千代里
2024-05-14 07:53:37
13397文字
Public リーブラ13話
 

リーブラの針は問う・13話・その5


 イシュガルドの気温は、グリダニアとは比べ物にならないほどに低い。だが、その厳しさも外を歩いているときの話だ。
 第七霊災による急激な寒冷化こそあったものの、すでに気候の変動が起きてから五年が経過している。それだけの期間があれば、建物の中で暖を取る方法も確立されており、室内は過ごしやすい気温が保たれていた。
「部屋の中は、むしろ暑いぐらいなのですね。キャンプ・ドラゴンヘッドもそうでしたが、酒場でもこんなに暖かいとは思いませんでした」
「僕も少し驚いているよ。でも、冬になればイシュガルドは雪がたくさん降るところが多かったから、設備自体はあったのかもしれないね」
 オデットは羽織っていた毛織物でできた上着を脱ぎ、椅子へと腰を下ろす。
 彼女とノエは、イシュガルドの上層区域と下層区域の中間にある食事処に来ていた。夜になれば酒も出すようだが、今は料理の匂いの方が強く周囲を漂い、二人の鼻を刺激している。
「オデットの上着は、ヤルマルさんが選んでくれたんだよね。どうだい。防寒具としての機能は、イシュガルドでも問題ないかい」
「はい。ヤルマルさんが、グリダニアで一番暖かい上着を用意してくれって言ってくれましたので」
 防寒着については、ヤルマルは自分の分だけでなく、オデットの分まで率先して用意してくれた。
 ぱっと見たところはオデットの上着は丈が短く、防寒性能としては今ひとつのように見える。しかし、太ももまで覆うブーツは、一部の隙もなく布で覆われており、冷風が忍び込む隙間を徹底的に遮断していた。頭をすっぽり覆うふわふわの頭巾のおかげで、外を歩いていても寒いと感じることはほとんどない。
 とはいえ、自慢の上着も帽子も、今は椅子の背もたれにかけている。室内では、ここまでの厚着はむしろ汗をかくだけだ。
 オデットとノエが席に着いたのを見計らって、給仕が注文を取りにくる。ノエもオデットも暖かな紅茶と、イシュガルドマフィンに野菜や肉を挟んだサンドイッチのようなものを頼んだ。
 給仕が一礼して立ち去るのを見送ってから、オデットはノエに向き直る。
「兄さん。もしかして、エッグロワイヤルを頼みたかったのではありませんか」
 メニューを見せてもらったとき、ノエの顔が一瞬曇ったのをオデットは見逃していなかった。イシュガルドマフィンのイラストは、以前オデットがエッグロワイヤルを作るときに使ったマフィンとそっくりの形をしていた。地域から考えても、こちらの方が本家本元なのは間違いない。
 ノエは照れくさそうに頬を指で掻くと、
「もしあったら、とは思ったよ。でも、無いなら仕方ないさ」
「本場のエッグロワイヤル、わたしも食べてみたかったです」
「オデットの作ってくれたものも、十分に美味しかったよ。僕がイシュガルドで食べたものと遜色ないぐらいだ」
「それでも、味の研究に終わりはありませんから!」
 明るい声を出し、胸の前で拳を握りしめて、オデットはおどけた笑みを浮かべてみせる。それが自分を励ますためのパフォーマンスだと気づかないほど、ノエも愚かではない。ゆえに、彼もまたオデットの元気な声に乗ってみせる。
「イシュガルドの料理は、暖かいうちに食べるのが一番のものが多いんだ。宿屋の夕飯が何か、今から待ち遠しいよ」
「わたしも楽しみです! あ、でも、あまり重いものだと、食べ過ぎて太らないといいんですが……
「大丈夫だよ。オデットは育ち盛りだから、むしろ食べた方がいいぐらいだ」
「それなら、兄さんもたくさん食べてくださいね。兄さんの食が細いと、それが気になってわたしも食べられなくなってしまいます」
「それなら、オデットの食欲のためにも、僕もたくさん食べないといけないね」
 何気ない雑談ではあったが、オデットはノエの食事の量が落ちていることに気がついていた。原因は言わずもがな、父親からの手紙だろう。
 元々、ノエの食事の量は他より多いぐらいだった。前線で盾を振り翳し、魔物の攻撃を受け止めて戦うが故に、必要とする食事の量も必然的に多くなるからだ。
