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千代里
2024-05-17 14:17:03
12898文字
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リーブラ13話
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リーブラの針は問う・13話・その7
ぼんやりと灯る、暖色の照明。薄い布団の上、一人の女性が座っていた。
波打つ薄桃色の髪に、森の緑を思わせる色味の瞳。彼女はゆったりとしたローブのような服を着ていて、外の暗さも相まって眠る時間なのだろうと思った。それを見ている自分は、自分が彼女によく似ていることを知っていた。
だが、今の自分はこの記憶の中にはいない。いるのは、小さな自分だけだ。
幼い自分はもう寝てしまうのが何だか惜しくて、あれやこれやと理由をつけて薄い寝台の上でごろごろと転がっているところだった。
「オフェリーは元気ねえ。お昼にお休みしたせいで、元気が有り余っているのかな」
「わたし、まだ起きてる! ねえ、なんで皆はもう寝ちゃうの?」
「皆、お疲れなのよ。じゃあ、元気なオフェリーが眠くなるまで、お話でもしていようかな」
その言葉を聞いて、幼い自分は爛々と瞳を輝かせて彼女のそばにぽんと座った。勢いが良すぎたせいで、寝台がぎしりと軋んだほどだ。
「わたし、お姫様のお話がいい!」
「あらあら、またその話? この前お話したじゃない」
「いいの! お姫様と、オオカミさんとネコさんと魔法使いさんのお話! わたし、あれがいい!」
娘である自分に促されて、母親であるその女性はぽんぽんと寝台の上で跳ねようとする自分を座らせ直す。ぽてんと、膝の上に横たわる娘の髪を撫でながら、彼女はゆったりとした声音で語り始めた。
「昔々、あるところにお姫様がいました。お姫様はとても綺麗なお家に住んでいました。お庭には薔薇の花がいっぱい。お食事は甘いものがたくさん。着ている服はふわふわひらひらのドレス。お姫様は、毎日が幸せでした」
お話の中の姫君に想いを馳せているのか、自分の瞳には憧れの星がいくつも瞬いている。
二人がいる部屋はお世辞にも綺麗とは言えなかったし、着ている服も粗末なものだったが、母親が語る物語に浸っている間は自分がお姫様になったような気持ちになれた。
「お姫様の素敵なお家は、魔法使いさんが用意してくれたものでした。魔法使いさんはとても優しくて、お姫様のお願いをなんでも叶えてくれましたが、お姫様に一つだけ言いつけを守るように言っていました。それが」
「お外に出ちゃいけないよ! お外には怖いオオカミさんがいっぱいいるから!」
すでに何度も語ってもらった物語だったので、自分は先取りして言葉を重ねる。
大きな声だったので、母親である彼女は「しー」と人差し指を口元にあてて、自分に静かにするように促した。
「そう。よく覚えているのね、オフェリーは。お外は怖いオオカミさんがいっぱい。お姫様はお外が怖くて、お家の門を潜り抜けたことは一度もありませんでした。ですが、ある日、オオカミさんの方からお姫様のお家にやってきたのです」
「お姫様は、オオカミさんと遊ぶんだよね。オオカミさん、お姫様に素敵なお話をしてくれるんでしょ」
「ええ、そうよ。オオカミさんはお姫様の知らないお外の様子をたくさん教えてくれました。そうなると、お姫様は、お外の様子が気になって仕方ありません。わたしも外に行ってみたいわ。そう言うと、オオカミさんはとても困った顔をしていましたが、お姫様を外に案内してくれました」
ころころと膝の上で寝返りを打つ娘の髪を撫でながら、母はどこか懐かしげに目を細めている。
「お姫様は、オオカミさんにたくさん質問をしました。あれは何? これは何? あれは持って帰っていいもの? こっちは触ってもいい? オオカミさんはお姫様のお転婆ぶりにとてもびっくりしました」
