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Ykanokawa
2024-05-22 18:48:58
8474文字
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クリテメ
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丸ごと玉ねぎのバター焼き
※エピローグまでクリア推奨
※同棲を経て結婚したけど遠距離中のクリテメが料理を作って食べるだけの話
※結婚後の姓がウェルズリーの世界線
レシピを紹介する作品ではありません。料理して食べる2人を眺めるだけ。むしろレシピを守っていないので参考になりません。
「クリック君」
温い水底に沈んでいた意識が緩やかに浮上する。腕の中から聞こえる甘いテノールが、クリックの耳殻を撫で鼓膜を軽やかに震わせる。返事をしようと思うがどうにも頭も瞼も重い。かろうじて零せたのは舌足らずな呻き声だけ。
「クリック君」
低めの体温をした指先が頬に触れる。頬にかかった髪を掬い、払ってくれる。くすぐったい。けれどそのまま触れていてほしい。
言わんとしていることは察せる。目を覚ませ、起きろ。そう声は言っている。でも、この微睡みが幸福すぎるのだ。あたたかいし、気持ちがいい。何よりあなたがいる。あと少し。もう少しだけ。聞こえないフリでこの一時を甘受できないか。そう小賢しく思考する。
ああ、でもあの美しい翡翠色の瞳は見たい。夜の薄闇で潤むそれもそれはそれは魅力的なのだけれど、朝の光を浴びた彼の翠の瞳は、またとびきり綺麗なのだ。まるで麗しい花弁から滴った朝露のようで。
目を瞑ったまま顔が見られたらいいのに。そんなことを考えてしまうあたり、まだ寝惚けていることを自覚する。
「クリック君」
「ん
……
ぅ」
抱擁する力を強め、動物みたいに頬を擦り合わせる。柔らかい。甘い匂いがする。
やっぱり、このまま、もうちょっと。誘惑には抗えない。そう屈しかけたとき。
「遅刻しちゃいますよ、子羊くん」
――
ちこく。
ちこく。ちこく。ちこく
……
遅刻。
「しま
……
っ!!」
急激に血の気が引いて、ぬるま湯に浸かっていた脳が覚醒した。
クリックは寒々しいひとりきりのベッドの上で跳ね起きた。
暖炉の消えた室内は冷え切っている。なのに、背中には脂汗が滲んでいた。カーテン越しの朝日を確かめ、明るさに青褪めて、急いで毛布を蹴りかけて。
「あ
……
」
ようやっと、今日が久しぶりの全休だったと気がついた。
強張った身体から力が抜ける。ぐんにゃりと脱力した身体をベッドの上に投げ出す。身体が怠い。重い。起き抜けに動いたせいか、それとも昨晩の酒が抜けていないのか。こめかみの辺りに疼くような痛みがあった。
「あー
……
うぅ
……
」
遅れて胸に去来した羞恥と寂寞に耐えかねて、頭まで毛布を被り直した。毛布の中には当然ながらクリックひとりきりだ。平熱は高い方なので、ベッド自体はまだ温かい。それでも、なんとなく寒い。そう感じてしまう原因なんてひとつしかない。
「テメノスさん
……
」
恋しさだけが募って、空っぽの胸を掻き抱くように蹲った。頭の片隅にいた客観的な自分が、情けない、と檄をとばしてくる。が、今はその檄を迎え撃てそうになかった。これは甘えだ。間違いなく甘えで、奮い立てないクリックが悪いのだが、ここは誰が見ているわけでもないひとりきりの宿舎の一室である。夢が醒めてしまった朝の一時くらいは許されたい。
だって、ほんのひと月前まで愛しい人と同じ屋根の下で暮らしていたのだ。
フレイムチャーチを離れ、ストームヘイルにある上級聖堂騎士の昇格研修のための宿舎に移り住んで、早一ヶ月が過ぎていた。
部屋は新人に宛がわれていた一般宿舎よりやや広い。備え付けの家具も割と上等で丈夫なものだ。
一般宿舎のベッドはスプリングなどないに等しかったが、ここのベッドはちゃんと反動が返ってくる。学習用のデスクもあるし、クロゼットやキッチンも完備されていた。
とはいえ、この空間に馴染んだかと問われたら首を傾げるしかない。何せ、クリックがここにいる理由は研修である。
