氷室開き
「氷室を開ける?」
王は、ディルクの提案に対してさして興味のないふうに繰り返した。
シヴィロ王国の夏は短く、比較的爽やかな気候だが、この数日は例年にない暑さだった。今日も陽射しは燦々と鋭く、窓を開けていても風が入ってこない。ならばせめて陽射しを遮っておいた方がマシなので、王の執務室はカーテンをひいて半分を陰にしてあり、薄暗かった。それでも背筋をのばしかしこまってしゃべっているだけで汗ばんでくる気がするような気温だ。
「例年、食料の保管に必要な氷は第一倉と第四倉、第三倉の半分程度で冬まで持つと聞いております。今年はこの暑さなので第二倉は確保しておくとして、三倉と、残り少ない四倉の氷は解放してもよいのではないかと。宮仕えする者達の中にも暑さで体調を崩す者が続出しているということですし
……」
ふむ、と頷く王は汗をかく気配もないが、情け深い彼に最後の一言がささやかに、しかし深く響いたらしかった。
シヴィロ王国の王城には合わせて四つの巨大な氷室がある。王都の生活用水の水源であるリントガル湖の氷を冬場に切り出して保管しており、主に春から夏の食料保管のために使われてきた。
中でも第一倉の氷は王族専用で、夏には嗜好品として食べられている時代もあったらしい。しかし、当代の国王はこれだけ暑くても氷室のことを思い出さないし、ディルクも特に求めなかったし。
王妃クレスツェンツやクヴェン王子が生きていた頃は少し削り出して食べていたそうだが、それも二人が毎日召し上がったってなくなり得る量ではない。
ゆえに、去年などは氷室に残っていた前年の氷を捨ててまでいたそうだ。
貴重な氷。夏は誰に振る舞っても喜ばれるだろうに。実際、夏の宴の趣向に招待客へ氷の甘味を振る舞ったり彫刻にして飾ったりした王族もいた。当代の王族は誰もそんなことをしようとしなかっただけだ。
そういう近年の事情を思い出したのか、王はその場で許可をくれた。
「あー俺、ディルクのこと超好き。一生ついてく!」
かくして、氷の量を確認するため自ら氷室へ足を運んだディルクの後ろで、一緒に氷室へ入ってきたルウェルが冷気を全身に取り込もうと両腕を広げて叫んでいた。その声が洞穴の中に反響する。
だが、表面がつやつやと濡れた柔らかな氷の肌はその反響音を吸い込んでいるようだった。
氷は同じ大きさの直方体で切り出され、並べて重ねて大きな山にされていた。そして分厚い布を被せられ、空になればちょっとした舞踏会が開けそうな広い洞穴の奥に、城門顔負けの分厚い鋼鉄の扉でもって封印されている。
今ディルク達が足を踏み入れたのは、最近開閉され始めた第三層だ。そのせいで氷が少し溶けているらしい。
その氷の表面にぼんやりと滲んでいた自分の姿から後ろではしゃいでいるルウェルに視線を移し、ディルクは呆れ気味に言った。
「言っておくけどな、騎士に回るとしても最後だぞ」
「えっなんで!!」
「こういうのは下の者から順番に食べさせてやるものなんだよ」
「いやいやいや、俺らって普段王様とかディルクの命を守るすごーい仕事をしてるわけじゃん? こういう報償あってもいいと思うけどなー」
「その〝すごーい仕事〟のために高い俸禄を払っている。黙っているならここでひとかけくらい口に入れてやってもいいが」
するとそれきりルウェルは黙った。やっと氷室の管理人と話ができる。
長年、王城の氷室の番をしてきたという管理人は腰の曲がりかけた老人だった。この暑さだが腰以外はしゃんとしていて、氷にがめつい騎士の言動を笑っていた。
「ここを空にしても第二倉の氷は冬まで保つだろうか」
「ご心配には及びませぬでしょう。今朝、今年に入って初めて中を確認しましたが、量も硬さも十分保たれておりました。この暑さも来月までは続かぬでしょうから」
「それならよかった。もし足りなくなった時は第一倉の氷も使えばいい」
「そのようなことをおっしゃってくださる王家の方がいらっしゃろうとは。わたくしめがこのお役目についたときには、氷は銀砂にも例えられる貴重なもの、やすやすと扉を開けてはならぬと指導されたものですが」
「水が固まっているだけだ。それに、銀だろうと金だろうと遣って初めて価値が出る。こう暑いとしまわれていた方が恨めしくなるしな。削り出したら、お前達も食べなさい」
老人はほっこりと笑って頭を垂れた。
