千代里
2024-05-13 07:41:48
11463文字
Public リーブラ13話
 

リーブラの針は問う・13話・その4


 昼過ぎに皇都に到着した頃はちらちらと空を舞っていた雪は、ノエたちが宿に着く頃には止んでくれた。
 しかし、それでも曇天であることには変わらない。グリダニアの爽快な青空とは真逆の重たい鈍色の空気は、宿の中にまで忍び込んでいるかのようだった。
 とはいえ、空気の冷たさまで室内に侵入してくるわけではない。暖炉に赤々と火が灯った室内は外とは比較にならないほどに暖かく、ヤルマルは念願の暖房器具に歓喜して、今も暖炉の護人の任についている。
「ノエのお父さんが、皇都上層の宿を押さえておいてくれて助かったよ。下層の宿は、隙間風がひどいところもあるからね」
 ノエとしては複雑な心境だろうが、ヤルマルとしてはノエの父親の選択には多大なる感謝を捧げていた。
 もっとも、そのノエは今は部屋にいない。宿に到着して、受付に父親宛の到着連絡の手紙を預けると、オデットと共に再び皇都へと繰り出していた。
 彼女の記憶を探すためと話していたが、今は一箇所に腰を落ち着けていたくないのだろう。じっとしていれば、それだけ考えの深みに嵌ると、本人も自覚しているからに違いない。
「サルヒ、部屋の温度はどうだい。頭の痛いのはおさまったかな」
「頭痛は治ってくれたと思う。部屋の温度は高いくらい」
 ヤルマルが呼びかけた先、女部屋に置かれた寝台の一つにサルヒがいた。旅装を脱いだ彼女は傍目から見ると病人のようにも見えるが、実際彼女は体調不良を訴えたことでこうして体を休めていた。風邪や発熱ではないものの、頭痛がするとつぶやいた矢先に、ヤルマルやオデットに「休まなきゃだめ」と押し切られたのだ。
 サルヒは「大袈裟だ」と主張したが、ルーシャンに「休めるときに休んでおけ」と言われたのがダメおしとなって、結局大人しく寝台送りとなった。今は一時間ほど仮眠をとったおかげで、サルヒの頭を蝕んでいた疼痛もすっかりおさまっている。
「イシュガルドの気温は、グリダニアとは全然違うからね。調子が悪くなるのも仕方ないよ」
「昔は、こっちの気温のほうに馴染んでいたのに」
「でも、君ってアウラ族だよね。黒い角のアウラ族は、ここよりも温暖な気候の草原の出身って昔聞いたよ」
「温暖かどうかは別として、ここより気温は高かった。でも、別に寒いところが嫌いなわけじゃない」
 話をしながら、サルヒは体にかけていた毛布を畳む。ずっと横になっていて病人扱いされるのも、居心地が悪い。何せ、ここはまだ目的地ですらないのだから。
「ヤルマル。あなたは皇都の様子を見に行かないの。ノエの父親から連絡があるまでは、自由行動と言っていなかった?」
「君が落ち着いたら、少し見て回ろうかとは思っているよ。でも、オランローが出歩きづらそうにしているからね。彼を置いて、自分だけ観光というわけにもいかないだろう?」
 オランローとサルヒの両者は、黒い角や鱗をもつアウラ族だ。その容姿はドラゴン族と千年にわたる戦争を続けているイシュガルドにおいては、ともすれば竜に与した異端者として映る。
 幸い、宿屋の従業員にはノエの父親が先んじて伝えてくれたようだが、それでも好奇の視線には晒されていた。万が一、街の中を歩いていて、異端者だと指を指されたら弁明は難しいだろう。特に、ここ最近は異端者が活発な動きを見せていると、宿屋の従業員も漏らしていた。
「ボクがこの街に何度かきているからね。初めての観光は、ノエたちに譲るよ」
「そう。じゃあ、オランローは部屋にいる?」
「いや。今は、厨房にいる。小腹が空いたから、軽食を作るってさ」
 ヤルマルたちは、イシュガルドに到着する直前に早めの昼食をとっている。大審門の検問でごたつく前に、食事を先にとっておいた方がいいとキャリッジの馭者に言われたからだ。おかげで、夕飯はまだ数時間後という時間帯であるにもかかわらず、微妙な空腹が一行を苛んでいた。
