千代里
2024-05-22 13:06:17
14675文字
Public リーブラ13話
 

リーブラの針は問う・13話・その8


ガタガタと決まった振動を送り続けていたチョコボ車が、不意にその振動を止める。それが何を意味するかは、中にいたノエたちにはすぐ分かった。
「到着したのでしょうか」
「うん、多分ね」
皆の気持ちを代表するかのように、オデットがノエへ問いかける。ノエはすかさず答えを返し、外の物音に耳を澄ませた。
皇都にノエの父からの使者が到着するまで、三日ほど。そこから、更に彼らの案内を受けてチョコボ車に揺られること、更に五日。
途中の悪天候も災いして、宿場町での休息を挟みながらの予想より長い旅程となった。
だが、ドラゴン族に襲われなかっただけ運が良かったと、御者の者は呟いていた。
単なる長距離移動でも、ドラゴン族の脅威に怯えなくてはならない。それこそがイシュガルドで生きるということなのだと、ノエやオデットは改めて思い知らされた。
「周りから沢山の人の声がするよ。この感じから察するに、街の入り口では検問がありそうだね」
同じチョコボ車に乗り合わせているヤルマルが、周囲の様子について説明してくれた。耳のいい彼女は壁越しであってもヒトの声が聞き取れたようだ。
ノエは窓についていた風除けの板をずらして、進行方向へと顔を向ける。
ヤルマルの言うように、検問待ちのチョコボ車の列がずらりと続いている。その先に、目的地があるのだろう。
……ここが」
ーー父親のいる街、とは言葉にできなかった。
ノエ自身、父とどう向き合うべきなのか、すでに覚悟は決まったとは到底言えない状態だ。ゆえに、彼の言葉も中途で切れてしまう。
正面にあるのは、キャンプ・ドラゴンヘッドに似た大きな城壁だ。皇都のように、雲海の中に聳える立地でもなければ、大規模な魔法障壁があるわけでもない。だからこそ、ドラゴン族の侵攻を防ぎ、彼らの襲撃を感知するために、街は高い城壁を必要としているのだろう。
見張り台と思しき尖塔には、騎士の姿がちらほらと見える。どこか物々しさを感じるのは、グリダニアにはない堅牢な城壁の存在感ゆえか。
そこまで確認したとき、コンコンとチョコボ車の扉を叩く音がした。外を見るのをやめ、どうぞ、と声をかける。
すると、扉を開いた先には、ノエが予想していた御者の姿はなく、清潔な身なりをした壮年のエレゼン族の男性が立っていた。服装を見る限り、使用人かそれに類したものか。
「あなたは……?」
「私は、ラペイレット卿にお仕えしている者です。御者の者から、ノエ様たちご一行が到着されたと連絡を受け、お迎えにあがりました」
…………
恭しく一礼する姿は、もしノエが領主の正当な嫡男であるなら、そうすべきだろう振る舞いだ。だが、だからこそ、ノエは違和感を覚えずにはいられなかった。
「申し訳ございません。現在、前方の商隊の荷物が多く、検問に時間がかかっております。荷物があれば、その中に異端者が紛れ込んでいないか、念入りに調査をする必要があるのです」
それで、街から少し離れたこの場所で止まったのかと、乗っていた面々は理解する。この行列から察するに、調査が数分で終わるとは思えない。
使用人の男は、一礼すると前方へ視線をやり、
「すぐに、こちらのチョコボ車を通すように門の騎士に伝えますので。もう暫くお待ちいただけますか」
「そのような特別扱いはする必要はありません。僕らも、他の旅客の方々と同じように扱ってください」
間髪入れず、ノエは言葉に挟んだ。領主の子息なのだから、検問を待つ列を飛ばすような真似をしていいなどと、ノエには到底受け入れられない横暴だ。まして、自分は正当な後継者ですらない。
「しかし、既に到着をしているのに、検問のためにノエ様を待たせたとなりますと……旦那様が何とおっしゃるか」
「そのようなことで怒るような狭量な人なんですか、その方は」
ノエからの逆の問いかけに、使用人は口籠る。
ただでさえ、彼がノエへと向ける視線は、どこかよそよそしく、敬意を通り越して戸惑いの色が強く見えていた。彼自身、自分が下された命令に納得しきれていない所があるのだろう。
「ですが……
「僕たちは、この街に入る方々と同じ手順を踏んで入ります。彼には、そのように伝えてください。僕がそう望んだと言えば、あなたも咎めを受けはしないでしょう」
