「侯爵」
硬い声に呼び止められて振り返ると、エリュゼがいつものようにつんとした顔で追いかけてきていた。今し方ユニカのもとからさがってきたのだが、何か忘れ物でもしただろうか。
「先日から気になっていたのですが、」
立ち止まって彼女に向き直ると、さりげなく視線を逸らされる。それと、忘れ物ではないらしい。
「はい」
「御髪をまとめている〝それ〟はなんとかならないのですか」
おぐし、などとたいそうな言い方をされるようなものでもない自分の髪
――それを結んだ尻尾のような後ろ髪を撫で、クリスティアンはきょとんとした。
「なにかついていますか」
「いいえ。むしろついていた方がよいと思います。その革紐はさすがに無骨すぎませんか」
腰に手を当て、いかにも呆れているという口ぶりで言うエリュゼを見つめながら、クリスティアンは指先に触れた硬い感触をカリカリと引っ掻いた。
クリスティアンの髪はふわふわしたくせっ毛で、短いとどうにも収まりが悪い。伸ばして括った方が楽だと気づいてからは一つに結んでいる。しゃれっ気があってこうしているわけではないので、髪をまとめるのに使っているのはなんの変哲もなく、丈夫で手に入れやすいただの革紐である。
「着飾ることがお仕事ではないことは承知していますけれど、ここは戦場ではなく王族のお住まいなのですよ。もう少し見栄えを気になさってはいかがですか」
なるほど、と思った。クリスティアンとて、着飾らなくてはいけない場面ではちゃんと革紐を隠すものを巻く。ただ、ユニカの傍にいるのはあくまで騎士としての職務を果たすためだったのでそれが必要とは考えていなかった。
「おっしゃるとおりですね。明日からはそうします」
よく気が付いたな、と感心しつつ、クリスティアンは素直に頷いた。この女性は「クリスティアンと結婚させられそうになっている」ことを嫌ってあまり自分のことをよく思っていないのだと考えていたが。
いや、だからこそ見られるところは見られているのかもな。
宴席用のものではないやつが、今手許にない。誰か地味な色のリボンを持っていそうな者はいないかと髪の長い僚友の顔をいくつか思い浮かべる。すると、クリスティアンの目の前にちょろりとリボンが垂れ下げられた。
「お持ちでないから気が付かれなかったのでしょう。わたくしの私物ですが、それくらいの色なら侯爵がお使いになってもよいかと思います。差し上げます」
手を差し出すと、深緑のリボンがそっと渡される。
「いいのですか」
「無骨なものを見せられているよりは」
ついと顔を逸らされたので、エリュゼの表情は覗い知ることが出来ない。だが、受け取ったリボンは丁寧に火熨斗(ひのし)をあててしわを伸ばしてあったので、なんとなく嬉しくなった。
わざわざ用意してきてくれたのかな、と思ったが、相手の親切をあれこれ詮索するのは無粋というもの。
「ありがとうございます」
簡潔にお礼を言っただけで、クリスティアンはエリュゼと別れた。
さて、宿舎に戻る前に王太子殿下のところへ行かねばならない。となると、〝王族のお住まい〟だから気を遣った方がいい。
西の宮を出るところでもう一度立ち止まり、絹のリボンを革紐の上に巻き付ける。手探りで形を整えた。多分大丈夫だろう。
再び歩き出したクリスティアンの指先には、ひどく心地よいなめらかさが残っていた。
読んだよ👏
絵文字感想を送る💖
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.