「じゃあ、旦那様は一人で部屋に?」
「ルーシャンなら、オランローが料理を手伝えって引きずっていったよ。ルーシャンも、皇都観光に興味はないってさ」
……そう」
 そこで不自然に言葉を区切り、サルヒは布団の縫い目を意味もなく指でなぞる。その仕草の意味が全くわからないほど、ヤルマルとサルヒの付き合いは浅くはない。何せ、何度も命を預けあい、時に正面切って喧嘩までした仲だ。
「ルーシャンと、何かあったのかい」
 ヤルマルの問いかけに、サルヒの血色の薄い指がぴたりと止まった。
「ディアヌさんの一件があってから、なんだか君とルーシャンの距離が、今までと少し違う気がしてね。君たちのことだから、喧嘩したというわけでもなさそうだけど。でも、互いに距離感を掴み兼ねてるというか――……
 サルヒが声をかければ、ルーシャンは常と変わらない態度で応じてみせている。だから、口も利かないほどの大喧嘩というわけではないのだろう。
 一方で、オデットを一時的に預かっていた期間にあった、ノエとオデットの間に生じたわかりやすいぎこちなさともまた異なる。
「君は普段通りにしようとしているけど、ルーシャンがその日常から半歩距離を置いている、という感じかな」
……避けられているわけではないのだけれど」
 肯定とも否定とも取れる返答が、サルヒの口から漏れる。
「ノエと違って、ルーシャンは顔に出してくれないから」
 サルヒの何気ない言葉に、ヤルマルはふんふんと相槌を打ちかけ――一時停止する。彼女は一瞬瞬きすら止めて、思わずサルヒをまじまじと見てしまう。
 だが、サルヒは素知らぬ顔で話を続ける。
「ノエは、心配事があるとすぐに顔に出る。だから、オデットにもわかりやすいし、すぐに指摘できる」
「それについては大いに同意するけど、ちょっと待って。今のは、もしかして聞き間違い?」
 耳が悪くなったかなと、ヤルマルは自分の耳をぴょこぴょこ動かしてみる。そんな彼女の仕草を、サルヒはいつも通りの鉄面皮で見つめながら、
「私は、先ほどルーシャンと彼を呼んだ。聞き間違いじゃない」
 ヤルマルは、チョコボがその場でいきなり踊り出したとしてもこんなには驚かないだろうという顔でサルヒを見つめ返した。
 まるまる三十秒はそうしたかと思うと、
……本当に、喧嘩してないんだよね?」
「していない。私が、勝手にそう呼ぶようにしただけだから」
 サルヒはいつも、ルーシャンを呼ぶ時に『旦那様』という呼称を使い続けている。それは、彼女がルーシャンと主従関係を結んでいた時期があったからだと周りには説明していた。
 彼と今までの関係のままでも話せる内容なら、その呼び方で構わないとサルヒは判断していた。
 だが、より彼自身の心や信念に踏み入るような話をするなら、彼の召使いの立場で収まっていては次に進めない。自分は留まり続けないという意志を示すために、サルヒは意図的に彼の名を呼ぶことにした。
 とはいえ、サルヒは決して口が達者な方ではないので、ヤルマルにした説明は、
「私がルーシャンのことをちゃんと話したいときは、そう呼ぶことにした」
 という、非常に簡素なものとなった。それでも、ヤルマルには大まかなところは伝わったようだ。
「ルーシャンは、自分の気持ちを全て表に出す人じゃない。昔からそうだった」
「ボクが言うのも何だけど、彼は彼なりによそ行きの自分がいるんだろうね。いや、周りに『かくあれかし』と見せたい自分、というべきかな」 
 その『よそ行き』は、どれだけ身近な所にいようがいまいが関係ない。たとえ、一番長くそばにいるサルヒにだって、彼は腹の中の全てを見せないと決めているのだろう。
「だから、何もかもを大っぴらにするというわけにもいかないんだろうは」
 そのような感情の機微については、ヤルマルも実感するところがあった。誰あろう、ヤルマル自身がそのように他所行きの自分を意識して行動していたのだから。