もし咎めるような真似をしたのなら、ただでさえ揺れている父への評価が下がるだけだ。
ノエのそんな気持ちを知っているわけではないだろうが、使用人はぎこちなさの残るお辞儀を返した。
「それと、もう一つ。迷惑ついでに伝言をお願いしていいでしょうか」
「何でしょう」
「街に着いたら、すぐに僕たちを父の元まで案内する手筈になっていたのかもしれませんが……この街の様子を見てから、そちらに向かうという順番でも良いでしょうか」
ノエは同乗している面々に、視線で「良いだろうか」と問いかける。五人の中で、首を横に振る者はいなかった。
「僕は、彼が統治している街をこの目で見たことがありません。ですので、この機会に見ておきたいのです」
「承知しました。もし、そのような申し出があった場合、到着はいつになっても構わないと、旦那様からお言葉を預かっております。宿はこちらで用意しているので、と」
……僕は、屋敷に泊まるつもりはありませんよ」
ノエがそう言うと、使用人は何度目になるか分からない困惑を顔に滲ませた。
「しかし、旦那様は」
「部屋の用意をしてもらっていたなら、準備が無駄になってすみません。ですが、僕としては、彼にそこまでしてもらう理由がありません」
チョコボ車や皇都の宿の手配までしてもらって、今更何を言っているのかと自分でも思う。
だが、そこだけは譲れない一線だった。
宿の手配と異なり、家に泊まるというのは、より親密な間柄の者同士でのみ許される事項だ。少なくとも、ノエにとってはそうだった。
そして、自分と父親はそのような間柄ではない。だからこそ、受け入れるわけにはいかなかった。それはノエにとって、必要な一線だった。
「あなたも、僕がどのような立場であるかは知らされているのでしょう。僕は、父の使用人に傅かれるような立場ではないんです。あなた自身、そのことを認識しているのではありませんか」
目の前の使用人は、先ほどからノエの様子を伺うような、敬意とは異なる緊張を視線に混ぜている。
使用人にとって、妾という存在は非常に微妙な存在だ。貴族としての地位がない女、ないしは男に対して、素直に頭を下げるのは難しい。自分と同等の立場であったはずの者を敬えと命令されて納得できるものは、理屈はどうあれ、感情面では難しいところだ。
さらに、自分の主人が過去に妾と成した子に頭を下げろと急に言われたら、何を思うか。
本来、妾の子などというものは、生まれる前から家から放逐されることが決まっている。存在そのものが不和の種であり、その考えは使用人にも浸透している。
貴族の血筋を宝石として例えるなら、彼らにとってノエは路傍の石と変わらない存在だ。
なのに、そのような石ころに頭を下げろと言われるのは、違和感を与えるだけだろう。その程度のことは、ノエにも分かっていた。
「ですから、僕に対してそのような恭しい態度をとる必要はありません。僕は、ただの一介の冒険者です。検問だって受ける必要がある立場です。もっと自然に接していただいて構いません」
「ーーノエ」
ノエがそこまで言ったとき、静謐な声が彼らのやり取りに割って入った。
身を乗り出していたノエの肩に、華奢のように見えて存外力強さも備えた手が載せられる。振り返るまでもない、それはサルヒの手だった。
……サルヒさん?」
「あなたの気持ちを思えば、あなたの意見はもっともなもの。でも、それを使用人に言っても、使用人にはどうしようもない」
彼女は紺藍の頭をゆるゆると横に振り、身を乗り出して使用人に一礼する。
フードをかぶっているものの、彼女の肌を覆う黒の鱗を目にして、使用人の目が一瞬見開かれる。だが、何も言わずに礼だけを返す姿を見て、サルヒは彼が使用人として私情を押し隠せる人物であると評価する。
「この人は、あくまであなたの父親の命令を聞いているだけ。検問の便宜を図ろうとしているのも、宿の準備も、あなたを領主の息子として丁重に遇するのも、あなたの父親がそう望んでいるから。あなたが彼の振る舞いを否定しても、彼にはどうしようもない。だって、あなたはあくまで『領主の息子』でしかないのだから」
ノエ自身、領主の後ろ盾がなければ使用人に命令できる立場ですらない。サルヒは、ノエに今の自分の立場が何かを改めて突きつける。
……すみません。その通りですね」
「でも、あなたの父親はあなたが街を歩く可能性は考慮してくれていた。だったら、今はその言葉に甘えて、検問を通った後はあなたが望むように街を歩けばいい」
