暁子
2018-09-03 01:03:15
3313文字
Public 二次創作
 

ゆきはね(いろいろ妄想した)SS


漣猗さん‪@ripple_lianyi ‬の『ユキハネビト』SS
本編→https://twitter.com/i/moments/808118994951499776


 叩きつけるような暴風雪(ブリザード)のおかげで、窓の代わりとなっている大きなモニターは薄い灰色の板と化していた。研究所の外壁に設置されたカメラが透明な強化樹脂に保護されていようと、今は猛烈な風と氷の結晶意外に映すべきものがないのだ。
『A級ブリザードの収束予想時刻は一五○○に変更されました。待機中の探査班は緩衝ブロックから退出してください。A級ブリザードの収束予想時刻は一五○○に変更されました。待機中の探査班は――
 雪上スクーターの座席後部に諸々の道具を詰めていた手を止め、ユノは思わず天井のスピーカーを仰いだ。
 繰り返される事務的なアナウンスを聞いて、同じブロックから雪原へ出るための支度をしていた仲間達がやれやれと息をつきながら引き上げの準備を始める。
「あちゃー、十五時かぁ。これじゃあ外に出られても大して活動出来ないね。すぐ日が暮れちゃう」
「そうだね、日没まで三時間じゃ……
 今日申し渡された定点カメラのデータ回収とサンプル採集は、最大二百七十分の時間を要する予定だった。十五時から外へ出られたとしても時間が足りないので、どの任務を優先するかの指示は貰っておかねばならないだろう。
「とりあえず、いったん引き上げよっか」
「うん」
 ユノは装備をまとめたバッグを担ぎ、名残惜しそうに灰色のモニターを振り返った。
 この猛吹雪の向こうには、青い空と果てしない銀の大地が広がっているだろう。多くの命を拒む零下の世界でも活動出来るユノにとって、そこは自由に走り回れる庭のようなものだった。――もちろん、任務を帯びて外に出るから、完全な自由というわけではないのだけど。
 ポン、と勢いよく肩を叩かれたので反射的に振り返れば、緩衝ブロックの低い気温でほんのり冷たくなった頬に、むにゅっと指が沈み込んできた。びっくりしながらユノが見つめる先には、呆れつつもニマニマと笑う瑞麗の顔がある。
「吹雪じゃ〝お外〟は諦めるしかないでしょ」
「分かってるよ」
 ユノは自分の未練がましさに苦笑するしかない。未明から続く吹雪も五時間後にはやんで、きっと今日も外へ出られるというのに。