 だというのに、今のノエの食事量は人並み程度に落ち着いてしまっている。
 不安や緊張で食事が喉を通らないという経験は、オデットにもある。記憶を取り戻すきっかけが見つかった直後は、オデットもなかなか食べ物に手がつけられなかった。だからこそ、オデットはノエの食欲の減退が気になってしまうのだ。
 程なくて、注文していた料理と紅茶が運ばれてきて、二人は揃って祈りを捧げてから食事へと取り掛かる。検問前に食事をとったので、二人の腹は程よく空腹を訴えていた。
「兄さん。このお店に来る人たちは、グリダニアのカーラインカフェのお客様と少し違うのですね」
 マフィンのサンドイッチを一口頬張ってから、オデットは店に入った時から抱いていた疑問を口にする。
 彼女の言う通り、カーラインカフェではよく見かける色とりどりの装束の冒険者たちはここにはいない。代わりに、いかにも上等そうな仕立ての衣服を纏った男女や、揃いの装束を身につけた兵士と思しきものが目立つ。
 種族も、エレゼン族が半数以上を占めて、ヒューラン族の数は少なく、それ以外の種族はほとんど見かけない。
「ここは、上層と下層の中間ぐらいだからね。所得が多い労働者と、あとは貴族の人や騎士の人も来るんじゃないかな」
「皇都は、上層と下層で住んでいる人がそこまで違うのですか。グリダニアには、旧市街区と新市街区がありましたが、そこまで大きな差はないように見えましたよ」
「グリダニアの市街区と皇都の市街区では、そもそもの位置付けが違うからね」
 ノエの言う通り、グリダニアにおける市街区の違いはできた年数によるところが大きい。冒険者ギルドの付近に冒険者が集まりやすいという傾向こそあるものの、明確な身分や所得の差はなく、人口の分布にはそこまで強く反映されていない。
 だが、皇都において、住んでいる区画の持つ意味はグリダニアのそれと大きく異なる。
「皇都に入ったとき、石畳に傷みが残ったままになっていることに、オデットは気がついただろうか」
「はい。少しひび割れているものがありました。あ、でも、上層に行ったらひび割れもほとんどなくて、綺麗な石畳ばかりでしたね」
「うん。上層は貴族の人や教会関係者のような、身分の高い人が住んでいるからね。区画の手入れも念入りに行われている。でも、下層には貴族の邸宅は見られない。住んでいる人たちの身分が高くないことは、少なからず見た目にも影響を及ぼしていると思う」
 もっとも、下層には皇都の守りの要である騎士団の本部もあるので、決して粗雑な作りになっているわけではない。ドラゴン族が襲ってきた場合を考えて、物々しさが際立つのは仕方ないとも言える。
 だが、そうはいっても、明確な差はそこに残ってしまう。本人たちは意識していなくても、外からやってきた者だからこそ見えてしまうものもある。
「それに、雲霧街と呼ばれている、貧しい人たちが暮らしている区画は、もっと荒れているところもあるらしい」
……そんな。どうして、そのような区画ができるのですか。それも、ドラゴン族のせいなのですか」
「僕も、こればかりは一言じゃ上手く言えないよ。ドラゴン族のせいで、貧民街の手入れまで手が回っていないという部分も確かにあるんだろう。ドラゴン族の迎撃に使うための武器を作るのが最優先で、生活に関わる部分が後回しになっているとも言えるだろうね」
 グリダニアに表立った貧民街が見当たらないこともあってか、オデットはより強くショックを受けているようだった。
 とはいえ、グリダニアに貧民がいないわけではないだろう。そのような貧富の差が如実に現れていないのは、治安を悪化させる可能性のある者は精霊の気分を害するからと、率先してグリダニアの衛兵たちが動いているからではないかとノエは推測していた。
 密猟者の存在すら彼らは認めていないのだから、浮浪者や物乞いに対しても同様に対処する可能性は十分にある。
 それに、黒衣森を守護する精霊は、誰彼構わず受け入れてくれるわけではない。中には、グリダニアや森に受け入れられずに、終わらない彷徨の果てに命を落とした者もいるのかもしれない。もっとも、流石に今のオデットにそんな話は聞かせられないが。
「身なりが整った方が多く来ているのは、そのような理由からだったのですね。じゃあ、兄さんの……