「ルーシャンは、格好いいかどうかが自分の正しさだ、と前に言っていた」
「ははっ、彼らしいね。しかも、それをただの見栄にしてないってところも含めてさ」
 サルヒが語ったのは、彼女が初めてルーシャンの前で内なる獣に呑まれた後のことだった。
 自分を追い出すのかと問いかけるサルヒに、ルーシャンは事もなげに自らの指針を示してみせた。今蒸し返したら、本人は若気の至りだと苦笑いを溢すかもしれないが。
「だから、誰かに自分の気持ちを全て伝えることを、格好悪いと思っている……ように私は思う。ルーシャンはそういう人だから、手伝ってくれと私に頼むこともない」
「君がルーシャンと一緒にいるのは、彼に依頼されたからじゃないんだね」
「そう。私が行きたいと言って、ルーシャンが頷いてくれた。彼は、私の手伝いたいという気持ちを買ってくれただけ」
 あの男はいつだってそうだ。頭を下げて手を合わせて、どうかお願いだ手伝ってくれとは言ってくれない。助けてくれと縋りもしてくれない。
 冗談めかして、手を貸してくれと言うことはあれど、それも断ったらあっさり手を引いてしまうような軽い内容に留めている。
 一方で、こちらが「手伝いたい」と申し出れば、構わないと頷いてはくれる。その肯定は、一見すると、こちらの要望を喜んでくれているようにも思えるが、裏を返すと違う姿が見えてくる。
「多分、ルーシャンは私の協力があってもなくても、どっちでもいいと思っているんじゃないかって、ずっとそう思っていた」
「へえ。君は、今もそう考えているのかい?」
 サルヒの言葉から伝わる憂いに、すかさずヤルマルが言葉を挟む。ヤルマルの声音に含みがあるのは、おそらくサルヒと同じことを考えているからだろう。
「今は……分からない。私のことがどうでもいいのかもしれないって、投げやりになったこともあった。どうして、ルーシャンは私に対して、他の人と変わらない応対しかしてくれないのって、不満を覚えたことも……ずいぶん昔のことだけれど」
「おや。君はそういう感情とは無縁だと思っていたけれどね」
「今は、もう思っていない。私が思い出したくないぐらい、ずっと昔のこと」
 ルーシャンについて行きたいと言い出したのは自分なのだから、彼から見返りがなくて当然だ。そう思う一方で、どうして見返りの一つもないのかと主張する幼い自分もいた。
 献身に対して相応の報いがあってほしいと願っていたのは、年端もいかぬ娘だった頃の話だ。今のサルヒは、達観という名の諦念を交えてルーシャンと行動を共にしていた。
 ルーシャンの中で一つの諦めが見つかるまで、自分は彼と行動を共にする。それでよかったはずなのに、狂いが生まれたのは『タムタラの墓所』の一件があってからだ。
「ルーシャンにとって、私は『少しだけ』大事な仲間だと思っていた。だから、危ない橋を渡って私を助けようとしたのが、上手く繋がらなくて……嬉しかったのは確かだけれど、少し混乱した」
「あの時は、ノエが頭に血が上った彼を止めようとしたぐらいらしいからね。どうやら、ルーシャンの『少しだけ』は随分と重いようだ」
 ヤルマルはサルヒの寝台に腰を下ろし、より近い位置で彼女の表情を窺う。片方だけ露わになったサルヒの黄金色の瞳は、言葉にしているよりは躊躇が少ない。すでに、彼女の中でこの問答は何度も行われているのだろう。
「でも、やっぱりルーシャンは肝心なところまで、私を踏み込ませてくれないということも、後でわかった。だから、私から踏み込むことにした」
「その証が、呼び方の変化かい?」
「そう。だって、ルーシャンは……いつも、ずるい」
 急に子供が拗ねたような言葉を口にしたので、ヤルマルはぱちぱちと瞬きをして、サルヒを見つめてしまう。彼女の視線に気づいてか、サルヒはわざと視線を布団の縫い目に戻し、
「私のことは気にしていないかと思ったら、とても大事な人のように扱う。そのくせ、私に自分の考えていることは教えてくれない。思わせぶりなことは言うくせに」
