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Ykanokawa
2024-05-25 15:54:23
6494文字
Public
クリテメ
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バゲットのサバランとメイプルラスク
※エピローグまでクリア推奨
※同棲を経て結婚したけど遠距離中のクリテメが料理を作って食べるだけの話
※テメノスさんの孤児時代を少し妄想
レシピを紹介する作品ではありません。料理して食べる2人を眺めるだけ。むしろレシピを守っていないので参考になりません。
バゲットの端に歯を立ててテメノスは眉をひそめた。
――
やってしまった。
暗澹たる思いを押し殺し、食べかけのバゲットを口から離す。そのまま野菜スープの中へと突っ込んだ。余りものの野菜を煮込んだだけだが、作って置いてよかったと思う。
端的に言う。バゲットが不味い。
いや、元から不味かったわけではないのだ。購入先は懇意にしているフレイムチャーチのパン屋なので、そうそう味が変わるわけがない。外側はぱりっと、中はふかふかとしながらも、噛むともっちりとした歯応えがある。小麦の香りだって申し分ない。トーストするだけでよい匂いが立ち昇る。
そのバゲットがぼそっとした舌触りに変わってしまっていた。せっかくの小麦の香りもどこかにとんでいる。考えられる原因はひとつだけ。
「
……
日が経ち過ぎたな」
パン屋に落ち度はなく、買ってから美味しく食せる期間を過ぎてしまった。単純にそういうことだ。
スープの水分を吸い込んでひたひたになったバゲットを齧る。食べられなくはない。ただ美味しいかと言われると、元の美味しさを知ってしまっている分、いまいちとしか感じられない。
「贅沢な舌になったものだ」
幸福なのか、弊害なのか。少々悩ましいところではある。
テメノスは孤児だ。パンの一切れどころか、飲み水さえ口にできない辛さを知っている。それでもテメノスは早々に聖火教の孤児院に保護された身だ。まだ幸運な方だったと言える。
孤児の飲むスープには具材なんて入っていない。肉などほしにくの欠片が入っているのは景気がいい時節だけ。普段は心ばかりの油脂を溶かし野菜くずを煮こんだ湯だ。パンだって白パンではなく黒パン。それもこのバゲットのようにぼそぼそとしていて、麦の匂いどころか酸い匂いがした。菓子やら肉やらにありつけたのは限られた祭日くらいだった。
寄付金の一部で減ることのない大人数の食事を用意するのだ。致し方ないことではある。教会の大人たちだって何も意地悪でそういった食事を作っているわけではない。今は物流がよくなって随分と改善された方だ。小麦の白パンの味を知らない子どもはもう孤児院にはいない。
閑話休題。目下の問題はこのぼそぼそのバゲットをどうするか、だった。まだ炊事場のストックの中に三分の一ほど余らせてしまっている。
「前まではこんなことはなかったのに」
何も生まれないぼやきが漏れてしまう。対面の空いた椅子を睨みつけ、詮無いことを吐いてしまう。
「まったく、君のせいですよ」
当人に聞こえるはずはないけれど、どうしても言わずにはいられなかったのだ。
一人分の買い物の量を思い出すのにどれほどかかったか。朝に作り過ぎてしまうスープは三食、同じものを食べている。総菜の場合は裾分けのお返しにした。パンなら毎日食べるものだから、と油断していたようだ。全部、不在中の食べ盛りの子羊が悪い。
「ふむ。どうしたものかな」
パン粉にしておく。否、ひとりなのに揚げ物に労力を捧げる気はない。パン粉焼きというのもあるが消費量が限られる。それに今は食材を余らせておきたくない。
パン粥。なくなるまで、というのはさすがに飽きがくる。フレンチトーストも同じような末路が見える。
パンプディング。教会に集う子どもたちへ振る舞うこともあるが、全員にとなると量が中途半端だ。
「ふぅむ」
