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梓
2024-05-26 23:51:33
6963文字
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青の残光
決戦からエピローグまでの半年のどこかであったアセンダリオンの話。
「The First Light」の世界線。タヴに固有名がついています。
新刊収録予定なのでサイレント修正するかも。
アスタリオンはルミネセンスなんだって誰にも伝わらないことを言いそうになりました。
自由は得たけれど、本当に欲しかったものではないから満たされない話。
(こいつは悪人だ)
こいつは何度も強盗ついでの殺人を犯している悪人だ、手配書も出ていて燃える拳が探し回っている。だから血を吸ってもいい。
獲物を探す度に、噛み付く度に、伺いを立てる先もないのに独り言ちる。
いや、かつてはあったと言うべきか。
決戦の後、誰にも行き先を告げず道を別ったハイエルフの行方は、杳として知れない。
英雄の面を拝もうとした野次馬連中がゴシップめいて騒ぎ立てていたのが懐かしい。行方を捜した物好きもいたようだが、新聞の見出しは相変わらずつまらないし自慢混じりの手紙も来ないので、大した成果は上がっていないのだろう。
あの愉快な旅路の中でまだ比較的エルフらしいエルフだった彼女を思い出す。青い髪を風に遊ばせながら、いないだけで大事になってたの? と返す姿が、声も聞こえそうなほど鮮やかに浮かんだ。本来エルフとは、どこかでぼんやりしていたつもりが数年過ぎているなんて時間感覚のやつらばかりなのだから、そのうち全く何も知らないで顔を出してくるだろうか。そう意味なく思うほどには、多少の後ろ髪を引く情に自覚はあった。同じだけ、探さない言い訳も十分あった。
あのハイエルフの、当たり前のように周囲へ分け与える温情への恩と儀式の礼は忘れていない。いないが、それは別の形かあるいは俺が健在であることによって返すべきだろう。そもそも俺たちはいわゆる"お付き合い"という仲であったはずなのだが、当の本人にその認識があったかすら怪しい。あれだけ時間があって、共寝はエメラルドの森であった一度きりだ。俺が身体を売ったのにさして靡かず、それどころか一切気にもしていないところが少々癪でわざわざ振ってやる気すら起こらなかったのは事実。とはいえ、まさか決戦の直後から俺に何も言わず行方を晦ますほど、薄っぺらい繋がりだったのだろうか。
目まぐるしく、日々雑事ばかりが、目の前を流れていく人混みと同じように過ぎていく。
姿を海から上ってくる夜霧に溶かして、下層地域の雑踏を眺めていた。こうして嫌な思い出ばかりある場所を巡っている方が、昼間の貴族ごっこより余程落ち着けるのは随分な皮肉だ。カザドールの一切合切を簒奪したは良いが、存外に貴族というのは意味もなく忙しくしているのが好きなようだった。
踊って話して酒を飲む。噂と称して虚栄心を擽って、流行を装って見せつける。わかりやすく、つまらなく、終わりのない雑事。
貴族の仲間入りをした英雄というだけでも下世話な耳目を集めるのに、見目が良ければ虫も集る。世の習いだ。かつてそれを利用していた時と、立場が違うだけでそう変わらない景色は早々に飽いた。ただ渇きを満たすためのメニューでしかない手配書に載った不細工の方が、まだ記憶に残っている。
面白くはないが、忙しくはある。そんな日々に追われてあれから半年近くが過ぎた。街の傷も、もう随分と目立たない。ほどなく全てが記憶と記録になって、やがて消えていくだろう。
暇潰しにどうでも良いことを考えていれば、疚しい者に似つかわしい、暗い路地裏へ今日の獲物が入っていく。日のあるうちに"仕事"をしてきたのか、薄くなった血の匂いを撒き散らしながら、この先の訳あり品も扱う換金屋へ向かっているようだった。
喧噪が遠くなるまで待って、薄霧を凝らせて後ろに立つ。音はない。影に驚いた獲物と目が合った。今日の食事は随分と楽ができそうだ。
"怪物"と目を合わせてはいけないと、教える親もいなかったのだろう。魅了のせいで更に間が抜けた顔になった男の首筋に噛み付く。大して美味くはなかったが、渇きを癒やすには充分だった。