 早めのランチを済ませたユノと瑞麗は、暴風雪がやむ予定時刻まで待機を命じられた。
 満たされたお腹が招く眠気と闘いながらデータ整理をしていたユノとは違い、瑞麗は机に置いたタブレット端末で氷河帯生物の動画を見ていて……結局は途中からうとうとしていたようだ。
「瑞麗、私すこし出掛けてくるけど……
「えっ、何、もう時間……!?」
 机に向かってゆらゆらしていた瑞麗は声をかけるなり跳ね起きた。お昼寝するならベッドで、という助言はいらなくなったようだ。
 自分の端末の電源を落として立ち上がったユノは、瑞麗が跳ね起きると同時に弾き落としたタンブラーを拾いながら言った。
「ううん、分光光度計の資料をコピーしにいきたいの」
「光度計? もしかして修理マニュアル? イントラのデータベースからダウンロードできるでしょ?」
「古いものは資料室(リソース)にしかないみたいだから」
「ええ? データベースから削除されてるほど古いって、いつの機器を直そうとしてるわけ……?」
 怪訝そうにしながらも瑞麗はついてきてくれることにしたようだ。出発まであと二時間。眠気も払っておく必要があったので、部屋から最寄りの資料室の往復はちょうどよい散歩になるだろう。
 往路では、暴風雪の影響ですべての探査班が待機しているため混んでいたカフェテリアに立ち寄り、さっと喉を潤してから、二人はいつもより賑やかな研究所の中を歩いて行った。
湾岸(ベイ)シェルターの設備は古いものが多いって聞いて、今度点検に行くまでにマニュアルを見ておこうと思ったの。そうしたら一三七年製の光度計が置いてあるって設備一覧に載ってたから」
「三十年前の機械!? それ、動いてるの……?」
「動いてるから観測データが届くんだよ」
「そうだけどさ、修理マニュアルも資料室に埋まってるような代物よ? 交換すればいいのに」
 外界での活動が可能なユノ達〝適合者〟は、氷河上の調査だけでなく施設や外に設置された設備の保守点検、時には修理を任されることもある。基本的な機械工学の知識は身につけておかなくてはいけないし、機器ごとの修理マニュアルを頭に入れておく必要がある場合も。
 資料室に到着したユノは、入ってすぐのところにあるレファレンス端末の大きなモニターを指先で撫で、分光光度計の設計図や取扱い・修理マニュアルのデータが収められたファイルを探した。
 資料室といっても、そこにあるのは通常とは異なるネットワークで繋がれたコンピュータと開架式の磁気テープの棚。まず頼るのはこのレファレンス端末で、目当ての資料をコンピュータの中から引っ張り出すか、磁気テープの場所を案内してくれる。
 欲しい資料はコンピュータの中にあった。歴代の光度計から目当ての光度計の機種名を見つけると、持ってきたメモリを端末に差し込んで必要な情報をダウンロードする。
「ユノ、見て」
 ユノがダウンロードの進捗状況を示すバーの色が変わってくのを見守っていると、不意に背中をつつかれた。
「どうしたの、瑞麗」
「誰かが閉じ忘れていったみたい。二百年前の東京の映像だよ」
 瑞麗が指し示したモニターには、画面いっぱいの薄紅色が映し出されている。
 そのやわらかな色合いは画面の中で風に揺れ、はらはらと舞っていた――さながら雪のように。
「〝満開の桜〟、お花見? のニュースだって。すごいね、映像で見たのは初めてかも」
 もうもうと舞い散る薄紅の花弁。時折画面を横切る人々がいて、青い空のもと、皆熱心にうなじを反らして上ばかり見ている。
「きれい……ちょっと雪みたい」
「ふふ、ほんと。それにしてもすごいね、ずーっと奥まで桜の木が植えてあるみたい」
「あ、お酒飲んでる」
 降りしきる花びらのシャワーを浴びながら、たくさんの人間が画面の中を行き来した。どの顔もうきうきしていて、陽射しは温かく風が穏やかなのが見ていて分かる。
 きっとその温かさ、穏やかさは、ユノ達が知らないほどやさしいのだろう。それに、氷に覆われる前の世界の、なんと色彩豊かなこと。眩しい空の水色と明るい桜の色で目がチカチカしそうだ。
「〝昔〟の人達も、外に出るのは好きだったのねー。ユノとおんなじ」
「あはは……
 自分のことはともかく、映像の中の人々が出掛けたくなったのは仕方がないだろう。こんなに温かそうで、明るくて、優しい風の吹く日だったなら。
 たとえ白一色の世界でも、ユノは外の世界を望むのだけど。
「あっ、戻って着替えたらそろそろいい時間ね。行こっか、ユノの大好きな〝外〟に」


『外隔壁を開きます。気圧と気温の変化にご注意ください』
 アナウンスとともに開かれた扉の外は、暴風雪(ブリザード)が大気の曇りを拭き取っていったような快晴――とはいかなかった。薄曇りの空は相変わらず灰色で、雪原の果ては空と溶け合っている。風もやんではいたが、静かに雪が舞い降りてきていた。
「さっきの桜の花みたい」
 ユノの手の上にひらりと落ちてきた雪は、いくつもの結晶が絡み合っていて、平たく大きい。すこし気温が上がったようだ。
「二百年前と違って、空も地面も真っ白だけどね。行こ、すぐ暗くなっちゃいそう!」
 瑞麗が隣で雪上スクーターのアクセルを踏む。積もったばかりの雪を舞いあげるパートナーの背中を追うため、ユノは雪の結晶を吹き払ってゴーグルを降ろした。
 空も地面も真っ白。大気は凍てつき、その寒さがあらゆる命の存在を拒んでいるけれど。
 花びらではなく雪の結晶を見上げて進むこの世界も悪くない。
 無彩色の大地に解き放たれる喜びを噛みしめながら、ユノもアクセルを踏み込んだ。