あの方が得意札だったと仰っていたので、いつか、こんなお話に取り入れたら…とか、こんな場面ではどうでしょう、とかお話できたらと思っていました。でも叶わなくなってしまって。いてもたってもいられなかったので書きました。少しでも餞になりますよう。
わけあって極めて長寿となった水木は、基本は人間の社会で暮らしながら時折ゲゲゲの森に顔を出す。主にお互いの近況報告が目的で、要はただ単に幽霊族親子の顔を見るためだと言って良い。
その日もいつもと同じく、午後からのんびり水木はやってきた。あいにくと鬼太郎は妖怪絡みのトラブルで家をあけていた。緊急事態だったらしく、水木が急に思い立って訪ねたから、ではない。
「砂かけ…、さん」
そのためだろう、幽霊族親子の家には留守番がいた。水木は目を軽く見張って、白い着物の老女に会釈する。
「よう来たの、水木どの」
彼女は愛想よく笑い、鬼太郎達は出ておるが、すぐ戻るじゃろ、と言う。
「いや…、これはタイミングが悪かったですね」
困ったように笑う水木の顔は、初めておばばが彼を紹介された、鬼太郎がまだ歩けもしなかった頃とほとんど変わっていなかった。
いや、とおばばは思い直す。
顔の造作そのものは変わっていない。だが、どこか雰囲気が違うような…、とそこまで考えて、おばばは得心した。
「水木どの、おぬし…」
「はい」
「きれいになっとるの…?」
「…………、え?」
心底驚いた顔をした後、水木は、ようやく小さな声を吐き出した。
その顔でおばばはいよいよピンときた。伊達に長生きはしていない。
「いや、よいよい。変なことを言うた。さ、茶でも入れましょう。お座りなされ」
完全に調子が狂った様子で頷き、腰をおろした水木に、おばばは口元を袖で隠しながら尋ねる。こそこそ、ひそひそと。
「…おやじとせがれ、どっちだい?」
「え?」
質問の意図がわからず、水木はぽかんとした顔で首を傾げた。会いに来たのは両方にだが、と…。
そんな見目の良い人間の男の様子に、ほ、ほ、と砂かけ婆は笑う。
「恋すてふ…、と言うでないか」
「……こいすちょう…」
口の中で繰り返し、怪訝な様子が隠せない水木をまるで幼子を見つめるような目でおばばは見る。
しばらく──本当にしばらくの間考えた後、ぶわ、と水木は頬を染め言葉を失った。
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ
思いそめしか──
恋をしているという噂を立てられてしまった。誰にも知られずひそかに思い始めたのに…、そんな和歌だ。百人一首にもある。
それを水木に言う意図とは何かといえば、それは…。
水木は口を抑え、眉を下げ、目を潤ませて懇願してきた。
「どうか、内密に…」
口を抑えていた手を今度は固く合わせて拝み倒してくる水木の様子に、おばばはぽろり、言ってしまった。「もしや鬼太郎の方か」と。瞬間、水木の顔が真っ赤になる。図星か。おばばは七三でおやじの方かと思っていた。実のと育てのと、親同士馬があったのかと。しかし十割では考えていなかった。つまり、そういうこと。おばばにとっても心底以外とまではいかなかった。
そして、喜劇のようなタイミングで入口のムシロが上がった。勿論そこに立っていたのは。
「ただいま戻りました。…水木?」
礼儀正しく挨拶した彼は、顔を赤くして言葉を失っている養父に目を丸くし、すぐにも彼の隣に膝をつき、「大丈夫ですか」といたわしげに声をかける。控えめに、水木の腕に手を添えて…。息子の頭の上からひょっこり顔を出したおやじの方も心配そうではあるが、鬼太郎の態度の常と違う様子の方が目についた。
鬼太郎の性根は優しいだろうが、ここまで紳士的な仕草を伴う姿は珍しい。少なくともおばばはそう思った。
「さて、鬼太郎も戻ったし、わしは帰ろうかの」
「ああ、おばば。留守番ありがとう」
鬼太郎は水木を視界に入れたままおばばの方を向き、礼を告げる。おそらく、水木をひとり待たせたくなかったのだろう。
おばばは袖を口元に当てながらホ、ホと笑う。
「なんのなんの。では、の、水木どの」
「え、ええ、また…」
どうにか答えるものの、水木の顔は赤いままで、鬼太郎があからさまに訝しんでいるのは明らかだった。
くわばらくわばら、と袖に隠れて呟いて、おばばは木の上の幽霊族親子のねぐらから弾むように降りていった。
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