 オデットはそこで、不自然に唇を閉ざした。何か言いかけて閉ざしたのは明らかな、思わせぶりな中断だった。
 オデットができる限り避けようとしている話題を推測すれば、彼女が何を言いかけたのかはすぐにわかる。
……僕の、お母様のことかい」
「はい。……兄さんのお母さんも、貧しい方だったのですか」
 ノエ自身に話題を拾われてしまったため、観念してオデットもはっきりと疑問を言葉にする。
「多分、そうだったんだと思うよ。お母様は昔の話は全くしてくれなかったから、憶測でしかないけれどね」
 だからこそ、彼女は貴族に見初められたという事実に固執した。ノエという『嫡男』の存在を殊更に喧伝し、正妻の反感を買ってしまった。
「兄さんの故郷は、皇都ではないのですよね。では、兄さんの……お父さんのおさめてる領地でも、同じような貧しい人たちがいたのでしょうか」
「どうだろう。僕は、父の屋敷がある街には行ったことがなかったから」
「えっ、そうだったのですか」
 驚いた様子のオデットに対して、ノエは当然だと言わんばかりの顔で首肯する。
「僕は妾腹の子だ。流石に、そのような子供を、自分の邸がある場所に招く真似はできなかったんだと思うよ。だから、僕は父さんが収めている領地の全てを知っているわけではないんだ」
 ノエが知っているのは、妾である母を隠すように建てられた屋敷と、屋敷のそばにあった素朴な村だけだった。
 今思うに、あれは農村の視察のために作った宿泊用の家を、妾を囲うための屋敷として作り替えたのだろう。仮の住まいであっても随分と豪奢な作りだったように覚えているが、本家の館はあの比ではないのかもしれない。
……だから、僕はあいつがどんな風に領民に思われているのかも知らない。今、どんな生活をしているのかも、想像すらできない。僕はあいつのことを許さないと言っているけれど、僕が嫌っているあいつは、きっとほんの一側面に過ぎないんだろう」
 ルーシャンの義父のように、領民を守るために粉骨砕身しているのか。それとも、物語に描かれる怠惰な領主のように、領民に憎まれているのか。
 どちらがノエにとって望ましいのかも、今のノエには決められない。自分が嫌う相手が、世界の全てに嫌われていれば楽だったのだが、そんな都合のいいことがあるわけがない。
「僕にとって、あいつは『父親』でしかなかったんだ。だって、僕の元に来るあいつは『父親』で、何か偉い仕事をしていると言われていても、それを直で見たわけでもなかったから」
 たとえ、領主としての仕事を見たとしても、まだ年端もいかぬ年頃のノエでは理解できなかったのだろう。故に、ノエにとって、自分の父親は『父』という側面しか持っていなかった。
「でも、ルーシャンさんとイシュガルドの話をして、この国を出て行ったことはどう思うかと訊かれて、少し……あいつの違う姿も考えられた気がする」
 冷め始めた紅茶を口につけて、ノエは思案する。
 父親にとって、領民はかけがえのない存在だ。単に、領地を潤すために必要な人材というだけではない。彼らの命をドラゴン族から守るのが、貴族であるものに課せられる使命なのだから。
 彼らが国を潤すために田畑を耕し、家畜を育て、物資を流通させるのなら、彼らが安心して暮らせるように治安を維持するのが貴族の役目だ。グリダニアでは衛兵たちが受け持っていた任を、ノエの父は己の肩に背負っている。
 楽な仕事ではないはずだ。血筋を守るために、貴族は縁談すら決められているという。それは一体誰のためのものかはわからないが、己の保ってきた血脈を守らねば周囲から侮られるのも貴族なのだろう。
 実際、父にもノエの母以外の妻がいた――竜に変じてしまった妻が。
 だが、貴族に責任はあれど、父とて一人の人だ。己の心の信じるままに、恋をすることもあるだろう。
 愛した人が貧民であるからといって、貴族の慣習に則って放逐するような真似もできなかったとしてもおかしくはない。たとえ、そこに伯父の進言がなかったとしても。
 彼から差し伸べられた、中途半端な幸福の意味を全く考えられないほど、ノエも幼くはない。
(でも、だからといって、僕はあいつの謝罪を受け取れるのか?)