(こいつは悪人だ。ベハル信徒の模倣犯で、金目の商人や職人ばかり殺して回っていた)
獲物の品定めをする度にあの日を思い出す。血を啜る度にあの約束が過る。"望まれない"血を吸わないように。
まるで強いられているのと変わらない、うんざりだなんて思っていたのは存外短く、ひと月も立たずに馴染んでいった。フィンがいないことにも。フィンを思い出すことにも。記憶は規範として、それ以上の色も温度も持ち得なかったが確かな痕になっている。
ナイフを取り出し、血を吸いきって随分軽くなった罪人の首を落とす。多少乱雑でも、もう死んでいるので構うまい。革袋に入れて口を縛る。懐に入れていた手配書の束から一枚、同じ顔のものを抜き出して紐の隙間に差し込めば、年若い大公爵への手土産が出来上がった。面と向かって渡す気は勿論ないので、手配書の裏に燃える拳宛と一言添えて、朝になれば人目につくだろう手近な樽の上に置いていく。
邪魔な身体を端に投げれば、後生大事に隠していたらしい盗品袋が路地裏の石畳に転がった。中を覗けば至ってありふれた装飾品が十と少し。出来は悪くないが、値の張る素材は使えなかったと見える。こいつにとっては大した価値があったのだろうが、正直金に換えたところでその場しのぎにしかならなかったろうに。革袋と並べて、樽の上に載せる。軽くシャラシャラと鳴った音が、この路地裏と首の主に似つかわしく雑踏に掻き消されていく。
ここのところ新聞を賑わす正体不明の義賊がいる。それが英雄から貴族になった男の裏の顔であることも、恐るべきヴァンパイアであることも、この街では数人も知らない小説よりも奇な事実だった。性に合わない善行は、基盤を固めきるまでの我が身を購うためとわかっていてもむず痒い。
喉に残る少し脂の多い血の味を、いっそ安酒で流してしまいたくて路地を出る。敢えて場末の喧噪に身を晒しながら、フィンのことを思い出していた。
単なる同行者以上の価値はないと思っていたのに俺の自由を望み、誰もが羨むような英雄になった癖に姿を消した彼女は、何を求めていたのだろう。凪いだ淡青の瞳で他人の思惑を見抜くのは感心するほど上手かったが、心の機微というやつにはとかく疎いハイエルフだった。少なからぬ時間を共に過ごし滑稽なほど皆がフィンを求めたのに、彼女の瞳がたった一人を映すことはなく、その手は誰の手も取らなかった。
当然のように助け、呼吸のように言葉を掛ける。出来る範囲で協力すること、無用な諍いを起こさないこと。その約束さえ守れば、差別も偏見もなく俺たち全員を平等に扱った。その振る舞いは探られたくない腹と痛ましい傷ばかりの俺たちに都合が良く、またなるべくして英雄になる素質でもあった。事実、あの旅の途中で多くがフィンに手を貸し、決戦の場まで来たやつらもいたのだから間違ってはいないはずだ。
そんな外面に踊らされていたとまでは言わないが、平等とは裏を返せば全てを不満足に取り扱うことだと気付いた時は一度寝たことさえ惜しく思った。なにせ、目論んでいた見返りは期待できない。打算なく彼女を求めたのであろう連中も、やがて伸ばした手を下ろしていった。報われない手を伸ばし続けることが、どれほど虚しく苦しいかはよく知っている。その根底が嗜虐と支配に彩られた物か、麗しい平等の賜物かは些細な違いでしかない。
それなのに、何故他の仲間が口を揃えて反対した背を押したのか。儀式に目を貸したのか。記憶の中のフィンは答えない。結局は俺も、その他大勢と同じようにフィンというハイエルフを理解できてはいなかったのだろう。
物思いに耽っているのを自覚しつつ、鈍くさそうな給仕が置いていった出来の悪いワインを飲み干す。燃える拳の若い連中が、窓際の大きなテーブルに屯して手柄だのなんだのと盛り上がっていた。
手配書の中から狙いやすそうなやつらの目星はつけてある。こういった安い酒場や夜ばかり姦しい路地なんかを渡り歩いて、次の食事用に数人見つけたところで宮殿に戻るつもりだった。明日も明日で、今は亡きカザドールから引き継いだ、郊外にある農園の管理者が代替わりとかでわざわざ来ることになっている。過去に問題を起こした履歴はなかったが、代替わりは何かと荒れるものだ。面倒を見る気は毛頭無いが、手綱を締める頃合いを逃してはいけない。箍が緩んだやつらがしでかすことなんて、記憶が薄れるほど昔からよく見てきていた。全く地固めだけで何年掛かるのか。エルフでもなければ寿命が先に来そうだが、ヒューマンの貴族はいつも忙しなく権力を追い求めて躍起になっている。
