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西尾六朗
2024-05-23 22:49:29
3374文字
Public
Beyond The 10 Stars
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蜂蜜と紫煙
【The road to 10 stars】の後、カルデアのイドぐだ♀の日常。
煙草じゃなくて他のものに火を点けちゃったただのいちゃつき話、壁ドンを添えて。
マスターのマイルームは喫煙禁止。
フィニスでもノウムでもそう定められていたが、時を重ねる毎に曖昧になり、ストーム・ボーダーにあっては最早あってないようなものだ。天井が白く霞むほどになればマスターも咳払いで促すものの、普段は全く咎めない。
それは煙草の為に喫煙室へ行く、すなわち共犯者が別行動をすることを以前よりも避けたいという、そんな健気さからの行動も含まれているのだ
――
と、巌窟王も知っていた。
それをいいことに今宵も葉巻を楽しもうと、唇に挟んだその瞬間。
「ヘイ、マイ共犯者。火をどうぞ」
ふざけた口調と共に、シュ、とライターが擦れる音。目の前に炎が差し出された。
差し出した本人はそれこそ炎のような橙の髪を揺らし、にっと歯を見せて笑って見せる。リツカ、と呟くように呼ぶと、彼女はますます笑みを深くした。
「せっかく預かってるライターだからね、有効活用したい」
「ああ
――
」
助かる、と、巌窟王は薄く目を伏せ、その火に先端を近づけ
――
「
……
やめておこう」
ふい、と、顔を背けた。
「え、何で!? 何かお作法に間違いが!?」
両手でライターを支えていたマスターが目を見開く。動揺で揺れた火が指を焦がす前に、巌窟王は素早く蓋を閉じた。キインと高い音がして、オイルの炎が途切れる。音色の余韻が消え去るまでマスターは理解不能の表情を浮かべ続け、それから少しばかり批難する、もの言いたげな視線を向けて来た。
「どうしてよ。前に言ってたじゃん、共犯者の火は特別だって。これで吸う煙草が一番美味しいんだって」
「見事な記憶力だ。礼装に忘却補正の付与でも?」
「茶化さないで。なんで?」
余程納得がいかないのだろう、立ったままの巌窟王に、マスターはぐいぐいと距離を詰めてくる。勢いに逆らわず下がってみると、壁際に追い詰められた。全く圧迫感のない、所謂壁ドンというものだ。
不機嫌そうな顔を目にするとつい口角が持ち上がるのは、混沌にして悪であるが故か。いいや違う、単に愛らしいからにやつくだけだ、と、即座に弾き出す自己判断が我ながら惚けていて呆れた。
だが、この在り方もまた、彼女が求め、自らが受け入れたもの。
であれば反省の必要もない。そういった逡巡はとっくに卒業した。愛しい共犯者に詰め寄られた巌窟王は、手にした葉巻を軽く振った。
「おまえの所作に問題などありはしない。私が自身に強いているだけだ」
「強いてるって、何を」
「清貧
――
いや、節制だな。贅沢という肉を精神につけぬように」
「ぜいたく
……
?」
マスターの頭の上に、巨大な【?】のマークが浮かび上がる幻覚が見える。
そのマークを煙で払ってやろう。巌窟王は思い、マスターの手の中で温められていたライターを奪い取った。自ら火を点け、火を灯す。慣れた味を舌で練ってから、肺へ。残りを紫煙としてふうと吐き出す。
「一人で喫煙も侭成らぬ身になってしまう、ということだ」
「
……
」
三秒沈黙。それから、あ、と、納得の声。
マスターの目が嬉しみと、それが勘違いでないと良いという期待と不安が混ざった蜜色に潤んだ。大層魅力的な色彩だ。飴玉ならばさぞかし甘いのだろう。巌窟王は目を細め、その表情の変化を楽しむ。
全く、ただ眺めているだけで、葉巻の味わいが幾らか深まるのだから恐ろしい。
手ずから着火した物足りなさが、愛しさで上塗りされる。甘く感じるのもさもありなん、ということだった。
「わたしの火で吸う煙草が美味しすぎて、ほかが美味しくなくなっちゃうから、慣れないようにしてるってこと
……
?」
「濁した内容をわざわざ翻訳するな」
「巌窟王語一級の自信はあるけど、いちおう答え合わせしたいじゃん。で」
そんなに美味しいんだ
――
と、マスターはにんまり笑った。