 オランローにも言われたことだ。自分の怒りは何を発端として、どのように芽吹いたのか自覚的であれと。
 そうしてノエが考えに耽っていると、不意に彼の腕に、暖かな手の感触が伝わってきた。
 誰だと考えるまでもない。それは、いつもそばにいてくれた少女のものだ。
「オデット?」
「兄さん、また難しい顔をしていますよ」
 そう言って、彼女はわざとらしくぎゅーっと眉を寄せる。その表情がなんだかおかしくて、ノエの強張った表情がふと緩む。
「兄さんが、お父さんのお仕事のことを考えられるようになったのは、きっと兄さんにとっても大事なことなんだと思います。でも、わたしは……兄さんがあれだけ苦しんでいたことも、ちゃんと覚えていてあげてほしいんです」
「覚えていてあげてほしいって、誰のために?」
「そんなの、兄さんの中で我慢している、もう一人の兄さんのためですよ」
 オデットは覚えている。自分の中の正しさが何なのか迷っていたノエが、己の胸を引き裂かんばかりの声で漏らした言葉の数々を。彼がどれだけ家族のことで悩み、苦しんできたかを彼女はその目で見ている。
 迷子の子供のように、不安に満ちた表情を向けた瞬間は、オデットの瞼にいまだにはっきりと焼きついていた。
「兄さんは、たくさん悩んでいました。今でこそ、ヤルマルさんを助けたり、エメーヌさんたちの護衛をしたり、迷いながらも兄さんなりに答えを見つけられたとわたしは思ってます。でも、やっぱり、兄さんが最初に苦しんだ理由を見ないふりするのは、違うと思うんです」
 悩んだ末に成長できたのは、素晴らしいことだろう。だが、だからといって、ノエを最初に苦しめた存在を許容する理由にはなり得ない。
……もし、あの事件がなかったら、僕は貴族の妾の子供として、それなりの地位に甘んじていただろう。それに比べれば、僕は今の僕の方が成長できていると思う。それに、変な言い方になるが、僕はあいつに見捨てられたことで、オデットにも出会えた」
「わたしも、兄さんに出会えてよかったと思います。それは、間違いありません」
 迷わずに頷き返したものの、オデットは続けて神妙な面持ちで、
「では、兄さんは……わたしの記憶がなくなっていてよかったって、そう言えますか」
「それは、言えない。言ってはいけないと思う。結果的に、君に出会えたのは僕の幸運だったとしても」
「なら、それと同じです。兄さんが成長するきっかけになったとしても、発端の悲しい出来事まで受け入れるかどうかは、また別問題だと思います」
 ちょうど、ノエがオデットの記憶喪失を喜べないのと同じように。ノエが、ノエ自身の過去を受け入れなくてもいいと、オデットは彼の心に寄り添う。
……そうだね。あいつに会ったときの自分の気持ちに、素直になりたい。今はそれだけを考えておくよ」
「はい。まだ時間はありますから。兄さんが考える時間が必要だと思うのなら、いくらでも待ってもらいましょう」
 それぐらいの猶予は許してほしいものだ。何せ、十年以上ぶりの再会になるのだから。
 話にひと段落がついた頃を見計らったように、二人のカップが空になった。注文したマフィンのサンドも全てお腹に収まり、程よい満腹感が二人の間に漂う。
 背もたれに体を預け、一息ついていたときだった。ガラガラとドアベルが鳴り響き、入り口から数名の騎士が姿を見せた。
 少し早い夕飯を食べにきたのだろうか。他の騎士とは一風異なる装束を纏った黒髪の青年と、部下と思しき銀髪の女性の姿、彼らの後を追う数名の騎士の姿を、ノエは何とはなしに目で追う。
 彼らを目で追っているうちに、ノエはあることを思い出していた。
「ねえ、オデット。僕は、昔……イシュガルドの騎士になりたかったんだ」
「兄さん?」
「小さい頃の夢だよ。ドラゴン族の脅威もよく知らなくて、でも皆が怖がっているものだってことだけは知っていて。だから、お母様が安心できるように騎士になるんだって、そんな夢を抱いていた」
