Killing Time Three Hours②

お互い彼女がだいしゅきなぐだ♂マシュのぐだおくんとエドぐだ♀のダンテスが、男同士で隙間時間にお喋りするシリーズ。
今回は肉バル。

 いわゆる肉バル、である。
 雑居ビルの一階にあり、駅前の大通りを一つ奥に入ったところにある。昼間は人通りも少ないが、夜ともなれば近辺のバーや飲み屋、夜間まで扉を開いているカフェの灯りで闇は賑やかに灯る。この店もまた同じように、十七時から橙色の電球を輝かせ、軽快な音楽を戸口の隙間から、肉の油が焦げる香ばしい匂いと共に路地へと放っていた。引き付けられた客が足を踏み入れれば、そこはカウンターテーブルと窓際の席が四つしかない小さな店内。あっという間に人は密度を増し、そのカウンターの右角、最も入口から遠い場所に、黒いタートルネックを着た灰の髪の男が長い足を窮屈に収めて座っていた。
 傍らに青年が歩み寄った時、男の顔はちらとそちらを向き、軽く手を上げた。青年は挨拶を口にし、青いマフラーとかさばるダウンジャケットの置き場所に困った後、カウンターの下の狭い隙間にそれを押し込む。それからやっと、彼は挨拶を口にした。
「意外なチョイスだった。肉バルとか来るんだ」
「おまえの胃袋に合わせただけだ。俺はさほど食わん」
 と、述べた男は指でテーブルを叩く。オリーブのピクルスと塩漬け肉が乗ったクラッカー、それとグラスが、狭いカウンターに並んでいた。
 男がメニューを手渡すと、青年はすぐにグリルチキンと骨付きソーセージの盛り合わせと焦がし醤油コーンバターを注文した。男がそれを見ながらやはり、という顔をする。二十歳を過ぎたばかりの育ちざかりである。三十路越えとは食欲と胃の頑健さが段違いだ。
 さもありなん、静かにグラスを傾けると、その中身が明らかに酒ではないことに、青年はあれ、と首を傾げた。
「ウイスキー? じゃない、もしかしてウーロン茶?」
 青年の問いに、男は小さく否と答えた。
「ハイボールだ。味気ないが、深酒が過ぎるとあれが怒る」
「酔って絡んだり?」
「身体が酒臭くなるのが嫌だと」
 そこで、に、と笑う男であり、意味を察して赤くなるのが青年、である。
 一体どこに酒の匂いを纏わせた口をつけるのだ、だとか、あえて唇がではなく身体がと言った理由は、だとか、分からないほど青年も初心ではなかった。男が溺愛している彼女の情報は、相変わらず赤毛であることと元気のよいこと、あとはこの、身長百八十五センチにして眉目秀麗のフランス人の心を射止めっぱなしだということ程度しか知らないが、濃密な関係であることがまたひとつ察せられてしまった。
 その物言いからすると、今夜は自分と食事をした後に、彼女の元に行くのだろう。ハー、と、自身でもよくわからない感嘆なのか驚嘆なのか不明瞭な溜息をついてから、青年は追加で黒烏龍茶を注文した。男が片眉を持ち上げる。
「おまえは構わんぞ。ビールなり日本酒なり、好きに注文するがいい」
「や、今日は遠慮します。コレなんで」
 青年が胸ポケットからビ、と指で挟んで示したものは、表面の光沢も真新しい一枚のカードだった。
 日付の下に緑のラインが引かれ、緊張した面持ちの顔写真が張り付けられている。記載事項にはATに限る。それは取得したばかりの、初々しい免許証だった。
「車で来てるから、お酒は無しで。っていっても、実家のおさがりのTANTOだけどさ」
 明らかに誇らしげに、青年はカードを胸ポケットに収める。男からすれば、そんな場所に剥き出しで免許証を仕舞うことなど滅多にないので、つまり見せびらかしたくてわざわざカードケースなり財布なりから出して用意していたのだな、と知れた。知れたが、追及しないでおくのが年上として相応しい振る舞いだった。
「そうか、とうとう得たか。如何程掛かった」
 問われることが嬉しい青年は、笑顔で一本指を立てる。挨拶よりも余程、調子のよい声でもって。