 厨房にいる男のことを思い出し、ヤルマルは苦笑いを浮かべる。思わせぶり、と言われると自分のことを言われてるような気がして少し耳が痛い。
「離れていってもいいみたいなことを言っているのに、きっと私が離れたら、あの人は寂しくなってしまうって予感をさせてくる。だから……ルーシャンは、ずるい」
 サルヒがそこまで言った瞬間。不意に、彼女の隣で笑い声が響いた。それは、ヤルマルの呵呵大笑の声だった。
「あっはっは! ああ、いや、気を悪くしないでね。あのルーシャンが、君にそこまで言われているのが、何だかおかしくなっちゃって」
 だが、ヤルマルにとっては他人事ではない。サルヒが口にした不満のほぼ全ては、かつての自分に突き刺さってくる。
 サルヒは、自分とオランローは同じタイプの人だと話していたことがある。おそらく、今サルヒが感じている不満は、オランローがヤルマルに対して抱いたものと同種のものだ。
 そうは言っても、ルーシャンを庇ってあげるほどヤルマルも優しくはない。傷の舐め合い庇い合いは、ひと足先に卒業させてもらう。
「彼は、君が思うような綺麗な一枚板になれないんだと思うよ」
 ひとしきり笑った後に、ヤルマルは言う。
「本人がどれだけそうあるべきだって決めていたとして、表向きはそのように振る舞えていたとしてもね。で、それに気がついて欲しくて、何だか思わせぶりになってしまうのかも」
「ルーシャンが?」
「うん。ボクだってそうだったんだ。たかだか四十近く生きただけの人に、完全な存在になってもらっちゃ立つ背がないよ」
 百と三十以上の年数を重ねながらも、己の未熟を痛感させられたヴィエラの麗人は言う。
「彼も、迷いがあるんじゃないかな。どうしたらいいかって指針はあって、でもどこかに自分の指針に対する抵抗もある。反発する理由が生まれた原因が、最初からあったものなのか、それとも君と一緒にいるうちに生じたものなのかは分からないけれどね」
 ヤルマルの発言を受け、サルヒは口元に手を当てて熟考する。
 ルーシャンが最初に定めた指針。サルヒが知る限り、それは自分の家族が死んだ理由や、彼らを死に追いやった人物への復讐だったはずだ。そのためには、彼自身が生き残らねばならない。それは、サルヒのために命を賭して魔物に立ち向かうという行動と矛盾する。
 他にも、気になる点はある。
 グリダニアでノエたちに出会ってから、ルーシャンはひと所に留まり続けている。本人曰く何かの理由があってこそなのだろうが、今まで各地を転々としていた点を踏まえると、極端な方針転換であるのは間違いない。その中に、復讐にまつわること以外の理由が混在している可能性もあるのではないか。
「ルーシャンは私が踏み込んでも、全ては話してくれない。それでも、迷いはあると思う?」
「彼が自分に課した掟みたいなものが、それだけ強固なのだろうね。ちょっとやそっとじゃ外せない鍵ってわけさ」
 けれども、彼の錠前にはどこか錆が浮き始めているとヤルマルは付け足す。それがサルヒにとっては良い形での綻びとなるのではないか、と。
「彼自身、自分の矛盾に気がついているのかもしれないね。それに気づいて欲しくて、思わせぶりな行動になってしまうのかもしれない」
 傍目からするといい迷惑以外の何者でもないかもしれないが、十年以上の時を経て固まってしまった感情を解きほぐすのは、本人自身でも難しいことなのだろう。
「分かりづらいくせに、すっきりしない部分ばかり目立ってしまうけれどね。ヒトの感情っていうやつは、ナイフで割ったみたいにすっぱりとできないものだ。遠回しの救難信号は大目に見てやってくれないかい」
「救難……と呼べるものなら、迷わないのだけれど。ルーシャンは救ってほしいのか、そうじゃないのか、私にはわからない」
「そりゃ、彼だって決めかねてるんじゃないかな。だから、すごく曖昧でもどかしいんだ」