「そうだね。宿の件と、使用人の態度については、君の口から父親に説明すればいい。そうしてあげた方が、この人もこんなに困った顔をしなくて良いだろうから」
ヤルマルがサルヒの後を引き取り、ノエの希望をやんわりと修正する。
彼女たちの言葉を受けて、ノエも自分の申し出が如何に使用人を困らせるものだったかを内省する。
ノエは言伝を頼めばいいだけの立場だが、それを領主に直に言わなければならない使用人にとっては、たとえ言伝であっても負担ではあるはずだ。
「では、僕らは検問を通って街を歩いてから向かうので、少し遅くなると伝えてもらえますか。なるべく、夜遅くにならないようにはします」
「かしこまりました。では、そのようにお伝えします」
どこかほっとした気持ちを一瞬顔に見せた後、彼は使用人らしい優雅な一礼をしてみせる。
そこで立ち去るのかと思いきや、彼はノエをじっと見据え、
「ノエ様にとっては不本意ではあるかもしれませんが、あなた様のお父君は確かにご子息であるあなた様との再会を心待ちにしておられます」
唐突な発言は、彼がノエを『ただの客人』ではないと考えたからこそだろう。
彼の言葉を遮らず、ノエは無言のまま続きを促す。
「私ども使用人の心境としましては、そちらのお嬢様のおっしゃる通り、決して穏やかなものではありません。ですが、それでもあなた様の存在が、旦那様の十五年の後悔を少しでも軽くしてくれるのなら、と思っております。そのことだけは、我々にとって揺るぎようのない事実です」
ーーどうか、お忘れなきように。
彼は、そう締めくくると、更に一礼してチョコボ車から離れていった。
最後の言葉は、ノエをただの領主の息子として扱うのなら、本来口にするべきではない内容だ。
しかし、ノエは自分を領主の息子として扱わないでほしいと言った。だからこそ、使用人の彼もまた、本音を口にしたのだろう。
自分が頭を下げる相手は、あくまでノエの父親だということを、この上なくはっきりと。
「あんたの気持ちも、分からないでもないがな」
言葉を失い、ただただ使用人を見送るばかりだったノエは、オランローの言葉で我にかえる。
チョコボ車の座席へと腰を落ち着けなおし、扉を閉める。そうすると、外の冷涼な空気が遠ざかり、自分の居場所がどこか改めて確かめられた。
「だが、あんたが毛嫌いしている父親に仕える者もいるし、あんたの希望を全て汲み取ってくれる人ばかりでもない」
……その通りだな。サルヒさん、先程はありがとうございました。もし止めてもらわなかったら、僕は彼に無理難題を押し付けているところでした」
サルヒは首肯を返し、自分の胸元に手を当てて、
「私は旦那様に仕えている身ではあったけれど、使用人でもあったから。主人と客人、どちらを立てるか迷うときがあったのを思い出しただけ」
「お前の場合、客人を立てたことなんてあったか?」
ルーシャンがまぜっ返すように口を挟むと、サルヒは無言でルーシャンの脇に拳をめり込ませた。押し付けるようなものでもあっても、力はそれなりだったようで、ルーシャンはすぐにサルヒに頭を下げていた。
「俺としちゃ、お前の実家に泊まるってのも面白そうだったんだけどな。貴族様の家にあるふかふかのベッドなんざ、そうそう味わえるもんじゃないだろ?」
「すみません。ですが、僕はやはり父の家に泊まりたいと思えないんです。もしルーシャンさんが希望するなら、皆だけでも泊まれないか交渉をしてみますよ」
「冗談だよ、冗談。大体、知り合いの実家に行って、本人が泊まらないのに俺たちだけ宿を借りるなんて真似、できるわけがないだろ。どんだけ図々しいんだよ」
「旦那様なら、やりそうだけれど」
「同感。ルーシャン、その辺はちゃんと気にするんだね」
「サルヒ! それにヤルマルも! お前ら、俺を一体なんだと思ってるんだよ!」
ルーシャンたちのじゃれ合いを目にして、思わずノエの口角に笑みが滲む。彼らがノエの気を紛らわせるために、わざと道化を演じてくれていることは、ノエにも分かっていた。
「では、検問を通ったら街の中を見て回るんですね。皇都みたいに、綺麗な建物がたくさんあるのでしょうか」
オデットの質問に答えられる者は、残念ながらこの場にはいなかった。代わりに、ヤルマルが「そうだねえ」と言葉を引き取る。
