「わぎゃっ!? 何事や!!」
玄関の扉が開くなり、こはくは素っ頓狂な声と身振りで叫ぶしかなかった。
「悪ィ悪ィ! サシ飲みしてたら三毛猫ちゃん潰すまで飲ませちまってなァ!」
アルコールの臭いを漂わせる饒舌な天城燐音。その肩に手を回してふらふらと焦点の合わない目で一人だけ笑っている三毛縞斑。目の前に広がるあまりの光景に目眩を覚え、こはくは大きなため息を吐く。
「酒の初心者潰すやつがおるか! っちうか、なして燐音はんがこの場所知っとるんじゃ!」
至極当然のことをまくし立てるこはくの言葉をまるで意に介さずに笑うのは、案の定燐音だった。
「場所は三毛猫ちゃんが簡単にゲロったぜ? ってことで! マジで吐いちまう前に引き取り頼むわ! カノジョちゃんの仕事だってな! こはくちゃん♡」
「
――! カノジョとちゃうわド阿呆!」
嵐のように現れた燐音本人も、覚束無い足取りで爆弾発言と共に夜道に消えた。
あとには自分の足で歩くことすら危うい斑を残して。
「斑はん、起きんかいおら!」
既に玄関の上がり口に倒れ込んだ斑を雑に蹴りながらこはくが叫ぶ。
「ん〜? んふふ、こはくさあん」
「ぎゃ! 抱きつくな酒臭い!」
「つれないなあ!? ほらほらたまにはいいだろう!?」
『にへらにへら』。漫画ならそんなオノマトペを描かれるほどの情けない笑顔をこはくに向けて、斑は満足げに再び口角を上げた。呆れるこはくの瞳を認識した途端に声を上げてけたけたと笑う。
「スキンシップ大袈裟なのは毎回や! 立て! 歩け!」
「平気へいき〜君が運んでくれるしなあ! ふふ、楽しいなああ
……☆」
「誰が運ぶかこんな巨体! それになに簡単にこの場所教えたんや!? ほんまの阿呆ちゃう!?」
「ん〜んん? んん!? 可愛く怒っているこはくさんが三人! 介抱される俺の役得だあ!」
「あーーー! なにが役得じゃ! こっちは大迷惑の大損やろが!」
「えへへ〜」
まともに会話になっていない舌戦を繰り広げたのち、こはくが斑の腕をひっぱる。玄関で靴を脱ぐのにも苦労している酔っ払いの相手にも呆れてほとほと疲れ果てた。
その時だ。
「んん〜〜、こはくさあん
……」
「なんじゃ酔っ払い」
斑のとびきり情けなく間延びした声が響く。こはくが鋭く返せば、
「すき」
斑の唇がそう音を発した。
思わず口をあんぐりと開いて、こはくが斑を見やる。
それもそうだ。二人が秘密裏に恋仲になってからも、唇を触れさせる関係になってからも、それこそ身体を重ねるようになってからも、滅多に聞くことができない斑からの〝好き〟の二文字。その大切な言葉を、よりにもよってこんな状態で放たれたのだ。こはくが驚き呆れるのも仕方がない話だった。
僅かに乱れたこはくの心音。
「あれええ? こはくさん、ひょっして嬉ひいのかあ? てれやさんめええ!」
それをわざわざご丁寧に手のひらと手首の脈で感じ取ったらしい斑が、こはくの瞳を見つめて繰り返す。
「
――すき。すーーき!」
その二文字。
「
……酔っ払いの戯言は聞かんで」
返すこはくの声に説得力はない。思わず頬がカッと熱を孕んだ。
「こはくさん、お顔がまっかっかだなあああ?」
「やかましい!」
そしていちいちこはくの感情を逆撫でしていく斑が、三度。
「好き、すきだ、こはくさん。こはくさんがすきだ。だいすきで、
……うん、だいすきだなあ
……」
一瞬、切なさを含んだような形容し難い優しいその顔で、熱っぽく腫れぼったい甘い声が告げた。
「
……酔っ払いが好き勝手言いよるなぁ?」
「すき、すーーーーき!」
「はいはい」
こはくは、既にその巨体を立ち歩かせることは諦めた。半ば腕を引きずるようにして寝室に向かわせる。
そのこはくの手が、密やかに焦がれて照れる。
「こはくさあん! 好きだ! 大好き! 世界で一番大好きだあああ!」
「黙らんかい! いくらなんでも近所迷惑や!」
「えへへ〜」
そうして笑う斑が這いずりながらこはくの左足首を掴むものだから、
「ぎゃあああ!?」
すっかり油断したこはくも共に廊下に倒れ込む。ズダン! と激しい音と共に。
「近所迷惑、おそろいだなあ相棒?」
「んな阿呆なことがあるか!」
不覚にも床にしゃがみ込んだこはくが叱責したその瞬間
――。
「んっ、」
「!?」
斑の決して柔らかくもない唇が、こはくの唇を塞ぐ。三秒、五秒、十秒。二十秒。
「っ、ぷは」
突然の口づけからようやく解放されたこはくが肩で息をする様を尻目に、
「これで静かになったよなあ?」
いたずらっ子の笑顔が見えた。
「あ〜〜もう!」
ついに、こはくも完全に酔っ払いへと主導権を明け渡してしまった。にへらにへら、笑う斑。
「こはくさん、キスだけじゃ足りないだろう?」
「じゃかわしい!」
辛うじて怒る素振りを保ったこはくに、笑い続ける斑。
「
……こはくさん、すき」
またも満面の笑みで告げられて、こはくの心臓は跳ねた。今日何度目かわからない。
「ったく、これだから酔っ払いの相手は嫌やったんや
……」
その手を繋いだまま、こはくは目を細める。釣られた斑の目も幸せそうに細くなる。
「今度はちゃんと、素面のときに言えや? 待っといたるから」
「えへへへ〜欲張りさんだなあ!」
「誰がや」
「こはくさんが!」
「けったくそ悪い」
そう、怒るのは半分。いや、それ以上に勝るくすぐったさと甘ったるさと、確かに感じる穏やかな幸せ。
観念したこはくが背を丸めて、笑みを浮かべたその人の額に口づけを贈った。優しく優しく啄むように。
「
……唇はあ?」
ねだる斑。
「酒臭い」
断るこはく。
「あっはっは!」
「ほら! いい加減さっさと起きて水飲まなあかんで!」
「
……そうしたら
……もっとキスしたいなあ
……」
「
……やかましい」
「んふふふ、説得力ないぞお? こはくさん?」
「だからやかましい言うとるやろが! ボケナス!」
二人して床を這いずり、ミネラルウォーターをその喉に流し込み、デジタル時計の示す午前一時に唇は重なる。
「
……酒クッサ!」
「あっはっは!」
胸に膨らむ優しい気持ち。
笑い声と甘い声は、明け方まで続いたという。
◆
「三毛猫ちゃーん? 上手くいったァ!?」
「もちろん! ああ、こはくさんで遊ぶの楽しいなあ!」
そんな会話に始まる二回目の飲み会の相談は、また別の話。
fin.
こは斑ワンドロワンライ
【お酒】
60min+12min
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