ヨジ🔞
2024-05-13 11:13:48
2701文字
Public logh
 

【双璧】Das Urteil

黒い瞳のロイエンタールが、親友に会いにくる話。

参考:「判決(Das Urteil)」フランツ・カフカ
青空文庫🔗https://www.aozora.gr.jp/cards/001235/files/49865_41928.html

 その日生まれた赤ん坊には、父親と思しき男が二人いた。一人は青い瞳の、もう一人は黒い瞳の男だった。
 問題は、どちらが真の父親なのか、だ。なぜならその赤ん坊は左右で瞳の色の異なる金銀妖瞳で、左目が青、右目が黒だったのだ。
 不貞の母親はほっそりとうつくしい白い手を差し伸べ、こう言った。
 剣を。
 そうして女の手には、果物ナイフが握られた。
 続けて彼女は言った。
 わたしの瞳は青。夫の瞳も青。だからこの子を二つに切り分けて、青い瞳の左半分をわが子としましょう。
 それでは赤ん坊が死んでしまう、と声を上げる者は、存在しなかった。
 女の審判を受け、さらに青い瞳の男が宣告した。
「お前は生まれてこなければよかったのだ」

 ミッターマイヤーは呼び鈴の音に起こされた。部屋の暗闇は濃く、手元の端末が示す時刻は、日付を大きく跨いだ頃である。どの家でも、人々が眠りについている時間帯だ。
 たしかに聞こえたと思ったが、夢だったのだろうか。
 訝しんだミッターマイヤーはベッドから出るかどうか、しばし逡巡した。
 今、呼び鈴は、もはや余韻も残さずに沈黙している。いくら待っても、再び鳴らされる気配はなかった。
 空耳だと決めつけて寝直すことも考えたのだが、もしやと思い、ミッターマイヤーは軽く身支度を整えることにした。
 然ればこそ、だ。
「どうしたんだ、ロイエンタール」
 玄関脇のモニターに親友の姿をみとめるなり、ミッターマイヤーはすぐさまドアを開けた。それまでうつむき加減に立っていた男が、弾かれたように面を上げる。
 二人の視線がかち合い、ミッターマイヤーは思わず息を呑んだ。
 ――ロイエンタール、目が。
「すまん、ミッターマイヤー。迷惑をかけるつもりはなかったのだが……
 この男にしては珍しく歯切れが悪かった。常識外れの時間に訪ねてきたことを、悪く思っているのだ。家の前まで来るだけのつもりが、気づいたら呼び鈴を鳴らしてしまっていたのだという。
 彼はミッターマイヤーが不躾な訪問に気づかないことを願いつつも、それを確かめるすべがなく、ずっと立ち尽くしていたのだった。そして待っている間中、なんと弁解するべきか、考え続けていた。
 眠っているであろう友人にそれでも会いにきた理由は、ついに言葉にこそならなかった。だがミッターマイヤーには、まさに一目瞭然だった。
 ロイエンタールの瞳が、両方黒いのだ。
「とりあえず、入ったらどうだ」
 ミッターマイヤーの誘いに、黒い瞳の男は神妙に頷いた。

 突如訪ねてきた友人を部屋に招き入れたミッターマイヤーは、酒が入った方が話しやすかろうと、グラスを二つ出してきた。選んだのは寝酒を兼ねたブランデーである。ロイエンタールは親友の用意した琥珀色の酒をさっそく一杯飲み干し、自分で二杯目を注いだ。
 ささやかな深夜の酒宴は、他愛ない世間話から始まった。訪問客は少し饒舌で、普段よりも身振り手振りが多かった。
 やがて必然的な流れに乗って、話は本題へと移る。
「で、その目はどうしたのだ」
 いざ核心に触れられたロイエンタールは、先程起きた些細な出来事を明かした。
「女から色付きのコンタクトレンズを勧められてな」
 それを聞いたミッターマイヤーが、わずかに眉根を寄せた。
「卿はその女の提案を、素直に聞き入れたのか」
 平生と異なるロイエンタールの黒い双眸は、ミッターマイヤーの胸中に、自らの生い立ちを語る親友の声を喚び起こしていた。いいか、よく聞け、ミッターマイヤー、お前は結婚なんかしたがな、女という生物は男を裏切るために生を享けたんだぞ……
 ロイエンタールの方でも、自らの忌まわしい過去をこの友人に喋ってしまったことを思い出していた。彼がそれを忘れてなんかいやしないことは、あのときも今も、表情を見れば呆れるほどに明白だった。
 親友の苦い顔を肴にしながら、ロイエンタールはことさらに笑ってみせる。
「何、気まぐれさ。女の方も、つまらない好奇心だったのだろうよ。だが今更、瞳の色を変えたからなんだと思わないか。なあ、ミッターマイヤー……
 本当にロイエンタールは、自分でも不可解な気まぐれを度々起こすのだった。
 今回女に罪がないことは、彼が自身で口にしたように、頭では十分承知していた。
 だがロイエンタールが生まれ、目を開けたと同時に下された判決は、女に対する根強い不信を彼に植えつけ、さらには彼を自分の殻の中に閉じこもらせるのだった。
 「生まれてこなければよかった」という判決を追認するかのごとく、ロイエンタールは言い寄ってきた女を不幸にする。一方で、「どうせ生まれてきたなら可能なかぎり」という皮肉の効いた当てつけが、彼をこの地位まで連れてきた。
 度数の高い蒸留酒の杯を重ねたせいか、早くも酔いが回ってきたのをロイエンタールは自覚した。酒に溺れるというほどではないにせよ、蜂蜜色の髪をした親友といるので気が緩み、飲みすぎてしまったようだ。
 酩酊して、心が無防備になっていた。あとには剥き出しの心の、柔い部分が残るばかりだった。
 ロイエンタールは酔った末の意識と無意識のはざまで、自分が親友に会いにきた目的を、おぼろげながら理解した。
 この敬愛すべき親友は、死すべき黒い瞳のおれに、なんと宣告するのだろうか。

 さて、ミッターマイヤーは、ロイエンタールが話の中であえて語らなかった部分をも看破していた。
 その女が青と黒、二つのコンタクトレンズを差し出したこと。この男がわざわざ、後者を選び取ったこと。「似合っている」などと褒めそやしたその女と、今しがた別れてきたばかりであること。
 それで彼は、このおれに逢いにきた。
 ミッターマイヤーはふと、戦場で人を殺すときにも感じなかったような、何か得体の知れぬ重大なものが、肩にのしかかっているのを感じた。
 薄暗い部屋の唯一の光源であるデスクの照明が、ミッターマイヤーの背に光を投げていた。そうしてできた影を、グラスを挟んで座るロイエンタールが一身に浴びている。
 彼は黒い瞳で、静かに友の言葉を待ち望んでいた。
……ロイエンタール、酔っているだろう。さっさとそれを外して、もう寝ないか。今夜は泊まっていけよ」
……そうだな」
 ロイエンタールは席を立ち、おそらく洗面所へと向かった。ミッターマイヤーはその後ろ姿を見送りながら、アルコールでからからに渇いた喉をアルコールで潤さんとばかりに、グラスの残りを飲み干した。
 戻ってきた男の瞳は、いつもの金銀妖瞳だった。