あけみ
2024-05-19 13:56:09
10513文字
Public YYH
 

【YYH】芽生えた感情に名を付けるなら 前編【蔵幽】

蔵馬と幽助の出会い編からはじめよう。

   

芽生えた感情に名を付けるなら 前編



 死にたいと思っていたわけではなかったが、あの時は確かに諦めにも近い感情を抱いていたのかもしれない。数百年生きていたが、こうもあっけない最後だとは思わなかった。
 けれど、生への固執も自分のためではなく彼女のために捧げるのであるならそれで良いと。肉体を持たない魂の姿になり人間に憑依転生し、妖力が戻ればあとは妖狐蔵馬として生きる手はずだったのにも関わらずだ。人間に憑依転生した十五年間に身に起きた出来事は想定外に己の感情を揺り動かしたのだ。母親への愛情も忘れていた淡い恋慕も魔界で冷酷残忍だと言われていた自分にはあまりにも不似合すぎた。
 だから、もう良いと思った。
 死に直面した母を見た時、妖狐蔵馬に戻ることも人間南野秀一として生きることも手離した。あっけなくいとも簡単に。自身に自己犠牲の精神があるとは思ってもいなかったので少し驚いた。青臭い感情がまだ己にあったとは。意外で思わず笑ってしまう。
 そう、あとは。
 うまく霊界から暗黒鏡を盗み出し満月の日に願いを叶えるだけ。

 のはずだった。


 夕暮れの光が倉庫の扉の隙間から差し薄暗い、今は使われていない倉庫の中を淡く照らす。倉庫街に霊界の三大秘宝を持ち出すよう幽助を呼び寄せた飛影だったが、幽助の土壇場の攻撃を受け、今は蔵馬の足元に倒れている。
 蔵馬もまた幽助を庇い負った腹の傷が痛むが致命傷にはいたらないのでそう大した怪我ではない。それでも幽助とぼたんは心配そうに顔を向け気遣いを見せた。そのたびに蔵馬は「大丈夫だ」と苦笑する。
 幽助が放った霊丸で完全に意識を失っている飛影に霊気の手錠と枷を施し、ぼたんが「これで飛影も御用だよ」と肩の荷がおりたとでもいうような表情で霊界に連れて行った。それを見送ってから、幽助は眠っている螢子を負ぶさり帰ろうとしていた時に蔵馬は少し意地の悪い言葉を投げ放った。
「君のおかげで準備していたことが全て台無しになった」
 唐突に言われた言葉の意味を理解できず目を丸める幽助を横目で見つめた蔵馬は、くすりと笑んだ。
「暗黒鏡のことだ。君が割り込んだことで俺の願いが無効になったらどうしようもなかったし、たまたまうまくいったから良かったが君はそういうこと考えてなかっただろ?」
 あの時、暗黒鏡の願いを叶える契約には命が代償だった。他者が割り込み「オレの命を少し分けてやる」などと迫った結果、契約が成立するとはとても思えなかった。だから、願いが叶えられなかったらどうするんだと思ったのはそんなことで。勝手な行動をする幽助に憤りを感じたのも確かだ。
 なるべく穏やかに言ったつもりだったが、蔵馬から不穏な空気を読み取ったのか幽助は口元を引きずらせながら恐る恐る聞いてくる。
「お……怒ってるのか?」
 怒ってない。
 怒っていないが。
 どちらかと言えば呆れているのだ。あのタイミングで何の打算もなく自分の命を放り投げた人間を初めて見た。霊界探偵としては軽率すぎる。剛鬼との闘いを監視していた時から思っていた。霊界が選んだ使者にしては少し―――馬鹿だと。
「怒ってない。ただ、あの後母の病室に仕込んであった夢幻花をこっそり処分したり、母の再婚相手の記憶も操作する予定で仕込んでいたから手間がかかった。突発的に決行しようと思ってたわけじゃなかったからそれなりに準備もね、してたから」
「あー……えっと……なんか、わりぃな」
 本当に戸惑う様子の幽助に蔵馬はついに喉を震わせ笑う。
「違うよ。本当に感謝しているんだ」
 それは本当だ。暗黒鏡の光に包まれ目が覚めた時、蔵馬は自分が生きていることに困惑した。同時に母親の病態が頭を過り不安にかられながら病室へと駆け出した。峠をこえ助かったと聞いた時、自身でも驚くほどに情が溢れ震える指で母親の手を取ったのだ。今見ている光景が信じられなかった。計画とは違う。そう思ってから脳裏に幽助の顔がチラついた。
 感謝してもしきれない程だ。そう思うも、当の本人はあっけらかんとして気にもとめていないのだから少し困らせたかったのかもしれない。意地悪な言い方をしてしまったことに蔵馬は自身の珍しい感情を覗き見た。
「君の好意は忘れない」
「忘れて良いぜ。借りはさっき返してもらったし」
 幽助はそう言い、螢子を背負い片腕を振ってから蔵馬に別れを告げる。その気負いのない明け透けな態度に思わず苦笑してしまう。母と自分の命を救ってくれた借りがたったあれだけで返せるだろうか。胸の内に忘れかけた感覚がよみがえったことに蔵馬は気付く。
 目を凝らせば彼の体を覆うように霊気がまとっている。霊界探偵になってからまだ日が浅いと言っていたが、この分ではきっとまだまだ霊力が高まるだろう。面白い人間だと思う。これっきりの関係にはしたくないと考えた時、蔵馬は自嘲気味に笑った。
(懲りてないな……
 そんなことをふと思いながら。喜多嶋麻弥の顔が浮かんだ。なまじ霊力が高ければ妖怪同士の争い事に巻き込むとあの時は彼女の想いも全てなかったことにした。だが、霊界探偵の彼ならば。と、そんな安易な考えを胸に秘め、しばらく会うこともないだろうと思っていた。