早朝訓練は当たり前にあるし、終われば座学、昼食をとった後は通常通り騎士の仕事
――
物見、警邏、聞き込みや雑用に従事する。日によっては上級聖堂騎士が遂行中の任務に同行を命じられる。そのまま一日が終わることもあるし、そうでない場合は聖堂機関がパイプを望む他組織や団体との会合に動員されることもある。門を同じくする聖火教会であったり、本部近くに拠点を構えるク国の重鎮メイ家であったり。いろいろだ。
そうでなくとも上司にあたる騎士に酒場へ連れ出されることも多々あった。これがまあ、断りにくい。
研修生が帰る部屋には家族も恋人もいない。そういう風に決められている。だから気軽に誘われるし、その誘いを断る理由も作れない。それに研修を終えて上級聖堂騎士となれば共に同じ目線で働くことになるのだ。同席するのが吉だというのは自明の理だった。
あらゆる事項が重なって、この部屋にはほぼ寝に帰るだけの日々が続いていた。
やらねばならないこととやった方がいいこと、そして馴れないことに追い立てられた一ヶ月。そこへふっと湧いた久しぶりの〝何もしなくていい日〟。得てして考えないようにしていた感情が、ぽろぽろと零れて弱音という形になってしまいそうで。
「
……
会いたいな」
ぎりぎり弱音にならないように一言だけ口にする。いや、これも弱音といえば弱音かもしれない。
あの人が、クリックの伴侶の彼が、ここにいたらどうしただろう。情けないですね。ほら、きりきり働きなさい。決めたのは君自身でしょう。そんなことを言うのだろうな。そんなことを言いながら、柔らかくクリックの髪を梳いてくれる。根は思いやりに溢れているくせ、気質は天邪鬼な人だから。
肺の中の息を吐き、〝何もしなくていい日〟とどう向き合うか考える。
このまま二度寝を決め込んでもいい。運が良ければ夢の続きが見られるかもしれない。でも、長いこと買い物にも行っていないし、ろくに掃除も洗濯もしていない。特別、綺麗好きというわけではないけれど、そんな一ヶ月だったものだから、そこそこ部屋は散らかっている。
脱いだ外套は椅子にかかったままだし、夜中に飲み干した水のグラスは洗っていない。窓を開けていないせいで室内の空気が籠っているような気がする。シーツだって一度も干していないから、そこはかとなくじっとりしていた。
――
駄目だなぁ、ひとりだと。
今さら愛する人と暮らすことの偉大さを思い知る。ついひと月前まではどれだけ疲労していても、家事を欠かすことはしなかった。同じように疲れていても家事を熟す恋人がいたし、本気で指一本動かしたくないときは互いに分担を請け負って支え合えていた。
何より、クリックがそうしたかったのだ。ふかふかのベッドで眠ってもらいたかったし、背筋を伸ばす姿を飾る外套に皺があることが許せなかった。小食気味な彼が頬を緩ませてクリックの手料理を味わう姿を見たかった。
今はそれがない。以前もなかったはずなのに、いつのまにかそういうふうになってしまった。
「
……
はあ」
何度目かの溜め息と同時に、腹がくう、と小さく鳴いた。
昨晩も例に漏れず、先輩にあたる上級聖堂騎士と宴席を囲んだ。宴席というのは酒が主役だ。小洒落た店の酒とつまみは美味かったが、いかんせん、腹にはたまらない。だから、当然の反応といえばそうなのだが。
「
……
食べたくない」
よもや、自分がそんなことを感じる日がくるとは。凄惨な現場を見ただとか、不道徳で残酷な事件に関わってしまっただとか。そういうことでもないのに、だ。
空腹感はあるのに食べたいという欲求が今ひとつ湧いて来ない。胃もたれではない。食傷気味、胃疲れ、というやつだろうか。望まない外食が続いたせいか、食べ物、と言われると飲食店のやや画一的な味が思い出され、口を噤んでしまう。
店の料理が不味いと言っているわけではない。本職の料理人が作ったつまみや料理だ。美味くないわけはない。しかし、酒場やレストランの料理はどうしたって万人受けするように味が付けられている。美味いは美味いが、なんとなく、胃が休まらないのだ。結果として、今、何かを食べる、咀嚼する、という行為を億劫に感じてしまっている。
――
そもそも何かあったっけ。
