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shirajira
2024-05-25 19:40:50
6494文字
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晴れの男
2024.5.25ビマヨダワンドロにて。お題「晴れ」。転生したけど再会したヨダナに記憶がなかったビマの話。よくわからない話になってしまった……。
再会するなら、晴れの日なのだろうと思っていた。
初めて出会った時も、最後に顔を見た時も、晴れていたから。曇り空よりも、晴れ渡った空の方が似合うような、やかましい男だったから。
「
……
ドゥリーヨダナ」
ビーマの声にのろのろと顔を上げた男は、訝しげに眉を寄せると、「あー
……
」と気まずそうに目を泳がせた。
「どこかで会ったことがあったかな? 人の顔はそう忘れんのだが
……
」
その言葉で、ああこいつには記憶がないのだと思う。思った途端に沸き上がった落胆に自分でも驚きながら、何とか言葉を返した。
「いや、すまない、人違いだ」
「んん? 人違い? しかし今、確かに俺の名を
……
」
「
……
あんた、顔色が随分悪いが、大丈夫か?」
駅のベンチに腰かけた男のズボンの裾は、ひどく濡れている。地下鉄に乗っている最中も、濡れた傘を持って乗ってくる乗客から、空模様は察せられた。外はどしゃ降りの雨だろう。
湿って色濃くなっているズボンと同じくらい、男の顔は暗く、汗で濡れていた。ビーマの問いに、ああ、と男が嘆息のような、喘ぎのような声を上げた。
「足が悪くてな。寒い日や雨の日なんかに、急に動けなくなってしまう。それで休んでる、それだけだ」
素直に弱みを話す姿に、知らない男だ、とビーマは思う。同時に、藤色の髪や静かに話せば聞こえのいい声、自らの腿をさする大きな手に、昔と変わらないだなんて、矛盾したことを思う。
「何か、助けは必要か? 俺にできることがあれば言ってくれ」
ビーマの問いに、男は驚いたように目を見開き、それから笑った。
「慣れているから、大丈夫だ。ありがとう」
含みのない礼の言葉に強烈な違和感を抱きながらも、ビーマは「そうか」と返した。会話が終わる。終わってしまう。
それに焦りと、寂しさのようなものを感じる自分に、ビーマは内心驚く。
かつて敵対した仲だ。今世で再会したら最後、ビーマの人生は滅茶苦茶にされるのだろうと、そう思っていた。有り体に言えば警戒していた。
だが実際はどうだ。ドゥリーヨダナに記憶はない。生前のような敵意や悪辣さを持ち合わせている様子もない。
ここでこのまま別れれば、もう二度と会わないだろうと、直感でわかった。そうするべきなのだろうと。
それなのに、惜しく思っている自分がいる。まだドゥリーヨダナに会えていないと、そう思う自分がいる。ビーマのよく知るドゥリーヨダナに会ったところで、互いに嬉しい相手でもないし、友好な関係が築けるわけでもないのに。
俺は、何かを期待していたのだろうか。いがみ合って、殺し合って、そうして一度生を終えた、その先で。
期待していたのは、前世の続きか。それとも、違う何かか。
「あー、君」
ビーマが立ち去らないからか、訝しげな顔をしていたドゥリーヨダナが、どこか愉快そうな顔をした。
「時間はあるか?」
「ん、どうした。やっぱり助けが
……
」
「いや、そういうわけじゃないんだが」
足を擦りながらこちらを見上げる顔には、見知らぬ表情が浮かんでいた。
「時間があるなら、話し相手になってくれんか。少しでいいから」
ビーマは傘を閉じ、地下鉄のホームに降りた。今日もいるだろうか、そんなことを思う。
あれからドゥリーヨダナとは、何度か会った。意図してのことではない。雨の日に駅に行くと、ドゥリーヨダナがいるのだ。毎回、何かに堪えるような顔をして、ベンチに腰かけているドゥリーヨダナが。