 自身を振り返ってみれば、ヤルマルとて自分が『苦しんでいた』とまでは言い切れない。救ってほしかったなどと言うのは、傲慢にも程がある。
 ただ、今のままでは自分自身が納得できない――そう思った結果が、今の彼女だ。
「ともあれ、彼がそこまでして頑なに守ってきたものだ。そうそう簡単には打ち明けてくれないだろうさ。けれども、ルーシャン自身が自分の行動に迷いを感じ取っていて、選んだ道に踏み出したとしても、そこには彼にとっての後悔が待っているだけだと思うのなら……その時は、君がぶん殴ってでも止めてあげた方がいいかもね」
 自分自身と照らし合わせて、ヤルマルはそのように付け足す。
 彼女自身、兄の名を借り、兄の人生を辿ったことを完全に否定できない身だ。一方で、全く後悔がなかったと、これぞ完全な正解の道だったということもできない。心のどこかで、『もしもこうしていたら』という感情は残る。
 もしも、あの時自分がヨルディスだと先生に打ち明けていたら。
 もしも、あの時自分がヤルマルの誘いに乗らずに、里の女たちの不安を受け止める存在として土室に留まっていたら。
 致命的な過ちだとまでは言わずとも、わずかな後悔は尾を引き続ける。積み重ねた時が己を慰めてくれているからこそ、ヤルマルはまだ懐かしい思い出話として、当時を振り返ることができる。しかし、それは百年以上の時間を生きられるヴィエラだからこそだ。年月は平等なような顔をして、時にもの凄く不平等にもなってみせる。
「ルーシャンが、自分が後悔するとわかっていて、それでも踏み出してしまったとき……
「ああ、そうさ。このボクだって、間違いを重ねてきたんだ。彼だって、人生の中で『あれは間違ってたな』ってミスをすることもあるだろうからね」
……うん。そのために、私はもう旦那様の召使いの位置に留まらないことにしたんだから」
 ルーシャンから歩み寄ってもらえないのなら、今度はこちらから踏み出す。そう決めたが故に、サルヒは彼の呼び方を変えた。
 自分の決意を、サルヒが改めて見つめ直していると、
「それはそれとして」
 と、ヤルマルが口元を釣り上げて、サルヒへと肩を寄せる。
「こんなにも可愛い古馴染みが歩み寄ってくれているっていうのに、一体あのおじさんは何を逃げているのやら! ボクだったら、絶対放っておかないのに!」
 そんな風に言われて、サルヒの色白の頬に薄く紅が走る。
「ルーシャンの逃げは、今に始まったことじゃないから」
 素っ気なく返しつつも、彼女の瞳は落ち着きなくあちこち揺れ動いている。
「君、相当彼とは付き合いが長いんだろう? そんな君にここまで言われるとは……まったく、しょうがない弱虫だなあ」
 重たくなりがちな空気を蹴飛ばすように、ヤルマルは笑う。彼女に誘われるようにして、サルヒの唇からも控えめな笑い声を響かせた。
 
 ***
 
「っはーっくしょい!!」
 咄嗟に首を明後日の方向に向けて、口元に手を当てたものの、押さえきれなかったくしゃみの音が厨房の手前から響く。材料が入っていた空き箱を片付ける途上だったのが、不幸中の幸いだったと、オランローは小さく吐息をこぼす。
「風邪でもひいたか、ルーシャン。ここ最近は、気温の移り変わりが極端だったからな」
「いや、この程度で風邪をひくほど柔な生活してないんだけどな」
 ルーシャンは鼻の下をわざとらしく指で擦ると、一度厨房の外へと出ていった。
 厨房に残っていたオランローは、自分が向き合っていた鍋の撹拌作業に戻る。
 彼がかき混ぜているのは、刻んだ野菜をたっぷり入れたスープだ。サルヒが頭痛を訴えたのをきっかけに、オランローは「それなら軽く腹に入れられる温かいものを作る」と申し出たのだった。
 外を歩いていたら、いつぞやのように異端者として追い回されるかもしれない。それぐらいなら、大人しく自分の事情を知る者だけがいる宿屋にいて、仲間のために料理でもしている方がいい。ついでに自分の腹も満たせるので、一石二鳥だ。