ろくに買い出しにも行けていないこの家に何があっただろうか。胸はしくしく、腹はくうくう。二度寝するにしてもどちらかは何とかするべきだろう。
疲労した身体を叱咤し、毛布を除け、ようやくクリックはのろのろとベッドを抜け出した。
「うーん
……
」
食材ストックの棚を覗き込み、クリックは唸り声を上げた。
いつしか余らせてしまった玉ねぎがひとつ、卵にバター。それから買い置きのバゲットが3分の1本ほど。
「駄目だな」
腹が膨れればいいのだからバゲットをトーストして食べるのが一番、楽だ。が、気分じゃない。かといって手間をかけて卵のスプレッドを作るような気力もない。
見つめていたって食材が増えるわけでもない。やっぱり現実から逃避して寝てしまおうか。そう思いかけた。そのときだった。
「
……
あ」
脳裏を掠める料理がひとつあった。いや、正確にはそれを見たとき、クリックは、それは料理と呼べるんですか、と問いた。問われた人は何も作りたくないときに最適なんです、と答えた。同時に食べ過ぎたときはこれくらいでちょうどいいのだ、とも。
料理と言えるかはさて置くとして、あのときに頂戴した一口はとても優しい味がしたことを憶えている。
「あれなら
……
」
今の疲れた胃でも食べられるかもしれない。作り方だってまったく難しいものじゃない。
余っていた玉ねぎとバターを手に取る。蓋つきの小さなスキレットを引っ張り出す。ひと月の間、ほぼ使っていなかったので軽く水で濯いだ。
玉ねぎの皮を剥き、根と先端を切り落とす。真上から深く十字に切り込みを入れ、その切り込みにふたかけ、バターを差し込んでしまう。スキレットの上に玉ねぎを乗せ、焦げ付かない程度に水を降る。
悩んだ末に控えめに乾燥ハーブを散らせた。バターで塩味は十分だろうし、濃い味付けには飽いてしまっているところなので。
スキレットに蓋をしてからオーブンを加熱していないことに気がついた。駄目だな。剣もそうだが、やっていなければ錆びついてしまうのは家事も同じらしい。急ぐようなものでもないのが救いだ。
薪に火をつけ、スキレットごとオーブンの中に入れてしまう。
外気温の低いストームヘイルでは温まるまで時間がかかる。中途半端に空いてしまった間を埋めるべく、ドアポストへ向かった。このところは親友に勧められて新聞をとっているのだ。
……
まあ、目を通せているかどうかは別として。
いつも通りに投げ込まれているタイムズ紙を引き抜いて。
「あ
……
」
ぽとり、と落ちた空色の封筒に目を見張った。封が解けているのは検閲が入ったからだろう。その検閲を潜り抜けてここにある。ということは。
それまでの緩慢な動きが嘘のように、機敏に封筒を拾い上げたクリックは、すぐさまダイニングへと戻った。新聞はテーブルの上へ放り投げ、両手で封筒を持ち上げて深呼吸する。
見馴れた流麗な筆致で『Crick Wellesley』と宛名書きがされていた。差出人なんて見なくたってわかる。だって、彼の字だ。家名なんて捨てたって構わなかったのに。あの人があまりにも美しく、愛しげに、さも大事なもののように書くものだから、結局、抱いたまま生きていくことになった。
暖炉の前で、そうっと封を開く。綺麗に折りたたまれた便箋が一枚。あの人が愛用している青いインクが透けている。この字を初めて見るのがクリックではないという事実が、わずかばかり業腹だ。それくらいには焦がれている。
仕事の書類より格段に注意深く、かつ慎重に、クリックは便箋を広げた。懐かしい、ほのかに甘い匂いが鼻先を掠めていった。
『親愛なるクリック・ウェルズリー殿
そちらでは変わらず雪が降っているのでしょうね。晴れろとは言いませんが、春なのだから若干でも寒さが和らいでいることを祈ります。
さて、どうしようかな。手紙の礼儀としては、お変わりありませんか、と書くところなのですが。
生憎、君にそう尋ねたところで、変わりありません、と答える姿しか浮かばないので省略します。疲れていようが、不運に見舞われていようが、嫌なことに巻き込まれていようが、ね。
代わりにこう書いておきます。顔が見えないのをいいことに変な隠し方はしないように。
馴れない生活に無理をしているんでしょうね。
君のことだから、しなくていいことも、やりたくないことも、頑張ってしまっているのでは?