「でも、お姫様をいじめる悪いオオカミがやってきちゃうんでしょ?」
自分はその展開が好きになれなくて、いつもそこの話は飛ばしてほしいと頼んでしまう。二人はずっと仲良しでいてほしいのに、悪いオオカミはお姫様と優しいオオカミの仲を裂いてしまうのだ。
「ええ。オオカミさんが悪い仲間を追い払ってくれたけれど、お姫様はすっかり外が怖くなって、外に出て行かなくなってしまいました。オオカミさんも、仲間に怒られて、お姫様の元に来なくなりました。でも、お姫様はオオカミさんに見せてもらった外の世界のことをずっと覚えていたのです」
「それから、ネコさんがやってくるんだよね?」
「その通り。お姫様はオオカミさんと出会った頃よりも大きくなって、立派な女の人に成長しました。でも、やっぱり外の世界は怖い。そうしてお家で過ごしているところに、今度は小さなネコさんがやってきました」
ネコは、どうしてお姫様が外に出られないのかと尋ねる。お姫様は、外が怖いからよと答える。ありし日のオオカミのように、小さなネコはお姫様を守ろうと言うけれど、お姫様はやっぱり首を横に振るばかりだった。
「そうしているうちに、魔法使いさんがお姫様の元にやってきました。魔法使いさんは、お外で起きている色んな問題を解決する、皆に尊敬されるような素晴らしい人でした。でも、そんな魔法使いさんにも解決できないことはあります。魔法使いさんはとても疲れてしまいました。そこで、お姫様と一緒に、お外を忘れて一緒に過ごすことにしました」
「ねえ、お母さん。魔法使いさんは、どうしてお姫様と一緒にお外に行かなかったの? お姫様は怖がりだったんだから、色んなことをなんとかできる魔法使いさんがいたら、きっと安心して、お外にも行けたよ」
「さて、どうしてでしょうね。もしかしたら、お姫様が色んな問題に出会うのが嫌だったのかもしれないわね」
こてんと首を傾げている自分に、母はくすくすと笑顔を返すだけだった。その意味は、実は今の自分にもよく分からない。
「魔法使いさんは、お姫様に素敵な宝物を渡して、再びいなくなってしまいました。魔法使いさんが解決しないといけない問題は、まだたくさんあったからです。お姫様は、そのことをネコさんに伝えました。ネコさんはその宝は良くないものだと怒っていましたが、お姫様は大事な魔法使いさんの宝なのだと、ちゃんと説明してあげました。ネコさんも、お姫様のお話を聞いて、最後には一緒に宝を守ってあげると言ってくれました」
そうして、と彼女は言う。
「そうして、お姫様は宝物と一緒に、いつまでも魔法使いさんがくるのを待っているのでした」
母の話はいつもここで終わる。だが、自分の本領はここから発揮される。
幼い自分はよいしょと起き上がり、眠気など微塵も感じさせない笑顔で、
「じゃあ、わたしがお話の続きを作る番! あのね、お姫様のところに魔法使いさんがまたやって来てね、今度はお姫様とずっと一緒に暮らすの。魔法使いさんは実は王子様で、お姫様のために素敵なお城を用意してくれるの。そこにオオカミさんも招いて、皆で楽しく暮らすの!」
幼い自分の即興の付け足しに、彼女は笑みを崩さずにうんうんと頷いている。
物語はどんどん広がり、お城でパーティが開かれるという展開に至るものの、そのあたりで幼い自分の体力が限界を迎えてしまった。
うつらうつらと頭を揺らす自分を、母はそれとなく寝床へと導いていく。
「それでね、あのね
……
」
「うんうん。それから、どうなったのかな」
囁くような声で問いかける彼女の声に促されて、自分はゆっくりと目を閉じていく。それを見守っている彼女の気配を心に刻みながら、今の自分もゆっくりと目を閉じた。
◇◇◇
「お母さん
……
」
薄暗い天井が目に入ると同時に、そんな言葉がオデットの口をついて飛び出した。
