西尾六朗
2024-05-23 22:45:33
2593文字
Public Beyond The 10 Stars
 

たとえばの話

【The road to 10 stars】の後、カルデアのイドぐだ♀の日常。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=21960393
↑これのpixiv再録時の書下ろし。イドの話とファリア神父の話。

「なんでお父さんだったの?」
 と、問われた時、巌窟王の手はミルのハンドルを握ったまま停止した。
 マイルームにて、キーボードに向かって二時間ほど立ち上がらないマスターの疲労を考え、やや甘めの珈琲など用意しようとしていた時のことである。
 彼女の視線は入力画面から離れない。横顔は真面目なまま、自らが打ち込んだ文字列を静かな目で見つめていた。
「あ、ごめん。いきなりすぎた。今レポート書いてるんだけども。疑似東京の」
「ああ――
 巌窟王は視線を逸らす。
 人類最後のマスターの仕事とはいえ、酷なものだ。あの経験すら自らが客観視し、また主観をも添えた上で提出しなければならない。マスターの中でだけ繰り広げられた事象はモニタリング出来ないのだから仕方がない。カルデアには包み隠さず報告する義務がある。
 しかし、事の発端である巌窟王が同席しているこの時では、あまりにも――
「責めるつもりはないからね?」
 先を、越された。
 動きを止めた巌窟王に、マスターは振り返った。眉間にしわを寄せ、苦笑いを浮かべて。
「あのことは一切キミに言及しない。やった理由も、覚悟も分かってるから。だからって許せるかって言われたら難しいよね。だから、言わない。キミもそこは話さないで」
……分かった。従おう」
 頷いて、巌窟王は、ミルを回転させる作業を再開した。
 どの道語るつもりもない。他でもない巌窟王その人が、疑似的とはいえマスターの母と妹と大切な後輩を殺した本人だ。何を言っても殺人者の弁明に過ぎない。罪を犯した者の言い分ほど、不愉快なものはないと復讐者は知っている。
 だが、マスターは過去を問わず、前を向いて進むことを決めた。
 だからこそ眩き星と呼ぶに足る。そう感じ入ると、自然と眉間も緩んだ。豆を挽き過ぎたと気が付いた時には、マスターは完全に椅子を逆回転させ、巌窟王の手元を覗き込んでいた。
「お、いい匂い。……んで、レポート書いてて。なんでキミは父親の立場を選んだのかなってね。
 ひょっとしてわたしのこと、子どもみたいに思ってた部分があった?」
「馬鹿な。子に執着し欲情する父など世界で最も唾棄すべき存在だ」
「だよねえ。だからさ、なんで?」
「導く者であるが故に」
 電子ケトルの口から細い煙が上り出す。
 中細挽きになってしまった豆をネルドリップからペーパードリップに切り替え、ぽつり、湯を垂らして巌窟王は答えた。
「『オレ』はかつて監獄塔で、かのファリア神父と同じく死をもっておまえを脱獄に至らせた。で、あれば。疑似東京でもまた同様だろうさ。あの方は私にとって第二の父なれば」
「つまりファリア神父さんに倣ってお父さんポジにした?」
「それだけでもないが、それでいい」
「なるほどね。わたし的には、キミはお父さんに挨拶しに来る立場なんだけど」
 娘さんを下さい! 的な。
 そう、マスターは歯を見せて笑って見せた。場を暗くしないための笑顔であることは一目瞭然だったが、本音であることも窺える表情だった。
「でも、そうか。ファリア神父さんね。きっと、すごく良い人だったんだろうね」
「ああ。この世の善なる全てを内包せし方だ。潔白にして誠実、そして慈愛に満ち溢れた、真に聖なる偉人でいらした。正に、主の右隣に座すに相応しい御方だ」
……神父さんのことになるとちょっと饒舌になるよね」
 湯気の向こうでマスターがますます笑う。
「前は遠慮して聞けなかったけど、今なら図々しく質問しても消えたりしない?」
「淹れ終わるまではな」
「濃くなっていいからもうちょっといてよ。――会ってみたかったな。キミがそんなに手放しで褒める人、他にいないもん」
 などと、無邪気にマスターは言った。
「紹介して欲しいなー。あ、その場合わたしが、息子さんを下さい! って言う立場?」
 マスターの楽しげな声と、珈琲のほろ苦い香り。
 二つが混ざり合った柔らかな空気は、巌窟王の欠け身にさえも疼痛を感じさせた。
 同時に、エドモン、と、しわがれた穏やかな声で呼ばれた記憶が、鮮やかによみがえる。
(ファリア神父――
 無知なる若者に知識を与え、智慧という光を与えた老人。
 光は輝きと共に影を生み、復讐の種を芽吹かせる最初の水でもあった。決別の後、長い間、彼を思い、胸を掻き毟った夜もあった。彼のための復讐もまた、巌窟王には必要だった。
 忘却を許されない脳髄は、別れと死と恩讐を、昨日のことのように思い出させる。
(若し、全て)
 瞑目のまま、思う。
 何もかもが都合よく、あり得ない奇跡が起こったとして――もし、マスターが。
 否、マスターですらないただの藤丸立香という一人が、かの神父と出会うようなことがあったとしたら。
 穏やかな陽だまりで、憂いない世界でもって二人を引き合わせることができたなら、それは何物にも代えがたい一枚の絵画のようであっただろう。
 父と慕った神父が、橙の髪の少女を優しく迎える。
 その深い知識を語って聞かせ、彼女もまた、かつての自分と同じように、胸に光を宿す。
(ああ、それは)
 なんという、美しく尊い光景だろうか。
 巌窟王は目を開く。細めた視線を、マスターに向ける。
……そうだな、もし会う事が出来たのならば、師は」
 遠い空想は消え失せ、たしかな実像を持った彼女が興味深そうにこちらを見ていた。ん? と首を傾げる頭の横に、シュシュの結び目は無い。
 随分と大人びた輪郭線は、既に少女とは呼べない成熟の断片を覗かせつつあった。
 今この時を以て、改めて実感する。
 確かに、彼女は庇護すべき子ではなかった。
 そして、巌窟王もまた、父ではない。
 互いの呼び名は、関係性は、とうに決まっている――
――きっと、我が共犯者を心から、祝福して下さる事だろう」
 かつん、と、硬い音を響かせて、コーヒーカップの底がソーサーを擦った。
 完成したコーヒーを、巌窟王は静かに差し出す。らしくない笑みを浮かべている自覚があった。そしてその表情を、驚いた顔で見ている彼女からも察した。
 だが、こればかりは仕方がない。
 叶わない夢を見る者は誰であれ、こうして疼痛と共に、薄く笑うものだろう。
「目と手を休めるがいい。我が父であったなら、きっとそう仰るだろうさ」