スープに浸したパンの最後の一欠けらを腹に収める。そのままスープも飲み干してしまう。パンとスープだけのブランチだ。
ここに彼がいたら怒るのだろうな。もっと食べるものを食べてください。そうしてテメノスを叱るのだろう。ちゃんとスープにベーコンは入れましたよ。脳裏で言い訳を呟いてみるものの、想像の中の子羊は、そういうことじゃないです、と納得してくれそうにない。
仕方ないですね、代わりにおやつはいいものを食べますよ。
「おやつ
……
」
返しただろうなという言葉を空想し、はた、と思いつく。最適な菓子があることを思い出したのだ。クリックの目の前で作ったら、その作り方に顔をしかめられるかもしれないが。
「
……
眠れない夜に深酒するより断然マシです」
つい零してしまった独り言はまったく独り言になっていなかった。
ラム酒、生クリーム、作り置きしていた林檎のコンポート、メイプルシロップとバター。そしてバゲットの余り。気合を入れて炊事場に立つのは久しぶりだ。ひとりきりではどうしても楽に流されてしまうし、なんだかこの場所がやたらと広いように感じてしまうのだ。物理的な面積は変わるはずがないのだけれど。
「この気温だと生クリームは冷やした方がいいな」
並べた調理器具の隣に冷却用の精霊石の欠片を準備しておく。
残っていたバゲットを手に取る。こうして検めてみると確かに中まで硬くなっている。パン屋の店主へ申し訳なさが込み上げた。テメノスの中に食材を無駄にするという選択肢はない。なんとしても美味しく戴かなくては。
「さて」
バゲットをカッティングボードに固定し、ブレッドナイフを握る。五センチほどの厚さに一切れ、残りは薄く五ミリ程度の幅にカットした。普段はミルクやワインを温めるために使っている小鍋へ浅く水を汲み、やや多めにメイプルシロップと適量のラム酒を注ぐ。重たいメイプルシロップと水が層を作っている。
釜戸の火を入れる。ついでなので火の傍に耐熱皿へ移したバターを置いた。
火に小鍋を翳し、木べらで掻き混ぜながらメイプルシロップと水を合わせていく。飴色のシロップが出来上がり、沸騰する直前に火から下ろす。五センチ幅に厚く切ったバゲットをシロップへ沈め、蓋をして炊事場の涼しい場所へ。ついでに冷却用の精霊石のひとつに魔力を通して脇に置いた。冷えていく過程でシロップが染みてくれればそれでいい。
次は薄く切ったバゲットだ。オーブンから天板を取り出し、火を入れて予熱をしておく。先に火で炙って水分を飛ばすレシピもあるが、既にパサついているのだから必要ないだろう。
耐熱皿の中のバターはいい具合に柔らかく融けかけていた。こちらにもメイプルシロップを惜しみなく垂らし、バターナイフを使って練るように混ぜ込んでいく。カロリーが気になるところだが、下手にケチると美味しくなくなる。加えて菓子にとって糖類は保存に欠かせないものだ。
――
それに、甘いものが好きですからね。彼は。
薄切りのバゲットにひとつひとつにたっぷりとメイプルバターを塗り込み、天板の上へ重ならないよう丁寧に並べていく。最後の一枚に塗り終えた辺りで、ちょうどオーブンが温まった。上のバゲットが揺れないようにそっと天板を差し込んで扉を閉める。
「暑い
……
」
少し火を使っただけなのにやけに暑く感じる。冬は寒く、夏は暑いのが炊事場というものだが、今は春先だ。こんなに暑かっただろうか。炭酸水を摘まみ上げて、これだけではなんだな、と食材の棚に目を走らせる。中身の減っていないジャムの瓶を見つけた。酸味の少ない、彼が好んでいたものだと気づいてしまって気分が落ちる。
――
本当に何から何まで君のせいだ。
その瓶を取り上げて少量の湯で溶かし、即席のソーダ水にしてしまう。炊事場の窓を解放し、窓枠に頬杖をついたままグラスを傾ける。甘い。甘すぎる。
「
……
子供舌」
届くはずのない悪態を吐いてみる。声は返って来ないけれど、まだ涼しい風がテメノスの前髪を梳いていった。先日、届いたばかりの白い封筒に銀の装飾が施された手紙の中身を思い出す。
『正直、元気とは言えなかったです。でも、あなたの手紙で元気になりました。』
