヴィレットの執務室のドアを開けた。

「ヌヴィレット!!」

「なんの用だ、フリーナ。このような人気のない時間に大きな音を立てれば警備の者が警戒することはよく知っているはず……君は市井に下りるときにマナーすらスイートルームに置いてきてしまったのかね?」

 朝っぱらからよくもまあ、回る口だ、とフリーナは苛立つ。そもそもここに来たのも目の前の彼のせいだと言うのに。

「誰のせいだと思っているんだい?」

「はて?なんのことだろうか?」

 フリーナは舌打ちをする。どうやらしらばっくれるつもりらしい。

「これはどういうことなのか説明願おうか、最高審判官殿。それとも、あれかい?キミは犯行現場に自身の痕跡を残す間抜けな犯人だとでも?下手な劇作家でも、もっとマシな脚本を書くと思うけどね」

 自身の前髪をかき上げて、彼の犯行の証拠を見せる。

「そのことか……

 ヌヴィレットは呆れたような顔をした。

「そのことか……じゃない!さっさとこの文字を消してくれ!」

「断る。取られたくないものには名前を書くものだと旅人たちから聞いた。私はそれを実行したに過ぎない……まだ、何か?」

 視線を書類から上げれば、顔を真っ赤に染めたフリーナが目に入った。

「キミ……自分が何を言っているのか分かっているかい……?」

「?」

「もういい、帰る!キミのことなんかもう知らない!いいか、ちゃんと元に戻せよ!絶対だからな!」

 踵を返し、さっさと出ていってしまったフリーナ。何が悪かったのだろうかと考えながら『元水神、フリーナ様!結婚秒読みか!?』と書かれた雑誌の記事を読み返す。数日前に出た雑誌記事にも関わらず、読むたびに心がささくれ立つ気がした。




「うぅ……ヌヴィレットのばか、無神経、朴念仁」

 水面に手を入れてかき混ぜる。波紋が立ち自身の顔が見えなくなったことにホッとする。

「そんなところで何してるの?」

「うわあ!?……ってなんだ、キミたちか」

 突然降ってきた声に振り返れば、友人の旅人とパイモンが立っていた。

「んー?……ぷっ……あははは!おい、フリーナ、そのおでこどうしたんだよ!?」

「あっ……
 
 パイモンの言葉に帽子を被り忘れていたことを思い出す。額を手で覆い隠すも、時すでに遅し。パイモンも旅人も見てしまった後で。

「だ、駄目だよ、パイモン……わ、笑ったら悪いよ、ふふ……

「キミも笑ってるじゃないかぁ!!」




 数分後、笑いの発作が治まった二人はすっかり拗ねて涙目になったフリーナを慰めながら事情を聞いていた。

「なるほどなぁ……ん?ということはヌヴィレットってフリーナのことが……?」

「まあ、好きなんだろうね。無自覚なんだろうけど」

 二人の言葉にフリーナは首を横に振った。

「盛り上がっているところ悪いんだけど、彼はそういうつもりじゃないと思う……

 フリーナはしょんぼりと項垂れた。

「僕から見て、彼は色恋沙汰に現を抜かすタイプじゃないからね。どちらかと言うと……ほら、よくあるだろ?仲の良い友達が他の子と遊んでるといじわるをしたりして気を引いたりすることが。たぶん彼も似たような感じなんじゃないかな……

 旅人とパイモンは顔を見合わせる。フリーナの顔は恋する乙女そのものなのに、ヌヴィレットへ期待することは何もないという態度が酷く不自然に見えた。

「フリーナはヌヴィレットのことが嫌い?」

 旅人が尋ねればフリーナは肩を竦めて間髪を容れずに否定した。

「ううん……好きだよ。ずっと……どれくらい前から好きか分からないくらい昔からね」

 フリーナが幸せそうに微笑んだ。神の器として生まれた彼女は元々美しい見た目をしていたが、今の笑顔は言い表せないくらい綺麗で思わず見惚れてしまった。

……あ、そうだ!オイラたち、お前に聞きたいことがあったんだ!」

 パイモンが先に我に返って、一冊の雑誌を取り出した。

「これの真偽を聞くためにオイラたちお前を探してたんだ!」

 パイモンから雑誌を受け取ったフリーナがパラパラとページを捲る。しばらくして彼女は読み終わった雑誌をバンッと乱暴に閉じた。

「完全なるデタラメだ!もしかしてヌヴィレットのやつこんな三流記事を信じたのか!?」

 なるほど、確かに、ヌヴィレットが記事の内容を信じたと仮定すれば彼の行動には納得がいく。ヌヴィレットは正しく、『取られたくないものに名前を書いた』ことになるのだから。

「それで、これからどうするの?」

 フリーナは顎に手を当てて考える。

「取り敢えず、この記事を差し止めしてもらうよ。名誉毀損で訴えたっていい」

「額は?」

 旅人の言葉にフリーナの肩がビクリと上がった。

「彼の気が済むまではこのままにしておくよ……メイクで隠せないわけじゃないしね」