ここは、ノエの父が抑えてくれた皇都の宿ーーその一室だ。女性の面々に割り振られた部屋なので、今は部屋の中にはヤルマルとサルヒしかいない。外はまだ暗いようで、二人が入っている寝台からは穏やかな寝息が聞こえてくるばかりだ。
だが、目を覚ましたオデットは、とてもではないが寝直す気分になどなれなかった。
(これが、思い出すということなのでしょうか)
今もまだ、礼拝堂で突然祈りを捧げてしまった時の違和感がオデットの中に残っている。まるで、喉に何か引っかかっているかのような。
礼拝堂で一度気を失い、気がついたらオデットは宿屋のベッドの中にいた。ノエが運んできてくれたのだと分かった時は、申し訳なさと羞恥で彼の顔が見られず、いっときとはいえ記憶が戻って来たことによる不安を忘れられた。
だが、落ち着きを取り戻せば、不安もまたぶり返してくる。自分の知らない記憶が当然のように頭の中に残っていて、ふとした弾みで振り返り、手に取ることができる。
それは、今までここ半年ほどの記憶だけを抱えていたオデットにとっては、ひどく不気味なことでもあった。
(お母さんとお話ししたとか、救貧院にいた頃の記憶が、少しずつわたしの中で当たり前になっていく
……
)
今までは本を読んでいるかのように第三者の目線で見ていたがために、我が事のように感じる場面は無かった。お兄ちゃんと呼んでいた人が雪崩に巻き込まれる姿を思い出しても、それはあくまで赤の他人を気の毒だと感じる気持ちに過ぎなかった。
だが、今は違う。母の寝物語を、自分の中に根ざした記憶として思い出せてしまう。そして、その寝物語を聞かせてくれた人はもうどこにもいないのだという喪失も。
それは、もはや見知らぬ誰かの死ではなくなっていた。
「お母さん
……
」
もう一度、母を呼ぶ。彼女の死を忘れていた自分がいたことが、今では信じられないほどだ。
流石に、亡くなったのはもう何年も前ということもあってわんわんと泣くようなことはない。
たとえるなら、胸の中に消えない穴があって、その存在に漸く気がついたような、そんな消えない痛み。それが、オデットにとっての『母の死』だった。
(でも、わたしは
……
お母さんが亡くなっていることよりも、兄さんとの関係が変わることを恐れていたんですよね)
ディアヌから母親の死については、すでに聞かされていた。なので、オデットにとって母の訃報は思い出さずとも、すでに分かっていたことだ。
だから、今の心境の変化は、漸く心が母の死を受け止めていた嘗ての自分に追いついた証拠なのだろう。
オデットはほう、とため息をついて、寝台から足を下ろす。このような整理できていない心のまま寝直す気には到底なれなかった。
少しヒヤリとした床が、オデットに残っていた眠気を追い払ってくれる。身震いしながら、オデットは内履きに足をつっかけ、上着を羽織り、音もなく部屋を出た。
柔らかな照明が照らしあげた階段を降り、階下へと向かう。夕飯を食べた食堂は、今は誰もいないので閑散としていた。
だが、立ち去ろうとしたオデットは、食堂の端から漏れている光に気がつく。
「あっちは、厨房の方
……
?」
こんな時間から、もう朝の支度をしているのだろうか。ことさらお腹が空いていたわけではないが、今は己の好奇心を優先して、自分の中に残っている曖昧な不安を上書きしたかった。
足音を殺し、オデットは厨房に続く扉ーーその隙間に目を当てる。
(あれは
……
ルーシャンさんですね)
細い隙間の向こうに見えたのは、見覚えのある男の影だった。彼は何かを書いているところだったようだが、やがて書き終えたそれを小さく折りたたむと、そばにあった何かに括り付けていた。
ルーシャンは紙をくくりつけた何かを手に持つと、ドアの隙間から見えない所に行ってしまった。ガタン、と木枠が動く音とと、外からの隙間風が扉越しに吹き込んできたので、恐らくは窓を開けたのだろう。
だが、それを確認する前に、オデットは隙間風に身を震わせ、
「
……
っくしゅん」