でも、君は自分で決めたことだから、と精一杯に顔を上げたままなんでしょう。
……
あまり甘やかすようなことを書くと弾かれてしまうでしょうから、これ以上は書きませんけど。
私はね。つい、窓を開けてしまうんです。ほら、廊下の突き当りの北向きの窓。
北向きで陽の光が入るわけでもないし、吹いてくるのは冷たい風ばかりなのにね。どうにも、そちらの窓から何かが見えないか、聞こえないか、なんてことを考えてしまって。
君もたまには南向きの窓を開けてください。なんだか不公平なので。
何が見えるわけでもありませんけど、気分転換にはなります。本当は、何かが見えるか聞こえるかすればいいんですけど。
君は目も耳もいいから、もしかしたら何か見えたり聞こえたりするのかな。そうしたら、教えてくださいね。
そちらの花が咲く頃に、一度、会いに行ければと思っています。
そのときはちゃんと〝歓迎〟してくださいね。楽しみにしています。
テメノス・ウェルズリー』
視界は滲んでいるのに、口元は綻んでしまう。鏡を見たらきっと奇妙な表情をしているに違いない。
記名の箇所で力を入れてしまったらしく、不自然にインクが滲んでいる。どう書くか、悩んだのだろうな。あの人はあれで案外、照れ屋だから。仕事上では元の姓を名乗っているのだから、そちらで書いたとしてもクリックは気に病んだりしないのに。
皺を作らないよう、そっと胸に押し抱く。
うん、変わりありました。どうしても、元気が出なくって。疲れてしまっていて。でもね、それでもね、たった今、ちょっとだけ元気になりました。すぐにそう伝えたいのに、叶わない距離がもどかしいのです。
顔を上げたクリックは南に面した部屋の窓を見遣った。薄いカーテンは閉まったまま。最後にいつ開けたのだったか。それさえもうろ憶えだった。暖炉前の椅子から立ち上がり、久方ぶりにカーテンを掴んだ。
さっと開くと思った以上の光が溢れて驚いた。ちらちらと降り注ぐ雪は相変わらず。それでも、束の間、ぼんやり顔を出した太陽の光を、積もった雪が反射してきらきらと煌めいているのだった。
真面に空を見たのも久しぶりだ。長いこと、今日も雪が降っているな、と。それしか思っていなかったような気がする。これからはちゃんと見ておかなくちゃ。そうしないと、返事を書くときに困ってしまう。
固い錠前を下ろし、少々錆びかけている窓を開けた。寒風がクリックの髪と首筋を撫でていく。冷たい風だ。でも、不思議と嫌じゃない。寒いと感じる前に清々しさを感じた。まるであの山間に位置する町に吹く涼風のようで。白いカーテンが揺れて、その靡く様が誰かの外套の背と重なる。
ほう、と吐いた息が白い。陽の光を浴びた窓辺の雪が、ぽたぽたと透明な滴を落としている。溶けた雪の合間に何かの植物の芽が覗く。生憎、何の草花かわかるほど植物には精通していないけれど、確かな春の訪れを見た。
窓枠に頬杖をついて、町を眺める。きゃらきゃらと響く子どもたちの笑い声。雪かきに精を出しながら、春を思う町人たちの細やかな会話。冬も春も変わらない、精力的な商人たちの客引き。家々の煙突から昇る煙は、そのまま人々の営みを表している。
聖堂機関が守るべき美しい町だ。影がないわけではないけれど、光がないわけでもない。そんな町。
クリックが帰る町ではなくなってしまったけれど、良き場所であるようにと願う心は変わらない。
冷たい空気を吸い込んで、一気に吐き出す。重たかった身体が心なしか軽くなった。
遥か遠くに雪を被った山脈が見える。あの山の向こうに、愛おしい人がいる。大聖堂を頭上に戴く山間の町で毎日を過ごしている。
「
……
見えない、なぁ」
確かに、何も見えない。見たいものは見えなかったけれど、見ることを忘れかけていたものを見ることができた。聞く耳を失っていた声を聞くことができた。
「テメノスさん」
名前を紡ぐだけで、現実に立ち向かう勇気を得られる。
「テメノスさん」
弱音や泣き言の代わりに、彼の人の名前を呼ぶ。心を苛む棘が解けて消えていく。
「聖火の加護を
――
雷剣将ブランドの
……
いえ、この剣に誓って」
今日も、あなたを愛しています。