「合宿で取ったから一ヶ月かかんなかったよ。思ったより簡単だった」
「成程」
「そう、それでなんだけどさ、免許が取れたわけでさ、大分慣れて来たんだ」
「結構なことだ」
「もう高速も大丈夫だし四車線もビビらないし。で!」
「意中の娘を乗せて走りたいと」
「その通り!!」
 と、高々に青年が応じ、手を叩いた時。
「お待たせしました、コーンバターとチキンソーセージ盛り合わせでーす」
 背後から肉のプレートが運ばれてきた。青年が再び顔を赤くし、アッハイオレのですこっちにオネガイシマス、と小さな声で言う。上がり過ぎたテンションを、氷で嵩を増した黒烏龍茶が冷やしてゆくかのようだった。免許を取得した喜びと、その目的についての語りがヒートアップし過ぎた自覚が今更恥となって押し寄せている現在の彼の心境が、男の目にも明らかである。
 少しばかり元気の良すぎる、気分が高揚すると声が大きくなるという青年の癖を男は既に知っていた。ついでに言えばこうして会う度に、何の話題を持ちかけられるかもよく知っている。それが故の店のチョイス――ほどほどにうるさく、かつ、大声で喋っても問題のない店――であることは、青年は知る由もなかった。
 青年は男を、恋愛面での良き相談相手と認識している。
 男は先輩風を吹かせたわけでも、身を乗り出して親身になったわけでもない。ただ共通の知り合いが青年の意中の女性であったが故に、とりわけ話がしやすかった。それだけのことが始まりで今に至っている。男からすれば進みの遅い恋愛の相談など耳に砂糖菓子が詰まるが、突き放すほど冷たい関係でもない。結果、こうして何事か進退に迷った時、青年は男を頼るのだった。
「えっと、それで……で、デート、に、誘いたいんだけど」
「悪くもなかろう。そういった手合いが街を闊歩する季節だ。それとない主張にもなろう」
「そう!なんだけど、ほら、まだその、お付き合い、はしてないわけで、どこがいいのかって」
 しどろもどろに語る青年に、男は鼻をふん、と鳴らす。笑いの音でもって。
「免許の取得は容易でも、誘い文句は難しいか」
「いや、そこで告白するんだって! だからその、参考に!?」
「参考?」
 ピクルスを刺したピックを手に、男が眉を顰める。迫力のある外国人が訝しげな表情を浮かべると、それだけでも圧があった。慣れている青年でなければ息を飲むようなそれだ。
 そのひそめた眉に動じず、青年は教えて、と、両手を合わせる。
「どこに誘えば良いと思う!?」
 男はその顔をまじまじと見、そのまま手だけを動かし、オリーブを静かに口に運んだ。
 咀嚼。ピックを皿に向け、セロリに突き刺す。グラスの中身は半分減っており、追加を頼むか否か、目が悩む。狂おしい迷いだった。余り飲んでは呼気に酒を帯びる。彼女が機嫌を悪くした猫のような顔で鼻を動かす姿を想像し、拙いと思う感情と、その表情を堪能したい悪辣な趣味趣向が頭をもたげるからこそ悩ましい。しばしの逡巡の後、男は店員を呼んだ。
「スルーは止めて欲しいんだけども!?」
 青年の悲痛な声を背景に、ハイボール(レモンマシマシ)が追加された。
「無視などしていない。ただのオーダーだ。 ……だが、俺に何を求める。知りたければ本人に問うが良い。何処へ行きたいかと」
「それじゃノープラン男って思われるかもしれない! シュっとスマートに誘いたい!」
 そんな悲痛な声と共に、青年はソーセージにかじりつく。弾けた断面から肉汁が滴った。
「どこ選んでもあからさまな気がするんだ、マシュに変な気を遣わせたくないし、そりゃ確かに告白、はするつもりだけどそれは最後だから、それまでは純粋に楽しんで欲しいし…… 映画とか、食事とか、鉄板だとは思うけど……
 咀嚼中に喋らない礼儀は持ち合わせているらしい、青年は噛んで飲む、その合間にそのようなことをつらつらと切ない口調でもって訴えた。曰く、絶対に成功したい、本当に好きだから格好悪い所は見せたくない、頼れる男になりたい、だけれどどうしても難しく、空回りがしそうでどうにもならなくなったのだと。