そうですか。それはよかった。大分、恥を忍んで書いたんですからね。効果があって安心しました。
『元気にしておられますか。僕だってあなたが心配なんです。ご自分のことも書いてください。』
元気にしているわけがないじゃないですか。君がいないのに。これでも大人なもんで顔に出さない努力をしているんです。
『僕がいないからと、無茶なことはされていませんよね。』
無茶ってなんですか。でも、君に言われた通り屋外で考え事は控えてますよ。寝酒も程々にしています。ちょっとは褒めてください。
『ちゃんと三食、食べていらっしゃるか不安です。』
「
……
ああ」
すとん、と腑に落ちるものがあった。
食べている。よほどの事態がなければ、三食は欠かさず食べるようにはしていた。心配をかけないため、というよりは、説教できる資格を失うのが嫌、という我ながら捻くれた感情からだが、とにかくそのようにはしていた。
でも量は、と訊かれると答え難いものがある。
やたらと暑く感じたのは久しくオーブンを使っていなかったからだ。だって、君がいないんじゃ凝った料理なんて作る気がしない。
バゲットが余ってしまったのは買い過ぎというだけでなく、いつもより食べる量が減っていたからだ。ひとりきりではわざわざパンを調理したり弁当を作ったりすることもない。外食で済ませる機会だって増えていた。
「フフ」
甘すぎるソーダ水を口に含み、自嘲を零す。
「君に説教する資格なんて、とっくになかったですね」
本当のことを言ったなら、君はきちんと私のことを叱ってくれるのかな。会えたら説教をするつもりだったけれど、それも悪くはないかもしれない。
「
……
なんてね」
まだまだ涼しい一陣の春風がさらさらとテメノスの髪を撫でていく。山の上から流れてくる風だ。山向こうにも同じ風が吹いているだろうか。彼が触れた風がここまで届けばいいのに。あの大きく優しい手のひらが触れてくれているかのようで。
叱って、叱られて、そうしたらほんの少しだけ、甘えてみても罰は当たらないだろうか。
ボウルの中で泡立った生クリームがツノを立てるのを見て、テメノスはふう、と一息を吐く。大した量はないはずなのだが、やはり菓子というのは簡単なものでも手間と労力が要る。
「帰って来たら存分に甘えさせてもらいますからね」
ここにはいない子羊に小さく舌を出す。何を作ってもらおうかな。あれこれ要望を考えながら、バゲットとシロップが入った小鍋を覗く。程よく冷えたシロップを吸って、しっとりとしたバゲットが鎮座していた。ラム酒とメイプルの香りが鼻腔をくすぐる。
余計なシロップを切り、ケーキ皿へとバゲットを乗せる。泡立てた生クリームをスプーンで掬い上げ、バゲットの上に乗せる。見栄えよく飾り付けるのながら絞り袋に入れてデコレーションするべきだが、そこまで気合を入れる必要もないだろう。クリームの上に林檎のコンポートを並べる。きちんとくし切りにしてから作ったのでそこそこ形にはなっているのではないだろうか。
「ふむ
……
」
オーブンから取り出した天板に目を遣る。粗熱を取っている最中のメイプルラスクが並んでいた。
「
……
味見は大事です」
誰に弁明するわけでもなく口にして、一枚だけ拾い上げ、ケーキ皿の隅に飾った。
真っ白いクリームに紅色の林檎、そしてほのかにメイプルの色に染まったサバラン。染み込んだラム酒が甘く香っている。添えられたメイプルラスクが芳ばしい。
しっかりと茶葉が開くまで蒸らした紅茶の赤が美しい。ポットからティーカップに落ちるまでのその香り高さに、ここしばらくおざなりに淹れてしまっていたと自覚する。茶葉を育てるのも作るのもタダではないし、人の手が掛かっている。これは反省すべき点だ。
ここ最近はブランチも間食も片手間で済ませていた。きっちりと整えられたアフタヌーンの席に着くと、自然とふっと肩から力が抜けた。そうだ。本来、ティータイムというものはこういうものだった。煩わしい仕事も忙しない予定も忘れて一刻を楽しむ。そういうものだった。
「
……
君がいた間はそうしていたはずなのにね」