 だが、ドラゴン族を狩るどころか、ノエ自身が異端者の嫌疑をかけられた。今は、イシュガルドの騎士などとは程遠い存在――ただの冒険者として、この場所にいる。
「もし、僕がイシュガルドに居続けたのなら、僕も騎士としてこの場所にいたんだろうか」
 ふと、そんなありもしない未来を夢想する。
 たとえ家の嫡男として認められなくても、騎士としての武功を立てれば、それなりの地位は確立させられる。
 騎士の給金で、領地からは少し離れていても自分の家を手に入れて、母と共に暮らしていたかもしれない。
 普段は皇都の警備について、休暇の時は母の元に顔を見せる。皇都や各地で暮らす貧しい人たちを守る、勇壮な騎士の中にノエの名もあったかもしれない。あるいは、国境沿いの駐屯地で、あの激励を送ってくれた騎士の部下として、旅人の安全を祈っていたかもしれない。
……兄さんは素晴らしい剣の腕を持っていますから、きっとドラゴン族とも渡り合えたと思いますよ」
「ありがとう、オデット。もし、この旅でドラゴンたちが襲ってくるようなことがあったら、僕が皆を守るよ」
 もしノエが騎士であったならば、ノエは領民を守る優秀な人材だっただろう。
 だが、実際はそうはならなかった。ノエの盾はオデットや仲間たちを守るためだけに存在し、彼の盾がイシュガルドの民を守るために掲げられることはなかった。
……わたしは、兄さんと一緒にいられてよかった。でも、少しだけ……申し訳ないような気もします)
 ノエ一人でドラゴン族の全てを撃退できるわけではないのだから、こんな心配はお門違いなのだろう。それでも、彼が騎士としてイシュガルドに残っていれば、守られた人がいたかもしれないという考えは、オデットの心に小さな影を残していく。
 実際にイシュガルドに足を踏み入れ、ドラゴンたちと戦うために常に重装備を纏っている騎士を目にしたり、孫の無事の帰りを待つ老人と話したりしたせいだろうか。
「さて、そろそろ店を出ようか。オデットの記憶の手がかりを探すついでに、ルーシャンさんほどじゃないけど皇都を案内するよ。もしかしたら、景色を見て何か思い出せるかもしれない」
「あ、はい。そう……ですね」
 背もたれにかけていた防寒具を羽織り直しつつ、オデットはノエを目で追う。
 イシュガルドの情勢とはまるで関係ない旅人として、この場にいる。そのことに対して、先ほどまでは感じなかった一抹の気まずさを覚えながら。そして、ノエは自分のような気まずさを覚えているのだろうかと不安を抱きながら。
 
 ***
 
 ノエが話していたように、皇都の上層には、貴族やそれに連なる者が住まう邸宅が多くあるようだ。そのため、全体的に下層よりも身なりが整った者が多く見られた。
 下層の様子をまじまじと観察したことがあるわけでもないオデットですら、庭先の緑や花々の手入れが行き届いていることに気づかないわけにはいかなかった。
 グリダニアとは全く異なる植生ではあるが、園芸師ギルドで一時期手伝いをしていたオデットには、大事に育てられていることがすぐに分かった。
「兄さんが話していたように、この辺りは家が多いようですね。でも、家の数に比べると人の数が少ないのではありませんか」
「地方の領主は、皇都には邸宅だけを構えているという場合もあるから、そのせいじゃないかな。星芒祭や聖協会の祭事のときだけ訪問する場合も多いから、今は人が少ないんだと思うよ」
「使わないお家を、ずっと皇都に置いているのですか?」
 オデットは驚きの声をあげて、立ち並ぶ居宅を念入りに観察する。たしかに、ノエの言うように、邸宅の中には人の気配がないものもあった。
「多少手入れの手間はあるけれど、邸宅を複数所持できるのも貴族の嗜みなのだろうね。移動が多いし、立場が立場だから、安宿に泊まるというわけにもいかないんだろう」