二度目に会った時、ドゥリーヨダナは驚いた顔をして、それから人好きのする顔で「また会ったな、ビーマ」と名を呼んだ。かつて一度も、そのような弾んだ声でビーマの名を呼んだことなんてなかったのに。
例年より早い梅雨の訪れは、幾度となく雨を降らした。二度あることは三度あり、四度、五度と重なっていった。ドゥリーヨダナの疼痛が落ち着くまで、互いの話をたくさんした。
ビーマが調理学校に通う学生だと言えば、ドゥリーヨダナは実家の仕事を手伝っている、と言った。歳はちょうど干支が一周するだけ離れていて、ビーマが思わず「そんなに歳上だったのか。てっきり同い年かと」と言うと、ドゥリーヨダナは「このダンディーでイケおじ
……
いやおじではないな、俺はまだおじじゃない。イケおにな俺を捕まえて、失礼なガキだな」と頬を膨らませた。その顔は、かつての子供の頃に見た表情を思い起こさせた。
ドゥリーヨダナの足は、生まれつき悪いらしい。何度か手術を重ね、リハビリを続け、それでようやく普通に歩けるようになったのだと語る姿は、誇らしげだった。毎日の散歩は日課なのだと。雨の日だって、調子が良ければ問題なく歩けるのだと。
「まあ、お前はこうやって座り込んでいる俺しか知らんから、そう疑わしい顔をするんだろうが」
「別にしてねえよ、そんな顔」
「うそつけ、じゃあなんだ、その物言いたげな顔は」
そう指摘されると、ビーマは黙り込むしかない。
ドゥリーヨダナに記憶があったのなら。きっとビーマを、うるさいくらいに責め立てただろう。お前のせいでと、そう喚いただろう。
そうだったのなら。甘んじて責め続けられることも、罪を償おうとすることも、許しを乞うことだってできる。ビーマには選択肢がいくつもある。
けれど、実際はどうだ。ドゥリーヨダナに記憶はない。ドゥリーヨダナは誰も責めず、ビーマはただその隣でわずかな時間、話し相手になることしかできない。痛むというその足を、代わりに擦ってやることすらできない。
互いの名前を教えあったが、連絡先の交換はしていない。初めて会った時に聞いたが、警戒されたのか教えてもらえなかった。たまたま一日交わっただけの相手、向こうはそういうつもりだったのかもしれない。
歳も随分離れている。今生では親戚ですらない。果たしてこれから名前のつく関係になれるのか、わからなかった。
「いつか見てみたいな、お前がちゃんと歩いてるとこ。晴れてりゃ、調子がいいんだろ? 一緒にどこか
……
」
甘えるような声が出て、咄嗟に口許を隠す。ドゥリーヨダナは眉を八の字にして、困ったような顔をしていた。
「んん。まあ、な。晴れてればな。でもなあ
……
何でかお前に、晴れてる日は会わない方がいい気がしてな。ま、雨の日だけの関係というのも、中々乙なものであろう?」
その言葉に、何と返したのか、ビーマは覚えていない。ただその日、ビーマは夢を見た。
晴れ渡った空の下。男が歩いている。見に纏ったストールを風に揺らしながら。棍棒片手に、踊るような足取りで。
「ビーマ!」
振り返った男がビーマに気づいて、笑顔でこちらに手を振った。それで、ああ夢だなと思う。
ビーマに笑顔を向けてくれるドゥリーヨダナは、棍棒なんて握らない。棍棒を握ったドゥリーヨダナは、ビーマに笑顔なんて向けない。だから、これは夢だ。
「ドゥリーヨダナ」
名を呼ぶと、ドゥリーヨダナが吹き出した。「しけた面だなあ!」とからから笑う声が聞こえる。
「ビーマ、ビーマよ。わし様のいない世界はどうだった? 楽しかったか? 愉快だったか? 気分よかったか?」
「
……
さあな。よく覚えてねえよ」
「つまらんやつだなあ。ドゥリーヨダナ様がいなくて太陽が隠れてしまったようです、くらい言えんのか」
「それを言うならお前じゃなくてカルナだろ」
「
……
マージでつまらんやつだな、お前」
唇を尖らせたドゥリーヨダナとの距離を縮めていいのか、ビーマにはわからない。体は動かず、ただくるくるとよく変わる表情や、それに合わせるように揺れる体を眺めている。
「ドゥリーヨダナ」
言いかけて、こちらを見る目に、口ごもる。けれどこれは夢だから、そう思って、再び口を開けた。