「イシュガルドの街は、石造りの所が多いのは確かだね。キャンプ・ドラゴンヘッドも皇都も、石を組み上げて建てられた建築物が多かった。ボクが行ったことのある街もそうだったし、ここも似たような作りなんじゃないかな」
「農村部じゃ、そうでもないけれどな。やっぱり、領主様のおわす街ともなれば、それなりに立派な作りなんじゃないか? 皇都ほどじゃなくても、教会はあるだろ。あと、人が行き交いしているなら、飯屋や宿もありそうだな」
ヤルマルはともかく、ルーシャンは他人事のように語っているものの、彼は『領主様のおわす街』で暮らしていた側の人だ。そのルーシャンがこう言うのなら、彼の言うような施設がある可能性は高そうだと、ノエは意識を街の方へと切り替えていく。
「だったら、入ったらまずは宿を確保しないとね。その辺の交渉は、ボクとオランローでしてくるよ」
「すみません。任せてもいいでしょうか」
「もちろん。君だって、あれこれ考えながら街を見てまわりたくはないだろう」
ヤルマルは二つ返事で引き受け、オランローは首を小さく縦に振った。自分の見た目の問題もあるので、オランローもできる限り勝手を知っている人物のそばにいたいと思っているようだ。
「それじゃ、俺もぶらっと街を見て回って、美味い飯を出す食事処でも探してくるか。夕飯は、外で食うんだろ? 俺としちゃあ、ノエの実家のシェフが腕を奮って作ったディナーでも構やしないが」
「それは……多分、申し出を受けたとしても断ることになると思います」
「ああ、別にそんな申し訳なさそうな顔をしなくてもいいさ。貴族様の食堂じゃ、いつもみたいに適当に話しながら好きに食うってわけにもいかないだろ」
ルーシャンの言葉を受けて、やおらオデットは自分の手元に視線を落とした。続けて、サルヒの袖を引いて、
「あの、お金持ちの人の家でご飯を食べるときは、特別な作法があると聞いたことがあるんです。それは、本当でしょうか」
「本当。でも、今回は会食の機会はないと思う」
返答をしつつ、サルヒはチョコボ車に乗っている面々を眺める。
ノエやルーシャンはさておき、オランローにイシュガルドの貴族風の礼儀作法を求めるのは酷だろう。オデットとてそうだ。ヤルマルはあれで多様な知識を身につけているので、いきなり会食の場に連れ出されても平気な顔をしているかもしれない。
その意味では、ノエが実家で食事を取るつもりはないと言ってくれたのは、結果的に良かったかもしれない。
「でも、いつか機会があるかもしれないから、ちゃんと練習しようと思います」
「ええ。機会があれば、私も教える」
瞳を輝かせているオデットに薄く微笑を返し、サルヒは再び車内へと向き直る。
皇都で倒れたことが嘘のように、オデットは新たな街の到来を喜ぶ素振りを見せている。たとえ、素振りだけであっても、そのような気遣いができる程度には彼女も落ち着きを取り戻している。
皇都で礼拝堂を訪れた際、オデットは自分に近づく司祭を見て、気を失ってしまったそうだ。彼女の男性恐怖症が復興事業を牛耳っていた司祭らとなんらかの関わりのあることは、その様子を見る限り明白だ。
また、礼拝堂を訪れたのを契機に、オデットは少しずつ過去のことを思い出しつつあるらしい。皇都で過ごしている間に、彼女は母親との思い出話を同室のサルヒたちにぽつぽつと語って聞かせ、心の整理をつけようとしていた。
……できれば、全部忘れたままでいてほしかったけれど)
オデットの平穏な暮らしを祈っているから、そのように思うのではない。
もし、オデットがこのまま過去のことを思い出してしまったら。
あの雪の日の夜にあった出来事まで、思い出してしまったのなら。
オデットは、この場にいる男(ルーシャン)を目にしても、笑っていられるだろうか。
「ルーシャン。せっかくだから、この街の名物が食べられる店を探しておいてよ。どうせなら、お酒が飲める所がいいな」
「おい、ヤルマル。あんた、見知らぬ街で酔い潰れるつもりか」
「そういうわけじゃないけど、お酒飲んだら体が温まるじゃん。それに、よく眠れるしさ」
「はいはい。ヤルマル様の仰せのままにってか。良さそうな店を探しておくよ」
ヤルマルが酒に拘っているのは、ノエにとって最悪の事態が訪れたとき、酒精の力を借りて彼の気持ちを紛らわせるつもりだからだろうと、ルーシャンは察したようだ。その意図までは、幸いノエに伝わっていなかったらしい。
和気藹々としたやり取りを横に聞きながら、サルヒは目を閉じる。