「癖になっちゃうくらい? ね、今吸ってるのもほんとはあんまり美味しくないの?」
一変したご機嫌具合だった。壁際に追い詰めた巌窟王の目の前で左右に揺れながら、満面笑顔のマスターは矢継ぎ早に問うてくる。どんな風に違うのか、中毒性があるのか、自制しないとやばいくらいなのか。それはもう嬉しそうに質問を打ち込んでくる。
その様子が肴になっていることに、マスターは気づいていない。
揺れる頭にぶつからないように、ゆるく吸って呑んで吹く。長い葉巻が半分になるまで味わってから、巌窟王は残りをぽいと捨てた。灰同様、床に落ちる前に紫の炎が後片付けをし、消し炭の一つすら残らない。
「ねえねえ黙ってないでさあ! あ、照れてる? ひょっとしてお照れになっていらっしゃる!?」
これは少々いい気になっている時の声である。
であれば軌道修正が必要だった。巌窟王は、そうさな、と呟いてから、軽く一歩を踏み出した。自然、マスターも一歩下がることになる。
「ならば答えよう。先ほどの味わいは、なるほど確かに味気ない。不味いとは言わぬが、そこそこ、という奴だ」
「うんうん?」
「それと、どう違うのかだったか? おまえの火で味わう紫煙は甘く深く、肺に染み込み広がる禁断の毒そのものだ。薬物に耐性のあるこの身であっても酩酊を誘う、希少なる蜂蜜酒の味わいだ」
「な、なるほど?」
ずんずん、ずん、と。
徐々に踏み込む速度を速めながら巌窟王は答えていく。このように自ら距離を詰めるとは、近づくなと再三繰り返した日々が嘘のようだ。
「ちょ、っと待って、なんか変な雰囲気」
歩を重ねる程にマスターは後ずさる。表情は笑顔のままだが、頬にわずかな狼狽が浮かび上がっていた。目が泳ぎ出す。しまったと思っている時の顔だ。だが、遅い。
とん、と、反対側の壁に行きついた時。
巌窟王の長い影が、マスターの身体にすっぽりと覆い被さっていた。
「最後に、羞恥はあるか、だが」
「あ、もういい、わかった
……
」
「答えは必要ないか。ああ、そうだろうな。羞恥を覚えているのはおまえの方だ」
義手をマスターの腰横に。右手は肩の脇に。
そうしてしまえば逃げられない。調子に乗ったマスターを腕の檻に捉えた巌窟王は、にんまりと笑って見せた。
大きく口を開き、尖らせた舌を
――
たっぷりと煙が染み込んだ苦い舌を、見せつける。
「味が知りたいのなら後味をくれやるが
――
」
声は恣意的に甘く。掠れ、滴る程の余韻と、官能を一匙。
ほとんど吐息になった囁きを、赤い耳に、囁きかける。
「何処に欲しい、リツカ?」
「ちょうしにのってすんませんでしたぁ
……
」
音でいうならへなへなと、マスターは崩れ落ちた。
愛らしい旋毛を眺めて、巌窟王はふ、と息を吐く。つくづく懲りない、と正直思った。こういった会話で一時的に優位に立ったマスターが、そのまま巌窟王を言い負かせた試しがない。
彼女は何かにつけて、共犯者の羞恥した顔やばつの悪い顔を見たがる。だが、マスターが直球な言葉や表現に弱いと巌窟王は知っている。こうして反撃を行えば、秒で逆転するというのがお決まりのパターンだった。
そうして茶番を繰り返し笑いあっていたことを、我が事と同じ重さで、モンテ・クリストは知っている。
同じように詰めてやれば、結果は此れこの通り、であった。
「えっちな顔も声もずるい
……
」
ぜんぜんその気じゃなかったのに。
弱り切った声で、小さく呟くマスターである。両手で顔を覆い、指の隙間から潤んだ瞳で見上げる極上の表情。それこそ狡い、魅力的な視線だった。
巌窟王は取り出しかけた二本目を、やや乱暴に懐に押し込んだ。今紫煙は必要ない。こうなるともう、煙よりも他が欲しくなる。
「理解したのなら、過剰なサァビスはやめておけ。点けるのであれば日に一度だ」
「いちど? いつ?」
「おまえを堪能した、その後に」
事後の紫煙が最も味わい深い。追加でそう囁くと、マスターは奇声を発してすねを叩いた。
クハハ、と笑い、巌窟王は踵を返す。向かう先は一つきりだ。自らの増長で葉巻ではなく官能に火をつけてしまった共犯者ならば、きっと応じるであろう場所。
狭い寝台の真ん中に腰かけ、軽く手を開く。
誘いの言葉は必要ない。再びの奇声の後、マスターは怒り半分で、腕の中に飛び込んできたのだった。
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