「押しかけ神様っ! 〜お花見編〜」



 ぱたぱたと子供のような軽い足音に伊織は口角をわずかばかり上げた。
 平鍋に今朝捕れたと隣人の猟師から貰った鹿肉を一口大に切り、それを平鍋に山菜等と一緒に煮込む。醤油の香りが充満し、朝の速いこの時間では尚の事、腹の虫が鳴り響くだろう。
 広々とした土間に駆け足で現れた、ましろい、うつくしいひとは、ともすれば貴族にすら見える風貌だ。そんなかの御仁の腹から、元気にぐう、と虫が鳴る。
「イオリ! 腹が減った!」
「解ったから、座敷で待ってなさい」
 子供に言い聞かせる物言いに、タケルはむう、と唇を尖らせた。「私は小童では無いのだぞ……」とぶつくさと文句を垂れながらも伊織の言の葉に従い、座敷と土間の縁に行儀悪く背を丸めて座る。手持ち無沙汰なタケルが、ぶらぶらと足をバタつかせ、じ、と調理をする伊織の後ろ姿を凝視した。とんとんと同じ調子で響く包丁の音と、ぐつぐつと煮込まれる音。それに合わせて彼の袖や、纏められた髪の束が揺れるのを、まるで猫のように追いかけた。
 ――ああ、イオリだ。
 胸内に溢れる喜びに、頬が上がる。
 神として、人より永い時に存在するとは云え、触れ合う温もりと分かち合う喜びを識ってしまった。一度手にしてしまったモノがぬるま湯のように心地よければ、それを忘れられぬのが存在するモノの性であろう。例に漏れず、タケルは己の社が朽ち果てても伊織を待ち続けた。
 それが実り、寝食を共にするこの至福の時間が訪れたのだ、今はそれ以上は望むべくもない。
「ずっとそこにいたのか。朝餉ができたぞ」
「うむ、待ちわびたぞ! 運べば良いか?」
「ああ、頼む」
 膳を一つ持ち危なげなく座敷へ運んでいくタケルを、伊織も追った。運んだ膳の前にちょこんと、背筋を伸ばして座るタケルの横に、伊織もどかりと腰を下ろす。手を合わせた二人は声も揃える。
「いただきます」
「いただきます!」
 並べられた食事にタケルの表情は常ににこやかだ。きらきらと輝く眼でそれらを照覧し、まず初めに米を口に運んだ。真白な米は程よく柔らかく、噛めば噛むほどに甘みが口の中に弾ける。次に深皿へよそられた煮込みをしげしげと見つめ、ぱくりと放り込む。
 煮込まれた肉はなんとも柔らかく、味が滲み出てきて頬が緩んだ。色を変えた山菜はくたりとしていて、これまた美味い。しゃきしゃきとした歯応えは無いものの、米が進む味だ。
「イオリの作るものは、やはり美味いなあ」
 あむあむと一心不乱に食べていたタケルが、そう呟いた。
 まだ伊織が今は朽ち果てた社に通っていた頃、タケルにせがまれ簡単な握り飯や、持ち運べる細やかなおかずを持っていったことがある。伊織と、カヤと食べるには随分と多い量をこさえている姿を見た母が不思議そうな顔の後、うっすら笑って「かみさまに、よろしくね」と言い聞かせたあの日々が懐かしい。
 母も、かみさまに見守ってもらっていたのだろうか。
 懐かしい日々を思いだし、伊織の顔に哀愁が浮かぶ。嬉々として肉を咀嚼していたタケルは、そんな伊織を見て柔らかに、慈しみの色を湛えて微笑んだ。人の営みを見守った神の端くれ故に、やはり人の営みを感じればそこに喜びを見出す。血塗れの道を歩んだ己を、それは勇敢の証だと神威を見出した人々の為に見守る様は、神であった。
「イオリ、そういえばそろそろ桜が散る頃だ」
 こくり、と口に入れていた米を飲み込んで、タケルが云う。顔に「共に行きたい」とありありと書かれており、伊織が面白そうに口元を歪めた。
「タケル、そういうのは素直に行きたい、と告げると良い」
「イオリにはそういった言の葉は必要あるまい? きみは一を聞いて十を理解する」
「それは、まあ素直に褒め言葉として受け取ろう。して、花見か。今日は何の支度もしていない。明日でも良いか?」
 米は朝餉と夕餉のものしか炊いていないから、量は無い。代替として提案すればタケルの頬が膨らんだ。どうも今日中に行きたいらしい。