くしゃみの音が、静寂の厨房に響く。同時に、再び木枠が動く音が聞こえて、隙間風が感じられなくなる。程なくして、足音が響くと共に、オデットが目を押し付けていた厨房の扉が大きく開いた。
「やっぱりお嬢ちゃんか。こんな時間にどうしたんだ?」
「えっと、その
……
寝られなくて。ルーシャンさんもですか?」
「ああ。どうにも落ち着かなくてな」
話をしながら、ルーシャンは作業机に広げていた羊皮紙やインク壷を片付けていく。机の上には、イシュガルドの各地域について記した地図が広げられていた。次の目的地に向かう旅程を確認していたのだろうか。
「寝られないのは、やっぱり記憶のことが原因か?」
「
……
はい。色んなことが思い出せたり、思い出せたはずなのに上手く自分の中で繋がらなかったりして
……
ここの辺りがずっとざわざわしているんです」
オデットは自分の胸の辺りを、そっと掌で覆う。
意識してもしなくても、ふとした弾みで記憶が蘇る。そして、それが今までの自分が知っているものではなかったと気がつき、動揺する。宿に戻ってから、一事が万事その調子だったので、オデットは全く気が休まらなかった。
今だって、小さな頃にも夜中に起きた覚えがある、という記憶がふわりと浮かび上がってくる。そういえば、あの時はこんなことをしてたなあと振り返る自分と、そんな過去を当たり前のように受け止める自分への動揺がごちゃ混ぜになって、自分の内側で渦を巻いている。言葉にするとしたら、そんな心境だ。
「今までのわたしは知らなかったことを、今のわたしは当たり前として受け止めている。だけど、全部が全部、当時の気持ちが繋がるというわけでもないんです。小さい頃のわたしは、何でこんなことをしてるんだろうって、不思議に思うときもあって
……
それは、思い出したとは言えないんでしょうか」
「いや、意外とそうでもないんじゃないか。昔の記憶なんて、そんなもんだろ」
オデットの取り止めもない不安の吐露であっても、ルーシャンは聞き流さずに正面から答えてくれた。
「ああ、そうか。オデットは過去の記憶がないから、昔を思い出すってこと自体が初体験なんだな」
「そうなると思います。あ、もちろん、兄さんと出会ったときの様子を思い出すこととかは、今までも何度かありました」
「その時、何で自分はこんなことしてるんだって思ったことはなかったか?」
ルーシャンに質問をされて、オデットは小さく頷く。
今でこそノエのことを『兄』と呼び、慕っているオデットではあるが、出会った当初は彼を強く警戒していた。彼に対する強い恐怖心を拭いきれず、差し伸べてくれた手を払いのけようとしたぐらいだ。
「過去の自分と今の自分じゃ、たとえ一日前のことだってズレが出てしまうもんなんだよ。あの時の自分は何でこんなことをって思うのは、『思い出す』って行動においては大して珍しくもないことだ」
ルーシャンにそのように説明をされて、オデットは改めて自分の中で湧き上がってくる思い出たちに触れてみる。
全てを細かく思い出せる記憶はほとんどなく、多くはひどく断片的だ。しかも、記憶の中の幼い自分は自由奔放で、母親に甘えてばかりで、どうにも自分らしくないと思ってしまうのに、これもまた自分だと感覚で理解してもいる。
曖昧なちぐはぐの違和感ーーけれども、それもまた『思い出す』ということなのだろう。
「小さな頃の思い出が、すごくぼんやりしているのも普通のことなのでしょうか」
「そうだな。俺みたいなおじさんは、自分の年齢が一桁のときのことなんざ、もう殆ど覚えてないぞ」
おどけたように笑ってみせるルーシャンにつられて、オデットもようやく強張っていた頬に微笑みを浮かべる。
記憶を思い出したはずなのに、明確な内容が思い出せないこともまた『当たり前』だと教えてもらったのは、思い出すことそのものにおいて初心者であるオデットにとってはありがたかった。
「でも、ちゃんと覚えていることもあるんです。お母さんが夜寝る前にしてくれたお話の内容とか、妙にはっきりと頭に残っていて。そんなどうでもいいこと、すぐに忘れてしまいそうなのに」