 クラッカーの残りが一枚になるまでの間、男はその訴えを黙って聞いていた。成程この国の男はこうやって意中の娘に見栄を張って悩むのかと、一種新鮮な心持にすらなった。自国ではまずありえない光景だった。
 ひとしきり喋った青年が黒烏龍茶を空にして、ちなみに、と問いかけた時、男の追加オーダーが届いた。
「聞いてみたいんだけど、キミは彼女とどっか出かけたりする? どこが一番楽しそうだった?」
 そう問われ、男は顎に手を当てた。しばらくの沈黙。赤毛の恋人のことを想起する時、ほんの少しだけ、その金色の瞳の色は和らいだ。そうして言う。あれだ、と。
「直近だと、そうだな。テーマパークだ」
「え」
「少し前に流行っただろう。カルデアパークという」
「カッ……え、キミが!? カルデアパーク!?」
 カルデアパークとは、二年前にオープンした人気のアトラクションテーマパークである。会場初日は大層な来客で、入場規制も数か月続いていた。その後もチケットを取得することすら困難で、最近はようやく人の出入りも落ち着いてきた、というニュースを青年は見た記憶がある。ニュース番組ではティーンエイジャーがマスコットキャラクターのフォウくんの帽子やグッズを身に着け、ファンシーな風景を背に満面の笑みを浮かべていた。来場者の八割が女性だという。
 そんな場所に、この仏人男性が。デートに。
「写真もあるが、見るか。あれが隠し撮りした画像を俺に送ってきたものだ」
 硬直している青年をよそに、男はつい、とスマートフォンを操作してから画面を向ける。
 そこには――白い煉瓦の壁に寄り掛かり、人待ちの表情を浮かべた男の横顔が全身図でもって映っていた。
 フォウくんカチューシャ(白×青)を癖毛の頭に装着し、肩にはフォウくんの頭を模したポップコーンケースを下げ、手には子供が一人入ってもおかしくない大きさの、カルデアパーク全体のマップが印刷されたショッパーを下げている。ポップコーンケースを持つ肩には恐らく彼女のものだろう、全体が白いファーに覆われたフォウくんカラーのリュックサックを引っかけている。
 どう見てもエンジョイしていた。長身の仏人男性が、全力で、パークをエンジョイしている姿がそこにあった。
「エッ…… エッ……?」
 青年が顔を上げればそこには、すました顔で――酒など一滴も飲んでいませんとでも言うかのような――男の顔がある。ハーフアップに括った癖毛の灰の髪、丸縁の眼鏡、細いリブが入ったタートルネック。薬指には金のリング、膝にはグレーのチェスターコートと渋いオレンジ色のストールをひっかけている。目線を再びスマートフォンに向ければ、まったく同じ顔の人物がフォウくんを全力でエンジョイ。なんだこれは。何なのだろうか。口を開けたまま動かなくなった青年に向けて、男はふ、と鼻を鳴らした。言いたい事は分からないでもない、と言う様子で。
「成程、おまえからすれば俺は無様に映ろうな。女に合わせ、浮かれた姿を晒した中年と」
「そ、そんなことは……いやでも、らしくはない、とは、思う……
 スマートを辞書で調べればこの男の顔が掲載されているのではないか、と思わせるような、そんな風貌の彼である。青年の狼狽も無理はなかった。
 だが男は鼻で笑った表情のまま、するりとスマートフォンをカウンターに伏せる。それから灰の髪を揺らし、目を細めて言った。俺の無様など如何でも良い、と。
「その姿であれとパークを歩いた時、どれだけの笑顔が手に入ったか、おまえに知る由も無かろうな。己が滑稽さなど気にもならん。あれが揃いの恰好で歩きたいと望み、俺の頭に珍妙な飾りを挿して笑い、菓子を頬張り、珍しく土産を強請ったのだ。帰路の車内でさえ、外すのが嫌だと、もう少し余韻に浸りたいのだと鞄を抱きしめた。誰が拒み、誰が外せる? あの時間を得る為に必要であるならば、俺は幾度でもあの飾りをつけようさ。例え指をさして笑われようとも、あれが良しとするならば冥利に尽きる」