「よう、蔵馬」
……
 盟王高校の門の前で幽助が少し居心地悪そうに立っているのを見、蔵馬は目を丸めた。その顔を予想していたのか幽助は蔵馬が口を開く前に霊気を纏った紙を蔵馬に渡し、説明する。
「手短に話すぜ。ぼたんが霊界裁判の誓約書を渡しそびれたとかで、オレに預けてきた。人間界の生活があるお前は、なんかいろいろ特別みたいだから正式な書類がいるんだと」
……いろいろ特別て、説明になってないけど」
 蔵馬は苦笑した。渡された紙は普通の人間には白紙に見えるものだが、気を凝らせば裁判の間は人間界での生活に戻っても良いことと蔵馬の行動を霊界側の監視下におくとの趣旨が書かれている。きっと幽助は誓約書の内容まで聞かされていないだろう。わざわざ幽助に持ってこさせる霊界のやり方に不信感はあるが今は考えないでおく。そういえば彼とは簡単に会える距離に住んでいるのだったと蔵馬は思い出す。
 駅二つ分の距離。
 蔵馬がどこに住んでいるのか知らない幽助が、唯一蔵馬の居場所を辿ったのが進学校の盟王高校だ。制服を見れば分かる有名校なので皿屋敷中の不良が校門前でずっと待っているのは目立ったのだろう。周囲の視線など気にしない性質だと思っていたので意外だった。蔵馬は首を傾げる。
「霊気を高めてくれたら、気付いて俺から学校の外に出て行くのに」
 呼び出したいのならその方が手っ取り早い。幽助の霊気ならすぐに気付く。戦闘の時は強烈な光を発する霊気でも普段は穏やかで非常に澄んでいる。人間の子どもが纏う霊気にしては上質だ。霊気を品定めする蔵馬のことなど知りもしない幽助は先程の蔵馬の言葉を受け、やっと気付いたように返答する。
「そっか、蔵馬は妖怪なんだよな」
 そう言えばそうだ。と、そんなことを呟きながら。幽助が頭をかいて笑うのを蔵馬は呆れながら見つめた。一体、彼は自分を何だと思っていたのか。問いただしたい気持ちを堪えていたが、幽助がさらに続けた言葉にとうとう眉根を寄せる。
「妖狐とかよく分かんねぇねど、前オレが霊体だったころに会ったタヌキと同じようなやつなんだろ? あいつも結構、一途で人情深かったからキツネの妖怪も同じなんだな」
……少し、違うかな」
「そうなのか?」
 きょとんとする幽助に蔵馬は既視感を覚える。そうして再び浮かんだのは忘れたはずの想い人。
(全く似ていないのに)
 彼女もまた上質な霊気を纏っていたのだが。
「じゃあ! 確かに渡したからな」
 盟王高校の前にいることが落ち着かないのか、幽助は早々に切り上げ踵を返す。周囲を見れば物珍しそうにこちらを見つめる盟王高校の生徒の目があった。不良中学生と進学校の優等生が一緒にいるのだから無理もない。蔵馬は滲みだした想いを追いやり、幽助に小さく礼を言った。