「印象深いものとか、どうでもいいくせにやけにくっきりと焼き付いている記憶ってやつはあるもんだからな。それは、どんな話なんだ?」
「えっと
……
本当に、子供向けのお話で、大したものではないんですけど」
「よかったら、それは僕も聞いてみたいな」
突如、背後から第三者の声が聞こえて、オデットはそちらへと向き直る。声から予想していたように、そこにはノエが立っていた。
「おいおい、若人もかよ。夜更かしは一人で間に合っているぞ」
「ルーシャンさんだって、起きているじゃないですか」
「年寄りは夜が長いんだよ。まったく、仕方ない子供たちだな」
肩をすくめつつ、ルーシャンは厨房の端に引っ掛けてあったケトルを手に取る。続けて、保管庫からミルクの入った小分けされた缶を取り出すと、中へと注いでいった。
「どうせ、長い夜になるだろ? お二人さん、飲み物はミルクだけでいいか。今ならシロップもつけるぞ」
「じゃあ、僕はシロップひと匙お願いします。オデットはどうする?」
「あ、わたしも同じものをお願いします」
「了解っと。飲み終わったらちゃんと歯磨いて寝ろよ。さもないと歯が溶けるからな」
軽口を叩きながらも、ルーシャンの手はてきぱきとミルクの準備を進めている。余熱が残っているキッチンストーブに炎のクリスタルを投入し、魔法で火を熾す。じょじょに熱を持ち始めたストーブの鉄板部分にケトルを置けば、程なくして湯気が湧き上がっていく。
「それで、オデットのお母さん
……
オディールさんがお話ししてくれた物語は、どんなものだったんだ?」
待っている間、暇つぶしも兼ねてノエがオデットへと問う。
オデットは、夢の中で聞かされた物語をもう一度辿り、つっかえながらも二人へと語って聞かせる。
お話に登場するのは、お姫様と魔法使いと、オオカミとネコだけだ。改めて語ったが故にわかったことだが、子供に聞かせる寓話にしては、山もなければ結末らしい結末もない物語だ。恐らくは、母がその場で思いついた即興の物語を、自分が気に入って何度も話すようにせがんでいたのだろう。
物語を語り終えた頃には、ミルクの準備も終わり、オデットとノエの前にマグカップが運ばれる。シロップがひと匙入ったおかげで、ミルクは淡いクリーム色に染まっていた。
「お話しは、お姫様が魔法使いさんを待っている所で終わるんだね」
「はい。お母さんは、いつもそこでお話しを止めていました」
話を聞きながら、ノエは『魔法使いさん』という言葉に微かに眉を寄せた。
それは、オデットの母が口にしていたなら、彼女の夫を示唆している可能性がある。救貧院にいたときの彼女の思わせぶりな口ぶりから、そのような推察が可能だ。
だが、オデットはその部分の合致については、まだ気がついていないようだった。
(それとも、僕の気にし過ぎかな
……
)
思い出せるままに言葉を並べているオデットを気遣い、今は余計な口を挟まずに、ノエは彼女の言葉に耳を傾け続ける。
「でも、わたしはそこで終わるのが嫌で
……
むしろ、その後の話を付け足すのが好きだったようです」
「へえ。オデットは、どんなお話にしたんだい?」
ノエに問われて、オデットはミルクに口をつけるふりをして、カップで顔を隠した。自分の子供じみた都合のいい物語を真面目な顔で話すのは、いくら相手がノエでも恥ずかしい。いや、むしろノエだからこそ恥ずかしい。
「そ、その
……
魔法使いが王子様で、お姫様をお城に招待するして、皆で仲良く暮らすとか
……
そういう、お話にしてました」
「なるほど。小さなオデットは、皆が幸せになれるような優しい物語にしたいと思っていたんだね」
ノエに幼い頃の自分の拙い物語を褒められて、ますますオデットの顔は赤くなる。カップの向こうに隠れた彼女の頬は、夕日のような色になっていた。
「オオカミさんとネコさんねえ。子供が喜びそうな、夢のある話じゃないか」