惰性のように当初の目標をなぞっているが、意味はさしてない。眷属を集め、自らとその手足のために世界を闇で覆うのも悪くなかったはずだが、日を厭わない身に実感が湧くと同時にさしたる魅力も感じられなくなっていった。結局、集めるはずだった眷属だって大した数はいない。スケルトンやらなにやらがひと通り。あとは上の仕事をさせるために魅了を掛けたヒューマンの老執事と、獲物を探しているうちにたまたま見かけた病人の女ヒューマン。全く呆れる、酷いものだ。
病を押して、まだ幼い娘に残せるものをありったけ残そうとしていた、そんな話は古今東西よくあることだった。風景と変わらないそれに目が行って、何故か女に声を掛けてしまった。女が顔を上げた直後からやっていることの馬鹿らしさに呆れていたのに、スポーンにしたのはまだその女ヒューマンしかいない。あとは宮殿の改装に呼びつけている職人の中に不死の術を探している老ドワーフがいたか。
美人でも処女でもないヒューマンと、鑿を握る手までしわくちゃのドワーフが眷属だなんて、酷い冗談としか思えない。いよいよもって自分の趣味が疑わしくなってきた。もっと見目の良い、あるいは屈強で壁にしがいがあるやつにでもしておけば良かったのに。何を今更善人ぶっているのか、馬鹿馬鹿しくて笑えもしない。
視界の端に青が過る。意識がそれを理解する前に目が追っていた。
良く日に焼けた、ハーフエルフの女だった。背負う弓は使い込まれていて、動きやすそうな軽装は魔法に頼る職業とは結びつかない。レンジャーか流しの斥候か。一見の客に見えるが、こういったところは慣れているのだろう。安酒と乾き物を給仕に頼み、端の席でホールをゆっくりと見回していた。
見慣れない青色は、酒場の灯を返して時折見慣れた青を思い出させる。舌に纏わり付いた酸い味を掻き消すほど、忘れがたい赤が蘇った。自由の味は甘く柔らかく、肉が持つ複雑な旨味と果実の瑞々しさを織り交ぜて、渇きだけでない渇望を満たしながら水のように流れて消える。喉ごしの良さと後味の薄さはフィンらしいと、あの時は思ったものだった。旅の中で理由をつけてもう一度味わっておけば良かった、きっと二度目は違う味がしただろうに。
湧いた生唾を飲み込んで目を逸らせば、その先にある人影に嫌な既視感を覚える。女に歩み寄るヒューマンの男は、旅人に仕掛ける使い古されたナンパ口上を囁きながら、その横に陣取った。
首筋の薄い傷は手配書の一枚によく似ている。髪は切ったようだが、ぼてっとした硬そうな頬と削りの荒い鼻筋、薄い眉と吊り目は手配書どおりだ。確か複数の行方不明事件の下手人と目されていた。気を惹こうと話す男は、自信を見せたり可愛げを装ってみたりと忙しい。大して良くもない顔と、でかいだけでベッドの上では役に立たなさそうな図体では勝率も低いのだろう。誤魔化すように口ばかり動かして、一晩誘い込むのに随分と必死に見えた。
滑稽で、聞いているだけでも耳が腐りそうだ。かつての自分は、ここまで惨めだったのだろうか。きっと、そうだったろう。
酔えない安酒は頭痛にしかならなかった。女が笑う。下手な口上でもなんとか同情は買えたようだった。
少し多めにチップを置く。今日はもう終わりにしたかった。出来ることなら誰の声ももう聞きたくない。
金には敏感なのか、給仕がすぐに寄ってきた。善行とやらもその場限りのものであれば、なるほど思っていた通りのものでしかない。底の浅い感謝に際限を知らないねだり声は、この半年で飽きた物のひとつだ。唯一、俺が持てる側であるのが気分を良くさせたが、それ以外の全てが今は耳障りで不愉快だった。給仕のわかりやすいお追従を軽くあしらって下がらせる。
「ああ、そうだ。向こうのテーブルにいる拳のやつらに、『仕事だ、奥のテーブルをよく見ろ』と伝えてやってくれ」
「はぁい。お兄さん、今後ともごひいきに」
不愉快だ。どれもこれも。
耳障りな音ばかりが響くホールは、外に出る頃には男どもの怒鳴り声と騒々しい取っ組み合いに満たされていた。
人気の無い裏路地まで何食わぬ顔で歩いて、後を尾ける物好きがいないのを確認してから身を夜霧に溶かす。喧噪がひとつ遠ざかっても、この街はどこもかしこの人の気配で溢れていた。