「明日は雨が降る。今日を逃せば、葉桜を愛でることとなるが」
 ぶすくれたまま、すう、と眼の黄金が増した。時たまに、こういう事がある。明日の天気は、その道は行くな、海が荒れる、漁は別の日にせよ、と伊織や、町人に告げる時にその色が濃くなる。
 伊織が思うに、神の力を行使するときにそうなるのだろう。
 難局打開の神、また草薙の伝説から、火防の神として祀られたタケル。それ故に勘が鋭く、また火防は水も司るとされるからか雨等も予知できるらしい。幼い頃は、自在に出現させた水で伊織たち兄妹を涼ませた。海は、吾妻はや、と唄ったほど愛した弟橘比売命の逸話故だろうか。
 兎も角、神の言は従うものだと、幼い頃より教えられてきた伊織はならば、と頷いた。
「解った。では支度を終えたら行こう。おまえの社に」
……!」
 花見に行ける喜びか、場所が忘れさられた、朽ちた社だったからか。どちらにせよ、タケルは花がほころぶように笑った。


 膳を下げ、洗い物を済ませた伊織たちは直ぐに家屋を出る。家から持ってきた荷物はむしろのみで、行きすがら屋台でそれらしいものを揃えるために屋台の並ぶ通りへ向かった。
 団子は外せないとタケルの言に、馴染みの女店主の元へ向かう。彼女は二人を見て「いらっしゃい!」と元気に迎え入れた。
「花見団子と、きなこの草団子を二つ頼む」
「はいよ! 相変わらず、仲がイイねえ。カヤちゃんも安心するよ!」
 お節介の言葉と共にそれぞれ一本ずつまけてもらった。やんわりと、そんな仲ではないと訂正する前に、タケルが嬉しそうに串を貰うものだから出かけた言の葉を飲み込んで、「忝い」と、頭だけ下げておく。
 幼い頃から伊織や、妹の事を見てきた店主はまるで己の子供のように二人の成長を見守ってくれた町人の一人だ。伊織が女人のようにうつくしいタケルを家に連れ込んでいるのを見て、何度も安堵のため息と、赤飯だ何だと祭騒ぎを起こそうとしていた、茶目っ気もある楽しい主人だ。
「いいっていいって! 伊織ちゃんはちっちゃい頃から知ってるし、この間もアタシらを守ってくれたんだしねえ!」
「便宜を図ってもらっているのだから、当然だ。そろそろ、ちゃんは止めてもらいたい」
 役人が少ない湊町故に山賊やならず者に悩まされる地方。伊織は恵まれた体躯と、師より受け継いだ剣、その才とで用心棒の真似事をすることもあった。それは孤児に近しい己を師が引き取るまで育ててくれた湊町への、恩返しでもある。
「団子ってことは、花見かい?」
「ああ! 今日が、桜を愛でる今年最後となるだろうからな」
「タケルちゃんの言の葉なら間違いないねえ。じゃあ酒も持ってきな、酒も!」
 徳利を品台にどん、と乗せて、にかりと笑った。太陽に焼けた肌から覗く歯が白く眩しい。
「おお! 良いのか?」
「タケル、あまり集るな」
「良いよいいよ! うちのやつが隠し持ってたヤツでねえ。潜るってんのに呑もうとしたから没収したやつなんだ」
 呵々大笑する店主に、頼もしいはずの、素潜りを得意とする旦那を脳裏に描いて、伊織も思わず微笑んだ。昔から笑顔の絶えない夫婦である。
「そういうことなら、有難く頂こう」
「うんうん、飲んだ感想、あの人に聞かせてやってくれ!」
 徳利と猪口、団子の包を大事に抱え、伊織は店主に頭を下げた。足早に先行くタケルを追いかけて、二人は山へと続く道を歩く。
 山、といってもそこまで大きいものではない。山頂までは慣れた者ならば一刻程で登りきることができるほどの、適度な山だ。今もなお地元の者が山菜や、鹿や猪を採るために足を踏み入れるが、社が潰れた故に人の入りは激減し、踏み固められた道は既に獣道と化していた。
 朝露もすっかり乾いた草を掻き分けて、二人は道を徒で行く。鳥や獣の気配、麗らかな春の陽気で冬を越した虫たちが目覚める様。呼吸をする度に、若葉の香りが身体にじんわりと染み込むようだ。
 歩みを進める事に増す春の気配は、心せくように、二人の歩みを早くさせた。
 二人の間に会話は無い。