オーブンからよい匂いが立ち込めてくるまで、クリックは窓の外へ言葉を紡ぎ続けた。どれかひとつだけでも風が届けてくれたらいい。
深皿に移し替えた丸のままの玉ねぎから、ふぅわりとバターとハーブの香りが立ち昇る。くったりとした飴色の玉ねぎからは水分が滲み出ていて、そのエキスと溶けたバターが混ざり合い黄金色のスープになっていた。
カトラリーは木製のスプーンがひとつだけ。それ以外はいらない。
匂いを知覚すると腹の虫がぐう、と鳴った。くう、ではなく、ぐう。我ながら単純だな、と自嘲しながら食前の祈りを捧げる。
木匙を持ち上げ、玉ねぎの真上から差してみる。柔らかい果肉がはらはらと花咲くように崩れて、玉ねぎの甘い香りが強くなる。切れ込みが達していなかったはずの根元も易く解れてばらばらになった。果肉を掬い、よくスープと絡めて一口。
「あふ、あつ
……
」
甘い。甘くて熱い。
じっくりオーブンで熱を入れられた玉ねぎは、驚くほど甘みが強い。砂糖なんて入れていないよな、と一瞬、考えてしまった。味付けはバターのみだが、その素っ気ないほどシンプルな塩味が、玉ねぎの甘みと旨味を引き立てている。素材そのものの甘さが口の中を満たし、さらにバターの香ばしさが鼻へと抜けていく。一度しか食べたことがないはずなのに、どことなく懐かしさを憶える味だ。
繊維もあってほぼないようなものだ。噛む必要がない。歯で潰すより先に舌と上顎の間で蕩けていく。一口を飲み込むと、空っぽで寒かった胃にほとりと温かさが落ちて熱が灯った。じんわり優しく胃が温められて、癒されていく。今日、初めて活動的になった胃がきゅうきゅうと鳴き始めて、もう一口を所望した。
「はー
……
」
元から量を食べる気がなかったせいで、ひとつ分の玉ねぎはすぐになくなってしまった。スープの最後の一滴を啜り、器を空にする。匙を置き、ごちそうさま、と両手を合わせる。
あれだけ食べるのが億劫に感じていたのに、胃も胸もぽかぽかと温かい。不快に感じていた頭痛もいつのまにか治っていた。
置いていた手紙を手に取り、もう一度、ゆっくりと目を通す。目を閉じて、数秒だけ瞼の裏に愛しい人を思い描いて。そうしてから、殊更、丁寧に便箋を封筒に仕舞い直した。
「
……
うん。そう。そうだな」
今日の過ごし方を決めた。
封筒を置き、クリックは空になった皿を持ち上げる。皿は水桶に浸して専用のケトルを暖炉の火に吊るした。
まずは洗い物。その間に沸かした湯であの人が調合してくれた疲労回復のハーブティーを飲もう。飲み終わったら部屋の中を軽く片付ける。隅から隅まで、は疲れ果ててしまうだろうから、できるだけ。散らかしてしまった洗濯物を纏めて、シーツはさすがに重たいから、せめて毛布と枕くらいは窓辺で日に当てて。
その後は買い物だ。買い込むと腐らせてしまうだけだから、日持ちのするものをいくつか。メイプルシロップはあるだろうか。できればコンポートにできるような果物も。なんだか無性に食べたくなってしまった。
それから町の雑貨屋だ。封筒と便箋とインク壺。あとは封筒を仕舞うことができるレターケース。簡易なものでいいから鍵付きがいい。よいものがあるといいのだけど。
インクの色は何にしよう。やっぱり緑かな。なるべく深みのある綺麗な翠色がいい。封筒の色は、そうだな。緑でもいいのだけど、あえて白地に銀の装飾も悪くない。
「
……
うん。ちゃんと選ばないと」
でないと、世界で一番、大切な人が山の向こうで拗ねてしまう。それは魔物の発生よりも一大事だ。
返事は何を書こうか。やっぱり、自分が元気かどうか書いてください、かな。僕だって、あなたが元気でいるかどうか、気になっているんです。あなただって、涼しい顔を装って、別に変わりありませんよ、と言ってのけてしまうのだから。
「よし」
手紙に綴る文言を考えつつ、目の前の雑用を片付けるために、クリックはシャツの袖を捲った。
雪解け間近のウィンターランド。吹雪の町に遅く短い春が訪れる、そのほんの少し前の出来事である。
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