宮殿に戻れば、まだ休んでいなかった老執事とメイドにしたスポーンが出迎える。来客がない夜であれど、スケルトンにはこなせない執務もある。大方、そういった雑事を捌いていたのだろう。基盤が整えばマシになる算段だが、その前に執事が倒れては話にならない。
老執事にはもう下がるよう伝えて、自室まで歩く。備え付けた浴室で、早くこびりついた潮気も何もかも洗い流してしまいたかった。付き従おうとするメイドもいつものように下がらせる。他人に世話をさせるのはいつまで経っても慣れそうにない。特に肌を晒すようなものは。
「旦那様、せめて何かあたたかいものでも」
「いい、下がれと言っただろ」
「旦那様」
口の減らないヒューマンだった。今も、視線を逸らす素振りひとつない有様だ。つくづくこの女はメイドに向かない。
「お勤めなさっていたのでしょう? 少しはご自身を労ってくださいまし」
「構うな」
「いいえ、だめです旦那様」
苛立ちを込めて睨めつけても一切引く気はないらしい。命令してやろうかと過って、やめた。
嫌な記憶が背筋を這ったが、それはもう脅威ではなかった。ないはずだった。知らず握りしめていた手を開く。今日はどうにもうまくいかない日だ。
止めても聞かないから、メイドには勝手にするように言いつけてようやく自室に戻った。
浴室の栓を回し、水を流す。頭から被って、全てを洗い流していく。思っていたより潮気を含んでいた髪を手で梳きながら、ただ水の流れる音を聞いていた。
喧噪はまだ耳にこびりついている。埒があかないので、諦めて栓を閉めれば一層ひどくなった。水気を落として部屋着に袖を通す頃には落ち着いてきたが、それでもノックが聞こえるまで他人の気配に気付けないほどだった。
「旦那様、軽いものですがお夜食をお持ちいたしました」
気分ではなかったが、それを言ったところでこの強情なメイドが引き下がるとも思えない。指先で入るよう促す。
トローリーにはスープとパン、それといくつかのつまみが載っていた。安酒場のものよりは見るからにマシで、匂いも悪くない。
「ヴェスレイも心配していたんですよ。旦那様の帰りが遅かったもので、何かあったんじゃないかって」
メイドがティーテーブルに軽食を並べる。空腹もなく食べるのも、夜食の概念自体も久しく忘れていた。しばらく眺めていたら、並べ終わったメイドがじっとこちらを見ていた。一口でも手をつけるまでは下がる気がないのだろう。木匙を手に取る。
「私たちが旦那様のためにできることは、これくらいしかありませんから」
どうも食べ終わるまで見張っているつもりだったらしい。手持ち無沙汰の間、気安く話しかけてくるのはこのメイドの常であった。骨相手では会話が成り立たないのだから、多少は目を瞑ることにしている。
スープは悪くない味がした。合間にパンをちぎりながら、好きに話させておく。孤児院に預けた後の娘の話と、ここ最近の世間話と。その中に混じる俺と出くわした時の話。尾鰭のついた英雄譚。酒の代わりにするには些か面白みに欠けるが、つまみもほとんどなくなっていた。
「私たちも旦那様のことは誇らしく思っております」
「世辞はいい」
「お世辞なもんですか。燃える拳も形無しだって、巷じゃ知らない人なんていませんよ。ああ、正体は旦那様だって伝えられたらよかったのに」
宣う女はどうも、目の前にいるヴァンパイアを善人と信じて疑う気も無い。執事の方も、ここまで煩くないだけで大方似たような態度だった。彼らの感謝は、嘘ではないからこそ時に不快に思える。俺がやったことは丸ごと俺のためであったし、ましてや俺は彼らの思うような善人なんかじゃない。世辞とも違う心底からの持ち上げもまた、居心地が悪かった。
空いた皿を載せきって、トローリーを押しながらメイドが扉を閉める。部屋はやっと本来の静けさに戻った。
蝋燭を吹き消してベッドに身を横たえる。迎える柔らかな羽毛の感触は、板張りに藁を敷いてリネンを掛けただけのそこらの宿とは比べものにならない。日々味わう些細で確かな自由の証明だ。そのまま身を預け、次の朝日が来るまで意識を瞑想の向こうへ手放す。いつか薄れる日々のひとつがまた終わる。明日の喧噪までの束の間、ただ穏やかな静寂に沈んでいた。
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