……何だか、お話の中の世界に迷い込んだような気分です。わたしの知っている暮らしと全く違う世界があるのですね」
「馴染まなくても仕方ないよ。僕も、知識として先に知っているというだけだから」
 しかも、それとてウヴィルトータと共にクルザス各地を巡っている際に、行きずりで出会った旅人や商人から又聞きしただけの知識だ。それらの内容と、自身が幼い頃に目にした景色を照らし合わせて、恐らくこうだろうと予測しているに過ぎない。
「兄さん、あちらの屋敷はずいぶんと立派に見えます。どのような方が住んでいるのでしょう。もしかして、あちらの家も今は誰も住んでいないのでしょうか」
「ああ……あの紋章は、四大貴族の方々の紋章だね。この辺りは、四大貴族とそれに連なる方々が住まわれている邸宅なんだと思うよ」
 流石に、名のある家といえども、他人の家を観光気分で覗き見るわけにはいかない。それとなく横目で流し見しつつ、ノエは邸宅の前を歩いていく。
 イシュガルドを代表する貴族の家だけあって、どの屋敷も他の建物よりも一際大きく、厳格さや壮麗さを際立たせる装飾が施されている。それでいて、嫌味に感じさせない足し引きは、名のある家が雇った建築家や芸術家の仕事の成果なのだろう。
「たしか、わたしの夢に出てきたおばあさんも、その家の名前を口にしていたような……
「四大貴族は、それだけ系譜に連なる人もいるだろうから、直系以外の人がいても不思議ではないよ。……とはいえ、正直僕も、オデットの口からデュランデルの名が出たときは、かなり驚かされたんだけどね」
 そうはいっても、本家から嫁をとったり婿を迎え入れれば、それだけで分家を名乗ることはできる。箔をつけるために、数世代どころか百年以上昔の血縁関係を引き出す例はよくある話だ。ノエ自自身、ひょっとしたら、どこかで四大貴族の血が混ざっている可能性はゼロではない。
「あっ、兄さん。見てください! ここからの景色、とても綺麗です!」
 ノエがあれこれ考えている間に、オデットは彼の手を引いて駆け出す。その先にあったのは、皇都の向こう側に広がる景色を眺めるための展望台を兼ねた広場だ。
 ノエの視界を埋め尽くす、白一色の雲海と万年雪を宿した霊峰の数々。ドラゴン族たちが潜んでいるかもしれないという脅威を差し引いても、その景色は瞼に焼き付けるだけの価値があった。
「すごい……。こんなに真っ白な世界があるんですね。
「ああ、とても綺麗だ。雪が降り続けるようになったから、山の雪もずっと白いままなのかもしれないね」
 ノエの言う通り、雲海に溶け込むように聳え立つ峰には、表面にあるはずの土が見えない。積雪がない部分には灰色の岩肌が表出しているものの、白い山々と並び立つと、どうにも無骨な印象が拭えない。
……綺麗ですけれど、少し寂しい景色ですね」
「白一面で寂しく見えてしまうかもしれないけれど、雪原の中にも暮らしている人はいるはずだよ」
「たしか、第七霊災が起きる前は、もっと緑があったのですよね」
「うん。夏になれば日差しが降り注ぐ地域もあったし、水遊びができるぐらいの気温にはなっていたよ」
 だが、その光景は、ひょっとしたら二度とこの地に戻ってこないものとなってしまったのかもしれない。それでも、人々はこの地で生きることを諦めたわけではない。
「寒冷化が進んでしまったとしても、イシュガルドで生きる人々はこの地に残り続けている。ヤルマルさんが言っていたけれど、彼らにとってここが故郷だから……なんだろうね」
 ノエにとっては、完全に切り離すこともできない一方で、この地こそが故郷であるとも言えない場所でもある。幼い頃は、騎士となって守りたいとまで言っていた大地は、今こうして踏み締めていても彼に帰還の実感を与えてくれない。
……兄さん」
「うん?」
「いえ、何でもないです」