 喜多嶋麻弥に向けた感情と幽助に向ける感情はまったく別物だと蔵馬は認識している。昔から狐は人に惹かれる性ではあるが、妖狐蔵馬に関してはどうかと問われれば判断はつかない。惹かれるのは霊力が急激に高まる成長過程にいる人間なのは否定しない。
 そんなことを悶々と繰り返し考えながら蔵馬は霊界に来ている。思った以上に裁判が長引いたせいで人間界での生活がある蔵馬は、しばらく普通に学校へ行き母親のリハビリを手伝いながら判決を人間界で大人しく待っていた。霊界はもう自分のことなど忘れてしまったのだろうかと思っていた矢先に使者が来たのだ。
 霊界の裁判とは名ばかりのもので人間界で犯罪を犯した妖怪を裁くのだから判決は決まっている。悪くすれば処分され上層部が揉み消す仕組みであるが、今回は特例だったのか通された一室にはコエンマが待ち構えていた。意外だったのは飛影もいたことだった。
……やはり)
 と、蔵馬はチラリと飛影を見やってから思う。
 飛影の今回の犯行は剛鬼とそう変わらない所業だったはずだ。だが、実際剛鬼は霊界側で処分され飛影は蔵馬と共に裁判の判決に呼ばれた。霊界側は飛影の探し物(以前、ユキナと言っていた)に関わっている可能性が高い。複雑な事情があるのだろう。そうやすやすと処理しきれないのだ。さらに面倒だとも思っている節もある。ここに来る通りの間を歩いている時、処理に追われている霊界の者達が話していたことだ。蔵馬の暗黒鏡の件も幽助がわざわざ関わらなくとも勝手に願いを叶え勝手に死んでくれていれば済む話しだったのだから霊界側からしたら幽助は余計なことをしたと言える。霊界は蔵馬という非常に扱いに困る案件を今回の暗黒鏡で処分できると踏んでいたのだから、この状況には困ったのだ。だから判決に時間がかかった。幽助の好意もここではとんだとばっちりありがた迷惑ということだ。
(彼には絶対聞かせられない話しだ)
 蔵馬は目を細める。きっと彼は何も知らないのだろうなと思う。霊界と魔界の繋がりも人間にはとても見せられない裏取引も。
(可哀想に)
 利用されていることも知らないのだ。
 裁判前に幽助を蔵馬の所に引き合わせたのも霊界が蔵馬の出方を見たかったのか、霊界探偵の幽助に蔵馬を付かせる趣きもあったのかもしれない。
 蔵馬は鋭い視線をコエンマに向ける。コエンマはその視線から背けるように簡潔に用件を述べた。
「妖魔街の四聖獣討伐に幽助達が向かう。お前達は幽助に協力すれば免罪も考慮しよう」
「フン、話にならんな」
 飛影が鼻で笑う。
「これでも大分考慮したのだぞ。これ以上にない破格な判決だ」
 コエンマは蔵馬と飛影を幽助に付かせる方が両者とも影響し合い良い関係性になると踏んだ結果だ。浦飯幽助の性格と妙に他人を惹きつける魅力というべきか、その影響力はコエンマもある程度気付いているようだった。蔵馬は苦笑する。
「確かに。他の誰とも知らない相手と行動し協力しろと言われるよりは充分良い」
 蔵馬はそう言い、飛影をチラリと見る。彼も幽助と闘ってからその傾向にある。つまり、蔵馬も飛影も浦飯幽助はただの人間から気になる人間に昇格された。
「貴様はどうか知らんが、俺は人間に付くつもりはない。報復の機会を狙う」
 こちらが何を聞いたわけではないのに飛影はそんなことを口にする。蔵馬は少し口元を上げた。
