週末、晴天、お散歩日和。商店街主催のフリーマーケットを、少女がひとり、ウキウキとした足取りで、軽やかに歩いていく。風にゆらりと揺れる銀髪は、暖かな光とおどるような緩いカールでふわふわり。ひらひらの真っ赤なプリーツスカートは、頭に巻いたリボンスカーフとお揃いでご機嫌。そこのお嬢さん、うちをちょいとみていかないかい。その声にふと少女が立ち寄れば、輸入雑貨のブレスレットをひとつふたつ手に取って、どう活かそうかな、なんて。ぷくぷく膨らむイメージに、ピタッと似合うターコイズの腕輪にビビビッとくる。お兄さん、これください。おっ、いいねぇ、お嬢さん。お目が高いよ、きっといいことがある。少女が会計を済ませれば、早速腕輪を身につけて、また店々の間をふらーりふらり。
少女はこの辺りの学校に通う学生……その裏では、本の世界の力を纏うリブロマンサー、ミスティガールとして、戦いの場に身を投じている。けれど今日はプライベート。のびのび羽を伸ばす日。友達のあの子はお出かけするし、師匠のあの人からの呼び出しもないし。少女はひとり、いや、相棒である絵本の妖精とふたり、買い物を楽しんでいた。
あちこちをふらり回って、けれどふと日の暑さを覚えた。春の到来からしばらくして、夏が近づいてきた。気温が高い日もあるから、ちゃんと水分は摂りなさいね、と母の言葉を少女は思い返す。そういえば、今日は水筒を持ってきてなかったんだ。キョロキョロ見回しても、自動販売機は見当たらない。ちょっと裏手に入ればあるかな。少女はフリーマーケットのストリートから少し外れた細い通りに入っていった。
ビルとビルの合間に通る狭い道は、ビル風と日陰で熱った体を癒してくれる。ゴミが散らばっていて爽やかな、とはいかないけれど、少女はコンクリートをコツコツ歩いていく。
何度か角を曲がった先に、ようやく見つけた自販機。お水をひとつ、がらんと出てきて、こくこく飲めば、冷たさにふぅと生き返る。鞄に入れて、さてどうしよう。まだ日陰で休憩したい気もするし、お店も見たい気がするし……。そうしていると、からんと小さな鐘のなる音が聞こえた。何だろう? 少女がそちらに足を向けるとまた、からからん、と。
徐に、少女は音を追いかけ始めた。角を曲がると、からからりん。もう一度曲がると、からんからん。そうして辿り着いた行き止まり、突き当たり。黒い看板が、淡い光を纏っている。煉瓦の建物には、木の枠の丸い窓。その隙間からは、きらきら光る粒子が立ち上る。何だかここだけ別の世界みたい。そう、まるで、絵本の中のような。
ねえ。少女は絵本を取り出して、問いかける。あの建物、何だろう? 絵本の表紙から、ぴょんと飛び出た青い妖精は、きらきら軌跡を残しつつ、窓の中を覗き込んだ。妖精が振り返る。ここ、お裁縫屋さんみたいよ、女の人が居るわ。ちゃんと営業しているみたい。そう聞いた少女は、扉の前に立つ。妖精がのぞき込んだ窓は少女には背伸びしても届かず、覗き込めなかった。しかし、その店の雰囲気か、匂いか。少女の鼓動は俄かに早くなり、インターホンを探した。……見つからない。でも、入ってみたい。そんな興味が少女を突き動かし、扉をこんこん、と叩いた。
……返事がない。大丈夫だったかな。胸にシクリと引っかかるが、どうしても、どうしても中を見てみたい。もう一度、こんこん、と。すると今度は、はい、と女性の声が返り、扉が開いた。少女が見上げる程、背の高い女性。グレーベージュの髪にはブルーのメッシュがすらりと入り、大きなベルトで体をしっかり締めて、ボディラインが綺麗にくっきりと。軍帽とレザー地、更にはハイヒールのサイハイブーツ。パンキッシュに纏まっているのに、裾や襟やところどころに施されたステッチは、その厳しい印象を柔らげていた。なにより、その人の表情は凛々しくもどこか夢見心地。扉の前の少女をみつけると、しゃがみこんで目線を同じくした。
こんにちは。もしかして、お客さん? 女性は微笑んで、少女に尋ねた。少女は頷き、答える。あの、なんだか素敵なお店だなって思って、入ってみたくて……。少し緊張してしどろもどろな少女に、女性はまたふふふ、と微笑んだ。えぇ、せっかく見つけてもらえたんですから、どうぞ入ってみてください。お気に召すものがきっとありますよ。
女性は立ち上がり、少女を店に迎え入れる。お邪魔します、と頭を下げて扉をくぐれば、そこはまさしく別世界。近所では見ることもできない木張りの床と壁。ランプに灯った明かりは炎ではなく、本当に光だけを閉じ込めているかのよう。ふわり漂う甘い良い香りと、ほんのり照らされる店内をぐるりと見渡すと、筒に巻かれた織物がずらりと並び、少女は瞬く間もなく夢中になった。棚に並んだたくさんのリボン。しっかりと整頓された針や糸。中には、宝石が嵌め込まれた豪華なボタンまで。しかも、プラスチックで作られた宝石じゃない。本物の宝石だ。この店の商品はどれも値札がついていなかったが、少女は直感した。これは、すごくすごく、良い物だ、と。店主は少女に伝える。今は手が空いていなくて。どうぞ、ご自由に見ていってください、と。少女は頷き、商品棚の間へと入っていく。店主はその背を見届けて、棚からひとつ、丸めた紙を取り出した。