旅の目的地はすぐそこだ。そこでは、一体何が待ち受けているのだろうか。
(ーーできれば、何事もなく終わりますように)
その望みは、決して叶わないだろうことを悟りながら。
サルヒは、静かに胸の内で祈りを捧げていた。

***

検問を潜り抜けるまで、結局ノエたちは更に一時間以上の時をチョコボ車で過ごしていた。おかげで、検問が終わった頃にはお尻が痛いとオデットは不満を口にしていた。口にこそしなかったものの、ノエも同意の表情は浮かべていた。
そうはいっても、今日は進みが早い方のようで、長ければ半日以上足止めを喰らうこともあると、周りの商人は愚痴をこぼしあっていた。
「ここ最近、異端者たちの活動が活発らしいじゃないか」
「ああ。なんでも魔女シヴァの復活を謳っているとかどうとか……ドラゴンどもの味方をするなんざ、正気の沙汰じゃないぜ」
「まったくだ。この前もこの辺りに出たっていうドラゴンのせいで、うちのカミさんの実家がある村がなぁ……
「お前のところ、そうだったのか。あれは、ひどいもんだったな……
最初こそ声を荒らげていた商人たちも、話の途中から声をひそめて、幾度かかぶりを振っていた。どうやら、この街の近くでドラゴン族による襲撃があったらしい。そのせいもあって、検問が厳重になっているようだ。
……ここでも、ドラゴンの被害はあるんですね」
チョコボ車の客席から降りたオデットは、通りざまに聞こえた声に沈痛な面持ちになる。
「イシュガルドにいて、ドラゴンの被害を気にしなくていい場所なんざ存在しないってことだ。忘れたようなふりをしていても、戦いは続いているんだよ」
オデットの肩を軽く叩き、ルーシャンは検問のかたわら、詰め所の扉を行き来している騎士たちを見やる。全身を鎖帷子で固めた騎士らは、常に張り詰めた空気を漂わせて、周辺への警戒に務めていた。
「流石に丸腰ってわけじゃないだろうが、皇都ほどの防備はここにはないだろ。お嬢ちゃんも気をつけろよ」
「は、はい。そう……ですね」
いざとなったら、自分の身を守ることだけに注力しろ。暗にそう言われているとわかるからこそ、オデットは自分が背に負っている天球儀の重みを意識してしまう。
オデットの魔法では、どれだけ頑張ってもここにいる皆を守るのが精一杯だ。
もし、仮にドラゴン族が姿を見せたなら、ノエたちを守ることはできる。だが、この街にドラゴン族がやってきたのなら、他にも多くの被害が出るだろう。
人がーー死ぬだろう。
(それが、当たり前になっている国……なんですね)
そして、オデットの母親はかつてこの国にいた。ひょっとしたら、オデットの父親やオデットを知る人は、今もこの国にいるかもしれない。そう思うと、ふとした瞬間に、一歩を踏み出すのすらも躊躇するような不安に襲われる。いっそのこと、ドラゴン族が襲撃していないこの今の瞬間で、時を止めてしまいたいなどと思うほどに。
「オデット、どうしたんだい。そんなに怖い顔をして」
「えっと……少し、不安になってしまったんです。もし、ドラゴン族が襲ってきたらどうしようって」
ノエが差し出してくれた手を取りつつ、オデットは己の感情を簡単な言葉でまとめる。
不安に揺れるオデットの言葉に答えたのは、ノエではなかった。
「安心しなよ、旅人のお嬢さん。他はともかく、この街の領主様はドラゴンに街を襲われないよう、いつも騎士様の配備を徹底しているからさ」
たまたまオデットたちのそばを通りがかった荷運びの男が、若い娘の不安を払拭せんと、雪と泥で汚れた顔に笑顔を浮かべる。
「そうなのですか……?」
「ああ。街道の整備は、ちょっと遅れ気味だけどさ。その分、ドラゴン族が出てきたときの対処はしっかりしてるんだよ」
「正直、領主様の兄のフィリベール様がお亡くなりになったときは、どうなるのやらって思ったけどな。俺はフィリベール様が後を継がれるものだと思っていたからよ」
彼らの何気ない会話を聞いて、思わず、ノエは「師匠が?」と言葉に出しかけてしまった。
しかし、考えてみれば驚くほどのことでもない。フィリベールはノエの伯父ーーつまり、ノエの父親の兄だ。必ずしも家は長子が継ぐと決まっているわけではないが、通例として長男が家を継ぐ場合が多い。
ティエリーとセルジュアンのような、前妻と後妻の家柄が大きく異なるような例はまた別かもしれないが、少なくともノエは伯父や父親からそのような話を聞いた覚えはない。
「どうして、その人が後を継がれなかったのですか」