「はいはい、ただの人間に興味がないのは俺も同じだから。貴方を倒したほどの人間をただの人間とは言わない」
 霊界の門番を抜け、妖魔街へと続く暗闇の穴へと足を踏み入れながら蔵馬は言い捨てる。背後の飛影はむっつりと口元を結びそれ以上喋らなくなった。
(俺も飛影もただの人間には惹かれない)
 飛影は口では「報復」と言っているが、本心は報復など考えていない。人間に負けたことなど初めてだろうにそれ以上に興味惹かれる存在になりつつある。これ以上影響を受けたくないのも事実だが、一度関わってしまうとそう易々と抜けられないようだ。
 妖魔街で会った幽助は相変わらずで、一度拳を合わせれば仲間とでもいうように無防備な信頼を見せ、蔵馬は思わず笑ってしまう。飛影はすっかり調子を崩され苛立ちと戸惑いを見せた。蔵馬もらしくなく全力を尽くしてしまった。その場の感情に任せて力を出し切るなんて戦い方は今までしたことがないし、そんな芸当をやる輩も魔界ではいない。魔界では寝首を取られることも常だ。余力を充分に残すのが妥当であった。
 ただ、彼は―――
「幽助」
 雪村螢子に朱雀の卑劣な攻撃が仕掛けられていたことを知り、怒りに任せ霊力を放出し養殖人間を蹴散らそうとする幽助に蔵馬が遮る。
「無茶をしないで。朱雀との闘いの前に霊力を無駄に使うことはない」
「けど! 蔵馬も身近な人間が人質にされたら頭にくるだろ!」
 返ってきた幽助の言葉に蔵馬は一瞬目を丸め、すぐに苦笑する。
「そうだね……だが、俺たちもいることを忘れないで。もっと冷静に。ここを突破する方法はある」
 そう蔵馬が言えば幽助は拳に込めていた霊気を止めた。そうして、少し不思議そうな表情で蔵馬を見ると次には照れたようにくしゃりと笑う。くるりと変わった表情に蔵馬は目を細めた。どうしたのかと聞く前に幽助が口を開く。
「なんか、ありがとな蔵馬。こうやって冷静に言葉を投げてくれる奴はいなかったから」
 ありがたいと言って笑う幽助の顔を蔵馬は眩しそうに見つめ、
……可愛いなぁ)
 などと呟いてしまいそうになり、「おや?」と首を傾げてから微笑する。こういった直球の素直さには慣れていない。一瞬、どう反応したら良いのか分からなくなるが蔵馬は幽助を「可愛い」と思った。子どものように素直で目が離せなくて気になって構いたくなる。まさか自分までもこのような情にかられるとは思わなかった。
 蔵馬は正直「まいったな」と思いつつ、朱雀が待つ階へと登って行った幽助の背を見送る。養殖人間を相手にするのは難渋だろうが、幽助のことを思えばさっさと片づけて駆け付けたいところだ。焦燥にかられる想いに蔵馬は眉根を寄せた。襲い来る養殖人間を鞭で払いのけて雷光が射す塔の最上階を見上げる。
「浦飯の野郎……大丈夫か?」
 蔵馬の視線の先を同じように見上げた桑原が呟いた。先程から雷鳴が鳴り響き幾度か稲妻が走っている。朱雀の奥義は手強いと聞いているからもちろん心配ではあるが、それよりも不安なのは人質がいるということだ。そのことが彼にどう作用されるかなど考えなくとも分かる。
 あまり無茶をして欲しくない。
 真っ直ぐで無鉄砲な彼のことだ。その場限りの土壇場で賭けに出ることなど造作もないだろう。
(ああ……それは嫌だな)
 そんな焦慮に駆られたくはないのに思っていた以上に己は浦飯幽助という人物に深入りしているようだ。

