春先のさみしげな雨が降るある日の夕方。
ユニカの部屋から侍官宿舎へさがろうとしていたディディエンは、西の宮を出るところでクリスティアンと出くわした。彼の方は、またこれからユニカの許へ行くようだ。
「お仕事は終わりですか」
「はい」
頷くと柔和に笑い返してくれるクリスティアンは、姉と婚約する
――かも知れない人である。
ユニカの前では、ディディエンは一介の侍女、対してクリスティアンは近衛騎士。頭を垂れるのはディディエンの方だ。しかし、貴族の間には役職や爵位とは別に複雑な上下関係があり、その血の源流を王家に求めることが出来るディディエンの家の方が、クリスティアンの家より偉い。ゆえに、お互い職を離れた場所にいる時、敬意を払われるのはディディエンだった。
そうでなくても日頃から物腰柔らかで、うわべだけではない親切さをもって接してくれるクリスティアンのことが、ディディエンは大変好きである。
「この間は、すてきなお土産をありがとうございました」
ディディエンが不在にしている実家へ、姉との婚約について話し合うためクリスティアンが来ていたらしい。その時彼が置いていったのは花の香りがする香膏(バーム)だった。
あんなにおしゃれで大人っぽいものを貰ったのは初めてだった。もったいなくてまだ使っていないが、朝、出掛ける前に蓋を開けて香りを楽しむのがディディエンの日課になっていた。
「お母様もお祖母さまもとても喜んでいました。わたしはミモザの香りをいただいて、お姉様はスミレの香りを」
そう言うと、クリスティアンは優しく目を細める。
「そんな気はしていました。先日、すれ違った時に香りがしたので」
ディディエンはあの香りをまとったことがないので、それは姉の話だろう。普段は淡々と事務的な会話を交わしている二人だったが、クリスティアンの方は姉の香りに気づいたりするのだ
……そう思うとディディエンの方が恥ずかしくなった。
それからクリスティアンは、ディディエンが雨に濡れないようにと自分の外套を被せて柱廊のところまで送ってくれた。せっかくここまで自分が濡れずに来たというのに、だ。
肩の雨露を払うクリスティアンを見上げ、ディディエンは迷いながらも呟く。
「侯爵が、お兄様になってくださったらいいなと思います」
驚いたクリスティアンは束の間外套を羽織り直す手を止め、いかにも照れくさそうに笑った。
「ありがとうございます」
彼の返事はそれだけだった。でも、それくらいにしておいて貰った方がいいだろうと思った。
これは姉と彼が決めることなので、ディディエンはささやかに望むだけである。
大好きな家族が、一人増えたらいいなぁと。
読んだよ👏
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