その後、カミルが侍従長から預かってきた城の大雑把な勤労者名簿を参考に、氷の割り振り先と量を決める。〝大雑把〟にしか分からないのは、騎士や兵士を除いても千人いるという王城勤めの者の中で、侍官はともかく下働きの人間は出入りが激しいし、各所の仕事を取り仕切る者に雇用や解雇を任せているせいだ。
だから下働きに近い氷室の管理人達の、あそこには何人、ここには何人働いている者がいるという意見は大いに参考になった。
もちろん、氷室を出るときにはふたかけ氷を削ってもらい、ルウェルと、口止めのためにカミルの口にも氷を放り込んでおいた。
ディルクが氷のことを思いだしたのは、そもそもユニカのためだった。
ここ三昼夜続いた暑さのおかげでユニカがへばってしまっていた。南部の生まれだからここアマリアより温暖な気候で育っているはずだが、それも十年近く前のこと。身体はすっかりアマリアの夏に適応していたらしい。
ゼートレーネの女達がつくっていくれた木綿のゆったりした部屋着を着て、寝椅子にくったりと寝そべってばかりいる姿はそこはかとなく色っぽくて見ている分には楽しいが、寝ている本人からすれば具合が悪いだけなわけだ。病も剣も通じない『天槍の娘』も暑さには弱いと分かった。
それと、見ている分には楽しくても、珍しい魅惑をまとうユニカにくっついていったら「暑い」と追い払われた。これは由々しき事態である。早々に暑気払いをせねば、ということで思い出したのが氷だ。
氷室から氷を切り出し、砂糖や糖蜜とともに城勤めの者達に配るよう手配し、王のもとにも届けさせたあと、ディルクは東の宮にも氷を持ち帰った。侍官や召し使い達に食べさせる氷は厨房に預け、さっそく大きな氷の塊をユニカの部屋に運んだ。
向こう側が透けて見える氷の透明度に、ユニカはここ最近見たこともないほど目を輝かせた。そして両手で氷を撫で、きらきらしたその表面に頬ずりせんばかりに近づいて漂ってくる冷気を楽しむ。
いっそ氷になりたい。
と思いながら、ディルクはユニカがひとしきり満足するのを待った。
「貰ってもいいの?」
「いいよ。本当は食べたら美味いんじゃないかと思って持ってきたんだが、触って涼んでいてもいいし」
寵姫が初めて受け取ってくれる高級な贈りものが氷というのもなんだかな、と思わなくもないが、今朝もぐったりしていたユニカの頬に生気が戻ったのを見てほっとする。
「食べられるの?」
「そりゃ、もとはただの水なんだから。水質のいいリントガル湖の氷だよ。身体の中から涼むのもいいんじゃないかな」
ディルクがそう言うと、カミルがすかさず粉砂糖や糖蜜の入った硝子の瓶をユニカに見せてくれる。それも涼しげなカットの入った硝子瓶で、氷のように見えたことだろう。
「じゃあ、食べてみるわ」
食指を動かされたユニカの言葉を合図に、一抱えもある大きな氷塊が丁寧に削られ始めた。そのうちユニカがゼートレーネで作った苺のジャムや土産に持たされたベリー類の砂糖漬けのことも思い出したので、できた削り氷には赤や黒の艶やかな果物も添えられた。
その上に真っ白な粉砂糖が振りかけられると、とびきりのおやつを前にした子どものようにユニカはごくりと唾を呑む。
食べものに特別な好みも関心も見せないユニカにしては珍しい。
「どうぞ、召し上がれ」
これまた硝子の器に盛られた氷に、染みこんだ果物のシロップ、粉雪のような砂糖。その一口がどんなに美味かったのか分からないが、ともかくユニカはしばしうっとりし、二口、三口と口に運んだ。
その顔を見ると、「いざという時は王族専用の氷も使ってよし」と許可を出したのは間違いだったかもな、と思う。これでユニカが氷にはまったのなら何度でも食べさせてあげたいからだ。
「気に入って貰えてよかった。元気も出たみたいだし」
「
……ありがとう。おいしい」
ディルクはにっこりと笑い返しておく。これで今夜は諸々のふれあいも許してくれるだろう。
ユニカが「みんなの分も」と、その場にいたエリュゼや騎士達の分も用意するよう言ったので氷はだいぶ小さくなったが、残りは今夜の氷枕にするとのことだ。
お相伴することができたルウェルが「ディルクよりユニカの方がいいやつだな」とか言ったことや、その夜のユニカは先に氷枕との共寝を〝ぐっすり〟楽しんでいたためにディルクが訪れても見向きもしなかったのは、余談である。
読んだよ👏
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