『蔵馬だって母親のために命を賭けただろ? 同じようなものだ』
 以前、暗黒鏡の件で咄嗟に割り込んだ幽助の行為を問うた答えがそれだった気がする。幽助は同じだと言ったが、似て非なるもので同列に比べるのもおかしい。あの場面で幽助が自分の命をわける謂れはない。崖から落ちる者の手を掴めば共に落ちるしかないそんな状況であかの他人が手を伸ばすような。そんな行動はとるものではない。
 蔵馬は朱雀との闘いで命を削ってまで霊力を全て使い果たした幽助を見やった。桑原が霊気を送っているので死は免れたが。
(きっと彼はこれからもその場限りの無茶をして、どうでもいい妖怪に殺されてしまうのだろうか)
 そう思った時、蔵馬は急に浦飯幽助を腹立たしく思った。彼ははじめからそうだった。土壇場で命を放り投げる芸当をいとも簡単にやってのけるのだ。
「貴様も人のことは言えないな」
 僅かに漂わせた苛立ちが伝わったのか、側にいた飛影が蔵馬に声をかける。倒れている幽助と桑原を見つめてから蔵馬は溜め気をついた。
……だからこそ勝てたと納得してはいるんだけどね。まぁ……こういう戦い方はもうして欲しくない」
 飛影が「不可解だ」と言った感情は蔵馬も同じように感じていた。人間の中にごく稀に見受けられる行動だ。他の者のために自身を犠牲にする。ここに来てから幾度か目にする。蔵馬はあまり幽助に無茶をして欲しくない思う。いや、言い方を変えよう。
 そんなに早くいなくならないで欲しい。
 人間はすぐに死んでしまうから。
「フン、甘いな」
 飛影はそう言い、面倒くさそうに倒れている二人を睨んだ。蔵馬は苦笑する。
 飛影の言う通りだったが、そうは言ってもここまで関わってしまったのだからもう後には引けない。これ以上深く入り込まないで欲しい情が溢れてくるのを止められない。