 そう――男が長く語り終えた時。
……フグゥッ」
 青年は泣いていた。閉じた両目から滂沱の涙を流し、鼻水まで覗かせ、泣いていた。
 ぎょっとした――この男がこういった表情を晒すのも珍しいことだった――男の前で、鼻をすする音が響く。軽快な音楽に包まれたバルの内、このカウンターの片隅の空気だけがあまりにも異質だった。
「お、オレ、情けないっ……
 握り締めた拳をテーブルに叩き付け、青年は言う。
「オレ、マシュにかっこ悪いって思われたくないとか、シュっとした感じで見せたいとか、そんなんばっかでっ…… ホントにマシュの事考えられてなかったっ……! キミみたいに、恥ずかしい恰好なんかしたくないって、指さされたり何アレカワイオモシローイって言われたらいやだって……! だけどそれって自分のことばっかりで、それでマシュが本当に笑ってくれるならオレだってそうすべき、いや、そうしたい! ばかにされたって写真とられたっていい!!」
「中途で俺を馬鹿にしていなかったか、おまえ」
「してないッ! ううっ、勉強になった、オレまだまだ未熟でした……!」
 そうして青年はグラスの中身をあおった。泣いた分だけの水分を補給するかのように、半分減ったグラスを干す。
 そこで男は、気が付いた。
 青年のグラスはとうに空になって居たはずだ、と。
「待て、おまえ、何を飲んでいる」
「へ? 何って、ウーロン茶」
 は、氷が溶け、既にカウンターの隅でただ水滴を生むだけのオブジェクトになり果てている。タイミングよく店員が、空いたグラスを下げると言ってそれを持って行った。青年の左手は握りこぶし。右手にはアルコールの香りが濃く残る、空白のグラスが握られていた。
「それは俺のハイボールだ」
「ふぇ」
 と、首を傾げた所で――青年の頭がぐら、と揺れた。
 頬が真っ赤だった。そして、額は白かった。アルコールに不慣れ、もしくは身体に合わない人間が濃度の高いハイボールを一気に摂取した時どうなるのか、その手本のような顔色だった。
 青年がウッと呻き、カウンターチェアから滑り下りた。そのまま足早に店の隅に駆けていく。男女兼用のピクトグラムが刻まれた扉の向こうにその背中が消える様子を、男は黙って見送るしかない。
 頭をよぎるのは、青年のどや、という表情。
『や、今日は遠慮します。コレなんで』
『車で来てるから、お酒は無しで』
 ――酒気帯び運転。
 道路交通法違反により、三年以下の懲役または五十万円以下の罰金。
……
 男は黙って額を押さえる。咄嗟に浮かぶ今後の行動が数パターン、冷酷なものから親身のものまでを並べ、それから今後の予定、赤毛の恋人が待つ部屋の様子や約束もまた頭に浮かぶ。
 愚かな過ちには相応の罰が必要だと男は常々思っているが、果たして青年のうっかり極まりない行動が罰せられるに足るものか、判断が難しい。たとえばグラスの中身がいつものようにウイスキーであったなら、色味が烏龍茶と似ていなかったら、青年が相談の時点で精神的に不安定でなかったら、そして、男が写真など見せ、語りなどしなければ――
 ああ、と、疲労を混ぜた声音でもって男は嘆息する。
 非情になり切れるのであれば、そもそもこの場すら、設けたりなどしなかった。
 真っ白い顔色の青年が席に戻ってくるまで、早くとも十五分程度かかるだろう。その間に男は勘定を済ませ、恋人へ謝罪の連絡をした上で、運転代行を用意しなければならない。ハンドルを握ることもやぶさかではないが、こちらも飲酒している。加えて、代行に預けて背を向けるには、あの顔色は悪すぎる。
 せめて青年の住まいがここから近くであるように。
 そう願いながら、男はテーブルの角に伏せられた伝票のボードを億劫な動きで手に取るのだった。