「お前は本当に最低最悪で、やることなすこと悪辣で、ふざけた野郎だった。でも」
太陽が眩しい。目を細める。
忙しなく変わる表情。やかましい声。ビーマに並び立つ体躯。その全てが、そこにたった一つの輝きを放つようだった。
眩しい。懐かしい。暖かい。よく晴れた空をつい見上げてしまうように、男を見つめてしまう。
「お前は雨の下でうずくまってるより、晴れの日にそうやって馬鹿みたいに口開けて笑ってる方が、よっぽど似合ってるぜ」
ビーマの言葉に、ドゥリーヨダナは答えなかった。ただ口の端を、くいっと上げた。それを見たら途端に寂しくなって、ついビーマは言葉を重ねた。
「なあ、もうお前には、会えねえのか。俺がいるのに、お前はどこにもいねえのか」
「なんだなんだ、人を殺しておいて。今更後悔しても遅いぞ? いやマジで遅すぎる。あれから何千年経ったと思っとる」
「別に、後悔してるわけじゃねえよ。ただ
……
」
足を前に進める。手を伸ばす。あと少しで触れる、というところで、「いいのか」と静かな声が耳に届く。
「そうしたいならすればいいがな、お前の思うようにはいかんと思うぞ。何せお前とわし様だ」
「
……
お前にしちゃ、優しいじゃねえか。俺に忠告するなんざ」
却って踏ん切りがついた。勢いよく伸ばした手で、相手の腕を掴み、引き寄せる。呆気なく胸に飛び込んできた体に、もっと早くこうしてればよかった、なんて思った。
「あーあ。
……
わし様の海より深く山より高く大地より広大な心に感謝しろよ」
猫の額より狭い心のくせに。言いかけて、やめた。そんなことを言いたいわけではない。
「お前がどこに隠れてたって、必ず引きずり出す。太陽の下に」
ドゥリーヨダナは答えなかった。ただ眉を跳ね上げ目を眇め、口の端を持ち上げて、ビーマの顔を見ていた。
目を瞑る。夢の中だからか相手の体温も匂いも曖昧で、なのに首筋を焼く太陽の熱だけは強く感じた。
意識が夢から現実に浮上する中で、雨音が遠ざかる音を、聞いた気がした。
天気予報を確認し、ビーマはため息をついた。今日も晴れ、明日も晴れ、明後日も晴れ。一週間の天気予報は全部晴れ。
梅雨は去り、本格的な夏が来た。毎日茹だるような暑さが続き、熱中症に気を付けるようにと、ニュースキャスターが注意喚起を促している。
ドゥリーヨダナとは、随分長いこと会えていなかった。連絡先はおろか、どこに住んでいるのかも知らない男だ。出会うきっかけ
――
雨
――
がなければ、再会の手段は限られている。
根気強く探す、それしかなかった。
夏休みで学校が休みなのをいいことに、ビーマはドゥリーヨダナと何度も会った駅に降り立った。ドゥリーヨダナは散歩を日課にしていると言っていた。どのくらいの距離を歩いているのか知らないが、この駅付近が散歩コースに含まれていると考えていいだろう。思いながら、地上に上がる。
ギラギラと照りつく太陽が、アスファルトをじりじりと焼く。鉄板の上に並べられた肉の気分になりながら、できるだけ日陰を通って歩いた。いつの間にか繁華街を抜け、大きな団地に足を踏み入れている。
夏休みだからだろう、自転車に乗った子供たちが脇を通りすぎる。なんとなしに目をやって、足を止める。
奥の木陰のベンチに、ぐったりと横たわる影があった。足は大きくベンチからはみ出て、投げ出されている。
逸る気持ちのままに駆け足で近寄る。億劫そうにこちらを向いた目が開かれた。
「びーま
……
?」
起き上がった体がベンチから転がり落ちたのを見て、ビーマは慌てて駆け寄った。
「おい、大丈夫か!?」
「大丈夫じゃない
……
」
顔を赤くしてぐったりしている様子に、熱中症だろうと察したビーマが持っていたペットボトルを首筋に当ててやると、眉間の皺が少し消えた。しばらくそうしてから、ペットボトルの蓋を開けて口元に持っていってやる。
「ほら、飲め。まだ口つけてねえやつだから」
「ん
……
」
こくこくと嚥下する喉を見つめていると、無性に腹が減ったような心地になって、目を逸らす。