少女は商品棚を眺め、どれにもときめき、けれど決して手を触れなかった。と言うのも、少女にとってこのような店に、親に連れられず入るのは初めてだった。街中にあるような大量生産と大量消費のファストファッションと違って、この店にあるものはどれもこれも一点もの。おそらく、デパートのコスメよりもずっとずっと、自分のお小遣いで買える物ではない。毛皮のように艶めく布に、ガラスのように透き通る布。触ってうっかり汚してしまったら……なんて考えたくもない。だから、見るだけ、見るだけ。
ふと、少女は風を感じた。振り返ると、今通ってきた商品棚の先に店主が居る。その高い背と同じほど長い、大きな鋏のような形のものを持っていた。鋏、といえど片方だけで、持ち手の部分には緑色の球体が浮かび、まるで針山のように数本の針が刺さっていた。店主はふ、と帽子を脱ぎ、半分だけの鋏を手放すと、鋏はひとりでに浮かび上がる。少女は息を呑んだ。一体、何が始まるんだろう、と。
そして、店主は手を振り下ろした。クイと手繰り寄せるかのような動作ののち、筒に巻かれた真っ白いシルクのような布がシュルリと解けて、宙に道を描き出す。す、と手で何かを切るような動作をすれば、布はいくつかの小さな布に切り分けられ、続けて鋏の針山に刺さった針がふわり、動き出す。部屋の中心に置かれたマネキンに布が纏わり、針が縫い付け、形を作っていく。胸元はハートカットのデコルテで、ウエストラインはコルセットのようにギュッと細くなり、ひとつひとつ丁寧に畳まれていったフリルがスカートへとボリュームを重ね、腰は大きく花開いていく。まるで、絵本のなかのお姫様のドレスのよう。銀の糸が針についていくさまは、さながら親鳥についていく小鳥のよう。するりするりと刺繍を差し込んでは、ただ白かっただけのドレスは可憐な銀を帯びていく。妖精の羽のような飾りが腰にすっかり馴染んでは、ランプの灯りを優美に映し取る。図案に視線を落とす店主の目は、キリリと凛々しく。またひとつ、布を切り分けた。
少女が呆気に取られている間に、何とも美しいドレスが仕立て上がった。結婚式を思わせる純白のドレスは、そして何よりも、店主が服を仕立てていくその光景は、少女の胸を強く、強く打ち、ぼうっと見惚れてしまうほど。これは、まさしく、魔法だ、と。
店主は少女に振り返る。なにか、良いもの見つかりました? 少女はハッと息を取り戻して、すぐに頷く。あの、今の……。その言葉に、店主は首を傾げた。もしかして、ドレス? 少女はもじもじと視線を少し外してしまうが、すぐにまた真っ直ぐ店主を見た。ドレスももちろん素敵です。ただ、その……お姉さんが、ドレスを作る姿が、すっごく、すっごく、かっこいいなって。その言葉を聞いた店主は、私が? と訊ねた。
少女は頷く。店主は驚き、けれど頬をかいて笑った。私をそういうふうに素敵だって言ってくれる人、初めてかも……あ、そうだ。店主はポンと手を叩き、指を振る。切り出した布の真っ白な長い端材に、銀の糸が入り、あっという間に刺繍の入ったリボンが出来上がった。リボンを、店主は少女の髪に飾る。お姉さん、嬉しくなっちゃったから……これ、プレゼントです。
店主は鏡を持ってきては、少女に覗かせた。緩いカールの銀髪に、ふわりと巻かれた赤いリボンに、そっと寄り添う純白のリボン。少女はわあ、と声をあげ、そして、ありがとうございます、と頭を下げる。あ、お代を……、少女が財布を取り出そうとすると、店主は首を横に振った。ううん、大丈夫。これは私からの招待状です。貴女がここに来れたのは偶然じゃないはず。だから、また来てね、と。
からん、からん。
小さな鐘の音が響く。少女は気が付けば、メインストリートが見える道外れに立っていた。行き交う人は、フリーマーケットの袋を手に提げて、やいのやいのと歩いていく。
一体、今、何が起きたんだろう。お店に居たはず……。少女は表通りから離れ、絵本の妖精に訊ねた。ねえ、今……。すると、妖精は答えた。わかったわ、魔法の世界に行っていたのよ。今、ここに戻って来たのね、と。
魔法の世界。今の学校に入るまで、どうせ現実にはありっこないさとばかり言われてきた、憧れの世界。もしかして、夢だったのかな。少女の暗い声に、妖精は絵本からぴょんと飛び出して、語りかけた。ほら、ちゃんと見てごらん。赤いリボンにくるり巻かれた、優美な純白のリボン。あのお姉さんは、招待状って言ってた。少女が呟けば、妖精はふふふと笑う。あちらの世界で、誰かがあなたを呼んでいたのよ。あのお姉さんの言う通り、あのお店に行けたのは、偶然じゃあないわ。
少女はまた、リボンを頭に巻きなおす。夢じゃなかった、本当にあったんだ。少女はまだ、胸がドキドキし続けている。それを鎮めるでもなく、収めるでもなく、ただ、ドキドキするままに。そしてあのお姉さんの魔法は、ずっとずっと憧れていた魔法。何よりも大好きな絵本の、一番一番大切な――誰かを幸せにする魔法。
わたしもああいう魔法使いになりたいな。まだまだひよっこの魔法使いだけど、わたし……頑張るね。
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