オデットの質問に、男たちは顔を見合わせる。
「詳しい事情は、俺たちみたいな下々の連中にはわからんよ。たしか、噂では、イシュガルド正教の教えに感銘を受けて、聖職者への道を強く志願したからって話だけどな」
「俺だったら、教会の司祭なんざなりたくないけどねえ。もちろん、それもありがたく大事なしごとだろうが……当主になった方が好きに金も使えるし、楽な生活ができるだろうに」
「それでも、一度はフィリベール様の婚約の話が出ていただろ? たしか、俺の親父が大騒ぎしてたから、あの頃の話はよく覚えてるよ」
「そうだっけか。まあ、そのフィリベール様をハルオーネ様の身許に送っちまったのも、ドラゴンどもって話だからな。その分、弟君のベルナール様がドラゴン退治に燃えるのも当然ってわけだ」
二人して頷いている男たちとは裏腹に、ノエは唇を引き結んだまま、自分の中に渦巻く感情を片端から沈めていた。自分でも今の己がどんな顔をしているのか全く予想できず、ノエの視線は足元を彷徨っていた。
それでも一つだけ、どうしても確かめねばならないと思い、彼は言う。
……その、ベルナールという方は、良い領主なのですね」
掠れた声の違和感に、男たちは気が付かなかったようだ。
街に来たばかりの若い二人を安心させるように、彼らは揃って笑顔を見せ、
「ああ。他のところは知らんが、ここは住みやすい街だよ。そして、それを守ってくれる領主様には俺たちも感謝してる」
「この辺りを行くなら、他の領土を行くよりもいくらかは安心していけるんじゃないか。ベルナール様は、街の外も気にかけて、視察も毎年欠かさず行なっていらっしゃるからな。警備の穴もないはずだ」
彼らはそう締めくくると、さらに二、三の言葉を残した後に去っていった。
彼らが何を言ったか、ノエの耳には届いていたはずなのに、その言葉の一つたりとてノエは覚えていられなかった。
……兄さん」
……分かっていたつもりなんだけどな。あいつが治めていた街や土地があって、ドラゴン族にも負けずに健在だってことは、あいつの治政はきっと悪いものじゃないんだろうってことは」
悪政を強いるような貴族は、イシュガルドでは早晩ドラゴン族の餌食になるだけだ。特に、寒冷化が進む多くの地域では、領地の切り盛りの手腕が強く問われることになる。
そんな中で、ノエに手紙を送り、こうして様々な便宜を図れるというのは、ノエの父にはそれだけの人望と財力、地位が残っているという証だ。そして、そのような貴族は領民らに慕われているだろうということも、頭では予想していた。
「でも、何でだろうな。納得すべきだって分かっているのに、飲み込めない気持ちがここにあるんだ」
ノエは自分の腹の辺りを指で示す。あたかも、そこに、何か大きな塊が詰まっているかのように。
「あいつが領民にとって良い領主であることは、決して悪いことじゃないのに。あいつが、伯父さんの代わりにドラゴン族を倒そうって、そう思っているのだとしたら、それも当然のことだって思うのに」
理屈では理解している。
父ーーベルナールが、人々に慕われる領主であるということを。
「でも、それなら、どうしてーー……僕らは守ってくれなかったんだろう」
父親の再会が近づけば近づくほど、憎悪の気持ちを強く滲ませていたノエ。だが、今のその言葉はオデットが聞いた中でも、もっとも憎しみの気配が薄かった。
代わりに残ったのは、切実な問いかけ。
どうして、貴族としてどう振る舞うべきか知っているはずなのに、相応しくない自分や母を貴族の一員のように育てたのか。
どうして、良き領主として振る舞う一方で、自分たちにはあなたの手が差し伸べられなかったのか。
憎悪のあまり、あの男はこういう考えを持っていたに決まっていると思いこんで、今まで目を逸らしてきた。だが、今こうして父親の『父親』ではない側面を見せられて、改めてノエは己の葛藤を捉え直している。
「その気持ちも、兄さんはお父さんにぶつけていいと思います」
オデットはノエの手をとり、手袋越しにぎゅっと握りしめる。
「兄さんがお父さんのことを嫌いだって思う気持ちも、そうじゃないかもしれないって気持ちも、何もかも全部ぶつけましょう」
……オデット」
「だって、本人のいない前で悩んでいたって仕方ないことです。お父さんはもう目の前にいるようなものなのですから、今まで兄さんの中で積み重ねてきた色んな気持ちを、全部見せてしまいましょう」