 すると、サルヒのために料理をするなら、俺も手伝うとルーシャンが名乗りをあげた。手伝いの数は多いに越したことはない。オランローは彼を助手として雇い入れ、野菜の皮剥きや荷運びといった単純作業を手伝ってもらっていた。
「ルーシャンは、元々はイシュガルドのあたりで活動していたのか」
「ああ。まあ……そうだな。クルザスの辺りには、長く滞在していた。でも、他にもエオルゼアならあちこちに行っていたぞ」
 ルーシャンが指折り数えた都市は、ウルダハやリムサ・ロミンサといったエオルゼア地域では主要な都市国家だ。
 グリダニアもそうだが、エオルゼアには小さな都市国家こそあるものの、統一された大規模な国はない。地元に住んでいる者にとっては、他国間で認識のずれが生じやすいという欠点もあるが、冒険者にとっては鞍替えがしやすく、悪いことばかりではない。
「だから、おじさんは寒いところも暑いところも、まあまあ慣れているってわけだ。今回だって、温かい格好をしてきただろ?」
「そうみたいだな。あんたのように、ヤルマルもてきぱきと防寒具を決められればよかったんだが」
 オランローが思い返していたのは、イシュガルド行きが決まって防寒具を準備しなければならないと決まった時のことだ。故郷が温暖な気候だったヤルマルは、イシュガルドに行った経験があると語っていたにも拘らず、一番分厚い防寒具を求めて、なかなか服屋から出てこなかった。
 ついでに、オデットとサルヒにも羊毛でできた暖かそうな上着を贈っていたので、もしかしたら彼女らの防寒具を決めるのが楽しくなって遅くなった可能性もある。
「はっはっは。あれはあれで、可愛げがあるって言えるんじゃないか?」
「なぜだろうな。あんたの口からヤルマルに対して可愛げなんていう単語が出てくると、無性に苛立ってくる」
「おいおい。お前って、そんな風にあからさまな感情を向けてくるタイプだったか?」
……半分は冗談だ」
「半分だけかよ」
 ルーシャンは苦笑を浮かべながら、オランローへと近づく。間髪入れず、オランローは自分が火の番をしていた鍋を、顎でしゃくってみせる。あんたが面倒を見ろ、という意味だ。大人しく、鍋の番を譲り受けて、ルーシャンはオランローが立っていた位置に移動する。
「ノエのこと、気ぃ遣ってんのか?」
 わかりづらいジョークが、今は外に出ている生真面目な青年のためのものではないかと、ルーシャンは問いかける。そうやって先んじて口を滑らかにしておいて、彼が戻ってきたとき重苦しい発言しないように気持ちを切り替えておきたいのか、と。
「少しはな。流石に、あんな話を聞かされて、あいつに普段通りで居ろとは言えない」
「家からつまみ出されただけじゃなくて、助命嘆願もせずに処刑されるのを黙って見送った奴と顔を合せるなんてことになったら、平静でいろって方が無理な話だ」
「そんなことをしておいたくせに、何故今更……と聞くのは愚問なのだろうな」
 ルーシャンに鍋を任せて、オランローはオーブンの中に入れた料理の方を見にいく。寒さを吹き飛ばすために、チーズと牛乳をたっぷり使ったリゾットが、オーブンの中で少しずつ焦げ目を見せ始めていた。
「ノエを呼び出した理由は、手紙にも書いてあったんだろ。ノエに謝るためだって話じゃないか」
「謝って、許してもらえるつもりなのか。その父親は」
「さてな。だが、普通、わざわざこうして呼び出しているのは、謝っておくことで、あの親父さんに何か意味があるからだろうよ」
「それは、ノエに許してもらいたいから……か」
 オランローは自分で答えを呟き、続けてノエの切羽詰まった横顔を思い出す。ノエは善人だ。疑いようのないぐらい、どこからどう見ても、オランローが今まで見たこともないぐらいに真っ白な心を持った人物だ。