 彼の横顔が少し寂しそうであることに、オデットも気がついていた。父親の件はあれど、ここはノエにとって間違いなく故郷である。けれども、ノエは故郷に戻ったという感慨を抱く素振りを見せていない。そのちぐはぐ具合に、本人も寂寥を覚えているのだろう。
(わたしが、口に出して指摘しても、どうしようもないことです。兄さんだって、きっと分かっているでしょうから)
 ならば、グリダニアに戻れば彼は安堵を得られるのかといえば、それもまた違うように思う。拭いきれない寂しさは、ノエの影のように、これからも寄り添い続けるに違いない。
「兄さん。あの……あちらに見える石像は何でしょうか」
 話題を変えようと、オデットはぐるりと振り返り、背後に続く階段の向こうに並ぶ石像を指差す。そこには、階段の両脇を固めるかのように数体の石像が並んでいた。見たところ、どれも甲冑姿の騎士をモチーフとしたようだ。
「えっと、あれは……何だったかな。たしか――
「おや、勉強不足だね。レディの観光案内をするのなら、イシュガルド聖典を隅から隅までまで読んできてはどうだい」
 ノエたちの会話を聞いていたのか、不意に横合いから見知らぬ声が割って入る。そこには、外套を羽織った青年が立っていた。貴族の衣服とは異なる制服のような装いから察するに、上層区にある学院や教育機関に通っている人物なのだろう。
「あちらにおわすは、建国の際にトールダン王と共に邪竜と戦った、十二の騎士様の像だ。そのぐらい、聖典を読めばすぐにわかることだろうに」
 ノエの見た目や話し方を聞いて、田舎からやってきたお上りさんとでも思ったのか。どこか嘲笑混じりの学生の言葉に、オデットは不満げに口を尖らせる。
「聖典は、なかなか読む機会がなかったもので。教えていただき、助かりました。」
「まったく、一体どんな辺境から来たんだか。ここは、田舎者が物見遊山で歩き回っていい場所ではないんだぞ。くれぐれも、高貴な方々の耳障りになるような振る舞いはするなよ」
 学生はそれだけ言い置くと、ノエたちを置いて坂道を上っていってしまった。彼の行くさきには教会と思しき建物が見えたので、恐らくは神学院の学生だろうとノエは検討をつける。
「まったく、失礼な人ですね! 聖典なんて本、わたしも読んだことはないですのに」
「イシュガルド聖教の教典だからね。全部を読み込んでいなくても、建国のお話ぐらいは覚えておけって言いたかったんだと思うよ」
 怒り心頭のオデットを嗜めつつ、ノエはせっかく教えてもらった騎士たちの像へと向かう。遠目から見ていた通り、どの石像も武器を構え、今にも皇都に向かってくるドラゴン族を迎撃しようとしているかのように見える。その姿勢こそが、皇都がドラゴン族に向ける気持ちを表しているようだった。
「イシュガルドにある建物は、この像もそうなのですけれど、何だか常に何かと戦っているような雰囲気がありますね。やはり、ドラゴン族と戦い続けた歴史があるからでしょうか」
「確かにそうだな。常に、彼らと戦うための気構えを持っていなければと、皆に伝えようとしているのかもしれないね」
「でも、何だかそれって……ずっと戦いのことばかり考えているみたいで、疲れてしまいませんか」
 オデットがこの街に来てから、どこかでずっと思っていたことでもある。
 騎士も町民も、道を行く貴族でさえ、他愛のない会話の裏にどこかに不安を滲ませている。拭いきれない『大丈夫だろうか』という懸念が、習い性のようにこびりついてしまっている。その不安が何から生じたものかは、今のオデットにはもう理解できていた。
 彼らは、いつ襲って来るか分からないドラゴン族への不安を、生まれた時から背負い続けながら生きているのだ。
「でも、そうでもしていなければ、イシュガルドで生きる人たちはドラゴン族に対して屈することしかできなかったんじゃないだろうか。竜と戦うんだ、打ち勝つんだって気持ちを持っていなければ、千年も戦い続けられる敵に立ち向かうなんてことはできなかったんだと思う」