 幽助と桑原を人間界まで運ぶことになったが、途方に暮れていたところに意識を取り戻した桑原の助言で幽助を一時桑原の家に預けることになった。桑原も重症者に変わりはないが、思っていた以上に彼はタフだった。飛影が呆れながら一言二言嫌味を口にすれば桑原は食ってかかる。その様子に蔵馬は口元を緩めた。
 飛影は人間界に長居はせず、早々に立ち去ってしまったが蔵馬は傷だらけの体で家に帰るわけにもいかずしばらく桑原の家に身を置くことにした。
「浦飯はとりあえず寝かせておくが、本当に大丈夫かよ……
 ベッドに寝かせた幽助を桑原が顔を歪ませながら覗き込む。
 血痕が付いた制服の上着を脱がせ、蔵馬は負傷の箇所を確認する。腕から胸、腹と打撲が酷かった。雷の刃で肩の肉がこがされ抉られていた。傷が塞がるには時間がかかりそうだ。蔵馬は眉根を寄せ、包帯を巻いていく。
「安静にしていれば霊力は回復するだろうが、命を削って霊力を使い果たしたせいで回復には時間がかかる。俺の方から薬草を出しておくから包帯をこまめに変えて、それから」
「そういうのはお前がやってくれ。詳しそうだし」
……分かった」
 蔵馬は苦笑する。彼も幽助と同じで自分を信用しすぎる。もちろん、幽助の命を狙おうなどと思ってはいないが妖狐蔵馬として魔界で過ごしていた頃と比べれば笑ってしまうくらいに無防備な信頼だった。
「俺は明日にでも家に帰る」
「え、でもよ……
 桑原は蔵馬の腹にある傷を見つめてから不安そうに顔を歪める。
「妖怪の端くれでね治りは早いんだ。学校の帰りにまた寄る」
「学校か……
 桑原は言って苦笑すれば蔵馬もつられて微笑む。確かにこれでは妖怪なのか人間なのか分からなくなるな。と、考えてからこの穏やか過ぎる空間に戸惑いも感じた。ただ、それも悪くないと思える。(飛影の方は受け入れがたいともらしていたが)
 蔵馬は桑原の姉静流が驚きもせずただ興味深げにこちらを見つめ他愛のない話をしてから納得したように部屋を出て行ったのを見つめた後、桑原に顔を向けた。
「良い家族だね」
 言うと、桑原は少し照れたように笑った。  