「ぷはっ。
……
もういい、いらん」
「ん、そうか」
半分ほど中身のなくなったペットボトルの蓋を閉める。途端に、何を話したらいいのかわからなくなってしまった。あれを聞こう、これを聞こうと、色々考えていたはずなのに。
目の前にいるのはドゥリーヨダナで、ドゥリーヨダナではない。きっとこのドゥリーヨダナの中に、探しているドゥリーヨダナがいるのだろうとは思うのだけど。
引きずり出してやる、そう決めたが、具体的な手段があるわけでもない。ひとまず、目の前の相手を落ち着くところに連れていってやらないとと思う。
「家、この辺なのか?」
尋ねると、「まあな」と渋い顔で返事が返ってきた。
「なら送ってやるよ」
「いらん」
「遠慮すんなって。おぶってやるよ」
「
……
わし様、送り狼に家を教える趣味はないぞ」
「俺はそんなんじゃ
………………
待て、お前、今なんて」
ビーマの知る限り、このドゥリーヨダナの一人称は「俺」だったはずだ。だが、確かに今、遠い昔、何千年も前、他の誰も使わなそうな、一度聞いたら忘れられないような一人称を、この男は口にした。
「お前、今まで隠して
……
いや、記憶が戻ったのか。記憶のあるお前が、俺にあんな顔を向けるわけないもんな」
あの屈託のない笑みが、自分に向けられることはもうないのだろう。そう思うと寂しいと同時に、どこかほっとするから不思議だった。
「なーに一人で勝手に納得しておる。だいたい、お前のせいだろうが」
「俺の?」
「ああん? お前がわし様の夢の中でしつこく追いかけてきたんだろうが。思い出せ思い出せって。お陰で俺はかつてを思い出して
……
」
ドゥリーヨダナの声がどんどん小さくなっていった。恐らく、ビーマの反応で自分が見たのはただの夢だと思い、さも大層なもののように語る自分が恥ずかしくなってきたのだろう。
「ええい、とにかくだ。何も生まれ変わってまで関わり合う必要もないだろう」
よろよろとドゥリーヨダナが立ち上がる。すぐにふらついた体を支えてやると、「お前なあ」と呆れた声が飛んできた。
「誰にでもそうなのか?」
「誰にでも? 何がだ」
「そう馴れ馴れしいのか、と聞いとる。やれ名前はなんだ、連絡先を教えろ、挙げ句の果てには晴れた日にどこか一緒に行きたい。てっきり俺に下心でもあるのかと思っとったぞ」
まあ、今となってはお前はわし様を見張りたいか何かなのだろうとわかるが。ぼやいた声を、ビーマはよく聞いてなかった。
「下心なら、いいのか」
「あ?」
「下心なら、お前に関わってもいいのか。お前は俺に下心があると思っていたくせに、一度も俺を拒絶しなかったじゃねえか」
雨の日に。顔を合わせる度に、額に汗をかきながら、けれどドゥリーヨダナは一度もビーマを拒絶しなかった。連絡先を教えてはくれず、雨の日に偶然会う以外の邂逅を、許してはくれなかったくせに。
「俺はその気はなかったが
……
ああ、それともお前が俺に、下心があったのか?」
熱中症とは違う原因でだろう、顔を赤くしたドゥリーヨダナの顔を覗き込む。その口が何か言いかけて、開きかけた。
ああ、きっとうるさく騒ぐぞ。思って、咄嗟に唇を重ねる。触れあうだけ、寄せただけのそれは、けれども心を浮き立たせた。
「な
――
」
絶句したドゥリーヨダナの髪を、風が揺らす。地下鉄の蛍光灯ではなく、日の光の下にある瞳は、まるで内側から輝くようだった。
「やっぱりお前は、雨より晴れの方が似合ってるぜ」
ビーマは笑った。この再会が吉と出るか凶と出るか、それはわからない。けれども長く続いた雨がようやく終わったような、随分久しぶりに外を出歩いたような、そんな感覚がある。
これから暑い日が続いて、雨を恋しく思うことがあったとしても。今感じているこの晴々しさは、確かなものだ。
よく晴れた、空の下で。ドゥリーヨダナが暑さに負けないくらいの大声で騒ぎ始めるまで、あと三秒。
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