前のめりになって励ましてくるオデットに、ノエも押し切られるようにして首を縦に振った。普段なら丁寧にノエの心に寄り添ってくれるオデットにしては、強気に踏み込むような物言いだ。だがそれはその分、ノエの心が揺れているように見えているからだろう。
(それに、オデットも、もしかしたら同じような気持ちなのかもしれないな)
記憶を取り戻しつつある彼女には、たくさん質問したいことがあるだろう。
だが、最も身近だった母はすでに故人であり、その他の関係者もどこにいるか分からない状態だ。
そんな彼女だからこそ、ノエのようにすぐに質問したい相手がいるのなら、気後れせずに向かっていってほしいと思うのかもしれない。
……うん。その気持ちは忘れないでおくよ」
言葉だけでなく、心にもしっかりと刻みつけーーそれから、ノエは一度大きく息を吐き出した。
「もう少し、この街を見て回ろうか。いつまでも、入り口に立っていても邪魔だろうから」
「はい。もしよかったら、この街にも礼拝堂があるなら、見てみたいです」
「そうだね。じゃあ、まずは教会を探そうか」
当座の目標を決めて、ノエはオデットの手を引いて歩き出す。
周囲を行き交う人々を見つめながら、彼は思う。
(僕は、父に悪人でいてほしかったのだろうか。誰もが、あいつは嫌なやつだと思うような、そんな人だったなら……こんな風に悩まなかったのだろうか)
それなら、随分と心は軽くなっただろう。ノエは父親を糾弾する一人になり、父親の悪事を非難していればいいだけだ。
しかし、現実は異なる。
ノエの父は人々に慕われるような人物であり、糾弾すれば後ろ指をさされるのはノエの方かもしれない。ちょうど、使用人があのような言葉を口にしたように。
そんな現状を改めて突きつけられて、ノエは己を俯瞰する。
(僕は……嫌なやつだな)
父親に悪人のレッテルを貼るために、周りにもそう思ってほしいと願っている。自己救済に無自覚だった頃、無闇矢鱈と正義というお題目を振り翳していた己を彷彿させるような、身勝手な願いだった。自覚的である分、今の方がマシだとは思いたい所ではあるが。
「兄さん。あちらの出店で何か売っていますよ。見てみませんか」
「うん。行ってみようか」
自分の認められないものを手当たり次第否定するほど、愚かにもなれず。
かといって、何もかもを受け入れられるほど心を広くすることもできず。
揺れ動く気持ちを抱えながら、ノエはオデットと共に、父が治める街に新たな一歩を刻んだ。

***

……ノエは、あのまま真っ直ぐ父親のいる屋敷に向かった方がよかったのではないでしょうか」
サルヒの呟きに、共に歩いていたルーシャンは、足を止めずに目だけを彼女へと向ける。
その発言が、先だって聞こえたノエと荷運び人の会話に言及するものだとは、すぐに分かった。
聞き耳を立てずとも、知り合いの声だけを耳は勝手に選び取ってしまう。結果、立ち聞きしたつもりはなかったが、ルーシャンたちは彼らの会話をほぼ最初から最後まで把握していた。
「そうすれば、ノエは領民の声を聞くこともありませんでした。彼の気持ちに、余計な雑音を交えずに済んだでしょうから」
「あの若人のことだから、きっとまた悩むだろうしな。放っておけばいいものを、父親の違う側面ってやつを気にしちまうだろう」
サルヒにも、ノエが悩む姿が手に取るように予想できてしまう。
ノエ自身は、己の感情を全て他人に委ねるような無責任な人物ではないが、反対意見を耳にすれば心を揺らすことぐらいはある。しかも、今回はよりにもよって、ノエが一番激情を見せる相手ーー父親に関することだ。
「自分が嫌いだって思う相手が、世界中からも憎まれるような悪人だったなら、どれだけ楽だろうな。そうすれば、自分の憎悪が正当化できる。理由づけとしては、もっと気軽だ」
ドラゴン族がそのいい例だ。意思疎通など叶わない、人を害するだけの存在だからこそ、人々は迷わずに真っ直ぐにドラゴンへ憎悪をぶつけられる。あいつらさえいなければ、と罵ることができる。
しかし、万事そのような都合のいい舞台を用意されているわけではない。
「ノエが、自分の気持ちに蓋をするような結果にならなければいいのですが」
サルヒとしては、ノエの父親が善人だろうが悪人だろうが、正直どちらでもいいと思っていた。