 桑原の家に幽助を安静に寝かせることになって数日がたった。蔵馬は定期的に幽助の様子を見に行ったが二日たっても幽助が目覚めることはなかった。
「このまま目が覚めないってことはないよな?」
 桑原が不安げに聞いてくるのを蔵馬は目を細めて笑んだ。
「大丈夫だ。顔色が良くなってる。霊力が回復すれば体の方も問題ないだろう」
 そう言い、蔵馬は幽助の前髪を撫で顔を覗き込む。寝息は規則正しく、傷の化膿による発熱もみられない。そう瞬時に判断してから、ふと幽助の寝顔をじっと見つめてしまう。
「髪を下すと随分と幼く見える」
 蔵馬はくすりと微笑む。
「ああ……そうだな。こうして見るとただの坊ちゃんだよな」
「なめられないようにいきがっているのが子どもっぽくて……まぁ、歳相応の行動だけど」
「それ、本人に言ったら殴られるぞ」
 桑原が苦笑すれば、「なら、黙っておこう」と蔵馬は笑った。
 それから少したってから幽助の意識が回復した。傷口はまだ完全に塞がってはいないが普通の生活を送るに支障はない。ただ、
「幽助」
 と、蔵馬は自宅へ戻る幽助を呼び止めた。
「霊力はまだ回復していないから、無茶をしたらだめだよ。喧嘩もなしだ」
 幽助は一瞬、何を言われたのか理解していないふうだったがすぐに思い立ち眉根を寄せ蔵馬を睨んだ。
「おめぇはオレの先公か! いくらオレでもこの状態で無茶しねぇよ」
 フン、と鼻を鳴らし踵を返す幽助の態度は中学生の子どもが口うるさい教師にとる行動と同じで思わず笑ってしまうが蔵馬は堪えた。本当に危機感がないのは困ったものだと思う。
 四聖獣を倒した事実は妖怪たちに知れ渡っている。今の幽助は霊力もないただの人間だ。そこを狙われれば一瞬で片が付く。「無茶をするな」と釘をさしたが無理な話だろうなと蔵馬は思う。浦飯幽助の名は少しずつ妖怪たちの間でも聞く名前になった。
(注意しとくか)
 そっと蔵馬は呟いて、しばらく幽助の周囲に監視を置くことにする。だが、そうこうするうちに霊界からも幽助の護衛をと命令が蔵馬の元へ届いた。癪なのはその命令通りに動く羽目になっていることだ。いつから霊界は己に使い走りをさせるようになったのか。苦渋に顔を歪ませるも霊界の命令がなくとも幽助の護衛はするつもりであったのだから、ほとほと自分は幽助に惚れ込んでいるといえよう。
(そうだな……これは惚れていると言うのだろうな)
 木陰に隠れていた使い魔を瞬時に始末してから、蔵馬は木々へと飛び移る。皿屋敷中学校の前までくれば幽助が自宅とは違う方向へ向かうのを見やって、小さくため息をつく。近頃、妙な話しを聞いたばかりだった。偽者の幽助と桑原が次々と累々淵中の生徒を闇討ちしているとか何とか。人間同士の論争に妖怪が加わるべきではないのに人間界に巣くう妖怪どものやり方が汚い。
(実に醜い)
 蔵馬は影に潜む三下妖怪の面影を思い返し冷笑した。そんな妖怪に幽助が簡単に殺される。そんなことを許すとでも?考えただけで虫唾が走る。
 蔵馬は幽助の前へ降り立った。
「幽助、どこに行くんだ?」
 突然現れた蔵馬に驚く幽助だったが、立ち止まってから一瞬何かを言い淀み、けれどできるだけ表情を和らげ答える。
……どこって……学校……
 視線を惑わせる幽助を見つめて蔵馬は「嘘が下手だな」と思い、それでも少し動かしただけで痛む体で、裏で仕掛けられた罠とは知らず累々淵中学校へ向かう幽助に釘をさす。
「駄目だ幽助」
「なんだよ! ちょっと様子を見るだけだろ! オレの偽者が出たとかそんな話を聞かされたら気になるだろ!」
 こちらを睨む幽助に、蔵馬はにっこり笑みを返す。
 釣られて幽助も同じようにへらっと笑ったが、瞬時に蔵馬が背後に回り幽助の腕を取れば慌てて声を上げた。
「蔵馬……っ!?」
「ほら、俺でも簡単に君を捻り潰せる」
「でも……本気じゃない……だろ?」
 背に回した腕を捻れば、幽助の顔が歪む。不安に顔を見上げているが、まだ警戒心が薄い。蔵馬は小さくため息をつく。
 潜んでいた使い魔の気配も気付いていない。蔵馬が始末しなければ何らかの攻撃をしかけていたかもしれない。使い魔の姿も見えない今の幽助なら普通の人間でも軽く腕をへし折るくらいはできる。蔵馬は鋭い視線を幽助に向け、腕を掴む手に力をこめた。
「く、蔵馬……お、怒ってるのか?」
「怒ってるよ」
 言ってから蔵馬は腕を離す。幽助は少し眉根を寄せてから腕をさすったが大人しく口を噤んだままだ。蔵馬が「怒ってる」と言ってからビクリと肩を揺らしていたから効果はあったようだ。
「ねぇ、幽助。妖怪は俺や飛影のような奴ばかりじゃない。もっと狡猾で今の君の状態を知ればどんな手でも使ってくる」
 だから他の誰かのために身を投げるような無茶をしないで欲しい。そんな言葉は飲み込んだが蔵馬はそんな幽助だから惹かれたのだ。どうにもジレンマを感じてしまう。
 そんな蔵馬の思考など知りもせず、幽助は真っ直ぐに見つめ返し言い放つ。
「オレのことなら全然良いんだ。けど、オレのことで関係ねぇ誰かが傷つくことはないだろ?」
 君ならそう言うだろうね。そう密かに想ってから蔵馬は想いに浸る。彼に無茶をして欲しくないなら自分が強くなればいい。
 元の妖力に戻れば手っ取り早いのだが。と、考えるもすぐに首を振る。
 そう簡単に元の妖力に戻れるわけもないし、それに妖狐蔵馬に戻れば―――
(ここにはいられなくなる)
 幽助のそばにいられるのなら、姿はどうだって良いが彼が分けてくれた命だ。人間南野秀一としての命は大事にしたい。強くなることにこしたことはないが。
 そこまで考えてからこちらを覗き見る幽助と目が合う。
「ところで幽助、俺が怒ると不安がるね。どうして?」
 蔵馬は首を傾げた。
 以前から幽助には蔵馬に対してそんな感情が読み取れる。不安がるというより、怒っている蔵馬と対峙したくないようだ。
 そんな蔵馬の疑問はあっさりと幽助が示す。
「だって、お前怒ると性質が悪そうだ」

……
(ご名答)

 そういうことには勘付くのか。
 蔵馬はうっすらと微笑んで、
「否定はしない」
 と答えたのだった。

 結局、幽助と桑原は敵陣の罠に飛び込み予想通りの無謀ぶりを見せた。「困った人たちだ」と蔵馬は呟きながらも彼らの行動を見ていると、そう悪いようには思わない。芽生えた感情は確かに青臭く子どもっぽいものに思える。一人の霊界探偵に対しそばにいられる時間を大事にしたいなどと数百年生きてまさか己が淡い感情を抱くなんて。

(思いもしなかったな……





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