視線があからさまなのでこちらを見ていることにはすぐ気付いたけれど、鬼太郎はあえて気付かないふりをした。たとえば猫だって、積極的に構いに行くより何もしないで待っている時の方が寄ってきたりするではないか。
養父は人間であって猫ではないし、気質だって猫というより犬のような気もするが、存外子どもっぽいところがあるのを薄々感じている。鬼太郎がもっと、本当の意味で小さかった頃はしっかりした大人の男の面ばかりを見せていたが、成長するにつれ「この人、実は子どもっぽいところがあるな」と思わせる所が出てきた。
さて今日は何を思いついたのか。先日は唐突に肩に手を置いてきて、振り返った鬼太郎の頬にささった指に得意げな顔をしていた。クッッ…ソ可愛いなと思った。ひっかかった、と笑う顔があまりにも無邪気だったため、その後の記憶が若干怪しい。
ぴた。
水木は鬼太郎の背中に自分の背中をくっつけてきた。無言で。尻までぴたりと。
安産型じゃあと以前酔っ払った目玉に言われた(目玉は怒った水木に締め上げられていた)尻が…、ではなく。
「………」
僕は何を試されているんだ?
古い書籍を開いていたが、もう頭になど入ってきそうにない。背中がとても熱い。
「…………あの」
水木が何も言わないので、とうとう鬼太郎から声を発した。
「何か…?」
何ならずっとくっついていても鬼太郎は構わないのだが、いやしかし、意図は知りたい。
水木は首だけをひねって振り向いた。いっそあどけないと言いたい程の顔をしていた。
「匂いがつかないかと思って」
「…は?」
匂い。
マーキング?
「外で妖怪と会うと、鬼太郎の匂いがすると皆言う」
「………」
鬼太郎は目をそらした。
それは、まあ。だが別に水木は憤慨しているわけでもないようだった。
「不公平だと思う」
「?」
水木はごく真面目な顔をしていた。そして、結局体ごと向きを変えると、ギュッと鬼太郎を抱きしめてきた。とりあえずされるがままに任せ、鬼太郎は水木を見上げる。何もわからない。わかるのは水木の胸がやわらかく、あたたかいということだけだった。
「お前からも俺の匂いがしないと不公平だと思わないか?」
「……………………」
鬼太郎は固まって、まじまじと水木を見上げる。
「…ひとつ確認したいんですが」
「なんだ」
「あなたはいいんですか」
「何が」
「僕の匂いがすると言われても」
水木は、そんなことか、と肩をすくめた。
「別にいい」
「本当ですか…!?」
鬼太郎もさすがに目を見開き、水木の腕の囲いから抜け出す。甘んじて抱きしめられている場合ではない。
「ああ」
水木は怪訝そうな顔で、それでも頷いた。鬼太郎の胸の内なそれはもう大変なことになっている。
匂いがついている──とは、妖怪達がそうからかってくるのは、つまり、鬼太郎の妖気なり霊力なりといったものが水木にこびりついているという話で、なぜそうなるかといえばもうそれはひとつしか理由はなくて…。
「………みずき」
「ん?」
きょとんとした様子で首を傾げた水木の唇に触れれば、そこで初めて水木は驚いたようだった。
「なんで口くっつけたんだ、今」
「…接吻とかキスとか言ってくださいよ」
「………口くっついたで十分だ」
ぷい、と横を向く耳が微かに赤いのをどうにかしてほしいと鬼太郎は思う。百戦錬磨のような顔をして中身は純朴なんて、そんな…。
「僕が小さい頃だってチューくらいは言ったでしょ」
「…知らねぇな」
もう…、とため息をついて、鬼太郎は横からぎゅうっと水木を抱きしめる。
「水木がとんでもないこと言うから」
「なにが?」
「僕の匂いがつくのは構わないって。僕にもう少し理性がなかったらもう押し倒してますよ」
「なんでだよ」
「なんでって、なんで…」
ここでやっと、何かすれ違いがあるのではと鬼太郎は気付いた。同時に水木もまた、何か話が噛み合っていないことに気付く。
「…鬼太郎の匂い、いい匂いだろ?ちょっとスン…てして。木の匂いっていうか…」
「……………」
鬼太郎は健在な方の目を大きく見開いた。水木は絶句する鬼太郎に首をかしげる。
「だから別にいい。…嫌いな匂いじゃないし」
目をスッ…とそらし、ボソっと付け加えられた一言は素直ではなかった。が、鬼太郎の匂い──まさに体臭が好みなのだということはわかった。
それはそれで喜ばしい。だが。水木は誤解している。
「……僕もあなたの匂いが好きですよ」
誤解を解かないと…と頭の片隅で思うが、同時に解く必要はあるか?とも思う。実際牽制としてとても有効なのだ。鬼太郎の気配があるだけで、水木に近づくものは減る。特に不埒な考えをもつものが。
黙っていてもよくないか?
正義の味方らしからぬことを鬼太郎はちらりと考える。いや、これは嘘も方便というものであって。
鬼太郎の告白に、水木は照れくさそうに笑った。ほっとしているのだとわかる、春のひだまりのような…。
もうちょっと黙っていよう、鬼太郎はそう決めて、水木をより強く抱きしめる。
「もっと毎日くっついていましょう。そうしたらあなたの匂いが僕に染み付くかもしれない」
「だといいんだけどなあ」
ぎゅー、と口で言って抱きしめ返してくれる養父に、鬼太郎は考えることをやめた。そのかわり、少しだけ気になったことを聞いてみる。
「でも、なんでそんなこと急に?」
「………べつに」
「絶対何かあったんでしょう。言って」
「…………」
「水木」
「………、おまえがモテるから……」
「は?」
「俺のなのに」
「………、………………」
鬼太郎は…何か言おうとして、やめた。そして脱力して水木の胸に顔を埋めると、そうですよ、とだけ言った。
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