一緒になって話を聞いていたルーシャンも、うんうんと相槌を打っている。オデットはますます羞恥心に駆られて、顔を上げられなくなってしまっていた。
「ですが、子供向けの話にして、少し寂しいお話しではありませんか。姫君は、魔法使いの帰りを待ち続けていたのでしょう。それに、狼も結局は再び姿を見せることはありません。オデットの母親は、どうして二人が戻ってくるお話にしなかったのでしょうか」
小さなオデットでも、自分自身が望む顛末を組み上げられたのだ。母親がそれに気が付かないのは不自然ではないかとノエは指摘してみたが、ルーシャンは肩をすくめて見せるだけだった。
「さてな。寝物語なんてものは、出てきた登場人物にそこまで拘るものじゃない。案外、ただ忘れていただけかもしれないぞ」
「でも、わたしはお姫様に振り回されるオオカミさんのところは、面白いと思っていたみたいですよ」
「まあ、そりゃあ
……
普通は逆だものな
……
」
物語の中で、狼という生き物は凶暴な敵として描かれる場合が多い。しかも、それが姫君に振り回されるともなれば、立場が完全に逆転している。幼いオデットにとっては、そのちぐはぐ具合が面白く感じられたようだ。
「
……
そうやって、わたしにお話をしてくれたお母さんのこと、わたしはずっと忘れていたんですね」
母の思い出を語ると同時に、オデットの中にはもう一つの忘れてはならない場面が思い出される。
思い出としては過去のことだからあやふやな場面も多いが、それでも今際の際に自分の手を握ってくれていた母の姿は、今ははっきりと思い出せた。
「お母さんが亡くなっているって知ったのに、わたしは兄さんのことばかり気にしてしまっていたんです」
「その時は、それがオデットにとって大事なことだったんだ。今のオデットが責める必要はないよ」
「
……
そうですね。今なら、わたし、ルーシャンさんの言葉がわかるような気がします」
強い気持ちは、ずっと抱えていられるものではない。それは、いつか自分が意識をしていなくても、急に湧き上がり、忘れさせてくれなくなるものだ。
オデットが母の思い出を教えてもらった直後、動揺する彼女をルーシャンはそのように諭した。
そして、今。オデットは、不意に湧き上がった母への哀悼の感情に、こんなにも強く心を支配されている。
「お母さんが亡くなっていることは、わたしにとってすごく悲しいことだったんだって
……
その気持ちを、ようやく取り戻せたような感じなんです。ただ、自分の中で上手く整理できなくて、まだどう向き合えばいいのかもわからなくて」
「
……
オデット。今はまだ、記憶を取り戻したばかりなんだから、無理に答えを急ぐ必要もないと思う」
カップを置いて、ノエは俯いているオデットの頭を撫でてやる。
「それに、もしかしたら答えは出ないものなのかもしれない。僕だって、お母様が亡くなったことはとても悲しいって思っているし、自分なりにあの人の死に向き合ってきたつもりだけど
……
それでも、時々自分でも整理できない感情を見つけてしまうことがあるから」
亡くなった事実を純粋に悲しむ自分や、母と共に過ごした日々で感じたことに浸りたい自分。それでいて、今の成長した視点からみると、かつての母の態度に疑念を抱いてしまう自分。
様々な感情があちこちで主張をしていて、綺麗な形で答えを出すなど、不可能に思えるほどだ。
「お母さんのことでも、ですか」
「そうだね。好きな人や身近な人でも、思い出というものは見るたびに違う姿を見せてしまうものだから」
「そういうもの
……
なんですね」
記憶を取り戻したところで、そこに付随する感情に全てが飲み込まれるわけではない。そう言ってもらったような気がして、オデットは内心で胸を撫で下ろす。
記憶の中で喜怒哀楽を感じる自分もいれば、記憶を取り戻して新たな感情を得る自分もいる。そのどちらもオデットであり、どちらかが消える必要もないのだと、改めて理屈で理解できたような気がした。