互いに忙しい身だった。その中で何とか余暇を作ってふたりの時間を持とうとしていた。そのひとつがティータイムだったので、あの子羊は随分、紅茶を淹れるのが上手くなったものだ。
「今度、君とお茶を飲むときは淹れてもらおうかな。それとも私が淹れてあげるべきなのか
……
?」
もしくは一杯目と二杯目で分け合おうか。心と一緒に胃袋も軽くなる。
簡単に食前の祈りを捧げると、テメノスはフォークを手に取った。クリームを一掬い。サバランを軽く押してみると、じゅわりとシロップが染み出した。まずは一口、クリームとサバランのみで味わってみる。
「ん
……
!」
ブリオッシュのような食感になったバゲットから、濃厚なラム酒のシロップが溢れ出す。じゅんわりとした力強い甘さと、砂糖を控えめにしたクリームが合わさって舌の上で蕩ける。余りもので拵えたとは思えないほど高級感のある甘味が疲労した身体に沁み渡る。
そこへストレートの紅茶を啜る。ラム酒の匂いと紅茶の香りが同時に口腔を満たし、鼻に抜けていく。
二口目は林檎のコンポートと共に。瑞々しさを残す果実のさっぱりとした甘さと酸味が、後味を引き締めてまた風味の違う味わいが生まれる。
紅茶の香りを楽しみながら一口、もう一口、とフォークを動かす。
合間にメイプルラスクを齧ってみる。まだほんのりと熱が残っていて、蜜とバターが固まり切っていないラスクはさくさくとしたトーストのようで食べやすい。口に入れた瞬間は焦がしたメイプルシロップの甘味が味蕾を包み、有塩バターのコクと塩味がくどさを消してくれている。
「うん、これはまあまあ」
よく出来なのではないだろうか。自賛しつつサバランの最後の一口を腹に収め、カップの中の紅茶を飲み干す。幸福な満腹感なんて、いつぶりだっただろう。心持ちひとつで食べ物の味も胃袋の加減もここまで違うものだとは驚きだ。
――
なんとしても子羊くんにはティータイムの時間を設けてもらわねば。
ティーセットとケーキ皿はとりあえずそのままにして、炊事場へ向かう。天板の上のラスクは、ちょうど冷めているようだった。表面も乾いている。問題ないことを確認すると、用意していた包装の袋にラスクを詰めていく。すべて詰め終わると中の空気を抜いてラッピング用のタイを硬く結ぶ。
紙袋に入れてしまえば、商店で売られている手作り菓子のように見えなくもない。
――
道中で買ってきました、とでも言えばいいですよね。
君とティータイムを過ごしたくて。なんて、本音を本人の前で口にするのは、さすがに憚られるので。これなら、まあ、何とか誤魔化されてくれるのではあるまいか。
「明後日までの辛抱か」
明後日まで。その勤めが終われば長めの休みが手に入る。その頃にはストームヘイルにも遅い春が訪れていることだろう。なるたけ食材は空にしておかないと。あちらに行ったら何をしようか。雪ばかりのストームヘイルとて、短い春はある。確かアーモンドの花が咲く場所があったはずだから、花見と洒落込むのもいいかもしれない。
「その前に労わって
……
そうだな」
労わって。たまには、時折は、ときどきは。仕方がないことないので。
「
……
褒めてあげるのも、いいか」
ラスクが割れてしまわないよう、緩衝材を詰め込みながら思う。菓子だってまだまだ嗜好品で贅沢品だ。いつかこの味が子どもたちにとって当たり前の味になって欲しいと願う。そして大人にとっては、愛する人との一時を過ごす糧になればいい。
贅沢な舌どころか、なんとも贅沢な時間を所望する身になってしまった。
幸福か、弊害か。少々悩ましいところはあるけれど。
「
……
まあ。幸福、ということにしておきましょう」
そっと貴重品のようにラスクを置く。その唇に自然と柔らかな微笑が浮かんでいることは、如何な異端審問官でも気づかないままだった。
ちなみに。
既製品を装ったメイプルラスクを一口食べた子羊に抱擁される未来を、テメノスはまだ知らない。
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