 だからこそ、彼には己の憎しみの出どころを明確にしておくように伝えた。そうでなければ、謝罪を受け入れてほしいと望む父親の心にノエが飲み込まれてしまいそうだったからだ。
(オレは、セルウィがヤルマルやノエにした仕打ちを許していない。たとえ、あいつがどれだけオレにとって大恩ある人物だったとしても、あいつの行動の全てを受け入れるわけじゃない)
 ノエにとって、父親の裏切りはそれと同じくらい、あるいはそれ以上に根深い痛みを与えたもののはずだ。その痛みを蔑ろにするような選択をしてしまうのではないか。彼が、自分自身に対する裏切りを働いてしまわないか。オランローは、それだけが気がかりだった。
「オランローなら、同じ立場だったならどうする……って聞くのは、流石に野暮か」
「ああ。答えなら、この前の一件で示したはずだ」
 オランローにとって、帝国軍にいた頃の上司――もう一人の父親のように慕っていたセルウィは、今も尊敬している人物の一人だ。
 一方で、先だっての事件では憎むべき相手であったことも事実であり、オランローの中でその二つの感情は相対する柱のように共存しあっている。
 許さないという気持ちと、過去の彼への恩義。どちらも抱えながらも、今のオランローは和解を拒み、こうしてヤルマルや他の仲間と行動を共にしている。
「なら、ルーシャン。あんただったら、どうする? 同じような嘆願が届いたら、やはり突っぱねるのか」
「俺か? 俺は……もっと酷いことしか言えないぞ」
 ルーシャンは鍋底に溜まっていた野菜をかき集め、味見用の小皿に中身を移す。野菜の旨みがたっぷりつまった汁を前にして、
「俺の大事なものを奪った奴がのうのうと生きてるなら……そいつに、目のもの見せてやらなきゃ気が済まない」
 小皿の中身を飲み干して、彼は付け足す。
「奪われた分だけ、やり返す。そんだけだ。……お、うまいな、これ」
 とっつけたように足された言葉が、直前に吐き出された呪いじみた言葉を上書きしていく。
 オランローは、ルーシャンの発言に特段驚きもしなかった。目の前の男が、飄々とした振る舞いに対して、存外に熱い感情を内に秘めていることは、サルヒがマイトの巣に捕らわれたときの一件でよくよく知っている。この男は、自分の身内を傷つけられれば最後、飄々とした笑みの裏に消えない炎を燃やす性分なのだ。
「あんたのそういう所、オレは嫌いじゃないがな。流石に、ノエには聞かせられないか」
「あの若人も、自分の正しさってやつを、もう少し柔軟に捉えられるようになったみたいだけどよ。やっぱり、根っこのところに『誰かのために』って気持ちが残っているみたいだな」
 それが悪いと言いたいわけじゃない、とルーシャンは付け足す。無論、オランローとて同じ気持ちだ。
 誰かのために行動する。ノエの指針自体は、褒められこそすれ、貶されるものじゃない。だが、その中にどこまで『自分』があるか。それだけが、オランローの懸念している部分である。
「自分がどうしても譲れないもの。それだけが大事にしたいって言ってたからな。今回は、そこに自分自身の気持ちを当てはめればいいだけの話だろ」
「あいつが、自分でそれに気がつければいいんだが」
「んー……まあ、若人本人が気づかなくとも、気づかせてくれる人はいる。そうだろ」
 ルーシャンの言葉に、誰のことだと思いかけ、すぐにオランローも気がつく。
 今ここにいない、もう一人の人物。ノエのことを誰よりも慕っていて、けれどもそんなノエに対して時に驚くほどに頑固になる少女のことを。
「そばにああいう理解者がいてくれるというのは、幸せなことだな」
 ノエのことだけでなく、己自身のことも思い、オランローは目を伏せる。
 先だって、セルウィとの思い出を全て閉ざそうとしたとき、ヤルマルがかけてくれた言葉を思い出したからだ。
 彼に呼応するようにして、ルーシャンはスープをかき混ぜる手を止める。
……ああ、まったく。その幸せを自ら棒に振るような奴がいるとしたら」
 そいつは、とんだ大馬鹿野郎だろうさ。