「あの、兄さん。それに、ルーシャンさんも。もし、よかったら
……
ですけれど。わたしの、思い出話を聞いてもらえますか」
できるなら、今は、少しでも溢れかえる記憶の整理をしたかった。過去の自分が思ったことと、今の自分が思ったことを照らし合わせて、そこに生まれる相似もズレも、どちらも自分のものとして飲みくだす機会が欲しかった。
果たして、ノエもルーシャンも迷いに揺れる少女に、頷きを返してくれた。
「ぜひ、聞かせてほしいな。僕も、小さな頃のオデットがどんな風に過ごしたか知りたい」
「眠くなるまでで良ければ、付き合ってやるよ。こんなおじさんで良ければな」
二人に励まされるようにして、オデットは拙い言葉を繰り、自分の中にあった思い出の箱を開いていく。そこにいる幼い自分を、そっと胸の内に抱きしめるかのように。
***
「
……
寝てしまいましたね」
「そりゃ、もう三時だからな。良いこは寝てる時間だ」
一時間ほど語り終えた後。オデットはエーテルが切れた魔法人形のように、ぽてんと机に突っ伏して眠り始めた。どうやら、この様子では、寝る前に歯を磨く約束は守れそうにない。
「オデットが、過去の記憶を思い出すことを受けいられるようになって良かったです。もし、拒絶するようだったら
……
どうしようかと思っていましたので」
「すでにお嬢ちゃんにはお前との思い出がある。たとえ、思い出した記憶がこの上なく最悪だったとしても、お前の思い出だけでどうにか立ち直るだろうと俺は思っていたさ」
「そういうものなのでしょうか」
「まあ、若人や俺みたいに年とって知恵ばかり身につけてしまうと、優しい記憶も苦い記憶も表裏一体だろうから、そう上手く切り分けられないんだろうけれどな」
その最たるものが、ノエの過去だ。彼にとっては穏やかで暖かな両親との記憶も、今は素直に受け止められなくなってしまっている。
「ですが、僕にも思い出すだけで励まされる記憶はありますよ」
その一方で、裏表なく、これこそが自分にとって失えない記憶だと思うものはある。
ウヴィルトータと過ごした、ささやかな星芒祭の宴。剣の師であり伯父でもあったフィリベールと巡った皇都の記憶。
そして。
「皆さんと一緒に過ごした日々は、僕にとって自分を鼓舞してくれる大事な思い出です」
「
……
はは、それを俺の前で言うか。おじさんが照れるところなんか見て、何が楽しいんだか」
「ですが、事実ですから。ウヴィルトータさんと別れて、一人で生きていくしかないと思っていた僕から見れば、今こうして皆さんと共にいるのは本当にかけがえのない時間なんです」
できるなら、この先もずっと。
そうノエが言おうとしたときだった。
「そんなに買ってもらっているところ、悪いんだがな。お前が実家に帰って、親父さんとのごたごたが片付いたら、俺はイシュガルドに残るつもりだ。お前がグリダニアに帰るなら、ここでお別れってことになるな」
「
……
え?」
突然示された別離に、ノエは驚きの声と共に凍りつく。
しかし、驚嘆しているノエとは逆に、ルーシャンは平静そのものだった。空になったマグカップを回収し、桶に残っていた水で洗い始めたほどに落ち着き払っていた。
「
……
理由を、聞いてもいいでしょうか」
自分がルーシャンの選択をどうこうできる立場ではない。それを弁えながらも、それでもノエは聞かずにはいられなかった。
対して、ルーシャンは振り向くこともせずに、さらりとした調子のままで、
「そりゃ、イシュガルドでやることがあるからだよ」
「
……
やること?」
「詳しくは秘密ってことにしておいてくれ。こんな風に好き勝手しているが、一応俺にも人生の目的ってものがあるんだよ」
カップについた水滴を拭き取り、籠へと戻していく。彼の手つきに迷いはなく、彼がノエの問いかけに動揺していないと示していた。
「で、その目的のためにはイシュガルドにいる方が都合がいい。ここは、大手を振って帰るのは難しいお国柄だろ。クルザスのどこかから雪原を渡って行くしかないかと思ってたから、今の状況にはそれなりに感謝してるんだぞ」