 たまに横切る虫を見つけてはその名を紡ぎ、どちらかが「そうだな」と相槌を打つ。もしくは、視界の端に映る、隠れるようにして咲く野花を見て、「美しいな」と微笑めば、どちらかが「そうだな」と、やはり頷いた。気の向くまま、目についたものを言の葉にする会話ともいえぬ空気を、二人は好いているのだ。
 そうして息も乱さず歩み続けて、二人の前に朽ちた鳥居が見えてきた。傾斜となったそれを潜り、疎らに残る石畳の、かつての参道をゆっくりと踏みしめる。
 鳥居の近くに建っていた御手水舎の残骸を見て、伊織が足を止めた。そこでタケルがよく水を操り色んな形で楽しませてくれたのを思い出す。
 蝶や、魚や、鳥の形は伊織もカヤも見たことが無いものばかりで、透明な水故に、四季や場所によって模様をも変えていたから、まったく同じものは見られず、それも心躍る要因だった。
 頬を緩めて耽っていた伊織の眼前で、小さな手のひらに乗るほどの水の鳥が、ぱしゃりと羽ばたく。器用に小さな翼で宙を停止し、伊織の鼻先に口づけるものだから、くすくすと喉から声が溢れた。
「懐かしい。きみたち兄妹は、殊更この鳥を喜んだなあ」
 指先に水の鳥を止まらせ、タケルは眼を細ると穏やかに云う。
「ここの御祭神が誰なのか、その逸話も識っていたからな。この社で、鳥が自由に羽ばたく様は、運命とも感じたんだ。……まあ、あの頃はお前がヤマトタケルだなんて思いもよらなかったが」
 頬をかき、きまりが悪そうに伊織は苦笑を浮かべた。タケルの水を操る力は魔術だと思っていたし、タケル自身は、山向こうの村か何かの子供だと思っていたのだ。家族はと訊けば曖昧にはぐらかされるものだから、折り合いの悪い、訳ありの子供なのだろうと。
「たったこれだけのことではしゃぐものだから、私もつい、立場を忘れた。ふふふ……ああ、懐かしい」
 幼い二対の眼が輝くさまは、タケルの中で焼き付いている。己の歩む道を照らす星星のように、これから先も寄り添ってくれるのだと確信めいた予感を抱いたものだ。
「幼い俺たちには、まるで奇跡の力だったな。︙︙ここも、懐かしい」
 参道の中央に鎮座していた老木が、ざあ、と風に揺れ木の葉を鳴らす。耐えられなかった薄桃色の花弁が一枚、また一枚と萼から離れて舞い散った。朽ちた社を背景に、葉の見え隠れする大木が佇むさまは、荘厳さを漂わせる。
「この社が創建された当初に植えられたのだ。〝ここの私〟の、友とも言える存在。……私と共に、永い時を、見守ってくれた」
……この樹齢だと接ぎ木もむつかしいな」
「共に過ごした木に未練が無いと云えば嘘になる。だが彼らも、休むことは必要だ」
 夕日を思わせる金の眼が瞬き、幼さの残る面立ちに灼かを見出す。幼い形をしようと、彼はカミなのだと理解させられる瞬間だ。
「おまえの労いに、きっと桜の老爺も喜んでいるだろうな」
 むしろを桜の木の手前に敷きながら伊織は、穏和な話し方で云った。
「そうだろうか」
「そうだろう」
 桜を見上げたタケルの頬が一筋光る。伊織はそれ以上は何も云わず、静かに座して、買った団子と貰った酒を置いた。まるで手向けのように置かれたそれは、もしかしたら、伊織なりの供えだったのかもしれない。孤独と悲劇の皇子神、倭健命が神と崇められても尚、永く孤独にいた。かの神に降り注ぐ雨から守らんと枝を伸ばし続けた立派な大木に、畏怖と敬意を込めて。
「イオリ。腹が、減ったな」
 背を伸ばし伊織の真横に座ったタケルが置かれた団子を持って微笑む。その頬も眼も、濡てはいない。
「ではいただこうか」
 同じように串を持って、二人は揃って齧りついた。
 色のついた玉を抜き取るようにして口に招き入れる。程よい甘さと、弾力が、踊るようだ。
「美味いなあ」
「ああ」
 相槌を打った伊織が、タケルの猪口に酒を注いで、置いた。タケルも倣って、伊織のものに酒を注ぐ。桜を愛でながら団子を食み、酒を煽る贅沢な花見は、風が鳴らす草木の合奏と、ふたりの息遣いのみが響いていた。