 もし、ほんの少しでも敵わないと思ってしまったが最後、あとはなすすべなく蹂躙される未来が目に見えている。だからこそ、建国の神話に連なる騎士たちのことも、イシュガルド聖教の教えの中には組み込まれている。
 この国は竜との戦いと共に幕を開けた国であり、その戦いはこちらが膝を折る形で終わってはならないと印象付けるために。
「オデットの言うように、それはすごく厳しくて辛い選択かもしれない。……逃げたいと思う人がいてもおかしくはないし、その選択をした人を否定もできない。でも、同じくらい、戦い続けると決めた人たちの意思は気高いと、僕はそう思うよ」
 ノエは騎士の像の一つを見上げ、目を細める。その視線の先に夢想するのは、ありし日に語り聞かされた竜を屠る騎士の物語や、建国の逸話で語られる武人たちの姿だ。
……エメーヌさんが、自分だけがイシュガルドを出てきたことを、ドラゴンに怯えなくて済むのは安心できることなのに、何だか懐かしく思ってしまうのは不思議だと語っていた理由が、わかったような気がします」
 オデットは、グリダニアに残してきた友人と語った日々を思い出す。彼女は、オデットがイシュガルドに行くと聞いて、無事に帰ってくるようにと大袈裟なぐらいに戦神への祈りを捧げていた。あの時は大袈裟だと笑えたものも、今は彼女の祈りの意味が痛いほどに分かる。
「エメーヌさんが、そんなことを?」
「はい。ドラゴンの声に怯えなくて眠れる夜は嬉しい。けれども、やっぱりどこか懐かしいとも思っているようでした。それに、セルジュアンさんをイシュガルドに残してきたことも、少し気がかりに思っているようで、先日わたしにこっそり打ち明けてくれました」
 望んで置いてきたわけではないと自覚していたとしても、自分だけ安全な場所に移ったことを、生粋のイシュガルド人であるエメーヌはなかなか素直に受け止められなかったようだ。
 セルジュアンが引っ越したエメーヌを責めたわけではなかったとしても。
 オデットも同じ気持ちを、皇都に来て何度か感じていた。自分がただの観光客で、ドラゴン族の脅威に生涯怯えなくてはいけない立場ではない。だからこそ、言葉にしがたい引け目を覚えてしまう。わたしは関係ありませんという顔をし続けられるほど、彼女は豪胆ではいられなかった。
……イシュガルドという国は、それだけドラゴン族の脅威と深く結びついた国なのですね」
「ああ。それに終わりを告げられる日が来たら、この国はもっと変わるんじゃないかと思うよ」
 しかし、それこそあり得ない未来だ。
 ドラゴン族を討つための武具の生産が優先されるような現状。
 寒冷化に取り組むより先に迫る、ドラゴン族の脅威に悩まなければならない実情。
 住む家が明日には焼き払われるかもしれないと怯えなくてはならない日常。
 せめて心だけは折れるものかと、必死に戦神ハルオーネに祈りを捧げる日々。
 そして、その祈りすらも無造作に焼き払い、薙ぎ払う、ドラゴン族らの蹂躙。
 人々の生活のどこかには竜の牙が深々と突き立てられていて、もはやそれは生活の一部として当然のように人々に出血を強制し続けている。
「オデット。聖典の話が出たついでだから、教会にも行ってみようか。司祭様に頼んだら、子供向けの教典ぐらいは見せてもらえるかもしれないよ。それに、オデットのことを司祭様に尋ねてみたいとも思っていたんだ。ほら、オデットのことを知っているかもしれない司祭様がいるかもしれないって、ディアヌさんが言っていただろう」
「そう……ですね。わかりました」
 話がいきなり自分に関わることになって、オデットは一瞬言葉に詰まる。
 元はと言えば、オデットの記憶を探すために来たイシュガルドでもある。ともすると、浮ついてしまう足を地面にしっかりと付け直すような心地で、オデットは深々と頷く。自分に纏わるものが見つかってほしいような、見つかってほしくないような、相反する二つの心を抱えて。