気がかりなのは、ノエ自身の気持ちだ。あの善良な青年が、今後も引きずるような傷を抱えたまま邂逅を終えるような結末にならなければいい。サルヒはノエの友人として、そう願う。
「そればっかりは若人次第だろう。どれだけお嬢ちゃんや俺たちが言葉を尽くしても、あいつ自身が自分は間違っていたと思うのなら、そこまでの話だ」
もっとも、あの様子なら自分を見放したことに関しては、きちんと怒りをぶつけられるだろうとルーシャンは踏んでいた。
当初本人が予定していたような激しさはなくとも、少しでもぶつけられれば気が済むものはある。あとは、そこで止まれるかどうかというだけだ。
ノエの行く末を思い、彼の未来を考えていたルーシャンは、
「では、ルーシャンはどうなのですか」
突如、会話の矛先が自分に向けられる。
瞬間、男の足が、一度止まった。
自分の傍に立つ女は、金色の瞳をルーシャンにしっかと向けている。逸らすのを許さないと、そんな強い気持ちを込めて。
「俺は、相手が良い人だろうが何だろうが関係ないって思う、どうしようもないやつだよ」
そんな視線を向けられれば、さすがに適当な発言で誤魔化すこともできない。
正面から向き合うように強要され、ルーシャンは問われるがままに己の意見を口にする。
「だって、そうだろ。自分を殺しにきた盗っ人が、俺には妻と子供と寝たきりの両親がいてーーなんて言ってきたところで、はいそうですかって命を差し出す馬鹿がどこにいる」
自分の命は一つきりだ。
そして、自分の意思もまた一つきりだ。
「俺の考えは、俺だけのものだ。他の連中が、どれだけ何を言おうと、そう簡単に覆らんよ」
「たとえ、ルーシャンの家族を殺した人が、他では良い領主として崇められていても、讃えられていても、その人がいなくなったことで多くの人が苦しむ結果になっても、ルーシャンは気持ちを変えないということですね」
……まあ、そういうことになるな」
ルーシャンの言葉には歯切れの悪さがあった。突然、己の復讐について言及されたからだろうか。
だが、サルヒにはそこに何か別の理由があるようにも思えていた。
(ルーシャンは、確かに家族が亡くなった理由を知りたがっている。彼らを殺した連中のことも憎んでいる。それに、彼らが取り上げてしまった自分の養父の遺産も取り返したがっている)
だったら、この問いに対してもっときっぱりとした怒りを向けてもいいはずだ。
けれども、どうにも、奥歯に一枚挟まったようなもどかしさが彼の振る舞いに垣間見える。
「ルーシャンは、『彼』を殺せば満足するのですか」
「それは、どういう意味で尋ねている?」
流石に挑発めいた発言だったからか。男の声に、今までになかった凄みが混ざる。
今までなら、従者が出過ぎた真似をしたと引いていただろう。しかし、サルヒはもう彼のことで己の立場を理由に引かないと決めている。
「言葉通りです。仮に、めでたくあなたが悲願を成し遂げたとして。あなたは、それで満ち足りるのですか。心の底から、ああすっきりした、これで満足した、と笑えるのですか」
「ーー…………
「もしそうなら、なぜあなたは犯人が分かった時点で、彼の首を刎ねなかったのかという疑問が残るのですが。自分が犯人だとわかると都合が悪いということでしたら、私は喜んであなたの代わりに『奴』の首を刎ねて、それを戦果として持ち帰りましょう。私は見ての通りの異端者まがいの見た目をしていますから」
「ーーサルヒ」
流石に、急に踏み込み過ぎたからか。それとも、自分を卑下するような物言いを、譬え話とはいえ、してしまったからか。
ルーシャンの声に強張りを感じ、サルヒは「言い過ぎました」とだけ返した。
「物騒な話はここまでにしておくぞ。ほら、今日の飯を食う所を探しておかないと、またヤルマルがうるさいだろ」
自分たちに課せられた役割を理由にして、再びルーシャンは雪混じりの道を歩き出す。その半歩後ろに付き従いながら、サルヒは思う。
……ルーシャンには、犯人に思い知らせたいと思う気持ち以外の何かがある)
ノエならば、父と対面するだけで少なからず数多の感情を整理できるだろう。だが、ルーシャンは、どうやら犯人を仕留めただけでは終わらない何かを抱えているらしい。
それが、ヤルマルの言うところの彼が自分に関した掟ならば。今のサルヒは、それを解き明かすために、あらゆるところからルーシャンを突き崩していくだけだ。
彼の一挙一動に気を配るため、サルヒは黄金色の瞳を眇める。二人を覆う空は、鈍色の雲に覆われていた。