冗談めかして誤魔化してはいるが、彼は「やっぱりやめる」とは言わなかった。それだけ、自分の目的に真剣に取り組みたいと考えているのだろう。
そして、ノエとのこれまでの日々も大事に思ってくれている。だからこそ、ノエが帰還するならついていけないと先に言ってくれたーーノエには、そう思えた。
これは、ルーシャンなりにノエに向き合ってくれた結果である。それはわかっているのだが、ノエの中には拭い切れない寂寥が尾を引いていた。
「サルヒさんも、ルーシャンさんについて行くんですか」
「ああ、いや
……
あいつはあいつの好きにしたらいいと思っている。あいつは俺の意見を大事にしてくれるが、俺は別にあいつを自分の都合で振り回したいわけじゃないんだからな」
今まで迷いを見せていなかったルーシャンだったが、サルヒのことを話題にされると初めて明確な戸惑いを顔に浮かべた。どことなく早口なのも、彼女に対して思うところがあるからだろう。
「それよりも、ノエ。お前はどうするんだよ。オデットが記憶を取り戻したとして、彼女の家族とかそれに関係する人物がイシュガルドに居ても居なくても、お前の行く末はそのままお嬢ちゃんにも影響を与える。身の振り方は考えておいた方がいいぞ」
「
……
オデットのことはオデットが決める、というのは、僕の逃げなんでしょうね」
「そう考えてる時点で、答えは出ているようなもんだろ?」
ルーシャンの言う通りだ。オデットがどう言おうと、彼女にとってノエの存在が持つ意味は大きい。
ノエがグリダニアに戻るなら、彼女は自分の家族がイシュガルドにいても、グリダニアに戻りたいと言い出すかもしれない。
(僕が冒険者になったのは、オデットを保護しながらひと所に留まるために必要だったからだ。でも、もし、オデットに帰る場所があったら?)
ノエが冒険者で居続ける必要はない。ならば、自分はどうなるのか。
ウヴィルトータが亡くなって見失った道は、オデットに出会うことにより、新たな答えを得た。しかし、オデットがノエの手を離せば、再びノエは道を見失うことになってしまう。
「
……
助言ありがとうございます。僕も、この先どうするかについて、考えておきます」
「そこまで難しく捉えなくとも、とりあえずグリダニアに帰るって手もある。その辺は、若人が望むようにすりゃいいさ」
ルーシャンに一礼してから、ノエは机に突っ伏して眠っているオデットを抱えて、厨房を後にする。
扉を閉じながら、彼は思う。
「
……
僕が望む道は、何なのだろうか」
正しくあれる人でありたいと思っていた。けれども、今はまだその答えはあやふやなままだ。
いつか答えを出せばいい。そう思っているうちに時は移ろい、オデットは記憶を取り戻しかけるまでに至り、ノエは父親との対面を目前としている。
(
……
変わっていってしまうんだな)
いつまでも、今までと同じように過ごしたい。そう願う自分の心が、かつてのオデットと同じであることに、ノエ自身気づかないわけにはいかなかった。
***
「オオカミさんは、お姫様と一緒に過ごしました
……
ねえ」
オデットが即興で付け足していた御伽噺を繰り返し、ルーシャンは自分でも皮肉っぽさが抜けきっていないと思う笑みを浮かべる。
「
……
もし、親父が生きていたなら、そういう道もあったかもしれないけどよ」
所詮、物語は物語に過ぎない。
だから、彼女は娘に中途半端な物語しか語れなかったのだろう。その程度には、彼女も大人になっていたのだ。
「さて、皇都の滞在は何日になるかねえ。買い出しするなら、明日には済ませておかないとな」
気持ちを切り替え、ルーシャンは洗い終えたカップをしばし見つめーーやがて何かを断ち切るように、厨房の照明を消した。
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